午睡旅人
十五話目「決着」
二つ目の鐘とともに、アサカさんが切りかかった。
一踏みで瞬く間に跳躍し、、ジョウゼの体を縦一文字に斬る。顔から首、そして腹部まで大きな傷跡が刻まれた。
しかし、たちどころにその傷は塞がってしまう。剣を振り終え無防備になったアサカさんに向かって、ジョウゼは口から灼熱の炎を吹いた。
「そいつはやばいぜ、姉さん!」
イチナが前に立ちはだかり、炎が彼の体を包んだ。
少し離れたぼくも焼け焦げるような熱さと、真昼のような眩しさを感じる。空気が歪むのが見えた。
しかしイチナは怯んではいない。それどころか、笑っている。
「ぬるいな小母さん。ちょいと鈍ってないかい」
ジョウゼは顔をしかめて呻いた。
「自己紹介がまだだったかな? オレはイチナ。テンマ財閥製強化人間〈白火〉、製造番号一七七○。テンマの汎用警備・戦闘員だ」イチナの体を包んだ炎は白く色を変え、彼の拳に集まっていく。「銃でも刀でもあんたを殺せないが、オレの炎ではどうかな」
ジョウゼは絶叫し、両手から更なる猛火を放つ。火の玉と化したそれはイチナに命中するが、やはり彼は笑っている。髪の毛一本すら燃える様子はない。
「どうしたよ、あんたの攻撃、それで終わりかい。ビビりまくって、みっともないぜ」
ジョウゼの様子がおかしくなっていることにぼくも気づいた。先ほどまでの怒り猛った顔ではない。凍りつくような笑顔でもない。それは畏れの表情だった。偉大ななにかに対する畏怖が、貼り付いている。
彼女はイチナを畏れている?
「分かるかい小母さん、オレの中に入ってるやつのことが。あんたの魔術はオレには効かねえ。まがい物の炎じゃ、竜は燃やせねえんだ」
イチナの中には竜の力が入っているのだ。それはジョウゼがぼくの中に見出し、旅の後で取り出そうとしたものと同じ、原初の力だ。何よりも強い力。しかし彼女自身が求めたそれは、近くで見ればあまりに眩い存在だったのだ。ぼくもそれを感じている。千年前にこの土地を闊歩していた竜、その中に宿っていた力。イチナが纏う炎は白く煌き、さながら太陽のようだ。
それに照らされ、ジョウゼは顔を覆った。そこにイチナの拳が叩き込まれる。宙に吹き飛ぶジョウゼの体が、白い炎に包まれる。
「どうだい、本物の竜の炎は」
体を焼かれながら、ジョウゼは搾り出すように言う。
「く……テンマめ……竜の力をそのまま、人の体に移すとはな」
「ものすげえ費用が掛かってんだぜ」と、イチナ。
「……だがイチナ。お前もいずれ、わたしの考えを理解するときが来る……セン、あなたもだ……頭で、ではない……体の内に眠る竜が、おとなしくしているはずがない」
「それはねえさ。オレはおとなしい性格なんだ、こう見えてさ」
イチナの体にあった光はすでに消え、飄々とした少年の顔に戻っている。
苦しげに炎の息を噴き、ジョウゼは吐き捨てるように言った。
「わたしの中にある魂は死なない。あの月に昇り、いつか必ず蘇る……必ず……そのときを待っていろ……人間ども……」
そう言うと彼女は空中に身を躍らせた。
落下していくその体は、暗い穴の底へ消えていった。
ぼくはそれを呆然と見ていた。自分を外界へ連れ出した人物の、最期の姿だった。
「やれやれ……あんただって、人間だろうがよ。オレと同じくな……」イチナが頭をかきながら言う。「ま、一見落着って感じかね。で、お前ら大丈夫かよ」
ぼくに話しかけるイチナは、ミアに気づく。
「どうしたんだ、その子、ミアだっけ? 寝ちまったのか?」
「……ああ。寝てるだけさ。ちょっとの間ね」
ジョウゼはやはり、かつてテンマに作られた実験体だった。その目的はイチナと同じく、竜の力を人間に宿すことだったようだ。彼女は人間の魂を操作する魔術を使っていたが、その具体的な方法は分からないままだ。ただそれは、彼女の中に眠る竜の魂が、引力のように他の魂を引き付けることで行っていたのではないか、と考えられる。帝都が人々の魂を引き寄せるように。
ジョウゼはテンマを脱走したとも、廃棄された失敗作とも言われている。とにかく、彼女がテンマに恨みを抱いていたのは確かなようだ。果たして本当に、ぼくの中から魂を抜き取り、テンマが保管する竜の体に移そうとしていたのかは分からない。ぼくに出会う以前、〈首切り魔〉やその他の殺人鬼と組んでいた理由は、彼らが殺す人間から魂を蒐集したり、あるいは人を殺す彼ら自身の魂を狙っていたためとも考えられる。
ジョウゼが所属していた秘密結社は、多くの盗賊、ならず者、そしてテンマへの反逆者が寄り集まっているものだが、彼女自身が作り上げたというわけではなく、互いに利用する立場だった。ジョウゼは魂を抜き取った人間を、兵士として提供していただけだったようだ。イチナやアサカさんはこの結社を倒すために奔走している。
イチナは最新式の強化人間ということだったが、詳しいことは教えてもらえなかった。
「キギョーヒミツなんだってよ、オレも良くは知らないし。ま、これからも帝都の闇に潜む悪人どもをばったばったと倒していかなきゃなんないわけ。あと道案内とかもな」
どうやら彼はしばらく、のんびりできなさそうだ。
それからぼくは、考える。ぼくとミアがいた白い部屋。あそこでは本当に、不老不死の研究をしていたのだろうか? もしかすると、テンマはもっと別の目的があってぼくらを生んだのでは?
考えても答は出ず、確かなのは、ぼくと彼女はここに今いるということだけだ。ぼくらが本当にあの白い部屋にいたのか、そしてあの場所で出会ったのかは、よく考えてみれば確かではない。ぼくが見ていた夢のように、誰か別の人間の思い出かも知れないのだから。
帝都を出るとき、イツと再会した。ぼくは彼の魔術のおかげで助かったと礼を言おうとしたが、自分ではなく世界が決めたことさ、と言われ、代わりに蝶を買ってくれと頼まれた。持ち合わせがあまりないので断ると、彼は頷いてこう言った。
「それじゃあ、次に会うときは買ってくれよ。安くしとくからさ。なんたっておたくらとオレには縁があるんだからな……」
一度歩いていって、そして彼は立ち止まる。
「セン。前に言ったよな。この帝都はどこか別の世界からやって来たようだって。どうにかしたらここから、全然違う世界へ行けるかも知れねえよな。人間の数だけ世界はある。魂の数だけ、と言ってもいいかな。もう会えないかも知れないが、おたくらのことは多分ずっと覚えてるさ。じゃあ、あばよ」
背中越しに手を振る彼の姿は、帝都の人ごみに紛れてすぐに見えなくなった。青い蝶の鱗粉が、きらきらと光りながらしばらく風に舞い、空の彼方へ消えていった。
魔女ジョウゼ=ナァガ討伐の号外に続いて、今度は派手な宝石泥棒の話題が流れた。その噂も消えかかったころ、ぼくらは再び東へ向かっていた。リザにもまた行ってみたいし、少し哀しげな気分でウガンの雨を眺めるのもいい。そして今まで会った人たちや、これから会う人たちと話をしてみたい。
ぼくは、また旅をしたいと思っていた。彼女と一緒に。