「三角形の定義を述べよ」
「ある三点が一直線上に無く、それぞれを線分が結んでいる」
「だよねぇ」
「わかってんのかてめぇ」
彼は卓袱台にひじを突いて僕を睨んだ。
「もちろん。僕はどんな三角形を見ても三角形と判断できるよ」
「イデア論者か」
「いや、違うと思うよ、うん、たぶん。」
「俺が悪かったよ」
彼は畳の上に積み上げてあった雑誌を一冊手に取り、表紙を見ずに目次を開いてしまった。
僕はそれで手持ち無沙汰になる。ごろんと寝転がると揺れた視界の上、古い蛍光灯がぼおっと光る。
「それで、いきなりなんだよ」
「うん。定義ってあるよね、ってこと」
「そりゃあな」
「でもさ、定義って何処まで厳密なのかなぁと」
「というと?」
「円の定義を述べよ」
「ある一点から等距離の点の集合。軌跡って言うのかね」
「直線の定義」
「決して方向が変わらない、二点間を繋ぐ最短の線」
「箱の定義」
「・・・箱?」
「そう、箱」
僕は体を起こす。彼はすでに雑誌のページを半分以上捲っていた。捲っていた、というのは、つまるところ彼はほとんど読んでいないということだ。
「箱って、定義が無いでしょ。それなのに僕らは箱を見て箱と分かるんだよ。不思議」
「イデア論者か?」
「うん」
「わかってねぇだろ」
「うん」
彼はため息をついて雑誌のページを捲る。ほら、二枚いっぺんに捲った。
「箱の定義ね。あるんじゃないのか?」
「いまいちピンとこないんだよね」
「というと?」
空中に指で立方体を描く。
「これ、箱だよね」
「まがうことなくな」
「これは?」
アルミ製のお菓子箱を指差す。平べったく直方体である。
「菓子箱ってくらいだから、箱だろうな」
「じゃ、これでどうだ」
べこんと少々派手な音がして、ひんやりとした冷たい蓋が取り外された。中身は煎餅の詰め合わせだ。
「・・・・・・」
「これも箱だよね。つまり箱ノットイコール直方体だよ」
「一面が開いていてもいいと?」
「うん」
包み紙を破いて、口に放り込む。ぱり、と音を立てて煎餅が砕けた。
彼が雑誌のページを捲りながら僕を睨む。
「畳み汚すなよ」
「でね、もしこの箱が横にスライスされて側面が低くなるとするでしょ?」
「バットですね。わかります」
「む」
先読みされた。腹立たしい。がじがじと煎餅を噛砕いてやった。彼が嫌そうな顔をする。
「その境はなんだろうな。用途とか?」
「境で言うなら、もう一個。四角形までは箱だけど、五角形以上になると筒といえないこともない」
「そこが境か?」
「四角形でも細長いと筒かな」
「曖昧だな」
ばさん、と音がして顔面に何かが降って来た。彼がさっきまで読んでいた雑誌だ。鼻をしこたま打って、思わず飛び起きた。
「なにするのさ」
「机の上で食え」
口を尖らせて、不満そうな顔を最大限にしてやる。彼は意に介した風も無く、自分も煎餅を手に取った。袋の中で四分の一の大きさくらいに砕いてから開ける。
「細かい男だね」
「うるさい」
彼は欠片をこぼさないように、丁寧に一枚一枚口に運んだ。僕は投げつけられた雑誌を手に取り、ばらばらと適当に捲った後雑誌の山に投げ返す。がんとぶつかり、山はバランスを崩してなだれてしまった。
「たとえばさ、容器の要素を持つとかはどうだ」
「容器ー?」
「中に何か入れるだろ、箱は」
「そうとも限らない気が・・・、うーん?」
「それと、形状が一定している事」
「あ、それは大事だ」
「でも筒もそうだよな。あー、集合の関係とか? 筒は箱に内包されるんじゃない?」
「少し強引だなぁ」
「バットは説明できん」
「そっか」
僕はもそもそと新しい煎餅を口に運ぶ。
「箱が容器だとしてさ」
「あぁ」
「何処までが箱のエリアなんだろうね」
「は?」
彼が聞き返す。
「部屋って箱だよね。で、そんな下にいる人はもう完全にはこの中でしょ」
「あぁ、そうだな」
「大きな箱があって、そこから人の首だけ覗いててもまぁ箱に入ってるよね」
「たしかに」
「膝下までだったら?」
「入ってはいるが・・・、微妙なラインだな」
「スポーツシューズのゴム底ぎりぎり見えない」
「入ってない」
「だろー?」
「だろーってな」
彼は面倒くさそうに僕を睨んで、それから卓袱台に顎を乗せた。
僕はそれを見届けてから、ごろんと畳の上に戻ったのだった。どっとはらい。
箱
「物を収めておく器。普通、角型で木または紙・竹などで作る。」
広辞苑より引用