いつの間にか年の瀬を迎えて、過ぎ去り、年が明けた。
光陰矢の如し。あっという間に時が過ぎてしまったので、記憶を整理しなければならない。
恩田とは、週に二、三回は会うようになっていた。
駅前のビルで献血したり、映画館でアクションSFを二人で一つのポップコーンを買って観賞したり、大きな公園で少年少女に混じってキャッチボールを日が暮れるまでしていたり、図書館で日長一日読書に耽ったり、俺達の過ごす場所は固定されず、行う内容もケースバイケースだった。
加藤さんとは、俺が清杜記念病院に診察に行く度に相談した。それ以外にも、無為に過ごすよりはと思い、暇な時には足を運んだ。それは骨折が完治した今でも同様だ。
晴れた日には病院の裏庭のベンチに体を預けて、何処までも澄んだ青空を眺めながら。雨の日には院内の休憩スペースに温かい飲み物を持って腰を下ろし、外の雨音を聞きながら。彼は俺に聖書の一節を教示してくれることもあった。
俺は恩田や加藤さんと対話を重ねていく中で、徐々に生きる勇気を貰っていくような気がしていた。
家庭の状況は平行線のままのように見えて、少しずつ逼迫していた。
妻のパートの給料と、俺がたまにパチンコで稼いでくる何枚かの紙幣だけでは当然生活は成り立つ筈もない。しかも妻は幼少の頃から体が弱かったので、過密なシフトを入れる訳にはいかなかった。大地主の富豪である、妻の両親に頭を下げる回数にも限度があるだろう。
食卓は未だに、黒い雲に覆われていた。大きな口論をすることは無かったが、冷然な瞳は健在で、家での話し相手は相変わらず修太とサボテン君、マイカー君しか居なかった。最近は後ろ二つともまともな会話が出来るようになってきた。議題は地球環境と燃費について。頭が痛い。
息子ももう成人の半分と言える年だ。大体の事は理解してしまったのだろうか。せめて、自殺未遂の事は知らないでいて欲しいと思うばかりだった。
『死にたいくらいに憧れた♪花の都〝大東京〟♪』
俺自身も忘れかけていたことだったのだが、十二月八日の誕生日は、俺が自らケーキを買ってきた。ただしホールではなく、ドルチェ感覚で選んできたカットサイズの異種のケーキ四つを家族で分けて食べた。俺は誰かから祝って欲しかったので、自分からは言い出さなかったが、家族は何故俺がケーキを買ってきたのか気付く素振りも無く就寝した。
その後もクリスマスは、まさにサイレントナイトで寒気がした。
大晦日は、憂梨が友人の家に泊まりに行ってしまって家族皆で新年を迎えられなかった。
元日はそのまま妻と修太と初詣に行った。三人で飲んだ無料の甘酒は温かく、マフラーを巻いた俺達は小さく笑った。白い息を吐いて、妻も小さく笑ったのだった。
『今ごろになってやけに骨身にしみる♪――――』
「あ~あ♪しあわせのぅ♪とんぼよぅ~どこへ~♪」
そして今、俺の運転する車は逢紗子と憂梨と修太を共に乗せて、国道または産業道路を軽快に走っていた。天気は快晴。遠くの山々は色鮮やかに映え、キラキラと川面が太陽光を反射して光る。風光明媚の景観に、俺はご機嫌だった。
正月の二日目は、毎年墓参りに行くことになっている。
後部座席で、修太は流れる景色を眺めながら、時折姉に質問し、その姉である憂梨は携帯電話をいじりながら、適当な答えを返していた。
妻は、心を無にしているのか、俺の歌声を静聴してくれているのか判断出来ない様子で助手席に収まっている。両手を丁寧に膝の上に重ね合わせるのは、初めてドライブに連れ出した時から全く変わらないスタイルだ。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん。これお城?」
と言って修太が指差したのはモーテルだった。確かに外観は煌びやかで、城だと勘違いしてしまうのも頷ける。しかしそれはお婆さんの振りをしたオオカミ。赤ずきんちゃんの危機である。
そんな無邪気な難問に対する憂梨の答えは、
「……かもね」
無難に逃れた。
きっと娘はどのような場所か知っているのだろう。俺は複雑な心持ちになった。
さらに、そんな俺に追い討ちをかけるように早熟な娘は尖った声で言った。
「お父さん」
「なんだ憂梨?」
「その男臭い歌やめて。あと歌うのも。聞きたくない」
「…うん、ごめんな」
俺は停止ボタンを押し、憂梨の要望で車内に常在している、人気アーティストのCDと交換した。小気味よいリズムで、若い女が癖のある声で歌い始める。
そうそう、わかってるじゃん。憂梨の見直したような声が、後ろから聞こえた。