LOST
第二部/蛮楽の指揮者アモン
第十四章
夢を見た。
美奈が弁当を投げて寄越し。
昔馴染みの紀章と親しげに話し。
早弁をして美奈の反感を買い。
何の前触れもなく正原に会い。
訳の解らないまま学校中を調べ漁り。
最後に、異様なまでの違和感を感じて目を覚ます夢。
夢は、レム睡眠時に起こる、記憶の整理だそうだ。
ならば、紀章が親しくしてくるこの夢は……美奈が弁当を作ってくれたこの夢は
……自分に覚えが無い記憶で構成されたこの夢は……。
本当に記憶を失った僕の夢なのだろうか……。
朝日が、目蓋を易々と透過し僕の眼球を焼く。
どうやら僕の部屋は、朝だけは日当たりがいいらしい。
この部屋に目覚まし時計が無いのは、これを目覚ましにしていたからだろうか。
その朝日に僕は顔をしかめる。
目覚ましには確かに最適だが、こう日差しが強くては、すぐに目を開ける気にも
ならない。
たまらず寝返りをしようとすると、ふと、その日差しが弱まった。
いや、弱まったのではなく遮られたのだ。
顔に感じる日差しが一気に減った。
どうやら、何かが僕の上に覆いかぶさっているらしい。
気だるげながら、ゆっくりと目を開ける。
「……」
無言で見つめてくる二つの灰色の瞳。
眠気やら、気だるげさやらいろいろ吹き飛んだ。
「なに、……やってるぬ?」
冷静さは欠いていなかったが、起きがけが原因で咬んだ。
「……ぬ?」
普段無口なやつにつっこまれるのは、少し新鮮だな。
「正原に言われた」
ソラがあっさりと黒幕を吐くが、微妙に質問とは噛み合わない答えを返してきて
いる。
僕はベッドに仰向けになっているわけだが、ソラはその僕の顔の横に両手を突き
、顔が真正面に来るように僕に覆いかぶさっている。
あの白衣は何を考えているのだろうか。
「とりあえず、どいてくれない?起きるから」
ソラは頷くと直ぐにその場を退く。
どうしてこう、人の言うことを素直すぎるくらいに聞いて実行するのだろうか、
この子は……。
僕の借りている借家は、二部屋しかない小さなものだ。
四畳分の寝室と六畳分のリビング、残りは風呂やらトイレやら小さなキッチンや
らだ。
これで家賃が三万七千四百円だそうだ。
高いのか安いのか、何を思ってこの部屋にしたのか、今の僕にはどれも解らない
。
「起きたかね」
ソラと一緒に寝室を出ると、恐らく、記憶を失う前の僕が買い置きしていたであ
ろうカップ麺を、居間の真ん中に鎮座した簡易卓袱台で正原が食べていた。
しかも、三つ。
「怪我の方は大丈夫かね?一応、治癒はしておいたのだが」
そう言われれば、昨日、オセーに殴られた腹が痛くない。
自分で擦ってみるが、腫れているということもない様だ。
「本当に何でも有りだな、魔術ってやつは……」
「それは違うぞ晶くん」
麺を啜りながら、空いた手で、チッチッチとジェスチャーする正原、行儀が悪い
。
「実際には制約がゴマンとある。君に使った治癒術も、本来人間が持つ治癒力を
一時的に高めただけだ。傷を治す為の栄養素やエネルギーは、全て、君の身体に
もともと有ったものを使わざるをえないのだよ」
腕を組み、うんうんと頷く正原。
「ところで、ドキドキしたかね?」
いきなりの意味不明な質問に、は?と素で僕は聞き返していた。
「ソラくんに襲われそうになったろう。ちょっとした実験なのでな、やったから
にはデータが欲しい。早い話が感想を聞かせてくれ」
「ふざけんな」
今の僕の素直な感想だ。
いったいなんの実験なんだか。
正原は無視して、朝食を準備する。
この科学者は三つもカップ麺を食べておいて、ソラと僕の分は全く用意して無い
のだ。
小さなキッチンの隅にある、小さい冷蔵庫の扉を空ける。
小さいスペースに、卵となぜかピーマンが入っていた。
昨日も見たな。
昨日はあまりにも材料が無いので買い物に出かけたのだった。
その後、オセーに襲われたわけだが。
「卵焼きでもするか」
自分が卵焼きを作れるかは、正直判らない。
作り方は解るが、作った記憶が無い。
卵を割る、綺麗に割れた。
掻き混ぜる、この工程で問題は起きないだろう。
卵焼き器に卵を少しづつ流し入れ、層を作りながら卵を焼く。
なんの問題もなく完成してしまった。
「なんか、気持ち悪いな」
その気持ち悪くなる対象が、自分自身だというから笑えない。
覚えの無い工程を、難なくこなしてしまう自分が。
大体二人分の卵焼きを持って、居間に戻る。
「ほう、うまいものだな」
卵焼きをみて、正原が短く感想を漏らす。
「やらないからな」
先手を打って釘をさすが、正原は、
「残念ながら、腹にはもう余裕はない」
と言って腹を擦る。
今日は土曜日、早い話が休みだ。
正原から聞いた話だが、僕はアルバイトなどはやっておらず、学校の休みは、ほ
ぼ確実にそのまま自分の休みになる。
一人暮らしをしているのだから、てっきりバイトをしているのだと思っていたが
、昨日の事も、未だ整理できていない僕には嬉しい誤算だった。
今日は、一日使ってでも、僕のまわりの現状を把握しなければ。
そのためには、やはり正原から話を聞くしかない。
と、思った矢先だった。
ポーンというドアホンの高い音が、部屋中に広がる。
こんな休みの朝早くから、誰だろうか。
思いながらドアホンをとる。
「お!起きてたか。俺だ俺!」
俺々詐欺だろうか?
いや、声から察するに。
「紀明か?」
「おお、そうだ!今日はちょっとしたサプライズをもってきたぜ」
既に紀明が朝早くに此処に来た事が、ちょっとしたサプライズだが。
ドアホンから聞こえてくる声は、紀明のもの以外にも聞こえる。
他にも数人いるようだ。
「とりあえず、着替えてすぐに出てこい。下で待ってるからな」
今日は、騒がしい一日になりそうだ……。
飾り気が一切無い、引っ越してきたばかりのアパートの様な部屋。
そこに男が居た。
彼の容姿を一言で言うなら"奇妙"。
そう、奇妙な男だった。
具体的には、背が高く、その身体によく似合う燕尾服を着ている。
ここまでなら、奇妙でもなんでもないのだが……、頭が、風船だった。
それも、テーマパーク等で道化師に扮したアルバイトが、手に持っているような
、ピンク色の、ウサギを模したものだった。
一見、ウサギの被りもののようにも見えるが、動きに合わせて、ふわふわと動く
姿は、風船で間違いない。
奇妙な男は、その場に居たもう一人、こちらは奇妙と言うよりは奇怪な男だった。
奇怪な男のシルエットは、奇妙な男のものと、ほぼ同じ高さだったが、問題は、
彼がしゃがんでいたと言うこと。
常人の二倍はあろうかという足を折畳み、常人の二倍はあろうかという腕を右手
は左肩に、左手は右肩に乗せる形で、身体を器用に折り畳んでいる。
直立すれば、天井を突き破るであろう背丈の、異常なまでに白い肌をした大男だ
ったのだ。
ただ、長いだけでがたいがいいとは言えない。
足も腕も胴体も、竹のような細身だった。
「今回、お願いしたいのは他でもない。例の、ジーニアスの事で……」
奇妙な男が、奇怪な男に話し掛ける。
その声は風船の中から響いているらしく、電波の悪い無線から聞こえてくるよう
な、擦れた声だった。
「聞こえていますか、『アラガン』?」
アラガンと呼ばれた奇怪な男は、
「聞こえテ、イル……」
短く、片言で答えた。
「結構、会話が不得手なのは承知しておりますが、せめて相槌ぐらいは打ってく
ださいね?聴こえているか分かりません」
「……承知、シタ」
アラガンの声を聞いて、満足そうに頷いた奇妙な男は、その筋の人間ならば一度
は聞いたことがあるという有名人。
ソロモン72柱、第7柱、《蛮楽の指揮者》アモン。
「では、依頼内容の概要に移ります」
「フム」
アモンが話を始めると、アラガンは言われたとおりに相槌を打つ。
アモンは気を良くし、話を続ける。
「あなたにはまず、ターゲットに接触して戴きたい」
「フム」
「この時は、あまり騒ぎを起こさず穏便に――」
「フム」
「――願います。ここで騒ぎを起こすと、後の計画に支障を来しま――」
「フム」
「――す。ですから――」
「フム」
「……アラガン?……」
「ム?」
「相槌が少々、いや、かなり多いです……それと、タイミングも悪い」
「ヌ、スマぬ」
アラガンが片言の詫びを入れながら肩を落としていると、その後ろから、
「それ位は大目に見なさい、アラガンは物覚えが悪いんだから……」
と、身も蓋もないことを言いながら、白衣を着た女性が現われた。
白く長い髪が腰まであるが、手入れはあまりされてなく、あちこち跳ね、痛んで
いる。
楕円型の眼鏡を掛けているが、右のレンズの上の方が、少し欠けている。
何ともだらしない感じが漂う女性だった。
白衣の下に着ているものも、汎用衣服メーカーの緑色のトレーナーに、青のジ
ーンズというラフさだ。
「『マラクス』ですか、あなたはもっと、女性らしくしては如何ですか?素体は
悪くないのですから」
とのアモンの指摘に対し、
「それは誉め言葉かしら?でもどうせ、上に白衣着る
んだから、あまり変わらないわよ……」
と、気にも止めない。
「ほう、それが噂に聞く"科学法衣"『白衣』ですか?!」
アモンは、マラクスの着ている、妙に丈の長い上着が白衣だと解ると、異様な興
奮を見せる。
「いやはや、一度はお目にかかりたいと思っていたのです。はぁ、これが……し
て、この法衣には如何なる効用が?」
マラクスは、アモンの興奮具合にかなりの異様さを感じながらも、淡々と白衣の
説明に入る。
「別にあなたの"執筆活動"には、参考にすらならないと思うわよ?行くとこに行
けばどこでも売ってるし、コスプレショップとかね……」
「私の"執筆活動"には無駄な知識などありえません。しかし……成るほど、"こす
ぷれしょっぷ"ですか、時間ができしだい、訪れてみましょう」
アモンの解釈には些か誤りがあるのを、正確に感じ取ったマラクスだが、訂正す
るのも面倒なので流した。
その手の店舗を訪れると言っていることだし、いずれ気付くだろう。
「効能は……そうね、一目で清潔感が解るとか、科学薬品が、自分の衣服に付か
ないようにするとか。何て言うのかしらね、こういうの」
マラクスは暫らく、うーんと考えこんでいたが、やがて諦め、
「ま、そういう服よ」
と締め括った。
「成るほど、成るほど、防護服と言うわけですか、中々興味深い」
アモンは、マラクスの着ている白衣を、興味津々に、しげしげと眺めた後、
「時間が出来てからでは遅い!この後にでも、すぐに買いに行きましょう!!」
と、興奮冷め切らぬ様子で、熱々と語っていた。
「知っテ、イルぞ。ソれ、ハ、善ハ急げト、言、うンダ……」
「あら、アラガン。難しい言葉知ってるのねー、偉いわぁ」
マラクスの言葉に、照れてみせるアラガンだが、マラクスの声色は、誉め言葉に
しては冷たかった。
「ところで、マラクス。貴方は何故、此処に?」
アモンは、先程までの興奮を胸のうちにしまい込み、『世界』が抱え込む科学者
の中でも、絶大な地位を持つマラクスの用件を気にする。
そもそも、魔術士でありながら科学者という矛盾した存在で、研究内容も"魔術と
混合する科学"というとんでもない題材を掲げている彼女は、滅多なことでは外に
すら出ないと聞いている。
何か、よほどの事があったのだろうとアモンは考えたわけだが、それはアッサリ
裏切られる。
「この近くに身内がいるの、様子を見にね。こっちにはちょっと寄っただけよ」
マラクスは、少し自虐的な顔をしたが、すぐにもとの表情にもどる。
「で?アモン、今回はどんなお話を書くつもり?」
アモンは、おおと言いながら手を打ち、嬉々として言う。
「親しい間柄の者が、各々の命を賭して戦う、悲劇と友情の物語……等は、お好
きですか?」
声は楽しそうだったが、風船でできた、アモンの表情は変化など一切しなかった。
夢を見た。
美奈が弁当を投げて寄越し。
昔馴染みの紀章と親しげに話し。
早弁をして美奈の反感を買い。
何の前触れもなく正原に会い。
訳の解らないまま学校中を調べ漁り。
最後に、異様なまでの違和感を感じて目を覚ます夢。
夢は、レム睡眠時に起こる、記憶の整理だそうだ。
ならば、紀章が親しくしてくるこの夢は……美奈が弁当を作ってくれたこの夢は
……自分に覚えが無い記憶で構成されたこの夢は……。
本当に記憶を失った僕の夢なのだろうか……。
朝日が、目蓋を易々と透過し僕の眼球を焼く。
どうやら僕の部屋は、朝だけは日当たりがいいらしい。
この部屋に目覚まし時計が無いのは、これを目覚ましにしていたからだろうか。
その朝日に僕は顔をしかめる。
目覚ましには確かに最適だが、こう日差しが強くては、すぐに目を開ける気にも
ならない。
たまらず寝返りをしようとすると、ふと、その日差しが弱まった。
いや、弱まったのではなく遮られたのだ。
顔に感じる日差しが一気に減った。
どうやら、何かが僕の上に覆いかぶさっているらしい。
気だるげながら、ゆっくりと目を開ける。
「……」
無言で見つめてくる二つの灰色の瞳。
眠気やら、気だるげさやらいろいろ吹き飛んだ。
「なに、……やってるぬ?」
冷静さは欠いていなかったが、起きがけが原因で咬んだ。
「……ぬ?」
普段無口なやつにつっこまれるのは、少し新鮮だな。
「正原に言われた」
ソラがあっさりと黒幕を吐くが、微妙に質問とは噛み合わない答えを返してきて
いる。
僕はベッドに仰向けになっているわけだが、ソラはその僕の顔の横に両手を突き
、顔が真正面に来るように僕に覆いかぶさっている。
あの白衣は何を考えているのだろうか。
「とりあえず、どいてくれない?起きるから」
ソラは頷くと直ぐにその場を退く。
どうしてこう、人の言うことを素直すぎるくらいに聞いて実行するのだろうか、
この子は……。
僕の借りている借家は、二部屋しかない小さなものだ。
四畳分の寝室と六畳分のリビング、残りは風呂やらトイレやら小さなキッチンや
らだ。
これで家賃が三万七千四百円だそうだ。
高いのか安いのか、何を思ってこの部屋にしたのか、今の僕にはどれも解らない
。
「起きたかね」
ソラと一緒に寝室を出ると、恐らく、記憶を失う前の僕が買い置きしていたであ
ろうカップ麺を、居間の真ん中に鎮座した簡易卓袱台で正原が食べていた。
しかも、三つ。
「怪我の方は大丈夫かね?一応、治癒はしておいたのだが」
そう言われれば、昨日、オセーに殴られた腹が痛くない。
自分で擦ってみるが、腫れているということもない様だ。
「本当に何でも有りだな、魔術ってやつは……」
「それは違うぞ晶くん」
麺を啜りながら、空いた手で、チッチッチとジェスチャーする正原、行儀が悪い
。
「実際には制約がゴマンとある。君に使った治癒術も、本来人間が持つ治癒力を
一時的に高めただけだ。傷を治す為の栄養素やエネルギーは、全て、君の身体に
もともと有ったものを使わざるをえないのだよ」
腕を組み、うんうんと頷く正原。
「ところで、ドキドキしたかね?」
いきなりの意味不明な質問に、は?と素で僕は聞き返していた。
「ソラくんに襲われそうになったろう。ちょっとした実験なのでな、やったから
にはデータが欲しい。早い話が感想を聞かせてくれ」
「ふざけんな」
今の僕の素直な感想だ。
いったいなんの実験なんだか。
正原は無視して、朝食を準備する。
この科学者は三つもカップ麺を食べておいて、ソラと僕の分は全く用意して無い
のだ。
小さなキッチンの隅にある、小さい冷蔵庫の扉を空ける。
小さいスペースに、卵となぜかピーマンが入っていた。
昨日も見たな。
昨日はあまりにも材料が無いので買い物に出かけたのだった。
その後、オセーに襲われたわけだが。
「卵焼きでもするか」
自分が卵焼きを作れるかは、正直判らない。
作り方は解るが、作った記憶が無い。
卵を割る、綺麗に割れた。
掻き混ぜる、この工程で問題は起きないだろう。
卵焼き器に卵を少しづつ流し入れ、層を作りながら卵を焼く。
なんの問題もなく完成してしまった。
「なんか、気持ち悪いな」
その気持ち悪くなる対象が、自分自身だというから笑えない。
覚えの無い工程を、難なくこなしてしまう自分が。
大体二人分の卵焼きを持って、居間に戻る。
「ほう、うまいものだな」
卵焼きをみて、正原が短く感想を漏らす。
「やらないからな」
先手を打って釘をさすが、正原は、
「残念ながら、腹にはもう余裕はない」
と言って腹を擦る。
今日は土曜日、早い話が休みだ。
正原から聞いた話だが、僕はアルバイトなどはやっておらず、学校の休みは、ほ
ぼ確実にそのまま自分の休みになる。
一人暮らしをしているのだから、てっきりバイトをしているのだと思っていたが
、昨日の事も、未だ整理できていない僕には嬉しい誤算だった。
今日は、一日使ってでも、僕のまわりの現状を把握しなければ。
そのためには、やはり正原から話を聞くしかない。
と、思った矢先だった。
ポーンというドアホンの高い音が、部屋中に広がる。
こんな休みの朝早くから、誰だろうか。
思いながらドアホンをとる。
「お!起きてたか。俺だ俺!」
俺々詐欺だろうか?
いや、声から察するに。
「紀明か?」
「おお、そうだ!今日はちょっとしたサプライズをもってきたぜ」
既に紀明が朝早くに此処に来た事が、ちょっとしたサプライズだが。
ドアホンから聞こえてくる声は、紀明のもの以外にも聞こえる。
他にも数人いるようだ。
「とりあえず、着替えてすぐに出てこい。下で待ってるからな」
今日は、騒がしい一日になりそうだ……。
飾り気が一切無い、引っ越してきたばかりのアパートの様な部屋。
そこに男が居た。
彼の容姿を一言で言うなら"奇妙"。
そう、奇妙な男だった。
具体的には、背が高く、その身体によく似合う燕尾服を着ている。
ここまでなら、奇妙でもなんでもないのだが……、頭が、風船だった。
それも、テーマパーク等で道化師に扮したアルバイトが、手に持っているような
、ピンク色の、ウサギを模したものだった。
一見、ウサギの被りもののようにも見えるが、動きに合わせて、ふわふわと動く
姿は、風船で間違いない。
奇妙な男は、その場に居たもう一人、こちらは奇妙と言うよりは奇怪な男だった。
奇怪な男のシルエットは、奇妙な男のものと、ほぼ同じ高さだったが、問題は、
彼がしゃがんでいたと言うこと。
常人の二倍はあろうかという足を折畳み、常人の二倍はあろうかという腕を右手
は左肩に、左手は右肩に乗せる形で、身体を器用に折り畳んでいる。
直立すれば、天井を突き破るであろう背丈の、異常なまでに白い肌をした大男だ
ったのだ。
ただ、長いだけでがたいがいいとは言えない。
足も腕も胴体も、竹のような細身だった。
「今回、お願いしたいのは他でもない。例の、ジーニアスの事で……」
奇妙な男が、奇怪な男に話し掛ける。
その声は風船の中から響いているらしく、電波の悪い無線から聞こえてくるよう
な、擦れた声だった。
「聞こえていますか、『アラガン』?」
アラガンと呼ばれた奇怪な男は、
「聞こえテ、イル……」
短く、片言で答えた。
「結構、会話が不得手なのは承知しておりますが、せめて相槌ぐらいは打ってく
ださいね?聴こえているか分かりません」
「……承知、シタ」
アラガンの声を聞いて、満足そうに頷いた奇妙な男は、その筋の人間ならば一度
は聞いたことがあるという有名人。
ソロモン72柱、第7柱、《蛮楽の指揮者》アモン。
「では、依頼内容の概要に移ります」
「フム」
アモンが話を始めると、アラガンは言われたとおりに相槌を打つ。
アモンは気を良くし、話を続ける。
「あなたにはまず、ターゲットに接触して戴きたい」
「フム」
「この時は、あまり騒ぎを起こさず穏便に――」
「フム」
「――願います。ここで騒ぎを起こすと、後の計画に支障を来しま――」
「フム」
「――す。ですから――」
「フム」
「……アラガン?……」
「ム?」
「相槌が少々、いや、かなり多いです……それと、タイミングも悪い」
「ヌ、スマぬ」
アラガンが片言の詫びを入れながら肩を落としていると、その後ろから、
「それ位は大目に見なさい、アラガンは物覚えが悪いんだから……」
と、身も蓋もないことを言いながら、白衣を着た女性が現われた。
白く長い髪が腰まであるが、手入れはあまりされてなく、あちこち跳ね、痛んで
いる。
楕円型の眼鏡を掛けているが、右のレンズの上の方が、少し欠けている。
何ともだらしない感じが漂う女性だった。
白衣の下に着ているものも、汎用衣服メーカーの緑色のトレーナーに、青のジ
ーンズというラフさだ。
「『マラクス』ですか、あなたはもっと、女性らしくしては如何ですか?素体は
悪くないのですから」
とのアモンの指摘に対し、
「それは誉め言葉かしら?でもどうせ、上に白衣着る
んだから、あまり変わらないわよ……」
と、気にも止めない。
「ほう、それが噂に聞く"科学法衣"『白衣』ですか?!」
アモンは、マラクスの着ている、妙に丈の長い上着が白衣だと解ると、異様な興
奮を見せる。
「いやはや、一度はお目にかかりたいと思っていたのです。はぁ、これが……し
て、この法衣には如何なる効用が?」
マラクスは、アモンの興奮具合にかなりの異様さを感じながらも、淡々と白衣の
説明に入る。
「別にあなたの"執筆活動"には、参考にすらならないと思うわよ?行くとこに行
けばどこでも売ってるし、コスプレショップとかね……」
「私の"執筆活動"には無駄な知識などありえません。しかし……成るほど、"こす
ぷれしょっぷ"ですか、時間ができしだい、訪れてみましょう」
アモンの解釈には些か誤りがあるのを、正確に感じ取ったマラクスだが、訂正す
るのも面倒なので流した。
その手の店舗を訪れると言っていることだし、いずれ気付くだろう。
「効能は……そうね、一目で清潔感が解るとか、科学薬品が、自分の衣服に付か
ないようにするとか。何て言うのかしらね、こういうの」
マラクスは暫らく、うーんと考えこんでいたが、やがて諦め、
「ま、そういう服よ」
と締め括った。
「成るほど、成るほど、防護服と言うわけですか、中々興味深い」
アモンは、マラクスの着ている白衣を、興味津々に、しげしげと眺めた後、
「時間が出来てからでは遅い!この後にでも、すぐに買いに行きましょう!!」
と、興奮冷め切らぬ様子で、熱々と語っていた。
「知っテ、イルぞ。ソれ、ハ、善ハ急げト、言、うンダ……」
「あら、アラガン。難しい言葉知ってるのねー、偉いわぁ」
マラクスの言葉に、照れてみせるアラガンだが、マラクスの声色は、誉め言葉に
しては冷たかった。
「ところで、マラクス。貴方は何故、此処に?」
アモンは、先程までの興奮を胸のうちにしまい込み、『世界』が抱え込む科学者
の中でも、絶大な地位を持つマラクスの用件を気にする。
そもそも、魔術士でありながら科学者という矛盾した存在で、研究内容も"魔術と
混合する科学"というとんでもない題材を掲げている彼女は、滅多なことでは外に
すら出ないと聞いている。
何か、よほどの事があったのだろうとアモンは考えたわけだが、それはアッサリ
裏切られる。
「この近くに身内がいるの、様子を見にね。こっちにはちょっと寄っただけよ」
マラクスは、少し自虐的な顔をしたが、すぐにもとの表情にもどる。
「で?アモン、今回はどんなお話を書くつもり?」
アモンは、おおと言いながら手を打ち、嬉々として言う。
「親しい間柄の者が、各々の命を賭して戦う、悲劇と友情の物語……等は、お好
きですか?」
声は楽しそうだったが、風船でできた、アモンの表情は変化など一切しなかった。
第十五章
アパートの外には、紀明と一緒に、美奈と恵理が待っていた。
当然だが、全員私服だ。
恵理は、白が中心の、胸の部分に花があしらわれたワンピース姿。
美奈は、上は白いブラウスに黒いネクタイ。
下は黒いジーンズという、ぱっと見は制服姿に見えるファッション。
紀明は……黒い上着に茶色いズボン。
下に着ているTシャツは、白地に黒でシーサーが描かれていた。
微妙に茶髪に合わないのが、紀明のファッションのようだ。
「勢揃いだな」
自然とそんな事を言っていた。
紀明だけかと思っていたが、いい意味で裏切られた気分だ。
「ほう、これはこれは。いい友達を持ったものだな、晶くん」
僕の後ろから出てきた正原とソラを見て、恵理を含めた全員が驚いた顔をする。
「こちらの方は?」
意外にも、改まってそう聞いてきたのは紀明だった。
敬語も微妙に似合わない。
「あぁ、えっと……」
どう説明したものか……有りのままを話すわけにもいかないだろうし。
そんな事を考えていたが、そんな僕の意志とは関係なく、正原自身が口を開けた
。
「正原秀一だ。晶くんとは病院からの付き合いになる。よろしく頼もう」
その、若干上からの自己紹介に面くらいながらも、全員よろしくと挨拶を交わし
た。
「お医者さんじゃなかったんだね……白衣着てるからそうだと思ってた……」
とは、恵理の談。
「じゃあ、そっちの子は?」
今度は美奈が、ソラを指して聞いてきた。
「ソラ。……よろしくお願いします」
ソラは、本当に短く自己紹介をしたあと、キチッとお辞儀もする。
「あ、うん。よ、よろしく……」
正原の自己紹介も短かったが、それ以上に短いソラの自己紹介に、美奈は苦笑い
をしながら返事を返していた。
「ソラさん、みよじは?」
恵理が、初めてソラに会った僕と、同じ質問をしている。
ソラはいつも通り、表情を変えずに、僕の時と同じく、「ソラ」とだけ答え、そ
してそれを聞いた恵理は……
「ソラソラ……さん?」
と、僕と同じことを言っていた。
今確信した。
この子は、僕の妹に間違いない。
その後、全員が自己紹介をし、改めて挨拶を交わす。紀明は何やら生真面目に(
やっぱり似合ってなかった)、美奈は軽く、恵理は丁寧に。
正原なら、此処にいる人物全員の素性を知っていてもおかしくないと思ったが、
真相は分からない。
「で、何のようなんだ?皆して」
かなり遠回りして本題に戻ってきた気がする。
僕の疑問を聞いて、待ってましたとばかりに、紀明が喋りはじめた。
「ああ、お前が記憶喪失になっただろ?町の案内をしたほうが良いんじゃないか
って事になってな」
な?と、紀明が、美奈と恵理にも確認をとる。
「というのは建て前で、皆で遊びにいこうって事なんだけど……行くわよね?」
美奈は、僕に意見を聞いていながら、表情は"来て当然"という顔をしている。
この提案は、正直嬉しい。
地理は解っているつもりだが、確認をとれるという意味でも願ったり叶ったりな
のだが……。
「うーん。正原、ちょっと……」
皆に背を向け、正原を呼ぶ。
「なんだね?数少ない友人の誘いだ、行ってくれば良いだろう。何を迷う必要が
ある?」
「昨日の奴みたいなのがこないとも限らないだろ?皆を巻き込むのは嫌だ」
街を歩いていて襲われては、たまったものではない。
それに、もしそうなった時、魔術を一応持っているとはいえ、僕が皆を守れると
は思えない。
「それなら大丈夫だろう。昨日の今日でオセーがまた来るとも思えんし。もし何
か、不振な輩がこの近辺に来た場合は、柳に連絡を頼んである」
「柳さんに?」
あの人がどういう能力を持っているのかは知らないが、正原の自信はかなりの物
のようだ。
「でも、認識阻害とか使われて近づかれたら分からないだろ?」
そんな僕の意見に対し、正原はありえん、と返す。
「確かに一般人はそれでひとたまりもないが。先日も言ったように、魔術師相手
では自己の存在を誇示しているようなものだ。君も既に感覚的に分かるはずだぞ
?」
それにな、と正原は話を続ける。
「認識阻害は、効果範囲が限られるもともと高度な魔術でな。その辺の魔術師に
は使うことすらできんし、万一使えたとしてもオセーの様な、数をつかって街全
体を覆うといったことはできん。柳を欺き、君に近付こうとするなら、今ある認
識阻害を使わずに、使った事すら気付かれない、全く新しい認識阻害を使わなけ
ればならん」
認識阻害で街を覆っていたなんて、今初めて知った。
だが、そこまで言うなら他力本願ではあるが、柳さんに任せよう。
「おお、そうだ。保険と言うわけではないが、ソラ君も連れていくといい」
何かあれば役に立つだろうと言いながら、正原はソラに対し僕についていくよう
指示する。
「私は別の用事があるのでな。夕方には戻るので晩飯は頼む。期待しとるからな
?」
と昨日と同じような注文を押しつけ、アパートの敷地を出る。
「あれ、正原さんは行かないんですか?」
そう聞いたのは恵理だった。
正原はそれにああ、と答え、
「ソラ君は一緒に行ってもらおうと思う。無口で愛想もないが、根は優しい子な
のでな、よろしく頼む」
そう言って去っていった。
……。
「で、結局行くって事で良いの?」
「ああ、うん。よろしく……」
……正原がどこに行くのか聞きそびれたな。
聞いても答えないかもしれないが。
「ねぇ?」
美奈が、少し心配そうな顔つきで僕に声をかけてきた。
「あんたさ、その格好で行くの?」
そんなに変な格好なのかと思い、自分の格好を見直すが、普通の普段着だ。
余所行きと言うほどではないが、このままでも問題は無いように思う。
自分の服を見下ろす僕をみて、美奈は『はぁ……』とため息を付き。
「手袋よ、手袋。それも忘れてるの?無闇に他人に触れないようにって、小さい
頃から付けてたじゃない」
そうか、言われてみれば確かにそうだ。
記憶が無くなってからというもの、知識は確かにあるが、習慣の様なものはこと
ごとく抜け落ちているような傾向にある。
手袋に関しても、言われて気が付き、その知識を頭からひっぱって来た感じだ。
それに気が付くと、昨日は危なかったなぁと思う。
結局はオセーの乱入で買い物ができなかったが、もし買い物できていたとしても
、おつりの受け渡しなどで店員の手に触れていた恐れがある。
そこまで考えて、重大な事に気が付いた。
スーパーで、僕はソラに口を塞がれたはずなのだ。
当然素手で。
しかし、自分自身の記憶にはソラに関することも、自分以外の主観だと思われる
映像もない。
あの時は、全員が同じ顔のオセーに気が動転していた為か気が付かなかったが…
…。
これはどういう事なのだろうか……。
「ほら、待っててあげるから早く取ってきなさいよ」
「ああ……」
とりあえず、今そのことは保留しよう。
正原が帰ってきてから、聞いてみるのが良いかもしれない。
今は手袋だ。
「あーっと、僕の使ってた手袋ってどんなのだった?」
やはり、肝心な所で記憶に足りない部分か出てくる。
美奈はやれやれといった調子で、白い手袋だと教えてくれた。
「あ、ちょっと待ってお兄ちゃん。お兄ちゃん宛てに荷物があるの」
そう言って恵理が取り出したのは、片手で持てる小さく可愛らしい袋だった。
「商店街の服屋さんからなんだけど……。お兄ちゃん覚えてない?」
と言われても、覚えなどない。
記憶を失う前の僕が、何か注文でもしてたのだろうか。
「まぁなんにせよ、開けてみろよ」
紀明に諭され、袋を開ける。
中から出てきたのは、白い手袋だった。
それも、防寒用の分厚い物ではなく、生地の薄い鑑識官などが持っていそうな、
そんな手袋だった。
「あ、それよ、それ。あんたが使ってた手袋」
確かにこの手袋なら、生活をおくるのに邪魔になるということは、あまり無さそ
うだ。
「あれ?でもお兄ちゃんって、手袋はいつも肌身離さず持ってるし、とっても大
事に使ってるから、新しいの買う必要ないと思うけど……」
そう言われて少し考えるが、確かにこの手袋は、生地が薄いわりにはしっかりし
ており、よほどの事では穴すら開きそうにない。
「大事に使ってても、磨耗はしてくるわよ。小さい頃から同じ手袋使ってるし、
何回か買い替えもしてるはずよ?」
との美奈の指摘に対し、『そうだけど……』と、微妙に納得のいかない恵理。
「ま、なんにせよ。準備ができたならとっとと行こうぜ?」
紀明に急かされ、僕達はアパートを後にした。
紀明達に連れてこられたのは、商店街と言うよりは繁華街の様な場所だった。
ちなみに、名実的には商店街で間違いない。
ただ、商店街と言うには人が多い。
見た目は完全に繁華街だ。
「すごいな……」
この感想は、人が多いという事もそうだが、並ぶ店舗にしても同じだった。
ざっと見ただけでも、多岐に渡る様々な種類の店が、車が一台楽々通れる程度の
歩道に軒を連ねている。
八百屋、魚屋、書店を始め。
工具店、電気屋、向こう側に見えるのは服屋だろうか?
その辺のデパート以上の種類と数だ。
「やっぱり、忘れてるか?何か思い出すこととかないか?」
紀明は僕の呟きが聞こえたのか、そんな質問を僕にぶつけてきた。
だが、僕の記憶はやはり不鮮明なままだ。
何も感じない訳ではない。
場所の知識は有る、ただ来た覚えが無い。
そんな状態でも、何かデジャヴによく似た、妙に懐かしい感じがする。
そのことを紀明に伝えると。
「そうか……ま、ゆっくり行こうぜ!」
そんな、何とも優しい励ましを受けた。
「ねぇ……」
少し躊躇う様子で、美奈が声を掛けてきた。
ちらちらと、ソラの方を見ている。
「あの子、何であの格好なわけ?」
あの格好といわれたソラは、うちの学校の制服姿だ。
昨日からあの格好なのは、確かに僕も気になってはいたのだが……。
まさか、あれだけしか服を持ってないということは有るまい。
「そらそらさんって、私たちと同じ学校だったんですね」
そんな会話を恵理としているソラ。
『そらそら』を否定していなかったらしいな。
「そらそらじゃなくて、ソラ」
訂正、否定はしていたようだ。
「わかってますよー、ニックネームです、ニックネーム」
どうやら恵理が一方的に、わざとそう呼んでいるようだ。
ソラは、今回も表情は変えずに、『じゃあ良い』と言って視線を商店街に向ける
。
ニックネームは良いが、普通に名前を呼んだほうが短いというのは、こういう場
合良いのか?
「あの子、うちの学校の子じゃないでしょ?何であの制服きてるのよ」
それはこっちが聞きたい。
十中八九、正原が絡んでいるのだろうが、そのせいで余計に混乱してわからない
。
「僕も分かんないよ。正原に聞いてみないと」
と美奈に言った直後だった。
ピリリリリ……と、電子音が響く。
僕の携帯だ。
取出し、ディスプレイを見る。
「え?」
少し、いや、かなり驚いた。
取り出した携帯のディスプレイには、確かに『正原秀一』と表示されていた。
登録をした覚えが全く無いのだが……。
とりあえず出る。
「もしもし……」
「私だ」
なんとまぁ、高圧的な自己表現だ。
正原で間違いないだろう。
「ちょっとソラ君の物で買ってきて欲しい物があってな。私では役不足なのだが
、恵理くんや美奈くんに頼めばなんとかなるだろう」
いきなり、なんだ。
恵理や美奈に頼む買い物って。
「わかったけど、今大したお金は持ってないから……」
「金はソラ君が持っている。彼女に言ってくれ」
そうなのか、じゃあお金はそちらに聞くとして。
「何を買えばいいんだ?もしかして、ソラの携帯電話か?」
恵理や美奈が頼りにされて、ソラが今、持っていないものといえばそれぐらいし
か思い浮かばないが……。
「それもあると便利だが……面倒だな、美奈くんに代わってくれ」
言われて、訝しく思いながらも、美奈に携帯を差し出す。
「え、なに?」
「正原が代わってくれって」
美奈は不思議そうにしながら携帯を受け取り、話し始めた。
二三言葉を交わし、やがて、通話が切れたらしく、僕に携帯を返した。
「なんだって?」
そう聞くと、美奈は難しい顔をしながら、
「そら君の服を買ってきてほしいって。その……下着も含めて」
女性陣が指名されたのには納得できたが、人に頼む物でもないだろうにと、頭の
中で呟いていた。
アパートの外には、紀明と一緒に、美奈と恵理が待っていた。
当然だが、全員私服だ。
恵理は、白が中心の、胸の部分に花があしらわれたワンピース姿。
美奈は、上は白いブラウスに黒いネクタイ。
下は黒いジーンズという、ぱっと見は制服姿に見えるファッション。
紀明は……黒い上着に茶色いズボン。
下に着ているTシャツは、白地に黒でシーサーが描かれていた。
微妙に茶髪に合わないのが、紀明のファッションのようだ。
「勢揃いだな」
自然とそんな事を言っていた。
紀明だけかと思っていたが、いい意味で裏切られた気分だ。
「ほう、これはこれは。いい友達を持ったものだな、晶くん」
僕の後ろから出てきた正原とソラを見て、恵理を含めた全員が驚いた顔をする。
「こちらの方は?」
意外にも、改まってそう聞いてきたのは紀明だった。
敬語も微妙に似合わない。
「あぁ、えっと……」
どう説明したものか……有りのままを話すわけにもいかないだろうし。
そんな事を考えていたが、そんな僕の意志とは関係なく、正原自身が口を開けた
。
「正原秀一だ。晶くんとは病院からの付き合いになる。よろしく頼もう」
その、若干上からの自己紹介に面くらいながらも、全員よろしくと挨拶を交わし
た。
「お医者さんじゃなかったんだね……白衣着てるからそうだと思ってた……」
とは、恵理の談。
「じゃあ、そっちの子は?」
今度は美奈が、ソラを指して聞いてきた。
「ソラ。……よろしくお願いします」
ソラは、本当に短く自己紹介をしたあと、キチッとお辞儀もする。
「あ、うん。よ、よろしく……」
正原の自己紹介も短かったが、それ以上に短いソラの自己紹介に、美奈は苦笑い
をしながら返事を返していた。
「ソラさん、みよじは?」
恵理が、初めてソラに会った僕と、同じ質問をしている。
ソラはいつも通り、表情を変えずに、僕の時と同じく、「ソラ」とだけ答え、そ
してそれを聞いた恵理は……
「ソラソラ……さん?」
と、僕と同じことを言っていた。
今確信した。
この子は、僕の妹に間違いない。
その後、全員が自己紹介をし、改めて挨拶を交わす。紀明は何やら生真面目に(
やっぱり似合ってなかった)、美奈は軽く、恵理は丁寧に。
正原なら、此処にいる人物全員の素性を知っていてもおかしくないと思ったが、
真相は分からない。
「で、何のようなんだ?皆して」
かなり遠回りして本題に戻ってきた気がする。
僕の疑問を聞いて、待ってましたとばかりに、紀明が喋りはじめた。
「ああ、お前が記憶喪失になっただろ?町の案内をしたほうが良いんじゃないか
って事になってな」
な?と、紀明が、美奈と恵理にも確認をとる。
「というのは建て前で、皆で遊びにいこうって事なんだけど……行くわよね?」
美奈は、僕に意見を聞いていながら、表情は"来て当然"という顔をしている。
この提案は、正直嬉しい。
地理は解っているつもりだが、確認をとれるという意味でも願ったり叶ったりな
のだが……。
「うーん。正原、ちょっと……」
皆に背を向け、正原を呼ぶ。
「なんだね?数少ない友人の誘いだ、行ってくれば良いだろう。何を迷う必要が
ある?」
「昨日の奴みたいなのがこないとも限らないだろ?皆を巻き込むのは嫌だ」
街を歩いていて襲われては、たまったものではない。
それに、もしそうなった時、魔術を一応持っているとはいえ、僕が皆を守れると
は思えない。
「それなら大丈夫だろう。昨日の今日でオセーがまた来るとも思えんし。もし何
か、不振な輩がこの近辺に来た場合は、柳に連絡を頼んである」
「柳さんに?」
あの人がどういう能力を持っているのかは知らないが、正原の自信はかなりの物
のようだ。
「でも、認識阻害とか使われて近づかれたら分からないだろ?」
そんな僕の意見に対し、正原はありえん、と返す。
「確かに一般人はそれでひとたまりもないが。先日も言ったように、魔術師相手
では自己の存在を誇示しているようなものだ。君も既に感覚的に分かるはずだぞ
?」
それにな、と正原は話を続ける。
「認識阻害は、効果範囲が限られるもともと高度な魔術でな。その辺の魔術師に
は使うことすらできんし、万一使えたとしてもオセーの様な、数をつかって街全
体を覆うといったことはできん。柳を欺き、君に近付こうとするなら、今ある認
識阻害を使わずに、使った事すら気付かれない、全く新しい認識阻害を使わなけ
ればならん」
認識阻害で街を覆っていたなんて、今初めて知った。
だが、そこまで言うなら他力本願ではあるが、柳さんに任せよう。
「おお、そうだ。保険と言うわけではないが、ソラ君も連れていくといい」
何かあれば役に立つだろうと言いながら、正原はソラに対し僕についていくよう
指示する。
「私は別の用事があるのでな。夕方には戻るので晩飯は頼む。期待しとるからな
?」
と昨日と同じような注文を押しつけ、アパートの敷地を出る。
「あれ、正原さんは行かないんですか?」
そう聞いたのは恵理だった。
正原はそれにああ、と答え、
「ソラ君は一緒に行ってもらおうと思う。無口で愛想もないが、根は優しい子な
のでな、よろしく頼む」
そう言って去っていった。
……。
「で、結局行くって事で良いの?」
「ああ、うん。よろしく……」
……正原がどこに行くのか聞きそびれたな。
聞いても答えないかもしれないが。
「ねぇ?」
美奈が、少し心配そうな顔つきで僕に声をかけてきた。
「あんたさ、その格好で行くの?」
そんなに変な格好なのかと思い、自分の格好を見直すが、普通の普段着だ。
余所行きと言うほどではないが、このままでも問題は無いように思う。
自分の服を見下ろす僕をみて、美奈は『はぁ……』とため息を付き。
「手袋よ、手袋。それも忘れてるの?無闇に他人に触れないようにって、小さい
頃から付けてたじゃない」
そうか、言われてみれば確かにそうだ。
記憶が無くなってからというもの、知識は確かにあるが、習慣の様なものはこと
ごとく抜け落ちているような傾向にある。
手袋に関しても、言われて気が付き、その知識を頭からひっぱって来た感じだ。
それに気が付くと、昨日は危なかったなぁと思う。
結局はオセーの乱入で買い物ができなかったが、もし買い物できていたとしても
、おつりの受け渡しなどで店員の手に触れていた恐れがある。
そこまで考えて、重大な事に気が付いた。
スーパーで、僕はソラに口を塞がれたはずなのだ。
当然素手で。
しかし、自分自身の記憶にはソラに関することも、自分以外の主観だと思われる
映像もない。
あの時は、全員が同じ顔のオセーに気が動転していた為か気が付かなかったが…
…。
これはどういう事なのだろうか……。
「ほら、待っててあげるから早く取ってきなさいよ」
「ああ……」
とりあえず、今そのことは保留しよう。
正原が帰ってきてから、聞いてみるのが良いかもしれない。
今は手袋だ。
「あーっと、僕の使ってた手袋ってどんなのだった?」
やはり、肝心な所で記憶に足りない部分か出てくる。
美奈はやれやれといった調子で、白い手袋だと教えてくれた。
「あ、ちょっと待ってお兄ちゃん。お兄ちゃん宛てに荷物があるの」
そう言って恵理が取り出したのは、片手で持てる小さく可愛らしい袋だった。
「商店街の服屋さんからなんだけど……。お兄ちゃん覚えてない?」
と言われても、覚えなどない。
記憶を失う前の僕が、何か注文でもしてたのだろうか。
「まぁなんにせよ、開けてみろよ」
紀明に諭され、袋を開ける。
中から出てきたのは、白い手袋だった。
それも、防寒用の分厚い物ではなく、生地の薄い鑑識官などが持っていそうな、
そんな手袋だった。
「あ、それよ、それ。あんたが使ってた手袋」
確かにこの手袋なら、生活をおくるのに邪魔になるということは、あまり無さそ
うだ。
「あれ?でもお兄ちゃんって、手袋はいつも肌身離さず持ってるし、とっても大
事に使ってるから、新しいの買う必要ないと思うけど……」
そう言われて少し考えるが、確かにこの手袋は、生地が薄いわりにはしっかりし
ており、よほどの事では穴すら開きそうにない。
「大事に使ってても、磨耗はしてくるわよ。小さい頃から同じ手袋使ってるし、
何回か買い替えもしてるはずよ?」
との美奈の指摘に対し、『そうだけど……』と、微妙に納得のいかない恵理。
「ま、なんにせよ。準備ができたならとっとと行こうぜ?」
紀明に急かされ、僕達はアパートを後にした。
紀明達に連れてこられたのは、商店街と言うよりは繁華街の様な場所だった。
ちなみに、名実的には商店街で間違いない。
ただ、商店街と言うには人が多い。
見た目は完全に繁華街だ。
「すごいな……」
この感想は、人が多いという事もそうだが、並ぶ店舗にしても同じだった。
ざっと見ただけでも、多岐に渡る様々な種類の店が、車が一台楽々通れる程度の
歩道に軒を連ねている。
八百屋、魚屋、書店を始め。
工具店、電気屋、向こう側に見えるのは服屋だろうか?
その辺のデパート以上の種類と数だ。
「やっぱり、忘れてるか?何か思い出すこととかないか?」
紀明は僕の呟きが聞こえたのか、そんな質問を僕にぶつけてきた。
だが、僕の記憶はやはり不鮮明なままだ。
何も感じない訳ではない。
場所の知識は有る、ただ来た覚えが無い。
そんな状態でも、何かデジャヴによく似た、妙に懐かしい感じがする。
そのことを紀明に伝えると。
「そうか……ま、ゆっくり行こうぜ!」
そんな、何とも優しい励ましを受けた。
「ねぇ……」
少し躊躇う様子で、美奈が声を掛けてきた。
ちらちらと、ソラの方を見ている。
「あの子、何であの格好なわけ?」
あの格好といわれたソラは、うちの学校の制服姿だ。
昨日からあの格好なのは、確かに僕も気になってはいたのだが……。
まさか、あれだけしか服を持ってないということは有るまい。
「そらそらさんって、私たちと同じ学校だったんですね」
そんな会話を恵理としているソラ。
『そらそら』を否定していなかったらしいな。
「そらそらじゃなくて、ソラ」
訂正、否定はしていたようだ。
「わかってますよー、ニックネームです、ニックネーム」
どうやら恵理が一方的に、わざとそう呼んでいるようだ。
ソラは、今回も表情は変えずに、『じゃあ良い』と言って視線を商店街に向ける
。
ニックネームは良いが、普通に名前を呼んだほうが短いというのは、こういう場
合良いのか?
「あの子、うちの学校の子じゃないでしょ?何であの制服きてるのよ」
それはこっちが聞きたい。
十中八九、正原が絡んでいるのだろうが、そのせいで余計に混乱してわからない
。
「僕も分かんないよ。正原に聞いてみないと」
と美奈に言った直後だった。
ピリリリリ……と、電子音が響く。
僕の携帯だ。
取出し、ディスプレイを見る。
「え?」
少し、いや、かなり驚いた。
取り出した携帯のディスプレイには、確かに『正原秀一』と表示されていた。
登録をした覚えが全く無いのだが……。
とりあえず出る。
「もしもし……」
「私だ」
なんとまぁ、高圧的な自己表現だ。
正原で間違いないだろう。
「ちょっとソラ君の物で買ってきて欲しい物があってな。私では役不足なのだが
、恵理くんや美奈くんに頼めばなんとかなるだろう」
いきなり、なんだ。
恵理や美奈に頼む買い物って。
「わかったけど、今大したお金は持ってないから……」
「金はソラ君が持っている。彼女に言ってくれ」
そうなのか、じゃあお金はそちらに聞くとして。
「何を買えばいいんだ?もしかして、ソラの携帯電話か?」
恵理や美奈が頼りにされて、ソラが今、持っていないものといえばそれぐらいし
か思い浮かばないが……。
「それもあると便利だが……面倒だな、美奈くんに代わってくれ」
言われて、訝しく思いながらも、美奈に携帯を差し出す。
「え、なに?」
「正原が代わってくれって」
美奈は不思議そうにしながら携帯を受け取り、話し始めた。
二三言葉を交わし、やがて、通話が切れたらしく、僕に携帯を返した。
「なんだって?」
そう聞くと、美奈は難しい顔をしながら、
「そら君の服を買ってきてほしいって。その……下着も含めて」
女性陣が指名されたのには納得できたが、人に頼む物でもないだろうにと、頭の
中で呟いていた。
第十六章
今、僕達は商店街の中でもかなり大きい店舗を持つ、服屋『イトウ』に来ていた。
店名で察した方もいると思うが、紀明の家だそうだ。
「女物はむかって左、男物はむかって右だからな」
木製の手押しドアをぬけると、紀明が配置の説明をしてくれた。
内装は基本的に木製で、その木の香が、気持ちを落ち着けてくれる。
服屋にしては少し特殊な、良い雰囲気のお店だ。
正原からソラの服という、お使いを頼まれてしまった美奈と僕は、実家が服屋の
紀明に事情を話した。
すると、紀明は
「任せろ!親父に言って友達価格にしてやるよ!」
と言って、僕達を自分の家につれてきたのだった。
「やあ、紀明のお友達諸君」
そう言って奥から現われたのは、紀明の親父さんだ。
小柄だが、茶髪のナイスガイだった。
「今日は、誰かの見繕いかな?それとも……皆それぞれかな?」
なんだか特殊な話し方をする人だ。
「今日はそこの、ソラって子の服を見にきたんだ。そういう訳だから親父、友達
価格で頼むよ」
紀明がそう言うと、紀明の親父さんは、うーんとうなる。
「紀明は友達が多いからなぁ、このままでは破綻してしまいそうだぞ……」
さすがに冗談だと思うが、尋常じゃないぐらい悩んでいるような仕草をしている
。
具体的には、頭を両手で抱え、うーんうーんと言いながら、頭を前後に振ってい
た。
何だかシュールだ。
「あ、あの……無理ならもとの値段で良いですよ?いつも悪いですから」
見兼ねた美奈が、フォローをいれる。
いつも、ということは美奈は友達価格で買いものしたことがあるのか。
紀明は、いいからいいからなどと、無責任なことを言いながら笑っている。
「今日はその子の服だったね?」
そう言いながら、ソラを指す紀明の親父さん。
「可愛い子だね、何でも似合いそうだ」
誉められたソラは、自分の事なのに気付いているのかいないのか、不思議そう
な顔をしている。
「よし、……その子がリピーターになってくれるって言うのが条件でどうかな?」
条件とは言っているが、こちらにはなにもデメリットが無い、破格の、むしろ無
条件と言ってもいい条件だった。
紀明は、さっすが親父!等と親父さんをはやし立てている。
「紀明、お前にも条件だよ」
なんですとっ!とわざとらしく驚く紀明だが、別にいやな顔はしていなかった。
むしろ楽しそうだ。
「ちゃんと、紀明が見繕ってやるんだ。私は忙しいからね、友達までは手が回ら
ないから。わかったね?」
それを聞いた紀明は、
「任せろッ!」
と意気込んでいた。
ともあれ、ソラの服選びが始まった。
微妙に服のセンスが悪いと僕は思っていた、紀明だが。
そこはやっぱり、服屋の息子。
ソラに対し、これは似合うだろうと言って持ってきたものは、全てソラにぴった
りだったし。
「華奢な体型してるから、ラインを出すような服でも似合うと思うぜ」
とか。
「背は高くないからスカートは短いほうが似合う」
とか。
「髪が白いからジーンズは黒だな」
とか。
僕はでる幕が無いので少し離れたところから、その様子を眺めていた。
暫らくそうしてアドバイスしていた紀明だが、やがて、僕の方にやってきた。
「どうしたの?」
「いや、今度は下着を選ぶんだそうだ。自分の家でもさすがに付いていくのは気
が引けるし、美奈に釘も刺された……」
それは確かに、付いていくのは無理だ。
考えただけで何だか居心地が悪い。
「それに、お前が手持ち無沙汰にしているみたいだったからな」
確かに手持ち無沙汰にはしていたが、あちこち店を見て回っていたから、退屈で
はなかった。
しかし、そういうところを気にしていてくれる紀明に、僕は嬉しくなっているよ
うだった。
「紀明はすごいな。あれだけアドバイスできるなんて。やっぱり家が服屋だから
か?」
「いやいや、そんなこと……ちょっとはあるかなー」
紀明はおどけながらそう言った。
「今の時期なら、冬物がお薦めだぜ?そろそろ寒くなってくるからな。お前なら
黒のトレンチコートなんか、似合いそうなんだが……」
「そうなのか?」
今日は大したお金は持って来ていないから、また今度という事にしたが、さらっ
と、商売トークしている辺り、紀明も侮れないと思うのだった。
「少し、聞いて良いか?」
声のトーンを落とし、真剣に聞いてくる紀明に少し面食らったが、
「答えられることなら」
わかった、と言った後少し考えるような間があり、そして……。
「あの、ソラって子……お前のこれか?」
と言いながら小指を立てる紀明。
思わず吹き出してしまった。
「違うけど……。な、なんで?」
そう思われるような場面があった覚えはないが……、一緒の部屋から出てきたか
らか?
いや、それならば正原はどうなる。
あの白衣と恋人と言うのは勘弁願いたい。
「いやな、ここにくる時も、ここにきてから服を選んでるときも、ずーっとお前
のこと気にしてるみたいだったからな?」
……ああ、成るほど、納得がいった。
ソラは正原から僕を護衛するように言われているのだから、こちらを気にしてい
たのだろう。
それを知らない紀明からみれば、ソラが僕の事を恋人か何かとして見ていると思
ったのかも知れない。
「気にされているのは確かだろうけど、彼氏彼女っていう間柄じゃないよ」
有りのままを話すわけにもいかないので、割愛した事実だけを伝えた。
このまま誤魔化せれば儲けものだ。
「ああ、やっぱりそうか」
そう思っていただけに、その反応が予想とは違い、やっぱりと言われたのには驚
いた。
「気にしてるのは解ったんだけど、ほら……、何ていうか……熱っぽい視線って
言うやつ?ああいうのじゃなかったんだよな……」
よく見ていると言うのか、空気を読んでいるというのか分からないが、紀明には
そう言う才能があるらしい。
僕が手持ち無沙汰だと判断したのも、同じ事なのだろう。
「ま、違うんなら良いんだ」
うんうん、と頷く紀明。
どうやら聞きたいことはそれだけだったらしい。
「ところで、何でそんなこと聞くんだ?」
素朴な疑問だったのだが、紀明はうーんと難しい顔をして。
「それは言わぬが華ッてぇやつだ……」
商店街から駅を挟んだ向こう側。
夏に比べ、弱くはなったとはいえ、強い日の光が容赦なく降り注ぐデパートの屋
上。
数年前まで動いてはいたが、乗る人数の絶対数が少なく、今では煤けた遊園地の
ような遊具の墓場。
そこで白衣がなびいていた。
言わずものがな、正原秀一だ。
彼は朝、晶達と別れた後ある人物と会っていた。
「やはり、少々厄介な事になった」
黒いジーンズに黒い長袖のシャツを着た、同年代くらいの男に、そう短く伝える。
「あんたが言っていた"夜の住人"ってやつか?」
黒服の男は、正原に対して親しいというよりは、刺々しい印象を受ける物言いで
確認をする。
「ああ、正にそれだ。きみをもう少し早くこちらにつれてこれれば良かったのだ
が……まぁ過ぎた事は仕方ない」
「そうだな、それに付いては俺からも何も言えないし。それよりも、これからど
うすれば良いか教えてくれ」
黒服の男は、刺々しさはあるものの、どこか、引いた感じの喋り方で、正原に指
示を仰ぐ。
正原は屋上から駅の向こう側を見やる。
目を細め、何かを羨むかのような……そんな表情で。
「君にもやってほしい事はあるが、今は君自信が自分を守る力を、付けることに
専念してくれ。後の事は、その時話す」
「……ひとつ、聞いていいか?」
黒服の男が、正原の言葉を聞き、少し考えたのち、口を開く。
「あんたの目的はなんだ?慈善事業じゃ無いんだろ、これは。それを教えてくれ
ないか……」
「……」
正原は考えていた。
彼に教えるべきか、教えた場合何か不都合は起きないか。
ありとあらゆる可能性を推察し、頭の中でシミュレートする。
それを感じ取った男は。
「悪いようにはしない。ただ、聞きたいだけだ。言えない理由があるなら――」
「いや、君には言っておこう」
まくしたてるように話す、黒服の男を遮るように正原は言った。
一呼吸置き、正原は話し始める。
「復讐だ……」
一言だけ。
復讐だと、一言、そう言った。
「復讐?」
「そうだ、復讐だ」
「……そうか」
男は"誰に対しての"とは聞かなかった。
「その復讐の為に、俺が必要なのか……」
「ああ、その通りだ」
正原はそう答えた後、ふぅと息を吐くと、いつも浮かべている薄い笑顔に、自嘲
を含ませた顔をし、
「君は察しが良すぎるな。今までの経験からなのだろうが、説明の手間が省ける
分、少し見透かされるような恐怖も感じる」
正原のそのことばに対して、黒服の男は、
「それはお互い様だろう? 世間から見れば、俺もあんたも"化け物"だ」
と、呆れたような様子で言った。
苦笑する正原。
「そうだ。君を日本の監督チームに加えてもらうようにしよう」
正原はそう言うと、携帯を取り出し、どこかに電話を掛けだした。
「私だ」
やがて相手がでたのか。
本来なら『もしもし』と言うところは、あまりにも高圧的な一言だった。
「実はな、そちらのチームに加えてもらいたい者が一人いるのだが……ああそれ
は大丈夫だ」
その後も二三言葉を交わし、電話をきる正原。
「オーケーだ。明日、迎えの者を寄越してくれるらしい」
「……いいのか?」
黒服の男は表情に刺々しさはあるが、少し申し訳なさそうに確認を取る。
「構わん。チームには魔術師しかおらんからな、君のスキルアップも期待できて
一石二鳥と言うものだ!」
ワハハハと笑う正原の笑い声は、街中の喧騒に呑まれて……消えた。
晶や正原達がいる街から離れ、さらに入り組んだ形をなした、所謂都会の一つの
ビル内。
小さな商業ビルの中の比較的大きな部屋。
真ん中に背の低いテーブルと、それを囲う様に並んだソファ。
そのソファで柳龍二は電話を受けていた。
「――監督に適した能力か、あるいはそれを置いて余りある知識、もしくは戦闘
力が無ければ正式に採用できませんが……」
『ああそれは大丈夫だ』
相手は正原秀一。
柳が発足した日本の監督チームに、加えてもらいたい者がいるという。
正原が推すなら、優秀なのはほぼ間違いないのだが。
柳は少し以外だった。
正原秀一という人物は、基本的に一人で行動する質の人だ。
たとえどんな事があろうとも、一人でいることが普通と言った感じの人だ。
それが、昨日は女子と男子一人づつ。
今回もどうやら二人で行動しているようだ。
詳細を聞いてないので昨日のうちの一人である可能性もあるのだが。
何か、彼の中で変化があったのだろうか?
本当の名前が解らない柳には、正原の心は解らない。
電話を終えると、部屋の隅で壁に背を預けていた人物が柳に喋りかける。
「グラーシャラボラスからか?」
柳はああと、言葉を返し。
黒いフード状のローブと、目元だけを覆う白いマスクという、異質な格好をした
目の前の人物に事情を説明する。
「マジかよ。監督チームってだけで面倒なのに、まだ面倒が増えるのか? お前ど
んだけいい人なんだよ、それとも断わりきれない日本人か?」
この人物は、柳の古い知り合いで、柳と同じくソロモンに数えられている一人だ。
今回の監督チームには、彼の他に後二人のソロモンを配置してもらったのだが…
…。
「他の二人は?」
「バランは羽が当たるとか言って屋上にいる。イザックは……下でアニメでも観
てるんじゃないか?」
ビルにはすでに来ているようで、一先ず安心した。
集まってもらった三人は、ソロモンの中でも情報戦に長けた者達だ。
今回の監督チームにとって、とても重要な役割を担っている為、全員が揃ってな
いと、主に魔術の隠匿の効率が大きく下がる。
「ところで何か用事?」
ターナーはかなり淡白なところがある。
事務的な報告が無ければ話をしにこないのだ。
「……お前が壊したあの校舎、ひとまず元通りにできたそうだ。付近住民には認
識阻害と、既に学校が燃えたのを知る奴には認識誤印をかけてきた。知ってる奴
はまだいるとは思うが、ある程度数は減らしたから"勘違い"でかたづけるだろう」
認識誤印-エラーマーク-は一部の魔術師が使う記憶操作のことだ。
記憶操作といっても記憶を消すという事ではなく、記憶があたかもそうであった
かの様に誤認させるのだ。
しかしこれだけでは隠蔽できない。
なぜなら、いくら誤認しているとはいえ、その程度は今回の場合『確か、学校が
燃えていた気がする』という程度で、燃えた後の学校を見れば『やっぱり燃えて
いたんだ』と結論付けられるので意味が無い。
逆に言えば、燃えていない学校を見れば『なんだ、気のせいか』で終わる。
今回はその記憶誤印と校舎の修復の指揮をターナーに任せていた。
それが完了したという報告に来たのだ。
「そうか、ご苦労様」
「オセーが人払いをかけてたみたいだったから、そんなに働いてないぞ?」
ねぎらいの言葉くらい素直に受け取ってくれればいいのだが。
ターナーの性格では無理そうだった。
「龍二は居るか?」
ターナーと話をしていると、さっき話していたバランが、廊下の壁や、ドアの枠
に羽を擦りながら部屋に入ってきた。
バランは今じゃ珍しい、『レイブン』と呼ばれる有翼族の生き残りだ。
背中に黒い大きな羽が生え、身体能力全般が人間に比べて高いのが特徴だ。
バランの場合はそれに加え、鳥類と会話ができ使役できるという点で、戦闘員兼
諜報役として呼んだ。
「そうやって羽が当たるから上に居るんじゃなかったのか?」
仮面の所為で表情は判らないが、少し気だるげに話すターナー。
バランはそれに対してはなにも言わず、用件だけを柳に伝える。
「イザックの気配が唐突に消えたのだが、気づいているのか?」
完全に部屋に入ると、羽だけを大きく広げ。
まるで羽だけで伸びをしているかのような仕草を見せながら、バランはそう言っ
た。
それを聞いてターナーは『はぁ?』と返し、柳は自分がほぼ無意識張っている
《ソナー》に反応がなかったことに疑問を感じていた。
誰かが出たり入ったりすればわかるはずだが、いま改めて《ソナー》を使ってみ
ると、確かにこのビルにイザックの姿はなかった。
「なんだ。あのヒッキーがどっか出掛けたのか? 珍しい」
「いえ、私が連れ出しました」
その人物は部屋のすみにいつの間にか出現していた。
ターナーやバランはもちろんの事、一番驚いていたのは柳だった。
ビルを《ソナー》でサーチしていたのにも関わらず、この人物はなんの痕跡もな
くこの場所に入ってきたのだから。
そして、この場所に入られたことには"やられた"三人は同時に思っていた。
バランは戦闘要員だが、有翼族という性質上、こういう狭い空間での戦闘は苦手
としており、戦えない。
柳自身も戦闘要員としての資質、《メガゼンテ》を持っているが、この狭い空間
で使えば仲間も一緒に蒸発させてしまう。
そしてターナーはそもそも直接的な戦闘要員ではない。
「まぁまぁ、そう身構えずにお話しましょう」
三人はその人物の姿を確認して改めて驚いた。
そこにいたのは、黒い燕尾服をきっちりと着こなした、ピンク色のウサギの風船
だったのだ。
だが、その特徴的な容姿にすぐに頭に浮かぶ二つ名。
《蛮楽の指揮者》
アモンは表情を変えず(変えれないのかもしれないが)部屋の隅で空気椅子をして
いた。
空気椅子といっても筋トレ等でやるものではなく、空中に浮いている状態で座っ
ているかのような体勢をとっているのだ。
「かの《電子籠》-ネットワーカー-マルバスは私の作戦に一時的にお借りします。詳細
は追って連絡しますので、携帯端末の電源はお切りにならないようお願いします
ね?」
そのあまりにも一方的な報告に柳は抗議するかどうか考えた。
しかし、相手はあの天才的な策士と謳われたアモンだ。
全員が集まったのを見計らって、どうやったのか解らないが《ソナー》に引っ掛
からずに進入してきた。
バランやターナーを含め、このビルに居る者全員が手出しができない状態を作り
出した手並みはさすがと言えよう。
「ここでなにを言っても後の祭り……って訳ですか」
「理解が早くて助かりますよ」
柳の独り言に近い皮肉に、すぐさま皮肉で答えるアモン。
「ム……」
「……」
バランはそれを無表情で受け流し、ターナーは表情がわからない上無言。
両者の間に、緊張とも警戒ともつかない空気が流れる。
「では、今日はこれで失礼します。他に何かあればご連絡いたしますので……」
言うが早いか、アモンの姿はまるで初めから無かったかのように、消えた。
「おい、どうする?」
最初に口を開いたのはターナーだった。
それを聞きながら柳は考えていた。
アモンが何故この島国にきたのかを。
アモンも柳達と同様、ソロモン72柱に数えられる一人だ。
しかし、それはアモンが『何をしにきたのか』に対しての判断材料にはならない。
ソロモン72柱を抱える魔術組織である『世界』は、組織としては崩壊していると
いっていい。
というのも、統率者が居ないのだ。
組織として成り立っている以上、なにかしらの統率部署があるはずなのだが。
柳を含め、ソロモンに所属する半分以上の者が世界の統率者について知らされて
おらず、また、『世界』にどのような部署があるのかを知らない。
そのためソロモンの中には、統率を取りたがっているものが少なからずおり、情
報屋の真似事をしているものもいるが焼け石に水と言った様子で、相互的な情報
交換までは行われていない。
それでもこの情報屋に聞けば解ることは少なくない。
「やっぱり情報屋に聞くしかないだろうな」
柳はそう呟くと指示を出す。
「バランはアモンが今何をしているのかを、鳥を使って探ってくれ。ターナーは
アモンにそれがバレ無いように、カモフラージュしてくれ」
柳の指示に合わせ、それぞれの返事を返すバランとターナー。
「それは構わないんだが、いくらカモフラージュしても相手があのアモンじゃ時
間稼ぎにすらなるかどうか怪しいぞ?」
確かにそうなのだ。
あのアモンに何がどこまで通用するのか、まったくの未知数だ。
「……やらないよりマシだろう。バレたらバレたで他の事をやってもらうつもり
だから」
「あいよ、了解」
ターナーはやる気半分気だるさ半分と言った様子で答える。
「さっそく取り掛かる。正直、イザックがどうなろうと知ったことではないが…
…」
「そう言うなよ」
バランの愚痴にやんわりと答える柳。
「柳、おまえはどうする?」
「正原さんに会ってくる。この事もそうだが、さっきの人材についても話してく
るよ。あと情報屋にもね」
小さな島国の、小さな町で、小さな戦争が幕を開けた。
今、僕達は商店街の中でもかなり大きい店舗を持つ、服屋『イトウ』に来ていた。
店名で察した方もいると思うが、紀明の家だそうだ。
「女物はむかって左、男物はむかって右だからな」
木製の手押しドアをぬけると、紀明が配置の説明をしてくれた。
内装は基本的に木製で、その木の香が、気持ちを落ち着けてくれる。
服屋にしては少し特殊な、良い雰囲気のお店だ。
正原からソラの服という、お使いを頼まれてしまった美奈と僕は、実家が服屋の
紀明に事情を話した。
すると、紀明は
「任せろ!親父に言って友達価格にしてやるよ!」
と言って、僕達を自分の家につれてきたのだった。
「やあ、紀明のお友達諸君」
そう言って奥から現われたのは、紀明の親父さんだ。
小柄だが、茶髪のナイスガイだった。
「今日は、誰かの見繕いかな?それとも……皆それぞれかな?」
なんだか特殊な話し方をする人だ。
「今日はそこの、ソラって子の服を見にきたんだ。そういう訳だから親父、友達
価格で頼むよ」
紀明がそう言うと、紀明の親父さんは、うーんとうなる。
「紀明は友達が多いからなぁ、このままでは破綻してしまいそうだぞ……」
さすがに冗談だと思うが、尋常じゃないぐらい悩んでいるような仕草をしている
。
具体的には、頭を両手で抱え、うーんうーんと言いながら、頭を前後に振ってい
た。
何だかシュールだ。
「あ、あの……無理ならもとの値段で良いですよ?いつも悪いですから」
見兼ねた美奈が、フォローをいれる。
いつも、ということは美奈は友達価格で買いものしたことがあるのか。
紀明は、いいからいいからなどと、無責任なことを言いながら笑っている。
「今日はその子の服だったね?」
そう言いながら、ソラを指す紀明の親父さん。
「可愛い子だね、何でも似合いそうだ」
誉められたソラは、自分の事なのに気付いているのかいないのか、不思議そう
な顔をしている。
「よし、……その子がリピーターになってくれるって言うのが条件でどうかな?」
条件とは言っているが、こちらにはなにもデメリットが無い、破格の、むしろ無
条件と言ってもいい条件だった。
紀明は、さっすが親父!等と親父さんをはやし立てている。
「紀明、お前にも条件だよ」
なんですとっ!とわざとらしく驚く紀明だが、別にいやな顔はしていなかった。
むしろ楽しそうだ。
「ちゃんと、紀明が見繕ってやるんだ。私は忙しいからね、友達までは手が回ら
ないから。わかったね?」
それを聞いた紀明は、
「任せろッ!」
と意気込んでいた。
ともあれ、ソラの服選びが始まった。
微妙に服のセンスが悪いと僕は思っていた、紀明だが。
そこはやっぱり、服屋の息子。
ソラに対し、これは似合うだろうと言って持ってきたものは、全てソラにぴった
りだったし。
「華奢な体型してるから、ラインを出すような服でも似合うと思うぜ」
とか。
「背は高くないからスカートは短いほうが似合う」
とか。
「髪が白いからジーンズは黒だな」
とか。
僕はでる幕が無いので少し離れたところから、その様子を眺めていた。
暫らくそうしてアドバイスしていた紀明だが、やがて、僕の方にやってきた。
「どうしたの?」
「いや、今度は下着を選ぶんだそうだ。自分の家でもさすがに付いていくのは気
が引けるし、美奈に釘も刺された……」
それは確かに、付いていくのは無理だ。
考えただけで何だか居心地が悪い。
「それに、お前が手持ち無沙汰にしているみたいだったからな」
確かに手持ち無沙汰にはしていたが、あちこち店を見て回っていたから、退屈で
はなかった。
しかし、そういうところを気にしていてくれる紀明に、僕は嬉しくなっているよ
うだった。
「紀明はすごいな。あれだけアドバイスできるなんて。やっぱり家が服屋だから
か?」
「いやいや、そんなこと……ちょっとはあるかなー」
紀明はおどけながらそう言った。
「今の時期なら、冬物がお薦めだぜ?そろそろ寒くなってくるからな。お前なら
黒のトレンチコートなんか、似合いそうなんだが……」
「そうなのか?」
今日は大したお金は持って来ていないから、また今度という事にしたが、さらっ
と、商売トークしている辺り、紀明も侮れないと思うのだった。
「少し、聞いて良いか?」
声のトーンを落とし、真剣に聞いてくる紀明に少し面食らったが、
「答えられることなら」
わかった、と言った後少し考えるような間があり、そして……。
「あの、ソラって子……お前のこれか?」
と言いながら小指を立てる紀明。
思わず吹き出してしまった。
「違うけど……。な、なんで?」
そう思われるような場面があった覚えはないが……、一緒の部屋から出てきたか
らか?
いや、それならば正原はどうなる。
あの白衣と恋人と言うのは勘弁願いたい。
「いやな、ここにくる時も、ここにきてから服を選んでるときも、ずーっとお前
のこと気にしてるみたいだったからな?」
……ああ、成るほど、納得がいった。
ソラは正原から僕を護衛するように言われているのだから、こちらを気にしてい
たのだろう。
それを知らない紀明からみれば、ソラが僕の事を恋人か何かとして見ていると思
ったのかも知れない。
「気にされているのは確かだろうけど、彼氏彼女っていう間柄じゃないよ」
有りのままを話すわけにもいかないので、割愛した事実だけを伝えた。
このまま誤魔化せれば儲けものだ。
「ああ、やっぱりそうか」
そう思っていただけに、その反応が予想とは違い、やっぱりと言われたのには驚
いた。
「気にしてるのは解ったんだけど、ほら……、何ていうか……熱っぽい視線って
言うやつ?ああいうのじゃなかったんだよな……」
よく見ていると言うのか、空気を読んでいるというのか分からないが、紀明には
そう言う才能があるらしい。
僕が手持ち無沙汰だと判断したのも、同じ事なのだろう。
「ま、違うんなら良いんだ」
うんうん、と頷く紀明。
どうやら聞きたいことはそれだけだったらしい。
「ところで、何でそんなこと聞くんだ?」
素朴な疑問だったのだが、紀明はうーんと難しい顔をして。
「それは言わぬが華ッてぇやつだ……」
商店街から駅を挟んだ向こう側。
夏に比べ、弱くはなったとはいえ、強い日の光が容赦なく降り注ぐデパートの屋
上。
数年前まで動いてはいたが、乗る人数の絶対数が少なく、今では煤けた遊園地の
ような遊具の墓場。
そこで白衣がなびいていた。
言わずものがな、正原秀一だ。
彼は朝、晶達と別れた後ある人物と会っていた。
「やはり、少々厄介な事になった」
黒いジーンズに黒い長袖のシャツを着た、同年代くらいの男に、そう短く伝える。
「あんたが言っていた"夜の住人"ってやつか?」
黒服の男は、正原に対して親しいというよりは、刺々しい印象を受ける物言いで
確認をする。
「ああ、正にそれだ。きみをもう少し早くこちらにつれてこれれば良かったのだ
が……まぁ過ぎた事は仕方ない」
「そうだな、それに付いては俺からも何も言えないし。それよりも、これからど
うすれば良いか教えてくれ」
黒服の男は、刺々しさはあるものの、どこか、引いた感じの喋り方で、正原に指
示を仰ぐ。
正原は屋上から駅の向こう側を見やる。
目を細め、何かを羨むかのような……そんな表情で。
「君にもやってほしい事はあるが、今は君自信が自分を守る力を、付けることに
専念してくれ。後の事は、その時話す」
「……ひとつ、聞いていいか?」
黒服の男が、正原の言葉を聞き、少し考えたのち、口を開く。
「あんたの目的はなんだ?慈善事業じゃ無いんだろ、これは。それを教えてくれ
ないか……」
「……」
正原は考えていた。
彼に教えるべきか、教えた場合何か不都合は起きないか。
ありとあらゆる可能性を推察し、頭の中でシミュレートする。
それを感じ取った男は。
「悪いようにはしない。ただ、聞きたいだけだ。言えない理由があるなら――」
「いや、君には言っておこう」
まくしたてるように話す、黒服の男を遮るように正原は言った。
一呼吸置き、正原は話し始める。
「復讐だ……」
一言だけ。
復讐だと、一言、そう言った。
「復讐?」
「そうだ、復讐だ」
「……そうか」
男は"誰に対しての"とは聞かなかった。
「その復讐の為に、俺が必要なのか……」
「ああ、その通りだ」
正原はそう答えた後、ふぅと息を吐くと、いつも浮かべている薄い笑顔に、自嘲
を含ませた顔をし、
「君は察しが良すぎるな。今までの経験からなのだろうが、説明の手間が省ける
分、少し見透かされるような恐怖も感じる」
正原のそのことばに対して、黒服の男は、
「それはお互い様だろう? 世間から見れば、俺もあんたも"化け物"だ」
と、呆れたような様子で言った。
苦笑する正原。
「そうだ。君を日本の監督チームに加えてもらうようにしよう」
正原はそう言うと、携帯を取り出し、どこかに電話を掛けだした。
「私だ」
やがて相手がでたのか。
本来なら『もしもし』と言うところは、あまりにも高圧的な一言だった。
「実はな、そちらのチームに加えてもらいたい者が一人いるのだが……ああそれ
は大丈夫だ」
その後も二三言葉を交わし、電話をきる正原。
「オーケーだ。明日、迎えの者を寄越してくれるらしい」
「……いいのか?」
黒服の男は表情に刺々しさはあるが、少し申し訳なさそうに確認を取る。
「構わん。チームには魔術師しかおらんからな、君のスキルアップも期待できて
一石二鳥と言うものだ!」
ワハハハと笑う正原の笑い声は、街中の喧騒に呑まれて……消えた。
晶や正原達がいる街から離れ、さらに入り組んだ形をなした、所謂都会の一つの
ビル内。
小さな商業ビルの中の比較的大きな部屋。
真ん中に背の低いテーブルと、それを囲う様に並んだソファ。
そのソファで柳龍二は電話を受けていた。
「――監督に適した能力か、あるいはそれを置いて余りある知識、もしくは戦闘
力が無ければ正式に採用できませんが……」
『ああそれは大丈夫だ』
相手は正原秀一。
柳が発足した日本の監督チームに、加えてもらいたい者がいるという。
正原が推すなら、優秀なのはほぼ間違いないのだが。
柳は少し以外だった。
正原秀一という人物は、基本的に一人で行動する質の人だ。
たとえどんな事があろうとも、一人でいることが普通と言った感じの人だ。
それが、昨日は女子と男子一人づつ。
今回もどうやら二人で行動しているようだ。
詳細を聞いてないので昨日のうちの一人である可能性もあるのだが。
何か、彼の中で変化があったのだろうか?
本当の名前が解らない柳には、正原の心は解らない。
電話を終えると、部屋の隅で壁に背を預けていた人物が柳に喋りかける。
「グラーシャラボラスからか?」
柳はああと、言葉を返し。
黒いフード状のローブと、目元だけを覆う白いマスクという、異質な格好をした
目の前の人物に事情を説明する。
「マジかよ。監督チームってだけで面倒なのに、まだ面倒が増えるのか? お前ど
んだけいい人なんだよ、それとも断わりきれない日本人か?」
この人物は、柳の古い知り合いで、柳と同じくソロモンに数えられている一人だ。
今回の監督チームには、彼の他に後二人のソロモンを配置してもらったのだが…
…。
「他の二人は?」
「バランは羽が当たるとか言って屋上にいる。イザックは……下でアニメでも観
てるんじゃないか?」
ビルにはすでに来ているようで、一先ず安心した。
集まってもらった三人は、ソロモンの中でも情報戦に長けた者達だ。
今回の監督チームにとって、とても重要な役割を担っている為、全員が揃ってな
いと、主に魔術の隠匿の効率が大きく下がる。
「ところで何か用事?」
ターナーはかなり淡白なところがある。
事務的な報告が無ければ話をしにこないのだ。
「……お前が壊したあの校舎、ひとまず元通りにできたそうだ。付近住民には認
識阻害と、既に学校が燃えたのを知る奴には認識誤印をかけてきた。知ってる奴
はまだいるとは思うが、ある程度数は減らしたから"勘違い"でかたづけるだろう」
認識誤印-エラーマーク-は一部の魔術師が使う記憶操作のことだ。
記憶操作といっても記憶を消すという事ではなく、記憶があたかもそうであった
かの様に誤認させるのだ。
しかしこれだけでは隠蔽できない。
なぜなら、いくら誤認しているとはいえ、その程度は今回の場合『確か、学校が
燃えていた気がする』という程度で、燃えた後の学校を見れば『やっぱり燃えて
いたんだ』と結論付けられるので意味が無い。
逆に言えば、燃えていない学校を見れば『なんだ、気のせいか』で終わる。
今回はその記憶誤印と校舎の修復の指揮をターナーに任せていた。
それが完了したという報告に来たのだ。
「そうか、ご苦労様」
「オセーが人払いをかけてたみたいだったから、そんなに働いてないぞ?」
ねぎらいの言葉くらい素直に受け取ってくれればいいのだが。
ターナーの性格では無理そうだった。
「龍二は居るか?」
ターナーと話をしていると、さっき話していたバランが、廊下の壁や、ドアの枠
に羽を擦りながら部屋に入ってきた。
バランは今じゃ珍しい、『レイブン』と呼ばれる有翼族の生き残りだ。
背中に黒い大きな羽が生え、身体能力全般が人間に比べて高いのが特徴だ。
バランの場合はそれに加え、鳥類と会話ができ使役できるという点で、戦闘員兼
諜報役として呼んだ。
「そうやって羽が当たるから上に居るんじゃなかったのか?」
仮面の所為で表情は判らないが、少し気だるげに話すターナー。
バランはそれに対してはなにも言わず、用件だけを柳に伝える。
「イザックの気配が唐突に消えたのだが、気づいているのか?」
完全に部屋に入ると、羽だけを大きく広げ。
まるで羽だけで伸びをしているかのような仕草を見せながら、バランはそう言っ
た。
それを聞いてターナーは『はぁ?』と返し、柳は自分がほぼ無意識張っている
《ソナー》に反応がなかったことに疑問を感じていた。
誰かが出たり入ったりすればわかるはずだが、いま改めて《ソナー》を使ってみ
ると、確かにこのビルにイザックの姿はなかった。
「なんだ。あのヒッキーがどっか出掛けたのか? 珍しい」
「いえ、私が連れ出しました」
その人物は部屋のすみにいつの間にか出現していた。
ターナーやバランはもちろんの事、一番驚いていたのは柳だった。
ビルを《ソナー》でサーチしていたのにも関わらず、この人物はなんの痕跡もな
くこの場所に入ってきたのだから。
そして、この場所に入られたことには"やられた"三人は同時に思っていた。
バランは戦闘要員だが、有翼族という性質上、こういう狭い空間での戦闘は苦手
としており、戦えない。
柳自身も戦闘要員としての資質、《メガゼンテ》を持っているが、この狭い空間
で使えば仲間も一緒に蒸発させてしまう。
そしてターナーはそもそも直接的な戦闘要員ではない。
「まぁまぁ、そう身構えずにお話しましょう」
三人はその人物の姿を確認して改めて驚いた。
そこにいたのは、黒い燕尾服をきっちりと着こなした、ピンク色のウサギの風船
だったのだ。
だが、その特徴的な容姿にすぐに頭に浮かぶ二つ名。
《蛮楽の指揮者》
アモンは表情を変えず(変えれないのかもしれないが)部屋の隅で空気椅子をして
いた。
空気椅子といっても筋トレ等でやるものではなく、空中に浮いている状態で座っ
ているかのような体勢をとっているのだ。
「かの《電子籠》-ネットワーカー-マルバスは私の作戦に一時的にお借りします。詳細
は追って連絡しますので、携帯端末の電源はお切りにならないようお願いします
ね?」
そのあまりにも一方的な報告に柳は抗議するかどうか考えた。
しかし、相手はあの天才的な策士と謳われたアモンだ。
全員が集まったのを見計らって、どうやったのか解らないが《ソナー》に引っ掛
からずに進入してきた。
バランやターナーを含め、このビルに居る者全員が手出しができない状態を作り
出した手並みはさすがと言えよう。
「ここでなにを言っても後の祭り……って訳ですか」
「理解が早くて助かりますよ」
柳の独り言に近い皮肉に、すぐさま皮肉で答えるアモン。
「ム……」
「……」
バランはそれを無表情で受け流し、ターナーは表情がわからない上無言。
両者の間に、緊張とも警戒ともつかない空気が流れる。
「では、今日はこれで失礼します。他に何かあればご連絡いたしますので……」
言うが早いか、アモンの姿はまるで初めから無かったかのように、消えた。
「おい、どうする?」
最初に口を開いたのはターナーだった。
それを聞きながら柳は考えていた。
アモンが何故この島国にきたのかを。
アモンも柳達と同様、ソロモン72柱に数えられる一人だ。
しかし、それはアモンが『何をしにきたのか』に対しての判断材料にはならない。
ソロモン72柱を抱える魔術組織である『世界』は、組織としては崩壊していると
いっていい。
というのも、統率者が居ないのだ。
組織として成り立っている以上、なにかしらの統率部署があるはずなのだが。
柳を含め、ソロモンに所属する半分以上の者が世界の統率者について知らされて
おらず、また、『世界』にどのような部署があるのかを知らない。
そのためソロモンの中には、統率を取りたがっているものが少なからずおり、情
報屋の真似事をしているものもいるが焼け石に水と言った様子で、相互的な情報
交換までは行われていない。
それでもこの情報屋に聞けば解ることは少なくない。
「やっぱり情報屋に聞くしかないだろうな」
柳はそう呟くと指示を出す。
「バランはアモンが今何をしているのかを、鳥を使って探ってくれ。ターナーは
アモンにそれがバレ無いように、カモフラージュしてくれ」
柳の指示に合わせ、それぞれの返事を返すバランとターナー。
「それは構わないんだが、いくらカモフラージュしても相手があのアモンじゃ時
間稼ぎにすらなるかどうか怪しいぞ?」
確かにそうなのだ。
あのアモンに何がどこまで通用するのか、まったくの未知数だ。
「……やらないよりマシだろう。バレたらバレたで他の事をやってもらうつもり
だから」
「あいよ、了解」
ターナーはやる気半分気だるさ半分と言った様子で答える。
「さっそく取り掛かる。正直、イザックがどうなろうと知ったことではないが…
…」
「そう言うなよ」
バランの愚痴にやんわりと答える柳。
「柳、おまえはどうする?」
「正原さんに会ってくる。この事もそうだが、さっきの人材についても話してく
るよ。あと情報屋にもね」
小さな島国の、小さな町で、小さな戦争が幕を開けた。
魔術の強さは、魔術を行使する術者の魔力量と、術者の魔術概念によって決まる。
紀章達のサプライズで始まった土曜の夜。
魔術書を学園からどうやってか回収してきた正原は、僕に魔術について、真剣に
レクチャーしてきた。
昨日「面倒だ」とか言っていたのが嘘のようだ。
「魔術というのは端的に言えば、この世界の変数を書き替える行為の事を言う」
正原が言うには、この世界には決まりごと、所謂、自然の摂理と言うものがある。
この自然の摂理は通常ねじ曲げることはできない。
これを証明しつつ、さらに研究し利用しているのが物理学などの科学だという。
魔術はその根底にある、科学上証明された定数を変数にかえて操作する。
……つまり、例えば炎を出そうとする。
この場合科学的に炎を出そうとすれば、可燃物、酸素、火源等がなければなら
ない。
しかし、魔術の場合、炎がそこに無いという変数を書き替え、炎がそこに有ると
いうことにするだけで火が点くのだ。
この時、世界からは反発を受ける。
"有り得ない事"の修正をこの世界はしようとするのだ。
魔力は炎を出すことよりも、この反発を押さえ込む方に大量に費やすことになる。
当然魔術の規模が大きくなればなるほど、時間毎に費やす魔力量は増す。
これを少しでも軽減したり、魔術の発動自体を簡略化するのが、呪文式や儀式、
魔術媒体や宝具と言った類のものだ。
イメージだけで行う魔術もあるらしいが、よっぽどそのイメージがしっかりでき
ているか、単純に魔力量が桁外れにでかくなければならないらしい。
……と、正原が言っていたのは大まかに言えばこんなところだ。
「そして、魔術の性質上、同じ効果のものでも人によっては世界に対する干渉の
仕方や、考え方によって魔術の行使の仕様に違いが生まれ、同じ魔術だとは言え
なくなる。このために完成した魔術は、その個人独特、固有のものになり、呪文
等を真似ただけでは考え方が違うために、同じ魔術が使えないと言った事になる
のだ」
正原の場合は、あの影の様なものが正原の魔術なのだろう。
呪文の様なものも言っていた気はするが、意味までは解らない。
「だがな晶君。君の能力を使えば相手の魔術をそっくりそのまま真似るなどわけ
ないのだよ。だから君は君を邪魔に思うものや、利用しようとする者から狙われ
る」
どうやらそう言うことらしい。
魔術士にとっては、最悪の天敵か、最高の兵器。
数奇な運命だな、等と他人事のように思うのだった。
「その能力について聞きたいことがあるんだけど」
僕は昨日スーパーでソラに素手で口を塞がれた事。
それにも関わらず、経験の複写が行われていない事を話した。
「……関係があるか解らんが、ひとつだけ君に言ってないことがある」
正原は話ながら、難しい顔をしている。
「なに、深刻な話?」
ストレートにそう聞いてみた。
すると正原は、
「君次第だな」
等と含み全開で答える。
この話し方がどうも僕は嫌いらしい。
正原のことを、この話し方をしているがためにいまいち信用できない。
正原はちらっと、視線を外す。
その先にあるのは風呂場だ。
今は『私が魔術の指南をする間、風呂にでも入っているといい』といった正原の
指示どおり、ソラが入っている。
「ソラ君は人間ではない」
「……」
はい?
「君は動物相手だと能力を発揮しないはずだ。ソラ君が人間ではない事が関係し
てるのかもしれん」
「いや、ちょっとマテ」
またなんかとんでもない新事実が出たな。
眉間に指をあて、ゆっくり考える。
ソラが人間ではない?
「じゃあソラは何者?」
「人造人間が一番近いだろうな」
空かさず答える正原。
「いや、なら人間なんだろ?」
人造だろうがなんだろうが人間に代わり無いのでは?
「経験の複写が行われていない理由として上げたまでだ。ソラ君に人権が有るか
どうかは別の日に論議しようではないか」
え、今のそう言う話だったのか?
……混乱してるな。
かなり的外れなことを言った気がする。
「或いは……ソラ君には、さまざまな魔術的な特殊能力がある。それが関係して
るのかもしれんが……一部しか把握してないのでな、一概には言えん」
正原に言われたことを改めて考える。
ソラは確かに、なんというか、変わった子だと思う。
でも普通の……いや、魔術を知ってる時点で普通ではないのか?
でもまぁ、見た目は普通の女の子だろう。
たとえ人造人間だろうがなんだろうが、それで僕の接し方は変わらないし、変え
る気もない。
「あの命令がどうとか言ってたのも、それに関係があるのか……?」
「おお!忘れていた。そのことについても話がある」ふと出た独り言とも質問と
もとれる僕の言葉に、正原は何かを思い出したらしい。
ナハハと笑いつつ話にはいる。
「ソラ君には命令権という概念があってな。ソラ君はこの命令権を持った者の命
令にはほぼ服従なのだ」
「……あ、あぁ。そうなの」
驚きではあるし、ソラの人権はどうなっているのかとか、聞きたいことは山ほど
あるが、とりあえず相槌を打っておいた。
「でだな、この命令権を今は私が持っているのだが、これを君に渡そうと思う」
「……僕に?」
なぜそうなる。
「君の護衛を効率的に行うためだ。君から指示を出せるようにしなければ、臨機
応変に対応できない。ソラ君は優秀だ、ある程度は対応してくれるとは思うが、
それは命令の範囲内が絶対条件になる。すぐに限界がくるだろう」
それにな、とさっき以上に真剣な顔になる正原。
「逆に言えば、ソラ君は命令の範囲内ならばどんな無茶でも平気でする。それを
止めるためにも、君に命令権を持っていてもらいたいのだ」
どうだね、と正原は表情で聞いてくる。
「拒否権が無いだろそれ。ソラの人権とか、アンタの責任逃れじゃないかとか…
…その辺はあとで聞かせてくれるんだろうな?」
あんなの聞かされたら拒否できない。
……それはなぜ?
人間じゃ無いというソラが可哀相だから?
さっき接し方を変える気はないって言ったじゃないか……。
じゃあただのお人好し?
そうなのかもしれない……。
頭にふと、昨日の映像が浮かぶ。
オセーに吹っ飛ばされ、ぐったりとするソラの姿。
どす黒いなにかがお腹の辺りでぐるぐると回り、吐き気がするくらい胸が痛くな
った。
たぶん理由はこれなのだろう。
この姿を二度と見たくない、それが理由。
僕は守られる立場なのに、命令を操作してソラを守らなければと考えている。
矛盾だらけだ。
果たして矛と盾はどちらがどちらなのか……。
「君が気にしているソラ君の人権だがな。この命令権を作った作者の意図か、或
いは配慮かはわからんが、命令できることに少し制約がある」
正原は指で三を示し、話を続ける。
「解っているだけで三つある。一つは自殺はさせられない」
指を一にしてさらに説明を続ける。
「二つ目は物理的に不可能なことには『実行不能』等といってくる。そして三つ
目が……」
と、そこで何故かニヤリと笑う正原。
「Hなことはソラ君の意志でしか行えない。具体的にはキスすらだめだった」
「……」
なんというか、力が抜けた。
確かに必要な配慮がなされてはいるようだが。
とそこで、今朝のことを思い出した。
「まさか、今朝言ってた実験って……」
「ソラ君がどこまで命令を聞くか試した。具体的には『可能な範囲で唇を近付け
ろ』と指示した」
「……オイ」
頭痛がしてきた。
「……」
気が付くと、ソラが風呂からあがって僕らの横につっ立っていた。
魔術の説明が終わったからでてきたのだろう。
本当に指示どおりにしか動かないんだな。
いや、動けないのか。
そんなことを考えていた僕の目についたのは、ソラの服装だった。
今日買って来たであろう胸の辺りに『やればできる!!』とプリントされた白い
大きめのシャツに、短パン姿だった。
……女性陣のチョイスではないなこれ。
おそらく紀章のチョイスだ。
シルクのような白い髪の毛も水に濡れていてとても色っぽく……。
「ソラ、髪の毛拭いたのか?」
濡れていると言うかびちょびちょだった。
ぼたぼたと水滴が新品の服におちて肩の部分が若干透けている。
ソラはと言えば僕の目をじっと見つめてくるだけで、手にタオルは持って無い。
『意味が解らない』と言いたげに、頭を傾げるとさらに水滴が落ちる。
「うわっ!ちょっとじっとしてろ」
慌てて風呂場に行き、バスタオルを引っ掴んで帰ってきた。
それをソラの頭にかぶせ、わしゃわしゃと頭を拭く。
「頭は拭いてから出てこいよ。新品の服がだいなしだろ」
ソラは親に頭を拭かれる子供のようにかたく目を瞑り、僕にされるがままだ。
「ソラ君。今日から命令権は私から晶君に移る。晶君の指示を今度から聞いてく
れ」
「んぅ、……了解」
頭を拭かれながら答えるソラ。
……。
「あの、命令権の受け渡しってこれで終わり?」
「ああ。何を期待したのだね?」
何を期待していたわけでも無いのだが……拍子抜けしたのは確かだった。
「正原の言うことには……従わなくていいの?」
ソラは正原に対して、最終確認のようにそう聞いていた。
「"命令"として君に指示を出すことは今後ない。頼みごとはするかもしれんがな」
「解った」
ソラの返事が"了解"から"解った"に変わっているのを聞いて、命令権という有る
かどうかも解らない、しかし頑丈な鎖に、ソラが縛られていることが見て取れる
ようだった。
「平井晶殿。ただ今より、前命令権所持者、正原秀一の命令を、あなたの命令で
上書きします。待機時の主行動を指示してください」
「っ!?な、なんだっ!?」
いきなりソラの口調が変わり、更に冗舌になったことに驚いた。
そしてその口調は何だか機械的で、人と話していることを忘れさせるような不気
味なものだった。
「……待機時の主行動を指示してください」
さっきと同じ機械のような口調で指示を仰ぐソラ。
……さっきはソラの口調と冗舌さに驚いて何を言っていたのか覚えていない。
ソラに聞くこともできたが、あの口調で話されるのがいやになった僕は、正原を
見た。
「簡単な初期設定のような物だ、難しく考える必要は無い。その口調で話される
のが嫌ならそれを命令すればいい」
「じゃあ……とりあえず敬語はやめてくれ」
「……了解」
僕が言った事を反芻するような間があったあと、ソラは返事をしてくれた。
あとは僕を護衛する時の縛りを緩和すればいいだろう。
その他を命令する気はない。
「僕を守ってくれる時のことだけど、絶対に危ないことはしないでくれ」
「……状況によるけど、了解」
先程と同じ、反芻するような間があったあと、ソラは返事をする。
……敬語はやめさせたけど、やっぱり落ち着かないな。
「その『了解』ってのもやめてくれない?」
ソラはすぐに了解と言いかけて、困ったように口をつぐむ。
「……どう答えればいい?」
めいいっぱい考えたあと申し訳なさそうに聞いてくる。
命令権があるというだけで、ソラの態度は変わってしまった。
その態度を命令をつかって無くしてしまうのは簡単だ、うまくいけば元に戻るか
もしれない、だがそんなことはしたくなかった。
それに、命令で無理矢理やってしまえば、それはソラ自身がやっているのではな
く、僕のエゴの上に成り立っている『ソラ』という人物を演じているに過ぎない
。
そうなってしまってはソラが『本物』なのか『偽物』なのか判らなくなる。
だから僕は
「好きな様に返していいよ」
そう自然といっていた。
「……」
ソラの綺麗な瞳が僕をじっと見つめてくる。
やがて視線を下に外したソラは少し俯き、小さな声で
「わかった……」
そういった。
紀章達のサプライズで始まった土曜の夜。
魔術書を学園からどうやってか回収してきた正原は、僕に魔術について、真剣に
レクチャーしてきた。
昨日「面倒だ」とか言っていたのが嘘のようだ。
「魔術というのは端的に言えば、この世界の変数を書き替える行為の事を言う」
正原が言うには、この世界には決まりごと、所謂、自然の摂理と言うものがある。
この自然の摂理は通常ねじ曲げることはできない。
これを証明しつつ、さらに研究し利用しているのが物理学などの科学だという。
魔術はその根底にある、科学上証明された定数を変数にかえて操作する。
……つまり、例えば炎を出そうとする。
この場合科学的に炎を出そうとすれば、可燃物、酸素、火源等がなければなら
ない。
しかし、魔術の場合、炎がそこに無いという変数を書き替え、炎がそこに有ると
いうことにするだけで火が点くのだ。
この時、世界からは反発を受ける。
"有り得ない事"の修正をこの世界はしようとするのだ。
魔力は炎を出すことよりも、この反発を押さえ込む方に大量に費やすことになる。
当然魔術の規模が大きくなればなるほど、時間毎に費やす魔力量は増す。
これを少しでも軽減したり、魔術の発動自体を簡略化するのが、呪文式や儀式、
魔術媒体や宝具と言った類のものだ。
イメージだけで行う魔術もあるらしいが、よっぽどそのイメージがしっかりでき
ているか、単純に魔力量が桁外れにでかくなければならないらしい。
……と、正原が言っていたのは大まかに言えばこんなところだ。
「そして、魔術の性質上、同じ効果のものでも人によっては世界に対する干渉の
仕方や、考え方によって魔術の行使の仕様に違いが生まれ、同じ魔術だとは言え
なくなる。このために完成した魔術は、その個人独特、固有のものになり、呪文
等を真似ただけでは考え方が違うために、同じ魔術が使えないと言った事になる
のだ」
正原の場合は、あの影の様なものが正原の魔術なのだろう。
呪文の様なものも言っていた気はするが、意味までは解らない。
「だがな晶君。君の能力を使えば相手の魔術をそっくりそのまま真似るなどわけ
ないのだよ。だから君は君を邪魔に思うものや、利用しようとする者から狙われ
る」
どうやらそう言うことらしい。
魔術士にとっては、最悪の天敵か、最高の兵器。
数奇な運命だな、等と他人事のように思うのだった。
「その能力について聞きたいことがあるんだけど」
僕は昨日スーパーでソラに素手で口を塞がれた事。
それにも関わらず、経験の複写が行われていない事を話した。
「……関係があるか解らんが、ひとつだけ君に言ってないことがある」
正原は話ながら、難しい顔をしている。
「なに、深刻な話?」
ストレートにそう聞いてみた。
すると正原は、
「君次第だな」
等と含み全開で答える。
この話し方がどうも僕は嫌いらしい。
正原のことを、この話し方をしているがためにいまいち信用できない。
正原はちらっと、視線を外す。
その先にあるのは風呂場だ。
今は『私が魔術の指南をする間、風呂にでも入っているといい』といった正原の
指示どおり、ソラが入っている。
「ソラ君は人間ではない」
「……」
はい?
「君は動物相手だと能力を発揮しないはずだ。ソラ君が人間ではない事が関係し
てるのかもしれん」
「いや、ちょっとマテ」
またなんかとんでもない新事実が出たな。
眉間に指をあて、ゆっくり考える。
ソラが人間ではない?
「じゃあソラは何者?」
「人造人間が一番近いだろうな」
空かさず答える正原。
「いや、なら人間なんだろ?」
人造だろうがなんだろうが人間に代わり無いのでは?
「経験の複写が行われていない理由として上げたまでだ。ソラ君に人権が有るか
どうかは別の日に論議しようではないか」
え、今のそう言う話だったのか?
……混乱してるな。
かなり的外れなことを言った気がする。
「或いは……ソラ君には、さまざまな魔術的な特殊能力がある。それが関係して
るのかもしれんが……一部しか把握してないのでな、一概には言えん」
正原に言われたことを改めて考える。
ソラは確かに、なんというか、変わった子だと思う。
でも普通の……いや、魔術を知ってる時点で普通ではないのか?
でもまぁ、見た目は普通の女の子だろう。
たとえ人造人間だろうがなんだろうが、それで僕の接し方は変わらないし、変え
る気もない。
「あの命令がどうとか言ってたのも、それに関係があるのか……?」
「おお!忘れていた。そのことについても話がある」ふと出た独り言とも質問と
もとれる僕の言葉に、正原は何かを思い出したらしい。
ナハハと笑いつつ話にはいる。
「ソラ君には命令権という概念があってな。ソラ君はこの命令権を持った者の命
令にはほぼ服従なのだ」
「……あ、あぁ。そうなの」
驚きではあるし、ソラの人権はどうなっているのかとか、聞きたいことは山ほど
あるが、とりあえず相槌を打っておいた。
「でだな、この命令権を今は私が持っているのだが、これを君に渡そうと思う」
「……僕に?」
なぜそうなる。
「君の護衛を効率的に行うためだ。君から指示を出せるようにしなければ、臨機
応変に対応できない。ソラ君は優秀だ、ある程度は対応してくれるとは思うが、
それは命令の範囲内が絶対条件になる。すぐに限界がくるだろう」
それにな、とさっき以上に真剣な顔になる正原。
「逆に言えば、ソラ君は命令の範囲内ならばどんな無茶でも平気でする。それを
止めるためにも、君に命令権を持っていてもらいたいのだ」
どうだね、と正原は表情で聞いてくる。
「拒否権が無いだろそれ。ソラの人権とか、アンタの責任逃れじゃないかとか…
…その辺はあとで聞かせてくれるんだろうな?」
あんなの聞かされたら拒否できない。
……それはなぜ?
人間じゃ無いというソラが可哀相だから?
さっき接し方を変える気はないって言ったじゃないか……。
じゃあただのお人好し?
そうなのかもしれない……。
頭にふと、昨日の映像が浮かぶ。
オセーに吹っ飛ばされ、ぐったりとするソラの姿。
どす黒いなにかがお腹の辺りでぐるぐると回り、吐き気がするくらい胸が痛くな
った。
たぶん理由はこれなのだろう。
この姿を二度と見たくない、それが理由。
僕は守られる立場なのに、命令を操作してソラを守らなければと考えている。
矛盾だらけだ。
果たして矛と盾はどちらがどちらなのか……。
「君が気にしているソラ君の人権だがな。この命令権を作った作者の意図か、或
いは配慮かはわからんが、命令できることに少し制約がある」
正原は指で三を示し、話を続ける。
「解っているだけで三つある。一つは自殺はさせられない」
指を一にしてさらに説明を続ける。
「二つ目は物理的に不可能なことには『実行不能』等といってくる。そして三つ
目が……」
と、そこで何故かニヤリと笑う正原。
「Hなことはソラ君の意志でしか行えない。具体的にはキスすらだめだった」
「……」
なんというか、力が抜けた。
確かに必要な配慮がなされてはいるようだが。
とそこで、今朝のことを思い出した。
「まさか、今朝言ってた実験って……」
「ソラ君がどこまで命令を聞くか試した。具体的には『可能な範囲で唇を近付け
ろ』と指示した」
「……オイ」
頭痛がしてきた。
「……」
気が付くと、ソラが風呂からあがって僕らの横につっ立っていた。
魔術の説明が終わったからでてきたのだろう。
本当に指示どおりにしか動かないんだな。
いや、動けないのか。
そんなことを考えていた僕の目についたのは、ソラの服装だった。
今日買って来たであろう胸の辺りに『やればできる!!』とプリントされた白い
大きめのシャツに、短パン姿だった。
……女性陣のチョイスではないなこれ。
おそらく紀章のチョイスだ。
シルクのような白い髪の毛も水に濡れていてとても色っぽく……。
「ソラ、髪の毛拭いたのか?」
濡れていると言うかびちょびちょだった。
ぼたぼたと水滴が新品の服におちて肩の部分が若干透けている。
ソラはと言えば僕の目をじっと見つめてくるだけで、手にタオルは持って無い。
『意味が解らない』と言いたげに、頭を傾げるとさらに水滴が落ちる。
「うわっ!ちょっとじっとしてろ」
慌てて風呂場に行き、バスタオルを引っ掴んで帰ってきた。
それをソラの頭にかぶせ、わしゃわしゃと頭を拭く。
「頭は拭いてから出てこいよ。新品の服がだいなしだろ」
ソラは親に頭を拭かれる子供のようにかたく目を瞑り、僕にされるがままだ。
「ソラ君。今日から命令権は私から晶君に移る。晶君の指示を今度から聞いてく
れ」
「んぅ、……了解」
頭を拭かれながら答えるソラ。
……。
「あの、命令権の受け渡しってこれで終わり?」
「ああ。何を期待したのだね?」
何を期待していたわけでも無いのだが……拍子抜けしたのは確かだった。
「正原の言うことには……従わなくていいの?」
ソラは正原に対して、最終確認のようにそう聞いていた。
「"命令"として君に指示を出すことは今後ない。頼みごとはするかもしれんがな」
「解った」
ソラの返事が"了解"から"解った"に変わっているのを聞いて、命令権という有る
かどうかも解らない、しかし頑丈な鎖に、ソラが縛られていることが見て取れる
ようだった。
「平井晶殿。ただ今より、前命令権所持者、正原秀一の命令を、あなたの命令で
上書きします。待機時の主行動を指示してください」
「っ!?な、なんだっ!?」
いきなりソラの口調が変わり、更に冗舌になったことに驚いた。
そしてその口調は何だか機械的で、人と話していることを忘れさせるような不気
味なものだった。
「……待機時の主行動を指示してください」
さっきと同じ機械のような口調で指示を仰ぐソラ。
……さっきはソラの口調と冗舌さに驚いて何を言っていたのか覚えていない。
ソラに聞くこともできたが、あの口調で話されるのがいやになった僕は、正原を
見た。
「簡単な初期設定のような物だ、難しく考える必要は無い。その口調で話される
のが嫌ならそれを命令すればいい」
「じゃあ……とりあえず敬語はやめてくれ」
「……了解」
僕が言った事を反芻するような間があったあと、ソラは返事をしてくれた。
あとは僕を護衛する時の縛りを緩和すればいいだろう。
その他を命令する気はない。
「僕を守ってくれる時のことだけど、絶対に危ないことはしないでくれ」
「……状況によるけど、了解」
先程と同じ、反芻するような間があったあと、ソラは返事をする。
……敬語はやめさせたけど、やっぱり落ち着かないな。
「その『了解』ってのもやめてくれない?」
ソラはすぐに了解と言いかけて、困ったように口をつぐむ。
「……どう答えればいい?」
めいいっぱい考えたあと申し訳なさそうに聞いてくる。
命令権があるというだけで、ソラの態度は変わってしまった。
その態度を命令をつかって無くしてしまうのは簡単だ、うまくいけば元に戻るか
もしれない、だがそんなことはしたくなかった。
それに、命令で無理矢理やってしまえば、それはソラ自身がやっているのではな
く、僕のエゴの上に成り立っている『ソラ』という人物を演じているに過ぎない
。
そうなってしまってはソラが『本物』なのか『偽物』なのか判らなくなる。
だから僕は
「好きな様に返していいよ」
そう自然といっていた。
「……」
ソラの綺麗な瞳が僕をじっと見つめてくる。
やがて視線を下に外したソラは少し俯き、小さな声で
「わかった……」
そういった。
第十八章
正原が晶に魔術のレクチャーをしている頃。
夜の街に黒いローブをきた男がいた。
ターナーだ。
全身黒服に仮面だけが白という姿は、頭蓋骨がそこに浮いている様で気味が悪い。
すれ違う人は訝しげにターナーに視線を送ったり、中には本気でびっくりしてい
る人もいた。
ターナーはそんなものは気にせず目的地をめざす。
ターナーは認識阻害が使えないわけではない。
使えばこの街にいる魔術師に感付かれる可能性があるためにあえて使っていない。
それは正原であったり、あるいは正原と行動しているという連中であったり、柳
やバランであったり。
ターナーはできるだけ他の魔術士に自分の行動を気付かれたくはなかったのだ。
「……ここらへんか」
商店街の路地の前で足を止める。
ここにある細工を施すためだ。
ローブのポケットから、大小幾つもの円と少しの文字らしきものが描かれた、正
方形のカードを取り出す。
それを無造作に三枚、路地に放り込んだ。
路地に放り込まれたカードは別々に路地の両側の壁とコンクリートの地面に張り
つき、青い光を出して燃えだす。
わずか数秒でカードは燃え尽き、カードが張りついていた場所には、カードに描
かれていた模様が焦げ付いて残った。
……。
「精がでますねぇ、ゼパール……」
《ゼパール》とは、俺のソロモンとしての名だ。
《悪夢のゼパール》……それが俺の二つ名。
「アモンか」
話し掛けてきたのはソロモンのなかでいちにを争う策士、アモン。
だが、俺は特別驚くこともなく返事を返す。
「指揮者は舞台に上がらないんじゃ無かったのか? 物語の登場人物には俺も含ま
れるんだろう?」
「あなたはまだ舞台には上がっていない。今も舞台裏で黙々と舞台の準備をして
いるではありませんか」
アモンは笑う……笑ったと思う。
風船の頭がカクカクと揺れていた。
あれは笑ったんだろう。
「じゃあ、あんたは出演者への演技指導にでもきたのか?」
「まったくその通りです。仕込みは念入りにやらなければ成りませんからね」
そうは言っているが、恐らくこいつは今回"仕込み"を俺にもやらせるつもりだろ
う。
本来なら仕込まれた事にも気付かないのが、こいつの"仕込み"だからな。
「で? 何をすればいいんだ。先に言っておくが、この前みたいに人がパタパタ死
ぬのは勘弁してくれよ」
準備期間は長い方がいい。
もしここでこいつが多数の人を殺す仕込みをするなら、それを少しでも減らす仕
込みをこっちが自主的にやるつもりだ。
アモンの場合、俺のその行動まで計算していたとしても不思議ではないことが恐
ろしいが。
「虐殺物はもうやりませんよ……。さすがにあれは無理矢理過ぎました、美しく
ない。やはり人の愛や友情こそ、万人の心に訴え掛けるエッセンスとして相応し
い」
アモンは目線を少し上にあげ、恍惚とした表情を……したと思う。
相変わらず表情が文字通り変わらない。
俺がアモンに会ったのは一年前だ。
その時の依頼はただ、『ある作戦の為、隠匿の手伝いをしてほしい』と言うもの
だった。
だが、そこにあったのは、アモン脚本演出の残酷で無慈悲な殺人劇だった。
……これでは語弊があるな。
なにもアモンは殺人ショーをやりたかったわけではない。
一言で言うなら、『ああするしかなかった』これにつきる。
誰一人殺さない解決策も、現状を一変させる打開策も、逃げ道すらも無かった。
俺もアモンも、誰一人殺すつもりなどなかった。
結果、人の命の数やら、経済的な損失やら、"世界"の思惑やら様々なものを乗せ
、腕が折れそうになっている天秤をみたアモンは、より軽いほうの腕を切りとし
た。
それでも、天秤の切り落とされた片腕に乗っていたものは、とてつもない重さだ
ったが……。
「私の駒にアラガンと言う者がいます」
アモンは淡々と台本を読むかのように、俺に指示を出す。
「彼を他の人々に気付かれないように、平井晶という人物に会わせていただきた
いのです。もちろん他の魔術士達にも気付かれないようお願いします」
「そのアラガンとかいうやつは魔獣かなにかか?」
バランのような獣人等でないかぎりは、町中を歩くくらいで騒ぎになったりはし
ない。
隠してほしいとわざわざ頼むとなると、獣人か魔獣、またはそれに準ずる人以外
の外見をした何か……ということになる。
魔獣ならやっかいだ。
意志疎通が著しく困難なうえ、だれそれ構わず襲う可能性がある。
ある程度上位の魔獣なら意志疎通ぐらいできるらしいが。
プライドが高いため、こちらの話を聞いてくれるかはまた別だ。
「アラガンは人ですよ。ただ外見が普通のそれでありながら異常とでも言いまし
ょうか、少しばかり特殊です」
会ってみないことには分かりそうもないなこれは。
早々に話を切り上げ"仕込み"の作業に戻りながら言う。
「……知ってると思うが、この作業が終わってからでないとできないからな。実
行できるのは、明日の昼か明後日の朝だな」
奇異の視線が痛い商店街を歩きながら、アモンに先程のカードを渡す。
手伝えという意思表示のつもりだ。
奇異の視線については、先程のカードに描いてあった魔術印で認識誤印を使って
いるので、しばらくすれば忘れるだろう。
仮面と黒いローブの不審者とか、頭が風船の奇人とかな。
「なら、明日の昼でお願いします」
言いながら受け取るアモン。
「これは何処に置けばよろしいので?」
「北の方に適当に撒いてくれ」
本当なら自分の足で行って適切な場所に置いたほうが効率がいいが、急ぎなら仕
方ない。
効果に差はないからな。
カードをいつもより多く使わなければいけないが……。
このカード……作るのが少々面倒なので、また大量に作るとなるとそれが憂欝で
はある。
「では明日、お願いします……」
そう言ってきびすを返すアモン。
「アモン」
それを俺は呼び止めた。
アモンはゆっくりと体をこちらに向ける。
風船の頭は体に付いてくる形で、体より遅くこちらを向く。
「俺はまだ、舞台にあがってはいないんだな」
「ええ」
これは確認。
アモンがどのような手札を切っているかの確認。
俺がどのようなカードとしてあるのかを……確認する。
「あなたはまだ舞台にあがってはいけません。裏方が私だけになってしまいます
からね……」
「……そうか」
"まだ"ということは、いつか上がらなければならないということ。
前回の後始末とは違う役が、俺に振られているということ。
「わかった」
俺が了解すると、アモンは俺に背中を向ける……が、すぐに振り返った。
「どうした?」
「いえ、少しお聞きしたいことがあるのを忘れていました」
『こっちの構成員でも聞きたいのか?』と思っていた俺は、次のアモンの言葉に
唖然とする。
「この近辺に『こすぷれしょっぷ』はありませんか?」
「……知らん」
「オマエがこんなに強引に人を呼ぶトは思ってなかったぞ、ヤナギ」
電話越しに話しているような声でそう話すのは、一見分からないが両手足が機械
で覆われた特異な人物だった。
「ああ、急ですまない」
柳が別途ビルに呼んだ一人は、アヤサムという人物だ。
ソロモンでの名は《ブァプラ》ソロモンのなかで宝具の保管、修繕、改良を一手
に担う宝具のスペシャリストだ。
「ワシも呼ばれたってことは、戦闘力の強化が目的か?」
アヤサムと一緒にきていた、つなぎと呼ばれる作業着を着た垰鬼-タオキ-が年寄
りのような喋り方で会話に加わる。
熱いのか、つなぎの上の方だけを脱ぎ、袖を腰の辺りで括っている。
垰鬼もソロモンのなかの一人で今回、彼が言うように二人とも戦闘力の強化とし
て呼んだ。
《プルソン》が彼のソロモンでの名。
見た目は柳と同年代か少し下だが、その実、かれこれ八十年は生きているらし
い。
彼はターナーやアヤサムとは違い、純粋な戦闘要員だ。
「戦闘で思い出しタ。これをターナーに渡してオいてくレ」
そういってアヤサムは柳に一組の指輪を渡す。
銀でできたリングに、炎のように赤い鮮やかなルビーがはまっている。
「ターナーに修繕を頼まれて預かっていた物ダ。修繕ついでに機能強化モ行って
あル」
「いや、俺も手が空かないだろうから、自分で渡せるときに渡してくれない
か」
と、渡された指輪二つをアヤサムに返す。
アヤサムは『ムウ』と少し不満そうだ。
「それで? 現状はどういう状況なんだ」
垰鬼がつなぎの結び目を結び直しながら、確認する。
「蛮楽の指揮者が現われてイザックをさらっていった。バックに戦闘部隊がいる
可能性と、今の構成員では狭い場所に極端に弱いことが呼んだ理由だ」
と、そこで何やら気怠げな雰囲気が流れた。
「またカ。今月何回目だ?」
「今月はまだ二日しかたっとらんよ。今年に入ってからは記念すべき十回目だな
。このペースでいけば記録更新もありうる……」
はぁ、とあからさまに溜め息を吐く二人。
実はイザックは機密情報を扱うと言う立場上、さらわれたりすることが多い。
垰鬼が言うように今年に入ってから今回で十回目。
ちなみに最高記録は年間十五回だ。
そんな経緯もあり、周りの状況が細かく分かる柳が一緒にいることが多かった。
当然それなりの友情の類の感情もある。
「あいつも自己自衛ヲ学ぶ時ではないカ?」
「そうだな。訓練として放っておくのもたまには良いかもな」
「いや……それはさらわれる前にやっとくものだろ」
分かってはいたことだが、全然乗り気ではない。
まぁ、その気持ちが解らない訳ではないのだが……。
「で、ワシらはこれからどうすれば良いんだリーダー?」
「いや、今は待機していてくれ。連絡がすぐに付くようにしてくれれば、外出し
てくれても構わない」
その柳の言葉に対し、アヤサムが疑問を抱く。
「連絡なラ、オマエの魔術ヲ使えば何処に居よウが関係ないのではナいのか?」
「あれはこっちから連絡できるようにはなってないんだ。でき無くも無いけど相
手の脳に負担がかかる」
それに、なるべく仲間には使いたくないと言うのが柳の本音だった。
「そんじゃまぁ、ワシはその辺をぶらぶらしとるよ」
「……ターナーを探しニ行く。何処に居るかシら無いか?」
柳は《ソナー》を作動させるが、ターナーの反応はなかった。
だが、微かにターナーの魔力(柳は音として感じる)が感じられる。
「近くには居ないみたいだ。商店街の方から微かに聞こえるから商店街に行って
みたら?」
「そうカ。ではそうさせてもラう」
舞台の準備は、意識的にも無意識的にも、着々と進む……。
正原が晶に魔術のレクチャーをしている頃。
夜の街に黒いローブをきた男がいた。
ターナーだ。
全身黒服に仮面だけが白という姿は、頭蓋骨がそこに浮いている様で気味が悪い。
すれ違う人は訝しげにターナーに視線を送ったり、中には本気でびっくりしてい
る人もいた。
ターナーはそんなものは気にせず目的地をめざす。
ターナーは認識阻害が使えないわけではない。
使えばこの街にいる魔術師に感付かれる可能性があるためにあえて使っていない。
それは正原であったり、あるいは正原と行動しているという連中であったり、柳
やバランであったり。
ターナーはできるだけ他の魔術士に自分の行動を気付かれたくはなかったのだ。
「……ここらへんか」
商店街の路地の前で足を止める。
ここにある細工を施すためだ。
ローブのポケットから、大小幾つもの円と少しの文字らしきものが描かれた、正
方形のカードを取り出す。
それを無造作に三枚、路地に放り込んだ。
路地に放り込まれたカードは別々に路地の両側の壁とコンクリートの地面に張り
つき、青い光を出して燃えだす。
わずか数秒でカードは燃え尽き、カードが張りついていた場所には、カードに描
かれていた模様が焦げ付いて残った。
……。
「精がでますねぇ、ゼパール……」
《ゼパール》とは、俺のソロモンとしての名だ。
《悪夢のゼパール》……それが俺の二つ名。
「アモンか」
話し掛けてきたのはソロモンのなかでいちにを争う策士、アモン。
だが、俺は特別驚くこともなく返事を返す。
「指揮者は舞台に上がらないんじゃ無かったのか? 物語の登場人物には俺も含ま
れるんだろう?」
「あなたはまだ舞台には上がっていない。今も舞台裏で黙々と舞台の準備をして
いるではありませんか」
アモンは笑う……笑ったと思う。
風船の頭がカクカクと揺れていた。
あれは笑ったんだろう。
「じゃあ、あんたは出演者への演技指導にでもきたのか?」
「まったくその通りです。仕込みは念入りにやらなければ成りませんからね」
そうは言っているが、恐らくこいつは今回"仕込み"を俺にもやらせるつもりだろ
う。
本来なら仕込まれた事にも気付かないのが、こいつの"仕込み"だからな。
「で? 何をすればいいんだ。先に言っておくが、この前みたいに人がパタパタ死
ぬのは勘弁してくれよ」
準備期間は長い方がいい。
もしここでこいつが多数の人を殺す仕込みをするなら、それを少しでも減らす仕
込みをこっちが自主的にやるつもりだ。
アモンの場合、俺のその行動まで計算していたとしても不思議ではないことが恐
ろしいが。
「虐殺物はもうやりませんよ……。さすがにあれは無理矢理過ぎました、美しく
ない。やはり人の愛や友情こそ、万人の心に訴え掛けるエッセンスとして相応し
い」
アモンは目線を少し上にあげ、恍惚とした表情を……したと思う。
相変わらず表情が文字通り変わらない。
俺がアモンに会ったのは一年前だ。
その時の依頼はただ、『ある作戦の為、隠匿の手伝いをしてほしい』と言うもの
だった。
だが、そこにあったのは、アモン脚本演出の残酷で無慈悲な殺人劇だった。
……これでは語弊があるな。
なにもアモンは殺人ショーをやりたかったわけではない。
一言で言うなら、『ああするしかなかった』これにつきる。
誰一人殺さない解決策も、現状を一変させる打開策も、逃げ道すらも無かった。
俺もアモンも、誰一人殺すつもりなどなかった。
結果、人の命の数やら、経済的な損失やら、"世界"の思惑やら様々なものを乗せ
、腕が折れそうになっている天秤をみたアモンは、より軽いほうの腕を切りとし
た。
それでも、天秤の切り落とされた片腕に乗っていたものは、とてつもない重さだ
ったが……。
「私の駒にアラガンと言う者がいます」
アモンは淡々と台本を読むかのように、俺に指示を出す。
「彼を他の人々に気付かれないように、平井晶という人物に会わせていただきた
いのです。もちろん他の魔術士達にも気付かれないようお願いします」
「そのアラガンとかいうやつは魔獣かなにかか?」
バランのような獣人等でないかぎりは、町中を歩くくらいで騒ぎになったりはし
ない。
隠してほしいとわざわざ頼むとなると、獣人か魔獣、またはそれに準ずる人以外
の外見をした何か……ということになる。
魔獣ならやっかいだ。
意志疎通が著しく困難なうえ、だれそれ構わず襲う可能性がある。
ある程度上位の魔獣なら意志疎通ぐらいできるらしいが。
プライドが高いため、こちらの話を聞いてくれるかはまた別だ。
「アラガンは人ですよ。ただ外見が普通のそれでありながら異常とでも言いまし
ょうか、少しばかり特殊です」
会ってみないことには分かりそうもないなこれは。
早々に話を切り上げ"仕込み"の作業に戻りながら言う。
「……知ってると思うが、この作業が終わってからでないとできないからな。実
行できるのは、明日の昼か明後日の朝だな」
奇異の視線が痛い商店街を歩きながら、アモンに先程のカードを渡す。
手伝えという意思表示のつもりだ。
奇異の視線については、先程のカードに描いてあった魔術印で認識誤印を使って
いるので、しばらくすれば忘れるだろう。
仮面と黒いローブの不審者とか、頭が風船の奇人とかな。
「なら、明日の昼でお願いします」
言いながら受け取るアモン。
「これは何処に置けばよろしいので?」
「北の方に適当に撒いてくれ」
本当なら自分の足で行って適切な場所に置いたほうが効率がいいが、急ぎなら仕
方ない。
効果に差はないからな。
カードをいつもより多く使わなければいけないが……。
このカード……作るのが少々面倒なので、また大量に作るとなるとそれが憂欝で
はある。
「では明日、お願いします……」
そう言ってきびすを返すアモン。
「アモン」
それを俺は呼び止めた。
アモンはゆっくりと体をこちらに向ける。
風船の頭は体に付いてくる形で、体より遅くこちらを向く。
「俺はまだ、舞台にあがってはいないんだな」
「ええ」
これは確認。
アモンがどのような手札を切っているかの確認。
俺がどのようなカードとしてあるのかを……確認する。
「あなたはまだ舞台にあがってはいけません。裏方が私だけになってしまいます
からね……」
「……そうか」
"まだ"ということは、いつか上がらなければならないということ。
前回の後始末とは違う役が、俺に振られているということ。
「わかった」
俺が了解すると、アモンは俺に背中を向ける……が、すぐに振り返った。
「どうした?」
「いえ、少しお聞きしたいことがあるのを忘れていました」
『こっちの構成員でも聞きたいのか?』と思っていた俺は、次のアモンの言葉に
唖然とする。
「この近辺に『こすぷれしょっぷ』はありませんか?」
「……知らん」
「オマエがこんなに強引に人を呼ぶトは思ってなかったぞ、ヤナギ」
電話越しに話しているような声でそう話すのは、一見分からないが両手足が機械
で覆われた特異な人物だった。
「ああ、急ですまない」
柳が別途ビルに呼んだ一人は、アヤサムという人物だ。
ソロモンでの名は《ブァプラ》ソロモンのなかで宝具の保管、修繕、改良を一手
に担う宝具のスペシャリストだ。
「ワシも呼ばれたってことは、戦闘力の強化が目的か?」
アヤサムと一緒にきていた、つなぎと呼ばれる作業着を着た垰鬼-タオキ-が年寄
りのような喋り方で会話に加わる。
熱いのか、つなぎの上の方だけを脱ぎ、袖を腰の辺りで括っている。
垰鬼もソロモンのなかの一人で今回、彼が言うように二人とも戦闘力の強化とし
て呼んだ。
《プルソン》が彼のソロモンでの名。
見た目は柳と同年代か少し下だが、その実、かれこれ八十年は生きているらし
い。
彼はターナーやアヤサムとは違い、純粋な戦闘要員だ。
「戦闘で思い出しタ。これをターナーに渡してオいてくレ」
そういってアヤサムは柳に一組の指輪を渡す。
銀でできたリングに、炎のように赤い鮮やかなルビーがはまっている。
「ターナーに修繕を頼まれて預かっていた物ダ。修繕ついでに機能強化モ行って
あル」
「いや、俺も手が空かないだろうから、自分で渡せるときに渡してくれない
か」
と、渡された指輪二つをアヤサムに返す。
アヤサムは『ムウ』と少し不満そうだ。
「それで? 現状はどういう状況なんだ」
垰鬼がつなぎの結び目を結び直しながら、確認する。
「蛮楽の指揮者が現われてイザックをさらっていった。バックに戦闘部隊がいる
可能性と、今の構成員では狭い場所に極端に弱いことが呼んだ理由だ」
と、そこで何やら気怠げな雰囲気が流れた。
「またカ。今月何回目だ?」
「今月はまだ二日しかたっとらんよ。今年に入ってからは記念すべき十回目だな
。このペースでいけば記録更新もありうる……」
はぁ、とあからさまに溜め息を吐く二人。
実はイザックは機密情報を扱うと言う立場上、さらわれたりすることが多い。
垰鬼が言うように今年に入ってから今回で十回目。
ちなみに最高記録は年間十五回だ。
そんな経緯もあり、周りの状況が細かく分かる柳が一緒にいることが多かった。
当然それなりの友情の類の感情もある。
「あいつも自己自衛ヲ学ぶ時ではないカ?」
「そうだな。訓練として放っておくのもたまには良いかもな」
「いや……それはさらわれる前にやっとくものだろ」
分かってはいたことだが、全然乗り気ではない。
まぁ、その気持ちが解らない訳ではないのだが……。
「で、ワシらはこれからどうすれば良いんだリーダー?」
「いや、今は待機していてくれ。連絡がすぐに付くようにしてくれれば、外出し
てくれても構わない」
その柳の言葉に対し、アヤサムが疑問を抱く。
「連絡なラ、オマエの魔術ヲ使えば何処に居よウが関係ないのではナいのか?」
「あれはこっちから連絡できるようにはなってないんだ。でき無くも無いけど相
手の脳に負担がかかる」
それに、なるべく仲間には使いたくないと言うのが柳の本音だった。
「そんじゃまぁ、ワシはその辺をぶらぶらしとるよ」
「……ターナーを探しニ行く。何処に居るかシら無いか?」
柳は《ソナー》を作動させるが、ターナーの反応はなかった。
だが、微かにターナーの魔力(柳は音として感じる)が感じられる。
「近くには居ないみたいだ。商店街の方から微かに聞こえるから商店街に行って
みたら?」
「そうカ。ではそうさせてもラう」
舞台の準備は、意識的にも無意識的にも、着々と進む……。
第十九章
「……よし」
制服を着て鏡の前に立っていた僕は、そう声を漏らした。
ネクタイは曲がっていない、手袋もした、忘れ物はないだろう。
今日は朝から、なぜか正原とソラが居なくなっていた。
記憶が無くなってからというもの、バタバタしていたので今日は打って変わって
静かな朝だ。
「どこ行ったんだろ」
昨日の夜は、正原から魔術のレクチャーを受けた以外は何も聞いていない。
携帯を見ると学校のチャイムが鳴るまで、あと十分ちょっとだ。
「行くか」
学問という重みを手に引っ提げ、部屋を出た。
……。
「おはよう、晶」
部屋を出たら美奈が居た。
「おはよう……何でいるの?」
僕の声を聞いた瞬間、美奈の眉間に皺が寄った。
恐っ!!
「あんたねぇ、それが迎えにきてあげた私に言う台詞?」
そうか、迎えにきてくれたのか……ん?
「なんで……ごめんなさい構えないで!?」
もう脛を蹴られるのは勘弁だ。
……いつの話だ、それ?
「恵理ちゃんに頼まれたの。『お兄ちゃん危なっかしいから見ててください』ってね。いい妹よねぇ、あんたには勿体ないぐらい……聞いてんの?」
「あ、ああ。うん、ありがとう」
記憶が戻りかけてるのだろうか?
でも"忘れてる"と"消える"は別だろうし……僕の場合、正原の話では後者だ。
「……なんか考え事してるわね?」
「え?」
ズバリと指摘されて驚いた。
「晶って考え事をするときに、開いてる方の手の指を擦る癖があるのよ。気付いてなかった?」
そういいながら、美奈は左手の人差し指と親指を擦ってみせる。
言われて手を見るが、手袋をした指はすべて離れ、接触すらしていない。
「本当に? 全然分からないんだけど」
美奈はふぅと息をはき、
「本当。さ、学校行くわよ」
そう言って歩きだした。
危なげなく教室に着くと、いつもとは雰囲気が違った。
何がどう、と聞かれると説明しづらいが……浮き足立ってるといった感じだろうか?
「よぉ、お早ようさん」
席に着くと紀章が話し掛けてきた。
「お早よう」
無難に返事を返しておく。
「聞いたか? 今日、転校生が来るらしいぜ」
「……こんな時期に?」
「ああ、しかもうちのクラスらしい」
なるほど、それでこの雰囲気か。
妙に納得がいく反面、もう冬に入ろうかというこの時期に転校してくることに疑問が……なんだか嫌な予感がする。
それも正原関連の……。
昨日何か言ってなかっただろうか?
脳細胞をフル動員させて思い出す。
昨日話したのは魔術の基本概念とソラの身の上や命令権について……。
ソラの命令権を僕に移す、朝から居ないソラと正原、季節外れの転校生。
「あはは……まさか」
……。
そのまさかだった。
「親御さんの都合で、今日からこの学校に通うことになった"凪野 天"さんだ」
"あだっちゃん"こと、担任の足立先生が制服を着たソラを教室の面々に紹介していた。
僕は悪い予感が当たったことにため息を吐き、紀章は『ヒュゥ』と口笛を、美奈
は難しい顔でポカーンとしていた。
「荻野 天です。よろしくお願いします」
昨日と同じく、きちっとした御辞儀をするソラ。
……休み時間になったら正原に電話しよう。
「平井!」
いきなり担任に名前を呼ばれ、少し焦った。
「荻野は平井の親戚だそうだな? 席は平井の隣にしとくぞ。荻野さんもそのほうがいいそうだ」
……先生、たぶんソラが僕の隣がいいって言ってるのは、護衛の為です。
当たり前だがそんなことは言えなかった。
一時間目の休み時間。
教室の隅で正原に電話を掛けた。
「どういう事だよ。何も聞いてないぞ?」
『言ってないからな』
……腹立つな。
『君を護衛するにはそれが一番自然だろう? 校舎に隠れて見張るわけにもいかんし。それに、護衛をしていると敵にアピールできれば、それだけで襲われにくくはなるからな』
正原の言ってることは理解できる、……でもなぁ。
「言ってくれても良かったじゃないか……て言うか親戚って、どういう設定だよ」
そう言いながらソラを見る。
ソラはクラスの何人かに質問を受けているようだ。
「荻野さんって引っ越してきたんだよね。どこから?」
「遠いところ……」
「荻野さんは一人っ子なの?」
「兄弟はいる……でもこっちには居ない」
「荻野さんってかわいいよな!?」
「そう……」
「結婚してくれ!」
「……」
なんか困ってる?
ちらちらこっち見てるし。
助けたほうがいいのかな。
「そういえば、荻野さんって今どこに住んでるの?」
「アキラの家」
質問攻めをしていたほぼ全ての人がこっちを向いた。
「……ごめん、一旦切るよ」
「ああ、続きは家でな」
……はぁ。
「え、どう言うこと!? 平井君って一人暮らしだよね?」
「うそっ、同棲!?(裏声)」
「「「何!?」」」
質問をしていなかった男子まで僕を見る。
「平井……お前、仏頂面がなくなって話しやすくなったと思ったら……天さんが原因か!?」
「いや、それは違う」
無関係ではないが。
クラスの面々は僕が記憶喪失になっていることを知らない。
ほとんど知り合いが居なかったので、面倒事になる前に足立先生に頼んで言わな
いでもらった。
「部屋に女の子が常にいるから、性格が柔らかくなったのね!(裏声)」
「そっかー、良いことだよねー」
女性陣から生暖かい視線を受ける。
中には数人、挑むような視線も交じっているが……なんだこの居心地の悪さ!?
「そういえばー、親戚って別に結婚しても問題ないよねー(裏声)」
「……さっきから何やってる」
女性の声真似をしていた紀章の襟首を捕まえる。
「だって、盛り上がりに欠けるじゃん?(裏声)」
「やめろ、気色悪い」
声だけ聞いてると全く違和感が無いって、どうなってるんだこいつ!?
「相変わらずすげぇなノリ。声優とかなれるんじゃね?」
と、クラスの男子が話し掛けてきた。
ノリは紀章のあだ名だ。
「いや、俺は"イトウ"に永久就職だから(裏声)」
「いや、それはもういいって……」
その男子がウンザリと言った顔をする。
「……ソラってあんたの家に住んでるの?」
美奈が話し始めた瞬間に場が凍り付き、話し声が止んだ……なぜ!?
紀章は美奈と僕の顔を交互に見て、……一歩下がった。
「そう、だけど……?」
なんだこの威圧感。
美奈の顔は別に恐くはない、真顔……か?
普通の表情だ。
昨日世間話をしていた時と変わらない、ごく普通の表情だ。
だからこの威圧感は、この場の雰囲気によるもの。
だが、ただ居心地が悪いというのとは少し違うような気がする。
何だか良くわからなくなってきた。
「あの、正原って人も一緒なの?」
「あ、ああ。そうだよ」
質問の意図が良くわからないが正直に答えておいた。
「ふーん」
「……」
なぜか冷や汗がダラリと頬を伝う。
何でこんなに緊張してるんだ?
「じゃ、同棲って訳じゃないわね。どう言えばいいのかしらこの場合……」
「……」
……ルームメイト……だろうか?
と、そこで二時間目のチャイムが鳴り響いた。
「おーい、授業はじめんぞー。……どうした、みんなして?」
社会の先生が入ってきて、訝しげな顔をする。
席に戻る際も皆は無言だった。
「ここまできても気付かないのも、数奇な運命だな」
紀章が小声でそんなことを言っていた。
……。
「やっと終わったか……」
結局、あの雰囲気のまま放課後を迎えてしまった。
物凄く疲れた……。
「アキラ!」
帰ろうと鞄を掴んだ矢先、美奈に呼ばれてビクリとする。
「帰るわよ」
「あ、ああ。はい」
なんとも情けないが、美奈が恐い。
何で恐いのか解らないのが余計恐い。
「ソラは? 一緒に帰るんでしょ?」
「ああ、そうか」
教室を見渡そう、と思ったら横に居た。
「うぉ!?」
「……帰る?」
「ええ、帰るわよ」
美奈とソラに連れられて教室を出た。
校庭までくると、美奈が口を開けた。
「まさかうちの学校に転校してくるとはね……何で昨日言わなかったのよ?」
言わなかったっていうか、知らなかったんだが。
「秀一はアキラに知らせていなかった。アキラに落ち度はない……」
そう言ったのはソラだった。
「……秀一って正原さんのことよねぇ。あんた達どういう関係なの?」
「いや、単なる友達だよ」
誤魔化すことにした。
と、そこで美奈の方を見て気が付いた。
今ちょうど、美奈がいる方角は、旧校舎が見えるのだが……。
「直ってる……」
柳さんとオセーの戦闘によって破壊された校舎が、きれいに直っていた。
「なにが、ダ?」
「いや、何でも――っ!?」
振り向いた場所に美奈とソラは居なかった。
代わりに腕と足が極端に長い、血色など判断が付かないほどの白い肌をした、男が立っていた。
「初めま、して。アラガンと言、ウ者だ」
アラガンと名乗ったそれは、英国の貴族がやるような礼儀正しい礼をする。
俺はその様子を、学校の屋上から眺めていた。
「おお、驚いてる驚いてる」
今、この学校は完全に俺の支配下に落ちている。
学校の敷地内の人間には強力な強制認識をかけて、校庭の真ん中にいるアラガンと平井晶が認識出来ないようにしてある。
さっきまで平井晶と一緒にいた二人には、一人で下校していたと思い込ませたので今頃は校門だ。
「しかし……案外あっさり落ちたな」
アモンに今回頼まれたのは、アラガンと平井晶の接触を出来るだけ他の者に気付かれずにやってほしいと言うものだった。
接触したあとは直ぐに撤退してくれとの事だったが、平井晶には正原秀一が付いているので、一悶着あると思っていたのだが……。
「……あなたは、なに?」
突然かけられた声に条件反射で飛び退いた。
そこに居たのは、さっきまで平井晶と一緒にいたうちの一人。
白髪のショートカットが印象的な小柄な女の子。
「どういう事だ?」
俺の強制認識を応用した幻術は、その辺の魔術士では防げないはずだ。
いや、それよりも驚いたのは……。
「何で『培養兵士』がこんなところに居るんだ!?」
アラガンと名乗ったそれは、二階ぐらいの高さから僕を見下ろす。
気が付けば、周りに居た下校途中の生徒が一人も見えない。
「なんの……用なんだ?」
その異様な姿に気負わされながら、僕は口を開ける。
「……逃げない、ノ、だな」
確かに逃げることも考えたが、あの足では歩いて追い付かれそうだ。
身体的に勝ち目がない。
アラガンの太ももの部分には、一見ナイフの様な短剣がホルスターに三本づつ下げられており、アラガンの足や手が長すぎて短剣が短く見える。
逃げたとしても歩幅と腕の長さで後ろから刺されて終わりだろう。
「用は、な。……あまり無イ、んダガ」
と、アラガンが何かを言い掛けた時。
空から、何か黒いものが振ってきた。
アラガンの左横に着地したそれは黒いローブのようなものを着込み、目元を白い
マスクで被った人物だった。
「アラガン! 予想外のことが起きた、少し早いが撤退するぞ!」
「撤退イィイ?」
とそこに、『ガァン!』という聞き覚えのある音がニ発響いた。
それと同時にローブの男は体を少し左にそらし、アラガンは短剣を抜き横に構える。
ローブの男の後ろには指が入るぐらいの穴が開き、アラガンの短剣は凄まじい金
属音と共に宙に舞った。
その二人の視線の先には……
「ソラっ!?」
白と黒の二丁拳銃を構えたソラが、二人を睨み付けていた。
仮面の男はソラを睨み返したままローブのポケットに手を突っ込む。
それを見たソラが、庇うように僕とアラガンの間に入り、アラガンと仮面の男に向けて銃を乱射する。
不意打ちだった先程とは違い、アラガンは次の短剣をしっかりと掴み、ソラの銃弾をいなしながら、バックステップ。
仮面の男はアラガンの背中に掴まり、空中に白いカードをバラ撒いた。
カードから青白い炎が上がったかと思うと、既にアラガン達の姿は、まるで幻だったかのように消えた。
「……よし」
制服を着て鏡の前に立っていた僕は、そう声を漏らした。
ネクタイは曲がっていない、手袋もした、忘れ物はないだろう。
今日は朝から、なぜか正原とソラが居なくなっていた。
記憶が無くなってからというもの、バタバタしていたので今日は打って変わって
静かな朝だ。
「どこ行ったんだろ」
昨日の夜は、正原から魔術のレクチャーを受けた以外は何も聞いていない。
携帯を見ると学校のチャイムが鳴るまで、あと十分ちょっとだ。
「行くか」
学問という重みを手に引っ提げ、部屋を出た。
……。
「おはよう、晶」
部屋を出たら美奈が居た。
「おはよう……何でいるの?」
僕の声を聞いた瞬間、美奈の眉間に皺が寄った。
恐っ!!
「あんたねぇ、それが迎えにきてあげた私に言う台詞?」
そうか、迎えにきてくれたのか……ん?
「なんで……ごめんなさい構えないで!?」
もう脛を蹴られるのは勘弁だ。
……いつの話だ、それ?
「恵理ちゃんに頼まれたの。『お兄ちゃん危なっかしいから見ててください』ってね。いい妹よねぇ、あんたには勿体ないぐらい……聞いてんの?」
「あ、ああ。うん、ありがとう」
記憶が戻りかけてるのだろうか?
でも"忘れてる"と"消える"は別だろうし……僕の場合、正原の話では後者だ。
「……なんか考え事してるわね?」
「え?」
ズバリと指摘されて驚いた。
「晶って考え事をするときに、開いてる方の手の指を擦る癖があるのよ。気付いてなかった?」
そういいながら、美奈は左手の人差し指と親指を擦ってみせる。
言われて手を見るが、手袋をした指はすべて離れ、接触すらしていない。
「本当に? 全然分からないんだけど」
美奈はふぅと息をはき、
「本当。さ、学校行くわよ」
そう言って歩きだした。
危なげなく教室に着くと、いつもとは雰囲気が違った。
何がどう、と聞かれると説明しづらいが……浮き足立ってるといった感じだろうか?
「よぉ、お早ようさん」
席に着くと紀章が話し掛けてきた。
「お早よう」
無難に返事を返しておく。
「聞いたか? 今日、転校生が来るらしいぜ」
「……こんな時期に?」
「ああ、しかもうちのクラスらしい」
なるほど、それでこの雰囲気か。
妙に納得がいく反面、もう冬に入ろうかというこの時期に転校してくることに疑問が……なんだか嫌な予感がする。
それも正原関連の……。
昨日何か言ってなかっただろうか?
脳細胞をフル動員させて思い出す。
昨日話したのは魔術の基本概念とソラの身の上や命令権について……。
ソラの命令権を僕に移す、朝から居ないソラと正原、季節外れの転校生。
「あはは……まさか」
……。
そのまさかだった。
「親御さんの都合で、今日からこの学校に通うことになった"凪野 天"さんだ」
"あだっちゃん"こと、担任の足立先生が制服を着たソラを教室の面々に紹介していた。
僕は悪い予感が当たったことにため息を吐き、紀章は『ヒュゥ』と口笛を、美奈
は難しい顔でポカーンとしていた。
「荻野 天です。よろしくお願いします」
昨日と同じく、きちっとした御辞儀をするソラ。
……休み時間になったら正原に電話しよう。
「平井!」
いきなり担任に名前を呼ばれ、少し焦った。
「荻野は平井の親戚だそうだな? 席は平井の隣にしとくぞ。荻野さんもそのほうがいいそうだ」
……先生、たぶんソラが僕の隣がいいって言ってるのは、護衛の為です。
当たり前だがそんなことは言えなかった。
一時間目の休み時間。
教室の隅で正原に電話を掛けた。
「どういう事だよ。何も聞いてないぞ?」
『言ってないからな』
……腹立つな。
『君を護衛するにはそれが一番自然だろう? 校舎に隠れて見張るわけにもいかんし。それに、護衛をしていると敵にアピールできれば、それだけで襲われにくくはなるからな』
正原の言ってることは理解できる、……でもなぁ。
「言ってくれても良かったじゃないか……て言うか親戚って、どういう設定だよ」
そう言いながらソラを見る。
ソラはクラスの何人かに質問を受けているようだ。
「荻野さんって引っ越してきたんだよね。どこから?」
「遠いところ……」
「荻野さんは一人っ子なの?」
「兄弟はいる……でもこっちには居ない」
「荻野さんってかわいいよな!?」
「そう……」
「結婚してくれ!」
「……」
なんか困ってる?
ちらちらこっち見てるし。
助けたほうがいいのかな。
「そういえば、荻野さんって今どこに住んでるの?」
「アキラの家」
質問攻めをしていたほぼ全ての人がこっちを向いた。
「……ごめん、一旦切るよ」
「ああ、続きは家でな」
……はぁ。
「え、どう言うこと!? 平井君って一人暮らしだよね?」
「うそっ、同棲!?(裏声)」
「「「何!?」」」
質問をしていなかった男子まで僕を見る。
「平井……お前、仏頂面がなくなって話しやすくなったと思ったら……天さんが原因か!?」
「いや、それは違う」
無関係ではないが。
クラスの面々は僕が記憶喪失になっていることを知らない。
ほとんど知り合いが居なかったので、面倒事になる前に足立先生に頼んで言わな
いでもらった。
「部屋に女の子が常にいるから、性格が柔らかくなったのね!(裏声)」
「そっかー、良いことだよねー」
女性陣から生暖かい視線を受ける。
中には数人、挑むような視線も交じっているが……なんだこの居心地の悪さ!?
「そういえばー、親戚って別に結婚しても問題ないよねー(裏声)」
「……さっきから何やってる」
女性の声真似をしていた紀章の襟首を捕まえる。
「だって、盛り上がりに欠けるじゃん?(裏声)」
「やめろ、気色悪い」
声だけ聞いてると全く違和感が無いって、どうなってるんだこいつ!?
「相変わらずすげぇなノリ。声優とかなれるんじゃね?」
と、クラスの男子が話し掛けてきた。
ノリは紀章のあだ名だ。
「いや、俺は"イトウ"に永久就職だから(裏声)」
「いや、それはもういいって……」
その男子がウンザリと言った顔をする。
「……ソラってあんたの家に住んでるの?」
美奈が話し始めた瞬間に場が凍り付き、話し声が止んだ……なぜ!?
紀章は美奈と僕の顔を交互に見て、……一歩下がった。
「そう、だけど……?」
なんだこの威圧感。
美奈の顔は別に恐くはない、真顔……か?
普通の表情だ。
昨日世間話をしていた時と変わらない、ごく普通の表情だ。
だからこの威圧感は、この場の雰囲気によるもの。
だが、ただ居心地が悪いというのとは少し違うような気がする。
何だか良くわからなくなってきた。
「あの、正原って人も一緒なの?」
「あ、ああ。そうだよ」
質問の意図が良くわからないが正直に答えておいた。
「ふーん」
「……」
なぜか冷や汗がダラリと頬を伝う。
何でこんなに緊張してるんだ?
「じゃ、同棲って訳じゃないわね。どう言えばいいのかしらこの場合……」
「……」
……ルームメイト……だろうか?
と、そこで二時間目のチャイムが鳴り響いた。
「おーい、授業はじめんぞー。……どうした、みんなして?」
社会の先生が入ってきて、訝しげな顔をする。
席に戻る際も皆は無言だった。
「ここまできても気付かないのも、数奇な運命だな」
紀章が小声でそんなことを言っていた。
……。
「やっと終わったか……」
結局、あの雰囲気のまま放課後を迎えてしまった。
物凄く疲れた……。
「アキラ!」
帰ろうと鞄を掴んだ矢先、美奈に呼ばれてビクリとする。
「帰るわよ」
「あ、ああ。はい」
なんとも情けないが、美奈が恐い。
何で恐いのか解らないのが余計恐い。
「ソラは? 一緒に帰るんでしょ?」
「ああ、そうか」
教室を見渡そう、と思ったら横に居た。
「うぉ!?」
「……帰る?」
「ええ、帰るわよ」
美奈とソラに連れられて教室を出た。
校庭までくると、美奈が口を開けた。
「まさかうちの学校に転校してくるとはね……何で昨日言わなかったのよ?」
言わなかったっていうか、知らなかったんだが。
「秀一はアキラに知らせていなかった。アキラに落ち度はない……」
そう言ったのはソラだった。
「……秀一って正原さんのことよねぇ。あんた達どういう関係なの?」
「いや、単なる友達だよ」
誤魔化すことにした。
と、そこで美奈の方を見て気が付いた。
今ちょうど、美奈がいる方角は、旧校舎が見えるのだが……。
「直ってる……」
柳さんとオセーの戦闘によって破壊された校舎が、きれいに直っていた。
「なにが、ダ?」
「いや、何でも――っ!?」
振り向いた場所に美奈とソラは居なかった。
代わりに腕と足が極端に長い、血色など判断が付かないほどの白い肌をした、男が立っていた。
「初めま、して。アラガンと言、ウ者だ」
アラガンと名乗ったそれは、英国の貴族がやるような礼儀正しい礼をする。
俺はその様子を、学校の屋上から眺めていた。
「おお、驚いてる驚いてる」
今、この学校は完全に俺の支配下に落ちている。
学校の敷地内の人間には強力な強制認識をかけて、校庭の真ん中にいるアラガンと平井晶が認識出来ないようにしてある。
さっきまで平井晶と一緒にいた二人には、一人で下校していたと思い込ませたので今頃は校門だ。
「しかし……案外あっさり落ちたな」
アモンに今回頼まれたのは、アラガンと平井晶の接触を出来るだけ他の者に気付かれずにやってほしいと言うものだった。
接触したあとは直ぐに撤退してくれとの事だったが、平井晶には正原秀一が付いているので、一悶着あると思っていたのだが……。
「……あなたは、なに?」
突然かけられた声に条件反射で飛び退いた。
そこに居たのは、さっきまで平井晶と一緒にいたうちの一人。
白髪のショートカットが印象的な小柄な女の子。
「どういう事だ?」
俺の強制認識を応用した幻術は、その辺の魔術士では防げないはずだ。
いや、それよりも驚いたのは……。
「何で『培養兵士』がこんなところに居るんだ!?」
アラガンと名乗ったそれは、二階ぐらいの高さから僕を見下ろす。
気が付けば、周りに居た下校途中の生徒が一人も見えない。
「なんの……用なんだ?」
その異様な姿に気負わされながら、僕は口を開ける。
「……逃げない、ノ、だな」
確かに逃げることも考えたが、あの足では歩いて追い付かれそうだ。
身体的に勝ち目がない。
アラガンの太ももの部分には、一見ナイフの様な短剣がホルスターに三本づつ下げられており、アラガンの足や手が長すぎて短剣が短く見える。
逃げたとしても歩幅と腕の長さで後ろから刺されて終わりだろう。
「用は、な。……あまり無イ、んダガ」
と、アラガンが何かを言い掛けた時。
空から、何か黒いものが振ってきた。
アラガンの左横に着地したそれは黒いローブのようなものを着込み、目元を白い
マスクで被った人物だった。
「アラガン! 予想外のことが起きた、少し早いが撤退するぞ!」
「撤退イィイ?」
とそこに、『ガァン!』という聞き覚えのある音がニ発響いた。
それと同時にローブの男は体を少し左にそらし、アラガンは短剣を抜き横に構える。
ローブの男の後ろには指が入るぐらいの穴が開き、アラガンの短剣は凄まじい金
属音と共に宙に舞った。
その二人の視線の先には……
「ソラっ!?」
白と黒の二丁拳銃を構えたソラが、二人を睨み付けていた。
仮面の男はソラを睨み返したままローブのポケットに手を突っ込む。
それを見たソラが、庇うように僕とアラガンの間に入り、アラガンと仮面の男に向けて銃を乱射する。
不意打ちだった先程とは違い、アラガンは次の短剣をしっかりと掴み、ソラの銃弾をいなしながら、バックステップ。
仮面の男はアラガンの背中に掴まり、空中に白いカードをバラ撒いた。
カードから青白い炎が上がったかと思うと、既にアラガン達の姿は、まるで幻だったかのように消えた。