Neetel Inside 文芸新都
表紙

LOST
第一部/軍団のオセー

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プロローグ2 ニアミス

とてもきれいな『夜』だった。
なにもいないはずのその場所に、またも二人の人間がいた。
その片割れ。白衣の少年が口を開く。
「また会ってしまったな」
白衣の少年"正原秀一"は包帯姿の少年に話し掛ける。
相も変わらず包帯姿の少年は反応はしても、答える気配はない。
「関わらないでおこうとは思うのだが、どうも君とは縁があるらしいな……」
秀一は包帯姿の少年が返答しないのも構わず話を続ける。
「……ところで…………君は喋れないのかね? それとも喋らないのかね?」
そんな質問をするが当然相手は答えない。
「ふむ、困ったものだ」
秀一はニヤリと不気味な笑みを顔に浮かべ、
「ここまでくると君の在り方に少し、興味が出てきてしまうよ」
と心底楽しそうにその場から立ち去った。

     

第二章
僕は放課後、学校のある部屋の前で、手のひらサイズのメモを睨み付けていたいた。
「ここのはずなんだけど……」
どうも自信が無い。
本当に目的地はここであっているんだろうか?

発端は昼休みに遡る。
正原秀一と名乗る三年生に声をかけられ、背筋が凍る思いをした後のことだ。
悪役じみた笑顔を浮かべたままの白衣の先輩は、
「記憶を取り戻したければ放課後、ここに来たまえ」といって一枚のメモを渡し
てきた。
「……」
無言で受け取る。
まだ頭のなかは混乱していてまともな考えが浮かぶ状態ではない。
「ふむ、ではまた。放課後にな」
と言って先輩は白衣を翻し呆然としている僕の前から立ち去った。

その時渡されたメモがこれだというわけだ。
そのメモには、何かの道だと思われる線と、いくつかの四角形のなかに書かれた
理科室等の教室名。
もしかしなくてもこの学校の地図だろう、というのは解るのだが……
廊下だろうと思われる線の形がいびつなうえ、廊下はその一本しか描かれていない
ため、どこの廊下なのかいまいち解りづらい。
そして、その地図指す目的地は『部室』としか描かれておらず、目的地から道を
判断することもできなかった。

……で、ようやく辿り着いたのが、『部室』とだけ書かれた名札を掲げた部屋だった。
「……本当にこんな部屋があったのか」
これも実はおかしな話で。そもそも、我が学園の部室は部活動が認められると与え
られ、名札に好きな名前が書きこめる。
当然、平面世界制作部(ただの漫画部)とかマッスル部(ボディビルダー部らしい)
とかみんな洒落た(?)名前にするのだ。
それがひねりが無けりゃ部活名すらも無く、ただ『部室』とだけ。
逆に考えればこんな部屋はここにしかないだろうから、目的地はここだという確
信にはなり得るのだが……。
「こんな場所あったかなぁ……」
記憶にない。
この目の前にあるこの扉は今さっき沸いて出たのではないのか?
「……まぁ、そんなわけないか」
気を取り直して扉に手を掛け、中に入る。

「おお、来たか」
中には昼間見たままの白衣を着た正原先輩が、部屋の真ん中に備え付けれた机の
椅子に腰掛けていた。
「……どうも」
今は昼間程の緊張感はないが、反射で体がこわばる。
「ふむ、まぁそう身構えずに。……コーヒーでもどうだね?」
と言って何の飾りもない白いカップを渡してくる。
「あ、えと……どうも」
少し戸惑ったが、まだ湯気の出ているカップを手に取る。
先輩はカップを渡した後も僕のほうを見ている。
……飲め、と言う事だろうか?
いつまでも見られていては落ち着かないので渡されたカップを口に運ぶ。

……ゴクッ

のどが焼ける。
アツさでではない。
『焼ける』は比喩表現だ。
「…………」
カップを口から離し中身を確認する。
ちょうど日焼けをした肌のような色の液体が、訝しげな顔をしている僕を映して
いた。
匂いもとても香ばしい。
この液体はコーヒーということで間違いは無さそうだ。
「……」
もう一回カップに口をつけ"味"を確認する。

……ゴクッ

甘い……蜂蜜みたいに甘い。
コーヒー独特のあの酸味と苦味が懐かしい……。
「どうだね?」
「……へ?」
白衣の先輩のことはこのコーヒーのせいで失念していた。
「……君は質問を聞き返す癖でもあるのかね?」
ちょっと機嫌が悪そうにする先輩。
「い、いや。そんなことは……」
予想外の展開が立て続けに起きているために頭が回らないだけだ。
「味はどうかと聞いているのだが?」
今度は質問を解りやすく繰り返す先輩。
……べつに質問の意図が解らなかったわけでもないのだが。
「えと、……おいしいんじゃないかと…………」
もちろん本心ではない、胸焼けがしそうだ……。
「そうだろう、そうだろう。なにしろ"キリマンジャロ"だからな!」
うんうんと頷きながら満足そうに答える先輩。
この糖尿病患者お断わりのレッテルがはられそうな液体は、かの有名なキリマン
ジャロであるらしい。
見る影もない……。
何をどうやったらここまで甘いコーヒーができるのか?

「さて、ではそろそろ本題に入ろうか?」
椅子に腰掛けた先輩は、僕にも座るように促しながらしゃべりはじめた。
「まぁ……まずは現状の確認からだな」
コーヒーを啜りニヤニヤしながら先輩は続ける。
僕は唾を飲む。
昼休みから頭を離れなかった今の僕の状況及び記憶……それが今……。
「君の記憶喪失についてだが……実はこちらも全て解っているわけではない」
「…………は?」
なんだって?
「……君は質問を聞き返す癖が――」
「――っいやいや! 今何ていいました? 解らない? 記憶を取り戻したければこ
こに来いって言ったのはあなたでしょう!?」
なんなんだそれは?
僕がここに来た意味は?
あの暗号のような地図を解読しつつやっとの思いでここに辿り着いたときの労働
力は?
……何だか物凄く腹が立ってきた。
「まぁまぁ」
「まぁまぁって……」
先輩は特に悪びれた様子もなく話を続ける。
「晶くん、話は最後まで聞くものだ。確かに解らないことは多いが、ならば自分
で調べればいい話だ」
…………。
この先輩は開き直ってるのだろうか?
「まぁ要するに我々でこの状況を打破しよう……と言うわけだ」
と言うわけだと言われても……そもそも問題の"この状況"とやらはなんなのかま
だ説明を受けていない。
「……む!?順番が狂ったか?」
相手も気がついたらしい
腕を組み、考える素振りを見せてから『そうだ、そうだった!』と言いながら手
をぽんっと叩き、
「現状の確認からだったな?」
と言って僕に目を合わせた。
その目は先程よりは真剣に見えるがどこか笑っている。
「現状の確認の前に君に聞きたいことがあるのだが、いいかね?」
僕はすかさず頷いた。
ここまで来て拒否する理由もない、必要ならいくらでも答えてやる。
……まぁ、ところどころ信用できないところがあるのが不安ではあるが。
「ふむ、では質問だが。君は……この違和感を感じているかね?」
「……」
違和感ならずっと感じている。
それはこの先輩に会ってから感じる頻度が増えているように思う。
……正確には『記憶がほしいか?』と言われてからだ。
「……違和感は感じているようだな。では、我々の置かれている状況を説明しよ
う」
そういって立ち上がり、部屋の奥から机に置ける位のホワイトボートを持ち出し
てくる。
――っていうかこの部屋、よく見ると奥の方にキッチンらしきものが……。
本当に部室として当てられた部屋なのだろうか……ここ。
どちらかと言うと宿直室に近いような……
マジックを手に取り先輩は説明を始める。
「君はこの世界が本物だと思うかね?」
ボードの真ん中を真横に切るように線を引きつつそんなことを聞いてきた。
「……この世界が本物か?」
それは哲学か何かだろうか?
「そうだ。私が思うに、この違和感はいつもと何かが違う……と言うところから
来ているのではないかと思うのだが」
確かにその仮説には納得できる部分もあるが…………それと、『この世界が本物
か』はどう繋がるのか?
「つまりは、我々は別の平行世界からここへ来てしまったのではないかと……そ
ういうわけだ」
…………何だかよく解らない単語があったのだが?
「えっと……平行世界というのは?」
先輩は僕の質問に『うむ』と満足そうに頷き、説明を始める。
「平行世界とは即ち、この世界とは別の時間軸に存在する過去における可能性の世界だ」
えーっと…………今の説明だけで混乱してきたぞ。
「例を出して説明しよう」
といってホワイトボードに先ほど描いた線の上に点を描き、その点に向けた矢印
に『現在』と書き足した。
「この現在において、君は誰かと二人で『じゃんけん』をしていたとする」
じゃんけんとはまた変わった例えだと思う。
「勝つか負けるか。グー、チョキ、パーのどれを出したか。これだけで六つの可能
性ができるのは解るな?」
確かに単純計算で可能性の数は六つ。
それはいくらなんでも解る。問題で出せば小学生レベルだろう。
「私が言いたいのは、この可能性全てが平行世界として存在するということだ」
言いながらホワイトボードに一番始めに描いた線に五本の線を描き足し、それぞ
れ、グーで勝、グーで負けなどと描き足されていく。
「つまり……僕がパーで勝ったとして、その時にはパーで負けた世界も生まれる?」
何となくだが解ってきたかもしれない。
「正確にはパー以外で勝ったり負けたりした世界も同時発生するわけだ。理解で
きたかね?」
「まぁ、なんとなくですけど……」
しかし、その仮説が成り立った時の僕達の位置は……
「あの……その平行世界っていうのは解ったんですけど。その理屈でいくと僕達
って……」
「ああ、異世界人というのが我々が持つ一番近い概念になる」
やはりそうなるか。

…………この人、頭大丈夫か?

「なに、心配することはない。こちらに来れたのなら戻ることも可能だろう」
「……はあ」
トンでもない人と知り合いになってしまった。
どうにかしてこの場から逃げ出せないだろうか?
「時に晶くん」
「はい?」
正直もうあまり相手をしたくないのだが……
「君はこの世には魔法が存在すると私が言えば信じるかね?」
「………………は?」
ほ、本当に大丈夫かこの人?
魔法?どこのお伽話だそれは。
「どうだね?」
しかし、この先輩は先程とは違いやけに真剣な顔だ。
なんか、答えなければ帰さない……みたいな。
しかたがないので思った通りの事を言う。
「信じないですね」
ていうか信じる奴いるのか、今の話しで?
「ふむ、そうか。しかしだな晶くん。君は平行世界を渡って来たのだ。これは魔
法の類だとは思わないかね?」
僕の目の前のエセ博士は、またもやトンでもないことを言いだした。
残念ながらそれは、前提が間違っているという結論が僕の中ではすでに出ていて、
これ以上議論の余地はない。
「まぁ、今はいい……。さっそくだが、調査を開始しよう晶くん」
…………調査?
「調査って……何をするんです?」
先輩は僕の質問を、よくぞ聞いてくれました!と言わんばかりに「うむ」とう
なずき
「違和感を解消するのだよ!!」
と、目的だけで手段が解らない返答をかえした。

     

第三章

「晶君どうだね。何か感じるかね?」
「……いえ、特には…………」
僕と先輩は二十分程前から、この校内を練り歩いていた。
先輩が言うには……、
「捜し物ならやはり足だろう!」
ということだ。
今は『違和感』とやらを歩きながら探している最中だ。
「むぅ、案外あっさり見つかると思ったのだが……」
今まで調べた教室は特にこれといった違和感はなかった。
回ったのは理科室や音楽室などの、どちらかといえばあまり使わない教室ばか
りだった。
先輩によると、
「自分の教室には今日一日いたわけだ。それで違和感を感じ取れなかったのだか
ら望み薄!よって、後回しだ」
だそうだ。
「はぁ……」
早く帰りたい。
切に願う。

「ふむ、これで全部だな」
視聴覚室を見てきたが、やはりこれといった違和感はなかった。
それよりも、今はこの先輩が持つ、どこの扉でも難なくパカパカ開ける鍵のほう
が気になる。
この学園では殆どの教室の扉は、使わないなら鍵を閉めている。
つまり教室に入ろうとした場合、職員室に置いてある鍵を借りにいくか、先生に
頼んで開けてもらうか。
もしくは、生徒委員会には何人か鍵を持っている人がいるのでその人に頼むか…
…。
兎にも角にも委員でない限り、第三者の協力が必要なのだが……。
「あの……先輩って委員だったりします?」
「む?可笑しなことを聞くなぁ。私がそんなつまらんことをするわけがないだろ
う」
やはりか。となると……。
「では、その鍵は?」
先輩の持っている鍵を指差す。
さっきから僕らが第三者の手を借りずに部屋に入れたのはこいつのおかげだ。
「企業秘密だ」
「え?」
即答で企業秘密かよ……。
「秘密があったほうが魅力てきだろう?」
「……それは、女の子だけの特権だと思いますが……」
喋る気は無いらしい。
困った、一番今違和感があるのはこの鍵なのだが。
「この鍵に興味があるのかね?」
「興味っていうか疑問が」
鍵一つだけであんなにも複数の扉が開くものなのか?
「これは"パスキー"といってな。この鍵メーカーの変わった特徴の一つだ」
先輩はいきなり、僕の考えを読んだかのように説明を開始した。
「で、このパスキーだがな……、このメーカーの鍵ならどんなものでも開けるこ
とができる代物なわけだ。……疑問は解消できたかね?」
「はあ、なるほど……でも何でまたそんな鍵作る必要があるんです?」
便利かもしれないが鍵の価値が著しく低下するような……。
「そうだな、この鍵は専らこういう学校等に使われるのが殆どだ」
言いながら鍵を目の高さまで摘み上げプラプラとさせる。
「正確な意味合いはしらんが、おそらく緊急用だろう」
「緊急用?……いったい何の?」
「さてな。そんなものに興味はない。扉が開けば、私はそれで構わんからな」
といって鍵を白衣のポケットに突っ込んだ。
本当に何でそんな鍵をこんな人が持っているのか。
一番持たせちゃいけない人物のような気がするのだが……。
「ところで晶君。教室に行く前に、今日一番違和感を感じたのはどこか聞いてもいい
かね?」
「突然なんですか?」
今から自分の教室にいこうとしていた僕に、先輩はいきなり質問してきた。
「いや、私の教室は本当に望み薄でな……できれば少しでも確率の高い場所から調べて
いきたい」
そういうことか。この人はつくづく『暇』というものが嫌いらしい。
「で、どうだね?」
子供のような笑顔で聞いてくる……楽しそうだなアンタ。
まぁ、聞かれたからには答えるが。
「そうですね……」
ここまで見てきた教室には違和感は無かったが……。
一つだけ、気になる所があった。
「……部室……ですかね」
僕がそう言ったとたん、先輩の雰囲気が変わった。
「……何?部室?」
そう言い、考え込んでしまった。
「設定をミスったか?」
何か言っていたが僕には聞こえなかった。
「あの、せんぱ――」
「よし!部室に戻るか!!」
そう言ってズンズンと部室に向かって歩き出す先輩。
「晶君どうしたんだね?」
先輩に呼ばれて僕も部室に向かって歩き出した。


「なるほど……改めて見ると違和感しかないなこの部屋は。」
部室の前に着くなり、先輩はそんなことを言い出した。
「な、何だこれ……!!」
さっき来たときとは違い、気持ちが悪いぐらいの違和感を放つ部室。
いや、違和感など生ぬるい。
なんと言えばいいのか……それすらよく解らない。
「どうする晶君?君はこの扉……開けるかね?」
先ほどまで暴走ぎみに部屋の扉を開けていた先輩が僕に開けるかどうかの確認をして
きた。
よく見るとすこしニヒルだった先輩の笑みが消えていた。
さすがにこの状況では笑ってもいられないらしい。
「開けたくはありませんね」
当然だ。
腹ペコのトラが入っている檻を見せられて、「ここに入るかい?」と聞かれているよう
な物にこの状況は近いな。
「そうかい、しかしこの扉を開けなければ君の問題は解決しないよ?」
先輩の口調が急に変わる。
とたん、先輩の姿にノイズが交じる。
「――っな」
空気に押されるような、空間がずれるような感覚と共に僕の視点が少し後ろに下がる
ノイズがかかった先輩は白衣を着た『女性』に変わり。
僕がさっきまでいた場所には僕ではない誰かが立っていた。
白衣の女性は、
「開けるよ……」
と言って扉を開ける。
僕ではない誰かはその女性をただ見ているだけだった。
僕はその二人をその世界の外側から傍観しているだけだった。
僕の意識はそこで途絶えた。



「きがついたかね?」
気がつくと、病院らしき施設の中でベットに横たわる僕の横に白衣の先輩がいた。



     

第四章

僕には他人の過去がわかる能力がある。
……正確には他人の記憶と経験が自分の物として蓄積されるのだ。
たとえば、ある職人が長年かけて習得した技術を僕はその人の肌に触れるだけで
、その人の記憶と共に習得してしまう。
これは、その技術が体質的な物(筋力など)が必要で無いかぎりは完璧にコピーで
きる。
一見便利に見える……いや、便利なこともあったが、実際にはその人のトラウマ
なども一緒にコピーしてしまうためにリスクしかない事のほうが多い。
職人かあるいは達人と言われる人とは、巡り合う事じたい少ないのだ。
小さい頃はその人しか知らない事を簡単に言い当てることが気味悪がられ、まと
もに友達などできなかった。
だが、例外が二人いた。
高瀬美奈と伊藤紀章だった。
彼らは僕がこの奇妙な能力を持っている事を知っていながら僕の傍にいてくれた
のだ。
しかし、僕は触れただけで彼らの記憶を読み取ることに恐怖し、この二人にはわ
ざと辛く当たったりして、なるべく距離をおくようにしていた。

「……ついてくるな!」
「うっさいわね、私の家もこっちなのよ!」
「こっちにくるよりさっきの道を曲がったほうがお前の家は近いだろ!?」
「き、今日はこっちから帰りたかったの!」
「……」


「オッス、アキラ!」
「僕に話し掛けるな……」
「え、やだね」
「なんでだよ……」
「おまえ暗いんだもん。もっと楽しく行こうぜ楽しくさ」

だが、そんな。人と距離をおく生活にも限界がきた。
相談する相手がいたからといって、どうなるわけでもないのだが……。



気分が悪い……。
今までだましだましやってきた他人の欲求が僕を蝕む。
「――っぐ、はぁ」
精神が歪む。
もう何がしたいのかすらも判らない。
何でもいい……何でもいいからこの僕を満たしてほしい。
自分が自分ではない感覚。
この能力は他人の記憶をコピーする。
それはトラウマや、どうしても手に入れたかったものへの執着心をも写し取って
しまう。
学校は休んだ。
こんな状態では何をしでかすかわからない。
「はぁ、は、ぁ。ぐぅっ」
ベッドのシーツを掴む。
だめだ。
自分を抑えられない。
このままじゃ……。

ピンポーン

「――っ!?」
寮の一室に響くチャイム音。
誰だ?こんな時に……!
「アキラ――大丈夫ー?」
「――っな!?」
ドンドンと扉をたたく音と混じって聞こえるのは美奈の声だった。
……失念していた。
美奈の家は比較的近くにあり、僕に何かあると見舞いにくるのだ。
「入るわよー」
「ま、待て……」
だめだ。
今来られたら何をしてしまうかわからない。
「うっわー顔真っ青じゃない。どうしたの?」
一瞬で、さまざまな思考や、理念が俺の中をかけずりまわった。
美奈は僕のために来てくれたんだ
何しても許される
そんなわけがない
殺してしまえばなんてことは無い
そうか
ちがう……
何で我慢してるんだ
一思いにヤッテシマエ

クソッ!
がばっとベッドから立ち上がる。
美奈には悪いが、少々強引に帰ってもらう。
そのまま美奈の方にズンズンと歩いていき、美奈を扉の方に押し出す。
「な、何すんのよ!?」
「うるさい!帰ってくれ!!」
「何言ってんの?学校の連絡とかあるんだから帰るわけ無いでしょ!」
美奈は状況がわかっていない。
今美奈がここに居るのは自殺行為に他ならない。
しかし、それを説明している余裕は今の僕には無かった。
「痛いわね!どうし……きゃっ!」
美奈が何かにつまづき、後ろに転倒する。
僕は押していた対象を失って美奈と一緒に倒れるはめになった。
「あいったぁー、こぶできたらどうすんのよ!」
自然と僕が美奈を押し倒した形になる。
美奈は制服を着ていた。
学校が終わってすぐ見舞いに来たのだろう。
今の僕には、その制服姿が異常に煽欲的に見えてしまう。
「ぐ、あぁ……」
頭痛がする頭を押さえる。

そういえば、果物ナイフがあったな。
あれで服を引き裂いてしまおうか?
騒がれたら面倒だし、首も掻き切って殺しておこうか?

「アキラ……?」
「――っ!!」
何考えてるんだ僕は!
「どしたの……?本当に大丈夫?」
不安そうな、心配した美奈の顔……。
それすらも、今の僕には毒でしかなかった。
「う、うああああぁぁぁあ……」
身体を起こし、美奈を乗り越え、部屋の出口まで走る。
「アキラッ!?」
振り向いてなどいられない。
ドアノブに手をかけ一気に押し開く。
「おお!?な、なんだアキラ、元気そうじゃ――」
外に出てすぐのところに紀章がいたが構ってられなかった。



ずっと何かから逃げるように走り続けていたら、いくらか衝動が治まった。
時間的にはもう夜だ。

「どうするかな……」
今、寮に戻って美奈達に会うのはやめたほうがいいだろう。
マシにはなっているとはいえ、まだ何をするか判らない。
しばらくボーッとしていた。
意外なことにこれだけでも気分転換にはなった……のだが。
「マジかよ……で……がさぁ」「だよなぁ」「あはははは」「え?……いやいい
んじゃね?」「でさぁ」「え、マジ?」
うるさいな。
騒ぐなら他でやってくれ。
こんな夜中でも街は賑やかだ。
まったく耳障りだ。
消えてくれないか……。
「あっれぇー?学生サンがこんな時間に何してるんですかー?」
「……」
見るからに不良っぽい三人組が、騒いでるだけならいいものをからんできやがっ
た。
見た感じ僕とそう歳は変わらない。
「おいおい、やめとけって一人になりたいこともあるだろ?」
と、冗談混じりに言いながら僕の肩をぽんぽんと叩く不良の男。
「――っ!!」
パンッ!
「あ?」
不良の男が素っ頓狂な声を出す。
やってしまった……。
いわゆる対人恐怖症で、他人にいきなり触れられると条件反射で振り払ってしま
う。
「何だよこいつ……」
「おい、痛いだろ謝れよ!」
言いながらそいつは僕を突き飛ばした。
その時……僕のなかで何かが切れてしまった……。



「ハァハァ……」
殴り飛ばしていた。
三人まとめて……。
普段なら喧嘩を見ただけで気分が悪いのだが……今は無償に気分がいい。
倒れた三人はぴくりとも動かない。
死んだのだろうか?
そういえば、動かなくなってからもひたすら殴ったような気もする。
「はは、あはははは」
本当に気分がいい
周りに居たはずの人達はいつのまにか居なくなっていた。
なんだ……こうしていれば楽だったんだんじゃないか。
「アハハハハハハハハハハ……」
気分はいいが欲求の方は、今の三人を殴ったとき素肌に触れてしまったので、む
しろ増えてしまった。
「何か素肌を隠せるものがほしいな……」
制服のポケットに財布は入っている。
昨日の夜帰ってきてからすぐに寝てしまったからだ。コンビニにでも寄るか……




手を保護するものは手袋などたくさんあったが、頭を保護するものが見当たらな
かった。
考えても見れば、ヘルメット等がコンビニに売っているわけもない。
結局、包帯で全部代用することにした。
腕と顔に包帯を巻く。
こういう作業はわりと得意だ。
……確か、怪我をして仕方なく看護士に触れらたことがあったな……。
さて……。
相手を探しに行こう。
殴りあいは相手が居ないとできないからな。

「ククッ……アハハハハハハハハハハ……!」
何かがオカシカッタ。

そんな都合よく殴る相手が見つかる訳もなく……。
いや、誰でもよかったんだが。
最後の理性か、道行く人をいきなり殴る気にはなれなかった。
気が付くと、どこか知らない場所にいた。

『どこだ、ここ……』
頭の上には今にも落ちてきそうな満月が不気味に光を放ち。
町並みは夜中のためか人がおらずシーン……としている。
『これはこれでいいかもな……』
今の僕はさまざまな人の価値観が入り交じり、自分の好みが混沌と化していた。
『このまま此処に居ようかな……。此処は居心地がいい』
暴れたりもしたいが、どうやら静かなところも好きらしい。
そんなことを考えていた時だった。
「驚いたな……」
驚いたのはこっちだ。
誰もいないと思ったら、いきなり後ろから声をかけられた。
ゆっくりと振り向く。
そこには、白いツンツンした髪に白衣が不自然に似合う、男が立っていた。
「誰だね?君は……」
男はそう言った。



     

第五章

とてもきれいな『夜』だった。
誰もいないはずのその場所に、あの白い奴がきた。
白衣の少年が口を開く。
「また会ってしまったな」『俺は別に会いたくはなかったが……』
「関わらないでおこうとは思うのだが、どうも君とは縁があるらしいな」
俺の言葉を無視して話を続ける白衣……。
「……ところで…………君は喋れないのかね? それとも喋らないのかね?」
『は? 何言ってるんだお前……』
こいつ俺をからかってるのか?
会話してるじゃないか。
「ふむ、困ってしまうな」
白衣はニヤリと不気味な笑みを顔に浮かべ、
「ここまでくると君の在り方に興味が出てきてしまう」
と心底楽しそうにその場から立ち去った。

次の日、開けた広場の様な場所で座り込んで月をながめていると。
またあの白衣が俺の前に現われた。
『鬱陶しいな、もう来ないでくれるか?』
「今日は重大な用できたのだ」
『別にあんたの用なんか知ったこっちゃないんだが』
一昨日から……と言ってもずっと周りの景色が常に夜で、正確な時間が判らない
此処ではあまり意味を持たないが、他の誰とも会わない代わりにたびたびこいつ
と会うはめになった。
「君のことを調べさせてもらったのだが……」
そこでいったん話を切り、鋭い目でこちらを見据える。
「こちら側では君の存在が希薄になってきている。早くしないと君は戻れなくな
るぞ」
……毎回毎回、何を言っているんだこいつは。
「早く戻れ、『夜』に飲まれる……」
『訳が分からん。何を言ってるんだあんたは……』
戻れなくなるってどこへ?
『夜』に飲まれるってどういうことだ?
「君は平井 晶君だろう?」
平井 晶、そういえば、そんな名前だったな……。
「君もこの場所が異常だと解っているはずだ」
確かに異常だ。
夜しかない世界のようだし。
でもまぁ、人がいない分居心地は抜群だ。
「やはり、話が通じないのか……?」
なんだかぶつぶつ言っているが俺には聞こえなかった。
「……仕方ない、少々強引につれ帰るか」
と言いながら俺の腕に掴み掛かってきた。
当然掴まれないように逃げようとしたのだが、なぜか足が動かない。
下を見ると、何やら立体感の掴めない黒い物体に足が絡め取られていた。
『――っな!!』
必死でもがくが、すでに左腕は白衣が掴みとっており、身動きがとれない。
「少し眠ってもらうぞ……」
そういって右手の指先で俺の額に触れてくる。
『――っ!!』
肌と肌が触れ合ったことで自分の能力である、記憶のダウンロードが始まる。
同時にダウンロードの負荷による強烈な頭痛と、これまで感じたことの無い
強い眠気が襲い掛かってきた。
しだいに体に力が入らなくなっていき、その場に倒れてしまう。
「君の才能は失うには惜しい……」
白衣の男は最後にそんなことを呟いた。

目を覚ました僕は、白くて、いかにも清潔そうな部屋で寝かされていた。
どうやら病院らしい。それも個室。
さっきまではあの白衣の男が一緒に居たが、
「事情はあとで話す。今はしばらく安静にしていてくれ」
と言ってどこかへ出かけてしまった。
「なんだかなぁ」
色々と奇妙なイベントに遭遇したものだ 。
……奇妙といえば、僕の頭からは他人の記憶がどうも……薄くなってい
る、と言えばいいのか。
思い出すことができなくなっていた。
「気分が、楽だな……」
重荷がなくなった。
そんな感じだった。
他人の記憶など無い方がいいんだ。
当然だろう。
この状況をどれだけ望んだことか……。
「待たせた。気分はどうだね?」
白衣の男がベットの横にあった椅子に腰掛ける。
「気分は良いです。事情を話してくれるんですよね?」
僕はすかさずそう聞いていた。
「ああ、だがまずは自己紹介からだ」
そういって僕を諭す。
「私の名前は正原秀一、歳は君の一個上になる」
「……うん?」
なんだろうか、その名前には覚えがあったのだ。
「どうかしたかね?」
正原は薄い笑いを顔に浮かべながら僕に聞いてきた。
「私の名前には覚えがあるのだろう?」
何だか最近驚きっぱなしだな、寿命が縮むかもしれない。
「なぜそれを?」
「君のことを調べさせてもらった。ご両親の事も、君の周りの人たちのことも、
君の才能のこともな。私は一回君に素手で触れているから君が私の名前を知って
いても何の問題もない」
君の才能を知っている。
なるほど、それならこの人の記憶が僕のなかにあるはずだ。
「……?」
いや、そんな記憶を僕はもっていない。
この人の名前も聞いたことがある程度のものでしかない。
「まぁ、そのあとで君の記憶の大半を吹き飛ばしたから憶えてはいないと思ってい
たのだが、失敗したかな?」
「は?」
記憶を吹き飛ばすって?
それなら確かに今の僕は他人の記憶が曖昧だが……そんなことできるのか?
「それより君にいくつか質問せにゃならん」
そういって真剣な顔をする正原。
「君の名前は?」
……知ってるんじゃなかったっけ?
僕が訝しげな顔をすると。
「覚えているかね?」
そういうことか。
「覚えてます、平井晶、それが僕の名前です」
「うむ。では次に、友人は何人いる?」
友達?これも記憶の確認だろうか。
「あんまり……居ないようなものですね」
「そうか。……ご両親は何をしている方だ?」
両親……両親は。
「両方とも事故で死ん……?」
死ん……でない気がする。
記憶が混乱しているようだ。
他人の記憶があったころはこんなことは日常茶飯事だったが、後遺症だろうか?
「結論から言うと、君のご家族は母親がおらず、父親が君達の面倒を一人で見て
いたそうだ。ちなみに母親は事故死……とされているな」
「……」
驚いた。
僕は両方とも死んでいるか生きているかしか頭に無かったのだ。
「そっか……父さんしか居ないんだ……」
別にいまさら悲しくなって来た訳じゃないが……何だか淋しい気分だった。
「失礼しまーす」
病室にひびく女の子の声。
小柄で明らかに僕よりも年下だ。
正原にペコッとお辞儀をする。
「交通事故に遭ったって聞いたから心配したよぅ。大丈夫そうだね、お兄ちゃん」
僕を見てそんなことをいってきた。
「……?」
誰だこの子?
こんな子にお兄ちゃんなんて呼ばれる覚えはないが。
「どしたのお兄ちゃん?どこか……痛いの?」
返事を返さない僕に向かって心配だといわんばかりの顔が向けられる。
正原の妹という選択肢が数秒で消えた。
『僕』の妹ということになるようだ。
記憶が消えていると言うことだろうか?
先程までの正原の質問はそれを確認するためのモノだったが……。
僕がどう反応したものかと思案していると、その状況に気付いた正原が助け船を
出してくれた。
「君は晶くんの妹さんかな?」
「はい、平井恵理って言います。お兄ちゃんどうかしたんですか先生……」
白衣姿の正原を医者だと思ったようだ。
無理もないが……。
「ああ、少し二人で話をさせてくれないかな?すぐに終わる」
恵理と名乗った少女は「わかりました」とはっきりした声で言い、病室を出てい
った。
「さて、晶くん。あの子に見覚えは?」
「残念ながら無いです」
正原が作ってくれた作戦タイムだ。
この時間であの子に対する対応を決めなければならない。
「記憶の混乱か、やはり君自身の記憶もいくらか消してしまったようだな……。
すまない」
正原はこれを心配してさっきの質問をしていたわけだ。
「いえ、それはいいですから。……どうしましょう」
これは正直に言うべきなのか、あるいは隠し通すか。
前者は、あの子を悲しませることになるかもしれない。
どうやら一人で来たようだし、記憶があった頃の僕はある程度慕われてはいたよ
うだ。
後者は、はっきり言ってかなり無理がある。
絶対にどこかでぼろが出るに違いなかった。
「正直に言うべきだと私は思う。記憶を消した張本人が言うのもなんだが……」
正原は、僕の本来の記憶を消してしまった事をかなり気にしているようだ。
「君の入院は交通事故ということに公にはなっている、その時のショックで……
ということでなんとかなるだろう」
確かにそれが一番手っ取り早いかもしれない。
もしかしたらほかにも色々忘れている可能性もあるしな。
「それでお願いします」

さて、何だかいろんな事があったが、これで一段落つきそうだ。
僕の妹だという恵理や。
能力も無くなってはいないだろうから、これとの付き合い方も考えなければいけ
ない。
不思議なのは正原とあの夜の世界だ。
夜しかない世界については正原から聞くしかないだろうが、その正原がかなり得
体が知れない。
この病院を手配したこともそうだが、そもそもありもしなかった交通事故をでっ
ちあげるなんて事が一般人にできるものなのだろうか?
只者ではないのは確かだ。

学校は、今日中に退院して明日から行けるそうだ。
学校では余裕が無かったからサボったり、人に対しては邪険にしていたが、今の
状態なら問題なさそうだ。
……相手にこれ以上触れない対策は必要だが。
「君とはいい友人になれそうだな」
何を思ったのか正原は最後にそんなことを言っていた。



     

第六章

朝が来た。
外では小鳥が楽しそうに合唱している。
「んぅ……くー」
僕のベットでは恵理がまだ寝息をたてていた。
ちなみに僕は床に敷いた布団で寝ている。
昨日は恵理が、もう夜遅いし、兄の状態が気になるといって僕の借家に泊まった
のだ。
病院にも泊まるつもりできていたことには驚いた。
……恵理には正直に僕が恵理の事を覚えていない事と、他にもいろんな事を忘れ
ているかも知れ無いことを伝えた。
恵理は当然驚いていたが、僕が家を出ていく前と雰囲気が何らかわらないらしく
、あまり重くは受けとめてはいなかった。
いつか思い出すだろうといったところだろう。
こちらとしてもそのことに助けられた。
あまり気を負わずにすんだのだ。
さて、今日は学校に行かなければ。
恵理も起こさなければならない、恵理も学校があるはずだ。
しかし
「……どうしよう」
起こすとすれば、声をかけるか体をゆするということになるが……声で起こすか

「恵理ちゃん、朝だよ起きて」
「くー……」
起きる気配ゼロ
「起きろー!遅刻するぞー!」
「すぅすぅ……」
ターゲット未だ熟睡中。
仕方ない朝ご飯の準備をしよう、そのうち起きるだろう。
とも思ったが、よく考えてみたら恵理が通っている学校を知らない。
僕の学校は徒歩十分といった所だが、恵理もそうとは限らない、いや確実に遠い
だろう。
僕が家を出た理由は自分の学校から家が遠いからぐらいしか思いつかない。
「……ん?」
どうやらこの辺の記憶も曖昧のようだ……不便はないが、まぁスルーすることに
する。
それよりも恵理を起こさなければ。
少し気が引けるのだが揺すって起こすか。
「おーい、起きろー」
声と共に肩を揺する。
「うーん」
反応アリ。
だが恵理を妹として認識仕切れてない僕は内心ハラハラ半ばドキドキである。
この起こし方で良いんだろうか……?
「うん?あれ……お兄ちゃん?」
やっと起きた。
「うぅーん、おはよぉ。ふわぁ……」
どうもまだ完全に覚醒仕切れていないらしいがまぁ大丈夫だろう。
「学校は?今日あるよね?どの辺になるのかな、今から間に合う?」
言ってから思ったが質問しすぎだな、少し落ち着こう。
「んー?こっから十分ぐらいだよ?まだ間に合うよ」
そうか、……十分?
僕の学校と同じ所用時間だが……いやまさか、可能性はゼロではないが……。
それだと僕が家出した理由は何だ?
「えーと、恵理……ちゃん?」
聞いてみるか、記憶喪失の話題をするのは少し気が引けるが。
「うーん……」
あれ、なんか不服そう。
「どうかした?」
「お兄ちゃん……“恵理”って前は呼んでくれたんだけど呼びにくい?」
呼び方か不服なようだ。
とはいえ、呼びづらいのは事実だ。
親しい間がらというのは事実だが、僕は昨日はじめて会ったという感覚が抜けな
い。
「うん、ちょっとね……」
ここは正直に答えておこう。
「うーんそっかー。……じゃあ無理はしなくて良いから少しづつ慣れてね」
恵理と呼ぶことは決定事項らしい……なんかこういう団欒はいいなぁ。
「で、何?聞きたいことあったんだよね」
「ああ……恵理ちゃんは学校どこに通ってるんだっけ?」
恵理は、あー……と言うと少し考える素振りをして、
「それも忘れてる?」
そう聞いてきた。
「うんごめん……もしかして同じ学校とか?」
さっき思ったことを口にする。
違う学校で移動所用時間が同じだとは考えにくい。
「うん、同じ学校。沢向高校。」
やっぱりそうか。
じゃあ僕が家を出た理由はなんだろうか?
「恵理は家から学校に通ってるんだよね?」
ちょっと聞いてみるか、まずは当たり障り無い話題で……。
「うん……あっ、もしかして家の場所も覚えてないとか?」
……言われて初めて気付いた。
覚えていない。
「えーと……とりあえずどの辺りになる?」
思い出す努力はしてみることにする。
「学校を挟んで反対側、だいたいここから二十分ぐらい……」
まぁ、記憶に擦りもしなかったわけだが……。
「あっ!」
いきなり恵理が声を上げた。
何事かと思ったが次の一言ですべて解った。
「お兄ちゃん遅刻する!」
時計をみると八時二十分を指していた。
どうやら話しすぎたようだ。
走ればギリギリ間に合うかどうかと言ったところだ。
とりあえず支度せねば。
僕はまだ着替えてすらいない。
家をでている理由はまた今度にしよう。
もしかしたらそのうち思い出すかもしれない。

家を出てから数分間走りっぱなしだったが、余裕も出てきたのでここからは歩き
だ。
周りには恵理や僕と同じ沢向高校の生徒が数人見える。
時間通りの団体に入れたようだ。
「これなら間に合いそうだな」
恵理に言ったつもりだったが返事が無い。
横を見ると、恵理がゼェゼェと息を切らしていた。
体力が有るほうでは無いようだ。
「大丈夫?」
「う、うん……大丈夫」
今はしゃべりかけない方がよさそうだ。
しばらく歩いていると校門が見えてきた。
前に先生が立って挨拶をしているが、誰だかわからない……記憶が消えたからな
のか、もとから知らなかったのか判らないが。
「アキラッ!?」
突然後ろから大声で名前を呼ばれた。
振り向くと、ちょっと癖っ毛のある黒髪が肩まで伸びた女の子が僕を見ていた。
……いやその子だけじゃなく、さっきの大声で登校中の何人かがこちらを見てい
る。
正直視線が痛い。
「アンタ、いきなり部屋でてったあと交通事故にあったって聞いたけど大丈夫な
わけ?」
美奈だ。
曖昧な記憶ではなくハッキリした感覚で、今目の前にいる人物が高瀬美奈と認識
できた。
「美奈?」
だが、もともと他人の記憶を持っていた自分の記憶はいまいち信用できない。
相手が本当にその人物なのか確認をしていた。
「何?どうかしたの?」
それだけでこちらの異常に感付いたらしい。
恵理の方に、なにかあった?と聞いていた。
「えと、事故の影響で部分的な記憶喪失があるらしいんです……」
恵理は簡単に説明をしたが、それが終わるやいなや美奈は「は?」と言った感じ
で僕の方を見た。
「私のことも忘れた……とか?」
少し悲しそうな顔をする。
なにぶん状況が状況なだけに自分を信用できないが、
「美奈だよな……?」
もういちど確認。
「……私のことは覚えてるみたいね」
美奈はなーんだと言うようなそぶりだ。
「えー!なんで美奈ちゃんのことは覚えてるのー!」
恵理はなんか不服そうだが。
「よう、今日もいい天気だねぇ」
今度は茶髪の男が声をかけてきた。
「誰だおまえ」
とっさにそう言ってしまい、しまったと思ったが。
「ひどっ最愛の親友を忘れたか!?」
と相手は普通に返してきた。
むしろノリノリだ。
「紀章の事も覚えてるみたいね?」
いやまったく記憶にない。
どうやらかなり親しいようだが……。
「ごめん、マジで誰?」
瞬間、その場が凍った。
ああ……今日はいい天気だ。



     

第七章

名前が分からなかった今朝方の奴は伊藤紀章というらしい。
僕と親しかったのかと思いきや、一方的に話し掛けてただけで親しいとは少し言
い難いとのこと。
しかし付き合いは幼少からだと言う。
……よく分からん。
「しかし、交通事故で記憶喪失かぁ。なろうと思ってもなかなかなれないシュチ
ュエーションだよなぁ」
教室に入った紀章は、ある意味羨ましいといいながら僕に視線を向けた。
「なぁ、俺のこと本当に覚えてないの?」
「残念ながら」
……なんとなく、懐かしいような気がしないでもないが。
「そっかぁー。でもさ、喋りやすくなったよな。お前」
「ん?」
そうなのか?
「そういえばそうね」
後ろから美奈が会話に加わる。
「単純に私たちを邪険にしなくなっただけかもしれないけど。なんか……子供の
頃みたいね!」
美奈の言う昔が、僕のなかでは霧がかかったようになっていて分からないのだが

昔はこいつらを邪険にしていなかったということなのだろう。
確かに今は、邪険にする理由がない。
前までは、他人の記憶に苛まれ、常にイライラしていたために距離を置いて八つ
当りしないようにしていたのではなかろうか。
「そういえば……」
紀章が何かを思い出したかのようにつぶやく。
「お前、勉強は大丈夫なのか?」
前途は多難だ……。



結論から言うとまったく問題なかった。
なぜだか分からないが、理解できる程度には知識があった。
……むしろ、記憶喪失前よりも頭がまわる気がする。
これも他人の記憶がなくなったからだろうか?
午前の授業が終わり、学校全体に長い休息が訪れる。
「アキラ!」
紀章から名前を呼ばれる。
このタイミングなら次の言葉は大体決まってるわけで……。
「食堂行こうぜ!」
断る理由はなかった。



食堂はそれなりの賑わいを見せていた。
「いやー、アキラと食堂に来れるとは……」
「そんな大げさな……」
「いやいや、前までならムシして教室でてったからな。もうある意味俺の夢にな
るくらい貴重だぜこれは!」
実際そうだったのだろう。
紀章との記憶は無いが、自分にそんな余裕がおおよそ無かったことは予則できる

天賦の才能とはいえ、僕にとっては呪いともいえる。
「ここで男同士の語らいをしよう!」
食堂で何を語るんだ……。
「一応私もいるんだけど?」
美奈がやれやれと言った様子で割って入る。
「そうだった……。なんでいるんだよ」
紀章としては面白くないらしい。
「別に。いいじゃないたまには。こんなこと今までなかったんだから」
少ししんみりした様子で語る美奈。
友達付き合い悪いな、僕。
「いや、お前いつも弁当だろ?」
「そうなのか?」
確かにそれなら此処にくる意味はないが。
「……忘れたのよ」
美奈が忘れ物をするのは珍しいと思った。
半分記憶喪失なので、どこまで自分の記憶が正しいか分からないが。
「ほぅ、珍しいな」
やっぱり珍しいのか。
「……そんなに失踪した旦那が心配だったか?」
紀章はニヤニヤしながら今度はそんなことを美奈に言っていた。
「だ、旦那!?」
なにやら慌てる美奈。
この場合の旦那は僕のことだろう、が……。
「僕と美奈ってそんな関係だったのか?」
そう聞くと美奈は顔を真っ赤にし、
「なっ!んなわけないでしょ!!」
おこられた。
もしそうだとしたら、美奈だけ忘れてないこともロマンチックな解釈で無理矢理
納得できたんだが……考えたら恥ずかしくなってきた。
「なんだ、一番アキラと親しいのに旦那じゃないのか」
面白くなさそうに口では言っているが、顔が笑ってるぞ紀章。
「アンタだって幼稚園からの付き合いじゃない」
言い返す美奈だが。
「俺にその気はない……それとも俺と晶をホモにしたいのか?」
紀章、その返答の仕方はどうかと思う。
「いや、別にそういう意味じゃ……」
さすがに美奈も何を言ったものか困っているようだ。
友達と会話しながら食した昼食は久しぶりに楽しいものだった。
食事も終わり、教室に帰ろうとしたところ。
何の縁か、あるいは呪いか、あの白衣にでくわした。
「見かけない人だなあれ、新任の科学の先生か何かか?」
「さぁ、そうなんじゃない?白衣だし。でもそれにしちゃ若いわね?」
紀章と美奈がそんな会話をしている。
僕はといえばなぜここに正原がいるのかを考えていた。
新任の先生でないことは明白だ、僕の一つ上だという話しだしな。
考えてるうちに、
「おお、やっと見つけたぞ晶君!」
こっちに気が付いた。
なんかメチャクチャ手を振っている。
もはや謀らずとも、注目の的の僕。
……他人のふりをしたい。
無理なわけだが。
「なんだ、知り合いかアキラ?」
紀章にそう聞かれ、ああ等と生返事を返しつつ、
「先に教室に行っといて」何か重要な話があるのだろうと思い、美奈と紀章に先
に帰ってもらった。



「いや、なかなかに広い学校だなここは。おかげで君を探すのに苦労したぞ!」
苦労したという割に楽しんでるような気がするなこの人。
「何かあったんですよね?」
じゃなきゃわざわざここまで来ないだろう。
「まぁ、あったと言うよりは、まだ知らせてないことがあるのでな。これはなる
べく早く知らせたほうがいい」
病院では恵理の介入等で言い損ねたらしい。

「今は時間がない、放課後に連絡する。携帯はもってるかね?」
「持ってますけど……今じゃダメなんですか?」
早めに知らせたいのなら今でも良いと思うのだが。
「……別に私は構わんが、長くなるのでな。今話すとなると話を途中で切らざる
をえんし、そうなると君は午後の授業に集中できんと思うが」
そこまで言われたらどっちにしろ気になって集中できないんだが。
「ではまた放課後にな。退屈だろうが授業はちゃんと授けるべきだぞ?」
そういいながら白い不振者は去っていった。
呼び止めようかとも思ったが、放課後に会えるならいいか。
それよりも、あんな部外者が校内を歩いていても大丈夫なのか心配だが……。
何とも不可思議な人だ。



さて。
半日、学校で過ごしたが。
僕が覚えていることと、覚えてないことがハッキリしてきた。
まず、人物については美奈以外は名前すらわからなかった。
まぁ、もともと友達は多くなかったみたいだが。
美奈についても名前以外でわかることは、幼なじみだということが漠然的に判る
だけで、他のことは何も判らない。
知識はどうやら残っているようだ。
ただ思い出が無いため、それをどこで覚えたかが判らない。
学園やこの周辺地域の地理も頭にあった。
生活に事欠く事はないだろう。
それと、夢を見ていたことを思い出した。
正原に会った病院での話だ。
ぼんやりとしか思い出せないが、美奈や紀章も出てきていた気がする。
すると僕は紀章を知っていなければおかしいのだか……。
何にせよ放課後だ。
そこで昨日聞けなかったことを全部聞いてやろう



     

第八章

鐘が鳴る。
その鐘に合わせ、先程まで弁論を奮っていた物理学の教師と、このクラスの担任
が入れ替わった。放課後だ。
正直な話し、物理の授業なんて頭に入ってこなかった。
正原の言いかけたことが気になってしょうがなかったのだ。
「平井」
いつのまにか終令を終えた担任が僕の目の前にいた。
「お前、昨日の夜交通事故にあったそうじゃないか。大丈夫なのか?」
そういえばそう言う事になっていた。
今まで完全に忘れていた。
「正原から聞いたときは驚いたぞ。何事もないように学校に来てるんだからな。

それはしょうがない、実際外傷は何もないんだから……。
「先生?」
「ん、どうした?」
何気なく会話しているが、この人今……。
「正原って言いました?」
言ったよな?
「正原がどうかしたのか?」
何がどうなってるんだ?
「えぇっと……。先生は正原の事知ってるんですか?」
「当たり前だろう」
当たり前?
「クラスメイトだろうが」
「は?」
なんかすごい事言ったぞこの人。
「あ?ああ、そうか。お前記憶喪失になってるんだったな。部分的とはいえ大変
だろう?」
いや、いくら僕が記憶がなくても正原がクラスメイトだというのは有り得ない。
僕の記憶に無いのはまだ良いとしても、美奈や紀章も知らない様子だった。
僕の一つ上だとも言っていたし、どう考えてもおかしいだろう。
どうやったのか解らないが、先生に正原自身がクラスメイトだと思い込ませたよ
うだ。
先生との話はそこそこにやり過ごし、僕は鞄をもち教室を後にしようとしたが、
「アキラ!」
と声をかけられ振り替える。
紀章が鞄を肩に担ぎながら、
「帰るなら、一緒に帰ろうぜ。部活には入ってないだろ?」
そんな話しを持ちかけてきた。
「ごめん。今日は用事があるんだ……」
厳密には帰らない。
なぜだか判らないが正原には学校の敷地内に呼び出されていた。
「ん?さっきあだっちゃんと話してたことと関係ありか?」
当たらずも遠からずだろうか?
ちなみに、『あだっちゃん』は担任のあだ名で、本名は『足立』だ。
「そうか、じゃあまたな!」
そう言って紀章とは別れた。
今日一日過ごして紀章がどういう人物かは、何となくわかった。
一言で言うならお人好しだ。
お節介やきとも言えるだろう。
僕には幼少からただ一方的に話し掛けていたというが、それは彼がお人好しゆえ
だ。
いい友人を持ったものだ。
「あんた帰らないの?」
今度は美奈から声を掛けられた。
「うん、ちょっと用事があって」
紀章の時と同様の受け答えをする。
「……昼休みの時の白衣の人?」
鋭いな。
「あの人に話し掛けられてから授業聞いて無かったでしょ」
またよく見てるな。
まぁ、正原と話すことがバレるぐらい別に構わないか。
「ちょっと記憶喪失のことでね」
正原が僕の記憶をなんらかの方法で吹き飛ばしたのだが、それは言わないほうが
良いだろう。
信じないだろうし。
彼の言う僕もあまり信じていないのだが。
「ふーん。……じゃ、また明日」
少し考えるようにした後そう言って美奈も帰っていった。
先程、授業の終わり頃に届いた正原のメールを確認する。
『部室に来てくれ。』
これだけだった。
部室ってどの部室だろうか?
……"部室"という部屋があるのだろうか。
……なんだろう、そんな気がする。
前にこんなことなかったか?
いや、記憶喪失なんだから判らないか。
……"部室"探してみよう。
この学校は旧校舎が存在し、それが部室棟として機能している。
"部室"があるなら旧校舎だろう。
まぁ、見つからなければ、その時はその時だ。
不思議とそんなものは無いという考えは浮かばなかった。
その根拠は微かに残った記憶だろうか?
携帯電話をポケットにしまい、今日一日であったことを思い出しながら僕は旧校舎
に向かった。



あった。いや、本当にあるとは。
旧校舎の一階、端の一角の木枠の扉に、A-4サイズの紙がテープで張りつけてあり
、太めの黒マジックで『部室』と殴り書きされていた。
今日作ったんだろうなこれ……。
何だか物凄く胡散臭い。
たがまぁ、この胡散臭さがあの白衣を思い起こす。
他にこんな部屋はないだろうしな。
一人納得して扉を開く。
果たして、部室には先客がいた。
線が細く、白い髪のボブカットが印象的な女の子だった。
この学校の制服を着てるが、年下……かな?
部屋の椅子に座り、ルービックキューブをあっちに回しこっちに回ししている。
その場所がひどく神聖なような、触れれば壊れてしまいそうで。
僕は扉を開けた状態で固まってしまった。
鈴をならしたような声がした。
「え?」
一瞬誰が言ったのか解らなくて、反射的に聞き返してしまった。
「……入らないの?」
もう一度、今度はルービックキューブから目を僕へ向けて、そう言った。
「ああ、ええと。入っていいの?」
思わず聞いてしまう。
女の子は首を傾げ、少し思案したのち『いい』と一言だけ言って、またルービッ
クキューブに目を落とした。
「……」
なんか不思議な子だな。
許可はもらったので彼女と机を挟んだ向かいの席に腰を下ろす。
改めてこの部屋を見回す。
他の部室とあまり広さにちがいはない。
広くもなければ狭くもない感じだ。
中央に机……よく見たらテーブルだなこれ、まぁその周りにいくつか椅子があり
、それに僕と彼女は座っている。
扉から見て左奥にはキッチンのようなものとベッド……ベッド?
「宿直室かここ?」
いくら旧校舎だからって使ってもいいのだろうか?
「そう」
彼女がいったい何に返事をしたのか解らなかった。
しばらく黙っていると、気が付いたように付け足しをしてきた。
「秀一が宿直室を部室にした」
何だか気を使わせてしまったようだ。
やはり正原がこの部室を造ったと言うことで間違いはないようだ。
まったく意図が解らないが。
「そういえば」
自己紹介をしていなかった。
正原と知り合いなのは解ったが、それは薄々解ってはいたし、なにより名前を未
だに知らない。
「よし」
やっぱり自己紹介をしよう。
「あの、自己紹介してもいいかな?」
何だかこれをわざわざ聞くのはひどくなさけない……。
「……」
彼女は無言で頷く。
「えーと……」
どうしよう、何も考えてなかった。
「平井晶」
「!?」
いきなり名前を呼ばれ、身構える。
「秀一から聞いてる。……あきらって呼ぶ」
正原から聞いてたのか……納得ではあるが。
「ソラ……」
「え?」
言われて、部室の窓に切り取られた空に目を向ける。
「……私の名前」
「あ、ご、ごめん」
表情が変わらないので判りづらいが、今のは怒っていたと思う。
「……別に怒ってない……」
……ありゃ?
「ソラって呼んで」
何もせぬうちに自己紹介が終わってしまった。
「あ、えーと、みよじは?」
名前だけでは何かと不便だ。
……いや、自己紹介で何もしなかった自分の悪あがきでしかないが。
「ソラ」
「……えーっと?」
"ソラソラ"さん?
「ソラって呼んで」
みよじにいやな思い出でもあるのだろうか?
……まぁ、彼女がそう呼んでほしいのなら、それにならおう。
悪あがきは不発に終わった。
ソラは、自己紹介がすむとまた、ルービックキューブをいじりだした。
さっき僕が入ってきた時からやっているが、なかなか進まない。
ああいうパズルは、コツさえ掴んでしまえば簡単に解くことができるが、ソラは
まだ無理なようだ。
一ヶ所を動かしてはクルクルと立方体の向を変え、また動かしては向を変えを繰
り返している。
何となくそれを微笑ましいと思いながら見ていると、ソラが手を止め、こっちを
見つめてきた。
上目づかいで、少しにらんでいるようにも見えるが……。
「やりたいの?」
「ん?」
なにを?
「ルービックキューブ……」
そんなに物欲しそうに見えたのだろうか……。
「いや、いいよ。今やってる最中でしょ?」
話は合わせておこう。
話下手みたいだし、そういう子とは、なるべく話しをしてあげたい。
「面白くない」
ルービックキューブの面は、僕が部室に入ってからずっとやっているのにも関わ
らず、一面も揃ってはいなかった。
「でも、帰ってくるまでに完成させないといけない」
「……?」
帰ってくるのは正原だろうが、完成させないといけないとはどういう事か……?
「正原に言われたの?」
「そう」
まぁ、そうだろうな。だとすると。
「何かのゲーム?」
帰ってくるまでに完成させたらジュースを奢る、みたいな。
しかし、その質問にソラは首を振った。
「命令」
短くそう呟いた。
……結局意味が解らない。
王さまゲームだろうか?
……二人でやるゲームじゃないな。
それはまぁいいか。
解った事は、正原が帰ってくるまでに完成させるという"ルール"。
たが、彼女のスピードでは、あと何時間かかるか解らない。
助け船を出すか。
「それって僕が完成させてもいいの?」
ソラ以外の人が完成させるのが、ルール上問題無ければ僕がやればいい。
「"完成させろ"としか言われていない」
よし。
ソラからルービックキューブを受け取る。
「やったことがある?」
ソラからそう聞かれて気がついた。
どうなんだろう。
記憶が無い。
たが、おそらくできるだろう。
授業の時と同じで、何となく頭に浮かぶものがある。
問題はそれをどこで覚えたか解らないこと。
しかし、それはルービックキューブを解くのには関係ない。
さっそくルービックキューブをいじりだす。
思ったとおり、工程がスラスラと頭に浮かぶ。
ものの数分で綺麗に全面色が揃った立方体が完成した。
完成させたものを机の上に置くと、それまで黙ってみていたソラが、身を乗り出
してきた。
手に取り、様々な方向に向けては、おー等と声を上げている。
「……手品?」
「いや、違うから」
そこまで不思議か?
「お?もう来ていたか。もう少しかかると思っていたのだがな」
声がしたほうを振り向くと。
破裂寸前の風船のようになったスーパーの袋を両手に下げた、相も変わらず白衣
姿の正原が立っていた。
袋の中身はそのほとんどが菓子類だ。
「おおっ!?全面揃っとるじゃないか」
ソラの持っていたルービックキューブを見て、正原がわざとらしく驚いてみせた

両手の袋をテーブルに置き、ソラの手からルービックキューブをひったくると、
まじまじと観察する。
「これは、晶くん……君がやったのかな?」
「あ、ええ……」
なぜ分かったのだろうか?
「だろうな!ソラ君がこれを解こうと思ったら、あと一週間は掛かるだろうから
な!ワハハハハハ……」
妙に鼻に付く笑い声をあげながらソラの横の椅子に腰掛け、先程置いたスーパー
の袋からポテトチップスを取り出しバリバリと食べだした。
「……」
ソラは無言だった。
「どうした?君たちも食べて良いんだぞ?」
そう言いながら一辺が2センチ程度の立方体チョコレートが入った袋を開けて、
中身をテーブルにぶちまけた。
「いやいや、そんなことより。昼、僕に言いかけた事を早く教えてくださいよ」
僕はチョコには手を出さず、抗議する。
……ソラは僕の向かいでチョコを黙々と食はじめていた。
「それもそうだな」
正原はそう言うと、手に持っていたポテトチップスを凄まじい速さで平らげ。
げっぷをひとつし、真面目な顔になった。
頬にカスがついていて威厳は欠片も見られない。
「何から話すか……ふむ。君の現状把握からかな?」
言いながら頬のカスを落とす正原。
「君が今持っている記憶は、その殆どが私の記憶の残留だということが解った」
「え?」
正原の記憶?
「いや、でも僕――」
「まぁ待て。私の話を最後まで聞いてくれ」
手を前に出し、僕を制すと、テーブルに肘を突き続きを話す。
「君の知識や思い出の殆どは、私が君を発見し触れた時、君がコピーしたものだ
。それも跡形もなく消し去るつもりだったのだが失敗だったようでな。君の記憶
は私の記憶の残留と他の者の記憶の残留が半々と言ったところだろう。君の記憶
は私が消したのか、もともと無かったのか今ではわからん」
僕は黙って正原の話を聞いていた。
何と言うか、実感が沸かなかったのだ。
今の話は嘘ではないだろうが、美奈の事もあるし、正直信じられなかった。
「……美奈君のことだがな、私も彼女の事は知っているのだよ」
「……え」
僕の小さな希望は、遭えなく消えうせた。
「私が一方的に知っているだけで、彼女は私のことを知ら無いはずだが。君が美
奈君だけを覚えていたのはそのせいだろう」
美奈の名前だけ覚えていて、そのほかの思い出が無いのはこの為だと、妙に納得
がいった。
同時に、酷い寒気がした。
結局、何も知らないのだ。僕は。
「それとな、君は近じか殺されるかも知れん」
……
「は!?」
何だ藪から棒に!?
「君の能力は貴重だ。それと同時に危険でもある。君の能力を使えば一子相伝の
内容もなんら抵抗も無く手に入るからな」
言っている意味は解るが、意味が解らない!
「だとしても誰が僕を殺そうとするんだよ!」
自然と語尾が荒くなっていた。
いきなり殺されると言われ、その原因は自分の持つ特殊能力のせいだと言われる
。冗談でも笑えない。
「魔術と言うものは基本的にその人それぞれの形になる」
正原はそんな僕を一瞥して魔術などと更に訳の解らない事を言い出す。
「だが、その人の概念を完全に理解できると、まったく同じ魔術が使えるのだよ
。魔術書などはそういう基本的な概念を教えるためのものだ」
普通なら、ただの戯言だと、こいつは頭のおかしな野郎なのだと、言えたのかも
しれない。
しかし、正原は僕をしっかりと見据え、僕のどんな反応にも応じず、淡々と話し
ていく。
死刑宣告する看守のように。
……貴様は死ぬと。
その威圧感に、僕は完全に圧倒されていた。
「君の能力は魔術師には天敵のような物だ。だから狙われ、殺されるかもしれな
い。だが、私は君を殺させるつもりは毛頭無い」
そこまで話すと、正原は一呼吸おき、真剣な顔から少し寂しげな表情をした。
「魔術なんぞと、思うだろうな。それが正常だ。しかし魔術は存在する、君の記
憶を消したのもそれだ」
そりゃあ、確かに記憶を消すなんて現実離れしたことは魔術でも無きゃ無理だと
は思う、思うが『そうですか』と納得もできやしない。
「ひとつ、見本を見せよう」
そういうと、正原は人さし指を天井に向け、僕に見えるように差し出した。
そのまま正原は指の先端に集中しているようだ。
すると、ボッという音と共に指先から眩い光が放たれた。
「うわぁっ!!」
いきなりのことだったのでかなり驚いたが、正原はなおも説明を続ける。
「これが魔術だ。概念さえ理解できれば殆どの者がこれぐらいはできるようにな
る。……信じてもらえたかな?」
最初はやはり何かタネがあると思ったのだが、正原の指先から出ていた光はいつ
の間にやら光球となって指先から離れ、中に浮いている。
もはやこれが、僕のいまだ知らない別次元の出来事なのは明らかだった。
「もういいです、解りましたから……」
なんだか、この短時間で酷く疲れた。
結局僕はこれからどうしたら良いのだろうか。
「……で、だ。君のこれからの事なのだがね」
聞く気にはなれなかった。
これからの方針を話し始めた正原にはさっきまでの威圧感はなかったのも要因の
一つかもしれない。
「魔術を会得して貰いたい」
魔術を……会得?
「ちょ、ちょっと待ってください。僕が魔術を会得!?え、ええ?」
話が飛びすぎて付いていけない。
何故そんな結論に!?
「まぁそれは応急処置でしか今は無いが、君自身が自分の身を守れるようになら
んと、いつまでも私たちが守っている訳にはないかんからな。その為の護身術だ
よ。安心したまえ、君が自分の身を守れるようになるまではソラ君を護衛につけ
るし、私も影ながら護衛として或いは魔術の師匠として君に就こう」
殺されるだの、護衛だの、魔術だの、話している内容が現実離れしすぎていて、
理解できなかった。
「それにこれは今後の君のためにもなるのだよ。恐らくな」
そう言って正原が語りだした事は確かに僕の悩みの種を一つ解消する可能性があ
るものだった。




正原達が部室で話している時。
学校の外では、スーツ姿の男が街を徘徊していた。
漆黒のスーツ、サングラス、口ひげも携えいかにもな風貌をした男だったが、不
思議なことに大勢の通行人の中に誰も男を訝しい目で見たり、所謂『引く』と言
う行為をする者はいないのだった。
「……」
歩きながらタバコをスーツの内ポケットから取り出し、同じく内ポケットから取
り出したライターで火をつける。
その歩きタバコを注意する者はいない。
「……ふぅ」
煙と一緒にため息をもらす。
男の前にいた青年は煙がかかりいやな顔をしはしたが、男には興味すらしめさな
い。
「東に塔、西に教育機関、南に商店街、北に山……」
妙な呟きをするも、周りの人がそれを気にした様子もない。
「それほど大きくも無い街だが、もう少し人数を増やすか……」
男が言うと、その背中から右腕が生え、左足が生え……。
いや、正確には『生えた』のではなく『出てきた』が正しい。
男の中から出てきたそいつは、さらに左手、右足と続き、ついには漆黒のスーツ
姿の口ひげとサングラスを携えた、瓜二つのもう一人の男がでてきた。
違うところと言えばタバコを吸っているか否かのみ。
出てきた男はタバコを吸っている男のほうを振り返りもせず、反対方向へと歩い
ていった。
よく見ると、至る所に"同じ"男が何人もいるのだが……。
その異様な光景を気にする者は誰もいなかった。
「……ふぅ」
男が吐いた煙は喧騒の街に、幻のように霧散し、やがて消えた。



     

第九章

「晶君、飯はまだかね?」
学校から徒歩で十分の僕の部屋で何故か白衣が『飯』とぼやいていていた。
ここは僕の家の筈だが。
「どうした?とまっておっても飯はできんぞ?」
『ならあんたが作れよっ!!』とは言わない僕は大人だ。
「……」
ここでもソラは無言だ。
正原が合流してからは何故か一言もしゃべっていない。
「はぁ……」
溜息しか出ない。
正原とソラが此処にいるのには訳があった。
「つかぬ事を聞くが晶君。君は一人暮らしかね?」
魔術云々の話が終わったかと思うと、いきなりそんな事を正原は聞いてきた。
不審に思いながらも『そうですけど』と答えたのがいけなかったのか。
いや、どの道バレたのだろうが。
それを聞いた正原は、
「私とソラ君を泊めてくれ」
ときたもんだ。
なんとなくいいとこの坊ちゃんかと思っていたのだが、見当違いだったらしい。
恵理にはそれとなく事情を話して、今日は実家に帰ってもらった。
その後、『我々は二人で旅をしてきたのだ』とか『金は持っているが宿がない』
とか『ソラ君は私が成り行きで悪党から助けだしたのだ』とか言われ、いつの間
にか二人して僕の借家に収まっていた。
とりあえず一人暮らし用の冷蔵庫の中を調べてみるが、卵とピーマンしか冷蔵庫
にはなかった。
一人なら何とかなるが、三人では足りないだろう。買い物に行くしかない。
「材料がないから買ってくるよ」
そう言って部屋を出ようとした僕を正原が呼び止める。
「ソラ君も連れて行ってくれないか」
なんとも急な。
「なんでいきなり?」
「いや、荷物持ち位にはなるだろうと思ってな」
それは女の子に頼む事ではないと思うが。
「あなたが来ればいいでしょう」
「私は調べ物があるのでな。少し出てくる」
ああ、こんな身勝手な野郎が世の中にはいるんだな。
そう思い、文句の一つでもたれようかと思ったのだが、
「戻ってきたときには晩飯が出来上がっているのを期待しているぞ!!」
ニカニカとした笑みを浮かべる正原を見て、
「……はぁ」
反応する気も失せた。
「行こうか、ソラ」
ソラをつれて部屋を出た。


部屋を出てからというもの、ソラは僕の一歩後ろを子鴨のようについて来ていた

会話はない。
ま、話がある訳でもないし、"部室"で意味不明な話をされた後で悠長に話す気に
もなれないが。
正原が部室で言った、魔術を習得する上での僕にとってのメリット……。
それは、魔術を使った記憶の管理と操作だった。
自分の記憶を必要な物だけ確実に残し、不必要な物を排除する。
理論上は可能らしいが、そんな事をやっている人物が今迄にいないため、どうな
るかは解らないと言う。
「メチャクチャだよな……」
そんなことを呟いた矢先、ソラが制するように僕の前に手を出し、行く手を遮っ
た。
「……何?」
もうこの人達の奇行にはうんざりなのだが……。
「何か居る」
何か居るって言ったって、ここは歩道のど真ん中だ。
通行人ならはいて捨てるほど居る。
もしかすると猫とかも居るかも知れない。
「……」
しかしソラは、そんな通行人を目で追っている訳でもなく、ただ周りを警戒をし
ているだけ。
当然、まわりの通行人からは奇異の目で見られている。
勘弁してもらいたい。
「消えた」
そう言って僕の前から手を下ろした。
正直意味がわからないが、追求するとまたわけの解らないことを言われそうなの
で黙っておいた。



スーパーに入った僕はカゴを取り、生鮮食材のある外回りのルートを歩いていた

ソラはやはり子鴨のようについてくるだけだ。
「うーん」
晩飯の材料を買いにきたはいいが、メニューを決めていなかった。
何にしよう?
「ソラ、何か食べたいものはある?」
同伴者の意見を募る。
「……」
空振りした。
「……野菜炒めにするか」
なんか淋しい……。
ふとまわりを見ると、サラリーマンが多い事に気が付いた。
時間的には、各家族の台所番であるお母さん方が目立つ頃合いなのだが。
「なんか今日はスーツの人が多いなぁ」
そんなことを言った直後、ソラが血相を変えて僕の口を押さえに掛かった。
「――っ!?」
それにも驚いたが、さらに驚いたのが僕の言葉に反応してこっちを見ているスー
ツ姿の人たちの顔だった。
全員同じ顔だったのだ……。
同じ顔が、二人や三人ではない。
黒いスーツで身を固め、サングラスと口髭を携えた、あまりにもスーパーには不
釣り合いな集団。
その、スーパーに居たスーツ姿の男、全員が同じ顔だった。
「貴公ら魔術師か?」
何人もの中の一人、一番距離の近い男が僕に向かってそう言ってきた。
聞かれた僕の方は、目の前に突然飛び出した不可解の処理で手一杯だ。
右を見ても左を見ても同じ顔、顔、顔。
頭がおかしくなりそうだ。
「魔術師が二人か……。予想以上の収穫だ。」
同じ顔をした男たちの中で、一番僕とソラに近かった奴が話し掛けて来た。
ソラは無言ではあったが回りに警戒しつつ、目の前の男に対し睨み付けるなど、
敵意を露にしている。
「貴公らに私は用など無いのだが、古い友人の頼みなでな。おとなしくしてくれ

そう言うと喋っていた男とは違うもう一人の男が僕達に向かって歩いてくる。
そこまできて、やっと気が付いた。
僕は今、正原が言ったような危機的状況で。
ソラは僕のボディーガードを忠実にこなしているのだと……。
だが、女の子一人では何もでき無いだろう。
今頃になって僕の脳は脳内麻薬をフル活用して危険意識と体温を上げ。
心臓を破裂せんばかりに動かし、いつでも体を動かせるようにまでもってくる。
しかし、相手は前にも後ろにも大人数。
逃げられないという絶望感。
男は尚も僕達に迫ってきている。
心音の急激な増加は僕の不安をただ煽るだけとなり、臨戦状態の体をただ持て余
すだけの結果となる。
完全に固まった僕とは逆に、動いたのはソラだった。
相手を睨み付けたまま表情を変えず、スーツの男に向けて右手を突き出す。
その手にはどこから取り出したのか……一丁の銃。
目の前の男とは違い、眩しいほどのシルバーカラー。
映画でよく見る、大口径の拳銃だった。
それを……

バァン!!

撃った。
銃の目の前に居た男は頭が一瞬で吹き飛び、身体をその場に前のめりに倒した。
「あ、……ああ!?」
もう何が何だか。
爆発音で耳は痛いし、華奢な身体付きのソラは不釣り合いな大口径の銃を撃つし
、周りは同じ顔しかいない。
『君は魔法を信じる?』
誰が言ったか。
そんな言葉が頭をよぎった。
「入り口に向かって走って……」
それがソラの声だと判るのに数秒かかった。
「え、なに……?」
「援護する」
そう言ったソラの左手には右手と同じ大口径の拳銃がもう一丁握られていた。
ただ右手のそれとは違い、左手のそれは立体感がつかめないほどの漆黒だ。
その銃は見れば見るほど、その存在があやふやになっていくように思える。
「……逃がすつもりはない!」
男たちの一人がそう叫ぶと、その男とは別の男たちが一斉にこちらに向かって走
りだす。
ソラはその軍団に銃を乱射しつつ叫ぶ。
「GO!!」
その合図に合わせ走りだす。
方向はさっきまでソラが銃を乱射していた方向。
ソラの銃撃で入り口方向の奴らが一掃されたのだ。
「――っ!!」
しかし、やはり相手は大人数。
横を固めていた別の奴らが開いた穴を埋めるために横から流れ込む。
ババァン!!
ニ発の銃声と共に流れ込んできた男二人が床に倒れこむ。
ガァンガァンガァン!! バァンガァン!!
後ろからついて走り出したソラが続け様に撃つ。
放たれた弾丸は確実に相手の頭蓋骨を粉砕し床に跪かせていく。
「これは……面白い」
男共の包囲網を抜けた直後、後ろの方からそんな声が聞こえたが、振り向く余裕
など皆無だ。
尚も出入口に向かって走ってはいるものの、中々辿り着かない。
このスーパーこんなに広かったのかと今更思う。
男たちの足音がすぐ近くに迫っているような気がした。
しかし、そう思ったすぐ後には、ソラの拳銃の爆音がそこらじゅうに響き、足音
がかき消される。
足音が聞こえにくくなっただけなのか、足音が本当に消えたのか判別は付かない

出入口まで後少し。
もっと速く走れ!
さっきまで準備万端だったろ!
こんなとこでガス欠でどうする。
そうは思うが、思いどうりに身体は動いてはくれない。
心音だけが音を刻むスピードを着実に上げる。
後ろからは爆音と共に、何かが盛大に倒れるような音がしていた。
自動ドアが目前に迫る、そこで気が付いた。
自動ドアと言うのは事故防止の為に、わざと一度立ち止まらなければならないス
ピードで開くようになっている。
しかし、僕にはそんな余裕など存在しない。
少しでも止まればソラ共々あの黒づくめに捕まりアウトだ。
「ヤバいっ!!」
思わず声に出た。
ソラの持つ銃ならば打ち抜く事は出来るだろうが、人が通れる穴を開けるとなる
と、話は別だ。
それに銃声の数から考えるとこっちを気にする余裕など無いだろう。
体当たりで突き破れるか、などと考えていると、視界にもはや見慣れてしまった
白衣が……映った。
自動ドアが開き、足首まである白衣がより鮮明に見える。
「こっちだ晶君!走れ――っ!」
言われる迄もなく全力疾走だ。
ドアを抜け、そこで転んだ。
僕の後からソラがバックステップでドアを抜けてくるのが見えた。
そのまま片膝をつき店内に向けて銃を乱射――。
正原は片腕を前に突き出し――
「踊レ、荒レ狂エ!」
すると、正原の腕から出た影のようなモノが刃物の様な触手の様な形状になり、
ドアの手前で次々に迫る男共を細切れにしていった。
影は立体感が無く、切断をする際にも全く低抗が無いように見える。
まるで豆腐でも切っているかのようだ。
「逃げるぞ!」
正原はそう言うと倒れている僕を担ぎ走りだす。
「おわっ!?」
「暴れるな、走りづらい!」
そうは言ってもこれはかなり恥ずかしい。
僕を抱えたまま、正原が走りだすとソラが後について走る。
スーパーの出入口では先程の影が、これでもかと言わんばかりに猛威を奮ってい
た……。



     

第十章

様々な所、例えば道路、例えば路地、例えば屋上をあらかた走り抜け飛び越えた
後、僕は狭く薄暗い路地で正原の肩から乱暴に降ろされた。
「ちょっ、ちょっと待て!痛ッ!」
肩の高さからコンクリートへの尻餅は予想以上に痛い。
自分の尻を擦りながら立ち上がるが、中腰で止まってしまう。
いつのまにやら涙まで出ていた。
「撒いて……は、いないだろうな、恐らく」
正原はこの期に及んでまだ追っ手はいると、恐ろしいことを言いだした。
ここにくる間までも恐ろしいことを何度か言い、実行していた。
肩に担いだ僕になのか、後方について走るソラになのか、あるいは両方か、
「この道路を渡るぞ!」
と言い、四車線の道路をその足で飛び越え、
「このビルに登るぞ!」
と言い、先程の『影』を使い、足場を作って屋上まで外の壁から駆けあがり、
「飛べ!」
と言って、二十メートルは先のビルにひとっ飛びした。
そのすべてにソラは顔色一つ変えず付いてきた。
当の僕自身は生きた心地などしなかった(特にビルからビルへの飛び移り)。
「あ、あれが、魔術か……?」
そうでなければ説明できない。
ボディビルダーのマッチョだろうが幅跳びの世界選手だろうがあれは無理だ。
……無理だよな?
兎にも角にもこの白衣のエセ博士と、華奢な色白少女が簡単に出来ていい芸当で
は決してない。
「以外に早く来たな。もう少し遅いと踏んでいたのだが……」
正原はやれやれと言った様子でアメリカ人よろしく手を挙げたポーズをとる。
その顔には疲労や、追い詰められたとき独特の切羽詰まった感じはない。
その姿を見て、少なくとも僕は軽い安心感を得ていたのは間違いない。
さっきまでトンデモ超人に担ぎ上げられ、宙を飛んでいた時は、それはもう焦り
まくっていたのだが。
これは、所謂この人の才能なのではないだろうか。
いつも飄々とし、掴み所が無いマイペース。
まぁそこに腹の立つときもあるのだが。
こういう、焦りが出る時は誰でもいい、冷静な人間がいれば少なくとも考える余
裕は生まれ易くなる。
ピリリリ
と音がした。
おっと、と言いながら正原が白衣のポケットから携帯電話を取り出す。
出てきた携帯電話は、通話できればいいといった感じのシンプルなものだった。
「私だ」
その電話のでかたは十八歳としてはどうだろうか。
「……そうか、わかった。出来るだけ早く頼む」
ピ、と通話を切ると正原はニヤニヤとした表情で、
「明日までどこかに隠れることとしよう」
と言った。
隠れると言いながら、やってきたのは学校だった。
旧校舎の"部室"と名の付いた宿直室に入りとりあえず落ち着く。
「夜の学校と言うのはわくわくするな!」
何やらテンションのおかしな奴が一人。
「そうは思わんかね晶くん?」
「……」
僕は無言と視線で返した。
「……解った。そう睨むな、以外と恐ろしい」
そう言うと、正原は奥のキッチンに入っていった。
ソラはあの時と同じ位置に腰掛けてルービックキューブを組み立てだした。
僕もあの時と同じ、ソラの向かいの席に腰掛ける。
「晶くん、コーヒーはどうだね?」
カップを右手に二つ左手に一つ持った正原が、そう言いながら左手のカップを僕
の前に置いた。
右手のカップを左手に移し、そのカップをソラの前にも置く。
「あ、ドーモ……じゃなくて!」
くつろいでいていいのだろうか?
こんな事している間にあの黒服の奴が攻めて来たりはしないのだろうか。
「心配するな、この学園には一種の結界が張ってある。学園に侵入できてもここ
には辿り着けんだろう」
と正原はコーヒーを啜る。
「ここまで追いかけられてたんじゃなかったのか?」
あの後また担ぎ上げられ、通常ではあり得ないルートを通り、ここまできた。
その前後の正原の言動からも、てっきり追われていると思ったのだが。
「追われていたさ。相手は"軍団"だからな、そうそう逃げ切れんよ」
しかしな、と正原は続ける。
「だからこそ、あ奴は躍起になって追い駆けなくともよいのだよ」
それを聞いた僕は、ああー……と納得と諦めが半々になった声を上げた。
正原が言うには、もうこの街は人口の3分の1は奴らで占められていてもおかし
くないという。
つまる所、何処に逃げても追っ手を撒けはしないのだ。
「でも、そんなに居たらいくらなんでも気がつくだろ?」
スーパーのあの異様な光景は忘れたくても忘れられそうにない。
「"普通"はそうだろうな……」
そう言われて気が付く。
「……魔術か」
「察しが良くて助かる。所謂『認識阻害』という奴だ。『チャフ』と呼ぶ奴もい
るがな」
認識阻害……ね。
「幻術の様なものでな、そこに人が居ることは認識できてもその人物が誰なのか
、どのような姿か、何をしているのかが認識できないというものだ。その事自体
に関しても、疑問には思わんし、後になれば思い出すこともできんようになる。
対象に対して全くの無関心に成るわけだ」
何とも恐ろしい。
それを使って暗殺なんてされた日には、誰からも気が付かれずに屍になっていそ
うだ。
……ん?
それってスーパーに人が居ることを考えると、あそこでも使われていたはずだ。
じゃあなんで僕やソラは気が付いたんだ?
「何やら悩んどる様だが、魔術のことなら聞いてくれていいぞ?」
「あ、ああ……」
やはり聞いたほうが早いか……。
「スーパーでも認識阻害は使われてたのか?」
使われていないのなら話は簡単なのだが。
「ああ、一応は使っていたみたいだな」
だが……と思案しながら話を続ける正原。
「そうだな……、『人払い』を使った後に『認識阻害』は解いていただろう。君
は魔術師のソラ君が近くに居たから『人払い』の影響が無かったみたいだが。そ
れも相手の計算のうちだろうな。魔術師とその関係者を炙り出すつもりだったの
だろう。それに『認識阻害』は魔術師相手には効きにくいと言うか、使っている
ことを察知される。それで私もあのスーパーに辿り着いたからな」
そうか……と相づちは打ったものの、何か引っ掛かった。
正原の言っていることは嘘じゃないと思うが。
「そういえば……ソラの銃は何処から出てきたんだ。あれも魔術か何かなのか?
て言うか、そもそも銃刀法違反じゃないのか!?」
今まで突拍子もないことがつづいた所為で、自分の中の常識がすっ飛んでいたよ
うだ。
危ないところであった。
「いや、あれは暗器の要領で隠し持っていただけだが……」
正原はそういいながらソラに目配せすると、ソラはルービックキューブを机に置
き、机の下に両手をやる。
次に机の上に現われた手の中には、さっき見た大口径の拳銃が合わせて二丁握ら
れていた。
「?……どこから……」
と、目の前の拳銃から視線を上げると。
ソラが椅子の上に立ち、学園指定の制服のスカートの端を摘み、持ち上げだして
いた。
始め、何をしているのか理解できず。
硬直して見守る中、ソラの雪のように白い太股が露になる。
ただそれだけなら焦って止めていたところだが、その太股に茶色いベルトででき
たホルスターが両足合わせて二つ。
ちょうどスカートで隠れてくれる位置に取り付けてあった。
一目見て、なるほどなと思ったのと同時、何処のスパイ映画だとも思った。
しかし、ホルスターが露になってもまだ手の動きを止めないソラ……
「――ッ!!ストップ!ストップ!?もう見たから!解ったから!?」
手をソラに振り、視線を逸らしながら叫ぶ。
「……?」
ソラは不思議そうに首を傾げた後、スカートから手を離し、元どうり席に着いた

なんか太股とは違う白いものが見えた気がするが、記憶から抹消することにする

「まぁこの銃は警察が調べたところで"人を殺せる"とは思いもせんよ」
と言いながら正原は銀色の方の銃を取ると、引き金に指をかけ、天井に向けて一
発。
カチンッ!
思わず身構えたのだが、弾は出なかった。
正原はそんな僕を見てニヤリと薄く笑うと、
「こんな風に、ただ引き金を引くだけならそこいらのモデルガンと何ら変わらん
のだ」
そう言って銃をテーブルの上に置く。
「これも魔術なのか?」
「ああ、そうだ。使い手が注ぎ込んだ魔力を弾丸にして撃ち出す"魔術媒体"だ。
銃に描かれた『ルーン』で魔術を起動している」
だから、"普通"の警察には撃った所を目撃されても、物的証拠が無い為に釈放だ
ろうと言う事らしい。
よく見ると、銃身やグリップに小さく模様のような文字のようなものが描かれて
いた。
「スーパーの前でも派手に撃ちまくってたけど、大丈夫なのか?」
「心配は無用だ。この銃の性質以前に、私があの辺り一帯に『認識阻害』をかけ
ていたからな。何が起こっていたかなど正確に認識できた人物など居ないだろう
。スーパーの中には既に君達以外は居なかったしな」
それなら大丈夫かと思っていた僕に正原が顔を寄せ、
「ところで先程、"もう見た"などと言っていたが……何を見たのかね?」
とりあえず一発殴っておいた。



これより時間を遡ること二十分。
"2キロまで500百円"などと書かれたタクシーの車内で電話をかける青年が一人。
青のジーンズに白いTシャツ、その上にチェック柄のフード。
フード自体は灰色で、日本人特有の黒髪だったがそれがやけに胡散臭い青い瞳。
顔立ちは日本人だったが、日系といった印象を受ける。
『私だ』
電話の向こうからやや高圧的な男の声。
「そちらの希望した要素は揃えました。ただ、到着にやや時間が掛かります」
現状を報告した青年に男から了解とできるだけ早急に、とのことばを受け取る。
実際のところ、彼にとって電話は報告の手段でしかなく。
向かい側の用件については、電話やメールなどの連絡は受けていない。
「さて……」
報告の電話は終わった。
次に彼は運転手に向かって行き先を告げる。
「は?……お客さん本気かい?」
500円では到底辿り着けない距離であった。





     

第十一章

正原は僕に殴れた後、頬を擦りながら『作戦会議だ』と言って椅子に座った。
「どうも、学園内に入って来ない事を思うと、様子見をしているようだな」
「様子見?」
「ああ、相手はただ数が多いだけじゃない。用意周到に準備をし、相手を確実に
追い詰める。だがこれは、こちらにも時間があると言うことでもある」
そうは言うが、何をしたらいいのか……。
考えていてふと、気になった。
「正原はあの黒スーツの事は知ってるのか?」
正原は、ああと肯定する。
「奴の名はオセー。《軍団のオセー》だ」
"オセー"とは一体何なのか解らないが、軍団は明らかにあの能力についた異名の
ようなものだろうと、解釈する。
「魔術師の世界にある組織の一つに所属しているやり手だ。二つ名が《軍団のオ
セー》。異名《運命共同体》"レギオン"などと呼ばれている。」
二つ名や異名がつくと言う事は、ある程度有名だと言うことだろうな。
嫌な奴に目を付けられたなと、他人事のように思う。
「あの分身も魔術なんだよな……ホント何でも有りだよな」
「……あれは、……だがな」
正原が何かを言った気がしたが、よく聞こえなかった。
「とりあえず、晶君には魔術を使えるようになってもらおう」
「……は?」
いきなり無理難題を吹っかける正原。
「そんな簡単に使えるようになるものじゃないだろ?」
漫画とかなら、半年ぐらい仙人みたいな人の下で修業するとか。
何年も前から魔術書どうりに特訓するとか、怪しい薬を飲みつつ瞑想をするとか

ともかく時間が掛かる地味なものしか思いつかないが。
「心配するなチクッとするだけだ」
と、言いながら流れるような仕草で僕の両手の甲に針が刺さる。
「っ痛!」
反射で筋肉が緊張し、体が動かなかった。
手の甲がじんじんと痛い。
「何するんだよっ!せめて断ってからにしてくれよ!」
「……チクッとすると断っただろう?」
チクッというかもう、ブスッという感じだったが。
「本来ならば、魔力の制御を覚えてから魔術のイメージを創るのだが、今回は時
間が無い。イメージの方は私から今貸し出した。前後が逆だが、魔力の制御を今
から覚えてもらう」
な、何が何やら意味がわからない。
「ちょっと待て!イメージって?一から順番に説明してくれ」
面倒なのだが……と、聞き捨てならない台詞の後説明を開始する正原。
「魔術と言うのはだな、"魔を扱う術"だ。扱う術というだけで、それ自体は何の
力も持たんのだ。"魔を使う術"を体得した上で、そこに自身の"用途のイメージ"
が加わり始めて魔術を使用、行使するとなる」
「……」
何だか魔術と言う単語が多くて、いまいち理解できてない。
イメージさえできれば魔術は使えると言う事だろうか?
と言うことは妄想癖がある魔術師は強い……?
……なんだかやだな、それ。
「今は理解せんでいい。今から私の言うとおりに、頭の中でイメージしてくれ」
まず、と正原は続ける。
「目を瞑って、そうだな……包帯をイメージしてくれ。できれば使用前のロール
状ではなく、ほどいた後の帯状が好ましい」
言われるとおりに帯状の包帯をイメージする。
不思議なことに自分が思った以上に鮮明にイメージができた。
真っ白な帯が数本、僕の目の前でゆらゆらと揺れる。
「それが腕に巻き付いている様にイメージしてくれ。」
再度言われたとうりにイメージする。
ムエタイとかのバンテージの様なイメージになったが問題ないだろう。
イメージはできたが、特に何も起こらない。
「イメージできたか?」
「……ああ」
目を瞑りながら答える。
「よし」
と言いながらまた、針が刺さる。
「っ痛!」
先程とは違い、反射的に体が動いた。
「さっきから何なんだよ!?」
手を擦りながら抗議するが、そんな僕には目もくれず僕の手を見つめる正原。
「うむ、成功だ」
「は?」
痛みが引き、手に感覚が戻ると、自分の手とは別の感触がすることに気付き、自
分の手に目を落とす。
そこには、さっきイメージしたとうりのバンテージが出来上がっていた。
「ん、んんっ!?これが……魔術?」
手を開いたり閉じたりしながらバンテージの感触を確認する。
さらさらした布のような、革のような、不思議な感触だ。
正直なところ、魔術と言うより装備品と言ったほうがしっくり来るのだが、何も
ないところから突如現われたこれは、魔術なのだろうな。
「術式とイメージは私からの貸し出しだがな。魔術名は《白帯》。魔術と斬撃か
らなどの絶対防御だ。慣れればその様な形状ではなく、帯状で使ったり、身体中
に巻き付けることも可能だ」
なんとなく理解はできたが……。
「さっきの針は?」
「魔術を運営するラインを確保するために神経系を少しいじった」
それは、"肉体改造"と言う事で良いのか?
僕の体は大丈夫だろうか……。
「残りは……面倒だからこれでも読んで覚えてくれ」
と言われ、茶色い表紙の手のひらサイズな本を渡された。
表紙には『魔術の基礎』と、小学生用の教科書を思わせるタイトルが日本語で書
かれていた。
「読んだら返してくれ。一つしかないのでな、無くさんように頼む」
魔術の基礎の本と言うのはそんなに少ない物なのかと思ったのだが、どうやら違
うらしい。
「君にその本は日本語に見えるのだろう?」
その言葉でピンときた。
「私には英語に見える」
「ええぇ……」
ホントに何でも有りだ。



ある一人の男が学園の正門前で、漆黒のスーツをはためかせ、中の様子を伺って
いた。
他のオセーも様々な場所から全員、中の様子を伺っている。
その情報はすべてのオセーが同時認識し、それぞれが頭の中で処理することで通
常の何倍もの処理能力とオセー全体の統率を得る。
これこそが《軍団》の名を冠する魔術、《独りの軍隊》-Alone army-であった。
"世界"と呼ばれる魔術師組織の上位72名。
ソロモン72柱……彼はその中の一人だ。
彼の場合はソロモン72柱、57柱《軍団のオセー》。
軍隊を指揮する能力に優れ、自身も屈強の戦士であるという悪魔。
能力の高さ故に、悪魔と称された者達の成れの果て。
オセーは目の前の学園を再度見据える。
白衣の魔術師がこの学園に逃げ込んでからしばらく観察した結果、学園をドーム
状に覆う魔力を検知した。
「やはり《結界》か。《地雷》も警戒するべきか……?」
《地雷》とは魔術で構成されるトラップの総称だ。
効果は千差万別だが、モノによっては科学の結晶として存在する地雷の名が付け
られている物もある。
発動条件も一つや二つではないため、警戒が必要ではある。
だが、自身が街に入ってからそれほど時間は経っていない。
先程の二人の慌て振りからみて、《地雷》をこんな一般人が出入りするところに
仕掛ける時間はなかったはずである。
となれば、この結界を破壊する事だけに、今は意識を向けよう。
オセーは一人で正門をくぐった。



「む……来たな」
正原が呟く。
「え?」
ついさっき正原から借りた《魔術の基礎》を読んでいた僕は、本から正原に視線
を移す。
「一人だけだが入ってきた。偵察か、あるいは工作か……」
「そんな事が解るのか?」
「ああ。自分の張った結界の中なら誰が何処にいるか、すべて把握できるように
造ってある」
索敵専用の結界が存在するらしい、というのは魔術の基礎に書いてあったが読み
かけで、ちゃんと理解してはいない。
聞いているかぎりでは、そのへんの索敵機器より制度がありそうだ。
「様子を見てくる。ソラ君、晶君の護衛を任せる」
「了解」
正原とソラの会話に異様な雰囲気を感じながらも、扉から出ていく正原を見送る

「……」
「……」
正原が居なくなったとたんに、シーンと言う音が聞こえてきた。
何か話したほうが気が楽ではあるのだが何を話せばいいのか……。
「……質問してもいいかな?」
「……?」
ソラはルービックキューブから視線を上げ、訝しげに顔を傾けるが、すぐに無言
で頷く。
質問というのはきっかけで、実は単純な話をしたいと思っただけだった。
これも現実逃避なのかもしれない。
「ソラってどこの国出身なの?」
あまりにも白い髪のせいか、日本人ではないように見える。
「日本……」
「えっ……」
これは……やってしまった、か?
ものすごーく不審な目で見られているような気がする……たぶん。
「髪の毛が気になる?」
「あ、えぇ~っと……」
どう答えたらいいか。
言葉を選んでいるとソラは
「私は、気にしない」
そういっていた。
「……綺麗だと、思うよ?」
「……え」
なんかこれもやってしまった感が漂う。
「えっと、そうだな……正原とはどういう関係?」
別に他意はない。……本当だ。
二人の異様な雰囲気が気になったのだ。
「彼は上司、私は部下」
……どういう意味だろうか?
そのまま解釈すれば、正原も何かの組織に所属していて、ソラはその部下……と
言ったところか?
そう言えば、今も現在進行形でやっているルービックキューブも始めは『命令』
だとか言っていたが。
「……」
無表情で判りづらいが、恐らく真剣に取り組んでいるに違いない。無言だし。
しかし、放課後のあの時同様、一行に進む気配が無い。
此処にきてからすぐに取り掛かっていた筈だが、そうだとするとすでに一時間は
経っている。
だが、何故か一面も揃っていない。
これは相当なパズル音痴(?)ではなかろうか。
「やり方、教えようか?」
自然とそう言っていた。
できないパズルを一生懸命捏ね回しているソラの姿も和むのだが、どうせなら完
成させてやりたい。
「……いい。……自分でやらなければ意味が無い」
まぁたしかに。
「また『命令』?」
そこまでキツイ権限が有るのだろうか?
そもそも、正原がこんな意味の判らない『命令』をするとは思えないのだが。
「そう」
しかし、ソラはこれが『命令』だと言う。
何かを聞き間違えているのでは、とも思うが果たしてどうか……。
「……ん」
「……何?」
ソラが何かに気付いた素振りを見せたので反射的に聞いた。
「…………」
コトッ、とルービックキューブをテーブルに置く。
そして、先程から出しっぱなしになっていた拳銃を両手に構える。
「きた」
「来たって、……オセーか!?」
静かにうなずくソラ。
マズイ。
正原は様子を見てくるといって、出ていったままだ。
こっちにあのスーツの男が向かっているとすると、先程の一体は囮だったのか―
―?
様々な憶測、推測が頭を廻る。
相手は自分を殺しにきたのかもしれないのだ。
怖い。
スーパーの時は驚きが勝って麻痺していた恐怖心が、今になって溢れだす。
「構えてて」
ソラの声はこんな時でも何の感情も感じない。
透明。
自分が慌てているからだろうか。
そんな印象を強く受けた。
「……構えて」
もう一度。
意味を理解し、僕は正原から借り受けた魔術を起動する。
イメージは包帯、効果は絶対防御、名称は《白帯》それを腕に巻く。
さっきよりもスムーズに魔術が組み上がっていくのが自分でも解った。
「――うぐっ!?」
腕を中心に、蛇が這い回るような不快感の後。
自分の腕に、先程のバンテージが出来上がる。
今のが魔力、だろうか?
ソラに目を向けると、部室の扉を見つめていた。
自分もそれにならい扉に意識を集中する。
静かな部屋に外から、服が擦れる音と足音が響いてくる。
扉の前でその音は止み……。
ビギギギ……
何か、合わない歯車を無理矢理回したような。
そんな音がした。
ドアノブは回っていない。
もっと別の、この部屋全体から聞こえるような。
部屋全体に意識を向け……その時気が付いた。
しかし、その感覚は有り得ないとも思った。
自分が部屋ごと、閉じ込められるような感覚があったのだ。
だが一度感じた感覚は、それを無理矢理に裏付けるように頭から知識を引きずり
だす。
そもそも、結界とは外界からの侵入を防ぐためだけのモノだったか?
聖域を決めるための境界であったり。
『臭いものには蓋を』という言葉どうり、何かを外界から隔離する為の……所
謂、封印の為のモノでもあるのではなかったか?
ソラは音が聞こえなかったのか、先程と同じく扉を見つめている。
気のせいだったのかと思いもするが、自分の中で不安は確信へと姿を変えつつあ
った。
ビキッ、ギギギギ……
また音が鳴る。
先程の音に似ているが、音自体が少し大きく何かの破壊音が混じっていたように
思う。
「ッ!?」
ソラが扉とは違う方向にきょろきょろと目を向けだした。
「何か聞こえたのか!?」
期待、というべきか裏付、というべきか。
ともかく確証がほしかった。
自分が行動するだけの何かしらの確証が。
ソラは少し切羽詰ったような、しかし無表情で頷く。
ギガガッギギ、ビキッ!
その応えと音を聞いた僕は、迷わず扉に向けて走った。
音が大きく破壊的になっている事から考えても、時間があまりあるとは思えない

それに、この閉鎖されているような息苦しい感覚。
どちらかといえば後者が僕を走らせる要因ではあった。
音だけであれば、正原が何かしているのではないかと思うことができたかもしれ
ないが、あの不快な感覚がそれを許しはしなったのだ。
この部屋唯一の出入口であるドアにたどり着き、ドアノブをまわし、走ってきた
そのままの勢いでドアを押し開く。
ガリガリガリッという、おおよそドアを開けたときには出ない音と共に僕は外に
出た。
出た直後眩暈がし、その場に片膝をついてしまう。
「良い判断だ、少年……」
横からした声はスーパーで見た黒スーツの男の物だ。
「構築段階とはいえ、結界をああも容易く突破するとはな。いや、恐れ入った」
押し開いたドアには、黒い紋様の様なものが全体に描かれていた。
やはり結界だったのかと自分の判断を自画自賛する暇はない。
ピンチだ。
何故だか解らないが、こちらは疲労困憊。
相手は目と鼻の先。
絶望的だ。
「抜けた後の事は考えていなかったか?」
オセーは僕を捕まえるでもなく、ただ見下ろす。
そのオセーと僕の間に別の影が突然現われた。
ソラだ。
ソラが僕の方に背を向ける形で、オセーに向かって銃を向けつつ部屋から飛びだ
したのだ。
ドォン!
という轟音と共に、オセーの眉間に穴が開く。
この近距離だ外すほうが難しいだろう。
後向きに倒れるオセー。
だがそれを見計らったかのように、オセーの後ろから現われた別のオセーがソラ
に向かって右腕を奮う。
「――ッ!?」
撃つには時間が足りないと判断したソラは、とっさに銃を構えた腕を引き戻し、
交差させて防御態勢をとる。
「それで防いだつもりか……」
バァン……と音がしたのは僕の後ろ。
廊下の端からだった。
オセーに殴られたソラは猛スピードのトラックに撥ねられたかのような形で僕の
上を通過し、廊下端の壁に叩きつけられたのだ。
「――っ」
声がでなかった。
今、目の前で起こった現象も"魔術"だというのか?
ソラはぐったりとして、ぴくりとも動かない。
気絶しているのか、あるいは……。
「あ、ああ、……」
僕の所為だ。
「あああぁぁ――」
僕の所為でソラが……。
最悪のシチュエーションに頭の中が真っ白になる。
……いや、まだだ。
ソラは、生きているかもしれない。
あんな吹っ飛び方をして生きているとなると、それは所謂奇跡なのかもしれない
が。
まだ、死は"確定"していない。
僕も他の誰も、確認していない。
だから、生きている"可能性"がある。
無理矢理にでもそう思わなければ、目の前の敵であるオセー以外の何かに負けそ
うだった。
時間が経てばさらに生存確立は減る。
ソラを助ける為にも、僕はオセーを退けなければならない。
一刻も早く!
イメージする
より早く!
白い帯を
より鮮明に!
効果は絶対防御
より正確に!
名は……《白帯》
腕に先程の比ではない不快感が奔る。
起動した魔術は腕の周りという域を越え、空間にまで及ぶ。
白帯が腕以外の、周りの空間にまで展開される。
「――むっ!」
それまで晶の様子を静観していたオセーが目を見張る。
「これは……オーバードライブか!?」
オセーは自身の魔術、《独りの軍隊》を使い、通常の何十倍という速度で判断を
下す。
明らかに目の前の少年は、自身の許容量を越えた魔術を行使するオーバードライ
ブ状態だ。
オーバードライブを発現するにはある程度の魔力と、自発的にでる感情の起伏が
必要。
あの少女が起因なのだろうが、この状態は……長くは続かない。
「うああぁぁあぁ――っ!!」
何の策もない、ただの右ストレート。
オセーはこれをあっさり片手で受けとめる。
「何の陽動も無く当たると思うたか少年……」
言葉の次にきたのは容赦のない蹴り。
白帯の能力は絶対防御だがそれはある程度の"濃度"があって初めて発揮される。
周りに散ってしまった空気中の白帯などものともせず、白帯が巻き付けられてい
ない鳩尾付近にオセーの膝が突き刺さる。
「が――っ!?」
肺の空気が全部出たような感覚。
次にくるのは、ナイフでも刺されたかのような腹痛。
力を失い、霧のように消えていく白帯。
そのすべてが『お前の負けだ』と語っているようだった。
僕は、女の子一人助けてやれないのか……。
ピリリリリ……
と気の抜けた、聞き慣れた電子音。
僕の携帯だった。
メールだったようで、2コールぐらいで呼出しはとまった。
「見てもかまわんぞ?」
予想外の言葉に相手の顔を凝視してしまった。
「オーバードライブをやらかした後だ、魔力ももう有るまい。別れぐらいはさせ
てやろう」
戦士の情けだ、と最後に付け足し、煙草を胸ポケットから出すオセー。
救急車でも呼べばいいか、あるいは警察か考えてみたが、魔術なんて得体の知れ
ないものを使う奴相手に警察がどうこうできるとも思えなかった。
とりあえず携帯を開く。
腕が鉛のように重かった。
これは、魔術の影響か、それともオセーの蹴りが原因か。
画面にあるのはメール着信の文字。
メールボックスを開き中身をみる。
見慣れないアドレスだった。
少なくとも何回も見たことがあるアドレスではなく、一回か二回見たことがある
程度のもの。
急いでメールを開く。
内容は、『彼の名前は"柳 龍二"』という文章に写真が添付されているだけ。
写真は証明写真のようなもので、初めて見る男性の肩から上の顔写真だった。
「これ……だけ?」
メールは間違いなく正原からのもの。
なにかしらの策が有るのかと期待したのだが、これだけでこの状況は変わりはし
ない。
ソラは助けられない。
「終わったか?」
オセーの冷徹な声。
その直後、視界が真っ赤に染まった。
物凄い量の空気がオセーの後ろから廊下をいっきに通り抜け、ゴオッと言う音を
立てる。
「うわっ!」
真正面からの強風に思わず目を瞑る。
風がやみ、目を開けるとそこには、葉のような形をし、炎を纏った刃渡り三十セ
ンチほどの、刃幅が広い短剣を右手に構えた、"柳 龍二"という男が、僕とソラ
に背を向けて庇うように立っていた。



     

第十二章

《2キロまで500円》と書かれたタクシーが、晶達のいる学園から少し離れた場所
に停車する。
「本当にここまでで良いのかい?もう少し行けば着くけどね?」
「いえ、ここまでで結構です」
街に入ってから、あちこちに魔術の気配があった。
それが学園に近づくにつれて多くなってきた。
それに、これは予想でしかないが、恐らくこの運転手は学園には辿り着けないだ
ろう。
"認識阻害"によって。
「わざわざ遠い所まで、ありがとうございます」
と言いながら運転手に万札を二枚ほど渡し、
「おつりはいいです」
運転手は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になり、
「ありがとうございます、またのご利用を……」
青年が車を降りるとドアが閉められ、タクシーはユーターンをし、夜の街に還っ
ていった。
青年、『柳 龍二』はタクシーが消えていったのとは逆方向の闇を見据える。
この先はこの街の住宅街、その中に今回の目的地である学園がある。
街灯等は誰が決めたのか分からない間隔で等しく並べられてはいたが、何か心許
ない。
もともとそうなのか、今日に限ってなのかは初めてこの街にきた柳には判らなか
った。
今だにあちこちから魔術の脈動を感じる。
魔術は、使うことによって音の様なものが出ると、柳は感じている。
これは人によって感じ方は違うし、認識できる強弱にもかなりの差がある。
目を閉じ、意識を集中する。
イメージは"ソナー"。
やがて、脈動だった感覚が、人を形作った。
数は……数えきれない、どうやら街全体にこの、"人型の何か"がいるようだ。
対して、この先が住宅街なのにもかかわらず人の気配は皆無だった。
もともと居ないとは考えにくい、恐らくこの"人型の何か"によって皆外出でも
しているのだろう。
……或いは、殺されているか……だ。
更に意識を集中し、視る範囲を自分の周りに絞る。
これにより相手の視界、聴力による補足範囲等がテレビゲームのレーダーように
頭に浮かぶ。
……中々良い目と耳を持っているようだ。
こんな数の敵と正面衝突は避けたい。
しかし、急がなければ正原の指定した時間には間に合わないかもしれない。
悩みどころだが……やはり、気付かれないように行くことにしよう。
時間も、切羽詰まるというほどではない。
なんとかなるだろう。
敵の視界の外を通り、足音は勿論、呼吸もできるだけ無くし、夜の住宅街を抜け
る。
気持ちはさながら、スニーキングアクション。
民家の庭を通り、屋根伝いに飛び、必要とあらば匍蔔前進等もした。
別に難しいことをやっている訳ではない。
彼には相手の行動が殆ど判るのだ。
ようは、安全圏を安全なように移動するだけ。
相手の姿は見ない。
ただ見ないのでは無く、見えないように動く。
こちらから見えてしまうと言うことは、あちらからも見えるということ。
通るのはあくまで安全圏。
それ以上のリスクは犯さない。
普通に移動するのに比べ時間は掛かるが、問題なく間に合うだろう。
やがて、学園の周りにある塀に辿り着く。
正門にも裏門にも何人か見張りがいたし、全員の配置からみてここから入るしか
なさそうだ。
この程度の塀なら魔術を使えば飛び越えられる。
そう思った時だった。
ズボンのポケットでマナーモードの携帯が震えた。
掛けることはあっても掛かってくることは珍しい。
何か意味があるのだろう。
携帯を取り出しディスプレイを見る。
『メール着信一件』の文字。
メールを開くと、正原からだった。
内容は『彼の名前は、平井晶。助けてやってくれ』という文章に添付された写真

柳はその写真と名前を確認し、自身の魔術を発動する。
「我は汝と手を繋ぐ、手を離すのは我一人」
言葉にのって魔術が形作られていく。
これは呪文と呼ばれる魔術の一つの形。
「汝の喜び、怒り、哀しみ、楽しみ。すべて我と分かち合おう」
自身の持つイメージを言葉にすることによって再確認し、イメージを強化する役
割を持つ。
「我と汝は悠久の友」
呪文を言い終えると、自分のなかに渦巻いていた魔力が一点に集まる。
柳 龍二の魔術《悠久の友》。
名前と顔が分かる相手と、一方的な契約を課す魔術。
契約内容は、柳が相手の状況を随時確認できるというもの。
契約条件は互いに、相手の名前と顔が判別できる者。
魔術は完成したが、ノイズがひどい。
相手側は自分の事をまだ知らないようだ。
たが、突如としてそのノイズが消えた。
見えたのは、携帯のディスプレイに映った自分の顔。
目線が上がり、見えたのは《軍団のオセー》だった。
内心で舌打ちする、厄介な相手だ。
その視界の持ち主である、彼の表装意識も読み取れる。
感じるのは、恐怖、後悔、等の負の感情が殆どで、中でも悔しさが大きいようだ

『メールはこれだけか?』
これは彼の心の声。
『こんなので何が変わるんだよ!ソラを助けなきゃ。どうにかしなければ!』
少し混乱しているようだ。正原はこの少年を助けてやってくれといっている。
今から塀を越えて走るなんて悠長なことをやっていては間に合いそうにない。
あまりやりたくはなかったが……。
腰の後ろのベルトに付けている、革でできた短剣用のホルスター。
そこに手を掛け、刃渡り三十センチほどの短剣を取り出す。
笹の葉のような形をした真っ黒の短剣。
持ち手には革の、やや分厚めのベルトを巻いてある。
「我は焔、焔は我」
呪文を唱える。
今回のそれは剣の能力を発現させるためのもの。
「焔は滅罪の明かり、滅亡の明かり、希望の明かり」
呪文を紡ぐたび、剣に魔力が流れ込み、小さな剣を満たしてゆく。
「我は灯す者、導く者、指し示す者」
やがてその道具の特性に合わせ、ただのエネルギーでしかなかった魔力が意味を
持ち、変化していく。
「焔は我に従い、我は焔に従おう」
黒い短剣が脈動する。
「我焔――メガゼンテッ!」
黒かった短剣が、赤黒い光を放つ。
周囲の空気は一瞬にして沸騰し、熱を帯びた暴風と化して周りを駆け抜ける。
その剣を目の前の塀に向かって縦に一閃。
ゴオッと言う音がするが、塀が破壊された音ではない。
塀は溶かされていた。
さっきの音はあくまで剣の熱風だ。
今のでオセーも侵入者に気が付いたはずだ。
メガゼンテも今だに魔力をガソリンにして燃え盛っている。
つまりは隠れる必要、もとい、意味がなくなった。
足に意識を集中する。
魔力を足に込めながら、イメージする。
筋肉の強化……いや、それでは負荷が大きくてあとの戦闘で支障が出る。
オセーの数は"無限"だ。
限りが有ったとしても、統べて倒しきるのは不可能。
無制限と何ら変わらない。
そのオセーと戦うなら、"悪くても"万全でなければならない。
速く走る為の、別のイメージを組み上げる。
……ロケット。
良さそうだ。
足の裏、靴の裏に何かしらの噴射口があるイメージ。
自分でも分かる、イメージか弱い。
こんなことなら身体強化の呪文も創っておくんだったと今更に後悔する。
柳が得意とするのは"呪文"だ。
呪文というのは、何回も繰り返しイメージし、そのイメージを言葉をつかって再
認識、それによる強化をになう。
つまりは、"呪文"とは完全に完成されたイメージなのだ。
イメージだけの魔術というのは柳が扱うには不安定すぎる。
ただ、先程の"ソナー"は別だ。
あれは、柳の得意分野である感応系に属する魔術で、ある程度融通が利く。
簡単に言うと、柳にとってイメージしやすい魔術なのだ。
イメージはできた。
噴射口ではなく自分の背中に防壁。
魔力はよく燃え、常温で気化するなにか。
その"なにか"に、メガゼンテの火を引火させる。
耳を破壊する程の爆音。
グラウンドの砂を撒き散らす爆風。
背中の防壁によって、体が浮き、爆炎は防ぎつつ身体は前方の校舎に向かって無
秩序に突き進む。
向かい風は強いなんてもんじゃない、殴られているようだ。
迫る校舎の壁。
その壁にメガゼンテの爆風を叩きつける。
轟音と共に校舎の壁は燃え、砕け散る。
平井晶の位置はもう少し奥。
背を向けるオセーと、その向こう側でうずくまる平井晶を目視で確認できた。
先程の魔術をもう一度展開する。
今度は天井があるため、上にはあまり飛ばないように。
再度メガゼンテの火を引火させ、再びロケットのような驚異的な推進力を得る。
メガゼンテをオセーに向けて、その能力を解放する。
メガゼンテからは目を焼くような赤い光が放たれ、急激に熱せられ膨張した空気
は、逃げ場を探して狭い廊下を駆け抜ける。
「――ッ!?」
オセーが振り向く、がもう遅い。
振るわれたメガゼンテはオセーの身体に触れるなり、相手の身体を蒸発させる。
いや、正確には触れる前にメガゼンテの発する熱量でオセーの身体はすでに蒸発
していた。
触れてしまえば後はこっちのモノだ。
メガゼンテに念じる、といってもあまり意識してはやっていない。
メガゼンテを発動した瞬間から、この剣は柳の手であり、腕であり、身体だ。
操作の方法が始めから頭にある。
オセーに対して、超高熱の熱風を見舞う。
赤い光が強さを増し、触れるだけで身体が溶けだす熱風がオセーを焼く。
驚きなのは、柳はこれを自らが作った状況とはいえ、爆風に吹き飛ばされながら
やってのけたこと。
しかし、柳は少しの疲れは見られるものの、一連の事が終わった後には晶の前に
堂々とした姿で立っているのだった。

     

第十三章

まだ周りでは風の音が聞こえる。
僕は目の前の光景をただ、茫然と眺めていた。
何が起こったのか……。
目の前にいる男はほぼ間違いなく、正原の送ってきたメールの写真の人物で。
その男とは入れ代わりでオセーが姿を消し、廊下は散々な状態になっていた。
ここから見える範囲の窓はほぼ全て割れてるし、向こうのほうには、壁に開いた
大きな穴が見える。
右側の壁はなぜだか解らないが真っ黒に焦げており、まだ煙がでている。
この旧校舎、木造だからマズイんじゃないかと他人事のように考えていた。
「大丈夫か?」
写真の男、柳から声をかけられる。
「あ、はい……イヅッ!」
つい反射的にはいと返事をしたが、オセーに蹴を入れられた腹はまだ痛い。
「痛いと感じるのなら大丈夫だな。あっちの子は大丈夫か?」
「――ソラッ!!」
腹の痛みなど忘れ、ソラに駆け寄る。
ソラはぐったりとし、もともとの華奢な体付きのためか、その姿が痛々しい。
駆け寄ったはいいが、どうすれば良いか判らない。
オロオロとしていると、後ろからきた柳がソラの上半身を抱え、抱き起こした。
ソラの手首を握り、口に手をかざし、指で目蓋を開ける。
その医者のような仕草に、不安が一層に高まる。
「気絶しているだけのようだが、起きてもらわないとマズイな」
そう言って柳はソラの頬をぺちぺちと叩く。
「ん、うぅ……」
反応はするが起きる気配はない。
「仕方ない、とりあえずグラウンドに出よう」
そう言うと、柳はソラを左肩に抱え、壁に向かって歩きだした。
右の短剣を壁に向かって一振り。
ゴオッと言う音と共に校舎の壁は燃え、砕け散った。
僕はそれをただ眺めているだけ。
「どうした?早く来い。近くに居ないと守る事ができない」
「えっと、はい」
我に返り、床に転がっているはずのソラの夫婦銃を探すが見当たらない。
視線を上げると、柳に担がれたソラがしっかりと両手に持っていた。
まさか持っているとは思わなかった。
何が、彼女をそこまでさせるのか……。
「……?どうした、早くこい」
言われて柳の横に並ぶ。
初対面の相手が言うことを素直に聞くのは、少し不用心かとも思ったが。
正原からわざわざメールが着たのだ、今はこの人を信じよう。
並んでみて分かったが、柳は僕とあまり歳は変わらないようだ。
背丈は僕より少し高いぐらいだし、あまり老けているような印象はない。
学園のグラウンドは異様に暗かった。
競技場のように照明がなく、近くに光を発する建物が無いからだろうが、どこか
らオセーが出てきてもおかしない。
柳はソラを僕に預け、片手の剣をグッと握りなおした。
「オセー、居るんだろう!?話がしたい!」
柳は暗闇に向かって叫ぶ。
やがて暫らくすると、暗闇に溶け込む、黒いスーツのオセーが現われた。
「敵方に何用だ?」
オセーは出てきて早々、短く聞き返す。
「あなたの任務か、或いは趣味かは私の知る由もないが、今回の事から手を引い
ていただきたい」
柳は強く、しかし真摯にオセーに対している。
オセーはそれに対して静かに口を開く。
「これは任務でもなければ私利私欲の為のものでもない。只の友人の頼みだ……

言い終わった瞬間、数メートルは開いていたはずの距離がオセーによって一瞬で
詰められるが、柳の剣によってこれ又一瞬で切り捨てられる。
斬られたオセーは胸から上と下が分かれ、その場に倒れる。
「うわぁ!」
情けない声を出してしまったが、驚いたのはむしろその後だった。
斬られたオセーは血を流すでもなく、溶けだしたのだ。
熱で皮膚が爛れたと言うよりは、形が維持でき無くなったと表現した方がいい。
やがて足や腕、オセーを構成するすべてが黒い液体となって消えてしまった。
しかし、オセーは死んだわけではない。
暗闇から更に声がする。
「それにな、私の警戒網を突破した貴公にも興味がある」
途端、暗闇から出てくる黒い影、影、影、ものの数秒で何人居るか判らなくなっ
た。
「晶君だっけ?」
「はいっ!?」
突然柳から名前を呼ばれ、慌てた。
「いまからちょっと荒っぽくなる。その場にしゃがんで、できるだけ動くな」
続けて柳は右手の剣をちらつかせながら
「でも、何かの拍子にこのメガゼンテがもし飛んできたりしたら絶対に避けてく
れ、何かで弾くのも掴むのもダメだ」
了解の意を表す為に、首を縦に振る。
よしと言って、柳は目の前に迫る数多のオセー達を睨み付ける。
「「「一人でどこ迄できるか、手並み拝見と行こう!」」」
数人が、まとまって振りかぶってくる、オセーの声が重なって響く。
「ハァッ!!」
柳はそれをまとめて横に一閃する。
先程と同じくオセーの体が、バターの様に容易く斬られる。
見た目では斬ったという印象すらない。
只、剣を横に振っただけ……そんな印象を受ける。
今度は四方八方から、オセーが一斉に攻撃を仕掛ける。
「――フッ!」
息を吐きながら胴体をひねり、円を描くようにメガゼンテを振るう。
ボンッという音と共に、数人のオセーが燃えながら四方に吹き飛ばされる。
「我は焔、焔は我――」
オセーの次の攻撃迄に、メガゼンテへの追加呪文を唱える。
「我は指し示す者、契約に則り各が使命を果たされよ――」
それ迄、メガゼンテにまとわり付いていただけの炎が、柳と晶達の周りを包み込
む。
指し示されるのは"滅罪"。
指し示されるのはオセー。
周りを包んでいた炎が周りのオセーに向かって奔る。
柳の持つ法具《メガゼンテ》の炎は、所謂"火"ではなく、最大まで熱せられた空
気。
不可視のマグマとでも言うべきそれが少しでも触れれば、物体は融点を軽く飛び
越え、発火する。
柳達の周りのオセーはこれによって焼かれているわけだが、傍から見ればオセー
がひとりでに燃えていく様にしか見えない。
「法具相手ではやはり分が悪いか……」
オセーは攻撃を止めつぶやく。
「……もう一度聞きますが、手を引いてもらえませんか?」
攻撃は止めても周囲を囲む事を忘れないオセーに、柳は先程完全に決裂したと見
える交渉をまだ続ける。
「私が貴方に意見できる立場でないことも理解している。だが、貴方にこの少年
を殺させる訳にはいかない」
オセーはほうと、相づちをうつ。
「吠えるでわないか?《身勝手な監視者》-セルフィッシュアイ-ロノウェ……」
オセーは笑う、嘲笑っている。
柳がその二つ名を嫌っていることを知った上で、あえてその名で呼び、嫌味に笑
う。
そんなあからさまな挑発に柳は乗らなかった。
だが、柳がメガゼンテを握る力はわずかに強くなる。
二人の間の空気が完全に緊張した時だった、
ピリリリリッ!
その緊張の糸を切るかのような高い音階の電子音が、辺り一帯に響き渡った。
携帯電話のようだが、柳のでなければ晶のでもない。
聞こえる音は少し離れたところから聞こえる。
先に動いたのはオセーだった。
柳はメガゼンテを握り、僕はソラを腕のなかに抱え込む。
オセーは右手を持ち上げ、その手を上着の内側へ。
次に取り出した手に持っていたのは、これまたオセー自身に負けず劣らずに黒い
外見の携帯電話だった。
ランプが点滅しているところを見ると、どうやら先程から鳴っているのはあれの
ようだ。
「あー、聞こえているか?」
電話に出たオセーは無線機を使っているような、何とも不慣れな会話を電話に向
かって返していた。
「……もういいのか?」
必要より少し大きなオセーの声はこちらでも聞き取れたが、どういう会話をして
いるのかは解らない。
「……解った」
最後にそれだけ言ってオセーは電話を切った。
それを上着のポケットにしまいこちらを見る。
「事情が変わった、今日はこれでお開きだ」
言うが早いか、周りにいたオセー達が次々に黒い液体となって消えていく。
「待て、どういう事だ!?」
先程とは打って変わった態度を見せるオセーに向けて、当然の疑問をぶつける柳

「私の友人は気紛れでな。まぁ、また会う機会もあるだろう……」
最後に残ったオセーも、それだけ言うと急に形を失い、
「……またあおう、ロノウェ……」
液体になって消えてしまった。
「……」
「……」
柳と僕はしばらく呆然としていた。
はっきり言って、今の今までの事が全て夢だったような気がする。
「何だか知らないが、助かったってことかな……」
柳が肩の力を抜き、僕に向かってそんな言葉を掛けたときだった。
ソラが目を覚まし、何を思ったか、拳銃を持った腕を柳に向け――
「ッ!?」
「――ダメだソラッ!」
校庭に鳴り響く爆音。
ソラの手にあった黒い拳銃は、目覚めて直ぐに撃った為か、或いはオセーから受
けたダメージの為か、手から弾けて僕の顔の横を抜け、後ろの方に落ちた。
弾は柳には当たっていない、横から割り込んできた立体感の無い黒い何かに当た
って柳まで届いてない。
その何かには地面の上を奔る、影のような黒い線がでており、それを辿るとそこ
には、こんな暗闇でもよく映える、白い姿の正原が立っていた。
「はっはっは。危なかったな龍二君、大丈夫かね?」
柳は黒い何かの後ろで尻餅をついていたが、どうやらソラの弾を避けるために自
分で転んだらしく、すぐに立ち上がった。
「いや、助かりました。あのタイミングじゃ当たってました」
「は、ははは……」
何ともあっけらかんとしている。
僕は乾いた笑いを喉で響かせながら、咄嗟に抱え込んだソラの方を見た。
「――……?」
何が起こっているのか解っていないようだ。
無理もないが。
「ソラ君。命令厳守は良いことだが、早とちりが過ぎるぞ」
ちっちっちと指を振る正原が、何とも似合っていた。
「……ん?」
腕に抱かれている事にどうやら今更気が付いたらしい。
「しかしまぁ……、熱々じゃないか。正直羨ましいぞ晶君」
「なっ!?」
正原にからかわれ、慌ててソラを離そうとしたが、屈んだ状態で抱えているので
手を離すとソラがバランスを崩す事に気が付き、結局そのまま抱えた状態になっ
た。
それを見てニヤニヤする正原。
「……とりあえず立てばいいんじゃないか?」
柳に言われ、ソラを抱えたまま立ち上がる。
予想以上にソラが軽かったせいもあり、難なく立ち上がり、ソラを放してやるこ
とができた。
「えっと……その、ごめんソラ……」
謝ってはみたが、何に謝っているのか。
「?……別にいい」
ソラもよく解っていないようだ。
「何はともあれ、無事――った」
……あれ?
「オセーが――退いたか――らな――」
正原の言っている事が途切れて聞き取れない。
やがて、ゆっくりと手足の感覚がなくなっていき、立っているのかどうかも判ら
なくなる。
「あ――ら君?」
そこで意識が途絶えた。
心配そうな正原と、こちらに手を伸ばすソラが、その日の僕の最後の記憶となっ
た。



     

第一部EP

「気絶しているな」
晶を診た正原の第一声はそれだった。
「緊張の糸でも切れたのだろう。ソラ君、悪いが彼の家まで運んでおいてくれな
いか。くれぐれも素肌には触れんようにな」
倒れかかった晶を倒れ切る前に抱き留めたソラと呼ばれた少女は、すぐに頷くと
晶の腕を自分の肩にまわして担ぐ。
背が晶よりも低いので引き摺ってはいたが、それでも一般人の少女よりも遥かに
軽い足取りで校門へ向かっていった。
「大丈夫なんですか、彼女で?」
魔術師にとって、物を運ぶときに重要なのは、質量よりも大きさだ。
質量の方は筋力等を様々な魔術で補うことができる。
だが、先程のソラという少女はあまりにも華奢だ。
晶も大柄ではないが、彼女が運ぶには大きい。
そもそも、彼女では補う量が多すぎる気がする。
晶の家が何処か分からないが、距離によってはかなり無茶だと思うのだが……。
「ソラ君は効率のいい身体の動かし方を知っているからな。重いものをどう持ち、
どう移動すれば良いか……それが解る。問題はないだろう」
それよりもと、正原は話題をかえる。
「聞きたい事があるのではないか?」
「ええ、まぁ……」
正原は今朝、いきなり柳をここへ呼んだ。
しかも、魔術組織『世界』に置ける、日本一帯の監督権を持ってきてほしいとき
たもんだ。
その名の通り、『世界』には、世界中に張るネットワークがある。
世界情勢はもちろんのこと、小国の内戦から国毎の人気商品まで、多種多様の情
報が集まる。
その役目は『世界』の上位七十二人『ソロモン72柱』によって果たされている。
日本のそれは、72柱第71柱、のダンタリオンが努めているはずたった。
しかし数日より、そのダンタリオンが行方不明だという。
行方不明は、別に問題ではない。
ソロモンの中では生死すら怪しい者もいるくらいだ。
今更、行方不明程度では話題にすらならない。
問題は後任の日本の管理者を誰に任すか、だった。
柳は正原からの連絡を受けた時、タイミングの良さに不気味さを感じつつも、こ
れに直ぐさま立候補し、そのまま今に至る。
「国の監視なんて、面倒なだけなんですが……」
だからこそ誰も引き受けなかったのだ。
当然メリットもあるにはあるが……それをとっても面倒なのが、困ったところだ。
「……今から私が言う事が信用できない、或いは賛同できないと思うのなら。そ
の面倒な権利を私に押しつけて帰ってくれても構わない」
正原はそう言って話を始めた。
「これは私の私情だ、周りには何の利益も生まんし、迷惑でしかない。それでい
て最悪、世界にも喧嘩を売る可能性がある」
そこまで言って一旦話しを切った正原は、柳の目を正面から見据える。
「それでも……私に協力してはくれないか?」
柳は正原に対しては《悠久の友》が使えない。
正原自身が自分の名前を知らないからだ。
"正原秀一"という名は偽名。
その名にどういう意味が込められているのかは柳には解らない。
この時に限り、柳は"相手の心情が分かる"というインチキを使わずに相手を信頼
しなければならない。
しかし、柳はホッとしていた。
通常の信頼の形は"こう"なのだ。
決して、相手が嘘を吐いてないか知っているから信頼するのでなく。
決して、相手が自分に信頼を寄せているか知っているから信頼するのではく。
柳の能力は生れ付き、人の感情に異常なまでに鋭いことだった。
それを強化、補助するのが、魔術《悠久の友》。
今のところ、友人と言える知り合いで、唯一の例外が正原だった。
だから柳のなかには、この唯一の本当の友人の頼みを断るなどという選択肢など
無かった。
「わかりました、出来る限り協力します」
正原は、助かると言って、柳の手を握った。
「ところで、呼び名は『正原』ですか?それとも『グラーシャ=ラボラス』?」
柳が言ったその冗談の問いに正原は薄く笑い、
「日本でその名はないだろう」
と、柳に笑いかけていた。



       

表紙

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Neetsha