Neetel Inside 文芸新都
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珠玉のショートショート七選
ノートの中の彼女(作:NAECO)

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 毎日の出来事を自分の文章にしてノートにまとめていったものを日記と呼ぶのならば、彼女が遺したものはさしずめ「年記」といったところだろう。彼女が亡くなってしばらく経ち、遺族も落ち着いてきたころ、最も献身的に彼女の世話をしていた女性が見つけた一冊のきれいなノート――そこに記されていたのは、まさに彼女の一生だった。亡き彼女の「年記」を手にした女性は、ゆっくりとノートを開き、最後のページから遡って読み始めた。
 ノートの最後のページはいびつな「2084」という数字で始まっていた。



 2084 元旦

 いきなり寂しいことを書くようですが、90年も生き長らえてこられれば、私はもう満足です。まだまだ元気だと強がってみたところで、歳にはなかなか勝てません。そろそろ潮時でしょう。思えば、若いころに一度大きな心臓の病を患ってからは、いたって健康に生きてくることができました。おじいさんの後を追うのには、90歳というのはいい区切りに思えます。
 考えてみればあの人を亡くした8年前の年の瀬から、ほぼ毎日、同じように過ごしてきました。とても穏やかに暮らすことはできたし、ときどき息子たちが孫を連れて遊びに来てくれるのは凄くありがたいことです。老いてからの私の人生はとても満たされたものでした。もうこの世に未練はない、そう言い切ってしまってもいいくらい、私は私の人生を楽しみきりました。
 そんな楽しい毎日ですが、ふとある瞬間に胸をいっぱいにする寂しさは、あの人の生前には感じたことがないものでした。
 町内の老人会に出ればお友達には会えますし、話好きのご近所さんを訪ねていけばいつでも相手をしてくれます。実際、この8年はそうやって過ごしてきました。
 私の人生は恵まれていたかもしれません。しかし、もうすぐ長かった人生を終えてしまうであろうという今このとき、死後の世界であの人と会うことができると考えると、なんだか楽しみに思えてきます。
 死ぬのが楽しみに思えてくる、そんな人生でよかった。生まれ変わっても、またこんな人生を生きてみたいと心の底から思います。
 
 もうこのノートに文を連ねることもないでしょう。最後に、私の人生に関わってくれたすべての人たちに感謝を述べて、この年記の結末としたいと思います。
 
 本当に楽しかった。そして、これからもきっと楽しい、私はそう信じています。
 私に関係したあらゆる人へ。
 ありがとうございました。
 
 
 
 女性は貪るようにノートを読み進める。最後のページから1年、2年と彼女の人生を遡っていく。どうやら、1ページにつききっかりと1年分の文章が記されているらしい。しかし、年ごとの文章量にはばらつきがあり、事細かにその年の出来事や心情が書き連ねてあるページもあれば、最後のページのように、彼女の気持ちのみが記されているページもあった。ただ、傾向として、年記は前の年になればなるほど短くなっていくようだった。
 だから、その前後の年の文章は長かった「2076」のページは、ただでさえ短い文が、さらに目立って短く感じられた。
 
 
 
 2076 元旦
 
 とても何も書く気にはなれません。もし何かを書く気になれたとして、今の気持ちは到底文章にできるような代物ではないのだと思います。



 ノートを読んでいる女性は、大切な人を失ったとき、こうなることを知っている。知っているから、ノートの文章に大きく引き込まれた。
 
 
 
 2071 元旦
 
 今年は、恒例の海外旅行の行き先はイタリアでした。いつもならば我が家の貯金から旅行費用を捻出して行くのですが、今回は私の喜寿のお祝いということで、息子夫婦が用意してくれた旅行でした。
 ローマ市街を巡り、ピサの斜塔などの有名な観光地に連れていってもらい、ベニスではゴンドラに揺られて街を見て回りました。
 シチリアの果樹園は見ただけで口が酸っぱくなるほどのレモンでいっぱいでしたし、搾りたてのオリーブオイルを使った料理はぜひまた食べたいと思うようなおいしさでした。
 ただ、あの人は向こうでも元気に楽しんでいたようでしたが、老いた体には地中海の日差しはなかなか辛いものがありました。この歳になって毎年海外に遊びに行くような放蕩老人の贅沢な要望だと思われるかもしれませんが、来年は近場の韓国辺りに行ってみたいと思っています。
 
 話は変わりますが、息子も50ともなると、なんだか時の流れの速さに溜め息が出ます。孫も独立して今は立派に社会人として働いていますし、もしかしたら私が死ぬまでには曾孫の顔が見られるかもしれません。今から楽しみです。



 2054 元旦

 去年でついに私も夫も還暦を迎えました。夫に息子夫婦、そして孫に囲まれて祝ってもらうことができて私は幸せです。そして、あの人の還暦を祝ってあげることもできてさらに満足です。
 若いころには「俺が定年退職したら何して過ごそうか」なんて、あの人が冗談っぽく言ったりしたものですが、いざそのときが来てみるとどうしたものかと考えてしまいます。幸い貯金は十分にありますから、夫婦で海外旅行なんかをしてみるなんていうのはどうでしょうか。あの人に提案してみようと思います。
 孫も小学校に上がって、すっかり大きくなってきました。進学祝いにランドセルと机をプレゼントしましたが、大事に使って、たくさん学んで、立派に成長してくれると嬉しいなんてことをあの人が言っていましたが、本当にその通りです。彼の成長していく様子は、今までも見ていて飽きませんでしたが、これからさらに楽しみになってきました。



 いつしか、このノートを読む女性の頭の中には、幸せそうに暮らす一人の老婆の姿のイメージが出来上がっていた。そのイメージはノートのページをめくって遡っていく度、少しずつ若返っていく。年記の日付は、律儀にも毎年の元旦に揃えられていた。ページは遡り、50代、40代と、イメージの中の女性が老婆から中年女性へと姿を変える。ノートには主婦として家族と過ごす女性の様子が毎年同じように綴られ、そのうちイメージの姿は40代から30代、そして20代へと、若々しく美しく変化を遂げる。
 その間、ノートの中の彼女は毎日の家事をこなしたり、家族で旅行に出かけておいしいものを食べてみたり、たまにはダイエットをしてみたり、元気な男の子を出産したりした。
 そして、イメージの中の彼女は、あるページでウエディングドレスを身に纏った。



 2018 元旦

 去年、私はついに結婚することができました。その相手が、幼稚園以来の再会を果たした彼だと言うのだから、人生何が起こるか分かりません。幼いころ、病気のせいでほとんど学校に行けなかった私の唯一の同年代の知り合いだった彼は、長い時を経て、いつの間にか私の憧れの人になっていたようです。病気のせいできちんとした教育が受けられなかった私が、2年間必死で勉強して大学に入って、そして就職して彼に出会うことが出来たのは、きっと奇跡なんだろうと思います。
 私の人生には大きな穴が空いてしまいましたが、それを埋めることができればいいなと考えています。



 2013 元旦

 昨年は、私の人生において絶対に忘れられない年になりました。なんといっても、私を長年患わせた心臓の病が完治したのが、嬉しくて仕方ありません。もうベッドに縛りつけられる必要もないし、やっと行きたかった学校にも行けます。私ももう18だから、高校に行くには遅すぎるけれど、これから必死で勉強して、なんとか大学に通うことができればいいな。



 2010 元旦

 一度でいいから、外の世界でいろいろやってみたいなあ。一生をこのまま終わるなんて、絶対にしたくないです。病気が治ったらもっと楽しく、明るい場所で生きてみたいです。いろんな国を旅行してみるのもいいかもしれませんね。



 2004 元旦

 ずっとベッドの上で過ごしているから、あまり書くことはありません。
 私と同い年の普通の子は、学校に行っているんだそうです。なんでも、教室に友達がたくさんいて、先生が勉強を教えてくれるらしいです。
 先生って言うからには、みんなはお医者さんに勉強を教わってるのかな。



 1999 元旦

 毎日、胸が苦しくて仕方がないからとお母さんに話していたら、病院に連れていかれました。病院ではお医者さんが難しそうな顔をして、私の体の中を撮った写真とにらめっこしていました。
 その翌日から、私は入院させられて、入学するはずだった小学校にも行けなくなりました。なぜか名前は思い出せないけれど、幼稚園のときに仲が良かった男の子が何度かお見舞いに来てくれました。それも最初のうちだけで、いつしか、私は友達がいなくなってしまいました。
 毎日、つまらないなあ。



 そして、最後のページから90ページを遡った最初の1ページには、こう記されている。

 1994 5月7日

 お父さん、お母さん、ありがとう。



 ノートの中の彼女は、自らの人生を感謝の言葉で始めていた。彼女の年記を読んでいた、彼女の母親はノートを閉じた。嗚咽が漏れた。途中で何度もノートを投げ出してしまいたい衝動に駆られた。ノートの中の彼女が過ごした人生は、享年18の娘が綴ったものしては、あまりに長くて、幸せすぎて、見るに堪えなかった。それでも、娘が遺したものだからと必死で堪えた。
 
 90年前のノートというにはあまりにきれいで新しすぎるノートを握りしめ、せめて娘が生まれ変わったら、ノートの中の彼女になれるようにと、母親は静かに願った。

     


     

↑(FA作者:RK先生)

     




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「ノートの中の彼女」採点・寸評
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1.文章力
 100点

2.発想力
 100点

3. 推薦度
 95点

4.寸評
 完成度はこの企画でもトップクラス。
 とにかく構成が良く、ありがちな"とってつけた感"は皆無。よく考えられた真面目な作品です。"彼女"の豊かな想像力が培われた過程を想像すると、少しおかしいかもしれませんが、何とも味わい深い。味わい深いです。
 作者さんは、立派な作品をたくさん生み出せる人だと思います(もう何作も生み出しているのかもしれません)今後も真摯に書き続けて欲しいです。ていうか、自分も頑張ろうと思えました。
 推薦度がマイナスなのは、話が"綺麗すぎる"からです。リアリティに溢れている故、逆にこの後ノートを巡って、これまたリアリティに溢れたどす黒い展開になってしまうのではないか、と想像させられてしまいます。読後の印象までもコントロールするのが作者の務め――というのが個人的な考え方です。

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1.文章力
 100点

2.発想力
 100点

3. 推薦度
 100点

4.寸評
 泣けました。今まで採点した中で最も切ない話であり、生死が関わる中で最も命を大事にした作品だと思います。
 文章は作者様によると誤改行があったようですが全く気になりませんでした。というか序盤から完全に世界観に引き込まれたので細かいことを気にしている余裕がなかったです。
 万人にオススメする、人口庭師に匹敵する今企画中最高の作品です。皆さんぜひご覧ください。

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1.文章力 100点
2.発想力 95点
3.推薦度 100点
4.寸評
 とても読みやすく、無理のない練られた設定や、描写の数々は素晴しいの一言に尽きます。病気の子の心理や願望が、よく伝わってきました。

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1.文章力 80点
2.発想力 70点
3.推薦度 85点
4.寸評

 途中でネタばらしのような箇所をわざわざ挟んでおり、オチとしてはそこまで奇抜というわけでもなく、読んでいると終盤前にオチが分かってしまうのが残念。
 ネタばらしのような箇所とは、献身的に勤めていたはずの女性が、想像の中で彼女の姿を移り変わらせていく場面である。作者が意図的にやっていない可能性もあるが、実際の彼女の姿とノートの彼女が重なるのならまずそうなるはずがない、という場面だ。
 そこだけではなく、そのまま行ってしまうとカタルシス無く終わってしまいそうな年記という構成(これは私が前評判に意識させられたという部分もあるだろう)、幼いころの病気という分かり易すぎる伏線。おそらく、読んだ人のほとんどは終盤前にオチが読めていたことだろう。隠すつもりがあるのならもっと上手くできたのでは? と思ってしまう。
 また、年記の中のほとんどが病気の苦しみを具体的に感じさせない淡々とした文面で、「長い間入院していた」以外に彼女に同情できる部分が(終盤前には)ほとんどない、というのも気にかかった。
 終盤までの話には起伏が全くといっていいほど無いため、若干飽きを感じてしまう人もいるのではないだろうか。
 と、まあここまで「ここが変わればもっと良くなったかもしれない」部分を上げてきたのだが、それを差し置いても、終盤には私も感動させられてしまった。
 きっとこの物語は、「彼女」にではなく女性に感情移入する話だったのだろう。そう思わせられるほど、驚きこそ無かったものの、ぐっと読み込ませられる終盤だった。

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1.文章力 60
2.発想力 60
3. 推薦度 50
4.寸評
 アイディアがいいですね。年記、という言葉から始まるストーリーも面白かったです。
 読了後に味わえる温かい寂寞感は魅力的。

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各平均点
1.文章力 88点

2.発想力 85点

3. 推薦度 86点

合計平均点 259点

       

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Neetsha