Neetel Inside 文芸新都
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明日のお話
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 これは俺の物語だ。確実に、絶対に、俺自身の物語だ。
 手にした手記は、この一行を持って終わりを迎えている。私はこの「俺の物語」には全くと言って良いほど関与していない、ただの通りすがりの人物である。通りすがりとは少し語弊があるのかもしれないが、少しの、手と手が一瞬触れ合った程度の関係であって、もしも「俺の物語」に登場する機会があったとすれば、「唐突に、最寄り駅までの道を尋ねられた。なんか気持ち悪いおっさんだったから、ヒロん家までの道のりを教えておいた。」そのくらいの扱いであるだろう。なんとなく、この「俺」はそんなことをしそうである。
 この手記を全て読んだ感想としては、ガキ。しかしながら、非常に濃い人生録であるとも思う。
「生きるっつーのは非常に難しいことで、手に負えない。」
「人は、生きて面白いからこそ生きるべきである。」
 どの言葉もガキ臭く、恥ずかしい言葉でもある。けれども、「俺」はきっと本気で思い考え、自らの心から自然と出た言葉なのだろうと思う。心を容器のような形で表せば、言葉はそこからこぼれ落ちるものである。そのうえで、理性や経験の濾過フィルターを通すことで、どこか嘘らしく、気持ちのこもった気がする言葉になってしまうのだと気づかせてくれた。自らの、生きるとはどういうことかという問いに正面からぶつかる「俺」の言葉に比べれば、政治家の弁論など吐しゃ物の流れるドブ川に浮かぶ大便のようなものだ。と、私は思う。

 私の人生には起伏がまるでなかった。小学校、中学校と公立に進みそこそこの成績で卒業した。卒業式では「仰げば尊し」を歌って泣いたし、高校受験の時には中2病を引きずりながら毎日塾に通って第1希望の公立校に入学した。高校では酒、煙草と始まり、最終的にはガンジャにも手を出したが、悪い仲間とは大学受験の時に別れを告げ予備校に通った。始めはなんかかんやと文句を言われたが、そもそも友達だと思っていたのか怪しいほどにすんなりと離れていってくれた。その結果、第1希望こそ落ちたものの、希望の学部に進学することができた。
 大学を卒業してからは理由もなく親元を離れ、大学時代からの彼女と同棲3年目で結婚してすぐに女の子を授かり、その2年後には男の子を授かった。
 自分でも幸せな人生だと思う。不況が吹き荒れる現代の世の中で、普通に仕事に就き、普通に結婚して子供をつくることがどれだけ幸せなことなのかは理解しているつもりだ。しかし、しかしなのだ。
 私は満たされているのだろうか?
 そんな違和感が心を埋めつくし始めたのは、30代半ばにして課長に出世したときであったように感じる。息子も保育園に入り、娘は小学校に通いはじめ、二人とも以前ほど手がかからなくなった。そして、妻にも働き出して貰おうかと話し合っていた時期でもある。ふと人生を振り返り、地平線が見えた気がしたのだ。それなりに努力してきたつもりだったし、苦労もしたと思う。しかし、本当にそうだったのだろうか。私の人生は、ただただ歩いてきただけだったのではないのか?山に登ることもなく、谷底に落ちることもない。寄り道も一切せずに終着を目指す人生。そう思うと、もう、たまらなかったのだ。
 弾けたきっかけは、なんなのだろうか。未だにわからない。
 私は営業中に帰宅し、妻を本気で殴り倒した。家中の窓ガラスを叩き割った。唖然とする妻を裸に剥き、そのまま自慰行為にふけった後、テレビに射精して家を出た。
 私は期待していたのだ。妻があられもない姿で他の男に抱かれているような、浮気現場を。最近携帯電話をトイレにまで持っていき、肌身離さない様子を見て、妻の浮気を期待していたのだ。そしておそらく、妻の浮気という事実に人生の起伏を求めていたのだ。食べ物がのどを通らなくなってもいい、眠れなくもなるかもしれない。そういった経験が欲しかったのだと思う。もし実際に現場を目撃していたらどうなっていたのかは私にもわからないが、少なくとも、離婚することにはならなかったように思う。
 そこから、私の人生はまた平坦になった。自覚している分、さらに平坦になったようにも感じられた。妻には精神科への通院を勧められ、最後には子供2人を連れて実家へと帰っていった。
 空港にて、「愛しているわよ」と軽い口で、まるで恋人同士がうんざりするほどの長電話の最後、確認するかのような口調で言われた。
「当然だ、俺も愛してる」そう応えたが、いや、確かに今も妻のことは愛しているはずだ。
 その後、私はひたすらに女性を抱いた。小洒落たバーに通い、好みの女を口説いては断られ、けっきょくは尻軽そうな女とセックスをする。たまにはプロを頼むこともあったし、いわゆるハッテン場にも足しげく通った。
 それに飽きてからは競馬を始めたが、すぐに飽きた。
 新宿で手に入れたマリファナをやり、車を運転した。公園で脱糞し、大便を通行人に投げつけては逃げた。夏の休みに北海道へ旅行をした。北海道では、民家に立ち寄っては金属バットで犬を殴り殺し、畑を車で横切った。しかし、不思議なことに警察に捕まることはついになかった。
 そうして、私は火をつけた。
 次の日のニュースでは、家族4人が焼死体で発見されたとのことだった。父と母、それに子供が2人。かつての自分の家族を思わせ、ここでやっと達成感を覚えた。人生の中で一番の出来事である。「俺の物語」で言えば、「人生の終わりは死ぬことだろうか、人生のてっぺんの時が終わりなんじゃないのか。それが理解できるのは死ぬときだけで、つまりそれって、そういうことか。」である。その時私は人生のてっぺんに存在したのである。そして、警察によって捕縛され、前科持ちとなった。

       

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