8月23日 2時 北海道 釧路駐屯地 第三中隊隊舎1F 会計室
「おい、肩車するから、俺の上に乗れ。ダクトの蓋をとるぞ」
秋原は一瞬ためらったが、しぶしぶ同意する。
立川は秋原を肩にのせると、いっきに立ち上がった。何十秒としないうちに、秋原はダクトの蓋をはずした。
「先に入れ。入ったら俺を引き上げてくれ」
秋原は言われるがまま行動をする。
ダクト内は、案の定窮屈で、大の大人が通るには必然的に四つんばいの姿勢となった。
立川を引き上げるには、秋原が後退せねばならない。引き上げると、二人は狭いダクトを四つんばいの姿勢で進む。
途中いくつか換気用のフタから、下の部屋をのぞくことができたが、いずれも悲惨な状況であった。かつては同じ『仲間』であった者たちが、もはや人間とは呼ぶに相応しない、あられもない姿になりはてていた。
かなりの時間をかけ、ようやく棟のもっとも東にある、幹部室に二人はつく。
自衛隊の隊舎とは、宿舎や寮も含め、その全ての設計が年代ごとに一律なため、部屋の様相というのは、会計室のそれと大差はなかった。要はここで仕事をする人間の内容が違うだけなのだ。
立川は、今まで通ってきた部屋と同じく、まず換気用のフタから部屋の様子を伺った。
他の部屋と、大きく違う点が二つあった。
まず、部屋に誰もいないということ。
そして、死体が1つ、転がっているということだ。
「お、おい、鍵、とりにいかないのか」
窮屈さからくる不安だろうか、秋原が立川を急かす。
「いや、もしかしたら、その必要はないかも」
そう、この時点で立川は気がついていたのだ。
今までの状況を鑑みるに、奴ら、ここではそれを『感染者』としておこう、に、噛まれる、あるいは何らかの形で危害を加えられたものは、確実に感染者の仲間になってしまう。
つまり『死体』がここにあるということは、感染者ではない何者かが殺したという公算が大ということであった。
「どういうことだ」
秋原の詰問が、飽くことなく次から次へと飛んでくるが、とたんにそれが騒音によって遮られた。
彼ら自衛隊員にはあまりにも聞きなれた騒音によって。
乾いた銃声。連射音。どう考えても、自動小銃の発砲音であった。
「どうやら俺たちより先に、おんなじ考えをもっていたやつらがいたらしい。もしかしたら駐屯地を取り返せるかもしれんぞ」
とにかく、と立川は続けた。
「降りよう」
ああ、と間の抜けた秋原の返事が返ってくる。
二人は幹部室に降り立った。
足元にはもはや年齢判別すらできそうもない腐乱死体が転がっている。机も乱れ、床にはプリントの類が散乱していた。
ドアのもとへ立川が駆け寄る。
ドアをほんの少しだけ開け、廊下の状況を確認すると、そこには感染者の走り回る姿があった。
上へと続く階段は、この部屋を出、右に行きわずかのところにある。
ドアの隙間をそのままに、立川は視線だけを秋原に向け、言った。
「おい、何かなんでもいい、武器になりそうなものはないか」
言われ、暫時の後、秋原は思い出したように行動にうつす。
部屋の隅々までくまなく探したが、これといって使えそうなものは見当たらない。
が、秋原の目に、一室の角にある『用具入れ』と書かれたロッカーが目にはいった。そこへ歩み寄り、扉を開けるとそこにはいくつかの箒、塵取りがはいっていた。秋原はそのうち一本の箒を手に取り、穿く部分をへし折り、柄の部分だけを立川のもとへと持って帰ってきた。
立川は相も変わらずドアを僅かに開け、そこから外の様子を伺っている。
「おう、持ってきたか」
視線は動かさず、秋原に尋ねる。
「あ、ああ」と気のない返事をし、さきほど手に入れた箒の柄の部分を差し出す。
立川はそれを見るなり、僅かながらであるが、眉をひそめた。
「こんなものしかなかったのか」
怒るわけでもなんでもなく、それとなく訊ねる。
「ああ」
立川はその返事を聞くと、小さなため息をついた。
「それじゃあ」と話を変えるべく、立川が話しだした。
「やつらが少ない今のうちに、いっきに上にあがるぞ。ついてこいよ」
秋原は、きょとんと拍子抜けした表情を作っていた。