Neetel Inside 文芸新都
表紙

リレー小説 「K」
2: 俺/要するに短い話なんだよ

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 ――時は遡り一ヶ月前。平和な日本から移り、某国にて一つの研究が報われようとしていた。
 核ミサイルで牽制しあう世に終止符を打つという名目で始まったこの研究。思想は大層なものだが、他人を動かし得る金を持った人間が浅はかな考えで、この国の――いや、地球の生態系を脅かそうとしていた。ある者は言う、“人類は斯くも愚かしい。自らの天敵を自らの手で創り出してしまった”、と。
 陰鬱な空気が支配する地下施設にて、その実験は行われていた。意図的に暗くした部屋に、ディスプレイの人工的な光がおぼろげに充満している。そんな部屋で、数人の白衣を纏う男たちが忙しく動き回っていた。各々は文句を言いながらも焦るようにキーボードを叩き、書類をまとめ、椅子を運んでいる。
 話は唐突だった。十年単位で見られていた研究のはずが、パトロンの都合によって成果を見せるようにと、今日を指定された。もちろん、研究をしていた者達全員が無理だと心の内で叫んだ。しかしパトロンがいなければ、この研究を続けることは出来ない。つまるところ、金を出すに値する成果を見せろと催促されたのだ。
 研究者とは世の否定を自らの理論で肯定させるために生きていると言ってもいい。だからこそ、この地下研究所に集まった者達は非合法に身を委ねながらも研究を続けてきた。たとえ法に照らし合わせれば不純だろうとも、研究者達に宿る情熱は本物だった。
 そして当日。徹夜が続いて限界を迎えている脳をさらに動かしながら、パトロンの到着を待つ研究者達。各々の頭に浮かぶことは、皆同じくして研究の合否だった。理論上、失敗する可能性は限りなく無きに等しい。成功する可能性を引き上げる為の金は、全てパトロンの懐から用意された。普通の環境ならば出来るはずのない、完璧な環境。だが、それでも疲れた脳は否定的な考えを撒き散らす。わかるはずのない“たられば”を思い浮かべては、研究者達の顔に影が差す。
 そんな時、薄暗い部屋に鋭い光が乱舞した。研究者達が慌てて光が伸びる元を見れば、黒服のボディガードに守られた男が立っていた。研究者達は黒服にライトを消すように言いながら、到着したパトロンに愛想笑いを浮かべつつ挨拶をする。
「お待ちしておりました」
「くだらん挨拶は結構。早速だが、見せてもらおうか」
 予想していた反応だったのだろう、研究者達は自らの脳にスパートだと言い聞かせ、すぐさま行動に移る。
 研究者達が使う安物のパイプ椅子とは違い、人体を考慮されて作られた特注の椅子に座るパトロン。その正面に張り巡らされた強化ガラスの向こう側が、鈍い音を撒き散らしながら開き始める。それがシャッターなのだとパトロンが理解した頃、ガラスを通して見えてきたものがあった。
 依然として明かりがなく、目を凝らしてやっと見える具合の場所に、一頭の牛がいた。見ればガラスの向こう側は研究室以上に閉塞的な部屋になっており、その中心に牛が横たわっている。かろうじて体が上下していることで生きているとわかるが、パトロンはこの牛が何を意味するのか理解出来なかった。
「なんだ、アレは」
「はい。我々の成果をよりわかりやすく見てもらうためには、生きている動物を使うほうが手っ取り早いのです」
 そう言って応えた研究員が、ディスプレイの前に座る研究員に合図をする。続けて、キーボードを叩く無機質な音が連続して部屋に鳴り響く。音が響かなくなってから数秒後、甲高いブザーの音がこの場にいる全員の耳を襲った。
 突然の音に苛立ちを覚えたパトロンだが、ガラスの向こう側を見て、閉口する。暗がりの中で微かな光を放つ液体が、いつの間にか牛の周りを囲んでいたのだ。それが部屋の天井に設けられたパイプから放出されたのだと理解した時、部屋にいる全員が息を呑む。牛の周りで光る液体が、何のエネルギーも関与することなく、ひとりでに動き出したのだ。液体はまるでそうすることが当然だと言わんばかりに牛の体を覆い始める。そうして、まるでホルスタインのような柄を見せていた牛の体から、徐々に液体が姿を消してゆく。液体は牛の耳から、鼻から、口から、肛門から。挙句の果てには皮膚から、ありとあらゆる穴を使い、牛の体内に潜り込んでいった。
 完全に光が失われた部屋を見て、パトロンは張り付いた唇を強引に剥がし、口を開く。
「これが何だと言うのだ。私が君達に注文した物は――」
「――少し、待ってください。……ほら、見てください。始まりましたよ」
 パトロンをなだめるように喋る研究員の口には、明らかな笑みが浮かんでいた。パトロンはこの部屋に充満する不気味な空気を感じ取りながらも視線を正面に戻し、目を見開いた。
 何百キロもある牛の巨体が、目に見える速さで溶け始めている。それは瞬く間に始まり、終わった。どういった原理で、という疑問が浮かんだ頃には既に牛の姿は跡形も無く消え去っており、残ったのは先程見た時と変わらない光を放つ液体のみだった。
 誰かが深く溜め息をついた。その瞬間、研究室を揺らす勢いで怒号とも取れる歓声が反響する。成果を見せるという名目の実験は、確かな成功を収めたのだ。
 一人何が起こったのかわからず困惑するパトロンは、近くにいる研究員に話しかける。
「アレは一体なんなんだ。私が注文した物は、“各国の核牽制時代を終わらせるモノ”だ」
「だから、アレですよ。……見てもらえた通り、アレは動物の体内に侵入して、細胞の一つすら残さず消してしまう新種のアメーバです」
「アメーバ……だと……? 貴様、まさか私の出した金を、あんなモノに使っていたなどと言うのではあるまいな」
 パトロンのこめかみが激しく痙攣する様を見て、研究員は慌てて高まる喜びを押さえつけながら、説明を始める。
「その通りです。ですが、説明を聞いてください。……アレは、この地球上に住むありとあらゆる動物の天敵なんです。人間も例外ではありません。アレの特性は潜り込んだ動物の体内を溶かすだけではなく、それ自身の不死性も他に例を見ないものなんですよ」
「不死性? いや、それよりも、それがどうしたら各国の――」
「続きがあります。単細胞レベルまで分かれても死なない不死性もさることながら、アレは“混ざることが無い”んですよ。つまり、一度川に入れてしまえば、雨となって降り注がせる、ということも可能なんです。言っていることがわかりますか?」
「……つまり、対象の国にコレを放せば」
「そう。理論上、国と言わず一つの大陸から動物が消え去るまで、たったの一ヶ月しかかかりません。ですが安心してください、このアメーバ、動物性油脂に反応しますが、それこそ無機物に対しては何の効果も持っていないんです。ですから、ペットボトルに入れて持ち運ぶなんてことも出来るんですよ」
 隠しきれていない嬉々とした表情を浮かべながら話す研究員の話を聞いて、パトロンは困惑していた。それと言うのも、これではまるで、殺戮兵器だと。自分が言ったのはそんなものではなく、核戦争を回避し得る画期的なものを求めていた、そのはず。
 そんな考えを研究員に投げ付けようとした時、不意に部屋の明かりが点いた。暗がりに慣れた目にとって、蛍光灯と言えど強烈なものに違いなく。全員が光を避けるように顔をしかめていると、不意に先程聞いたものと同じ甲高いブザーが鳴り響いた。
「おい! 何が起きている!」
 ただでさえ暴走気味な研究に腹を立てていたというのに、この理不尽な光。ここに来てからの不満を爆発させるように、パトロンは声を張り上げた。
 ――そこで、パトロンは違和感を覚える。着慣れた特注のスーツを撫でるような感触が、足元から徐々に上がってきているのだ。依然として回復しない視界に途惑いながらも違和感の元を触ろうとして、足元に手を伸ばす。
「ひっ――ぎ、あああああああっ!」
 パトロンが手が濡れる感触に気づいたと同時に、悲鳴が部屋にこだました。だが、それがこだまじゃないことに気付く。次々と、周りにいる研究員達が悲鳴を上げ始めたのだ。妙な感触の水を触ってしまったこともあり、パトロンは自分が恐怖していることに気付く。
「どうしたっ! 応えろ! おい!」
「……逃げ、ごぼっ、ご、て」
「何を言って――っ!?」
 悲鳴の中に混ざる微かな声を聞いた時、パトロンの腕に異常が生じた。まるで液体が沸騰するかのように、腕の表面が泡立ち始めたのだ。その音が耳に届いた時、パトロンは最悪の可能性を考え、そのまま前のめりに倒れこむ。足が消えたんだと理解する前に腰まで消え、思考が追いつく前に、パトロンの肉体は化学繊維のスーツを残し、跡形も無く消え去った。
 パトロンが消えてから数十秒後、行動理念たる動物の気配が無くなったからだろう、動かなくなったアメーバが残されるのみ。明かりの灯った部屋では水にしか見えないそれは、瞬く間にこの部屋に存在していた人間を消してしまったのだ。
 のちにパトロンの親族がこのアメーバを回収しに来た際も、数十人単位の犠牲が出ることとなる。
 ――そして時間は現代に戻る。

       

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