NOT シー LOVE!
三つ眼 「『Kissからはじまるミステリー』って歌知ってますか?いい曲ですよ♪」(2010,0314 改稿)
愛する人に本当のことを言われるよりも、 だまされているほうがまだ幸せなときがある。
ラ・ロシュフーコー
「やぁ、小泉! ちゃんと働いてるか~い?」
日も暮れ始めたアフター5。私と慧は、とあるハーゲンダッツのお店に繰り出していた。
慧が威勢のいい声で呼んだ店員は私と慧が通う大学の同学年の男子、小泉だ。
小泉がどんな姿形をしているのかはわからないけど、はきはきとした口振りから察するになかなかに印象の良い男じゃないかと私は思う。
慧曰く小泉の身長は男なのに私よりも低いらしい。
小泉は「あと20センチは身長が欲しい!」というぼやきをお決まり文句のように毎日漏らしている。
「あっ! 慧に姉(あね)さんじゃないか。よお!」
慧に負けないくらい元気な小泉の声が聞こえてきた。「いらっしゃいませ」という接客用語を使っている時の声よりもその声には張りがあった。この子は仕事にそのはつらつさを活かそうとは思わないのだろうか。
やれやれ、我ながら出来の悪い弟を持ったものだ。
ちなみに私には兄弟がいない。
でも、なぜか私には姉さん気質があるみたいで、小泉から「姉さん」と呼ばれている。
つまり、家族でもないのに小泉が私のことを‘姉’と呼び、また、私が小泉のことを‘弟’と思っているこの現象の正体は、私と小泉の間で取り交わされている‘姉弟ごっこ’なのだ。私が‘お姉ちゃん’で小泉が‘弟くん’というわけだ。
「姉さん」と呼ばれる事に悪い気は感じない。なぜなら、‘兄’‘姉’という立場にある人間が感じているのだろう、ある種の優越感を感じることができるからだ。
私は弟にちょっかいを出す姉のように、ことあるごとに小泉の頭を撫でては‘姉’としての優越感に浸っている。
そして、私は頭を撫でられて「やめろよ~」と嫌がる小泉の事を可愛いと思う時がある。
別にその感情は「好き!」だとかいう‘恋愛感情’じゃなくて……なんと説明すればいいのだろう。……とりあえず‘姉弟愛’という形で読者の皆さんには納得してもらいたい。
もちろん私が小泉に対してそのような感情を抱いているのは秘密だ。
もし‘恋愛感情’を私が抱くとすれば、言わずもがな、それは星さんに対してだけだ。
「やっほーい! 小泉、いつものやつくださいな!」
「あっ? なんだったっけ?」
ガラ! パタン! ガラ! と、冷凍ケースの蓋がひっきりなしに開け閉めされているようだ。私の注文した‘いつもの’フレーバーはどれなのか小泉は考えあぐねているようだった。しかも、かなり焦っているように私には感じられた。
「えっと……えっと……あっ、いらっしゃいませ! あーどれだ?」
時折、小泉の苦悩の声に礼儀正しい接客用語が交るのを考えると、どうやら、私と慧が訪れたのこの時間は、丁度このお店に一番お客さんが来る時間帯だったみたいだ。
このお店はイートインができるのだけど、そういえば、お店に入った時から店内は美味しいアイスの味を堪能するお客さんの談笑に溢れていた。
あぁ、これは来る時間を間違えたかな。
「こらー! 小泉! グズグズすんな! 早くしろー!」
慧は小泉の忙しさも知らないで勝手な事を言っている。
「うるせー! てか、慧。お前、注文言えよ。んで、姉さんの‘いつものやつ’ってどれだったっけ?」
「黒糖黒みつとアズキミルクだよ。カップのダブルで、お願いね!」
「あー!」と言う小泉の声と共にポン! と手を叩く音が聞こえた。ようやく小泉は私の‘いつものやつ’を思い出してくれたようだった。
私はその小泉のわかりやすい仕草になぜか安堵感を覚えていた。
胸をドンと拳で叩けば「任せろ!」というニュアンスが伝わってくる。
拍手には賞賛のニュアンスが込められている。
言葉に加えて、人の仕草というものは、よりわかりやすく、目の見えない私にその人の反応や気持ちを教えてくれるのだ。でも、私は人の仕草を自分の目で見る事が出来ないので、耳に届く音を発するような仕草しかわからない。本当にこれは困りものだ。
あれが見えると一番楽なのだけど……。そう、それは‘表情’だ。
「あたしはね、えーと、どれにしようかな?」
ポン! と誰かに肩を叩かれた。でも、それは近くにいる慧しかありえない。
「なに? 慧」
「ど、どれでもいいんだよね? どれでも」
「どうぞご自由に!」
私のその言葉を聞いた慧は「ヒッヒッヒ」と品のない笑い声を上げた。
この子、何か企んでいるな?
本当に慧はわかりやすい子だ。私の頭の中に子どもみたいに何か悪巧みを考えている嫌らしい笑顔をした慧の表情が浮かんでくる。
「バラエティパックとかなしだよ!」
「へっ? なんで、わかったの?」
どうやら私は慧の悪巧みを見事に看破したらしい。
結局、慧にはコーンのダブルサイズを奢ってあげて、私と慧は店内の忙しそうな雰囲気を察して、そそくさとお店から退散した。
「今度は忙しくない時に来てくれな! 二人とも、じゃあな! ラブリーも、じゃあな!」
ラブリーの尻尾が丁度私の左脚に当たった。ラブリーは物を言わず、まるで小泉の「じゃあな」に応えるように尻尾を一回だけ控え目に振ったようだ。
大学近くの商店街を歩いていると、「今日の晩御飯は何にしようか? たー君」と口走る女性の声がちらっと私の耳に飛び込んできた。
その女性の発言から今の時間帯がちょうど夕飯の材料を主婦が買い求めに来る夕方近くであると予想できる。
「慧、今何時?」
「ん~? 夕方17時41分30秒」
私の予想は見事に的中した。
それにしても、慧よ。秒単位で教えてくれるなんて、細かいな!
こんな風に、慧にはいらないところで機転を利かせるところがある。そこが慧のいいところだ。実際、私は慧のその気働きに何度も助けられている。
でも、私はそれを「おせっかい」と受け止めてしまう時もある。
たとえば、今日の一件とか……。
「慧! 槇原公園で食べよう。アイス! 序にちょっとお話しようよ」
「あいよ!」と私の提案に賛同する明るい慧の声が聞こえてきた。
槇原公園は商店街を抜けて私の住む家がある閑静な住宅街へと続く道すがらに位置する、大きなアスレチックがそびえ立つ結構広めの公園だ。私がまだ目の見えていた幼少時によく遊んだものだ。
私と慧は公園に着くとベンチに座り、しばらく休憩をとった。
夕方18時前ということは、もう子どもたちはここでは遊んでいないだろう。子どもたちの無邪気にはしゃいでいる声が全く聞えない。
槇原公園は一日の終わりを告げるかのようにしんとしている。
話は替わるけど、この公園は外灯が少ないので夜になるとたちまち薄暗い闇に包まれる。
そのため、夜になるとこの公園は打ってつけの恋人たちのデートスポットに早変わりしてしまうのだ。
私もこの公園で星さんと二人きりで愛を語り合ってみたいものだ。
「にゃーに、ひゃなしっへ?」
慧は先ほど私が奢ってあげたアイスのコーンをバリバリと召し上がっているようだった。
この子は気が利くけど、男勝りというか、残念なことに乙女の恥じらいという感覚を持っていないのだ。
小泉の証言によると、床に座っている時は平気で胡坐をかくような女の子らしい。
きっと、今、慧の膝元はバリバリと噛み砕かれたコーンの残骸で汚れてしまっているに違いない。
私は自分のリュックからポケットティッシュを取り出して、慧の膝元目がけてそれを投げつけた。
「なぜ、ポケティを地面に向かって投げつける!」
「あ、はずしちゃったか。まあ、あれだよ。つまり、口を拭きなさいってこと! んで、膝元とかちゃんとお掃除しなさい!」
「あ~、なるほどね。サンクス! あかりん」
「よしよし。聞き分けがよろしい! えらいぞ! 慧」
「とこでさ、あかりん。私は身だしなみを正されるためにこの公園に連れてこられたわけ?」
そうだった。私は確認したいことがあって、慧をここに誘ったのだった。
目が見えなくて、いろんな音を聞いていると、ついついその音の意味を探ろうとして、話が脱線してしまうのだ。気を取り直して私はさっそく慧に話題を振った。
「そうでした! 慧に訊きたいことがあったんだ! ……慧さ、あなた、星さんのこと知ってたでしょう?」
一瞬の沈黙。すぐに慧は私の質問に対して答えようとしなかった。
考えられる沈黙の意味は二つ。
質問の意味を受け止めた上でどうすれば相手に納得のいく返答を言えるかその最善の受け答えを頭の中で選別しているということ。
もう一つは、質問の意味がわからないまたはされる謂れがないので突拍子もない質問に対して戸惑いを感じているということ。
「はぁ? あかりん、何言ってんの? そんなわけないじゃん!」
予想に反した受け答えだった。てっきり、私は慧が星さんの事を知っていたと思ったのに。
あの時、私は大学のベンチで慧と待ち合わせをしていた。それは慧と一緒に星さんがいる喫茶店「サンタナ」に行こうとしていたからだ。
「星さんって、どんな人?」と慧に訊かれたから、一緒に星さんに会いに行くことにしたのだ。
なのに、慧は私と落ち合って、さあこれから星さんに会いに行くぞという段になって、徒に私の伊達メガネを奪ってどこかに行ってしまったのだ。
そして、私が一人になった時、都合良く星さんが現れた。
偶然かもしれない。でも、あまりにもタイミングが良すぎると私は思うのだ。
意図的な働きがあるのではないかと疑ってしまう。
慧と一緒にいる時に「あれ、もしかしてあの時のお客さんですか?」と偶然に私を見つけて話しかけてきたのなら、幾分かは納得がいく。もし、そうだったら、少なくともそこに意図的な働きがあるとは考えにくい。
でも、慧がいない時に星さんは現れたのだ。
私は、どうもその辺りに‘私と星さんを二人きりにする’という何者かの企みがあるような気がしてならないのだ。
ここまでの話を聞いて「単なる偶然だ」と考える人が大多数だと思う。
でも、慧と星さんは面識があるいう根拠はまだある。
それは、あの時の慧と星さんがそれぞれ放った発言の内容だ。
まず、私と再会した時の星さんの第一声を覚えているだろうか。
「ナイスパンチですね」だ。
この受け答えはわからなくはないし不自然さもない。と思うだろう。でも、「偶然の再会」というシチュエーションに出くわした時、多くの人はそれに対して何らかのリアクションを示すものではないだろうか。
「あれ、お久しぶりです。たしか、あの時のお客さんですよね? 私、星です。サンタナでバイトをしている」という台詞のような言い回しから「あ、どうも」という素っ頓狂な反応まで、その対応の種類には枚挙に遑(いとま)がないだろう。
でも、そんな素振りを星さんは全く見せなかった。
これは明らかに私があのベンチに座っているということを星さんがあらかじめ知っていたということを示すのではないだろうか。
つまり、星さんは誰かに指示されて、あの場所に行ったということだ。
そんな指示を出せる人物……。それは慧しか考えられない。
なぜなら、あの日、あの時、あのベンチに私が座っているという状況を知っているのは、他ならぬ私と慧だけだからだ。
さらに、言ってしまおう。慧の言った発言の方がもっとわかりやすいと思うのだ。
それは「あかりん! わかりやす過ぎでしょう? あんた?」という発言だ。
何が「わかりやすい」のかということを考えてみよう。
私はあの時星さんを目の前にして取り乱してしまった。
そんな姿を傍から見て慧は「ああ、あかりんは好きな人を目の前にして照れているんだな」と確信したことだろう。
さて、何が「わかりやすい」のか。
それは‘私の好きな人に対する照れ’が「わかりやすい」ということではないのか。
「うん! まさにその通り!」
私の推理紛いの演説を今まで黙って聴いていた慧が自分の心をそのまま見透かされて驚きでもしたのか、大げさにそう口にした。ほら、私の考えた通りだ。
さあ、話を元に戻そう。慧の「わかりやす過ぎでしょう?」という発言。
やはり、これも星さんの発言と同じように、おかしい部分がある。
この慧の発言は、私の隣に座っている男性が‘星さんである’という前提の下に発することができるものだと思う。
でも、どうして、慧は私の隣にいる人が星さんだと一目で理解できたのだろうか。
慧は「星さんってどんな人?」と私に訊くくらいだから星さんの顔なんてもちろん知っているわけがない。
よくよく考えてみると、星さんと向き合う私の挙動を見れば、慧が私の隣に座っている人物を星さんであると認識はできたかもしれない。
百歩譲って仮にそうだったとしても、やはり「この人が、星さん?」という言葉が出てもいいはずだと私は思うのだ。でも、あの時、慧の発言にはそれがなかった。
コミュニケーションという人間の活動にはしっかりとした過程、手順というものが存在すると思う。だから、私は慧と星さんのあの時の言葉に‘つくりもの’のような違和感を覚えたというわけだ。
たぶん‘私と星さんが偶然にも再会した’という今日のあの一件は慧が仕組んだ‘サプライズ’という名の‘おせっかい’だったのだ。
そして、その全貌はこうだ。実は、星さんは慧の知り合いだった。慧の彼氏さんの友人といったところだろう。そして、私を驚かせようとして「星さんに会いに行こう!」と、私をあのベンチにおびき寄せた。慧は彼氏さんに星さんを呼んでもらって、これまた星さんを私が座っているベンチにおびき寄せたのだろう。私と星さんが二人きりになる状況を作り出すために私の伊達メガネを奪った慧はどこかに姿を隠して、遠巻きに私たち二人の様子を見て楽しんでいたのだ。
全く、趣味の悪い子だ。ねえ、そういう事なんでしょう? 慧。
「んな、わけないじゃん! あんた、妄想しすぎだよ。熱でもあんの?」
慧の冷たい手が私の額に当てられた。
今まで持論を並べ続けてきたせいか、若干、私の頭には血が上りすぎてしまったみたいだ。 額から感じる慧の掌の冷たさが私を冷静にさせる。
「でもさあ、あの時の色んな発言はおかしいよ! 常識的に考えて……」
額からひんやりとした冷たさが消えた。
そして、ため息がポツリと一つ。慧は呆れかえっているのだろうか。それとも私の長々とした話を聴いて疲れたのだろうか。
「あかりんの話はなーんか抜けてるとこがある。う~ん……。なんて言ったらいいかな。とにかく考えすぎだ! 第一、私がその星さん……だっけ? その人と会ったのはあの日が初めてだし。あかりんが倒れた後だって、あの人と会話もそんなにしなかったしな……」
そうだ。私が倒れた後のことを全く判断材料に含めていなかった。その時のやり取りをしっかりと踏まえないと結論は出せない。
慧の話によると私が貧血で倒れた後、星さんはパニック状態になった慧を尻目にすぐさま私を担いで、慧の拙いナビゲートを頼りに私を保健室まで運んでくれたらしい。そして、無事に私を保健室に連れて行くと、慧にその後の事を任せて、そそくさとバイトに行ってしまったという。
「『それでは、野尻さんをよろしくお願いしますね』って……ありゃ、かなりのイイ男だな! 普通にイケメンで背も高かったし! あんた、良い趣味してるよ」
慧はうんうんと声に出してあの時の出来事を思い返していた。それは昔の自慢話を誇らしげに話す年寄りの語り口のようだった。
でも、そんな慧の話を聴いて、私の背筋はゾッとした。心臓が高鳴るのもわかった。
これは明らかに恋のときめきではない……。
これはお化け屋敷とかに入って、さんざん叫び周って、ようやく出口に辿り着いた後に恐怖心をなんとか落ち着かせようと息を整えている時に感じる鼓動。それに似ている。
「慧……」
「なんだい?」と慧は間の抜けた返事をした。
人の気も知らないで……。呑気な奴。
でも、私がこれから言う事を慧が聞いたら、きっと、慧も戦(おのの)くことだろう。
「私ね……星さんに自分の名前とか教えてないよ」
「え?」
私は慧のそのトーンが低くなった声を聞いて、慧の肝が少なからず潰れかかっっていることを悟った。
自分で言った言葉なのに、なぜか私自身も背筋が凍るような感覚に襲われていた。