Neetel Inside 文芸新都
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NOT シー LOVE!
六つ眼  慧「ほら、飯は黙って食うもんだって言うじゃんか!」(2010,0504改稿)

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頼むから黙って、ただ愛させてくれ。


ジョン・ダン









「ここでしょ?」
 陽気なアホの子先生の声がする。おそらくそれは私に対して投げかけられた言葉だと思う。でも‘ここ’と言われても私は‘ここ’がどこなのかわからない。
 私はクンクンと辺りのわずかな香りを嗅ぎ取ろうとした。私が知り得る唯一のサンタナの鼻印(あかりん語7。意味:嗅覚を以てしてすぐに目標対象を判別できる匂いのこと)は‘あれ’しかない。
「お! いい匂い~。これが噂の抹茶の香りかあ!」
 慧の黄色い歓声が聞こえた。‘サンタナ’へ行くための鼻印に慧の鼻も気付いたみたいだ。 先生の案内によると私と慧はとんでもない見当違いをしていたらしい。そもそもサンタナへ行くためには、私と慧が途方もなく彷徨い歩いていたアーケードには入らずにアーケードの入り口のすぐ脇にある人通りの少ない小道に入らなければならなかったのだ。そしてその小道を2~3分歩けば右手にすぐ「Cafeサンタナ」が見えてくるそうだ。
 ‘目印’は軒先の聖母・マリア様を彷彿とさせる美しい女性の絵が描かれた看板。先生はこの看板のデザインに感化されてこの店の常連になったらしい。
 その話を先生から聞いて、私も人の心を動かすほどの美しい魅力にあふれたその看板を見てみたいと思った。でもそれは叶わない夢。目の見えない私は人の話を聞いた上でその「美しい」という視覚的な表現を頭の中でイメージするしかないのだ。視覚的なイメージを想像する事は楽しいことではある。でも、たまに悲しくなる時がある。なぜなら感性は十人十色じゃないか。そして、自分が「良い」と思えるモノも、自分以外の人は「悪い」と思ってしまう場合もある。逆にそれは第三者が悪いと思っているモノの中に自分が「良い」と思えるものが潜んでいるとも言えるわけで……。そう考えると私は目が見えなくなってしまってから、きっとずいぶんと「良い」モノを見逃してきたに違いないと……そう思うわけだ。
「なに、ボーっと突っ立てる? あかりん。早く行こうぜ! あたしゃ、もうお腹ぺこぺこだよ」
 私が物思いに耽っていると慧の駄々をこねる情けない声が私の耳を通り抜けて私の意識を現実の世界へと呼び戻した。この子は軒先のマリア様の看板の美しさには興味がないみたいだ。
 何はともあれ、私はついにサンタナへと無事に辿り着くことができた。
 序に先生からサンタナまでの行き方を道すがらバッチリ教えてもらったからこれで何時でも好きな時にラブリーと一緒にここに来ることができる。


「おぉ、マーガレットか! いらっしゃい。久しぶりだね」
「マスター! お久しぶりです。お元気でしたか?」
 喫茶店の入り口のドアが開かれると、何とも心地よい空気と抹茶の香りが絶妙にブレンドされたいかにも喫茶店らしい匂いが私の鼻の中に爽やかに入り込んできた。
 まず初めに聞こえてきたのが先生とこのお店の人……店長さんだったかな。その二人のやり取りだった。お互いに気を遣わない気さくな会話のやり取りは私に先生が本当にこの店に馴染がある客だということを感じさせた。そして店長さんの声。この初老を過ぎたと思われる落ち着きのある低いトーンの優しげな声は間違いない。私が以前この喫茶店の前をうろついていた時に声をかけてきてくれたその人に違いない。
「おや? 今日は可愛いお嬢ちゃんたちもご一緒かい? いいねぇ~やっぱり若い娘は!」
「マスター。そんなセクハラみたいな事を言ってはいけませんよ。日本はセクハラには敏感なのでしょう?」
「わははは……こりゃいかんな。すまんすまん。わははは!」
 陽気なマスターさんの笑い声。初めて私がこの喫茶店に訪れた時に感じた穏やかな雰囲気が
思い出される。
「今日はなかなかの大所帯だからカウンター席よりもそっちの座敷の方がいいだろう。まぁ……ゆっくりしていってくれ」
「どうもありがとうございます」
 この喫茶店には座敷なんてあったのか。
 私は先生に手を取られながら座敷の方に足を進めた。数秒歩くと私のつま先に何かがぶつかった。ああ、段差があるのかな。
「その場で靴を脱いでください。ちょっと段差があるから気を付けてくださいね」
 アホの子先生にそう言われたので、まず私は手探りで座敷の床の高さを確認してから、座敷の床……うん、これは畳だ。その畳に手を付き、畳の位置を確認するようにして慎重に腰を下ろした。そしてサンダルを脱ぐ。やれやれ。目が見えていればこんな苦労を強いることもないのだろうに。
 次に私は畳の上で四つん這いになりながら今度は右手でテーブルの位置を確認する。私の前方右手すぐにテーブルを確認。右手でテーブルを伝いながらさらに前へ。テーブルの端に来たようだ。そして、このまま体育座りをする。さらに右向け右だ。
「まぁ! 野尻さんすごいわね! 目が見えないのに、ちゃんと席に着けて」
 控え目な拍手と共に先生が感嘆の声をあげた。
「てか、この子、実は見えてますから!」
「その冗談は笑えないっての!」
 私はくだらない冗談をのたまう慧を粛清すべく慧がいるであろう、自分から見て右手の方をめがけてチョップを繰り出した。見事に慧の頭に命中したらしい。「イチッ」という慧の小さな悲鳴がわずかに聞こえてきたことが何よりの証拠だ。
「awesome! (すごい!)お見事です!」
 アホの子先生の含み笑い。それに釣られてマスターさんも豪快に笑いながら私の芸当に賞賛を浴びせてくれた。慧はといえば、何とも言い難い居心地の悪さに不貞腐れながら、それが私に伝わるような感じに「はぁ、やれやれ」とため息を零した。慧は私の横にちょこんと腰を下ろしたようだ。
 サンタナ特製の抹茶と和菓子に舌鼓を打っていると――私は熱い飲み物が苦手なので特別にアイス抹茶ラテを作ってもらった――先生からなぜこの店を探していたのかを尋ねられた。
 そして、私は冷たくて控え目な甘さのする抹茶ラテに現を抜かしていたせいですっかり忘却していた本来の目的を思い出した。
「星さんだ!」
 私が急に大声をあげたものだから「うめ~うめ~」と言いながら和菓子と抹茶を子どものようにはしゃぎながら堪能していた慧がビックリして和菓子をのどに詰まらせてむせてしまったみたいだ。咳き込む慧に謝りながら私はお通しのお冷を右手で探りあててそれを私の右手の方にスライドさせて慧に差し出した。「グホッ! ガホッ!」と咳き込んでいる慧の声が数秒聞こえてから、コップがテーブルに乱暴に置かれる音がした。そして、続け様に「ゼ~ゼ~」という荒い息遣いが聞こえてきた。どうやら慧は一命を取り留めたようだ。
 私がホッと胸を撫で下ろすと、慧は何とか呼吸を整えて喋り始めた。
「あ~もうね~……ビックリさせないでよ! てか、あかりんが言ってたその星さんいないみたいだよ? 白髪のおじいちゃんしかいねー!」
「おじいちゃんじゃないぞ! 私はまだ58だ! せめて、おじさんと言いなさい!」
 店長さんの年齢なんてどうでもいいと思いつつ私はストレートに星さんの所在を店長さんに聞いた。慧に自分の老いを馬鹿にされたせいで店長さんは、いささか機嫌を悪くした様子だったのでこれ以上店長さんの精神を逆撫でにしないように丁重な言葉を選ぶことにした。
「おじさま! 今日、星さんはいらっしゃらないのですか?」
「おじさま? ふふ……悪くないな!」
「おじさま! 星さんは?」
「星? ……あぁ、光一のことか。あいつは……今日はシフトに入ってないぞ」
 星さんがいない。星さんがいない。
 私の胸にグサリと店長さんの一言が突き刺さった。
 私はテーブルに頭を突っ伏す。私の額がテーブルに当たった時、耳元でカランとコップの中の氷が崩れる音が聞こえた。その微かな音が私の耳に滑り込んでくるほどにいつの間にか店内は静まり返った。きっと私の思いがけない行動にその場にいる全員が虚を突かれたのだろう。さっきまでの明るい雰囲気はどこ吹く風。
 この喫茶店は小粋なBGMなんて流れていないから、その沈黙は一際私の心に悲しいやり切れない気持ちを感じさせた。
 やっとここまで来たのに……。
 やっと会えると思ったのに……。
 ふと私の肩に誰かの手が置かれた。心配しているとも呆れているともその両方とも取れるどっちつかずなニュアンスを含んだ慧の「大丈夫?」という声が聞こえてくる。私はその手が慧のものだと数秒してから理解するとそっと上体をあげた。
 私は、呆然としたままにポカンと口を緩ませながら虚空を仰いだ。そして私の口からこぼれるのは大きなため息。そして。
「あ~~~~~~~~ん」
 情けない呻き声だけ。
 そんな私の情けない姿を見たからだろうか。誰かがクスクスと笑った。
 それは嘲笑に違いない。
 その笑みには私を同情する気概がまったく感じられなかったからそう思った。
 慧はそんな子じゃない。むしろ落ち込む私と一緒になって落ち込んでくれる優しい子だ。ただしそれはしっかりと私の心情を彼女が読み取ってくれた時だけなのだけれど……。
 という事はこの嘲笑を浮かべる憎たらしい人物はあの人しかあり得ない。
「先生! ひどいです~。笑うなんて……」
 私がそう言うと、その嘲笑はピタッと止んだ。
 人が落ち込んでいるのにどうしてアホの子先生は笑ったのだろう。
 「…ごめんなさいね」というアホの子先生の謝罪の言葉はどこか悪戯に満ち満ちた悪びれた口調そのものだった。
 膝元に添えられていた私の右手は今にもチョップを繰り出さんとするばかりに力が込め始められている。しかし、その私の手刀がテーブルの下から御目見えされる前に先生の言葉がそれを遮った。
「私の弟君はモテモテね~…んふふ」
 今度は、不気味な笑みが溢された。
 え?
 アホの子先生は今何と言ったのだろう。よく聞き取れなかった。というのは嘘で、言っている意味がわからなかった。きっと私の頭上にはアニメによく出てくるような大きいハテナマークが浮かんでいることだろう。
 そして急に混乱し始めた私に追い打ちをかけるようにまた先生は喋り出した。
 まるで私のこめかみに銃口を突き付けるようにして……

「言うのが遅かったですね! 星光一君は私の可愛い可愛い‘弟’よ!」

       

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