Neetel Inside 文芸新都
表紙

NOT シー LOVE!
五つ眼 「アホの子先生は週刊少年ジャンプを立ち読みしていたそうです!」(2010,0408 改稿)

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会って、知って、愛して、 そして別れていくのが幾多の人間の悲しい物語である。


コールリッジ









「はい! ちょっとタイム! 頭ん中整理するから」
 慧はため息をこぼした。
 今日の授業が終わって、今、私たちは大学のカフェテラスの一席で今日の授業の復習をしている。
 目が見えない私にとってこの作業は欠かすことができない。
 いくら講義の内容を点訳されようと、ICレコーダーで録音しようと、たった一度でその内容を理解できるかといったら、私には無理だ。
 大学の勉強をしている時、視覚的な情報がいかに人が何かを理解する上で重要な役割を果たしているのかを私は思い知らされる。
「つまりね、大西洋には島が少ないわけだから、当時、大西洋の航海には危険がつきものだったの! だから、海流とか風の流れとかの自然条件を十分に把握しなきゃ……」
 ‘地理学概論’の解説をレーズライターで世界地図を描きながら説明する慧の集中力はもう切れかかっているみたいだ。セロファンに凸状に浮かび上がってくるはずの筆跡が鮮明でなくなってきているのがわかる。それに慧はレーズライター専用の作図用ボールペンを何度も机でトントンと鳴らしてもいる。
 今日はもうお開きだなと私は思った。
 きっと慧の頭の中では小難しい学術用語が寄生虫のようにウネウネとひしめき合っていて、それをお馬鹿な私でも理解できる「言葉」に変換して説明することに四苦八苦しているのだろう。
 眉をひそめ目を瞑って口はつぐんですっかり疲弊しきっている慧の表情が私の脳裏に浮びあがる。
「ありがとう、慧! 今日はここまでにしよう。あとはお家でICレコーダー聴きながら頑張るよ!」
「そうかい? なら、そうしてくださいな……。もう、あたしは頭が回らんよ」
 慧の手元から離れたのか作図用ボールペンがテーブルの上をカラカラと転がる音がした。慧はボールペンを握るのも億劫なほどに気疲れしているみたいだ。
 疲れた。それはつまり頭の燃料である糖分が切れたということだ。
 これは、もう身体によくないことだ。すぐさま糖分の補給をしなければならない。
 こんな時はサンタナのハニートーストを頬張るに限る。そして食後の抹茶ラテも忘れてはならない。
 もうそれしかないだろう。さて、それでは行きますか。
 いざサンタナへ!
 「おう!」と声を高らかにして慧は快く私の提案に乗ってくれた。
「序に、あかりんの想い人の御尊顔を拝見させてもらおうじゃないか」
「おう! って……え?」
 慧は私がサンタナへ行く本当の目的を見透かしているようだった。
  

「で……。そのサンタナって喫茶店はどこにあるんだい? あかりん」
 私たちは大学のすぐ近くに位置するアーケード商店街の中にいた。活気あふれる声と共に私のすぐ横を引っ切り無しに人の気配が通り過ぎていく。
 これだけの人混みになると、私は移動するのにいささかの困難を要してしまう。
 はてさて、無事に私はサンタナまで無事に辿り着く事が出来るのだろうか。
 その前に、目の見えない私がどうやって最初にサンタナを見つけることができたのか、疑問に思っている人もいるかもしれない。
 多くの場合、目が見えない人は目的地までの地図を頭の中に浮かべて、時折、道行く人に尋ねて目的地までの道筋を確認しながら街中を歩く。
 なのでスイーツが大好きな小洒落た女子大生のように「あっ! このお店なんかいい感じ。ちょっと入ってみよう」などと軽いノリで街を散策することは極めて難しいことなのだ。
 では、なぜ私は一度も行ったことのないサンタナを見つけることができたのか。
「抹茶の香り!」
「抹茶~?」
 私は思い出したようにそう口走った。
‘サンタナ’を見つけたあの日、私は一日の授業を終え、いつもの様に家路に就いていた。すると、街中に溢れている嗅覚を刺激するものの中から突然‘抹茶の香り’が私の鼻先に現れたのだ。小腹を空かせていた私はその香りに誘われるまま辺りを慎重に歩き回って抹茶の香りが集中している場所に辿り着いた。そして、その場に立ち止まってキョロキョロとしているところをサンタナの店員らしき人に「お客さんか?」と不意に声を掛けられ、私はサンタナに来店することが出来たというわけだ。
 そのような事の成り行きを私は慧に説明した。
 でも、慧はため息を一つこぼして、どうも途方に暮れているご様子だ。
 それも無理はない。待てど暮らせど私の言う抹茶の香りが全くしてこないからだ。
 常人にとって、だだっ広い街中で嗅覚を頼りに目的地を見つけること自体、考える以上に難しいことのようだ。
 ‘口で言うは易し、するは難し’といったところだろうか。
 ‘嗅覚を頼りに’サンタナを探し当てるという芸当は視覚を失った代償に他の五感が鋭敏になった私だからこそなせる業だったのかもしれない。
 こんな事態になるのなら、初めてサンタナに訪れた時に星さんなり他の店員さんなりに行き方を聞いておけば良かったと私は少し後悔した。
 でも、それは仕方がないことなのだ。あの時、私は突然目の前に現れた白馬の王子様に心を奪われて、それどころじゃなかったのだから。
 苛立っているのであろう慧にそんな苦し紛れの言い訳をしながら、私は慧と一緒に神出鬼没な‘抹茶の香り’を求めて、しばらくの間アーケードをうろつくことにした。
 でも、願い空しく私たちの前にそれが現れることはなかった。
 立派な日本庭園を臨む和室でお茶を入れる侘び寂のイメージを彷彿させる上品なその香りとは別に私たちの嗅覚を刺激するのは、たまに通り過ぎていく中年のオヤジさんらしき人間の汗臭い体臭か惣菜屋さんからのものであろうコロッケの匂いといった上品さとはかけ離れた庶民的な匂いだけだった。
「おかしい!」
 黙りこんでいた慧が急に口を開けた。
「すでにアーケードの出口付近にいるわけだが……」
「あ~。もうそんなに歩いちゃった? それらしいお店は見つかった?」
「ねーよ!」
 慧のその口調はやけに厳しくて、さすがの慧もそろそろ我慢の限界を過ぎ始めたようだ。
 かくいう私も苛立ちはしないものの、どうにもこうにも八方ふさがりで、むぅと情けなく唸るしかなかった。正に、‘ここは誰? 状態’(あかりん5(語)。意味:「ここはどこ?私は誰?」の略語。道に迷ったりしてなす術がない時によく使うことば)だ。


「あっ!」
 慧が何かを見つけたのか不意に声をあげた。奇跡的に私でも気付かなかった僅かな抹茶の香りを嗅ぎ取ったのか。それともサンタナらしき喫茶店自体を見つけたのか。
「え! やっと、見つかったの? サンタナ見つかったの?」
「いや、あれ」
 残念な事に‘あれ’と言われても私には解らない。
 でも、慧の晴れやかな口ぶりから察するにその‘あれ’は私たちが探し求めていたサンタナに違いない。
 だったら……慧。
 私は、はやる気持ちを抑えきれずに慧の服の袖をグイっと引っ張って行動を促した。でも、慧はそんな私の気持ちとは裏腹にその場を動こうとしなかった。
 もう、なんなんのさ?
「慧~! サンタナ発見したんだったら、早く行こ~よ! ねえ」
「誰が見つけたと言ったよ! ……あのね、アホの子先生見つけた! なんか、コンビニで立ち読みしてるし」
「アホの子先生~? 誰だっけ、その人」
 私は記憶が保存されている大脳辺縁系の海馬からその人物の情報をなんとか引っ張り出してきて、ようやくその人物のことを思い出した。
 ‘アホの子先生’。その人は昨日お世話になった大学の保健医の女性だ。
 昨日、私が保健医の女性と一緒に保健室で繰り広げたあの珍事を慧に話すと、甚く(いたく)その女性のキャラクター性が慧のツボに嵌まった(はまった)らしい。そして慧はその保健医の女性の人となりを表現する「アホの子先生」という渾名を名付けたのだ。
 ぜひ一度ゆっくりと話がしてみたいと慧は言っていた。
 私はそんなに面白そうな人には感じなかったけれど……。
 確かに日本語に弱い人のように思えた。でも、その代わりに英語の発音が恐ろしく堪能だった。きっとネイティブの人間か帰国子女のお嬢様といったところだと思う。
「よし! 冷やかしに行こうぜ!」
 思ってもみないことを慧が言いだした。
 慧はさっきの機嫌の悪さはどこへやらの勢いで、まるで目新しい玩具に引き寄せられた好奇心旺盛な子どもみたいにはしゃぎながら逆に今度は私のワンピの腰元を引っ張りながら歩き始めた。
「ちょっと~! 目的が違ってる!」
「いいじゃん! いいじゃん! 冷やかし序にアホの子先生にサンタナの場所を聞けばいいんだ」
「あ~ん、サンタナ~!」
 私は半ば慧に引き摺られる形になりながらコンビニへと進まされることになってしまった。 私は溜息と同時に自分のお腹が鳴っていることに気が付いた。


「っらっしゃいませー!こんばんわ!」
 コンビニの自動ドアを潜ると威勢が良い男性店員の挨拶が出迎えてくれた。
 店内に入るとコンビニのお買い得情報を伝える優しい雰囲気を醸し出すお姉さんのアナウンスが軽快なBGMと共に私の耳に流れ込んできた。
 思わず、ルンルンを買っておうちに帰ってしまいたい(あかりん語6。意味:作家・林真理子さんのベストセラーエッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』から拝借して明が勝手に創ったことば。いい気分になってついつい衝動買いをしてしまうこと。ちなみに、この意味は元ネタとは一切関係がない)気分になってしまう。
 いやいや、今日はそんな目的でここに来たわけじゃない。
 アホの子先生は店内のどこにいるのだろう。
「右! 右向け~右! ってして」
 私は慧に言われるまま右向け右をした。
 あとほんのちょっとすれば、星さんに逢う事が出来る。
 そう思った途端、私はアホの子先生がいるのであろうその方向に向かってゆっくりと歩き始めていた。
 早く星さんに逢いたい。今すぐにでも逢いたい。
 足を前へと動かすたびに私の募る思いはますます大きくなっていく。
 これはアホの子先生に何としてでも「サンタナ」の場所を聞き出さねばならない。
 もし知らなかったとしても、一緒に探してもらおう。
 私はいてもたってもいられない気持ちになっていた。
 私の膝に堅い何かがぶつかった。構うものか。
 ――恋は盲目。
 ふと私の肩に誰かの手が置かれて私の歩みは制止された。 
「どうせなんだ。後ろからあのアホの子先生を驚かせてやろうぜ~。ヒヒヒ……」
 慧が悪巧みを企む小学生みたいにいやらしく笑いながら私の耳元でそう囁く。
 慧のその子供染みた言葉が私の鼓膜をくすぐった時、私は、はっと我に返った。
 そして、いつの間にか本能の趣くままに自分の身体が勝手に動いていたことをようやく自覚することが出来た。
 なんだか、そんな自分が不気味に思えた。
 慧の気配が私の右隣から静かにゆっくりと私の正面へと流れ込んでいく。芳しい慧の髪の匂いが私の正面から感じられた。
 私は右手で慧の服を掴んだ。
 慧の後ろに付いて、ウエッジサンダルのヒールで足音を鳴らさないようにしてアホの子先生に気配を悟られないように、一歩一歩、私は歩みを進めた。
 やがて私の前方を行く慧の足が止まった。
「Boo! (ワァ!)」
 ビクッと急に慧の身体が私の方へ倒れかかってきた。突然、聞き慣れない間投詞が私と慧に投げつけられた。もちろん今の声は慧のものじゃない。
 という事は……。逆に私たちはアホの子先生からの思わぬ反撃を喰らってしまったようだ。
「まったく! 日本の大学生は子どもね! Know courtesy please.(礼儀をわきまえてくださいよ)」
 アホの子先生が言った英語の意味は理解できなかった。でも日本の大学生の体たらくさを嘆くようにたしなめた口ぶりであるということはなんとなくわかった。
 「いやぁ、どうもすみません。慧が言っても聞かないもんで……」と私は先生に向ってペコペコと頭を下げながら同時に慧の頭を掴んで慧にも謝罪をさせた。
 力をちょっと入れないとなかなか慧の頭が下がらなかったので、慧はこの結果にいささか納得がいかない様子みたいだった。そんなに拗ねることでもないと思うけれど……。
「あら? あなたは……野尻明さんですよね?」
 急にアホの子先生に名前を呼ばれてびっくりした。「はい」と私が返事をするとクスクスとアホの子先生が含み笑いをした。何がそんなに可笑しいのだろう。私たちはそんなに笑われるようなことしただろうか。確かにアホの子先生にしようとした事は幼稚な事だったかもしれない……でも、このちょっとした幼稚な悪戯の主犯は慧だ。私が真っ先に嘲笑されるいわれはない。なんだか腹が立ってきた。
 私が密かな憤りを感じていることも露知らずかアホの子先生は言葉を続けた。
「ちょうど良かったです。あなたに渡したいものがあったのですよ……。そうですね。これも何かの縁です。せっかくですし、野尻さん、近くのカフェで少し私とお話しでもしていきませんか? そこのツインテールの子もついでにね! あなたにはお説教の続きを……」
「えーそりゃないよ~」
 私とお話……? 話の展開が予想だにしない方向へと進んでいる。
 私は何のために、このコンビニに来たのだろうか。
 それはもちろん、サンタナの場所をアホの子先生に尋ねるためだ。そうだ。そのはずだ。
 それなら、私が次に先生に言う事は決まっているじゃないか。
「いいですよ。でもその代わり、アホ……じゃなくて保健の先生! 一つだけお願いがあります」
「なんでしょうか? 私に出来ることなら……」
 アホの子先生の返事は、私のいきなりの要求に全く動揺することなく、すんなりと聞き入れてくれる事を予感させる落ち着いたものだった。
 ほんの僅かな発言からアホの子先生の貫禄のある物腰を私は敏感に感じ取って、若干緊張してしまったけど、その緊張は次第に解けてこの人なら私をサンタナまで連れて行ってくれるという奇妙な安心感、期待感が私の心中にこみ上げてきていた。
 そして私はタクシーの運転手さんに行き先を告げるようなノリで言った。
「サンタナというお店でお話しましょう。いいお店なんですよ!」
 (星さんがそこで働いているという意味で)
 嫌だと言われたらどうしようかと思ったのは一瞬で、先生は二つ返事をしてくれた。
 聞くところによると、そこは先生の行きつけの店だという。
 なんという偶然だろう。
 思わず私は慧の肩をバンバンと二度叩いてしまった。私と慧が二人でその幸運に酔いしれている間に先生は続けて英語で何かを言った。
 いや、正確にはボソッと蚊が飛ぶような小さな声で言った。
 ――she is a reincarnation…
 

「輪廻……? あ~なんだか陰謀の匂いがプンプンするな」
 慧が何やら意味がわからないことを呟いている。先生が喋った英語の意味だろうか。
 でも、そんなこと、今はどうでもいい。
 私はお構いなしにラブリーに対して「Door! (出口を探して!)」と指示を飛ばした。

       

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Neetsha