小説を書きたかった猿
4.何を書いても何かを思い出す
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木々が途切れ視界が開けると、薄気味悪い緑色の水面が広がる沼の岸に出た。小さな虫どもの死骸が混じった生ぬるい風が頬を打つ。大勢の女たちが佇み、沼で懸命に泳ぐ男たちを見守っている。
どうしてこんなところで、と問うと、ここでなら沈んでも浮かび上がってこれないもの、と笑いながら、私をここまで連れてきた女は答えた。
「あ、沈む」
沼の対岸に行き着く前に、泳いでいる男たちはあぶくだけを残して沼の底に消えていく。
「また、ああ、また」
それでも男たちは沼に飛び込んでいく。男たちの背後ではそれぞれの連れの女たちが手を振っている。
「沈むとどうなる」
「河童たちが食らってくれます」
「なぜ食らわせる」
「女たちを抱いてくれるのです」
見ればどの女の顔にも恍惚の表情が浮かんでいる。
「河童などいるものか。俺は入らんぞ」
沼から細く長く伸びた緑色の指が私の足首をいつの間にか掴んでいた。
「いってらっしゃい」
女の嬉しそうな声が背後に遠ざかっていく。
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4 何を書いても何かを思い出す
何を書いても何かに似ていると感じてしまう。
なんて斬新な設定なんだ!
ものすごいオチを思いついた!
このクライマックスシーンに至るまでの道のりを考えれば傑作の完成だ!
なんてことを思いながら少し書き出してみると、すぐにそれが過去に読んだ何とかという作品に似ていることに気付いてしまう。その欠陥を修正するアイデアは出て来ないまま、始まらなかった物語を終えてしまう。どんな物語だって何かに似てしまうのは仕方のないことだから、怖がることなんてないのに。
人間でたとえるなら「同じ地域に住んでいて苗字が同じ」程度でしかないことが多く、「同じ学年で同じクラスで隣の席にいて同姓同名で顔がそっくりでよく考えたら双子だった」というほど似ているわけではないのだから、引っ越しをするとか苗字を変えるなどの改変を施せば問題がなくなるくらいのものなのに。
「だって似ちゃってるんだもん。これはダメだよ」と一人で決めつけてやめてしまう。
書き始めるまでは長いのに、書くことを諦める決断は素早い。
昔はむしろ、誰かに似ているものが書けると嬉しかった。有名作家の文体を真似ると、その作家の作り出す世界観を丸ごと手に入れたような気がした。文豪気取りでいい気になって、自分には才能があるんじゃないかとうぬぼれた。
それでも、模倣でもいいから一作書き上げていれば何か変わっていたかもしれない。得るものもあったかもしれない。
「こんなことを繰り返していても仕方ない。自分の文体を手にいれなければ。人の影響を完全に消し去った物語を作り出さねば」と決意した僕は、新たな一歩を踏み出した。
それが七年前の話だ。
踏み出した足は二歩目に繋がらず、時には数歩戻り、宙をぶらぶらするうちに腐ってしまった。