Neetel Inside ニートノベル
表紙

死んでも逃げろ
第4部

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  ① 死神


 1

 地球軍はマルセイユへ侵攻。マルセイユで防衛線を張っていた箱舟軍――地球軍と同じよ
うに誰かが名づけた――と戦闘を開始した。戦闘機での先制攻撃が功を奏し、地球軍は優勢
を保ちつつマルセイユへ入る。地球軍の目標は港を押さえること。すでに偵察により、旧港
に敵の軍用船が停泊していることは確認しており、狙いはそれだった。
 地球軍は予想よりも遥かに容易に攻め込んでいった。相手が油断していたこともあったの
か、それとも兵士たちの気迫が相手に勝っていたのか。旧港まであと3キロというところま
で一気呵成に攻め込み、このまま押し切れる、と兵の誰もが思っていた。上空の友軍機が撃
墜されるまでは。
 箱舟軍の戦闘機が登場すると戦況は一変。地球軍の友軍機は全て撃墜され――それでも敵
軍機を数機撃墜したことで仕事は果たしたと見る向きもある――歩兵部隊は正面の敵だけで
なく上空も警戒をしなくてはならなくなった。対空砲火による牽制で被害は最小限に収まっ
ていたが、それでも港を目の前に完全に足止めをされた形。地球軍は街中の建物に陣取り、
攻撃を継続していた。

 2

 地球軍、マルセイユ侵攻の最大の拠点はロンシャン宮に置かれることになった。美術館と
博物館がある壮麗な建造物。手狭ではあるが、とりあえずの拠点としてはまずまず。上空か
らの攻撃には市街のビルの屋上すべてに対空砲火を設置し、戦闘機を近寄らせないように配
慮はされていたが、それでも危険があるということで、兵士たちのほとんどがロンシャン宮
そのものではなく、その周囲に陣取っていた。ロンシャン宮にいるのは指令を出している一
部の幹部クラスの兵と、看護兵たちだった。アリサワもアジアエリアの指揮官としてそこに
いた。今後の作戦について他のエリアの指揮官たちと議論を重ねていたが、打開策も有効な
対応策も出されず、ただただ不毛な時間が過ぎていった。結局、これまでどおりがむしゃら
に港へ向かうという、実に曖昧な作戦――作戦というよりは方向性――が立てられた。
「無能ばかりだ」
 アリサワとシミズは会議室を出て、外へ向かう。拠点とはいえ、いつミサイルを撃ち込ま
れるかもわからない建物にいるのは、気分が良くなかった。アリサワたちだけではなく、他
のエリアの連中も、用意された個室へ向かうのではなく外への廊下を歩いているところを見
ると、考えることは同じらしかった。
「まぁ、俺も無能の1人だが」
「アリサワさんは有能ですよ」
「慰めだな」
「そんな……」
「いや、いいんだ。どうせどんなに有能でも、この状況を変えられるわけがないんだからな。
そもそも、無茶なんだよ」
「兵の数も少ないですしね」
「ガチガチに守られてるところへ突っ込んでいくのは、まぁ、骨が折れるわな」
「せめて空からの攻撃がなくなれば」
「さっさと降参して箱舟に乗せてもらった方がいいかもしれないな」
「アリサワさん、何言ってるんですか」
「冗談だよ」
 2人は外に出る。敷地内に人はまばら。噴水はとまっており、寂しい限り。噴水の縁に体
育座りしている少女が1人。彼女の視線の先には旧港へむかうなだらかな下り坂。

 3

 アリサワはサヨリに近づく。アリサワは彼女の話を聞いていた。アリサワだけではなくす
でに地球軍の全ての兵士が彼女のことを知っていた。マルセイユの地を一番最初に踏み先陣
を切って街に入った少女。ハチキュウで湧いてくる敵を撃ち殺し、前線に近いビルに籠もり、
黙々と敵兵を狙撃し続ける少女。その容貌から戦場のアイドルとして人気が出ると思われた
が、逆に恐れられるようになった。今ではほとんどの兵士が彼女のことを死神と呼ぶ。
「まだ生きてたか」
 アリサワはそう声をかけると、サヨリは視線をアリサワに移した。
「はい」
「生き延びれそうか?」
「はい」
「そうか」
 アリサワは彼女の隣りに腰を下ろしタバコに火をつける。シミズは噴水の縁に腰かける。
アリサワさんはこの子のこと気に入ってる。そのクセして、彼女が死ぬことを予言してる。
助けてやりたいとは思わないのだろうか?シミズはそう考えながら2人の会話を聞いている。
「戦争が始まって1週間。みんな、お前のことを死神と呼んでる。何人殺した?」
「数えてません」
「うまく銃を使い分けてるみたいじゃないか」
「はい」
「地球軍のエースだな」
「わかりません」
 サヨリは視線を坂へ戻す。
「そろそろ死ぬかな」
 アリサワは煙を吐き出す。
「死にません」
「このままじゃ死ぬと思うな、俺は」
 どうしてこういう物言いなんだろう、とシミズは思う。何を考えてんだ?
「前に出すぎだ。もっと後方から狙撃しろ」
「嫌です」
「じゃあ、死ぬな」
「死にません」
「死ぬよ」
 サヨリはアリサワを見つめる。
「死んでほしいんですか?」
「キョウジが待ってるぞ」
「そういうんじゃありません」
「じゃあどういうんだ?」
「キョウジくんは待ってなんかいません」
 アリサワはタバコを水の枯れた噴水に後ろ向きのまま投げ込み、立ち上がる。
「狙撃だけしてろよ。そうすりゃそう簡単に死にはしないから」
 サヨリを残して、アリサワとシミズは噴水を後にする。サヨリは離れていく2人の背中を
見る。そして、傍らに置いてあるハチキュウの銃身を握り締める。

 4

 戦況は泥沼化。地球軍のゲリラ戦はそれなりの戦果をあげてはいたものの、日に日に兵士
の数が減っていくという事実は隠せない。港までの3キロが途方もなく遠い。湧いてくる敵
に限りがある、という発想を持てないのは、地球軍が敵の数を正確に把握してないことと、
味方の数が減っていくという恐怖感からくるもの。肉体よりも精神の疲弊が激しく、異常を
きたすものも多かった。
 ロンシャン宮の中は傷病者ですし詰め。まさに地獄。アミは看護兵として懸命に働いてい
た。治療室のドアはひっきりなしに開け閉めされ、そのたびに怪我をした兵士が運びこまれ、
死んだ兵士が運び出されていく。ドアが開くたびにサヨリやケンジたちが運び込まれてくる
んじゃないかと、アミは怯えていた。
 サヨリは大丈夫かしら?ケンジは怪我してないかしら?
 1日が終わるたびに――看護兵はほぼ無休で働いていたが、真夜中0時を一つの区切りと
して、交代で休息をとっていた――みんなの無事を祈った。サヨリの恐ろしい戦果を怪我を
した自衛隊員に聞かされるたびに、サヨリの心の平穏を願った。
 戦争が始まってから、アミはサヨリにあっていなかった。時折顔を見せるケンジにサヨリ
のことを尋ねるが、ケンジはサヨリのことを話したがらなかった。
「サヨリは頑張ってるよ、誰よりも」
 そんな返事だけだった。
 サヨリが死んだらどうしよう、と毎晩短い眠りの前に、アミは考える。
 わたしも死ぬのかしら?

 5

 サヨリは荒野を歩くいつもの夢を見ている。夢の中にノイズが混じる。最近は夢の中にま
でも耳の裏から響く異音が混ざる。
 引き金を引く感触と、銃弾が敵の体にヒットする感触が、手から離れない。
 あと何人殺せば生き延びられるのだろう、とサヨリは思う。
 
 あと何人?

 どうして、人を殺したら生き延びられると思うようになったんだろう?ここが戦場だから?

 夢の映像が歪み、テレビを消すように、真っ暗になる。異音だけが響く。
 
 意識は休まることなく、眠りは体を休めるだけ。精神は日々磨り減っていく。それでも、
サヨリの体は軽い。ますます感覚は鋭くなり、何百メートルも先の敵を即座に発見し、射程
に入り遮蔽物から体をさらした敵兵を正確に狙撃する。
 今はもう遠いあの日。初めて人を殺した日。村でのこと。あの時とは違っている自分に、
サヨリは恐怖する。あの時の殺人と今の殺人では意味が違うことを知る。あの時、あそこに
はキョウジがいた。今は……
 
 サヨリは浅い眠りから目を覚まし、銃をとる。また、人を殺す日が、始まる。




  続く





 

     


 
  ② 高い空


 1

 ケンジは戦争というものに慣れていった。人が死ぬということではなくて、人を殺し続け
なければならないということに。とにかく、ずる賢く、死なないように、できるだけ相手と
正面から撃ち合わないように、用心を続けた。1人、2人と敵兵を殺していくうちに、自分
がどこか間違った場所にきているのではないか、と疑念を抱いた。3人、4人と殺した後に
は、間違ってるのは場所ではなくて、自分……でもなくて、この世界なのだと気がついた。
 戦争が始まってどれくらい経っただろう、とケンジはビルの隙間で考える。遠くで銃声。
空は日本より高い。太陽は薄い気がする。爆発音がした。ケンジはため息をついて、移動を
開始する。
 ケンジが戦争が始まって、戦況が泥沼化するまで、1人も殺さずに、ある一つのことを徹
底して訓練した。戦場でなければ学べないこと。それは敵に見つからずに敵を見つけること。
高いところから、物陰から……それだけを繰り返した。敵を見つけ、銃を構える。その動作
が体に染み込むまで、それを続けた。泥沼化しゲリラ戦が始まると、ケンジは1人で行動し
、敵を見つけることだけを考えた。敵を見つけても、3人以上の場合は見過ごした。1人は
殺せても、2人目、3人目となると返り討ちになる可能性が高い。2人以下の場合は素早く
行動に移った。1人目を確実に戦闘不能にして、2人目が戦闘態勢に入る前に隠れる。そう
やってケンジは敵の数を減らしていった。
 欲をかいてはいけない、とケンジは自分に言い聞かせる。敵を倒せることは幸運。だが一
番大切なのは、死なないこと。逃げ延びることに欲を持ち、敵を倒すことは二の次。キョウ
ジがやったみたいに、生き延びることだけを考えればいい。戦争の勝敗よりも、自分の命。
勝ち負けは、生き延びることが出来るか否かで決まる。
 ケンジは自分のやり方が一番キョウジの考え方に近い、と考えていた。それでも、戦場で
サヨリを見かけるたびに、いたたまれない気持ちになった。サヨリは、味方の誰よりも前線
に出て、多くの敵を殺し、時折被弾し、引く事はあるものの、消毒と包帯を巻くだけの処置
ですぐさま前線に戻ってくる。
 俺は一番キョウジの考え方に近いはず……でも、どうしてだろう、サヨリがキョウジに一
番近い存在であってほしい、と俺は願ってる。俺じゃ駄目なんだ、と。
 たぶん、キョウジは、サヨリのことを気に入ってただろうから。

 2

 ゲリラ戦が続く中、カミカワは1人も殺さずに、かといって戦場に出ないことはせずに、
ただひたすらに、街中を駆けずり回っていた。敵を見つけたらまず避難し、敵に見つかった
ら、死に物狂いで逃げた。カミカワの持っている銃のマガジンはすでに満タンで、一度も補
給を行ったことがなかった。
 カミカワは戦争の勝敗はおろか、生きるか死ぬかよりも、どうやって箱舟に近づき、あの
子を助けることができるか、という一点だけを突き詰めて考えていた。
 港に出て船を奪う。そして箱舟へ……
 湧き続ける敵兵はおいて、港までの誰にも見つからない経路を模索していた。

 ある日、いつものように市街を駆け回っていた時、運悪く敵の一団を遭遇した。10人程
度の兵隊に追われ、カミカワはビルへ逃げ込んだ。
 前に出すぎた、とカミカワは思った。ここで終わりか?
 ビルを登るカミカワ。5階立てのビルの4階で、カミカワはサヨリと出会う。サヨリはビ
ルの窓から狙撃を行っていた。一発撃ち、撃鉄を引くたびに薬莢が乾いた音をたてて床に落
ちる。リズムは一定。カミカワは、その一発一発で人が死んでいるのだと考える。しばらく
その軽快な動きに見とれていた。
「敵、何人いた?」
 サヨリはスコープから目を離して、カミカワを見る。
「え?」
「ビルの中に入ってきてるんでしょ?」
「あ、ああ。10人だ」
「そう」
 サヨリは狙撃銃を背負い、小銃の安全装置を外す。
「逃げようぜ」
 カミカワはそう言ってみた。逃げ場なんてどこにもないことを知っていながら。
「うん」
 サヨリは部屋を出て行く。
「待てよ。死ぬぜ」
「死なないのよ」
 サヨリは幽霊みたいに、スッと、階段を下りていった。カミカワはその場を動けないでい
る。怖いから……違う。死なないのよと言ったサヨリの顔がとても美しかったからだ。
 下の階から銃声が聞こえる。5分後、銃声がやんだ。カミカワが下の階へ降りると、10
人の兵士の死体があった。穴だらけ。壁や天井に血が飛んでいる。吐き気を催すような、血
と汗と糞尿の臭い。サヨリの姿はない。ただ、小さな、靴跡が――真っ赤な――ビルの出口
へと向かっていた。とても小さく、真っ赤な……

 3

 サヨリが怪我をして帰ってきたという報せを聞いて、休憩したいたアミは、すぐに治療所
へ向かった。サヨリは女性兵士専用の個室にいた。医者は席を外しており、サヨリは上半身
裸という格好で、丸椅子に座り、壁にかかった視力検査表を見ていた。
「サヨリ?」
 アミが声をかける。サヨリが振り向くと、右肩と鎖骨の中間辺りに痛々しい傷が見えた。
銃弾が貫通したのだという。アミはすぐに消毒を始めた。消毒液に綿をひたして、ピンセッ
トでそれをつまんで、傷口を拭う。大男でもその痛みに顔をゆがめるのところ。それでも、
サヨリは眉一つ動かさず、傷口を見ている。
「痛い?」
「ううん」
「痛いでしょ?」
「大丈夫」
 サヨリの肌は綺麗だった、とアミは思う。今では傷だらけだ。あんなに小さくて可愛かっ
た手も、硬く、訓練された手になっていた。サヨリの日常を想像する、アミ。ふと、涙がこ
ぼれる。
「アミ、大丈夫?」
 サヨリがアミの太股に手を置く。アミの体は震えている。
「サヨリ、もう止めよう。もう逃げよう、ここから。別に戦争なんてする必要ないよ。逃げ
て、どこかで静かに暮らせばいいじゃない。こんな戦争意味ないんだから」
「そうね、意味はないわね。ただのエゴで起きてる戦争だもんね」
「そう思うなら!」
 アミはサヨリを睨む。サヨリは静かな笑みを浮かべている。肩口から消毒液と血液が混じ
ったピンク色の液体が、小ぶりの乳房へ流れる。サヨリはそれを左手での親指で拭き取る。
「わたしも、もう、どうなってるのかわからないの。でも、ここで、戦争していることに、
わたしなりの意味があるんじゃないかって思ってる」
 アミは消毒をする手を休め、サヨリの正面に座る。
「ねえ、最近サヨリとおしゃべりしてないよね。聞かせてよ、サヨリが考えてること」
 サヨリは笑う。悲しいような嬉しいような……

 4

「昔からね、遠くへ行きたいって思ってたの。ずっと遠くへって。これまでの逃避行はわた
しにとっては望んだものだったの。遠くへ行けるからね。でもね、キョウジくんが死んで、
遠くへ行けなくなったってことを知ったの。わたしはキョウジくんと一緒じゃないと遠くへ
行けないようになってたのよ。キョウジくんは生き延びること、逃げ続けることを強く願っ
てたみたいだけど、本当は遠くへ行くことを望んでたのよ。遠くへ行くことと生き延びるこ
とはわたしの中では同じことなの。生き延びないと遠くへ行けないのよ。目的地があるわけ
じゃない。ただ遠くへ向かって進み続けることが、重要なの。キョウジくんがいれば、それ
が出来たの。人を殺す事だって、遠くへ行くためだって……でも、わたしは今、ここに留ま
って、遠くへも行けずに、ただ人を殺してる。もうそれしかないの。遠くへ行けないわたし
には、それしかできない。
 音がするの。耳の裏で。誰かが発する音……夢を見るの、荒野を1人で歩く夢。たぶん、
遠くへ行く最中のわたし。いつも同じ夢。
 戦いたいんじゃないの。生き延びたいの。遠くへ行きたいの。でもわたしは遠くへ行けず
ただ、生き延びることしかできないの。キョウジくんを失ったその日から……」
「キョウジくんのことが好きだったのね。そして混乱してるのね」
 サヨリは首を振る。
「わからない。好きとか嫌いとか、そういうんじゃない、と思う。わからないけれど。混乱
……してるかもしれない。この戦争に志願したのは、ただ遠くへ行きたかったから。それだ
け。キョウジくんを失ったわたしにはそれだけしか手段がないの」
「どうしてそんなに遠くへ行きたいの?」
「わからない。でも、体が、血が、それを求めてる」
「そう」
 アミは俯く。もう、何も言うことがない、とアミは思う。
 サヨリは壊れている。すっかり壊れきっている。でも、わたしはこの子を守りたい。キョ
ウジくん、どうして、サヨリをこんな風にして、1人でいっちゃったの?どうして、離して
しまったの?

 5

 シンジはロンシャン宮近くの歩道に座っている。今頃地球軍の連中は戦っていることだろ
う、とシンジは思う。シンジは高い空を見上げる。
「なにやってんだ、お前」
 シンジが声を方を見ると、シミズが立っていた。
「別に」
 シミズはシンジの目の前まで来ると、真向かいに座った。
「つまんなそうな顔してんな。前まではもうちょっと悪そうな顔してたのに。やる気がない
って感じだ」
 そう言ってシミズは笑う。
「知りませんよ」
「なんつーか、拗ねてる感じだな。まぁまだガキだから仕方ねえけど。いいのかよ、こんな
とこにいて。みんな戦いに行ってるぞ」
「戦いたくないです」
「じゃあ逃げればいい」
「どこへ逃げるんですか?」
 シミズは少し考えて「どこにもないな」と言った。
「正直、もう、どうでもいいですよ。別に死んだっていい。生き延びたってつまんないし」
「ふ~ん」
「僕、昔のロックに憧れてたんです。60年代に。でも60年代が終わって、共同幻想が
崩壊して、みんなニヒリスティックになっちゃった気分、わかります。今、そんな気持ち
です。もう、どうでもいいんですよ」
「なんか、難しいことはわかんないけど、どうでもいいなら、俺が殺してやろうか?」
「え?」
 シミズは腰に下げているベレッタを抜くと、シンジの額に押し付けた。
「いや、サクラって女いただろ?あいつを殺したの、実は俺なんだよ。どさくさに紛れてさ
。だから、お前も殺してやろうか?最初からお前らが気に入らなかったんだ、キョウジとか
いうやつといい、サクラとかいう馬鹿女といい、お前みたいな小賢しいガキとか。そうそう、
サヨリって女、今は役に立ってるからいいけど、なんか、うざいよな。そのうち殺してやろ
うかって思ってんだ。他の連中とまとめてな」
 シンジはシミズの言葉を理解できていない。シミズはにっこりと笑い、銃をおろす。
「まぁ、アリサワさんの邪魔さえしなければ、生かしといてやるけどな」
 シミズはそれだけ言うと、ロンシャン宮へ戻っていった。
 シミズがサクラを殺した、他のみんなをも殺そうとしてる。
 じゃあ、僕はどうする?
 みんなに見透かされてて、見下されてて、それでも、僕は……
 シンジは、立ち上がり、尻に付いた埃を払う。



 続く












 

     


 
  ③ 静かな終わり


 1

 シンジはサヨリのスポッターに名乗り出た。サヨリは必要ないと言ったが、シンジがきか
なかった。それから、戦場でサヨリの後ろにくっついて歩くシンジの姿が見られるようにな
った。狙撃も小銃の扱いも満足にできないシンジの存在を地球軍の兵たちは笑った。

 おい、見てみろよ、死神のあとにアヒルちゃんがくっついてるぜ!

 シンジの仕事は索敵なのだが、サヨリ自身がとても優秀な索敵能力を持っていたため、シ
ンジが先に敵を見つけることはなかった。また敵に接近されても小銃をうまく扱うことがで
きないために、むしろサヨリの足手まといになることもしばしばだった。
 ケンジやアミはそんなシンジを止めたが、シンジは周りの意見などに耳を貸さずに、サヨ
リにくっつき続けた。戦場以外でもそれは続けられた。
「好きにさせろよ」
 カミカワだけはそう言った。
 シンジ自身は、サヨリの手伝いができるなどとは毛ほども考えていなかった。シンジはサ
ヨリから離れないということだけを考えていた。ストーカー……それでかまわない、とシン
ジは思っている。他の連中はどうでもいい、サヨリさんだけは絶対に生かす。
 シンジはシミズがサクラを殺したという事実をみなには伝えなかった。そうする必要もな
いと考えていたし、そうすることによって無用の緊張を生み出すことになることを恐れた。
シミズが暴走することが考えられたからだ。
 実際、シミズはサヨリたちを殺そうなどとは少しも考えていなかった。シンジに行ったの
はただの脅し。暇つぶし。駄目になってる若人をいびっただけ。
 そんなことは知らずに、シンジはストーカーを続ける。
 よく考えれば、キョウジくんと同じくらいのカリスマなのかもしれない。事実、彼女は軍
のエースだ。どうして僕は、キョウジくんの代わりがいることに気がつかなかったんだろう?
 シンジにとっては新しく生きる意味を見つけた瞬間だった。ただ以前とは違い、観察者を
気取るのではなく、自分もその渦に入っていこうという気構えがあった。ただ、シンジは、
見落としていることがあった。それは、渦の中に入ってくのであれば、以前の何倍もの死の
危険があること。
 シンジは、まだ、自分も死ぬ可能性があることを、知らないでいる。

 2

 サヨリは敵を殺し続けた。最初、地球軍の兵たちはそれを歓迎し、もてはやし、認めてい
たが、死体の数が増えていくと、逆にサヨリを恐れるようになった。1人殺すと殺人、10
0人殺すと英雄という言葉があるが、サヨリは、そのずっと先までいっていた。サヨリは敵
を殺しすぎた。
 サヨリの近くでその戦闘を見ていた兵たちは、自分たちまで殺される、と本能的に思って
しまうほど、戦いぶりは苛烈。冷淡に敵を「処理」していく姿は、まさに死神。
 あきらかに、サヨリの力は浮いていた。敵味方双方合わせても、その力は圧倒的だった。
 アリサワはその様を見ていて、勝手なもんだな、と思う。
 味方を怖がるなんてもってのほか。むしろその戦功を誇るべき……寄せ集めだからこその
恐怖なのかもしれない。こんな事件が起こるまでは、殺し合いをしてたかもしれないような
仲だったから。腹の底では不信感がある。それも極東の少女であるならなおさら。いまだ日
本の大戦における汚名はすすがれていない。それを理由にして、排斥しようとする。愚かだ。
こんな連中、生きてる価値がない。サヨリが可哀想だ。ただ、戦っているだけなのに。神様
が怒るのも無理ない。少女をダシにして結束を強めるような、下衆ども。嫌になる。俺は何
のために戦ってるんだろう? 
 アリサワはサヨリが戦功を上げれば上げるほど優遇した。1人部屋を与え、補給は最優先。
それがさらに兵たちの反発を招くことを知っていて、なお、アリサワはそれをやめなかった。
何かが、誰かが、彼女に報いてやらなければならない、と考えていたからだ。
 シミズはそれが気に入らなかった。そうすることによって、他のエリアの司令官から嫌味
を言われていることを知っていたからだ。他のエリアの司令官たちは、アリサワの抱える、
最強の兵士を羨んでいた。エリアで最も功を上げているのはアリサワのアジアエリア。もち
ろんそのほとんどがサヨリの戦果。司令官たちはすでに、戦争のあとの覇を争っていたのだ。
もちろんアリサワはそれを知っていた。知っていて、馬鹿にしていた。
 どうして、自分が不利になるようなことをするんだろう?
 シミズはサヨリの優遇措置を控えるように進言したことがあった。
「心配するな、シミズ。あの子はいつか死ぬよ。そういう戦い方だ。だからこ、今誰かが報
いてやらないと」
「偽善ですね」
「そうだよ。だって俺は彼女が死ぬと思ってるからね。もちろんその戦いは我々の為になる。
俺は彼女を目一杯利用してるんだ」
「そういうことじゃないです」
「なぁ、シミズ。洪水が起きるなら、それはそれで良いと思わないか?もうどうにもならな
い世界をリセットできるのなら」
「洪水は起きません。この戦いのあと、アリサワさん、あなたが世界をリードするんです」
「俺にそんなつもりはないよ」
「世界がそれを求めてる」
「求めてるのは、お前だ」
 シミズはそれでもアリサワのことを信じていた。この人はやる人だ、と。アリサワはその
期待を知りながら、無視していた。世界の覇権を握ったところで、この世界は腐っている、
と知っていたからだ。

 3

 カミカワは、ルート探しをしながら、1つのことに気がついた。
 敵の数が減ってる。
 戦場を駆け回ったカミカワだけが知りえた事実。守りの数も減っているし、なにより攻撃
を仕掛けてくる敵兵の隊が以前なら10人程度でまとまっていたのに、最近では5人程度だ。
それは敵の兵が残りわずかであることを意味していた。
 戦争が始まって1ヶ月。敵味方双方共に疲弊していた。そして、カミカワの見込みでは、
敵の方が、消耗している。当初の予想とは大幅に違っている。敵の数は無尽蔵だと思われて
いた。それでも、敵は減っている。
 サヨリの力かな。
 一騎当千の活躍を見せているサヨリ。1人で日に相当の数を殺すのだから、その消耗は尋
常ではないと考えるべきだろう。それでも、なお、敵はサヨリを殺すことに執着していない
ように思える。戦争の初期であるなら、それもわかるが、ここまで続いていると、こちらに
とんでもない兵士がいることがぐらい、わかりそうなものだ。それなのに、サヨリ狙いの作
戦を打たないところを見ると、相手の指揮官が相当な阿呆なのか、それでも勝つ自信がある
かのどちらかなのだが……
 カミカワは自分が箱舟に近づいているのがわかる。
 サヨリ様々だな。
 カミカワはあの子との出会いに思いを馳せている。

 4

「最近、サヨリ、嫌われてるみたいね」
 アミはケンジの額に絆創膏を張りながら言う。これまで怪我をしなかったケンジだったが、
爆発で飛ばされてきた瓦礫で傷を負ったのだった。
「知ってるよ。馬鹿だよな。サヨリは悪くないのに」
「怖がってるのよね。サヨリがすごいから」
「だろうな」
「ケンジも、サヨリのこと怖いと思う?」
「……戦場でのあいつは怖いくらい、だ。でも、やっぱり、これまでのサヨリを知ってるか
ら、悲しいと思う」
「そう」
「サヨリと話してないのか?」
「うん。最近あの子治療を受けないから」
「怪我とかしないのかな?」
「ううん。怪我はしてるの。でも、治療しなくても治っちゃうの」
「まさか」
「本当よ」
「そんな、馬鹿な話があるかよ。あいつだって人間だぜ」
「そうなんだけど。私は間近でそれを見てるから。傷口が塞がるところ」
「マジ?」
「マジ」
 ケンジは、うーむ、と唸る。絆創膏をつけ終えて、アミは手を洗っている。
「よくわからないな。そんな化け物じみたサヨリでも、俺にとってはクラスメイトだ」
「あ、その言葉久しぶりに聞いたよ。そうよね、私たちって高校生で、同じクラスなのよね」
「そういうのって忘れちゃったら駄目だろう」
「なんかホッとした」
「高校生なんだからさ、もっと気楽にいけばいいんだよ」
「うん」
「でも、だからこそ、サヨリをほっとけない」
「うん。そう思う」
「でも、何もできないんだよな」
「……うん」
「そんな顔すんなよ」
「何よ、自分だって情けない顔してるわよ」
「これは生まれつきだ」
「でも、ホッとするよね、あんたの顔」
「なんだよ、急に」
「感謝してるってことよ」
「それじゃ、今度添い寝してくれよ。最近寝つきが悪いんだ」
「豚でも抱いて寝てなさい」
「なんだよそれ」
「ありがとうね」
「おう」

 5

 ある日、敵の姿が、戦場から消えた。戦場は静寂に包まれていた。
 サヨリはいつものように、最前線で索敵を行っていた。しかし、兵の姿は見えない。
「なんか、おかしいね」
 隣りで索敵を行っていたシンジが呟いた。

 サヨリは戦場を歩いた。もちろん用心をしながら。しかし、気配はない。サヨリは進み続
ける。そして、旧港へ出た。
 最初に目に飛び込んできたのは、異様なほどの海の青さと、遠く見える、舟とは思えない
ほど巨大な建造物だった。
 わたしは、あそこへ行くんだ、とサヨリは思う。
「あれが箱舟なんだね」
 シンジが目をこらして、それを眺める。まるで1つの島。お椀型のそれ。見た目不安定だ
が、その巨大さゆえに、傾くところを想像できない。

 その日、地球軍は歓喜に包まれた。勝利。それを確信したお祭り騒ぎ。どこから調達した
のか、花火が上げられ、高い空に花を添えた。この日ばかりは、と酒に酔う兵士たち。
 
 後方の狂騒を無視して、サヨリは旧港を離れなかった。サヨリは、箱舟を眺め続けていた。

 わたしはあそこへ行くんだ。

 耳の裏の音は、以前にも増して強く大きくなっていた。


 続く


 







     


 
  ④ 行方


 1

 コミュニケーションの基礎は言語。言語とは他者と通じるためのツール。ツールの価値は、
それを得た際に付随する旨味によって決められる。
 そんなことをアリサワは考えている。4つのエリアの指揮官が一堂に会するこの場で用い
られる言語は英語。もっと突っ込んで言えば米語。商談の場で、あるいは海外渡航の際に便
利に用いられていたという経緯があったにしろ、英語を話せるという旨味は、世界が認める
ところであると言わざるを得ない。
 4者会談とでも言うべきなのか、すでに会談の内容は戦争後の世界が扱われている。捕ら
ぬ狸のなんとやら、とアリサワは心中悪態をつく。暢気なもんだ。
 アメリカの指揮官が世界政府の発足を宣言する。もちろん場にいる全員それは予想済み。
むしろそれしか混乱を収める方法はないだろう。問題は中身。どういう見方をしてもアメリ
カ主導。このたびの戦争について貢献度の高さにおいてわが国に勝るものなし、とまくした
てる、白人の指揮官。反発の度合いによって、力関係がわかるというもので、欧州エリアの
指揮官は敢然と欧州諸国の重要性を語る。南米、そしてアジアは状況を静観。
 有限のパイを取り合う愚かな会談。勝手にやってくれ、とアリサワは思う。元通りでも、
世界政府でもいい。俺には関係ない。
 議論が過熱し始めた頃、欧州エリアの士官が入室。箱舟侵攻作戦が整ったという報告。そ
こで議論は一旦中止。大事を済ませてから、というのがそれぞれの考え。欧州やアメリカは
最後の点数稼ぎだと考えているのだろう。それぞれ足早に会議室を出て行く。残されたアリ
サワと南米の指揮官は少し遅れて部屋を出る。
「平和だった別になんでもいいんだがな……」
 部屋を出る際の南米の指揮官の言葉。そう言ってにっこりと、アリサワに笑いかけた。
「あんたもそう思うだろう?」
 先住民の血が流れているというアルゼンチン出身の男は、返事を待たずに駆け足で廊下の
先に消えていった。
 俺がそう思う?俺は、別に……
 アリサワは頭を掻いて、ため息。
 部屋の外にはシミズが待っていた。
「どうでした?」
「まぁ、概ね予想通りだ。思っていた通り、世界はどうにもならない」
「あなたならば変えられる」
 アリサワはその言葉を無視して、自らのエリアへ向かった。

 2

 6番目のエリアの一室で、アミは吐きそうになっていた。椅子に縛り付けられた敵兵。拷
問と呼んでも差支えがない状況。医師と兵士が敵兵の前に立って詰問。朝からこの調子。こ
れで6人目。もっとも、捕虜になっている全ての敵兵を尋問するというのだから、まだ半分
は残っている計算になる。何かしらの液体が注射され、兵士が殴りながら質問。箱舟内部に
ついての情報を引き出そうとの狙い。そして敵の親玉の居場所も。6人の兵士を拷問して、
箱舟の地図はほぼ7割方完成していた。
 ただし、敵兵力の状況については、どの兵士に聞いても曖昧な答えしか返ってこない。そ
のたびに激しい殴打が繰り返される。唇は赤く腫れ上がり、瞼は目を覆い隠すほど膨れ上が
る。殴打の際に口から飛ぶ血液が椅子を中心に、床に扇状に広がっている。
 看護兵は交代で付き添いに当たったが、どの看護兵もこの野蛮な行為に気分を悪くして、
退室することになった。アミも例外ではない。入室して30分。すでに限界は近かった。
 捕虜が何かを呟くたびに医師がメモをとる。アミには何を言っているかわからない。兵士
が大声で詰め寄る。
 そんなことが繰り返される。アミは、激しく嘔吐し、部屋から運び出された。

 アミは別室で横になっている。天井のシミの数を数えて、さっき見た光景を忘れようとし
ている。
「大丈夫かい?」
 いつの間にかアリサワがベッドの傍に立っている。アミは驚いて体を起こした。
「無理しないほうがいい」
「いえ、もう、大丈夫です。ただ、ちょっと、びっくりしちゃって」
「拷問に?」
「ええ。あんなことまでする必要があるんでしょうか。だって戦争には勝ったんでしょう?」
 アリサワは笑った。
「戦争なんて頭をとらなきゃ終わらないもんだ。逆に言えば頭をとってしまえば勝ちだな」
「まだ戦争は続いてるんですか?」
「戦争は終わらないよ。ずっと続く」
「拷問してまでも続けないといけないものなんですかね」
「和平の道、というのは詭弁。実は互いの利益が合意しただけの逃げ道さ」
「そうですか」
「お疲れ様。情報はじゅうぶん集まったみたいだ」
「どうしてそんなに情報が必要なんですか?」
「怖いからだよ。全ては恐怖からだよ。ありとあらゆる種類の、恐怖。そのせいだな、人が
臆病なのは」
「そう、かもしれません」
「医師や兵士から話を聞くと、敵は精神操作のようなものをされているらしい。洪水が来る。
世界はやり直す必要があると、どの兵士を言うそうだ。俺はこれを精神操作とは呼ばないけ
どね。ただの、信仰、だ」
「よくわかりません」
「聖書の洪水のことを指してるのかもしれない。でも、まったく意味のわからないことも言
っている。神の声を取り戻さなければならない、とかね。まぁ、狂信者が言いそうなことだ」
「箱舟に行くんですね」
「ああ、まずは侵攻部隊。そのあとに、我々指揮官たちを含めた残存部隊。君たちは留守番
だ。ゆっくりしてるといい」
「私も行きたいです。だってサヨリも行くんでしょ?」
「ああ」
「お願いします」
「……わかった、それじゃ、俺と一緒の部隊で同行を認めよう」
「ありがとうございます」
「いや、気持ちはわかる」
 それじゃ、とアリサワは背を向けて部屋を出て行こうとする。
「アリサワさんはこれからどうするんですか?」
 振り向くアリサワは笑顔。
「俺は、洪水が起きればいいと思ってる口さ。そんな奴がこれから先の何かを考えてると思
うか?」
 そう言ってアリサワは部屋を出て行った。
 アミはベッドから降りて、大きく息を吸った。強く、自分を励ますように。

 3

 アジアエリアの兵士たちが広場に集められた。シミズがマイクをつかって作戦を説明して
いる。ケンジの手元には箱舟に関する簡単な資料がある。
 大きさは、シチリア島の半分程度。高さはおよそ150メートル。舟の上部には大地があ
り、植物や動物たちが放牧されている。内部は多くの階層にわかれている。居住区、食料区、
動力部、その他用途不明の部屋が多数あるとのこと。居住区は上半分を占めており、食料区
は下半分のさらに半分、動力部が箱舟のちょうど中心にあり、敵の親玉はその付近の司令室
にいると考えられている。箱舟の下部には船着き場があり、そこから進入するということだ。
 シミズの説明を受けながら、ケンジは他のみんなの姿を探す。カミカワの姿はない、サヨ
リも見当たらない、シンジだけ見つけることが出来た。
 ケンジは兵士をかき分け、シンジの隣りに行く。
「他の2人は?」
「サヨリさんは港で箱舟を見てる。カミカワくんは知らない」
「そうか。つーか、お前、サヨリちゃんの傍を離れていいのかよ。最近ずっとくっついてた
じゃないか」
 ケンジが冗談交じりに言う。
「サヨリさん、ずっと箱舟を見てる。戦争が終息してからずっと。どこにもいかないからね。
サヨリさんの代わりに、説明を受けないと」
「ふーん」
「なに?」
「お前が何を考えてるのか知らないけど、サヨリは放っておいてやれよ」
「どういう意味?」
「そういう意味だよ。あの子はキョウジとは違うってこと」
「そんなの知ってるよ。別に、そういうんじゃない」
「それじゃなにか?惚れたとか」
「違うよ。僕は僕なりにやることがあるんだ」
「何をするんだ?」
「教えない」
「ケチ」
 シミズの説明が終わる。兵士は出発までの短い休息を楽しもうと、それぞれ動き始める。
「僕はまた港に戻るよ。ケンジくんは?」
「わかんね」
「どうせ、アミさんのとこでしょ」
「お前、言うようになったな」
 シンジは、さあね、と言って港へ向かって歩き出した。
 さて、とケンジは腰に手をやる。アミのとこにでも行くか。

 4

 カミカワは箱舟に向かっている。小型ボートを盗み、誰にも告げずに出発。夜ならさほど
警戒もされていないし、それに、勝利によって兵士たちの気は緩み、警戒は緩い。
 夜明け。近づいた箱舟の巨大さは異様。船着場が見える。人の姿はない。
 ここに、あの子がいるはず……
 実は、船が近づくごとに、カミカワの心の中では、あの子がいないのではないか、という
不安が大きくなっていた。それでも、ここまできたのだから、と自分を奮い立たせていた。
敵がいようが何がいようが、俺とあの子の劇的な再会は邪魔されない、と思い込んでいた。

 戦争が終われば、軍と一緒にいる義理はない。あいつらと別れることも、決めていた。俺
はこのためだけに高校を脱出し、逃避行を続け、戦場を駆け回ったんだ。
 オナニーして自分を慰めてる、あの子に会いに行くんだ!

 カミカワは船着場にボートを着け、箱舟の中に入っていく。

 5

「もうすぐ全部が終わるんだ」
「ええ」
「全部終わったら日本に帰って、あの村に住もう。誰も文句は言わないだろう」
「そうね」
「一緒に住もう。そして、ゆっくりして、先のことを考えよう」
「うん」
「サヨリや、シンジ、呼んだって来やしないだろうけどカミカワも一緒に」
「いいわね」
「そんでさ、結婚するってのはどう?」
「はぁ?」
「いや、なんとなくだけど」
「その前に、あんた、私のこと一度も好きだとか言ってないでしょう?」
「お、おう。そうだったな」
「言ってよ」
「好きだ。愛してる。まじで、本当に、好き。もうおかしくなりそうなくらい」
「よし」
「そうだな、お前の変態な弟や両親も呼ぼうか」
「変態な弟?まさかカミカワくんになんか聞いたの?」
「あれ、まずかった?」
「それで、カミカワくんにほかに何を聞かれたの?」
「いや、女ってオナニーすんのかって」
「それで?」
「アミはしてるんじゃねえのって」
「馬鹿もここまでくると、度し難いわね」
「ありゃ、怒った?」
「あんた、私がそんなことしてるの見たことないでしょ?」
「俺の妄想の中ではバリバリ……」
 アミはケンジの頭を思い切り殴った。ケンジは頭を抱えてうずくまった。
「ちょっとでもあんたに期待した私が馬鹿だった!」
「怒んなよ、冗談みたいなもんだ!」
「最低!」

 出発を告げる笛が聞こえる。

「行ってくる」
「私もあとから行くから」
「おう。アリサワさんに守ってもらえ」
「あんたは守ってくれないの?」
「ずっと守ってる、ことにしといてくれ」
「はいはい」
「それじゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」


 続く




     


 
  ⑤ 雨


 1

 カミカワは箱舟の内部を歩いている。木材のような鉱物のような材質で内部は作られてい
る。木目はあるのだが、触ってみるとひんやりと冷たく、鉄を思わせる。
 最初は敵を警戒したが、出てくる様子はなく、その上、人の気配がしなかった。どこかに
連れされられた人たちがいるだろう、と思ってカミカワは歩いていた。1人で敵地にいると
いうのに、カミカワに恐怖感はなかった。箱舟に入った時、空気の密度が濃くなったのを感
じ、さらに、何かに見守られているような感覚があった。空気の影響か、頭が少しぼんやり
している。
 同じような通路、同じような空室、同じような曲がり角。カミカワは自分が巨大な舟のど
の辺りにいるのかわからないでいる。同じような光景を見続けているせいで、一歩も動いて
いないと言われても驚かないだろう。

 あの子はどこだろう?あの子はどこだろう?俺のあの子は……

 1時間も歩いただろうか、カミカワは広間に出た。端が霞むほどの広間。そして、初めて
人間の姿を見る。おそらく連れ去られたであろう人々が、広間のどこかしこに立っている。
3,4人でかたまっているものもいれば、1人でいるものもいる。どれもほぼ等間隔で並ん
でいる。彼らはカミカワの姿を見ても、気にもしていない。同類、と思われてるのか?カミ
カワはあの子の姿を探した。広間を駆け足で歩き回る。

 どこかに、どこかに……

 あの子はいた。たった1人で壁によりかかり、携帯をいじっていた。カミカワに気づき、
携帯閉じて、微笑み、手を振る。カミカワは走り寄る。あの子に近づいた時、カミカワの
ポケットに眠っていた携帯が震えた。携帯を開きながら、彼女の前にたつ、カミカワ。携
帯にはあの子からのメールが届いていた。
『やっと届いた』
 添付された写メには変顔をしたあの子の顔。口をとがらせて、目は上を向いている。可
愛らしさに吹き出すカミカワ。やっと見れられた写メがくだらなくて、カミカワはホッと
している。
 携帯を閉じて、カミカワは、これからどうやってあの子の股を開かせるか、考えている。

 2

「一部破損箇所がある?」
 アリサワは先遣隊からの報告に顔をしかめる。欧州連が箱舟に攻撃を仕掛けたというこ
とは聞いていないし、欧州の連中がやってないとしたら、他に可能性がない。地球軍とは
別の部隊がいる可能性は否定できないが……
「破損していようが、問題はないでしょう。あまり気にすることではないと思いますけど」
 シミズがそう言って、報告にきた兵士を下がらせる。
「われわれは箱舟を占拠し、拉致された人々を解放するだけです」
「ま、その通りだな。ただ、な。気になるんだよ。そういう、細かい、なんていうか、原
因がはっきりしない事柄を見るとね。気が小さいと笑うか?」
「細部にこだわるところはアリサワさんらしいですけど」
「そうだな。それで、侵攻部隊の様子は?」
「はい、もうまもなく箱舟に上陸すると思われます。箱舟は沈黙したまま。攻撃の気配は
ありません」
「そうか、我々の出発に問題はなさそうだな。準備は?」
「1時間以内には完了します」
「わかった」
 それでは俺は小型艇の準備をしてきます、とシミズは退室。指揮官室に残されたアリサ
ワは、タバコに火をつける。紫煙が狭い室内を漂う。
 突然出てこなくった敵兵、箱舟の破損、沈黙……意味ありげな情報が並んでいる。罠、
と考えるのが妥当だが、戦勝ムードで浮かれた他の指揮官はそんな可能性を考えてもいな
い。あれほど大規模な行動を成功させた、敵がこれほど簡単に降参するものなのだろうか?
空城の計ってことでもないだろうが、それでも誘い出されているという可能性はじゅうぶ
んにある。
 それでも、俺たちはあの中に突っ込むだろう。
 そこで、アリサワは昔観た『Uボート』という映画を思い出した。ジブラルタル海峡だ
かを突破しようとする際に乗組員が処女みたいにきついから艦にクリームを塗らなくては
ならない、というようなことを言う。
 箱舟はきっと柔らかいんだろうな。
 アリサワはそう考えて、あまりの馬鹿馬鹿しさに、自嘲気味に笑う。

 3

 小型艇には10人の兵士がすし詰め。ケンジは前後を屈強な黒人兵士に囲まれていて、
息苦しい。兵士のごつい背中の先に見える箱舟が近づいている。港から見た箱舟はまだ小
さく見えたが近づくにつれて、どんどん巨大化していき、ある一定の距離になると、巨大
過ぎて遠近感がなくなった。
 先頭をいった艇はすでに船着場に到着して後続を待っている。ケンジはキョウジのこと
を考えている。キョウジが姿を消してからずいぶん経った。今では思い出すことも稀にな
っていることに気づき、自らの不義理を罵る。
 友達甲斐のねぇやつだ!
 キョウジがこの箱舟を見たら何て言っただろうな、とケンジは思う。

 こんなもん作る奴は阿呆だ!
 近寄らなけりゃ、でかさなんて関係ないね。
 とっととこんなところからずらかろう。

 キョウジは死んでいないと信じているのに、それでも、死んだことを想定して、キョウ
ジの言葉を考えている。
 俺は結局、キョウジが死んでるって思ってる。実はずっと思ってたんだろう。でも、そ
れを認めてしまったら、自分が情けなくてやりきれない。俺はあいつにどれだけ報いてや
れただろうかって……

 艇の中、ケンジは俯き、涙をこらえる。今、キョウジがここにいないことが悲しくてや
りきれない。寂しい。
 これが逆だったら、あいつは涙を流してくれただろうか?

 ……たぶん、あいつは俺を死なせないために死ぬほど頑張ってくれるだろう。そんで、
俺が死ぬくらいなら、自分が死ぬって言いそうだ……言わないか。そこは、ちょっとクー
ルなあいつだもんな。でも、忘れないでいてくれる。そんな奴だ。

 艇が船着場へ到着する。前から艇を降りていく。ケンジが箱舟に足をつける。その瞬間
別の世界にきたような感覚を受ける。

 空気が濃い。なんだこれ。生温い感じ。

 4

 シンジとサヨリは小型艇に乗っている。続々と船着場に到着する艇。船着場は割合手狭
で、そう何台も同時にはとめられない。船着場には順番待ちの艇が列をつくっている。
「もう少しかかりそうだね」
 そうシンジが言う。
「うん」
 サヨリは上を見上げている。目にうつる箱舟の外壁に、サヨリは違和感をおぼえる。な
ぜだか、奇妙な感じがする。
「死神も箱舟には興味を惹かれるか」
 サヨリの隣りにいた自衛隊員がからかうように言う。シンジは男を睨む。
「なんだい、アヒルちゃん。何もしてねえくせに。どうせ優遇されてる死神の甘い汁を吸
おうってんだろう?それともベッドの中ではお前がリードしてんのか?」
 それを聞いて笑う他の自衛隊員たち。他のエリアの連中は言葉がわからず首を振ってい
る。英語を話せる自衛隊員が連中に訳を伝えると、遅れて大笑い。シンジは耳まで真っ赤。
サヨリはどこ吹く風で箱舟を見上げている。
「死神さんよ、すかしてんなよ。こっちはお前のおかげで役立たずだと思われてんだから
さ」
 自衛隊員がサヨリの肩に手を置く。サヨリはそれに気づき、自衛隊員の方を向く。そし
て、じっと見つめる。感情のない眼差し。
「怒ったのかよ」
 男は腰が引けている。他のエリアの連中が男の情けなさを見て笑う。サヨリが笑った連
中に向けて英語で何かを言う。笑っていた連中はみな黙る。
「何て言ったの?」
 シンジが尋ねると、サヨリは自衛隊員の手をどけて、シンジの方を向く。
「箱舟は、なんか危ない感じがする。みんな終わってしまうかも、って言ったの」
「それって、本当のこと?」
「たぶん」
「引き返す?」
「ううん。行く」
「わかった」
 会話を聞いていた自衛隊員たちの表情が強張る。死神と呼ばれた少女の言葉にはえもい
われぬ説得力がある。
 サヨリたちの乗っている艇が船着場に着いた。乗っていた者たちはなかなか降りようと
しない。後ろの艇から、早くしろ、と声がかかる。サヨリが乗っていたものたちを押しの
けて上陸する。シンジもあとに続く。それを見てしぶしぶと上陸する兵士たち。
「空気が変」
 サヨリが呟く。
「うん。濃密な感じ。それに……」
「誰かに見られてる。音が大きくなってる」
「音?」
「うん」
「何それ?」
 サヨリはシンジの問いに答えず、舟の中に入っていく。

 音?

 シンジはサヨリの言葉の意味を理解できないでいる。

 5

 侵攻部隊の上陸が完了したという連絡を受けて、残りの部隊が出発する。箱舟近くの洋
上で待機し、敵の親玉を捕縛し次第上陸という計画。
 アミはアリサワ、シミズと同じ艇に乗り込んだ。侵攻部隊を除く残存兵はほとんどいな
いので、10人乗りの小型艇が4艇。それぞれに各エリアの指揮官と随行員。横並びで、
ゆっくりと箱舟を目指す。
 潮風がアミの頬を撫で、波の飛沫が髪にかかる。アミはひたすらに、みなの無事を祈っ
ていた。全てが、何もないまま終わることを――そうならないことを予感しながら――願
っていた。
「君の友達のサヨリちゃん。すごいね、たくさん敵を殺したよ。おかげで勝てたって言っ
てもいいぐらいだ」
 シミズが笑みを湛えてアミに話しかける。
「人に羨まれるほどの力だ。怪我してもすぐに前線に戻ってくる。まるでサイボーグだ。
ところでターミネーターって映画見たことある?」
 アミはシミズの言葉の真意を測りかねている。
「おい、シミズ!」
 アリサワがシミズを制する。それでもシミズは聞こえないふりをして続ける。
「最近の高校生はサイボーグなんだね。すごいよ。まぁでもあのキョウジとかいうのはあ
っけなく死んだけどね。あとサクラって女も。俺の銃をくわえながら死んだよ。もちろん
変な意味じゃなくてね」
 アミはシミズから、はっきりとした悪意を感じる。
「サクラを殺したんですか?」
「足手まといだったからね。だっていらないでしょ。色ボケのガキなんて」
 シミズは笑う。
「本当なのか?」
「ええ、アリサワさん。使えない奴は切っていく。アリサワさんのためにならない奴でし
たよ」
「まったく」
 アリサワは目の前で笑っているシミズが、狂っていることを知る。ずっと前から狂って
いたことを気づかずにいたことに、今、気がつく。
「俺はね、アリサワさん。あんたが、この世界の頂点に立つべきだと思ってるんです。だ
から、邪魔なものは全て排除します。だからあんたは安心して進んでください」
 シミズはベレッタをアミに向ける。
「素人看護兵なんてスペースをとるだけで、役に立たないですよ」
 銃口を向けられたアミは涙を流している。
「最低!」
「そうだね」
 そう言ってシミズは笑う。
「どうして今になってこんなことを」
「もう、終わりが近いからですよ。見ててくださいよ」
 そう言ってシミズはポケットから通信機を取り出す。
「準備は万端なんです」
 通信機のダイヤルを捻ると、並んでいた他の3艇の小型艇が爆発する。爆風が3人の艇
を揺らす。
「これで、全てオーケーです。箱舟からの攻撃があったとかなんとか言っておけばいいん
です。目撃者いないですから」
「お前」
 アリサワもベレッタを取り出しシミズに向ける。
「ちょっと、待ってくださいよ。全部、あんたのためなんだ」
「シミズ、銃をおろせ」
「だから、言ってるでしょ。アリサワさんのためだった。そんな俺を撃つんですか?」
「いいから、銃をおろせ」
「あんたは、善人ぶった悪人を気取った、善人なんです。だから甘い。こんなガキのため
にマジになっちまう。もっとクールにいきましょうよ。そこらへん、あのキョウジってガ
キの方が賢いですよ」
 シミズはアミの額に銃口を押し付ける。
「とにかく目撃者は全て消しましょう。それから話をしましょう。これからの、新世界の、
あんたの世界の」

 パンッ

 軽い音。波間に響く銃声。シミズは海に落ちる。アリサワは震える手でタバコに火をつ
ける。アミは呆然としている。涙のすじが頬に残っている。
「すまない」
 アリサワはそれだけ言うと、ベレッタを海に放り込んだ。
「俺のせいだ」
 額に手をやり、上を向いて、タバコをくわえたまま煙を吐き出すアリサワ。
「世界はどうにもならない。変えられるもんなら、変えてやりたいさ、俺が。でも、駄目
だって悟っちまったんだ。いつの頃からか。諦めてたんだ。全部。ずるく生きてきたんだ。
それで人生は終わっていくって思ってた。俺はもう、ずっと前から諦めてた!」
 声は怒っているようにも泣いているようにも、聞こえる。
「シミズは可愛い後輩だった。だからこそ、俺のせいだ。もう終わろう。洪水がくるなら、
さっさときて、俺を洗い流してくれ!」
 アリサワは空に向かって叫ぶ。

 一滴の雨粒が、アリサワのくわえたタバコの先に落ちる。ジュッという音がする。

「私はまだ、終わりたくないんです。洪水だって嫌」
 アミが言うと、アリサワは笑った。
「お前らは死ぬな。生きろ」
「そのつもりです」
 雨が降り出した。洪水の予兆なのか、とアリサワは考える。ふと、侵攻部隊からの定時
連絡がないことに気がつく。通信機で呼びかけるも、応答はない。嫌な予感がする。アリ
サワは艇を箱舟へ向ける。
「箱舟に行こう。様子が変だ」

 その頃、海中を漂うシミズの体は箱舟の外壁にぶつかり、そのまま壁に吸い込まれてい
った。














 続く


       

表紙

スモーキィ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha