Neetel Inside 文芸新都
表紙

冬の旋風
冬の旋風  「結」 (最終更新:13)

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一、 星と月が隠れた夜空の下で


 暗い。
 夜の海の上は光が数えるほどしかなく、その光自体も微弱でそれ以外は全く見えない。
 自分の足元はおろか、目の前に手を持って来ても、その手を認識するには特別に目を鍛えている者で無ければ無理な話である。
 すなわち、それ程闇が深く、その上に冬の海原は荒い。
 ”ふわふわ”と言うよりも”ズガンズガン”と荒い波によって叩きつけられていると言った表現が最も良く合うだろう。
 れいは、そんな視界定まらぬ海の上で、ただひたすらに櫂を漕いだ。

 例の南蛮船は錨を下げて船の位置を固定していた。
 ここまで接近すれば流石にれいでも異変に気が付く。
(おかしい、なぜ停船している…。まだ港からそこまで離れていないと言うのに)
 不気味な静寂も彼女に違和感を与えた。
 もう今日は休む事になったとも考えられる、だが違和感は拭えない。
(だが、行かねばならぬ…)
 罠であろうと無かろうと、れいに与えられた選択肢は一つしかない。”進む事”ただそれのみ。
 騙されていたとは言え、我が手で行ってしまった不始末。更に多くの主人達をも巻き込んでしまった大失態。
 何者かの罠も分らぬ、しかし進まねば。
 れいは意を決すると南蛮船の錨まで音を立てずに寄り、小舟を停船させると錨を伝って看板まで乗り込んだ。

 湿った風に違和感を感じる匂い。
 れいは意識を集中し甲板の木目を読む、
(隙間隙間だが、しっかりとした場所はあるな)
 するりと部屋に入り込む隙間風の如く、音が鳴りにくい部分を飛ぶように走る。
 一瞬一瞬の閃きと、ゴムの様な柔軟性によって無事に船内への入口まで文字通り”音も無く”接近出来た。
 が…しかし、そこからは足が進まない。これまでのように誰かのサポートがある訳では無い、完全に一人での侵入。恐怖を感じぬ者こそおかしいと言うもの。

 耳を澄ませど、人が動いている音は無く。微かに寝息の様な音が聞こえた。
(寝ているのか)
 彼女は周囲を再度確認する、しかし殺気どころか人の気配すらない。
 あるとすれば、船室で寝ている何者かの寝息のみ。普通に考えれば南蛮人が寝ているだけなのだろうが、どうにも”匂い”が気になる。
 それに今の自分はいつもの仕掛針が無い、音が鳴る可能性は少しでも消す為に小舟に置いて来ている。
 もし戦う事になれば使い慣れない小太刀のみが身を守る術となる事も彼女をより慎重にさせていた。


(逃げる訳にはいかない…そうなんだろう)
 弱い自分へ檄を飛ばし、遂にゆっくりと船内へと侵入を開始した。
 
 船内はビードロの器の中で火が燃える照明のおかげで比較的見やすくなっている。もちろんそれは自分の姿を晒す為に危険ではあるが全く光の射さない船内では少しばかりありがたかった。
 降りて最初の階は船室と台所、それに食堂の様な場所があった。
 船室内には南蛮人数名が寝息も細々と寝ている。台所と食堂には光すら無く誰もいる様子は無かった。
 素早く、その場から離れ次の階へ。
 ここも船室の様だが、黒い肌の人間たちの檻の様なもので、これまた寝息も細々と眠っているようである。
(これだけの黒い肌の人間を使って船を動かすのか)
 ”奴隷”と言う言葉を思い出したが、同情はしなかった。そんな事はよくある話だ。重要な事は”自分の任務を果たす事”それが忍の道なのだ。

 最後に一番下の階に辿り着く。
 それは床に錠を付けたような物で、扉は鉄の格子で出来ていた。
(厄介だな…)
 鍵を探す程の時間も、余裕も無い。
 今出来る方法で、出来るだけ周りに気が付かれる事無く外さねばならない。

 少しの間、錠を見つめ、そして完全に潜入した後を残さない方法は諦めた。
 れいは、腰から小太刀を引き抜き、留め金を打ちつけている木製の部分をゆっくりと切り始める。
 缶切りでカンズメを切る様にゆっくりと時間をかけて打ちつけてある部分を切り抜く。

 彼女の忍術訓練は十二歳の時に終わっている。
 もっと時間があれば解錠の技術を習えたかもしれないが、そんな技を持っていない。今出来る事は少しでも早く、そして見つからずに留め金部分の板を切り抜く事だけ。
 時間は掛かるし、リスクも大きい。
(ひとつであったら全員始末をする方法を選ぶんだろうな)
 自分の非力さが嘆かれる。

 ようやく切り抜いた時、既に四半刻以上かかっていた。
 音が鳴らぬように、蝶番に蝦蟇油を染み込ませ格子を開き、最下層に潜る。
 階段の火の光がうっすらと差し込んでいる為に夜目を利かす事は可能であった。

 そこは倉庫の様な作りで、たくさんの棚が並んでいる。
 一通り眺めて更に奥へ進むと、そこには昼間に見た黄金の箱が積んであった。
(何とも…ものすごい量だなぁ)
 千両箱が二十ぐらいあろうか。見た事も無い程の量と、暗闇の中でも感じる黄金の光の魔力はさながら”妖術”の様に彼女の心をつかんだ。
(駄目だ駄目だ。そんな物は今必要無いはずだろ)
 どうにも黄金の前では緊張感を失ってしまう。
 これもまた、魔力なのだろう。

 唇を噛み、痛みで正気を保つと、再度れいは棚の詮索へと向かった。
 必要な物は”冬虫夏草”と”毒の中和剤”
 本を開き、栞代わりの和紙を見直す。
 薬と生薬の写し絵を確認、そして見慣れぬ文字の姿を目に焼き付けた。
 ”ANTI POWER”
 見慣れていない以上、それは文字としてで無く模様として認識、その文字が書かれている物を一つ一つ確認して行く。
 一刻以上彼女はすべての棚を探し回った。そして…


「あ…あった…」
 小声ではあったが、つい声に出してしまう。
 それはビードロの瓶に入った錠剤で、貼り付けてある札には”ANTI POWER"と書いてあった。
 再び本を確認、色、匂い、錠剤であると言う点。
 それらが重なり、この薬を本物と断定。既に見つけていた冬虫夏草と共に必要な物は揃った。

(よし、今のうちに脱出を)
 瓶の中に冬虫夏草を詰め込み、それを懐に隠している巾着の中に入れ、再び足早に階段を上がって行く。
 誰も気が付いていない。数刻前と全く変わっていない。


 …なぜここで彼女は気が付かなかったのか。
 寝ていると思っている人影の様子は数刻前と全く変化が無い事。
 そして寝息が無くなった事に。

 経験が無い彼女は全てが未熟であった。
 必要な物を手に入れるまでが任務で無く、それを届けるまでが任務である事を。



 月と星が、雲で光を失いかけていた、そんな夜空が見えた時。
 彼女が甲板に足を踏み入れた時、匂いの原因と違和感の理由が分った。
 そして自分が精神的にも未熟である事を呪った。


 鎖で編み込まれた投網が自分の姿を包み込み、足が縺れて転ぶ。
 自分の背中を見つめる複数の嫌な匂いを放つ男達。
 振り向きたくも無かったが、そうにも行かなかった。
 

 そう、目の前にはまるで髑髏のように痩せ細った赤いマントを羽織った老人と南蛮人の姿をした男達。
 彼らは女にしか分らぬフェロモンの様に、狂気の匂いを放っていた。
 
 髑髏の様に痩せ細った赤いマントの男は顔を寄せて来て、れいにこう言った。


「お疲れ様…」

 皮肉なのか意味があるのか分らなかったが、男が手に持っている布を顔に当てられた瞬間、れいは意識を失った。


 

     

二、凌辱拷問



 次に気が付いた時、彼女は両手両足を縛られていた。
 やけに体が冷えると思い目を凝らして体を見れば、下着に至るまで何も着て無い。
 白い肌と長い髪に付着した水滴から察するに水か何かをかけられて目が覚めたと言う所か。
 戸の隙間から流れ出る風が体の体温を奪い、歯は止まる事無く”カチカチ”と鳴り続ける。

「目が覚めたかな」
 目の前には気を失う前に見た痩せた老人と、自分の姿を見て笑みを浮かべる男達。
 唯一、一人だけ”汚いものでも見るかのような”目をした若い男が居た。
「ワシは柊蔵人(ひいらぎ くらうど)、西の伊賀忍をまとめておる」
 その男は、目の前に近寄り言葉をかけて来た。
 その口から吐き出される異臭よりも”その名”と、”伊賀忍をまとめている”と言う言葉に思わず反応して顔を上げる。
「聞きたい事もあろう、何故我々が貴様を追い続けてきたか。だがそんな事は知る必要は無い」
 その眼は言葉よりもはっきりと分かる意思を持って”死”を伝えて来た。
 とたんに体に力が入らなくなり、全身の筋肉が緩む。
(不動金縛り…いや、別の術か…)
 上半身はだらしくなく床に体を落とし、重力に逆らって立ち上がる事も出来なくなる。
 柊老人は小声で笑い、れいの足を開き、指で彼女の秘部を指で開き眺める。

「ほぅほぅ、これはなかなか。まだ小便くさい生娘であったか、これは手をつけてはまずいな」
 恥ずかしさで頭に血が昇り、顔面真っ赤になったが起き上がる事も口を動かす事も出来ない。
「どうだ、悔しいか。ハハハ、だが貴様にはどうにも出来んよ。もがけばもがく程に体の自由を奪う地獄への沼、”黄泉沼の術”はただの金縛りでは無い。赤子の様に何も出来ず、糞も小便も垂れ流す。…これは拷問なのだよ」
 急に柊老人は体から冷めた気配を放ちだし、冷ややかな目でれいを見下した。
「殺しはしない、だが貴様の未来は終わりだ。江戸に船ごと貴様を送り、半蔵様へ献上する。」 
 柊老人は冷めた眼をしたまま、れいの腹を思い切り蹴飛ばす。
 ”ガボッ”っと割れた声を上げ、部屋の端まで飛ばされる。痛みで涙が出たが、苦痛に顔を歪める事すら出来なかった。
 
「…まったく、良い獲物だわ。豊臣の天下も終わり、半蔵様が好まれるような女も手に入った。更には伊達より金を奪い、全ては上手く行った」
 満足げに周りを眺める柊老人の鼻に、腐った物の様な異臭が漂って来た。
 目をれいの方に向けると、体に力を入れる事が出来ぬ中での腹への強打で失禁と脱糞、更には嘔吐を行ってしまい、全身が汚物に覆われていた。
 柊老人の隣に居た若い男は、着物の裾で顔を覆い
「柊様、この様な場所には居たくありません。申し訳ありませんが先に上へ行かせて頂きます」
 そう言うと、唾を吐き退室した。
 男の背を眺めていた柊老人もまた階段へ足を向ける。
「…おい、貴様ら。その女に水をかけて部屋を洗っておけ」
「承知致しました、で少しばかりこの女で遊んでもいいですか」
 しかめた顔を彼らに向ける。
 男達はそれを見るだけで震えあがった。
「…趣味が悪いな…まぁよい、尻の穴と口ぐらいなら使ってかまわんぞ。当分力は戻らんから噛みつかれる心配も無いしな」
「これはこれは、大変ありがたく頂戴いたします」
 残った二人の男は柊老人を送り届けると、海から海水を汲み何度も彼女の体に浴びせ、汚物を海へ流すと湯を沸かし彼女と部屋全体に掛けて異臭を抜くと同時に室内を暖めなおした。

「まぁ、どうせ江戸で半蔵様に壊れるまでなぶられて壊れちまうんだが、今死んでもらっちゃあ困るんでね」
 勢いよく桶に入った湯をれいに浴びせる。
 湯はかなり熱せられていたのか火傷をする程の熱が彼女の全身を襲う。
 それに対し、逃げる事も出来ず、声を上げる事も出来ず火傷の痛みに彼女は耐えねばならなかった。

 桶を放り投げ、男達はれいの傍に近寄り彼女の顔をじっと見た。
 涙を浮かべ、口が震えるように動いている姿を見て男達は下品な笑い声を上げた。
「熱かったか、でもなこれはお前の為なんだよ。寒さで死んでしまったら上に言い訳できないだろう」
 男達は、れいの力がまだ戻らない事を確認すると、毛深い手で乳房と股間をいじり始めた。
「おい、また小便漏らしやがったぜ」
「汚ねぇ女だな、また掃除かよ」
「しゃーねぇさ。事が済んだら掃除すりゃあいいさ」
 言葉を返した男はふんどしを脱ぎ、一物をれいの口に押し付けた。
(気持ち悪い…)
 忍としての教育を受けて来ており、貞操と言った感情はとうの昔に捨て、任務の為に男に抱かれるも良しと考えてはいたが、なぜだか涙と共に胸の奥から気持ち悪いと言う感情が浮かび上がる。
「尺八なんぞで行けるかよ。尻の穴の方がましよ」
 そう言い、もう一人の男は足を縛る縄を切り裂いた。


 もうだめだ…
 諦めの涙が流れた。
 既に男の一物は口の中に入り、嘔吐を起こさぬようにあまり深く入れず、口の中に入れた感覚を楽しんでいた。
 もう一人の男はれいの足を開き一物を尻の穴の付近まで持って来た時
 天井に怪しい影がある事に彼女は気が付く。
 男達は彼女の体に夢中で気が付いていない。
 れいがその影を覗きこむと、その影から怪しく光る瞳を見た。

 パァン!
 
 手を叩くような音が部屋に響く
 流石に男達もその音に気が付く
 その瞬間…れいの体に力が戻り、体の自由が戻った。

 (今だ)

 れいは、即座に口の中の一物を食いちぎる、それと同時に足元に居る男を蹴って跳ね除けた。
 口の中に血の味が広がる、そして一物を食われた噛み千切られた男の絶叫が響いた。
 その男は股間を抑え、小便の様に股間より飛び散る血を抑える様に飛び跳ねまくった。
「貴様」
 蹴り飛ばされた男がれいに飛びかかる…が、どうした事が、男は急に体の動きが止まった。
 先程まで飛び跳ねていた男も急に黙り込んだ。



「風閂の術」


 天井より声がした。
 先程の怪しい影はゆっくりと天井から降りて、れいの傍に近寄る。
「いい加減、口の中の物は吐き出すんだな。それともずっと咥えていたいのか」
 れいはハッとし、口の中より食い千切った一物を吐き捨て、貯め込んでいた気持ち悪さを吐き出すかのようにそのまま嘔吐した。
 口の中から血と汚物が抜けきるまで吐いている時、後ろの方で”ボトリ”と二つの何か落ちる音がした。
 見なくても大体分かる。…多分男達の首が落ちた音だろう。

 
 船内は急に慌ただしくなった。
「まぁ、間一髪って所だな」
 天井影に居た男はそう言った。
「馬鹿、…でも助かったよ。ありがとう、ひとつ」
 まるで幽霊の如く、闇と一体化した男の名は”ひとつ”
 越後長岡の地で置いて行った、れいの唯一の仲間。

「前の穴も、後ろの穴も、奪うのは俺だけで良い。口までは守れなかったがな」
「馬鹿」
 口の周りから体に掛けて、白と赤のまだら模様。
 顔は泣きじゃくり、鼻声で
 情けないままの姿でひとつに抱きつき、わんわん泣いた。
 ひとつもこれに応じ、前の戦いで失われた左手を彼女の肩に乗せ、されるがまま、そこに立った。

「曲者、死ねぇい」
 階段より三名の南蛮人の姿をした伊賀忍が襲ってくる。
 彼らはそれぞれ、鎌、刀、クナイを手に持ち、疾風の如くひとつの元へ走り寄る。

 ひとつは開いている右手を振り上げた。
 既に室内に張り巡らせた風閂は、振り上げた右手を合図に三名の伊賀忍を文字通り”輪切り”にした。
 動作から結果まで、実に一瞬の間の出来事であった。
 
 
 輪切りになった肉片の返り血を浴びたひとつの顔が、修羅の如く戦いの喜びを現す。
 
「…奴等は賢いな。部屋に入ってこないぜ…」
 ひとつがれいに囁きかけた。
「後は、若い男と柊蔵人って名前の伊賀の棟梁がいるはず。あの二人は只者じゃないわ。それにまだ他に隠れている忍びもいるかもしれない」
「お前の探し物はどこにある」
「ちょっと待って、千里眼で探してみる。後、敵の数も。その間、私は何も出来なくなるから守っててね」
「素早く済ませろよ」
 ひとつの顔からは緊張感が抜けていない。
 れいは、集中し、船内に意識を飛ばした。
 甲板に柊老人と若い男、それに数人の忍がいる。そして各階の踊場にこれまた複数の忍が待ち伏せをしている。
 …己の服は…次の階の肌の黒い奴隷の部屋に投げられている。
 後は薬…、しかしこれは見当たらない。おそらくではあるが柊老人が持って行ってる可能性がある。

 れいは、ひとつにこの事を囁く。
 コクリと頷き、辺りを見渡す。
「まぁ、何にせよお前さんの服と刀ぐらいは用意してやらねばならんな。お前の裸は見せもんじゃないんだからのう」
 ひとつの目線が胸から下半身に行った所で、れいのゲンコツが彼の顎を強打した。

「すまんすまん、そう怒るな。すぐに服ぐらい用意してやる」
 笑みを浮かべ、殴られた顎を撫でながら、れいの傍より離れ、火の当たらぬ影の部分へと歩いてゆく。
 すると、音も無く目の前からひとつの姿が、闇に溶け込み消えた。
 目を凝らそうとも、気配を読もうとしてみても、室内にひとつの姿形、匂いから気配に至るまで、それはまったく消え失せていた。

 辺りを見渡したり、その場に近寄って見たが何も見当たらない。
 そのうち上の方から音がし始める。

 ゴトンゴトン…

 音はテンポよく数秒毎に一つずつ、止まる事無く鳴り響いた。
 十五回ほど音が鳴ったのち、ひとつは再び闇の中より姿を現した。

「まったく恐ろしい爺さんだよ。柊蔵人は」
 突然掛けられた声に、れいは思わず声を上げそうになったが何とか押し留めた。
「ひとつも十分恐ろしいぞ」
「そいつはどうも…」
 彼は手に持った風閂を糸巻きにくるくると巻いて元に戻していた。
「ほら、服と小太刀。それに手裏剣を八枚だけ回収してきた」
 差し出された左手に服と手裏剣の入った袋、そして右手からは小太刀を差し出される。
「ありがとう。ちょっと待ってろ、すぐ着替える」
 袋と小太刀を床に置き、急いで服を着、準備を整える。

「まったく恐ろしいぜ、全員片ずけるつもりだったんだが、柊蔵人とあの若造は俺に気が付いて反撃までされてしまった」
 ひとつの体には傷一つも無いが、目は真剣そのもので、かの二人組の恐ろしさをれいに語る。
「連中は下に降りるつもりは無いらしい。完全に俺のやり方を理解している」
 ひとつの得意技である風閂は、闇にまぎれ罠を仕掛けたりして切り裂くのが主である。
 あの二人の伊賀忍はそれをすぐに理解し、罠を張る事が出来ない、そして見通しの効く甲板にて我々を迎撃する腹の様だ。
「それに薬みたいな物が柊の足元にあった。恐らくお前を呼び込む為だろう」
 れいは、腰ひもを結び顔を上げる事無く返事を返す。
「そうか、これで逃げる訳には行かなくなったな」
 腰紐に小太刀の鞘を通し、準備は完了。
 しかし…話を聞けば奴らが何らかの仕掛けを行っているのは火を見るより明らか、だが…

「やるしかない」
 それを見て、ひとつはニコリと笑みを浮かべ
「そうだな。やるしかないよな」
 階段の先、既に雲で月が見えなくなった夜空を見上げる。
「やばくなったらすぐに逃げろよ、お前の処女はワシが貰うんじゃからな」
「いいかげん忘れたらどうだ、それ」
「冗談だ。まぁ、その話は此処から出てしようかの」
 さっきまでの緊張感は何所へ行ったものやら。…しかし、そう言う冗談が言えるひとつを、れいは頼もしく思った。


 二人は決着を付けるべく階段を上って行く。
 甲板には、自分より格上の強者が待っている。
 しかし、今の二人には迷いは無かった、当然避けて通れぬ道ではあったが、それよりも”二人で戦えば負ける気がしない”そんな自信に満ちていた。


「あのさ…ありがとな、来てくれて助かった」
「もう置いて行くなよ、二度目は無いぜ」
 お互い目を合わせ、少し笑った。




     

三、鎌鼬 対 林風



 月は雲に隠れ、星々の光も薄くなっていた。
 甲板には一切の照明は無い。
 なぜなら、強い光は濃い影をも作る。
 濃い影を利用するのも忍の技の一つだが、同時に忍を相手にする場合は、敵にとっても有利な場所となりえる。
 柊老人程の老練であれば下手に相手に有利な要素を作る必要は無い。
 万全の状態であればまだ、自分の術の方が優れていると言う自信があった。
 むしろ、そう言う自信は緊張の緩和、集中力の持続に必要な要素である。
 あ互いが五分五分の環境下、むしろ即席ではあるが準備をする時間があった己らにこそ勝機があると信じてやまなかった。

 事実、彼の考えは正しい。
 れいや、ひとつが如何に常人離れをしていても当然人間である以上、明るい場所から暗い場所へ急に移れば目が慣れるまで当然時間を取る。
 更に言えば、いくらか罠の用意も出来ている。
 奴等はそれが分っていて、その上で上にあがらねばならない。
 何故なら、この自分の手元に奴らが望む薬があるのだから。

 フフフっと笑う柊老人の目は、この薄暗い闇夜の中でさえ光を放ち、獲物が来るのを待つ狩人の様だと勘蔵は思った。
 
「時期にここに来るぞ。先に女に黄泉沼を掛けて無力化してやる。勘蔵はその間、あの風魔の男を足止めしておけ」
「承知致しました」
 勘蔵は腰より小太刀を引き抜き、山陰五兵流の構えをとる。


 流石に腐っても忍の者。
 れいとひとつは、音も無く甲板まで上がって来た。
 影からの暗殺術を扱う四者が、一同に揃う。
 ここまでくれば純粋に技と技の勝負、どちらが上手か、それに掛かっていた。


「ほぅ、大したものだなお二人共。ここまで乗り込み、我ら以外を皆殺しにするとは」
 柊は二人に拍手を送りつつも、怪しい光を放つ瞳をギラギラさせていた。
 れいは先頭に立ち、彼らを睨み返す。
 その時、ひとつはれいの背に文字を書いていた。
(柊蔵人の技は憧術である。至近距離で奴の眼を見れば術に嵌る)
 ひとつはこの術の特製を知っていた。そして解除の方法も。
 とは言え、これで解決するはずが無い。
 相手は術を掛けようと襲い来るだろう、それに対し目を閉じて対応する訳にはいかない。
 そうでなくとも老練な忍の体術、そして戦法は陰湿かつ裏の裏を読む経験を持っている。タダで済む訳が無い。

「薬を返せ、さもなくば殺す」
 ひとつは凄味のある声で静かに語った…いや、脅した。
 当然効くとは思っていない、少しでも時間を稼ぎ、この周囲で危険をな場所や罠を見出さねばならない。それは探知能力に長けた、れいの仕事である。
「薬があれば丸く収まると思っているのか」
 突然発せられた意味深な言葉。集中を欠いてしまい、柊老人の方へ目が行く。
「大阪方が忍の扱いに慣れておらぬ為に、お前には新しい話が来ていない。そうだろう」
 ひとつは再びれいの背に(聞くな、ただの揺さぶりだ)と指で文字を書き続けて(他の事を考えるな、周りを調べる事に集中しろ)と少し強めに指でなぞった。

「太閤の嫡男は死んだわ。無駄な努力もいい所だ」
 その言葉に我慢出来ず、遂に袋から手裏剣を出し柊に向かって投げた。
「五月蠅い、そんなことあるか」
 
 その攻撃が戦闘開始の合図となる。
「馬鹿、乗せられてるんじゃねぇ」
 流石にひとつも頭に血が昇り、れいの頭を叩くが流れは止められない。
 手裏剣は見事に外れ、柊老人はそのまま真っすぐにれいの元に走り込む。
 それに呼応し、れいもまた走り出した。
 ひとり流れに着いて行けなかったひとつの元には大外から小走りで若い侍が駆けてくる。
 勘蔵である。
「もらったぁ」
 体を回転させながら飛びかかり、右の小太刀でひとつの首を薙ぎにかかる。
 とっさの瞬発力が無ければ首はそのまま飛んでいただろう。
 足の親指の力のみで後ろに飛び下がる。
 首と小太刀の間合いは十分過ぎるほどに余裕があるはずであった、しかし実際には刃の先が首の血管スレスレを空振りして行く。
(刃が伸びた…)
 実際ひとつにはそうとしか考えられなかった。
 小太刀自体の刃は長さが短い。指の先から肘程しかない刃が急に中太刀(通常侍が扱う刀)程の長さ迄伸びたのだ。
 無意識で避けたとは言え、普段の様に米粒一つ程の距離で見切っていれば、今頃首は飛んでいた。

 ひとつと勘蔵は大人二人分程の距離で向かい合う。
 勘蔵は、やや悔しそうに
「運が良かっただけか…次はそうもいかぬぞ、山陰五兵流鎌鼬の前にはどの様なツワモノであっても首を刈り落とされる運命なのだ」
 そう言うと勘蔵は腰を落とし、今にも飛びかかるオオカミの様な姿でひとつを睨み続けた。

(どうしたものか…間合いが分らんのもあるが、侍にしては動きが早すぎる。それに先程は右のみだったが、左の刃も動き出せばタダでは済まぬな)
 じりじりと間合いを詰める勘蔵に対し、ひとつは先ほどの”鎌鼬の正体が掴めずにいた。
 刀自体が伸縮可能なのかもしれない、だがそれが理解出来た所で最大射程が全く分からない。
 先程の距離が限界なのか、更に伸びる可能性があるのか。そしてそれは両手に持つ小太刀両方に言える事なのか。
 
 バッ と目の前に居た勘蔵は再び恐ろしい速さで、ひとつに飛びかかる。先程と同じように回転を掛け、右と左の小太刀は別々の角度でひとつに襲いかかった。
(林風の術)
 とっさの判断で周囲を超低速の空間に色変えた。
 音も無く、温度も感じなくなり、色も黒と白だけに塗り替え、ひとつは瞬時に無我の境地へと入る。
 目的はたった一つ。
 この鎌鼬と言う名の技の正体を見極める為に右の一の太刀は避けに徹し、左の二の太刀を刀で受け、その間に見極めようとした。

 周囲の風景が超低速とは言え、己の動きが速くなるわけでは無い。己の動きもまた超低速なのだ。
 油断一つ出来ない極限状態で、ひとつは刀を引き抜くと同時に体を落とし首を狙って薙いできた一の太刀をスレスレで避けると、左の太刀筋を見極め、刀でそれを受け止めた。
 実際の時間で言えば一秒未満、そんな中でひとつは鎌鼬の正体を見極めた。
 勘蔵は攻撃を受け止められたと見るやいな、これまた足の指の力のみで瞬時に後方へ飛んで距離を取った。


(いやはや、鎌鼬とは良く言ったものだ)
 まるで薙いだ風がそのまま刃となるようなその技と、瞬時の攻防にひとつと言えど冷や汗が背中を伝う。
 だが、もはやそのカラクリは理解している。

 ひとつはニヤリと笑い、刀を構え直した。



     

四、戦いの本能



 遠くから見れば残像の様に、二人の姿が増えては減り、浮かび上がっては消えと激しい動きで戦っている。
 
 幼い頃から特別な訓練を受け、走りに跳躍と常人以上の肉体構造を持つ忍と、同等の動きが出来るのは山陰五兵流の技術と鍛錬が忍の練法が実によく似ているからなのであろう。
 勘蔵の動きはひとつを捉え離さない。
 対し、ひとつは防戦一歩であったが、大きな負傷を追う事無く、鋭い斬撃に対し確実に避けて逃げた。
 その攻防は第三者から見れば圧倒的に勘蔵有利に見えた。
 押しては引く、押しては引くと、まるで波の様な戦い方に通常の侍であれば翻弄され、上手く一撃目をかわす事が出来たとしても、反撃の一振りをかわされた後の第二の波にのみ込まれ、血飛沫を上げる事は必然であった。

 が、疲労と焦りは勘蔵の方が遙かに高く、ひとつの方は冷や汗も乾き、涼しい顔で避け始める。
 彼は相手がこれまで一度たりとも見破られる事が無かった鎌鼬(カマイタチ)の間合いを、すでに理解していると言う事に嫌でも気付かねば成らなかった。
(何と言う男だ…)

 勘蔵は幼い頃より不凡なる才を持ち、語学、数術などの座学に、山陰五兵流の要領を得るのも一番早かった。
 だがそれ故に、相手を称賛する事はまだ一度も無く、共に快楽を共有する柊蔵人にさえも”尊敬”と言う物は無かった。

 だが、此処へ来て初めて対等に渡り合える強敵が現れ、心の奥底で燻ぶっていた”完全に燃え尽きるような戦い”への願望が現れる。
 これは、勘蔵があくまで武術家であった為の気持ちであった。


 勘蔵はその後も押しては引き、押しては引きと変わらぬ戦い方を続ける。
 だが、その攻撃の中には先ほどまでとは違い変化を与えた。

 鎌鼬の正体は握りの位置の変化にある。
 山陰五兵流の小太刀の柄の握りは通常の刀の握りと違う。
 人差し指と中指で柄を握る。
 鎌鼬は絶妙なタイミングで、人差し指と中指を握る力を抜き、柄を滑らせ間合いを変える技である。
 押しては引くのは、相手に技の正体を知られる危険を無くすために、一度握りの高さを元に戻す作業。
 しかし、この動きが功を成し、剣術家の通常の戦い方では動きを読む事が出来ず、二刀目には首筋から血飛沫が舞う事に成るのだ。


 だが、ひとつはそれを見破り間合いを読んで避けている。
 それに対し勘蔵は、間合いの変化を行う事で相手の間隔を鈍らせようと試みた。
 最初は短めにし、次に最大限まで伸ばす。
 そして更に右と左の小太刀の長さに変化を加える。 
 これには、ひとつの感覚を乱すに十分の働きがあった。
 徐々に、徐々にではあるが刃先が体をかすめ始める。

(これはまずい…)
 間合いの感覚をようやく掴み、反撃の機会を伺っていた処にこの対応。ひとつもこの剣術家に対し特別な念を抱いた。
 しかし、忍と剣術家では思想が違う。
 結局の所は、最初の一撃を勘蔵が決める事が出来なかった時点で決していたのだ。
 ひとつはただ、確実な一撃を決める為の機会を待っていたに過ぎない。


(…決める…)
 勘蔵の左の小太刀が腹の皮を裂き、再び後方へ飛んだ。
 その瞬間

 ひとつは右手を頭上に掲げる。それが合図と成り、足元と壁や手すりに貼り付け隠していた風閂が、弾ける様に勘蔵に向って飛んで行く。
「しまった」
 勘蔵は、”それ”が自分に向って来る事に気が付くのが少し遅かった。
 ひとつの目には完全に勘蔵の四方八方を塞いだ心算であったが、一瞬早く勘蔵は左手と左足の指全部を犠牲にして風閂の包囲から脱げ出すことに成功した。

「おぉぉぉぉ…」
 勘蔵の体の左の部分から激しく血が飛び散る。
 左腕は根元から削げ落ち、左足の指も全部無くなってしまった。

 もはや勘蔵が、自力では逃げだす事も困難。
 ひとつは刀を構え勘蔵の元へ走る。
 だが…


 自分の後方より三、四個の卍手裏剣がひとつに向って飛翔して来た。
「ぬっ」
 手裏剣の気配を察し瞬時にそれを叩き落とす。
 すべての手裏剣攻撃から身を守り勘蔵の方へ顔を向ける。そこには何時の間にやら柊老人が勘蔵を肩に抱え立っていた。
 彼の右目は何かで抉られた(えぐられた)様に大量の出血をしており、腹からは腸がはみ出ている。

「今回は我らの負けだ。お前らを侮りすぎた、だが貴様らが大阪へ帰る事は決して無い。我らの総力を持って消してやる」
 柊は言い終わるやいな、床に何か玉のような物を叩きつけた。

 その瞬間、激しい閃光と鼓膜を破るような音が周囲を包む。
 ひとつはそれに対し何も出来ず、目を閉じ、手で耳を塞ぐしかなかった。


 …時間でいえば三十秒ほどだっただろうか。
 その頃には激しい光も、鼓膜を貫くような音もだいぶマシになる。
 しかし、目が機能し始めるのと、耳鳴りが収まるまで一、二分の時間は必要だった。
 辺りを見渡した時には、既に柊老人と勘蔵の姿は無く
 代わりに泡を吐き、気絶しているれいの姿が見えた。

「何と…アレをまともに受けたか…」
 抱きかかえると彼女の股のあたりが湿っているのに気が付く。
 しかし、大きな外傷は無く無事な様子ではある。


「何とも、お前一人であの柊蔵人に大怪我を与えるとは…何とも不思議な娘であるの」
 彼女の懐には薬瓶が入っており、取り合えずは任務完了と言った処の様だ。

「ひとまず人気がない場所に停泊しとくか…」
 ひとつは船の舵を取り、再び仙台の方へ船首を向けた。




 

     

五、潮風が吹付ける冬の海


 その老人は自分の長い白髪の一本を引き抜くと腸の傷口をそれで縫い止める。
「柊様、そのような事で治るのでしょうか」
「大丈夫じゃ…まだ今なら間に合う…」
 腸の傷を縫いとめると、それを腹に戻し中に焼酎を吹きかけた。

 目が眩む様な激痛に脂汗がぶわっと溢れる。
 そのまま、もう一本白髪を抜き、今度は腹を縫い止め再び焼酎を吹きかけた。

 先程の戦いで、彼は腹を切り裂かれ、目をえぐられ
 瀕死の体で小舟に乗りこみ、光に乗じて南蛮船から離れる事に成功出来た。
 だが、腹を切られれば死は免れぬ当時
 自分の髪を縫合用の糸として使い、腹を縫いつけ焼酎で消毒する事が出来た柊の医療技術には驚かねばなるまい。
 焼酎で濡らしたサラシを腹に巻き、”ううぅ…”と苦痛の声を上げる。
 一度目を閉じ、手招きをして勘蔵を呼ぶと彼に耳打ちをした。
 それを理解した勘蔵は櫂を手に取り、急ぎ足で仙台へ向かった。



 
 時は既に二月に入り、暦の上では春はもう近くまで来ているはずであったが、北国の気候は相変わらず凍てつくように寒い。
 場所柄、春になれば”やませ”と呼ばれる東北の蝦夷地より来る寒風が来て、冬は冬で凍てつくような風が太平洋側より吹き付ける。
 それは、寒さに慣れた土地の者でも身に堪えるのだ。

 朝方、ひとつとれいは船の中で目が覚める。
 南蛮人の布団は予想以上に温かく、朝まで二人はぐっすりと眠る事が出来た。
 
 うつらうつらと瞳が開き、見慣れぬ風景が飛び込んで来る。
 まず、体が揺れているような浮遊感に包まれ、次に海の匂いがした。
 上手く動かない頭を必死に働かせようと体を起こす。
「…あれ、私は確か…柊と戦ってて、そして…」
 そこまで出るが、次が思い出せない。
 必死に頭を掻いて記憶を辿るが、その他にも違和感がある。
「あれ…なんで裸なんだ…二人とも…」
 再び記憶の糸を辿るが、思い出せない。
 ”なぜ隣に同じく裸のひとつがいるのか”それも記憶に無い。
 ただ隣に裸で、のうのうと寝ている男に対し怒りの感情が生まれ、思い切りベッドの上から蹴落とした。




「聞けって、ワシは何もしとらんよ。本当じゃ」
「普通に考えてそれは無いんじゃないか。せめて私が起きている間にして欲しいんだが」
「何と、じゃあ今こそ契りを」
 ひとつの顎に、れいの蹴りが飛ぶ。柔軟な彼女の体は、右足が彼女の頭上まで上がったが、微動だにしなかった。
 対してひとつは、頭から床に叩きつけられ甲板の板に穴を開ける。

「いたたた、悪かった悪かった、冗談じゃ」
「本当に何もしてないのか」
「仏さんに誓ってな…」
 れいは、手摺りに腰をかけ潮風に長い髪をなびかせた。
「いいわ、信じる。ひとつには助けてもらったしね」
 彼女の笑顔に、蹴られ損な顎を撫でながら、ひとつは彼女の隣で座り込んだ。
(まったく…大したタマであるな、この娘は…)
 ひとつは、彼女と出会った当時を思い出す。
 彼女から見れば、自分は任務の為の、護衛のような物と思っていたのかもしれない。
 実際当初は処女を奪われようとも何とも感じなかったのかもしれない。
 どこがどうして、こうも女らしく成れるのか。そして今彼女は自分の事をどう考えているのか…

 ふと、昔惚れた女の事を思い出す。
 ”この娘は忍には向いていないな…”
 ひとつは改めてそう感じた。
 そして”この仕事を無事に成功させて、きっぱり血の人生から足を洗わせよう”
 そう思った。
「さっさと、その薬学士の所へ向かおうか」
 ひとつはれいに声をかけた。
 彼女は無言のまま、手摺りから下りると、ひとつの頬に口付けをする。
「これは助けてくれたご褒美。残りは全て終わってからな」
 甲板を走り、船首の端に飛び移る。
 彼女はひとつの方へ振り向き
「今度は一緒に行こう」
 れいは大きな声で叫んだ。
 それを見て、ひとつも笑顔でそれに答えた。
 



「夜襲をかけよ、勘蔵」
「はい、柊様」
「左手は痛むか」
「時期に直ります。ただ、今までのようには動けません」
「平泉までワシの部下にお前を運ばせる。平泉に着いたら迅速に水葉仙人を殺せ」
「了解いたしました。柊様も早く良く成ってください」
「うむ、憂い奴じゃ」

 伊賀の忍宿にて柊と勘蔵は口を吸いあい、激しく愛撫した。
 時は昨夜、仙台へ小舟で戻り
 日が昇る一刻前の話であった。 




     

六、 劫火



 平泉の夜は、相も変わらずの雪が際限なく降っていた。
 真っ黒な空に白い雪、空を眺めているとまるで意識を吸い込まれそうになる。
 
 厚い皮手袋で手を覆っていても全身の体温は下がり続け、凍えは彼らの侵攻を食い止めていた。
 おおよそ一日の旅路の果てに、ようやく辿り着いた水葉屋敷は静まり返っている。
 それも当然、この時の時刻を現代の数字に直すと二時を越していた。
 冬の北国は夜が長い。
 更に言えば、やる事も無いので八時前後には就寝してしまう。

 ここに到着したのは、半日早く出発した勘蔵の一味。
 合計十人の下忍とそれを指揮するは年若い侍の勘蔵。
 彼自身は、左足を負傷し速く走る事も出来ない身なので、手下の忍に掴まって此処まで辿り着いたのだ。
 もし体調が万全であれば、二刻程は早く着いたであろうが、それに関しては仕方無き事。
 下忍達も決して文句を言う事が無かった。


 
「炙り出せ」
 勘蔵は小声で手下の忍達に号令をかける。
 矢の先端に油を浸した布を巻き、それらに火を付けて回る。
 ライターなどが無い時代、ほとんどの人々は火打石を擦り出た火花で火を付ける方法しか知らなかったが、一部、主に忍働きを行う者の中には新しい火の付け方を知る者がいる。
 何せ火を取り扱う際に音を鳴らすのは自殺行為。
 そこで編み出されたのが現代で言う”マッチ”の原型である。
 彼らは、イギリスの化学者「ジョン・ウォーカー」が1827年に摩擦マッチを考案する遥か以前に”リン”を使用して発火させる方法を編み出していたのだ。 

 当時、当然ながらリンと言う物質の認識は無く、突如自然発火する物質と言うだけの認識であったし、リンの純度は良くないが、黄燐を金属に塗り付け擦る事で火を灯す新しい方法であった。
 当然正しい扱い方も知らず、更に純度が悪い為に何時火が付くか分からない危険性と共に、火が付かない可能性もある曖昧なものであった。

 彼らは密封した袋から慎重に黄燐を取りだしその場で刀に塗り付け、それを擦って火を付ける事に成功する。
 火は、すぐさま油を浸した布に点火され、それを仲間内で分け合い、準備は整った。

 勘蔵は手を上げ屋敷の様子を見る。今はまだこの火にも、音にも気が付かれてはいないようだ。
「撃て」
 手を勢いよく胸の辺りまで下ろし、配下の忍に発射の合図を送ると、彼らは弦を引く指の力を抜き、矢は一斉に屋敷の屋根に向かって放たれる。
 一同は即座に所定の位置へ移動しそのまま伏せて待機。
 表口に勘蔵を含める五名、裏口に四名、左右に一名ずつ。
 火に驚き、中にいる者が外へ逃げた瞬間、即座に仲間にそれを知らせ一気に打ち取る。
 まさに火計の本領”誘導”である。その言葉通り”炙り出す”のだ。
 
 屋敷の所々に刺さった火矢が勢いを増し、空を赤く染めた。
 勘蔵も、配下の忍も、息を殺し様々な角度から屋敷を睨みつける。
 …だが、屋敷から何者も出てこない。悲鳴も叫びも、何も聞こえず、まるで無人の様であった。
「…どうだ、気配は無いのか」
「私が思うに、中には人はいないように感じられます」
「お主もそう思うか、では奴らはどこにいるのだ」
「外に出ていたか…あるいわ…」
 勘蔵と配下の部下が顔を見合わせる。
 別の方法…そう、城攻めの常套手段である火攻め、それに対する対応策は…




 正面に居座っていた五人は立ち上がる。
 どこかから血の匂いが漂って来た。
 彼らの顔は青ざめる。
(甘く見過ぎていた…)
 悲鳴も叫びも無いのだ、だが周辺からは血の匂いと糞尿の匂いが漂って来ている。
 そこから考えだされる答えは”相手は手練れ(てだれ)”
 忍相手に人知れず暗殺を繰り返している。それもあの火の中、誰にも悟られる事無く。
 周到にも、隠し通路があったとしか思えない。

「固まれ。周囲を探知し、決して逃すな」
 四名の忍と勘蔵は輪を作り、息を殺し相手方の出方を見る。

 屋敷の火は、既に大半を焼き尽くし、その赤は夜の闇と、雪の白を消し去り、独自の世界を作り出していた。
 勘蔵は、そっと手を肩まで上げ全員に”停止”の合図を送る。
 屋敷にいる人間の姿はまだ見えていない、だが確実にその存在は確認出来た。
 目よりも鼻で確認したと言っていい。
 血の匂いがどんどん傍に寄って来ている。

 ”その影”は屋敷を取り囲む塀の両側より一人ずつ現れた。
 それまでは、塀の存在の為にその人影は陰に隠れ見る事が出来なかったが、今、目の間に現れた二人の侍は背後から照らす劫火の光で修羅の様な影を作って見せた。
 一人は年若い、勘蔵よりも一回り若い侍。
 もう一人は痩せて小柄な体ながら太刀を二本構えてやってくる老人。
 既にこの二人は勘蔵ら五名がどこにいるのかを悟っていた。




「忍か…」
 老人は小声ながら胆へ響く言葉を勘蔵らに投げ掛ける。
「師匠、残る五人は既に我らに気が付いていたようです」
「当然だ、他の連中を上手く始末できたのは運が良かったに過ぎんよ、決して侮るな」
 この年若い侍と師匠と呼ばれた老人は、れいが数日の間寝泊まりし、薬を手に入れる為協力してくれた”水葉仙人”と”虎四郎”である。
 虎四郎は水葉仙人と顔を見合わせ刀を勘蔵達の方に向ける。

「既に主らの場所も数も把握している。屋敷を焼いた礼をしたい故に表へ出てまいれ」
 木陰で息を押し殺す忍達は返事をしない。
(戦うべきか、逃げるべきか)
 必死に思考を巡らす。相手の力は予想以上だ、潔く引くべきであろう。
 だが、逃げて戻れば柊蔵人の事だ、自分を見捨て、場合によればそのまま殺されるやもしれぬ。
 此処まで考えた後で、勘蔵の思考は別方向へと飛んだ。
 すなわち、任務から己の勝負欲の方へ思考回路が切り替わったのだ。
(俺は決して弱くは無い、そしてこの男達も予想以上だ。ぜひ戦ってみたい、俺を更なる高みへと上げるいい機会ではないか)
 どちらの思考も間違ってはいない。むしろこの考えは正しい。
 押すも地獄、引くも地獄であれば、ここは押し通すべき。

 だが、勘蔵は一つだけ間違っていた。”これは侍同士の真剣勝負では無い”と言う事。
 彼の中では今、任務よりも勝負欲が優先事項となっている。
 一軍を率いた事の無いが故の自我優先思考。

 勘蔵は配下の忍に耳打ちをしそのまま立ち上がる。
 配下の忍は渋い顔でそれに付きあった。
「よいだろう。貴様の望み通り付き合ってやろう」
 何も隠す事無くシャクシャクと雪を踏みつけ。勘蔵は虎四郎の前に躍り出る。
 

 今はまだ、屋敷の火の勢いは止まっておらず、立ち上がる火の粉と吹きあがる黒煙が夜の平泉を彩っている。
 対峙した二人の剣鬼とその刃先は、お互いの心の臓へ向けられていた。







 

     

七、牡丹の原


 先に動いたのは勘蔵であった。
 右足の指の力で大地を蹴り、疾風の様な動きで約一間(1m80cm)程の距離を飛ぶ。
 虎史郎との距離、残り五尺(1m50cm)と言う目の前までの距離で、勘蔵はそのまま両足で後ろに飛んだ。
 これは言わば牽制であり、実力が知れぬ相手の力を見極めるための者であった。しかしその目論見は外れ、虎史郎は刀を振る事も、動く事も無かった。
(年若いが、何とも恐ろしい男だ…)
 仁王の如く動じず、己の考えを見破られた勘蔵は足を一歩下げて距離を置く。
 虎史郎の技量により部分も大きいが、左足の指が無い為にどうしても跳躍に違和感を感じる。
 人の足の指は、全ての動作に関わってくる重要な部分。体重移動がままならぬ現状、かつての様な戦い方は出来ないと素早く判断した。

 純粋な”抜きの速さ”、”振りの速さ”、”狙いの精度”、”一瞬の判断力”
 これら剣術の技量で勝負する他ない。
 
 虎史郎は五体満足で手に太刀を構えている。両手を使えるので振り、返しの一撃、そしてその斬撃は骨をも断つ力が有りそうだ。
 対する勘蔵は左のバランスが取れず、一瞬の判断力はあっても、それに対して動けるかと言うと不利は認めねばならない。唯一の利点は、相手が己の獲物を”小太刀と認識している部分にある。
 神速の如く素早く引く刃は人並みの力があれば首を斬り落とすぐらい他愛も無い。それに伸びる刃”鎌鼬(カマイタチ)”で予想外の距離から斬りつければ、悪くとも五分の勝負に持っていける自信があった。
 お互い、再び刃を向け合い。静寂と不動を保った。




 虎史郎の太刀は四尺(約1m20cm)の大太刀であり、厚みもある。兜を叩き割り、鎧を貫くその太刀はかなりの業物と見られる。
 並大抵の者では振る事すら困難であろうが、虎史郎はそれを好んで使った。
 厚みがあり、横幅の広い刃は鉄砲玉や矢を防ぐ事が可能で、実際に太刀には多くの傷跡が見受けられる。

 虎史郎は、その太刀を下段に構え、刃先は雪に埋もれていた。
 対する勘蔵は、右手の小太刀を左脇の辺りに構え、相手に背を向けるような姿勢で相手を見つめる。
 飛び込み様(ざま)に右か左の親指を斬り落とし太刀その物を扱えぬようにする事が目的だ。
(あれだけの太刀であれば片手では扱えぬ…)
 危険なのは最初の一撃のみ。上手く事を運ばせる事が出来れば己が有利に勝負を進める事が出来る。
 勘蔵は脳内で架空の勝負場面を想像し、様々な攻撃に耐えうる方法を思考した。

 
 お互い向かいあい、約四半刻(30分)の時が過ぎた時、勘蔵の思考は定まる。
 虎史郎はその間一歩も動ぜず、まさしく不動のままであった。

 思考がまとまった勘蔵はついに動き出し、ジリジリと歩を進める。
 二間半程あった距離を一軒半程まで詰める。
 既に、ここはお互いの間合いに入っている。どちらかの殺意が限界に達した時、必ず血が流れる。そんな空気が辺りを包みこんだ。
 配下の忍達も水葉仙人も彼らの動向に見入っている。
 辺りは炎が屋敷を燃やすパチパチという音、そして吹きあがる黒煙の匂い以外に何も無い静寂なる世界。
 ただただ、死の間合いにいる二人は緊張の中、この空気が変わる瞬間を見定めていた。

 …
 虎史郎は突如体中にブワッと走る違和感と波動を肌で感じた。
 勘蔵の腰が一瞬沈み、まるで旋風の様に回転しながら虎史郎へ向かって飛んだ。
(一歩下がれば、避けれる…)
 小太刀の間合いを見切った虎史郎は刀を右に構え一歩下がる。剣風が去った瞬間に太刀を跳ね上げる算段であった。
 が…しかし、彼の中の違和感が構えを解き、小太刀の剣筋へ刀を構えなおす。
 それは正に、ほんの一瞬であった。
 
 小太刀の刃先は推測していたよりも遥かに長く伸び、構える前に太刀を強打した為に重心を崩し太刀を落としてしまう。
 勘蔵はそのまま首を狙う為にそのまま回転するが、左足で踏ん張る事が出来ずこれまた重心を崩してしまった。
 虎史郎は返しの一撃が来る前にその場から二間距離を取り姿勢を立て直す。
 勘蔵も即座に立ち上がり、虎史郎が持っていた太刀を蹴り飛ばし遠くにやると再び腰を落として構えた。






「虎よ、相手を侮っていたな…」
 水葉仙人は虎史郎に静かな激を飛ばす。
「これには参りました。中々の手練れです」
 虎史郎は脂汗でべったりな顔を苦痛に染め、返事を返した。
 虎史郎の左上腕筋を深く切り裂かれ、腕を上げる事もままならぬようだ。
 それを見、”好機”と言わんばかりに勘蔵は走りだす。
「正国を使うがよい」
 水葉仙人は瞬時に言葉を発した。それに呼応するかの如く、虎史郎の右手は腰の刀へと伸びる。
 再び旋風の様な刃が虎史郎の首を狙う。

 刃が石にぶつかった様な金属の響く音が木霊(こだま)する。
 一瞬真っ白になった視界が晴れ、勘蔵が虎史郎の首の辺りを見ると、これまた厚みのある刃が彼の首を守り、勘蔵の小太刀を撥ね退けた。
 虎史郎は瞬時に刀の鯉口を解き、親指で鍔を跳ね、それを驚くべき速さで掴み、勘蔵の斬撃から身を守ったのだ。
 刃はまだ半分ほど鞘から出ておらず、間合いの判断が出来ない。勘蔵は瞬時に危険と判断し、再び後ろに飛び下がった。

「すいません、使わせて貰いますよ」
 虎史郎はそう言うと、刀を鞘に戻し腰を屈め”抜刀居合術”の構えを取る。
 先程の勘蔵の判断は正しかった。
 虎史郎は勘蔵が弾くのが遅かった場合、そのまま刀を抜き勘蔵を斬り払うつもりでいたのだから。

 再び、両者は二間の距離を保ち睨みあう。違う部分と言えばお互いが中腰で、一撃で勝負を決める腹となった事だ。
 館の炎は少しずつ沈静し始めて来ている。館が燃え尽きようと言うのに此処にいる人々はそれらに関心が無く、ただ一点だけを見ている。
 初めは苦い面持ちで勘蔵を見送った忍達も任務を忘れ、同じくただ一点を見つめている。
 辺りには再び、静寂と重い空気が周りを包みこんだ。
 周囲の思念は全て勘蔵と虎史郎の元に集まり、二人の目線の間を狭間とし、そこ殺気が漂っている。
 今度は周囲にいる人間全員にも分かる程の殺意が勘蔵の元から放たれ、周囲の思念を巻きこみ火の球の様な重圧と、竜巻の様な剣風が虎史郎の元へ飛んだ。

 
 二人がすれ違う正に一瞬、周りの目からすれば音が耳に届くのに、かなりの時間がたつ程の刹那の間に勝負はついた。
 敗者の両腕と首は空を舞い、目線が虚空の空に向けられた時、刀の鳴る音が聞こえた。





 雪の上に牡丹が咲き乱れ
 勘蔵はその上に倒れ込む。
 落ちて来た両腕と首、それに小太刀は奥の藪の中に飛んで行った。
 虎史郎は返り血で真っ赤に染まっていたが、国正の太刀には血も脂も浮いておらず、まるで渾身の一撃が放つ風の刃で勘蔵を斬った…その様にも思えた。

 彼らの死闘に、今度は周囲の人間の時間が止まったかの様に誰一人として動けなくなっていた。 
 風が黒煙を遠くに運び、雪はもう止まっていた。
 ただ、ただ
 足元に広がる白い雪の原の上に、火の光を浴びた牡丹が怪しく咲き乱れていた。









 

     

八、ごめんなさい


 仙台にある伊賀忍の宿に一人の忍が息を切らして現れる。
 体に傷こそ無いものの、青い顔をして最初の言葉を伝えるまで時間がかかった。
「勘蔵は死んだか」
 柊蔵人は静かに言った。
「相手方の剣術家に敗れ、私以外の者は斬り殺されました」
 生き延びて帰って来たと言う下忍は、柊を前にして震え上がり上手く呂律(ろれつ)が回らない。
 ふぅっ…っとため息を漏らし、柊は手に持った湯呑(ゆのみ)を床に置いた。
「まぁ良い、次なる手はもう打ってある。お前が知っている情報をすべて話せ、それでこの件はしまいだ」
 下忍はようやく落ち着き、事の顛末を伝えた。
 屋敷を焼き払ったが、水葉仙人と剣術家は隠し通路を使い無事に逃げだし、勘蔵を含む十名が彼らの刀の錆となってしまった事を伝える。
「わかった、十分である。虎一と共に江戸へ戻り半蔵殿へ宜しく伝えてくれい」
「承諾致しました」
 下忍は、正座の姿勢から足を崩す事無く、その場から消え去った。
 一人部屋の中で考え込む柊、彼の腹の傷はまだ完治しておらず今しばらくは動けそうも無い。
「海…だな…」
 一人つぶやき再び茶を啜った。



 場所は変わり奥州平泉
 何らかの惨劇があった事を伝える焼け崩れた水葉屋敷を前に、二人は息をのむ。
 だいぶ雪で埋もれてしまっているが、間違い無く此処は水葉屋敷であると、れいは確信していた。
 ひとつは、そこいらの焼けた木片や土塀の欠片を摘まんで匂いや色を確認している。
「のぅ、れいよ。これはまだつい最近、昨晩かその前くらいの話である様だぞ」
「うん、多分昨日の夜に何かあったんだと思う」
 彼らが水葉屋敷に着いたのは日がまだ南を向いているお昼時である。
 お互い、無理な強行軍を必要としていないと考え、比較的緩やかに走りここまで来たのだ。

 れいが何かを見つけ、ひとつを手招きをして呼び寄せる。
 そこには殺された忍達の屍が、穴の中にぎっしり詰め込まれていた。
「なんとも…まるで氷の人形じゃな」
 カチカチに固まった屍は腐臭など一切放たず、死んだときの姿のまま固まっている。
「ねぇ、この男…南蛮船で見かけた気がするんだけど」
 ちょいと覗き込み、その首を見つめる。
「うむ、ワシが殺し損ねた男だと思う。奴らワシらを殺せなかったから薬学仙の方を狙ったと見える」
「じゃああの柊と言う爺さんも」
 ハッと首を上げ、一つの方を見つめるれい。しかし、ひとつは何やら考え込みながら、視線は勘蔵の首の方を向いている。
「その可能性もあろうが、奴は今お前さんに腹を裂かれて重傷じゃ。直ぐに動けるとは思えぬ…仮に奴が此処に来たとして、その薬学仙と弟子はどこに行ったのか、何らかの手掛かりがある物ではないか」
 心理を突いたその言葉に、れいは堪らず焼け崩れた屋敷の方へ飛んで行き丁寧に調べ始めた。
(もし、この忍達を殺したのが薬学仙だとすれば、とんでもない豪傑だな…)
 自分ですら苦戦した勘蔵を見た処、一太刀で薙ぎ払っている様に見えるこの屍。薬学仙達に敬意と畏怖の念を持つと共に、勘蔵らの屍に向かって手を合わせた。

 しばらく二人は屋敷跡を満遍なく調べて行く、二人が水葉屋敷跡に着いて約半刻後、れいは二人が置いた置手紙らしき物を見つける。
 風と雪で見事に隠れていた為に、一目では直ぐに見つける事が出来なかったのだ。
 置手紙には、「麓の薬屋にて待つ」と簡単に書いてあり、水葉仙人の花押(かおう=サイン)が書き記されていた。
 二人はその手紙を見、顔を見合わせ風の様に麓の町へ飛んで行った。 




 
 彼女らが麓の村に着いた頃には、日はだいぶ暮れており、西日は山々の影に隠れ始めていた。
 薬屋に着いた二人を迎えたのは中年の痩せた男、旦那と呼ばれる薬屋の主人である。
 旦那はれいの顔を見ると、笑って甘苦い匂いの籠る部屋の奥へと二人を招く。
 奥には虎史郎と水葉仙人が寝転んで将棋を打っていた。
 突然現れた二人の訪問客に、虎史郎は飛び上がり身だしなみを整える。
「いや、これはこれは。すみませんだらしない姿を見せてしまって」
 虎史郎は髷も結っていないボサボサの髪を必死に整え、見かけだけでもとばかりに手元にあった紐で髪を括くる。
「よぉ、今日は男連れかい。まぁいいさ、薬は手に入ったのか」
「はい。何とか薬と思わしき物を見つけましたので確認して頂きたく…」
 懐より南蛮船で手に入れた薬瓶を水葉仙人の目の前に置く。
 水葉仙人はそれを手に取り、一粒摘まみ出して口の中に放り込んだ。
「…分かるんですか」
「苦いな…」
 水葉仙人は囲炉裏の鍋から湯をすくい、それを湯呑に入れて一気に飲み干す。
 後ろには中年の忍と若い侍の二人が何故か睨みあっていたが、彼女はそれを無視した。
「…まぁ正直、良くわからん」
「えっ…そんな…」呆然となり、彼女の両目の瞳孔が開いた。
「当然だろう、ワシも実物見るのは初めてじゃ。味やにおいで分かる訳が無いだろう」
 予想外の言葉を言い放つと水葉仙人は珍しく大声で笑った。
 それに反して、れいは顔を伏せ泣きだす。
 水葉仙人の背中に二つの殺気が押し寄せる。流石に場の空気を読み、水葉仙人は笑うのを辞め真摯に彼女に声をかけた。

「気にするな、こいつは毒じゃあない。この通りワシは生きておるしな。約束は出来んが、これは当たりだと思うぞ。」
 そう言って彼女に笑いかけた。
「重要な事は、この薬をワシがお前に与えた事実ではないか。この時点でお前の役目は終わっている。もしこの薬を使っても若君が死ぬような事があれば、それは天命と言う物だ。誰にも止める事は出来ない」
「…ですが、もし若君が亡くなられる様な事がありましたら豊臣の基盤は崩れ再び乱世に戻ります」
 もう、隠す事無く大声で泣きながら、れいは水葉仙人に詰め寄り喚いた(わめいた)。
 ひとつも、虎史郎も彼女を止めようと動き出すがそんな中、水葉仙人は誰もが予想しない行動に出る。
 
 水葉仙人は彼女を受け入れ、そのまま子供をあやす様に頭を撫でながら諭す。
「豊臣が終わってしまうとすれば、それも天命。平安の世を作れる器で無かった…ただ、それだけじゃ。お前さんの仕事はワシから薬を貰い受ける事、それだけじゃ。それ以上は考えるな、何かあったらワシが罰を受けよう」
 この世には万能の薬など存在しない。また、薬があれば全ての病が治る訳でもない。ただ、集められた情報と手に入れた薬は紛れも無き事実。
 れいは、気がつかぬ内にこの国を救う為と言う重圧を自ら背負っていた。
 彼女は黙ってその言葉を受け止めた。
「生きて戻ってくればそれで良い。本当ならば、仕事を放棄して我々と暮らせれば良いのだが、それでは気が好かんだろう。お前さんもワシらも皆精一杯やった、後は薬に天運を任せようじゃないか」
 れいは、水葉仙人の胸の内で涙を流した。


 


 初めは仲が悪かったひとつと虎史郎は何時の間にやら仲良くなり、共に酒を飲んで笑っていた。
 時折お互い耳打ちをしながら笑い合ってさえいる。。

 旦那から夕餉の膳と酒を貰い、れいは生まれて初めて酒を飲んだ。
 何か大きな重しが抜けたかの様に、思いっきり笑って、そして悪酔いして、そのまま畳の上で寝転んでしまった。
”これが人の幸福というものか…”
 ひとつと出会い、水葉仙人や虎史郎と出会い、自分を助ける多くの人々に出会った。
 大阪城で過ごしたこれまで、そして忍の宿命の中での孤独を埋めてくれる暖かな優しさ。これらの気持ちが彼女には心地良く、つい気を緩め全くの無防備となってしまう。


 夢の様な心地よさの中ふと目を覚ますと、虎史郎が自分を布団の中へ入れてくれている所であった。
 彼の逞しい腕に抱かれながら布団へ潜り込む。足元には湯たんぽが入っていて思ったよりも暖かかった。
「すみません、起こしてしまいましたか」
 虎史郎は、彼女が目を覚ました事に気が付き、笑って頭を下げる。
「こんな寒い日にあんなところで寝てたら体壊しますよ」
「うん…みんなは」
「皆さんまだまだ飲んでいますよ。そろそろひとつさんが潰れそうです」
 そう言うと虎史郎は口に手を当て、思い出し笑いをしたのかクスクス笑った。
 れいの心は虎史郎が笑い顔を見せる度に締め付けられ、任務とは別種の重圧を受ける。
 彼女はすでに虎史郎の心の内を見切っていた。それはあの日、仙台へ向かったあの時から気が付いていた。
 これ以上黙っているのが辛くなった彼女は、虎史郎の手を握り、顔を赤めながら振り向いた虎史郎の頬に口付けをした。
「えっ…これは」
 顔中が赤くなる虎史郎と正反対に、れいはうつむき、頬を涙で濡らしながら
「ごめんなさい」
 とただ一言だけ言った。
 当然虎史郎は困惑した、”彼女が行った行為と、発せられた言葉はまるで水と油”意味がまるでわからない。
 
「どうかなされたのですか」
 たまらず虎史郎は、れいに優しく言葉を掛け背中をさすった。

「ごめんなさい、私はあなたの妻にはなれません」
 そう言うと再び声を殺して、れいは泣き始める。
 虎史郎は喉の奥が詰まって、言葉が出なかった。赤くなっていた顔は一気に青ざめて背中を擦る手の動きが止まる。
「…ええと…気、気に病まないで下さい。とにかく今日はゆっくり休まれてください」
「ごめんなさい、あなたの気持ち…凄く嬉しい、でも私は…」
 彼女は、ただただ泣いて謝った。
 虎史郎は、彼女に白湯を勧めて部屋を出る。
 
(泣きたいのは俺の方だよ…)
 虎史郎は、残った白湯を一杯飲み。そのまま逃げるように自分の部屋へと逃げ込んだ。 
 





     

九、船の上の無風空間


 必要な薬を手に入れた二人は、翌日の朝、薬屋を出る事にした。
 見送りには虎史郎だけが来なかったが、水葉仙人はそれについて何も言う事無く、二人は平泉を後にする。

「のぅ、何かあったのか」
 ひとつの問いに答える事無く、彼女は雪道を歩いて行く。

 日が暮れ、黄昏刻を越した頃、二人は林の中で墨衣と呼ばれる忍の衣装に着替え、今まで溜め込んだ力を一気に解放するかの如く、氷粒を巻き上げながら仙台に向かって疾走した。
 おおよそ一晩、休む事無く走り切り、彼らは仙台の町に到着する。
 れいは、ひと気の無い茶屋を探し、そこに頼み込んで風呂と粟の粥を作って一心地付ける。
 その間に、ひとつは先回りをし船の安全を確認し、二刻後に二人は茶屋で合流した。
「お前さんおかえりなさい」
 妻のふりをして、ひとつを優しく迎えるれいであったが、その手の動きには風魔流の手信号が含まれ、(フネ)とただ一言見せると、ひとつもそれに対し(モンダイナイ)と手信号で返してきた。
 茶屋を後にし、追手や、不審者がいないかを細かく確認しながら小声で二人は話し合った。

「船の外観、内部共に問題無い。金すら盗まれちゃあいなかったんだからな」
「うん、でも二人であの船を動かして堺まで行けるか」
「港の検問の他に、海上にもまれに奉行の見回りがある。何かあった時二人で動かすのは厄介であろう」
 
 南蛮人の乗ってきた船はキャラベル船型と呼ばれる帆船で、ポルトガルとスペインの航海者に愛用された船である。
 その船は、黒人奴隷の数を含めれば30人前後が働いていたと思われる大型船舶であった。
 そんな船にたった二人で動かすのは少々難しい。
「方法は二つだ。水夫を雇うか、ワシらが船を借りて堺まで急行させるか」
「どちらにしろ仙台の監視の目には触れてしまうわ」
 ひとつは顎鬚を撫でながら、空を仰ぐ。
「…まぁ何とか出来るかも知れんがな」
 れいをちらりと見て、ひとつは得意げに言った。
「ワシに知り合いがおっての。こやつ金にがめついが信用のおける裏商人だ。キッチリ金額分働いてどんな物でも揃える、だが何でもかんでも相場の三倍くらいの金を要求するがめつい奴だ」
「金ならばある。それで水夫を雇って船を動かせるか」
「問題無いじゃろう、まぁ一日二日はかかると思うがな。身元が確実な者だけを選ばせよう」
「ならばひとつよ、直ぐ様そこへ飛んでくれないか」
 ”そりゃあ無理だ”、と言う様な顔と動作をして、ひとつは歩を速めた。
「奴は現金主義者でな、目の前に本物の金がなけりゃあ誰も信用しない。まぁ金があれば誰でも信用する訳だがな。今ワシは金を持たん、一度船に戻って其れなりの金を出してやらねば話は進まんよ」
 れいもすこし歩を速め、二人はひと気の無い道を選び、次の瞬間走りだした。
「ならば、急ごうか」
「そう言う事じゃ」
 ひとつは、れいの頭を優しく撫で、そのまま速度を上げて南蛮船の元へと走る。




 獣道を出来る限り走り、一里眼で周囲の人影を探りながら二人は絶壁に隠した船の元へと着く。
 船自体は無事なようだが、海から来る風はいつもより荒く感じ、何故か二人は一抹の不安を覚えた。
「はて…何やらおかしな空気が流れておるな…」
「私が千里眼で中を見よう。その間、ひとつはこの辺りをしっかり見張っていてくれ」
 千里眼の術は、一度でも訪れた事がある場所へ意識を飛ばし現在の内部の情報を知る術であるが、その術を行使する間、術者は全くの無防備となり戦う事はおろか、しゃべる事も動く事もままならぬ危険な術でもある。
 それを承知しているひとつは、そのまま自分たちの周囲の危険を警戒する役を買うと共に、風閂を辺りの木々に巻き付けた。

 彼女は千里眼で船の中を覗くが、なにも映る事は無かった。
 ただ、ぼんやりとした不安な空気だけが室内に漂っている。
「…船の中には誰もいない。爆薬も仕掛けられてはいないみたいだ」
「罠ではない…と言う訳か」
「それなりにしっかり見て回ったが、これと言った危険なものは無かった。ただ…何か不安な気配はある」
 れいの意識が戻ったので、ひとつは風閂の糸を手繰り寄せ、再び糸巻きに手早く巻き付けていた。
 確かにひとつが前に見て回った時も何もなかったが、今は何やら気持ち悪い気配がして止まらない。
 不思議な事だが、”危険”は全く感じない。だが”不安”だけが独り歩きしている不思議な気分。
「…まぁ、行くしかないだろ…」
「私もそう思う…」
 二人は意を決し、絶壁から飛び降り船の甲板の上に降り立つ。
 彼らは高所より飛び降りた際、力を分散させる事で体への衝撃を無くし、音を立てない様にする技術を持っている。その為、船は若干揺れはしたが、落下音は波の音に飲まれて消えていた。

「ワシは中を見よう。お前さんは甲板から外周全てに目をやって危険な物が無いかもう一度確認しろ」
 れいはこくりと頷き、甲板の上をゆっくりと調べて行く。
 目に見えない蜘蛛の糸の様な糸を使った罠も無く、自分の目で調べて行くが、何も手ごたえは無かった。
(…気のせいだったのだろうか…)
 船の外周を丹念に調べて再び甲板に戻った時、れいは固まってしまった。
 
 それは特別な術を使った訳でもなく、ただ其処に居るだけで感じてしまう威圧感。
 彼女はまだ彼の姿を見た事が無く、初めて見たに過ぎない。
 だが、確証があった。
 この世にいる多くの忍の中で、もっとも頂点に近い男
 服部半蔵であると言う事に。




 その男は、細身だが針金が何本も重ねて出来たような逞しい体を持ち、三十代の男と思われる若さを持っていた。
 その顔は浅黒く、髪は長く片目が隠れるほどの長さの髪は海風になびき、ゆらゆらと揺れている。
 冬の北国、それも雪が吹付ける日に半裸の姿で船首の上に立ち、こちらを見て微笑を浮かべた。
「始めて会うな若いの。ちょっと寄らせて貰ったわ」
 その男はゆっくりと歩み出し、船首からポンっと飛ぶと、まるで空を歩るくがの如くゆっくりと空を進み、約二十間(50m前後)あった距離を一歩で目の前まで飛んで来た。
 不安の元はこの男だったのだ。
 突然の訪問に、れいは体が硬直しきっていた。手を伸ばせば届く範囲にその男の首があり、同じくこの男が手を伸ばせば自分の首に手が届く様な至近距離。
 指先は震え、足は根が生えたように微動だにも出来ない。
「そう硬くなるな、ワシは話をしに来ただけじゃ。だがお前さんたちが先に手を出せば当然こちらもやり返さねば成らなくなるぞ。…悪平よぉ」
 物陰からスッっとひとつが現れる。
「嫌な奴がいた者じゃ。ワシらの感じていた不安感はお主か」
「そう嫌がるなよ、我が友。お前が託した五代目は酷いのう、ワシらの邪魔ばかりしておるぞ。人選を誤ったんじゃあないか四代目」
「ワシは奴らとは手を切った。お前が相手をしているのは正真正銘の四代目じゃろう。ワシには関係ない話である」
 この二人、既に面識はあった。当然敵としてだが。
「まずはその女から離れてもらおうか。天下の服部半蔵が女を人質にするとは思えぬが」
「良く言うよ、お前だって風魔の棟梁であった男じゃないか。お前さんとまともにやるくらいなら女でも何でも使うさ」
 やはりこの男は服部半蔵であった。そしてひとつは、かつて風魔軍団を納める棟梁四代目風魔小太郎であったらしい。
 だが、この時のれいには深く考える思考は残っていない。死を司る男の腕の中に居るのだから生きた心地がしない。
「まぁいい、ワシとて無駄に争う気は無いのでな、返してやろう」
 そう言うと服部半蔵は、れいを離し己は三間ほど離れた場所に飛び立った。
 れいは、まだ体の震えが止まらず目の焦点が合わない。
 背中を抱き、頭をポンポンと叩いて安心させる。
 そして半蔵の方を睨み、向かい合うと低い声で唸るように半蔵に対し口を開いた。
「何の目的で来た。ワシらを始末…と言うわけでもなさそうだが…」
 半蔵はその場に座り、懐から餅を取りだすと、それを酒と一緒に口の中に放り込む。
 蛙が虫を飲む込む様に、半蔵の喉元が膨らみ、そのまま胃の中へと流し込んだ。
 一息ついて半蔵は口を開く。
「ワシらがお前らを追う理由が無くなった。それを伝えに来たのだ」





 半蔵は言い終わると再び酒を口にし、喉を鳴らしてそれを飲み干す。
「まず、我々がお前らを始末せねば成らなかった理由から話すとしよう」

 半蔵の話はこうだった。
 まず、元より内府(徳川家康)殿が仕組んだ毒殺ではない事。むしろ服部忍軍はれいを首謀者として追い続けたと言う事。
 彦を思い出して頂きたい。彼は事実、何も知らなかったのだ。
 彼らは豊臣に仇成す賊を狩る為に動いていたに過ぎない。
 逆に、れいや一部の将は、徳川方の陰謀と見た。
 ただ、それだけでは今回の件はおかしい部分が多い。
 確かに一部の者しか、れいの正体や任務を知らないとは言え諜報活動が主である忍の、それも服部忍軍が鵜飲みのまま動くのは不自然である。
「ワシらの中に何者かと通じておる者が居る。そ奴がこ度の件を進めていたのだ」
「まるで既に特定したかのような言い口じゃな」
「応ともよ」
 半蔵は空の酒瓶を空に投げ、”目に見えぬ何か”でそれを幾重にも輪切りにした。
 空から落ちて来た酒瓶は甲板の上で粉々に割れ、それを海風が空へと誘う。

「名は柊蔵人、我が服部忍軍の西方目付役の男じゃ」
 不意に空気が淀み、海風すらその一帯を避ける様に無風空間となった。
「奴めは既に我らの動きを掴んでおったようでな、どこぞへと消えておった。奴は我らの手で消さねばならぬ」
 この声は人の体を縛るに十分な気合いが籠っており、れいは再び体の自由を奪われる。
「話はここまでじゃ。そなた等には面倒を掛けてしまった故にワシが直に挨拶に来た」
 そう言うと服部半蔵は立ち上がり、ふわりと船首の方まで飛んで行く。

「…最後にもう一つだけ教えよう。”鶴松殿下は亡くなられた”、今日より五日前の事だ。これより先、どのようにお前達が動こうとも我らは手出しをせぬ、好きにするが良い」
 そう言うと、半蔵の姿は一陣の風と共に消え去った。

 甲板上の空気の淀みは元に戻り、冷たい海風が彼らの体に吹き付けた。
「…何とも…、すべて無駄になったのか…」
 ふと、顔をれいの方へ向ける。力無くぐったりした姿で床に座り込んでいた。
 ひとつは彼女を抱き抱え、遠く海の彼方を睨む。
「どうにも…なぁ…」
 れいからは返事は無く、代わりにひとつの服を強く握って返した。






     

十、冬の旋風


 船は太平洋側、陸より五から六里ほど距離を置いて南下して行く。
「見ろ、あれは房総半島の先端じゃ。もう江戸も小田原も目の前であるぞ」
 物見台より船首にいるれいに声を掛けた。だが、彼女からの返事は貰えなかった。

 仙台を出たのが二日前、服部半蔵から聞いた話では鶴松公子は既にこの世にはいない、任務失敗の大失態である。
 なのに彼女は堺へ戻ると言って聞かなかった。
 当然気持ちは分かる、それに彼らの掟は、非常に厳しい。抜け忍は、死ぬまで安らぎを得る事が出来ない。
 ひとつから見れば、繋ぎ無しで任務を行わせるとは実に間の抜けた考えであるとしか言いようがない。だが、”彼らには彼らの考えがあるのだろう”と口に出すのは控えた。

「あ…水竜巻…」
 れいは、船の近くを通り過ぎる”それ”を指差しす。
「お前さんは見るの初めてか。あれは水竜巻なんてすごいもんじゃないぞ。せいぜい旋風(つむじ)じゃ」
 この国の気候がら竜巻はそれほど多くは発生しない、それに海上での竜巻は極々稀である。
 旋風も竜巻も基本となる発生の原理は同じく、暖められた地上の空気が冷えた空の空気とぶつかり、地上の熱が空に吸い上げられる事で発生する。
 そしてそれが螺旋状に渦巻くのは低気圧と同じく、地球の自転の力に起因するのだ。(その為、北半球では反時計回りに渦巻く)

「冬の旋風は凶報の前触れと言います。お二人とも船内へお戻りください」
 仙台で雇った水夫達に導かれ、船内の船長室に戻る二人。
「もう後三日もすれば堺には着くさ。それまでゆっくりすりゃあええ」
 表向き、水夫たちには”堺の豪商”、”唐物(珍しい物)好きな夫婦”と言う名目でこの船に水夫を仕入れた。
 有り余る金で、通行手形を買い入れ、尚残る金の殆どは水葉仙人への謝礼と言う事で裏商人に渡してある。

「奴は信用できる」
 ひとつは、裏商人に其れなりの金を握らせ、金の輸送を約束させた。

 風呂も無く、決して環境の好い部屋ではなかったが、二人は同じベットの上で一休みをする。れいの太腿にひとつの手が忍びよるが、彼女は肘で叩いてそれを追っ払った。 
(…城に戻る…報告と薬を献上する…そこに意味はあるのだろうか…)
 れいは不安と自分の行動への自信の無さから眠れずにいたが、
(服部半蔵は私を騙しているのだ。鶴松様はまだ生きているはず)
 そう強く心に願い、自分に暗示を掛け目を閉じた。




「旦那、大変です。奉行の船がこの嵐の中やって来ました」
 彼らが目を覚ますのは、部屋に入り寝入ってから二刻後の事であった。
 急ぎ机の上に置いている忍道具を拾い、階段を駆け上がる。
 起きていた時は晴れて、波も緩やかだった空が一変し、真っ黒な厚い雲と、激しい風、矢の様な雨が甲板を叩いている、そんな嵐の真っただ中に船の舵取りが部屋へ急ぎの報告を行いに来た時の事だった。
 このような悪天候の嵐の真っただ中ではあったが、流石は大金で雇った水夫達である。
 動揺する事も無く、見事な操船で大波を避けて進行していた。

「ひとつ、見えるかあの船が」
「良く見える…あの紋処は三つ葉の葵…徳川家の奉行か」
 れいは、近づきつつある船を指差し叫んだ。
「そうじゃない、あの船首に居る人影。あれは柊蔵人」
 ひとつの目では捉える事が出来なかったが、れいの一里眼はこの暗闇の中、奉行の船に乗り込んでいる柊蔵人を捉えた。
「全速前進、大急ぎこの海域とあの船から離れろ」
 ひとつは大声で乗り込んでいる水夫全員に命令を下した。
 水夫達は、慌てて進行用の帆を張り、舵を西方へと切った。
「この嵐の中で全速は危険すぎます。おやめ下さい」
 船長代行の水夫はひとつに抗議するが、
「あの船に捕まる方がもっとまずい、大急ぎじゃ、迷わずに進め」
 ひとつは船長代理に対し怒鳴り声で”全速前進”を再度命じた。
 お互いの船足は殆ど変わらないが、加速に時間を取った分だけ徳川の紋処が書いてある奉行船が接近しつつある。
「もっと早くしろっ…」
 ひとつは再度怒鳴り声で水夫達に命じたその時
 突然、稲妻が鳴った様な大きな音で言葉を最後まで言う事が出来なかった。
 その音に、波は揺れ、大気まで振動し、その波動が船の帆をも揺らした。
「大筒を打ち放って来たぞ」
 一人の水夫が大声で叫ぶ。その瞬間、船から約三間右側に水の柱が立ち上がる。
 大筒の衝撃に船は揺れ、一時進路を外れてしまい距離を更に詰められてしまう。
 徳川の紋処が書いてある奉行船は、普通の人間でも甲板上の人、姿を理解出来るほど近づいており、その上には全身を黒で揃えた異形なる者共が溢れかえっていた。

「かかれぇ」
 船首に陣取っている柊が声を上げる。
 彼の周りの黒尽くめの者達は、一斉にこちらの船に向かって鍵縄を放うる。
 カツ、カツッ
 矢が木に刺さる様な音が、甲板上の至る所から鳴り響く。鍵縄が南蛮船を完全に捕え、それを引き寄せていた。
 この異常事態に船内の水夫は全員混乱し、我先にと船室へ逃げ帰り鍵を閉めてしまう。
「これはまずいな…」
 船内に逃げる事が出来なかった五名ほどの水夫は船の端に逃げ去り、甲板上はれいと、ひとつの二人のみ。
 そこに向かって船から船へと十人の黒装束の男達、そして柊蔵人が鍵縄で繋がれた船の間を伝って乗り込んで来る。
 バラバラバラ っと足並みを揃え左右に黒装束の男達は並び、そして中央に柊蔵人そこに立つ。
 先程までの騒ぎから一転、甲板上は静まり返り、波の音、風の音以外はまったくの無音となった。





「ようよう追い詰めたぞ、憎き娘子よぉ」
 柊蔵人は、ひしゃげた声で笑い、手に持つ杖で床板を叩いた。
 黒装束の男達を良く見れば只の忍衣では無いようだ。どちらかと言えば僧が着る袈裟に良く似ている。
 彼らは其々(それぞれ)変わった兵器を手に持ち、こちらを鋭い眼差しで見つめる。
 扇の様であるが、一枚一枚が刃を持つ物
 鎌の柄に鎖と分銅(ふんどう)を付けた物
 薙刀の様に長い槍だが先端が鎌の様に曲がっており、柄の部分にはいくつかの節が見える。おそらく多節根の様にばらける物と思われた。
 格子部分が全て鋭い刃で出来た鉄の網など、それぞれ特別製の武器を持っており、一筋縄では行きそうに無い。
「腹を裂かれて尚且つ生きているとは…化け物か…」
 再びひしゃげた声で笑う柊蔵人、その声は人の者とは思えぬ冷たさを含んでいた。
「ワシは死なんよ。何度でも蘇るわ」
 冗談とも思えぬ威圧感と自信、それらが足元から二人の気迫を削いで行く。
 ひとつは、れいを後ろに下がらせ柊と向かい合いこれまでの多くの疑問を全て一言にまとめ、柊蔵人にぶつける。

「貴様は何者ぞ…」

 何の為に、れいの命を狙うのか、何の為に太閤の子息を殺そうと…いや殺したのか。
 彼の言葉には多くの意味が含まれている。
 ひとつの心の意を理解したのか、柊蔵人は真顔に成り、更なる気迫で二人を圧倒した。
「ほぅ、そなた等は半蔵殿と会われたか。もう大体の事は知っておろう、太閤の世継ぎ殿はこの世を去った。我らの目的もほぼ完了した、残るは事実を知る貴様らの始末のみじゃ」
「口封じか…」
「左様。どこまで知っておるのかは知らぬが、豊臣側に我らの事を知らせたくないものでな、我らの主君が選ぶ者こそが天下を取るべきなのだ」
「…読めたぞ、貴様…根来衆であるか」
 柊蔵人の瞳の瞳孔が開き、猫が獲物を狙う時のそれとなる。
「そこまで理解した以上、生かして帰さぬぞ」
「何を言うか、元々生かして帰すつもりも無いくせに」
 柊蔵人の気迫に負けまいと、れいも体を乗り出し、ひとつの横に並んで叫ぶ。
「お前の目的と、お前の主君とやらを全部喋ってもらうぞ」
 ククク…と馬鹿にした笑いで返す、だがその顔は笑っておらず、狩人の目はそのままである。
「貴様は再びワシに勝てるとでも思っているのか。…若さゆえか…それとも只の能無しか…よう言うたもんじゃ。この阿呆が、ワシが二度も同じ術にかかると思っているとは、天狗に成りすぎじゃ」
 瞬時に空気が変わる。
 それは柊蔵人の周囲に立つ配下の黒装束の男達すら一歩身を引くほどの気迫。あのひとつでさえ、腰を屈め何時(なんとき)でも動ける様な姿勢を取った程だ。
「冥土の土産を受け取れば、そこからは地獄じゃぞ。心して聞くが良い」
 既に二人は柊の術中に嵌ったかの様に身動きが出来ない。
 根深き地獄の蔦(つた)、もしくは底なし沼に足を入れたかの如く、動く事もまま成らなかった。





 忍の達人と言い、名が出るのは”服部半蔵”、”風魔小太郎”、”猿飛佐助”。
 では、魔導師と言い名が出るのは誰か。
 多くの者はその名を知らぬ。
 忍の始祖を鞍馬天狗と言う者が居れば、魔導師の始祖は誰か
 多くの者はその名を知らぬ。

 彼の者の名は”果心居士”(かしんこじ)、戦国のメフィストフェレスと称される謎の男。
 戦国の奸雄”松永弾正久秀”から心底恐れられ、太閤秀吉ですら殺す事が出来なかった男。
 それが果心居士。

 幻とは思えぬ多くの秘術を持っており、彼はその術でこの国を陰から操っていた。
 初めに応仁の乱を起こし、戦国を作った。
 そして織田信長を支持し、天下取りの道を解いた。
 だが、織田信長は果心居士の指示を守らなかった。伊勢・長嶋の件で果心居士は腹を立て、明智光秀をそそのかし再び乱世へ戻した。
 彼が次に天下を導く者として選んだのは

 「徳川家康」

 だが、彼の筋書きは変えられてしまう。一人の英雄の登場により、その者こそ太閤秀吉。
 果心居士は初めそれを楽しんだ、予想外の流れもまた良し…そう思った。
 だが再び果心居士は裏切られる。 
 天正9年(1581年)に起こった紀州征伐である。
 果心居士がこれらの件に深い怒りを表すのは、彼と縁が深い土地”根来の地”と関係がある。
 根来寺の僧兵に術を与えたのは彼であり、果心居士は根来では仙人の様に崇拝の対象として見られていた。
 
 
 柊蔵人は言った。
「ワシは果心居士の高弟である」と
 彼が命じられた仕事は、”豊臣家を断絶させ、再び戦国の世に変える事”
 果心居士は徳川家康であれば世の中を平定出来ると柊蔵人に説いた。
 
 柊蔵人は、まず”本物の柊蔵人”を殺し、彼の素性、動作、しゃべり方を完全にこなした。
 服部半蔵ですら見破られぬ程完璧であり、現在の柊蔵人も自分を完全に柊蔵人として認識し生きている。
 唯一違うのは、その脳裏の裏には果心居士からの命があり、その時が来れば再び彼の元へと戻らねば成らないと言う事。

「豊臣の後継者が死ねば、次は一時凌ぎとして養子の誰かが関白となるだろう。おそらく秀次殿辺りが妥当であろう。それもまた、我が主君の筋書き通り。…そしてお前達を消す理由はたった一つ。”我らと深く関わり過ぎた為”それだけの事」

 嵐は更に激しさを増し、船は大きく揺れた。
 遠くの方で稲妻が鳴り響き、雷の光が船上の男達を妖しく映す。

「土産はもう十分かね…」
 低い声で柊蔵人は言った。


 遠くの方でいくつもの旋風(つむじ)が舞う。
 旋風は凶報を運び、二人の忍は否応無く決戦を迫られた。




     

十一、”猿飛”


 稲妻が響いた。
 雷光が黒い影達を映す。
 黒い影は光が瞬く度に位置が変わる、それはまるで古いアニメーションの様に。
 十の黒い影は、稲妻の音が届くより早くれいとひとつの元まで飛び込み、各々が持つ兵器で二人を殺そうと凶刃を振るった。

 東西南北、上下左右
 様々な包囲から襲いかかる刃を間一髪で避けるが、こちらから攻撃の手を加える様な隙が生まれない。
 数も多く、更に彼らの連携は乱れる事無く、お互いの距離と役割をしっかり守る、完全な統率力を前に二人は手も足も出ず、ただただ逃げ惑うのみとなってしまった。
 囲まれた輪の中で必死に逆転の一手を考えるがそんな時間も無く、思考する方に気が飛んでいたれいは、黒装束の男の一人に鎖で足を絡め捕られてしまう。
 驚きのあまり声も出ず、手に持っていた小太刀をその場に落とし、弧を描きながら宙を舞い、そのまま向こう側の甲板に叩きつけられた。
「れいぃ」
 ひとつは声を張り叫び、彼女を助けに行く為跳躍したが、黒装束の男に足を掴まれ勢いを止められてしまう。
「貴様の相手は我々だ。人の心配なぞ時間の無駄ぞ」
 黒装束の男は声高らかに叫び、手に持つ鋭い鎌でひとつの足を狙う。
「邪魔をするな」
 ひとつが叫び声を上げる前に、黒装束の男の両腕は彼の体より離れ、ひとつと共に宙に浮いた。
 ひとつの体はコマの様に回転しながら宙に浮き、回転を維持しながら甲板の上に立つ。
 彼の手には小太刀が握られており、その刃からは血の雫が滴り落ちる。
 両腕を断ち切られた黒装束の男は言葉少なく、動きは痛みからか鈍ってしまっていた。
「手長坊よぉ、してやられたなぁ」
「むむ…流石に痛みは無くせぬか…」
 手長坊と呼ばれた黒装束の男も、流石に痛みは堪えれぬようで、息が荒く小刻みに震えている。
「我ら根来十來坊(ねごろじゅうらいぼう)の攻めを避け切り、尚且つ我らに傷を負わせるとは…貴様は何者であるか…」
 黒装束の男達は、手長坊の両腕を拾い集め、ひとつと距離を置き、お互いを探り合う。
 彼らは自身の事を”根来十來坊”と呼んだ。そして鎌を持つ男の名が”手長坊”と言う事、今はこれだけの情報しか無い。
 直ぐにでもれいを助けに行きたいが、根来十來坊はひとつとれいの境界に立ちはだかり、彼が彼女の元に進む事を拒絶している。
「余りワシを怒らせない方がいい。素直に其処を退き引くが良い」
 ひとつの眼光は鋭く、並みの者なら威圧のみでも腰を抜かす処であるが、流石に彼らは違った。
 其々の者の顔は笠で隠され見る事が出来ないが、一同に薄ら笑いをしているのが手に取るように分かる。
「無駄よ、我々は只の忍では無いぞ。下手な強がりは止した方が良い」
「それにだ。あの娘は我らが頭、柊様が直々に手を下されるとの事だ。有り難い事よ、其方はあの女の事より己の身について心配した方が良いぞ」
 見れば、体を甲板に叩きつけられたれいが、動き定まらぬままに柊によって弄られている姿が見えた。
「おのれ…貴様らはワシをどうしても怒らせたい様であるな…」
 ひとつの顔色が赤く染まる。衣を脱ぎ捨て深い傷だらけの体を晒す。
 顔は徐々に仁王の如く彫が深くなり、体に触れる雨はそのまま湯気と化し、筋肉は異常なまでに膨らんだ。
「ぬっ…これは…」
 流石の根来十來坊も顔色を変えた。
「これはこれは…我々も手を抜く事が出来そうにないな」
 根来十來坊の一人が、手長坊の両腕に切り断たれた腕を付けて念を込める。
 切り断たれた両腕は、その男が経の一語一語を唱える度に腕から流れる血の量が少なくなり、気が付けば全くの無傷にまで治療させていた。
「陰道”錦糸の術”」
 治療した男はそう呟き、手長坊に獲物である鎌を持たせた。
「助かったぞ錦糸坊、そろそろ始末に入らねばならぬだろう皆の者よ」
 十人の男達は再びひとつの周りを囲む。
 だがひとつはそれらに一切反応せず、ただただ抑えきれぬ殺意を甲板上全てに噴出していた。

「今のうちに念仏を唱えるが良い。今から貴様らが見る姿は風魔が戦忍”鬼の悪平”が真の姿ぞ」
 低く、唸るような声でひとつは吼えた。





 ひとつが異常な殺意を噴出した時、れいはその気迫に乗る事が出来ず、フラフラの足のまま柊に弄られていた。
 調子が出ないのか、自分以外の者が発する殺意に押されているのか足取りは鈍く、柊も刃物を使わず竹の鞭で執拗にいたぶった。
(何故、何故こんな時に…)
 自分を何度も叱咤したが体に柔軟性は戻らず、柊の竹の鞭を避けた先に拳が飛んで来て一瞬気を失いかける。
「…貴様は本当にあの時の娘かや。ワシの腹を引き裂いた女かや。ワシは貴様から受けた傷と誇りを取り戻すべく気を練って参ったと言うに、貴様は自惚れて体を動かす事すらなかったのか」
 柊はれいを上から見下し、踵で顔を何度も蹴った。
「馬鹿にしておるのか貴様。あの時、ワシを追い詰めた技は何だ、あの技をだせぇ」
 鉄の様に硬くなった柊の爪先は、れいの腹を強打し、れいは胃の中の物を吐き出しながら痛みに耐える。
 あの時…柊を破ったあの時…自分は何をしていたのか…
 彼女は自分自身に問いかけた。
 自分の中の奥深くに眠る、あの時の記憶を…


>>「太閤の嫡男は死んだわ。無駄な努力もいい所だ」
>> その言葉に我慢出来ず、遂に袋から手裏剣を出し柊に向かって投げた。
>>「五月蠅い、そんなことあるか」

>> その攻撃が戦闘開始の合図となる。
>>「馬鹿、乗せられてるんじゃねぇ」
>> 流石にひとつも頭に血が昇り、れいの頭を叩くが流れは止められない。
>> 手裏剣は見事に外れ、柊老人はそのまま真っすぐにれいの元に走り込む。
>> それに呼応し、れいもまた走り出した。

 あの日あの時、鶴松が死んだと言う柊の言葉に逆上したれいは無我夢中で柊に向かって突撃した。
 鋼と鋼がぶつかり響き合う。
 距離を取ればお互いが手裏剣を投げ合い、相手が外した手裏剣を引き抜き、再び投げ返す。
 れいは、ただひたすらに全力で柊に攻め込んだが、当の柊はまるで赤子と戯れるかの様に笑いながられいの相手をしていた。
「ハッハッハ、無駄無駄。貴様の力でワシを討てると思うてか」
 小太刀の刃先が空を切り、柊の蹴りが彼女の股間を強打する。
 人が敏感に感じる部分は、快感の刺激だけで無く痛みに対しても敏感に感じる。
 人の急所とはそういう部分を示す。
 男に対し金的を行うのは外法ではあるが有効である事を誰もが知る。
 そしてそれは女に対しても同じ事なのである。
 股間への強打は男女関係無く急所攻撃であり、足に力が入らなくなった彼女は受け身も取れずに甲板の上に叩きつけられた。
「ううぅ…」
 初めての痛みにれいの目からは涙が落ち、足だけで無く腕にも力が入らなくなる。
 ゆっくりと歩いていた柊は、れいの背中を蹴り飛ばし、頭を踏みつけた。
「なんじゃだらしのない娘だ。少しは遊べると思うたのだが…」
 股間を抑え、痛みに泣くれいの衣をはぎ取り、嫌がる彼女の手を万力の様な強固な力で締め付け抵抗する気力を奪うと、下着を脱がし彼女の足を広げた。
 強打された為か、女性器からは多少の出血の跡が見え、今も女性器から尻の穴にかけて血の雫が流れ落ちている。
「女を痛ぶるのは好かんが、骨抜きにする事は得意でな」
 柊は袴の帯を緩め、己の一物を外に晒した。
 年行ってるとは思えぬ程その巨大な一物は硬く、女がいかに拒絶しても”それ”を貫く位の事は出来た。
 れいは半ば失神状態にあり、だらしなく涎を垂れ流し目は白目をむいている。
「何とも醜い姿よ。骨を抜いたのち海にでも捨てるか」
 柊は薄ら笑いを浮かべたのち、腰を沈めた。





 れいは夢を見ていた。
 あまりの痛みに気を失い、世界から色が抜けた。
 
 夢の中で自分が誰かと話している姿が見えた。
 彼らは幼い姿のれいに対し、何やら呪い(まじない)の様なものを教えている姿が見える。
「…自分の体に力を与えたい場合、自分の想像する最良の姿を頭に描くのだ。誰よりも早く走る姿、燕より早く飛ぶ自分の姿、鬼よりも力の強い自分の姿。我々”猿飛”の一族に伝わる秘術である。先祖はこの術を持って猿より素早く移動する術を会得し、幻術をも使えるようになった。強い意識は己の肉体のみならず、相手にも影響を与える力がある。もしもどうしても戦わなければならない強い仇が現れた際は頭の中で理想の動きを描いてみる事だ。先祖はこれを”猿飛の術”と名付けたが木々を飛び回るのが猿飛の術の本領では無いのだ、理想の自分へと変える事が真の意味での”猿飛の術”なのである」
 …と、夢の中の幼い自分と父親らしき男は今の自分に向かって助言を与えてくれていた。
 ただただ、真剣に”想像する事”、それを実現出来るだけの力があれば、理想は現実に出来る。
 これが、”猿飛の術”…


 柊の一物の先端が、彼女の性器と触れ合う。
 少しずつ力を込め、未貫通の穴の中に捻じ込んで行く。
 亀頭が全て穴の中に隠れた、その時
 パッと目を覚ました彼女は、両足を掴まれたまま体を捩じり、空いた手で柊の股間へ拳を撃ちこんだ。
 それは、股ぐらから上に向かって柊の急所を潰すかの様にであり、事実、柊の股間からは精液と共に大量の血が噴き出した。
「をぉぉぉ…」
 柊の顔じゅうから脂汗が滝の様に流れ出し、転げまわる。
 緩んだ手を払いのけ彼女は下着も無く、半裸のまま甲板の上で立ち上がる。
 床に転がる小太刀を拾い、再び柊に向けて刃を向けた。
 急所を潰され股間が真っ赤になりながらも柊は震える体を叩き起こし、憎悪と悪意の気迫をれいに向けてぶつけて来る。
 しかし、彼女の顔は平然としていた。
 彼女の中の何かが変わる…いや、生まれ変わったかの様に迷いが無くなり、彼女の動きには常に残像が生まれた。
 柊は震える体に活を入れる為、己の右太腿へ剣を差す。
 再び、柊の顔に脂汗が滲んだが、立ち上がった時の姿はまるで全身の痛みを忘れたかの如く軽やかであった。
「おのれ、小娘。只では死ねぬと思え、生きたまま少しずつ体を削ぎ落してやる。当然自害すら許さぬ」
 大きな殺意の波は辺り一帯に広がり、それは渦を巻き、れいの体を呑み込まんとした。

 だが、不思議な事に彼女は全くそれに対し恐怖の色も殺意も何も感じる事無く、静かに柊の姿を見据えている。
 ”無我の境地”
 彼女は自分自身に暗示を掛け、無我の境地を開いた。
 今の彼女には全ての動きが超低速で見え、殺意の流れすら読む事が出来る。
(これが猿飛の術の本当の意味…)
 体や脳への負荷を食い止める為の留め金が外れ、当人の持つ真の意味での全力の動きが出来る姿。

 柊もこの姿と落ち着き様に警戒心を高めたが、いつもの冷徹さは消え去り、憤怒と悪意のみが支配していた為に判断を間違う。
 彼女にとって二度目となるこの姿、一度目は無意識かつ五割程度しか出す事が出来なかったが今回は完全なる姿。この姿は長時間維持出来ない事を彼女は知らない。長時間の猿飛の術は脳への負荷が大きく突然意識が断たれる事がある。
 柊に取って最良の策は”待つ事”であったが、柊は怒りに任せ、己の全力を持って討つ事を選んだ。
 




 しばしお互いの動きが止まっていたが、柊は気が丹田に練り込まれた事を確認すると、目にも止まらぬ隼の如き飛翔をもってれいに飛びかかって来た。
「黄泉沼落としの術」
 柊の瞳が妖しく光る。
 この術は船内で柊がれいに掛けた術である。
 この術に掛ると、体中の力が抜け指一本動かせぬように成る術である。
 れいが柊の瞳を見つめる。(しめた)柊は笑みを浮かべそのままれいの元へ飛び込む。
(殺った…)
 柊の手に持つ鉈は確かな手ごたえを感じた…だが、目の前を見ると、そのれいがこちらを向き笑っていた。
(なに…)
 確かに手ごたえがあった…なのに奴は全くの無傷…それどころか…増えている。
 柊の瞳には至る所かられいの姿が現れているように見えた。
 床下からも手が伸び己の足にしがみ付く。
 何も無い所から頭が生え、それは自分を見て笑っている。
(…これは…幻覚…)
 幻術を掛けたつもりが逆に己が幻術を掛けられている。これ即ち、己の本体が無防備な状態。
 全てを理解すると柊は躊躇う事無く舌を噛み切った。

「ぶほぁ…」
 柊の口から血が噴き出した…だが幻術は既に解けた。実際、どれだけの時間意識を飛ばされていたか分からぬが、あの後自ら甲板に向かって体を叩きつけ体に負傷はあるが大きな死傷はまだない。
 だらりと垂れた千切れた舌を口の中に戻し、れいの姿を見る。
 彼女は柊の目の前におり見下して立っていた。
「おっおのれぇ」
 口の中に溜まった血を噴き出しながら憤怒に燃え、鉈をれいに投げつけた…が、それは擦り抜け、その残像はゆっくりと消えた。
(…ま…まだ幻術の中にいるのか…)
 再びれいの姿が目の前に現れる。それも同じく四方八方から数限りなく。
(は、早く目を覚まさねば)
 柊は懐のクナイを再び右腿へ突き刺す。
「ぐぎいい」
 再び激しい痛みが柊を襲う…が何も変わらない。
 複数のれいは柊に向けて走り出しそれぞれが刃を己に向ける。

「違う!!これは影分身!現実だ!」
 再び口から大量の血を吐き出す。
 真正面から走り込んだれいの小太刀が柊の腹を裂いた。
 だが、柊も当たる瞬間に体を反らし死傷は免れた。
 腹から腸が少しはみ出した、柊は素早く腹を押さえ腸が腹から噴き出すのを防ぐ。
「おのれぇ!小娘がぁ」
 そして柊は掌より卍手裏剣をれいの方とひとつの方へ投げ、飛ぶようにして勘蔵の元へと走った。

 その後の事は、皆の知る通り柊と勘蔵は小舟で逃げ出す事となる。




 そして今
 彼女は消えかかっていた記憶を全て思い出す。
 自然と体に力が戻り、恐怖が消えた。
 柊の足を振り払い、距離を取って向かい合う。
 手には仕掛け針を持ち、呼吸は整った。
 柊はそれに対し、ただ薄ら笑いだけを浮かべ腰から長ドスを引き抜いた。
「それでいい、それでいい。今度こそ貴様を奈落へと落としてやる」
 
 誰一人としてこの結末を想像する事は出来なかった。
 れいも、ひとつも、柊すらも…
 そして、忍達の戦いは最終局面を迎える。
  







     

十二、 地獄門



 雷鳴が轟き、一粒一粒重い雨粒と氷のように冷たい波飛沫が容赦無く吹付ける。
 顔の赤い半裸の男からは湯気が立ち昇り、それを囲む十人の黒装束の男達は無言のまま一歩一歩すり足で距離を置きながら左周りに輪を描く。

 初めに動いたのは修羅へと姿を変えたひとつ、いや悪平であった。
 大きく弧を描く様に右手で空を切る。
 すると音も無く、悪平の正面に居た根来十來坊の一人の首が飛んだ。
 誰もがその早技を前に声も出す事が出来なかった程である。
「錦糸坊」
 首を刎ねられた一人の名は錦糸坊、先程手長坊の両手を繋げる術を披露した男だ。
 首の無い錦糸坊の体はそのまま後ろに倒れ、盃が倒れたかの如く首からは血を際限無く噴き出した。
 根来十來坊の者共もこれには驚き、顔が強張る。
 何せ本当に獲物を持っていない手から、鎌鼬(かまいたち)を飛ばしたかの様に見えない刃で首を刎ねたのだから。
 目を見合わせた彼ら、根来十來衆のすり足の速度が上がる。
 檻の中に居る獣は猛獣であり、そやつの爪は簡単に人を殺せるほどの凶器なのだ。鷹狩りを楽しむ猟師から、命を掛けて戦う武士(もののふ)へと考えを改めるのも当然である。

 輪を描き歩む彼らの動きは上下左右に揺れる幻の様になり、九人しか居らぬこの場に三倍近い数の姿を惑わし見せた。
「陰法 咎人行列(とがびとぎょうれつ)」
 根来十來坊は口を揃え言葉を発すると、三百六十度、全方位から飛びクナイを輪の中央、悪平に向かって投げ撃つ。
 だが悪平は顔色一つ変えずに右手を突き出し体を回転させる。
 現在の悪平は常時「林風の術」を行っている様な状態にあり、彼らの動きはすべて超低速で見る事が出来る。
 それに加え、超低速映像の中で自分だけは元のまま動作を行える「飛燕山渡(ひえんやまわたり)」の秘術によって人知を超えた超高速の動作が出来るようになっている。
 これらの術は、脳と肉体への激しい損傷がある為に常時扱う事が出来ない、まさにここ一番の決戦以外使わぬ秘術である。
 回転が止まり
「風刃撒きの術」
 そう言うと、悪平を狙っていた数百を越える飛びクナイはまるで竜巻によって弾かれた様に悪平を中心として周りの床に突き刺さる。
 そして同時に輪を囲っていた九名中、六名の体はバラバラに刻まれ絶命、残る二名も片腕片足を切断され動きを封じた。
 周りを見渡し現在動ける人数を数える。、
 満足に戦える者は居らず、安心したのか半裸の悪平の顔色が徐々に青くなり膝をついて頭を押さえる。
 この術は肉体的にも精神的にも荷が重かったのか、フラフラの体を必死に堪え残る三名を睨み威嚇する。
「烏坊(からすぼう)!今だ、奴はもう動けん、止めを」
 片腕を斬り飛ばされた男が震えた声で指示を出す。
 夜の闇に紛れ、烏の如く飛翔する影を悪平は捉えた。
 烏坊と呼ばれた影は十字槍を両手に持ち、鋏の様に構え悪平を両断せんとした。
(ぬぅ…いつの間にか風閂を落としてしまったか…やむをえん…)
 もう一度気力を奮い起こし、林風の術で烏坊の動きを読む。
 十字槍の鋏を間一髪で避け、今度は意識を右手に集中した。
 飛び込んで来た烏坊の喉首を掴み、床に叩きつける。
「ふんっ!」
 悪平の気合いを込めた呼吸と共に、烏坊はまるで雷に撃たれたかの如く痙攣し、口から血の泡を吹いて絶命した。
「奥義…雷迅の術…。一日の内に、こうも奥義を使わねばならぬとはな…」
 風魔忍術奥義雷迅の術。
 人間の体内で細胞が分裂する際に発する微量の電気を掌など一点に集め、それを放つ生き残る為の最終奥義。
 当然これも獲物を持たない場合の最終手段であり、常用できる程人間の体は丈夫では無いのだ。

 決着は着いた。
 悪平は青ざめた顔で残る二人を睨みつける。残る二人は完全に実力の差を理解したのかもはや手を出そうともしなかった。

(…そうじゃ…れいの方は…)
 気を緩めると直ぐにでも倒れてしまう中、悪平は気力を振り絞り、れいの姿を探した。



 
 
 目に映る全てが理解出来、彼女にとって上下左右、前後ろなど関係無く全方位の動きが手に取るように分かる。
 飛び上がり、船の帆や柱を使い高速で移動し分身の術を繰り出す。

 分身の術もいくつかの種類があり、その一つは同じ姿へ変装した複数の人間が分身したかのように見せる方法。
 次に鏡などを使い、視覚的にのみ分身したかのように見せる方法。
 そして最後に、残像を残す程の超高速で動く事で分身を生み出す方法。
 当然この中で最も技術を要するのは最後の自分の動きのみで分身を生み出す技である。
 これを修めた者は、何時いかなる場面でも分身の術を繰り出す事が出来るが、難度が高い分習得出来る者は数少ない。

 猿飛の業を身体に叩きこんだ彼女は覚えた技術全てを使い柊に立ち向かう。
「無駄よ、いかに分身を出そうとも、お前への戦い方は考えて来ておる」
 柊は一切の動揺を見せず黙って彼女の動きを容認する。
(ならば見て見るがいいさ)
 れいの分身は更に数を増やす。四方八方全ての包囲に彼女が居り、手には仕掛針を持っている。
(これだけの数を撃ちこめば、必ず動く…動いてからが勝負)
 れいは手首を曲げ、仕掛針を撃ちこむ動作に入る…だが、遠くから聞こえる地鳴りの様な音に気を取られ動きを止める…いや、止められた。
 地鳴りの様な音は、周囲に撒く様に発していたが、れいの動きの止まった今、音はれいにのみ集中して向けられ、彼女の足は完全に止まってしまう。
 この音は柊から発せられており、その音自体は大きな物ではないが、鼓膜に響き脳を揺らすその音波は戦意ある者を無力化させるには十分過ぎた。
 
「陰法 地鳴り雀落とし」
 
 いかに手で耳を塞いでも何処からともなく響く音にれいは悶え苦しみ、数分の間甲板上で悶えた後、失神してしまう。
 柊は彼女が白目を向いて気絶しているのを確認すると大きな声で笑った。






「れい、大丈夫か」
 鼓膜を破る様な鋭い音を耳にし、悪平よりひとつへと戻った男が駆け寄る。が、しかし、柊の地鳴り雀落としを受け危険を察し、安全圏まで飛び下がる。
(ぬぬぬ、只でさえ倒れそうなのに今アレを受ければワシも気を失いそうじゃ…)
 れいが心配ではあるが、自分まで倒れれば手の打ち様が無い。
 ひとつは、そう判断し様子見に移る。
「よぉ、ひとつとやら。素直に降伏せよ、さもなくばこの娘の命は無いぞ」
 柊は大声でひとつを挑発する。
「何を言うか、投降した所でワシらを殺す事は同じなのであろう」
 柊の挑発に対し、ひとつも負けじと大声で柊に向かって吼える。
「そんな事は無い。この娘は使い道があるでな。果心居士殿に献上し骨抜きにしてやるのよ。さすれば優秀な根来女として我々の為に働いてくれよう」
「そんな事を聞いてますます渡せなくなったな。この女の処女はワシが貰い受ける約束があってな、他の男にくれてやるつもりは無い」
 再び柊は大笑いでひとつへ言葉を投げ返す。
「確かにな、この女の膣はワシでも破れんくらい硬かったな。お主に操を立てておるのかもな」
 柊の目が妖しく光り輝き、再び雷鳴が轟く
「だがなぁ、我らが今しばらく時間を掛ければこの女を落とす事などたやすい。お前が思っているより女とは脆いのよ」
「どう言われようと、貴様らにれいを殺させるつもりもなければ、くれてやるつもりも無い。ワシの風刃はお前の首まで十分届くぞ」
 ひとつの手が肩まで上がり構えを取る。だが、柊は平然としている。
「やってみるがいい。ワシには効かぬよ」
 柊の言葉が終えるより先に、ひとつの右手は空を切る。先程根来十來坊を切り裂いたあの術である。
 だが、風の刃は届く事無く、ひとつ自身も謎の衝撃により後方へと吹き飛ばされる。
「陰法 地鳴り穿ち(じなりうがち)、ワシの喉から発せられる音は風より早く、雲すら貫く事が出来るのだ。貴様の術の正体は分かっておる、風閂を飛ばしておるのだろう。刀では防げぬその術もワシの音の前には無意味その物よ」
 衣には今でも痺れる様な衝撃の余波が残っており、耳には何の音も聞こえない。
 右手から風閂の糸巻きが飛んで無くなっており、体も精神もボロボロとなっていた。







「残念だ、貴様が降伏する気が無いのならば、ワシが本気だということを証明せねばなるまい」
 柊は懐より紐のついた小さな筒を取りだす。
「手長坊、葉虫坊、いつまでそこに座っておる気じゃ。お前らも死にたいのか」
 柊の言葉には、重い死の塊をぶつけられる様な凄味がある。
 戦意を失っていた根来十來坊の生き残り二人は、すぐさま我に返り柊の元に跪く(ひざまずく)。
「甲板上に逃げ遅れた男たちが居るじゃろう、直ぐに連れてこい」
 柊の言葉に二人の男は慌ててその場から飛び去り、数秒後「助けてくれ」と泣きわめく二人の水夫が柊の元に連れてこられた。
「貴様、何をするつもりじゃ」
「この娘の最後がどうなるか…見せてやろうと思うてな」
 柊は手に持った小さな筒の紐を摘まんで、頭の上でブンブン振り回す。
 大きな音が出るわけでも無いその筒と彼の行動にひとつは困惑した、が数分後、この筒と行動の意味が分かる。
 ある時を境に、船の周りの雰囲気が変わる。
 殺意に満ちた恐ろしい獣の集団がこの海域に集まってきたのが分かった。
 それらは、船にぶつかり甲板の上を大きく揺らす。海を見れば大きな背びれと巨大な口が血を欲しているのが嫌でも分かった。
「鰐(わに=古い時代のサメの名称。因幡の白ウサギの話にも出てくる名前)を呼んだか!」
「そうよ、これは鰐笛。鰐が寄ってくる不思議な笛でな、数十里離れておっても音を聞き駆け付けるのだ」
 柊が説明を終えると、手長坊と葉虫坊は捕まえていた水夫を海に投げ込んだ。

「ぎあああぁ」
 水夫達の悲痛なる声が嵐を裂いて耳に伝わる。
 寒い海に呼ばれた鰐達は気が立っているのか、投げ込まれた水夫達をものの数秒で肉塊へと変え、海を血で染めた。
「そう言うわけだ。この女は鰐の餌として海に献上する事にしたよ」
「やめろ!そこまでする事は無いだろう」
「駄目だな、この娘はワシの睾丸を潰して不能にしおった。八つ裂きにせねば気が済まぬのよ」
 柊は手を上げ手長坊と葉虫坊にれいを担がせそれを投げ込むように指示した。
「おのれぇぇ」
 ひとつは無意識に飛燕山渡の秘術を使い、彼女を助けんとするため無我夢中で飛び出す。
「やれ!海へ投げ込め」
 柊は素早く二人に命じ、己は突進してくるひとつに対し地鳴り穿ちを放ち止めを刺さんとした。
 が、現在のひとつは人間の限界を越えた力で走り跳躍する。いかに大きな衝撃を放つ地鳴り穿ちであっても止める事は出来ない。
 ひとつの体は大砲の弾の様に飛び、地鳴り穿ちを弾き、葉虫坊を吹き飛ばし、れいの体を空中で抱きしめる。
 二人の体は長い間空を貫き、そして勢いよく海の中へと沈んでいった。
 そして弾き飛ばされた葉虫坊もまた、錐揉み(きりもみ)したまま海の上へ激突する。
 再び身を裂くような悲鳴が響き、葉虫坊もまた鰐の胃の中に収まった。

「まるで国崩し(大型大砲)の様であったな…だが…あの二人は助かるまい。この海域一帯は鰐で満ちておる…」
 柊は満足げにしゃがれた笑い声を響かせた。
「手長坊よ、船に火を放て。我らは帰るぞ」
 

 再び雷鳴が轟いた。
 船に油が撒かれ、南蛮船は燃え朽ちて往く。
 船内に逃げ込んでいた水夫達は鼠の様に炙り出され、逃げ場を求めて海へ飛び込む。
 海上に開いた無数の鰐の口は地獄の門の様な姿を嵐の中に見せ、海に飛び込んだ者から順に骨を噛み砕かれ、肉を引き裂かれ、阿鼻叫喚の地獄絵図が生まれた。
 海に浮かぶ大きな炎に、真っ赤な海。
 そしてこの世のものとは思えぬ人々の絶叫。
 
 冬の旋風が開いた地獄門を眺め、柊は満足げに大きな声で笑った。












 

     

了、 桜吹雪



 天正十九年、豊臣秀吉が指名していた後継者、鶴松は病死する。わずか二歳の若さであった。
 関白豊臣秀吉は甥の秀次に関白職を譲り、己は太閤として(前関白の尊称)国政を操り続ける。
 
 元来の歌舞伎者である秀吉は、天下統一後、自分の身内、古参の大名に対し大判振る舞いで土地を分け与えて往く。
 だがこの狭い日本、限りある土地では全ての者を満足させるには至らぬ。
 外様大名のお家を潰し、土地を奪うも、それでも尚足りなかった。
 それも当然である。彼はやり過ぎた。
 歯止めの利かぬ我儘(わがまま)な老人に成ってしまった秀吉は愚かな考えに至る。
「”朝鮮征伐”」である。
”土地が足りねば奪えば良い。”
 何者かが彼にそう吹きこんだ。彼はまるで取り憑かれた(とりつかれた)かの様に戦の準備を進める。
 加藤清正は黙ってはいたが、この戦に正義は無く、誰として望んでいない事に気が付いてはいた。
「鶴松様が亡く成られて、殿は変わられた…」
 加藤清正は手に持った薬瓶を眺めそう呟く。
 
 文禄元年(1592年)、宇喜多秀家を元帥として16万の軍勢を朝鮮に出兵する。
 季節は初春、九州の山々が桜に彩られ、命は芽吹き始めていた。




「前野殿が作られる茶釜は実に良い色をされておられる。殿が朝鮮より帰りし時はこの釜で茶を入れて差し上げたいものです」
「吉村殿が御忠義、必ずや大殿様にも伝わりますよ」
 阿蘇の山麓に小さな庵があった。
 周りは竹の林が美しく、庵の玄関から庭に掛けては、白く淡い桃の色をした桜が咲き乱れていた。
 そこは大変美しい場所で、麓(ふもと)の者も”桃源郷の様である”と皆して言っていた。
 この庵(いおり)の主人は”前野堂海入道”。
 彼の作る焼き物は青磁の様な美しさを持ち、作りも実に優美であった。
 そして相対する男の名は”吉村勘四郎”と言い、現在の熊本城築城指揮者である。

「そちらのお嬢さんはどちら様ですか」
 前野が吉村と呼ばれた男に聞いた。
「あれは私の娘で小夜と言います。前野殿が御屋敷は桃源郷の様であると聞きまして、娘も是非見て見たいと言い聞きませんでして」
「左様でしたか、でしたら裏手に桜並木が美しい散歩道がございますのでそちらへ行かれるが良いかと」
「恐縮です。おい、小夜よぉ。前野殿より御了承を頂けた故に散歩して来るが良い」
「あい、父上」
 小夜と呼ばれた娘は元気良く庭へと廻る。
 春の風は庵の中に心地良い香りを運び、二人は茶を啜った。
「失礼ながら、その手は戦で無くされたのですか」
 前野は吉村の失われた左手を見て質問する。
「ええ、恥ずかしながら。一年前、曲者にやられまして実に不便な生活をしております…」
 その言葉に前野の顔は少し緊張の色を見せた。
 吉村は呑気(のんき)に、包みから小梅を漬け込んだ小さな壺を取りだし、白い紙の上に二つ小梅の粒を置いた。
 白い紙は梅の汁を吸い、薄桃色に染まって行く。
「茶受けに如何(いかが)かと思いまして。どうです、前野殿」
 吉村はそれを箸で一粒摘まむと、旨そうにそれを口の中に入れた。
「うむ…旨い」
 そう言うと茶を啜り、種を湯呑の中に落とす。
「如何ですか、旨いですよ」
 吉村は相変わらずにこやかな顔で前野に小梅を勧める。
(何を考えておるのだ、吉村殿の身元は確認済み。ましてやワシの過去を知る者など存在せぬと言うのに)
 前野は考えたが、吉村を疑う必要が無いと自分に言い聞かせると、紙の上の小梅に箸を伸ばす。
 それを口の中に入れ丹念に舐めまわす。痺れや痛み、癖のある甘みなどは感じない。
 意を決し、梅肉を噛み砕くが取り分け違和感は無い。
 前野は心を落ち着かせ茶を啜り
「旨い」
 と言い、ニコリと笑った。
 それを見て吉村もニコリと笑い
「梅は喉に良いと聞きます。もっと食べられますか」
「いや、結構。十分堪能致しました」
「そうですか、それは残念。前野殿は喉を酷使される業を使われる故にもっと食べられた方が良いかと思いましたが…」
 吉村の目がキラリと鋭く光る。
 その言葉を聞くやいな、前野は海老の如く素早い動きで後方へと飛び下がる。
 吉村は変わらずニコニコとほほ笑みながらこう言った。
「流石でございますな。業前にまったく衰えが見れません。これだけ動けるのならば申し分無い」
「貴様何者ぞ」
 前野は吉村に対し大声で吼える。
「気分はどうかしら柊蔵人。まさか自分が幽霊でも見ているとか思ってない?それとも忘れてしまったのかしら」
 前野の真後ろには先程”小夜と呼ばれた少女が立っていた。
 童女の様な姿ではあったが、周りを包む空気は明らかに別物としか思えぬ。
 それより先程言った言葉”柊蔵人”、これは前野が一年前に捨てた名前。
「まさか己ら…鰐(わに)の海を逃げ切りおったのか…」
 小夜は童女の衣を剥ぎ棄て、鬘(かつら)を空に投げる。
 吉村もまた羽織を脱ぎ捨て顔を覆った皮の面を剥ぎ捨てる。
 前野の顔は恐怖と動揺によって青冷め、体中から際限なく脂汗が滲み出す。
「地獄から貴様に罰を与える為に帰って来たぞ」
 黒く美しい髪を春風になびかせた女忍者れい、そして大柄の体に幾重に重なる傷跡が雄々しい風魔忍者ひとつ
 あの、二人の姿があった。




 
「貴様ら、どのようにして生き延びた…」
 動揺を隠せず、脂汗を垂らしながら前野、いや柊は口を開いた。
 ひとつは薄く笑いながら柊に近寄り言葉を返す。
「ワシも昔、鰐笛を持っていてな。何せ小田原は海に面しとる。その為に海からの敵に対し鰐を使う事がちょくちょくあった。だが、当然自分達が餌に成る訳にはいかんよなぁ。だから奴らの嫌がる事も、何もかも知っておるのさ」
 ひとつは庭の桜の枝を一本毟り、それを手に持ち念じると、桜の枝は”パン”と音を立て、弾けて燃えた。
「鰐は雷が嫌いなんだよ。ワシの周りに来た鰐はその度に雷迅の術を受けて逃げ出しおった。…流石に何度も術を使うのはきつくてなぁ、浜に着く前に死ぬかと思う程だったがな」
 今と成っては悔やまれる。確実に仕留めねば…奴らを殺す事は出来ないのだ。
「何故ワシが此処に居ると知った」
「生き残りの糞坊主が全部吐いたよ。お前の今の仕事から居場所までな」
 チッと舌打ちを漏らす。生き残りの手長坊も始末しておくべきであった。
 悔やんでも今更どうにか成る訳ではない。やるべき事はただ一つ、この場から生きて逃げ伸びる事だ。
 柊の体の震えは止まり、体全体で逃げ道を探す。
 バッと横に飛び山道へと急行する…があの二人は追いかけてくる様子が無い。
(”恐縮です。おい、小夜よぉ。前野殿より御了承を頂けた故に散歩してまいれ”)
 ふと前野と吉村として会話していた時の記憶が戻る。
(まずい…)
 足を止め、腰の刀を前に突き出す。そこには何か、張った糸をなぞる様な感覚が
(風閂の結界か!!)
 生唾を飲み込み、柊は再び恐怖する。
(危なかった…気が付くのに遅れれば、そのまま両断されていた。)
 遠くの方から声が聞こえる。
「尋常に業比べをしようじゃないか柊。私はお前に機会を与えてやる、此処へ来て戦え」
「ワシは手を出さぬゆえに、二人で決着をつけよ」
 見下すような言葉に、流石に柊も怒りに震えた。
 彼は飛翔し、庵の屋根に立ち二人を睨みつける。
「一人でワシを倒すだと…また天狗になったつもりでいるようだな。二人でならまだしも一人で勝つなど笑止千万、その場で朽ちるが良い」
 地鳴りの様な低い音が柊の元から聞こえてくる。
 れいは身を乗り出し、柊に向かって叫んだ。
「その術を使うのは辞めた方がいい。私達はそれに対して対策を既にしている。その術を使えばお前は死ぬ」
「愚か者め、どのようにして音を防ぐ。この術は誰にも破る事は出来ない無敵の業なのだ、今度こそ二人して死ぬが良い!”地鳴り雀落としの術”」
 その音の波は船の上で使った物とは別物と言えるほど強大であった。
 一瞬にして耳を引き裂く様な波動が柊を中心として円形に広がり、竹林を押しやり、桜の花弁が散った。

 ヒュンヒュンヒュン
 と弦を打つ様な音が何処からともなく聞こえて来る。
 目に見えぬ風の刃は空から雪崩の如く飛んで来て、庵の屋根も柱も全て断ち切り、その場に立つ物全てを倒壊させた。
 そして風の刃は大地すら裂き、一瞬にして庵の周囲は碁盤目状の筋が付く。

 崩壊した庵の屋根には硬直した柊が立っており、柱が倒れ柊の姿勢が崩れると、頭から十字に切り裂かれ脳味噌と臓腑がべろりと大地へと零れる(こぼれる)。
「だから言ったのに…」
 ひとつとれいは、あらかじめ安全な場所と決めた場所で伏せていた為に傷一つ無く無事であり、柊との決着はあっという間に終わりを迎える。
「此処までが奴の力量であったと言うだけさ」
 対等な勝負を拒み、生に強く執着した時点で忍の戦いは決まる。
”死を選び、生を掴む”
 これぞ、戦国の戦人が生き残る為の絶対原則なのだ。

 柊の術は実際に無敵の業である。
 音の波動をどのように防ぐのか、どのように反撃すべきなのか、二人は最後まで結論を出す事が出来ずにいた。
 それ故に彼らの取った方法が”使わせない方法”と言う訳である。
 れいは、散歩の際に庵の周りを風閂の結界で覆った。
 その上で、竹林に強い振動によって糸が外れる罠を仕掛け、柊の地鳴り雀落としに対抗したのだった。
 






 春風が桜の花びらを空へと運ぶ。
 その姿はとても美しく、冬が終わった事を彼らに伝えた。
「終わったのぅ」
「うん、終わったね」
 れいの目から涙がこぼれ頬を伝う。
 それを見てひとつは彼女の肩を抱いた。
「ワシらの仕事は全て終わったのだ。後はこの国がどのように変わるのか見守ろうではないか」
 れいは手の甲で涙を拭うと少女の顔に戻り笑顔を見せた。
「ありがとう、ひとつ。ありがとう、混田悪平」
 ひとつは年甲斐も無く、照れて顔を反らす。
「うむ。何だかんだで実に楽しかったぞ。小夜よ」
 照れた中年の男の顔を掴み、少女は男と唇を重ねた。

 再び風が舞い、桜吹雪が空に舞う。
 艶やかな桃色の風に彩られ、二人はいつまでも唇を重ね続けた。






「のぉ、そろそろ夜を共に過ごしても良いと思うのだが…」
「えっ、何時も一緒じゃない」
「いや、そうでなくな。伽と言うか男と女の付き合いと言うか…簡単に言えばお前の処女をくれろという話じゃ」
「助平な男は好かん」

「いや、おい!ちょっと待て、話が違うではないか。おい!待て」


―――― 冬の旋風  完 ――――

       

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