Neetel Inside ニートノベル
表紙

いん!
Complex!

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 学園の中央に聳え立つ時計台。魔導学で、立体的に浮き出た文字盤の傍らにある鐘楼は、先刻まで鳴り響いていた。
 開放感に包まれた学内の雰囲気に、魔女達はあちこちで小さな輪を作って、これからの自由時間について話し合っていた。その雰囲気と縁のない私は、さっさと荷物をまとめて、帰り支度を整えるのみだ。
「フィノー」
「……なに」
 振り返り、お世辞にも親しいとはいえない、クラスメイトの一人と顔を見合わせる。
「アンタも街に遊びに行かない? セントラルの二番通りに、新しい洋服屋が出来たの知ってるでしょ」
「知らないし、行かないわ。時間が勿体ないもの」
「協調性という単語を、辞書に入れておくことをお勧めするわよ。"優等生" さん?」
「うるさい。服なんて袖を通せたら充分だわ」
「それは素敵ね。……貴女が平凡かそれ以下の顔立ちなら、嘲笑ってやりたいところだわ、まったく」
「お褒めに預かり光栄だわ」
 てきとうに手を振って、公舎の窓枠に足を乗せた。そして、風に乗る。
「――風の精霊、シルフ。フィノ・トラバントの名と魔力を辿り、私に力を貸し与えなさい」
 アカデミーは、生徒数が少ない癖に、無駄に広大だった。端から端までのんびり散歩でもしていれば丸一日を潰せてしまう。そのため学園の敷地内は、低級の移動魔法を行使することが許されていた。私は毎日風に乗り、障害物のない空をまっすぐに進んで、帰路に着く。
 
 魔都ウルスラ。王国の名と裏腹に、体内に魔力の泉を宿した人間は、稀だった。
 都の中央にある魔法学園アカデミーは、選ばれた者だけが、門を抜けることが許される。入学した際に才能があっても、卒業出来るかどうかは分からない。必要な成績を収めていなければ、即時に退学処分となるからだ。
「……次の試験まで、あまり時間がないわね」
 人知を超えた魔を自在に操り、そこから新たな力の可能性を模索する魔女。私達は大陸でも極めて稀な人種で、限られた魔女だけが、賢者の称号を得られるのだ。
 賢者となるべき者の育成に、王国は資金の援助を惜しまない。相応しくないと認められた者は、切り捨てられるだけ。
「……家に帰って、ご飯食べたら、勉強しなくちゃ。私には、自由な時間なんてないんだから」
 魔力の泉を収める器の大きさは、生まれた時から変わらない。その事実が、最悪の足枷となっていた。
 四大元素に関連した魔法は、誰よりも高速に、無駄なく駆使出来る。それなのに、大量の魔力を要するものは、どれもまともに成功しなかった。
 私は落ちこぼれだった。学園に在籍が許されていたのは、筆記試験において、全教科満点の成績を修めてこれたから。険しい道を諦めずに上ってこれたのは、目指していた人の背中があったから。
「……父様、私は必ず……」
 王城の騎士として、剣を携える父様。御姿を思うだけで、胸が熱くなる。このつまらない生を捧げるのに、相応しい方だった。
 心に閉ざした想いは、彼の人に伝えられるはずもなくて、ずっと、燻り続けている。

     

 学園の建物はどれも立派で、一人暮らしをするのに借りている家も、贅沢に過ぎた。
 家を出てきた生徒のほとんどは、従者を雇って共に暮らしているのが普通だった。けれど私は、他人に生活を干渉されるのが嫌で、ずっと一人だった。つい、最近までは。
「ただいま、アイリス」
 扉を開いたが、返事は帰ってこない。
「アイリス、いないの? 返事をしないなんて、どういうつもりよ」
 玄関は綺麗に整っていた。埃も舞わず、踏みしめた床はつるりと滑る。家事全般が得意でない私にとって、綺麗な自分の家というのは、どうにも違和感がある。
「……これはこれで、いいんだけどね……」
 汚れているよりは、綺麗な方が良い。良いのだけど、釈然としない。
 アカデミーに在籍して三年間、この家にずっと一人で住んできた。それが今では、常に誰かの気配が見え隠れしている。不思議だった。
 廊下を進み、リビングの扉を開いて中に入る。
「こまったよぅ、どうしよう、どうしよう……」
 ようやく、私の使い魔であり、従者であるメイドの後ろ姿が見えた。両手になにかを掲げ持って、それを座ったまま見上げている。
「アイリス、主人が帰ってきたのに、返事がないってどういう――――」
「ご、ご主人様のパンツっ……! ああっ! 洗濯したばかりなのに、こんなに香しいっ!」
 家に帰ってきた時に、物憂げになっていたその理由。
 メイドとしては優秀で、料理も掃除もしっかりやってくれる。しかしその中身は変態だ。
 しかもただの変態ではない。淫魔、サキュバス。
「ご主人様のパンツっ……! どうしよう、どうしよう、どきどきしちゃうっ!!」
「……そのまま、死ねばいいのに」
 こんな光景が、最近では日常の一部となりつつある。ちょっと泣きたい。
「あぁん、ダメだよぅ。もうすぐご主人様が帰ってきちゃうからぁ。でも、でもぅ。ちょっとだけなら、被ってもバレないよねっ!?」
「……被ってごらんなさいな。もれなくアンタの胸元に、綺麗な赤い薔薇が咲き誇るわよ?」
「ご、ご主人様!? いつの間に背後にっ――きゃうんっ!?」
 後頭部を踏みつける。前屈みになった背中を踏みつけて、こちらに向き直った後も、綺麗な顔を足蹴にする。
「あぁんっ! 帰って早々激しいよおおおぉぉぉっ!!」
「黙りなさい、永遠に黙りなさい」
「ひあっ! いやんっ! らめぇ! い――――がふっ!?」
「あぁ、なるほど。そこがいいのね?」

 げしっ、げしっっ、げしっっっ!

「ん、んやぁぁぁああああっ!?」
「猫が甘えるみたいな声、止めてよ。そういうの嫌いなの」
「い、いや、だっげふっ! そんはほぶっ! ひわれへもぎゅーーーぅ!?」
「お願いだから、無駄な運動させないで。疲れてるのよ」
「じゃあ踏まないでくださいいいぃぃぃーーー!」
「お腹すいてきたわね。今日のご飯は?」
「ま、まだ支度の途中で――あ、あ、そこ、らめえええぇぇ! そこは本当にダメーーーーッ!」
 アイリスが本気で泣きだしたので、そろそろ潮時かなと踏むのを止めてあげた。
 溜息をこぼして振り返った時、
「きゃっ!?」
「逃がしませんよぅ……ふ、ふふふふふっ……!」
「なにするのよっ!?」
「変態はタダでは踏まれません……っ!」
 しなやかな両腕が、胸のところで交差する。
「離しなさい! この変態っ!」
「げふっ……!? ……こ、ここで倒れるわけには……っ!」
 変態の体力は異常だ。肘打ちをかましても、倒しきれない。しかも、さらに密着してくる。
「輝ける未来のために……んふふふふふっ……!」
 鼻息が異常に荒い。綺麗な顔が歪んでいた。一言で表すと、キモい。
「好きですうううぅぅ! 愛してますうううぅぅぅ!!」
「やめてっ! 鼻息が熱くて気持ち悪いっ!」
「誰のせいで興奮してると思ってるんですかっ!」
「黙れ変態っ! 死ねっ!!」
「パンツはいてないご主人様に、変態とか言われたくないもんっ!」
「…………なっ!? はいてるに決まってるでしょっ!!」
「でもでも、ここに輝ける白パンツが」
「それは朝、洗濯してたのっ!」
「う、嘘ですぅ! 目の前のスカートの下には、エデンの園が広がってるんだもんっ!」
「広がってないから!」
「もう我慢出来ません! いよいよ物語はクライマックス! 十八歳未満閲覧禁止っ!!」
「なに言ってるのっ!?」
「敬虔なる破廉恥な使途が目にした物、それは純情な乙女を装った女に隠された一つの真実であった。ぱんつはいてない。のーぱん。はずかしくないもん。その素晴らしき叡智の響きに魅せられた愚者は、長き歩みを重ねてついにこの地に辿り着いた。今こそ未知なる秘境へと旅立たねばならぬ。颯爽と手を伸ばし、真実を求めし五つの鍵で解き放つのだ! 閉ざされようとも荘厳たる存在感を放ち続ける聖地の封印を! さぁ、道は今開かれた! 剥ぎとれ! めくり上げろ! 愛しき者のスカートを!!」

 ズバァァァァァァァァン!!

 学園指定のスカートが、変態の手によって、一気に引き上げられた。
「な、なにするのよっ!」
「嘘……そんな……どうして……パンツ、はいてる……の?」
「世界の終わりみたいな顔するなっ!!」
「らめぇ! こんなのらめぇ! ご主人様は、パンツ履いたら、めっ!」
「うるさい!」
「パンツ履くならせめて、もっとかわいいのにしてください。こんな色気のない無地の白パンツ、実にけしからんです。いえ、こういうのが好きな連中もいるんでしょうけど、さっきゅんとしては、もっとフリフリした、かわいいのがいいんです。苺模様だと尚良しです。ねっとりじっとりいやらしく、隅々まで舐めと―――ひでぶきゅうっ!?」
「死ねっ! それ以上怪電波を受信する前にっ! 今すぐ死ねっっ!!」
 
 どすっ。がすっ。ぼすっ。ばふっ。
 砂がたっぷり入ったサンドバッグを蹴っても、こういう音がするのだろうか。
 肩が荒く息をするぐらい踏みつけた。足元に広がる雑巾は、それでやっと静かになった。骨が軋む音と一緒に、口元だけが辛うじて、死ぬ寸前の魚のように動いている。
「……い、痛いですぅ……でも、気持ちいいですぅ……でも、痛いのぉ……でも、感じちゃうのぉ……でも……ぉぉ……」
 眼を虚ろにさまよわせ、空中へ独り言を繰り返す。その様子は、末期の薬物中毒者のようだった。しかし変態の体力は、並ではない。
「……もう、ご主人様ったら、激しいんだからぁ……」
 驚異的な自然治癒力で起き上がり、媚を売るように私を見た。
「ご主人様、本当はさっきゅんのこと、大好きなんでしょ?」
「それ以上喋るな、生ゴミ」
「な、生ゴミっ!?」
「ゴミに例えてもらっただけ、ありがたいと思いなさい」
「あ、あれれ……なんだろう、罵られたのに、胸が焦がれるようなこの感覚……!」
「そのまま燃え尽きればいいのに」
「どうしよう、どきどきが止まらないよ……っ! ご主人様ぁ! これが恋なんですねっ!?」
「純愛と性欲を混同させるんじゃないわよ、あと人の話をきちんと聞きなさい、産業廃棄物」
「さらにランクダウンっ!? も、もうダメ……壊れちゃう、壊れちゃうよおぉっ!!」
 屑は身悶えて、床を転がり始めた。いい加減、付き合うのが馬鹿らしくなってきたので、無視して食卓に向かう。椅子に腰かけて分厚い参考書に目を通していれば、そのうち転がることに飽きた変態が、満足した表情で食事の支度を始めるだろう。

     


 居間のテーブルに、二人分の夕食が並んだ。薄く切ったパンに、カボチャのポタージュ。
 そして香料を塗した山菜。
 強い香りが鼻をつく。食欲をそそる。異様にそそる。
 夕飯を担当したアイリスが、私の向かいの席に座っている。
「……アイリス」
「はーい。どうなさいましたか、ご主人様?」
 彼女はにっこり、優しい笑顔で微笑んだ。
 私はぷっすり、妙な香りのする山菜に、銀のフォークを突き刺した。
「食べなさい」
「いや~ん。ついにご主人様から、"あ~ん" をしてもらえる日が来るなんて……がふっ!?」
 無視して、思いっきり口の中に突っ込んでやる。アイリスは椅子に座ったまま、綺麗に後頭部から落ちていった。
「あ、あ、あっ、しび、れ、れ、て、き、き、きも、ち、い、いっ」
 陸にあげられた魚のように、不気味に跳ねているアイリス。やっぱり余計な物が仕込んであったみたいだ。油断ならない。
 席を立ち、ポタージュをスプーンに掬い取る。それをだらしなく開いたアイリスの口元へと注ぎ込んでやる。ついでにパンも一切れちぎって、突っ込んだ。
「……あ、あ、あっ……っ! ぅぐぅっ!?」
 噎せた。どうやら変なところに入ったらしい。
 その様子を、静かに観察する。
「パンとスープは平気みたいね。いただきます」
 席に戻り、粛々と食事を続けた。変態の作る料理は、不思議なことにおいしい。毒味をする必要があるのが面倒だけど。
 温かいポタージュの香りに舌鼓を打っていると、変態の手が、ぬるぬると起き上がってきた。
「けほけほけほっ! ひどいですよぅ!」
「自業自得でしょう」
「今日こそは、上手に仕込めたと思ったのに……」
「……その努力はいらないから」
 アイリスが椅子を引いて、向かいの席に座りなおす。そして手掴みで、パンを口元に運ぶ。
「下品よ。食器を使いなさい。使えないわけじゃないんでしょう?」
「はい。でもぅ、パンは、こうやって食べるのが、おいしーんですぅ」
 その時のアイリスの顔。幸福を一杯に詰め込んだみたいな、優しい笑顔だった。あまりにも幸せそうだから、その手にある一切れのパンが、世界に唯一存在している食べ物に見えてくる。
「…………変なの」
 彼女はいつも、満面の笑みで、パンだけを口にした。
「よこしなさいよ、それ」
「……ふぇ?」
「おいしそうに食べてるから。腹立つのよ」
「いいですよ。はいどうぞ。はんぶんこ、です」
「ありがと」
「はぁい」
 笑う。屈託のない笑顔で。二人で一緒に住み始めた頃、アイリスは従者の癖に、私と同じテーブルで食事をしたいと言ってきた。
 最初は断って、しつこいと踏みつけてやったのだけど、それでも、執拗なまでに求めてきた。理由を聞いても、応えなかった。
「いや~ん、とってもおいしいですねー。ご主人様ぁ」
「そうね……」
 悪くないと思ってしまう。二人で囲む食卓が、ひどく懐かしくて。
 私は黙って、スープを飲み干し、彼女と一緒に、パンをちぎって食べた。
 食事を終えた頃になると、外はすっかり夜の気配に満ちていた。

     

 夜が更けていく。灯りがなくては、廊下の先も真っ暗闇だ。
「アイリス、早く来なさい」
 寝室に繋がる扉の前で、アイリスを呼ぶと、廊下の先から激しく揺らめくローソクの灯が現れた。
「ご主人様、やっとその気に! 私はいつでも準備出来てますからあああああぁぁぁんっっ!?」
 頭が花畑で出来ている変態の脛を蹴りつけると、壊れた道化のように飛び跳ねた。
「い、今の一撃は、強烈でした……まさか強化魔術を使っていたとは、予想外ですぅ……」
「眠いのだから、あまり面倒なことをさせないで」
「……最近容赦の無さに磨きがかかってますね。嬉しいからいいですけど」
「今日はもう疲れたから眠るわ。ほら、髪を梳いて」
「それとなく、無視してますね。ご主人様ってば、強引なんだから―――んあああっ!?」
「ごめんなさい、アイリス。足が滑ってしまったみたいなの。しかも何故か踏みつけてしまったみたいなの」
「嗚呼……ネグリジェの姿でも、笑顔で従者をぐりぐりする貴女が素敵……っ!」
「うるさい」
 眉を細めて睨みつけると、アイリスは顔を赤くして立ち上がった。
「あ、はい、分かってますよぅ。踏まれるのも気持ちいいっていうか、ずっと踏まれ続けたいですけれど、ご主人様の髪もなでなでしたいから、残念だけど発言を慎みます」
「その腐った思考を、どうにか出来ないの。出来ないのよね。ごめんなさいね」
 溜息がこぼれた。これ以上無駄なやりとりをするのも嫌だったし、なによりも、
「……これ以上アンタとやりあって、慣れてしまうのが嫌……」
「大丈夫です。もう充分に、慣れ親しんじゃってますよぉ」
「断じて、親しんでなんかいないわ」
 アイリスが、愉快そうに顔を綻ばせていた。その様子が、不愉快で仕方がない。
 
 寝室。鏡台の椅子に座る。アイリスの細い指が、私の髪を撫でていく。
「相変わらず綺麗な髪ですねー。石鹸の香りも漂ってきて……なんか欲情しちゃいそう。夜のお供に何本か頂いてもいいでぐふうっ!? な、内臓が、口からはみ出ちゃう……っ!」
「ほらほら、手が止まってるわよ」
「……は、はぁい」
 アイリスは珍しく素直に返事をした。鏡の中に映る口元から、僅かに泡が噴きでていたが、見なかったことにした。
「ご主人様ぁ、一つ、質問をよろしいですか?」
「却下」
「……もうちょっと、考えてくれてもいいじゃないですか」
「却下」
「一つだけですよぅ。エッチな質問でもないですからぁ」
「……」
「無視ですか、無視りまくりですか?」
「……」
「…………ふぅ」
「ひぁっ!?」
 ぞわりと背筋が震えた。耳元に吹きかけられた熱い吐息が、体温を奪っていく。降り返って睨みつけて、頬を思いっきり引っ張ってやると、変態はそのまま奇妙な笑顔を作って、固まった。
「次やったら、ぶっ飛ばすわよ」
「ひゃいーー!」
 また素直に頷いた。変態がここまで素直だと逆に怖い。
 私は再び鏡に向き直り、鏡の中の彼女へ問いかけた。
「……手短に済ませなさい」
 アイリスが笑う。いつものように、無駄に明るい笑顔では無い、どこか優しい、儚げな笑顔だった。
「ご主人様はどうして、この学園に通っておられるのですか?」
「……なに、突然」
「魔力の器が少ないのに、それでも必死になってお勉強されているじゃないですか。その理由が知りたいのですぅ」
 予想外の質問に、すぐには返事を返せなかった。あやうく本音が出そうになった。けれど私の本心を告げるべき相手は、一人しか居ない。
「……魔力という古の力を解明することに、興味があるからよ。魔女ならば、誰だってそうでしょう」
「ご主人様、嘘はダメですよ」
「嘘をつく必要なんてないわよ」
「いやぁ、駄目って言ってるのにぃ……っ! 嘘ついちゃらめぇぇ……!」
「アイリス、その馬鹿みたいな応え方やめなさい。やめないと殴るわよ」
「嘘は、ダメですよ」
 鏡の中の彼女が、ほのかに笑う。その時の表情を、なんていえばいいんだろう。甘くて、優しくて、落ち着いていて……。
 心臓が高鳴っていく。鏡に映る私は俯いて、表情を隠そうとしていた。
「根拠もないのに、嘘とか言わないで欲しいわ」
「ありますよ。ご主人様を見ていれば、嘘だって分かります」
「なにが、どう分かるのよ」
「ご主人様は、とっても賢い御方ですからね。すっごくプライドが高くて、我儘でもありますし」
「……喧嘩売ってるの?」
「いいえ、私が知っているご主人様は、あえて、自分から苦難の道は歩まない方だということです。愚直にお勉強されていらっしゃるのは、アカデミーを卒業するためなのでしょうけど、ご主人様の性格なら、きっぱりすっぱり諦めて、もっと別の道を選択されるだろうなぁって、思います」
 顔をあげてしまった。鏡の中の彼女は、やっぱりね、というような顔をしている。
「……アイリスの癖に、生意気よ」
「ご主人様は、曖昧な目標や夢、ましてや興味心なんかで、動く人じゃないですからねぇ。ですから、誰なんですか?」
「だ、誰って……?」
「そこまでお尋ねしなくてもいいでしょう? 使い魔の身分としては、結構本気で妬けちゃうんですからね」
 からかうように、笑われる。常識の欠落した変態に、そこまで見透かされてしまうとは思わなくて、正直悔しかった。
「言いがかりもいいところだわ。いい加減に……」
「淫魔を侮っちゃダメですよ、その場凌ぎの嘘が通用すると思っていたら、ほっぺにチューぐらい甘いですよ?」
「うぅ……」
 今度はいつもの底なしに明るい笑顔。鏡の中の私は、白旗を振っていた。
「……私が、アカデミーに通っているのは…………」
 誰にも告げたことのなかった想いが、こぼれ落ちていく。

「私が賢者になりたいのは、父様と同じ職場で働きたいからよ。父様は魔導騎士団の隊長で立派な志を持ってて、凛々しくて格好よくて、厳しいところはしっかりと厳しい人なんだけど、時々見せる優しいところが大好きで、苦手な物なんてないように見えて実は甘い食べ物が苦手で、この前ね、一緒にケーキを食べてた時にね、甘すぎて涙目になって困った顔して言ったの。フィノ、父様の分食べちゃってって。これは誰にも内緒だからねって頭なでてくれたの。絶対忘れないわ。その時の、父様がお使いになられたフォーク、この部屋の机の中にあるのよ。他にもたくさん、コレクションはあるんだけど、私以外は、絶対触っちゃダメ! 私だけが許されるのよ。父様のコレクションを見て溜息ついたり、耐えきれずにぎゅうーってしたり、そっと指でなでてみたり、ちょっとだけ、ぺろっ、てしてみたり……ち、違うわよっ! 今の嘘! そんなことしてないんだからねっ! ……あぁ、でも。本当に父様って格好いいわ。正直この国がどうなろうと知ったこっちゃないけど、というかこの世界が、どうでもいい。戦争になって国が滅んだところで、天変地異が起きて大陸が沈んだところで、魔力の反乱が起きて世界が消滅したところで、父様が生きておられたら、それだけで充分。よく考えてみたら、世界が適度に崩壊していたほうが都合がいいよね。白い花が一本も生えていないような荒野に、父様と二人きり……えへ、えへへへへ……! あ、でも。その時に私が父様のお側にいないと意味がないわね。うん、そんなの考えるだけでも嫌。やっぱり早く、父様の剣となって盾となって、お側にいられるように頑張らなくっちゃ。それが私の夢だもの。小さい頃から、ずっと、ずっと、お慕いしてきたんだから。父様のためなら死んでもいいんだから。むしろ出来れば父様に最後を見取られたいなぁ。眠るような最後の一時を、父様に手を握って頂いて、愛しく抱きしめて頂いて、言えなかったけれど、僕はずっと君のことが、なんて…………きゃーーーー! どうしよーーーーーー!? 恥ずかしくって死んじゃいそーーーっ! 愛してます父様ーーーーーっ!!」
 想像しただけで顔が火照った。全身がどうしようもなく熱くなって、止まらない。どうしよう、どうしようっ!
「ご主人様、とってもよく分かりました。明日から病院に行きましょう。手遅れかもしれませんけど」
「あっ、ちょうどいいところに感情の発散先がっ!」
「ふぇ?」

 どすん。がすん。ぼすん。ばっふん。
 どすどす、がすがす、ぼすぼす、ばふばっふん!
 めぎゃっ、ぼぎゃっ、ごきっ、ぐきっ、
 どごごごごごごっ、ががががががががががががっ!!

 ぐちゃ。べちゃ。ぼと、ぼと、ぼと……
 びちゃ……びちゃり……ぷちゅんっ。

「ふぅ……」
 少し落ち着いた。まだ淡い感情が胸の中を焦がしていたけれど、それでも今は、清涼な風が吹き抜けていくように爽やかだ。一度、深呼吸をして横になれば、今すぐにでも眠れそう。
「……寝よ」
 一つ欠伸をしてベッドのシーツに手をかけた。その時だった。
「ご……しゅ……さ……ま……ぁぁ……あ……あ……はぅあっ!?」
 ベッドの端にしがみつくゴミを蹴り落として、ふかふかのベッドにくるまれる。
 明日もまた、頑張らなくちゃ。父様の夢が見られるといいなぁ。
「怒っていいですよねっ!? 今回は、さっきゅんが怒っていいんですよねっ!?」
「うるさいわね、早く出て行きなさい」
「ありえませんよ、その反応はっ! そもそもあの展開で、さっきゅんがフルボッコにされる理由ないですよねっ!?」
「あるわよ。存在が無駄」
「ひどっ!! 普通の人間なら今頃、天使や悪魔と、握手会の真っ最中ですよっ!?」
「むしろ、どうして生きてるのよ」
「変態の生命力は世界一ですっ! 死なないもんっ! 死んでも生き返るもんっ! クレジット無制限の、コンティニューやりたい放題なんだからぁっ!」
「なにを言ってるか、全然分からないわ。とにかく出ていって。邪魔よ」
「用がなくなったらポイですか!? さっきゅんなんて所詮、体だけのお付きあごふっ!?」
「うるさい、出ていけ」
「ひどいですぅ……ごめんね、アイリス。今日は一緒のベッドで寝ようね……とか……」
「明日の朝食、こんがり焼けたパンに、木苺のジャムと蜂蜜を用意なさい。牛乳はしっかり冷やして、私が食卓と着くのと同時に出しなさい。ただし、今日みたいに変な物混ぜてたら、二度と口を聞かないわよ。はやく出ていけ」
「分かりましたぁ! このファザコン娘っ! ファザコン娘ぇ! ファザコン娘ええぇぇぇっ!!」
「うるさい! ファザコン連呼するなっ! 私は、そういうのとは違うんだからっ!」
「いいえ、どこからどう見ても、立派な特殊性癖を持った女子ですぅ!」
「う、うるさいっ!!」
「ふーんだ。ご主人様の異常変愛しゃあばっふぁ!?」
「黙れ! 父様がそこらの男共より格好よすぎるから、仕方がないのっ!!」
「……ご主人様、そろそろ自分が末期だって気がつかないと、危ないですよ?」
「ち、違うもんっ! 私、フツーの女の子だもんっ!」
「キャラがどんどん壊れてますよ。ねぇ、認めて楽になりましょうよ。実らない恋心なんて捨てて、アイリスと一緒に、新しい扉をこじ開けていきましょう?」
 アイリスがとてもいい笑顔で、片手を差し出してきた。
 平手を返して、噛みつくように言い返す。
「お断りだわっ。血の通った親子だからって、あきらめるなんて絶対嫌っ!」
「あぁ……もう……手遅れ、なんですね…………おいたわしや……」
「憐れむような眼で見るなーーーっ!!」
 肩で荒く息をついて、一息に吠えたてる。後は眠るだけだったのに、アイリスの馬鹿!
 妙に清々しく、勝ち誇った笑みのアイリスをこのままにしておくのは、プライドが許さない。
「アイリス、貴女もなにか白状しなさいっ!」
「本当に負けず嫌いですねぇ。ご主人様」
「うるさい! はやくっ!!」
「分かりました。それでは白状致します。赤裸々に、包み隠さずに、全てをお話致しましょう。特別に魔界電波も受信して、全発言を自然な十八禁に変更して、お送りいたしますぅー」
「ちょっ……!」

 こちら、エスゼットビーエッチっ! こちら、エスゼットビーエッチっ!
 夜も眠れぬ淫らな放送をおとどけするよっ!
 むかし、むかしのあるところにねっ! 魅力的で、ナイスバディの、エッチな悪魔がいたよっ!
 エッチな悪魔は、夜になるとねっ! すごいんだからねっ!
 どんな風にすごいかって言うとねっ!

 ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 ……というぐらいすごいのっ! はい、おしまいっ!
 二人はそれからも、すえながーく、幸せにくらしましたとさっ!
 めでたし、めでたしっ。その翌朝っ!
 学園のゴミ捨て場に、名も知れぬメイドが捨てられていたんだって!
 くすんくすんって泣きながら、誰かのパンツを握り締めていたんだって!
 不思議だねっ! じゃあまた次回っ!
 どっとはらいっ!
 

       

表紙

三百六十円 [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha