「あの鳥さん、汚れてるね」
昔、私はカラスを指し、親にこう言ったそうだ。
勿論その時見たカラスがどんなカラスだったかなんて覚えていない。黒いからそう思ったのか、酷く羽が乱れていたのか。
何故そんな事を思い出したのかというと、目の前でカラスが生ゴミを漁っているからだ。
確かにカラスは酷く汚れているように見える。黒い羽が乱れていて、生ゴミを啄ばんでいる姿を一言で表すなら、汚らわしいのだ。誰が見ても汚れているように見えるだろう。
きっと子供だった私は思いのままを親に伝えたのだ。
ゴミ出しについて来ていた娘がカラスを指し、私にこう言った。
「あの鳥さん、汚れてて可哀想だね」
聞いた途端、私は酷く不快な気分に変わった。
何が可哀想なものか。カラスが散らかした後始末を誰がするというのだ。
カラスを可哀想と思う娘が酷く汚いモノに思えた。
でも、分かっているし、気づいている。これは嫉妬なのだ。
きっと娘は汚れてないし、カラスも汚れていない。
汚れているのは私の心だ。綺麗にする事なんてもう出来ない。
けれど、これからカラスを見る度に思うだろう。
「カラスは可哀想だね」
そう思えるだけ他の大人よりは綺麗な心で居れる気がした。