泥辺五郎短編集
「ないはなし」(小片十編)
『鳥』
家に帰ると鳥の鳴く声がする。外ではなく、家内で鳴いている。羽ばたく音が耳元ですることもあるが、姿は見えない。窓を開けてやると、ひときわ高く鳴き、そのままいなくなった。
『髪』
髪が抜けていく。歩くたびにどさりどさりと抜け落ちる。人は哀れみを込めてこちらを見る。髪の毛ばかりでなく髭も眉も落ちる。後ろから年かさのあやふやな童子がついてきて髪を拾う。
「それで何をする」と問うと「いいから落とせ」と怒られた。
『虹』
夢の中で見る虹は黒と白の二色で、青い空をモノクロで区切っている。隣で同じ虹を見上げる女の瞳を覗き込むと、七色に滲んでおり、黒目も白目もない。
『袖』
服の袖を、見覚えのある指が引く。指の先には手首が、手首の先には腕が、その先には肩が続くが、肩の先には別の腕や手首があるばかりで、顔も胴体もない。
『目』
口づけをしようとすると女達は決まって目を閉じる。その様を眺めていると、様子を窺うようにこわごわと女は目を開ける。ある時目を閉じたまま全く動かなくなる女と出会った。眠っているのかと思い指でまぶたを開くと、眼球が消えてなくなっていた。
『首』
首のない幽霊が出るという友人の家を訪ねると、彼は、今朝職を失ったのだ、という。これも霊障だ、と笑いながら喋る友人の手には包丁が握られており、床に転がる女の生首はどう見ても生身の人間のものに見えた。
『背』
数年ぶりに会った姉の背が縮んでいた。こちらより頭一つ高かったのが、逆に頭一つ低くなっている。腰も背中も曲がってはいない。一晩泊まっていき、寝ている間は昔の背丈に戻っていた。思わず触れると目を覚まし、また縮んだ。
『猫』
湯舟に水を張っても空になる。栓はしてあるし蒸発するほど沸かすわけでもない。何度目かの折に風呂場の戸を開けると、先年亡くなった隣家の黒猫が湯を舐めていた。
「飲めるから飲むのだ」と猫がいう。一舐めごとにごそりと湯がなくなった。
『十』
短い話を十編書いた。しかし読み返すと九編しかない。数え違いかと思い、新たに一編書き足した。しかし確かめるとまた九編になっている。消えた一編の内容は思い出せず、自分で消した覚えもない。よくよく見れば、残っている話に自分で書いた覚えのないのが混じっている。
(了)