Neetel Inside 文芸新都
表紙

泥辺五郎短編集
「春江さん」



 春江さんは優しい人でした。少しばかり優しすぎる人でありました。

 行き倒れにはあたたかい飯を食べさせてやり、一人寂しく病に伏している者がいればつきっきりで看病してやり、性欲を持て余している奴がいれば春江さんは体を預けました。彼女はもう七十歳を過ぎておりました。彼女の行為を受け止める町の連中は皆ろくでなしで、変態でありました。

 私ですか、私も春江さんには何度もお世話になりました。四十歳を超えてまだ芽も出ないのに物書きという職業に執着しているくずでございますから、それはもう春江さんには何度も命を助けていただきました。出ない乳を吸い、濡れない陰部を舐め回しました。そのような顔で見られても恥とも思っておりません。この町には春江さんの他に女といえば皆旦那持ちか病気持ちですから。それも男と比べて数が少なすぎるものですから。若い連中は男も女もほとんどが、あなたたちの居るような都会へと出ていってしまいましたから。

 わかっています、わかっています、話を進めましょう。あの日最後に春江さんと会っていたのは私です。その日も彼女とは抱き合う予定でした。「柿、もいできたんよ」と彼女は言いました。二人で柿を食べながら、私は今構想中の小説の話を彼女に聞かせました。『壊れたデッサン人形』という話で、題名はまだ本決まりではありませんが、話の大体のあらすじは出来ていました。貧乏で金がなく、デッサン人形が壊れても買い換えることが出来ないまま、絵の修行を続けていた画家が主人公の話です。いびつなデッサンを重ねるうちに、いつしか彼は歪んだ肉体しか描けなくなっていました。しかしその絵が奇妙な迫力がある、と評判になり、彼の絵は売れ始めます。

 はい、申し訳ございません。私の小説の話は今問題ではありませんでした。もう金輪際小説の話はいたしません。春江さんの話をしましょう。結局その日、私たちは抱き合いませんでした。春江さんは気分が悪くなったと言って帰り支度を始めました。柿は二人で十個ばかり食べました。一つ渋柿が混じっておりました。自宅の庭に生えている柿の木からもいできたと彼女は言っておりました。この辺りは物騒な土地ですが、木々はよく育ちますから。不味いものばかり生りますが、我慢すれば食えてしまうものですから、私のようなものでも生きていられるのです。

 しかし春江さんが殺されたなどとはまだ信じられません。この町に住む私の知っている連中は、殺すよりも殺されたがっている人間ばかりです。春江さんはそんな私らを唯一構ってくれる仏のような方でした。

 小説の話を聞きたい? どうしてでございましょうか? ああ、春江さんが気分を悪くした原因かもしれない、と。いや、私の妄想にそのような力はございません。何しろ二十歳の頃に小さな賞をいただいて以来、どこからも見向きもされないまま、二十年以上が経ちましたから。

 画家の話でございます。男は不安定な形の人体を描く画家として成功いたしました。しかし絵が売れに売れ、懐が潤えば、新しいデッサン人形などいくらでも買えます。人間のモデルだって雇えます。それらはどれも綺麗なものです。彼が長い下積み時代の間慣れ親しんできた、いびつでおぞましいデッサン人形とはかけ離れた代物でした。次第に彼の創作意欲は衰え、絵もろくに描けなくなります。幸い長い間描き溜めていた絵がありましたのでお金には困りませんでした。それが一層彼の虚しさに拍車をかけました。

 彼はあやまちを犯します。雇ったモデルの腕を折り、足を折り、痛めつけ、その様を絵に描きます。描き終えると首を折って殺して捨ててしまいます。若い女だけではなく、子供や老人の乞食をさらってきて、絵に描いた後でその手にかけてしまいます。そういった連中がいなくなっても、ろくに探されもしない時代の話です。

 自画像の注文が画家に来ます。長年描き続けてきた絵の中の人物たちと同じように、いつしか画家自身の顔もゆがみ、醜いものに変わり果てています。けれど画家は自身のいびつさはそのまま写さず、キャンバスには整った顔立ちの優しげな男の顔を描きます。

 物語はこれで終わりです。男の罪が暴かれるとかそういった結末はありません。私は最後に救いのある作品というのがどうも好きになれないのです。信じられないのです。お話という嘘をことさら嘘だとしつこく言い張られているような気分になるのです。「私はもう少し救いのある話がええねえ」と春江さんも言っていました。「もうちっとこう、あったかい恋愛小説とか」とも言っていました。私も、自分と春江さんをモデルにした小説を書こうと思ったこともありましたが、一体そんなものを誰が読みたいと思うのでしょう。「私が読みますよ」と彼女は言いましたが、私にはそれだけでは足りないのです。もっと大勢の、町中の、いや、国中の人が読んでくれるようなものを書きたいのです。あなた方、どうでしたか、さっきの『壊れた自画像』、いや『壊れたデッサン人形』でしたか。ひどい作品でしょうか? それとも少しは面白いと思っていただけるところがあったでしょうか?

 ああ、はい、そうですか、ありがとうございます。

 ええと、ああ、春江さんを恨む人間に心当たりですか? いえ全くございません。先ほど述べたように私たち皆春江さんには大変お世話になっていましたものですから。おかげで、死にたいとか消え入りたいといった気持ちはほとんどなくなっておりました。このような腐った町で、ぼろぼろになりながら生き長らえることも悪くはないなと思うようになったと、皆口を揃えて言っておりました。ですから春江さんが殺されたなんていまだに信じられないのです。

 これから生前の春江さんと最近つき合いのあった連中のもとを回るのですか、そうですね、思いつくばかりでも二十人くらいにはなりましょうか。肉体関係ですか? ほとんどの連中とあったと思います。彼女は誰でも受け入れてくれましたので、私たちも誰でも入り込んだのでございます。

 ええ、何度も言うように、春江さんが二十本ものナイフでメッタ刺しにあったということに関して、私が答えられることは何もありません。あの日気分が悪くなったと言って帰ったことから考えるに、以前からどこか体をおかしくしていたのかもしれません、何しろ歳が歳ですから。それを悲観しての自殺か、余所者の仕業でございましょう。

 あ、もう行かれるのですか。忙しくなりますものね、申し訳ありません。ではあの、最後に一つだけよろしいですか、先ほど私の話した『いびつな老女』いや、これは違う話です。『歪んだ自画像』でしたか、あの話はどう思われましたか? ああ、さっき答えた、そうでした。いろいろと話がごちゃ混ぜになっていました。

 では。では。他の連中のところへどうぞ。ええ、でもきっと、誰一人春江さんを殺したなんて言う奴はいないと思います。春江さんは優しい人でしたから。優しすぎるぐらいの人でしたから。そんな人を殺せる奴らなんてとても人間とは思えません。


(了)
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