四月一日、入学式の朝。鳥達がさえずり、朝日がまぶしく輝いている。いい光景である。
が、たったいま二階にある自分の部屋で攻防戦を繰り広げている真島新太にはあいにくそんな光景を眺めている余裕などない。
新太と攻防を繰り広げているのは少女だ。身長は新太と同じ百七十センチメートルぐらいで、体は筋肉質だ。顔の彫りが深くて、髪はさらさらで金色をしている。またいとこのニーナ・アリゲールだ。
名前や容姿から分かる通りニーナは日本人ではない。戸籍は日本にあるがロシア人だ。ニーナの母方の祖父が新太の祖父と兄弟なのだ。
新太の祖父の兄の真島栄太郎は旧日本兵だった。彼はシベリアに抑留され、現地の人間と恋に落ちた。その後二人は結婚。産まれた子供がニーナの母というわけだ。そのため、ニーナの体には四分の一日本人の血が流れている事になる。
ニーナは紆余曲折を経てロシアから日本の真島家へとやってきた。ニーナが三歳のときである。
いつごろからか、ニーナはベッドからなかなか出てこない新太を起こす役になった。そして抵抗する新太との争いはだんだんと加熱していった。
「新太。起きて」
そう大声で叫んでニーナは新太の体を布団の上からぽんぽん叩く。だが新太は布団に深く潜り
「あと。一分。一分だけ」
と答えるだけで起きようとはしない。だんだんとニーナの表情が曇っていき、叩き方も強くなっていく。業を煮やしたニーナはついに布団を引っぱがすという実力行使に出た。
二人とも全力で布団を引っ張る。新太はこれではまるでイスラムかどこかの反政府組織のようだなと思った。
やがて帰宅部で体力をつけていない寝起きの新太はバスケットボール部のキャプテンであるニーナに完全に布団をひっぺがされた。やむなく新太は立った。
「さあ。ご飯食べよ」
と言うニーナに対し、新太は
「国家権力には負けないぞ」
と寝ぼけ眼で小さく呟いた。が、その呟きは聞こえていなかったのか、ニーナは無視して一階に降りていく。いや、もしかしたらシカトしているのかもしれない。
新太は仕方なく顔を洗うため洗面所に向かった。鏡に映っている新太の顔は中性的で、小学生のころにはたびたび女の子に間違われた。身長はニーナと同じくらいだ。太ってもいないし、やせてもいない。
新太は部屋に戻り眼鏡を掛けて一階に降りていった。新太の視力は相当悪くて、眼鏡をかけないとろくに生活できないのだ。
真島家では朝食は四人で摂る。いまどきでは珍しいかもしれない。
新太の両親とニーナがもう食べようとしているときにやっと新太が席に着いた。
「うー。まだ眠たいよ」
誰にでもなく新太はつぶやいた。ニーナが答える。
「夜更かした自分が悪いんでしょ」
新太はすかさず、少し切れ気味に反論した。
「俺は宿題をやってただけだよ。悪いかよ」
「私はとっくの昔に終わってたよ。サボってたんでしょ」
そうニーナは笑いながら言った。朝食の会話は基本ニーナと新太で行われる。母はたまに口を出すが、寡黙な父は滅多にしゃべらない。
やがて新太が食事を終え、部屋に戻ろうとした。が、皿にはまだ料理が残っている。
新太の母親が注意する。
「新太、全部食べないとダメでしょ。命をいただいてるんだから。無駄死にでしょ。食べてあげなきゃ」
やれやれ。新太は自分を子供扱いする母親の態度に最近辟易していた。新太は母親の方をしっかりと見つめて淡々と答えた。
「俺だったら嫌だよ。殺された上に食べられるなんてことは」
母親があきらめ顔で
「まあ」
と呟く前に新太は部屋から出て行ってしまった。
やがてニーナも食事を終え二階に上がってきた。二人は各々の部屋で着替えたり、学校の準備をしたりする。
七時四十分。二人は自転車に乗って学校へと向かう。二人の会話は主に昨日のテレビ内容とかそういう他愛のないものだ。
その途中で二人と一緒に合流するのは新太と昔からの友達の木島駿だ。駿は色が浅黒くて背が小さく、素早い。が、頭の方はお世辞でもよいとは言えない。
新太は彼のことを内心馬鹿にしていたが、その反面うらやましいと思うところもあった。
駿は二人に会うなり、笑いながら言った。
「やべえよ。俺宿題終わらなかったぜ」
ニーナは毎度のことなので
「そう」
と普通に返した。新太はいつもならしょうがねえよな。とか言って終わりなのだが、今回は違った。
「そもそも春休みの宿題なんてものがあるのが悪いんだよ」
ニーナが反論する。
「そうは思わないけど」
ここから新太の怒濤の如き、宿題害悪論が始まった。
「だいたい家で学習させるのは教師の怠慢じゃないのか。給料泥棒だ。それに自主学習なんてそう効果が上がるもんじゃない。それにやる気がなくだらだらやっても効果がない。現にアメリカでは春休みの宿題なんてものは存在していないんだ」
その言葉に駿が食いついた。
「えっ。まじかよ。じゃあ俺アメリカに生まれりゃ良かったな」
反論しようとしていたニーナは新太の勢いに吞まれ、何も言い返せなかった。新太が勝ち誇った顔でニーナの顔を覗き込み、言う。
「ニーナ。何か言うことはないの」
「ほんとに新太ってひねくれ者ね」
ニーナは口喧嘩で新太に負けるとたいていこう言うのだった。
一方の新太は
「だいたいなぜ俺たち三年が入学式に出なくちゃ行けないんだ」
と言い始めていた。
そんなことを話しているうちに新開橋についてしまった。ここを渡れば学校はもうすぐだ。
三人の会話は少なくなっていった。新開橋から学校までは急な上り坂で二年間上り続けて慣れた三人にとってもつらいのだった。
そんな坂をどうにか三人は上りきり、学校に到着した。三人の学び舎である新開中学校に。