Neetel Inside ニートノベル
表紙

蟲籠 -deity world-
逃走の禍の真

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「おい!和也! どこ行くんだよ!」
「知らねえ! ここじゃないどっかだ!!」
「ど、どこへ行くの?」
「そこがわかんねえんだ! どっか、安全な場所に……」
「だったら、せめて俺の家に来い! 今は親がいないからな!」
「……それが無難だな。急ぐぞ!」


 家から飛び出して早数分。
 直感でどこへともなく駆け出した和也を、宗太は自転車で追いかける。
 どうして和也が飛び出したのか、宗太はようやく理解した。

 ……"あの瀬川と言う男が、犯人かもしれない。"

 そうなると、宗太の中にあった瀬川への信頼感は、音を立てて崩れ始めた。
 瀬川さんが犯人?ということは、あの人は俺を騙していたのか?俺は、あの人の掌の上で踊らされていたに過ぎないのか?
 数々の疑念が脳裏に飛び出し、あっという間に思考を埋めつくす。

「…………」

 だがそれでも、去り際に見た瀬川の悲しい顔は、疑うことが出来ない。あの顔は、殺人者やそれの類のものが決して表現することの出来ない、純粋な悲しみだった。
 それを思って罪悪感と疑念が混ざり合い、どう表現のしようもない感情が、溢れた。
 今はただ、和也の隣で自転車をこぐ。
 それしか、できない。

 和也は倉野を背負って走ると、

「あれは……タクシーか? 丁度いい、迂回して行ってもらおう」
「な、何でだ?」
「いくらか、目くらましにはなるだろ」

 そう告げると和也は速度を上げ、視界の先にあるタクシーへと駆け寄り、

「すいません! 実は………………!?」








 その中に、表面を蛆が這い回る"半ば人間の形状をした運転手の成れの果て"を見て――






「……クソッ!! 倉野、目を閉じろ!!」

 言わずもがな目を閉じている倉野の返事は待たず、和也は再び走り出す。
 何故かその後を、自転車に乗った宗太が追う。


「畜生……!!」

 和也は後悔にも似た怒りを露にした。
 これほどの危険事態は、人生の中でも最高クラスかもしれない。そう考えると、あの場にはいてもたってもいられなかった。
 何よりも友人の身の危険を案ずる和也として、不意を突いて逃げ出す以外、他に道は考えつかなかった。考えるより、身体の方が本能的に先に動いた。
 そして現在、宗太の家を目指して倉野を背負いながら走っているに至る。
 和也の神経は、もはやそれ以外のことを行動することを赦さなかった。

「早く……安全な場所に……!!」
 何度もそう呟き、和也は遠く離れた宗太の家へと、脱兎のごとく走る。




「……和也…………」

 宗太はそんな友人の後姿を、見つめることしか出来なかった。





         †




「……そうか、大変だったね。ありがとう。それじゃ、また後で」
 そう言って、五條は一世代前の電話の受話器を置く。
 昨日と同じ部屋に集まった静馬たちは、朝早く飛び出していった瀬川の行方を追っていた。追っていたとは言っても、ただ瀬川との連絡を交わしていただけだが。
「……どうやら"蟲"は、片付いたみたいだね」
 五條は空いた椅子に腰を下ろすと、安心するように言う。
「昨日から祐一が目を付けていた家の中に、やはり"蟲"及び《潜有者》がいたということだ。本体もそれほど強いわけでもないと言うことだし、今回はやけにあっさり収まってしまって逆に申し訳ないです。それでも解決したので、良しとしましょうか。どっとはらい」
 唐突過ぎてどうも釈然としない静馬は、
「なんだか、拍子抜けですね……」
「ほんと、私が"蟲狩り"してたの馬鹿みたいじゃない! 大体何よ、何の置手紙もなく飛び出して、私達の力も借りずに"蟲"を退治して……」
 静馬の隣で、どうやら不機嫌のエリカがぶつくさ愚痴をこぼす。
「でも、本当いきなりでしたよねー。私が起きたら、もう瀬川さんが退治しちゃった、っていうんですからね」
 と、つい先ほど起きたばかりの柚樹が、感心したように呟く。
 雪村は、腕にした革ベルトの時計に目を遣り、安堵の溜め息をつく。
「まだこんな時間ね……。折角だから、夕方までお邪魔してようかしら」
「ええ。構いませんよ。あと、こんな時になんですが……、誰か、一緒にお菓子を買いに行くのを手伝ってくれないかな? 一段落ついて、あとお菓子もそろそろなくなりそうなので、ちょっと運動がてら買ってこようかと」
「あ、それじゃあ私行きます!」
「そうかい? ありがとう、助かるよ」
 まるで昨日までの緊張感が嘘のように、皆、他愛のない笑顔を振りまく。
 大国の戦争に勝ったかのように、安堵に満ちた表情で部屋が満たされる。

 そんな中、二人だけは笑顔をこぼしていなかった。

「大体なんなのよ……私は……そう……蟲を……ああして……そう!……すばらし……」
 そのうちの一人、駿河エリカは罵詈雑言に似た愚痴を吐きながら、次第によく分からない妄想世界へと入り浸っている。
 五條曰く、標的を横取りされたときの彼女は、いつもこうなると言う。
 そして五條曰く、放っておけば治るということだ。

 かくいう静馬は、そんなエリカを横目に一人奇妙な不安に襲われていた。
 何か、どこかで感じたことがある、恐怖に怯えたときの不安感。心もとない、一人で窓のない部屋に閉じ込められたような、孤独的に限りなく近い焦燥。
 以前にも、確かこういうことはあった。
 以前にも。それは……



(……あの事件のときだ)



 数週間前に遭遇した、静馬の過去から現在のトラウマによる"蟲"。
 確かそれが学校に潜んでいたときも、静馬は妙な不安を覚えたことを、おぼろげながら覚えている。自覚はなくとも、瀬川がそう言っていた。
 だとすると、この暗雲が垂れ込めるような、不安の原因は一つしかなかった。

「どういうことなんだ……」

 確かにこの事件の"蟲"は、瀬川が殲滅した。それは疑いようのない、紛れもない真実。
 それだから普段用心深いと言う五條も、ああやって気が楽になっているのだろう。"蟲"を退治したというのと、それを倒した瀬川が己のトラウマを乗り越えたということで。
 もはや"蟲"が生きている要素、証拠など一つも見当たらない状況だった。





 しかし。
 静馬の身体の奥で、"何か"が察知した。
 耳の奥で、小さな生き物が跳ねるような、小さな痛みが走る。





 確かに"蟲"は死んだ。一度、死んだ。
 瀬川の手によって、瀬川を襲った蟲と同じ種族の蟲が、倒された。
 …………? 待てよ?
 今回の"蟲"が、昔瀬川さんが襲われたときのものと同じ?何か引っかかるな。
 その蟲って確か、五條さんが特徴言ってたよな。
 何だったか、えっと……。
 ………………
 …………………………









「…………!!」

 ふと、静馬の脳内推理が、ある一点で合致した。
 五條の言っていた蟲の特徴は、『恐ろしく繁殖力が強い』ということ。
 と、なると…………。


 ―――――ー


 そうか。そうなるのか。
 そういうことだ。つまり…… 




「……まだ、終わっていないんだ」

 まさかの言葉に、思わず場が凍りつく。
 身支度をしていた五條が、疑問に思う表情で静馬に駆け寄る。
「終わっていない? 何がだい、静馬君?」
「この《蟲害》がですよ、五條さん」
「…………!?」
 すぐさま全員が机に戻り、疑問のこめられた表情で静馬を見つめる。
「どういう……ことなのよ? 海部津君」
 初めてエリカに名前を呼ばれたが、そんなことはどうでもいい。
「まだ、"蟲"を殲滅することは出来ていません。……それと、瀬川さんの身が、危ないです」
「瀬川君が? どういうことなの?」
 雪村の問いに、静馬は答える。
「具体的にどうとかはありませんが、予感がするんです。あの時の感覚にも似た――――、そう、あの事件のときに似た感覚が」
「まさか……学校の!?」
「えぇ」
 静馬は俯き加減で、
「僕の"力"なのか何かは分かりませんが、これから起こることが、大体わかります。予言とかそういう大それたものじゃなくて。確証のない、強い確信が。
 ……今から、この後起こるだろう事を、僕の推理とその感覚を組み合わせて話します。もしそれが当たったとしても外れたとしても……。結果は、変わらないと思いますが」

 そう言って、静かに静馬は語りだす。






         †




 時計の短針がもう、十二時を射そうかという時間。
 古ぼけた一戸建て。中山宗太の家の中に、彼らは逃げ込んでいた。……瀬川という、得体の知れない霊能者から。
 和也は居間のソファに座り込むと、ふぅ、と疲弊しきった溜め息をつく。
「何とか、逃げ切れたみたいだな」
「ああ。出入り口の玄関や窓も封鎖したし、事が落ち着いたら警察にでも連絡しよう」
 宗太は冷蔵庫から適当に飲み物を取り出し、和也に投げ渡す。
「それで、倉野は?」
「なんだかめっちゃくちゃ疲れてたみたいでな。まぁ当然だろうが、二階のお前のベッドに寝かせといたよ」
「俺のベッドだって? 下に隠してる本は見つけられないよな?」
「そんなことできる状態じゃないだろ。てか、お前隠してたのかよ! お前も男だな!」
「男で悪いか!」
 笑い合いながら、二人は久しぶりに語り合った気がした。
 何か失いかけていたものを取り戻せた気がして、和也は心の底から笑うことが出来た。
 それこそ、本当に久しぶりの笑顔。

 一頻普段しない世間話だの何やらを話し終えると、和也は思い切り伸びをした。
「で、これからどうするよ?」

 軽く言った一言だが、同時にそれは現状への回帰でもあった。
 霊能者から追われて、姿をくらましている段階の、今。

「そうだな……。親は出張でしばらくいないから、念のため三日くらいここにいたほうがいいと思う。俺は」
「やっぱ、そうなるよな……、必然的に」
「あぁ」
 和也はミネラルウォーターを一気に三割ほど流し込むと、少しくぐもった声で、
「だが、本当にあいつは何なんだ……? ! そういえば、宗太。お前、なんかあいつと知り合いみたいな感じだったけど……」
「あ、そうだな。その話を、しないといけないな」
 宗太は飲み物を机の上におくと、少し神妙な表情をする。
「あの男――瀬川とは、昨日、帰り際に遭った。それで、なんか変な化け物に襲われて、あいつが助けてくれた。そして、なんか蟲だのわけの分からない事言って、終いには俺達の友人の中にこの事件の首謀者がいるって…………あ……」
 ふと和也の顔を見ると、その表情はわずかに曇っていた。
「わ、悪い。何か気に障ったか?」
「いや、何でもねえよ。高原の奴、何であんなことをしたのか今でもわかんねえけどよ……」
 和也は弱く舌打ちして、宗太に続きを話すように促した。
「それで、俺は家から出るなって言われたんだ。翌朝、そいつから電話がかかってきてさ。倉野の家に行けっていうから、自転車ブッ飛ばして漕いでったら……」
「……俺がいたって事、か」
「ああ」
「ますます、訳わかんねーなー……、高原も、瀬川って奴も」
「ま、今はどうしようもないだろうし。俺達は息を潜めていようぜ」
「……それが妥当なセンだな」



 その後しばらく話して、二人の結論は合致した。
 霊能者の瀬川は、実はこの事件の首謀者。
 そして高原は、瀬川に操られて倉野を殺しかけた。
 倉野は、理由は分からないが瀬川に恨まれ妬まれされ、殺されかけた。
 解決手段としては、三日ほど息を潜めて、その後警察に連絡することだった。
 本当はすぐにでも駆けつけて欲しいのだが状況が状況な上、瀬川という霊能者は奇妙な力を使うので、油断は出来ない。
 倉野は怪我はしていたものの、そこまで重症というわけでもないので簡単な治療ですみそうだった。
 というわけで、時間つぶしに二人は再びくだらない雑談をはじめ、それは長いこと何時間にも及んだ。


 彼らの行動が、正しかったのか、間違っていたのか。
 それは、後々分かることになる。



 そして――――










 二度目の夜が、やって来る。


       

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Neetsha