Neetel Inside ニートノベル
表紙

蟲籠 -deity world-
惨劇の始の焔

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 和也の言葉に反応するように――――






 "にちゃ、"




 と、人間の臓器を素手で握りつぶしたような音を立てて、その異形は笑う。
 笑っていたのかは――分からない。ただ、表情を変える。

「やっぱり……お前……」

 舌が縺れて続きが上手く言葉に出来ない和也の後ろで、宗太の顔が恐怖で強く歪む。
 目の前に立っている、狂った少女。かろうじて人間と見て取れる、前代未聞の生き物。
 それが同級生である高原唯だとは、若干事情を知っていた宗太にしても信じがたい、それでいて否定しようのない事実であることは、間違いない。
 友人たちの中に、この事件の首謀者がいる。
 まだ高原が犯人だとは確定したわけではないが、その可能性を信じるだけでも、宗太の精神は充分すぎるほど崩壊しかけていた。
 骨が抜けたように脚が力をなくし、震えている手はまるで昔テレビで見た麻薬依存精神障害者のものと瓜二つだった。
 宗太の視界を遮るようにして立つ和也も、それは同じのようだった。
 宗太はもはや、座ってみていることしか出来ない。
 そして、

「何でだよ……高原……」

 憤慨と慟哭の入り混じったような声で、和也は返ってこない問いをぶつける。
 当然返事はなく、引き攣った"笑み"を高原は浮かべた。静かに"形のない"手を挙げて、無邪気な少女のそれのように、穏やかに手を振る。
 それは容の退廃さと相まって、いっそう不気味に感じ取れた。

「どうして倉野を……」

 和也は視線をあまりずらさずに、倒れた倉野のほうを見る。
 さっきまでかなり苦しそうにしていたが、今は恐ろしく静かに、小さく呼吸をしていた。
 まさしくそれは、虫の息、とでもいうのだろうか。胸部の力ないわずかな律動でしか、その存在は確認できなかった。
 和也は歯噛みして、今度は少し強くその異形を睨んだ。


「どうして倉野をこんな目に遭わせたんだっ!!」
 
 和也はいつものように、声を荒げて怒号を唸らせる。
 それを聞いた宗太は、和也が徐々に精神を安定しつつあることを暗に理解した。
 もちろん異形は表情を――――














 "げぼ"、












 と、一瞬の事。
 少し顔を歪めたように見えた高原の、その口に見える狭い隙間から、夥しい量の"人体"が滝のようにせきを切って噴き出してきた。
 人体といっても、部位のそれだけではない。
 指先の爪から脳幹に至るまで、人間の身体を内部爆発させたように、あらゆる類の人体の中身が動脈を切ったかごとく搾り出される。
 映画でも見たことのない、成人指定程度では枠に収まりきらない量の吐瀉物。
 瞬く間にそれは閉め切られた部屋に雪崩れ込み、次の瞬間には床に人間の何かで出来た赤白い海が広がっていた。
 続き、ぶよぶよとした感触の蛆の塊が、今度は高原の目、口、耳、鼻――――、存在する全ての穿孔から這い出してくる。鮮血を吸ったように、今にも破裂しそうなまで膨れ上がって。
 高原は叫びか、嘆きか。第一に"人間の声として受け止められない奇妙な音"を口から漏らして、文字通りの無骨な指で、穿たれたような口を押さえる。もちろん、そんなことをしても意味はなくて、そのかわり詰まりかけた蛆がその許容量を超え、内容物を撒き散らしながらひどく不明朗な、ぶちゅ、という音を立て、破裂する。
 その余剰生産物を視界に認め、和也は、

「うっ…………!!」

 叫ぶよりも前に、凄まじい嘔吐感を催す。脚に力が入らなくなりひどい脱力感に襲われる。
 口の中に胃液が流れ込む錯覚がしたが、口の中は乾ききっていた。
 和也はようやく持ち直した精神で、よろめきながらもなんとか持ちこたえたが、視界がうっすらとしか見えず、意識は朦朧としていた。
 咄嗟に抑えた両手がなければ、空嘔吐でもしていたかもしれない。
 冷静に物事を把握すると決めた和也は、崩壊しかけた脳内回路を間一髪で抑制し、じっと目の前を――"高原だったモノ"を、睨んだ。
 それは変わらず、定期的に目玉だの指だのを吐き出しながら、泣き出しそうな顔で和也のほうを振り仰ぐ。
 助けを求めるような、眼差し。
 まるで被害者のように、手を差し出そうとする加害者。
 そんなものを、和也は受け入れる気はなかった。


「お前は、もう、高原じゃない……! 唯なんかじゃない……!! お前、唯をどうした!!殺したのか!! 何とか言ったらどうなんだ!!!」


 声を出さないと意識を失う。
 そんな風に、和也は激昂して噴出物の発生源を罵った。
 無駄だとは段々分かってきたが、それでも何か言っていなければ自分もまた倒れてしまいそうだった。
 倉野は、海でおぼれそうになったのか、何とか意識を保っている様子で壁に寄りかかっている。その目は、小動物が怯える時の目そのものだった。

 そして、宗太は極限を突破した和也の後ろ、静かに、誰にも聞こえないように呟く。


「同じだ…………」


 斑状の血肉脂の溜まりに浸かった、両腕の感触。
 顎関節が上下に震動し、それにしたがって歯ががちがちと音を立てる。
 "違う意味でどこかで見たことある気がする"、高原の変異体。


「あの時と、同じ…………だ……」


 何年か前に起きた、頭の隅に封印したはずの記憶。
 決して思い出さないように、しっかりと鎖を締めて拘束したはずの光景。




 そう。






 "同じように実の兄が異形となって、それに殺されかけたあの――"











『俺の行く先を閉ざすものは、ここで消え去れ!!』

 いつか聞いたような声が耳に響いた時。
 刹那に高原が頭を抱えて苦しみはじめ、金属音に似た唸りを上げて、その場で倒れこむ。

「ッ…………!!!!」

 和也、宗太、倉野。
 全員が言葉のない悲鳴を上げて、和也は一歩後ずさる。
 そして、その視界に、





 「……間一髪、ってとこか?」

 "右腕を赤い蟲に覆われた男"が、瞬時に確認できた。
 どうやってここに来て、何を高原にして、その結果高原がどうなったかは分からない。
 ただ、和也はその見知らぬ来訪者に対し、一種の安堵感を覚えた。

 高原は魚がのた打ち回るように脈動し、次第にその動きは衰えていくようだった。
 散乱していた人体の破片も、高原の中に収束するようにそれを中心に流れはじめる。
 白い肉が、ずず、と引きずられ、異形の脚を這い上がり――――、やがて、集まった血肉脂蛆が今度はその異形の許容量を埋め尽くすと――――――










 轟っ、









 と、空気を薙ぎ払う音を鳴らし、赤い蟲がその表面を覆った。
 ……直後、その中身は爆発するように、"割れた"。

 隙間から噴き出してくる何かを、うわ、と手で防ぎながら、ようやく宗太は立ち上がる。
 和也はそれをものともせず、ただその赤い群集をじっと、眺め続ける。
 倉野は、表情が枯れたようなほど恐ろしい真顔で、同じく直視する。
 赤い、赤い蟲が蠢いて、その覆うものを喰らうようにぎちぎちと噛み切るような音をさせながら、次第にそれは高さをなくしていった。
 屹立した男は右腕を前に差し出し、

「……これで、やっと終わる。長い、因縁の睨み合いがな」

 脂汗を顔に流しながら、呟く。


 赤い塊は、徐々に高さを腿、膝、と低くして――




 最後に人間の声のような音を立て、消滅した。


「あ…………」
 当たり前のように、詰まる言葉。恐怖の悲鳴を上げることさえ出来ないまま、その対象は跡形もなく、無くなってしまった。
 同時に部屋の照明がひとりでに点き、薄いピンク色をした絨毯を、淡く照らす。



 芒、



 とした長閑にも似た空間が元通りに広がり、倉野の部屋は通常のものとなんら変わりないものと戻っていく。
 和也は動揺しながらも、状況を順繰りに整理し、


「あんたは……何者だ?」


 ようやく、絞り出すような声で呻いた。
 声を確認した男は、和也の眼を見て、告げる。

「辻本、和也君か。これが現実だ」
「…………」
 男は答えを待たずに、
「雪村さん……、じゃない、茶髪の女性から、聞いているだろう。いや、それ以前に君はもう察知しているだろう。この誘拐事件の首謀者、そしてその正体を」
 和也は俯いて、答えない。
 ようやく宗太は立ち上がり、その人物の顔と右腕を見て、確信する。
「瀬川さん……」
「宗太君、無事なんだね。よかった」
 和也は二人が顔見知りと言うことにも気付かない様子で、瀬川の目を見咎めた。
「君達は、"蟲"という神が与えし異形に、襲われかけた。ゆえに、事の全てが収まるまでは、君達を解放することは出来ない。まだ、"蟲"の発生源が完全に消滅してしまったとは、言い切れないからね」
「………………」
 瀬川は調子を変えて、少し明るく言う。
「……だけど、もうその心配もなさそうだ。君達の誰からも、"蟲"の気配は感じない。つまり君達は、この《蟲害》を乗り越えたんだ。一応、連絡先を教えておくから、もし、何か不思議なことがまた起こったらこの番号に」







「宗太、倉野!!」
「………………!?」

 瀬川が椅子に座りかけた隙を狙い、和也はへたり込んでいた倉野の腕を引き、走り出した。
 外へ――――、惨劇の起きた、家の外へ。
「か、和也!?」
 あっけに取られた宗太は、付いて行こうと足を進め、やがて止めた。
「…………。瀬川さん…………」
「…………」
 瀬川は、まさに隙を突かれた様な、そんな顔をする。
 宗太はいくらか迷ったように歯噛みし、





「……すみません」

 それだけ言い残し、走り去る。




 明かりの点いた、人気のない部屋。
 またか、といった表情で、瀬川は溜め息をつく。
「まぁ、もう危険性はないから、大丈夫か……」
 そう漏らすと瀬川も腰をあげ、ドアノブを捻る。

 そしてやがて、部屋からは誰もいなくなった。

 生き物のいない、空室。





 それは恐ろしいほど静かで、美しかった。

       

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