Neetel Inside ニートノベル
表紙

蟲籠 -deity world-
慟哭は夜と慈愛に

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「……………」


もう夜が明け始める、深夜三時過ぎ。
人の気も失せた頃、彼らは動き始めた。
『雑貨屋アトランジェ』から、いくらか離れた「学校」へ。
その道中は、まだ傷の癒えきっていない少年が先導した。
その後ろには、まだ会って間もない人間が三人いた。
違う帽子を被りなおした、無精ひげの男性。
銀縁眼鏡と長い黒髪が光る、若い女性。
緑のクローバーの髪留めをした、中学生くらいの少女。
彼らは今、静馬の向かうその「学校」への道を、黙々と歩き進めている。
その顔は、至って真面目だった。





……………
………………………………




ほんの、十分前。
現在と変わらず、歩き続けていたときだった。


「海部津君」
「…何です?」
突然、瀬川が話を切り出した。
静馬はその応答を、実にそっけなく答えた。
「君の思う所、どうして、学校にまだ"蟲"がいると?
それと…さっきまであれほど拒絶反応を示していた君が、いきなりどうしてこんなことを?」

当然の反応ではあった。
つい先刻まで"蟲"に対して異常なほどの恐怖心、猜疑心を表していた人間が、急に協力的になったのだ。
その豹変振りは、まさに味方が敵になったような感覚。それだった。
瀬川は多少なりとも、したくはないが静馬を疑っていたのだ。
静馬が既に<変異体>であり、いつ襲われるか分からない、という可能性もあったから。
そんな考えを察したのか、柚樹がすぐに割り込んできた。

「な、何を言ってるんですか瀬川さん!?静馬さんを疑ってるんですか!?」
「い、いや、そんなわけじゃないけど…少し気になって、ね」
「まぁ、当然の反応だと思います」

静馬は何も気にする素振りは見せず、元通り冷淡に話し始めた。

「僕は今まで…勉強のためだけに生きていました。
だから、僕から勉強を取ってしまえば、何も残らない。そう思ってたんです」
静馬は、空を見上げた。
「だけど…その"蟲"に襲われてから、何かが、自分の中で変わりました。
頭を蟲に、喰われたりでもしたんでしょうか。急に勉強なんてどうでもよくなったんです。
それで、あの時の問いかけを、思い出したんです」
瀬川は頭を傾げた。
「問いかけ?」
「はい、あなたが僕にした質問です。

『君は、無抵抗に死にたいのか。それとも、這いずり回ってでも、生き延びるのか。
二つに一つだ。さぁ、答えてもらおう』」

「…それが、どうして?」
「思ったんですよ、僕は。以前勉強ばかりに更けていた僕自身は、もう、『死んでいた』んだって」
「…………」
瀬川は言葉を失くして、立ち尽くした。
それに気付いた残りの二人も、足を止めた。
「勉強ばかりで、身体どころか『精神』までもが死んでいた。
完全なるリビングデッド、生ける屍になっていたんですね、僕は。
…それで、思ったんです。最初の質問。あれは…」








「最初から選択肢なんて、なかったんですね
選択肢の一つは、既に僕、そのものだったんです」

空気が止まる。
周囲の音全てが消えた感覚が襲い、静けさが覆った。
自分達以外のものが、全てフィクションの背景のように思えた。

「…僕は決別しました。
今までの僕は、虚勢ばかり張っていた、臆病者だったんです。
そんな自分が、もう、嫌で嫌で、しょうがないんです。
…答えますよ。僕は這いずり回ってでも、生き延びます」

静馬はそう答えて、再び歩き出した。
三人も後を追うようにして、足を進めた。





…………
………………………




「ほら…あそこです」


現在。
瀬川の目からは、疑いの目は消えていた。
それどころか、どこか、期待に満ち溢れているようだった。
四人は変わらずに、学校へと歩んでいく。
と、学校の全体像が見え始めた、丁度その時。




「…………!!!」
瀬川は咄嗟に、振り向いた。
いや、その場にいた全員が、その後ろに振り返った。
背後からの、凶悪な殺意を感じて。

その先には、黒い影が立っていた。
黒いしぶきを立てながら、人の形状をした生き物が、ひっそりと後を追っていた。
「それ」は、歩みを止めた。









「シ………マヲ……………」







"人とも似つかない人の形をした何か"は、牛蛙の鳴くような、呻きを漏らした。
その恰好は人間というより、蛞蝓。それに似た二本足を器用に動かして前に進んでいたようだ。
暗さに相まって顔も何も見えないが、情報はそれで充分だった。

「…<変異体>、か」
「そうね」
雪村と瀬川は実に端正な声で、何回も言ってきたと思われる台詞を発した。
柚樹は慣れない様子で、静馬の後ろに隠れて、震えた。
その静馬はというと、特に何も違和感は覚えなかった。
何かその黒い生命体に、見覚えがある気がしたのだ。
そしてそれが水銀灯が照らす圏内にもぐりこんだ瞬間。

静馬は驚愕した。





「…………!」

それは、見慣れた景色というよりも、「見た記憶がある」という風に、近かった。
崩れてはいるが、皴の寄った、疣のある顔。
所々から突き出た、髪の毛のような、茶色の束。
そして…







手に握られた、一枚の写真。
その隅からは、微かだが文字が見えた。








『の手で殺す。死ね』





「……………!!!」

静馬が声を上げようとした、その時。
目線の先は、瞬く間に赤い蟲の軍団で覆われた。
見る見るうちに、こみ上げてきた恐怖感は、薄れていった。
瀬川は少し声を漏らして、右手を掲げていた。
静馬はただ、赤に覆われる黒の塊を眺めていた。




「ガアギァッッ!!!」


悲鳴と咆哮が合い混じったような音が、漏れる。
赤い蟲の群れから時々、黒が蠢いて、その蟲を喰らった。
その度に瀬川が少し声を上げたが、気付かなかった。

暫く黒塊はひしめいたが、やがて瀬川の手によって鎮圧された。
後には、黒い液状のものが通ったような跡が、残った。
それもいつか、蒸発するように消滅していった。
瀬川は額に、若干の汗をかいていた。それを気遣って、柚樹が訊ねる。
「大丈夫ですか、瀬川さん?」
「あぁ、ちょっと集中的に使いすぎただけだ。気にしないでくれ」
そういうと、瀬川は表情を少し緩め、三人を促した。
「さぁ、行こうじゃないか。この事件を起こした『もの』が、いるっていう場所へ」
瀬川が言うと、皆肯いた。
「そうね、夜が明ける前に、なんとかしないと」
「それじゃあ、早速行きましょう!」
「ほら、海部津君。行くよ」
静馬はようやく、自分だけがその場にとどまっていることに気付いた。
慌てる様子もなく、少し早歩きで三人の元へ急いだ。
後ろを、一瞥して。










「…さようなら、お祖母さん」








***







数分後。
純粋な子どもでも、利口な大人でも近づかないような、夜の学校。
二本の柱で出来ていた校門にはいかめしく、「県立青葉高等学校」の文字があった。
その奥に道なりにできた桜の木の群れが、ざわざわと葉を擦らせた。
更に向こうに、問題の、校舎が見えた。


「あそこ…なんだね?」
瀬川が確認するように、静馬に訊ねる。
静馬は、いたって普通に頷いた。
「間違いありません。あの校舎の二階、一年六組。そこにいます」
「…そうか、ありがとう」
瀬川は答えを受け取ると、駆け足でその場所へと向かった。
それに続いて、雪村、海部津、柚樹。
四人は明かりも殆どない、校舎内へと向かった。
桜の木がざわめきを止めて、静かになった。
彼らは、歓迎した。





……………………
………………………………





消火栓の赤い光が、ぼう、と廊下を照らす。
廊下の蛍光灯が申し訳程度に点き、足元を照らした。
下手に明かりをつけると、何が起こるか分からないからだ。
瀬川を先頭に、四人は歩いた。
柚樹は静馬の服の袖に、しがみつきながら。

「…気配は?」
「間違いない、<変異体>、いるわ」
「…みたいですね、怖いです」
柚樹が震える声で、会話に加わった。
「柚樹ちゃんの"力"は戦闘向きじゃないから、『アトランジェ』にいてもよかったんだよ?」
「と、とんでもないです!いざっていうときが、ありますから」
「それもそうね。柚樹ちゃんがいないと私達、どうなるか分からないもの」
「いやあ、それほどでも…」
三人はこの状況下でも、普通の話をする余裕があった。
だからといって、静馬に余裕がないというわけでもなかった。
静馬は、何か違和感を感じていた。
確かに、学校に何かがいるのは確かだ。
だけどその何かがどんな形で、どういう風に存在しているかは分からない。
だとすれば、それが何なのかを、解明しなければならない。
静馬の脳裏では、今の今まで考えもしなかった思考が、広がった。


人がたくさんいる場所。
人間が、ひしめき合ってる場所。
無論、それは学校。
それはもう、関係ない。
それじゃあここに至るまでに僕が、僕を、襲ったのは?
公園の粘着物。
変わり果てた、お祖母さん。
静馬は、それの共通点を、探した。


探すまでも、無かった。






「…忌み嫌うものだ」
「え?」
つい口に出たその言葉を、前を進んでいた二人、袖にしがみついた一人が聞いた。
「…何のことですか?静馬さん」
「その、元凶っていうものの、正体です」
既に教室の前にたどり着いた四人は、教室の明かりをつけて、気付いた。
「…何もいない?そんなことが、あるのか?」
「でも確かに、反応はここからあるわね…」
「…間違いなく、確かに"彼ら"は、ここにいます」
「"彼ら"?」
「はい、そうです」
静馬は中へ歩みを進めると、呟き始めた。









僕を今まで襲っていたのは、僕の忌み嫌うものです。
最初の公園での「あれ」は、人間的に死んだ僕自身への、忌み。
さっき道端で出くわしたのは、僕が今も恨んでいた、祖母の姿。
そしてこの学校にいるのは―――













静馬はそこで一旦語りを止めた。
そして再び、続けた。







―僕の家は昔、火事にあいました。
それは恐らく、祖母が僕を誘き出すためのものだったんでしょう。
幼い頃の僕は、燃えた家にかかる放水、それに野次馬が犇くようすを、何に例えたと思いますか?









――「アリ」です。








刹那、三人の顔色が変わった。
その「アリ」という言葉に、恐怖の念を感じているように見えた。
静馬はそのまま、語りを続ける。








野次馬が「アリ」だとすると、その「アリ」が求めていたものは?
必死で、探していた、存在そのものとは?
…更に言うと、僕のおばあさんが殺したくてたまらなかったものとは?








そう、「僕」です。




例えば僕を、アリの探し求める「角砂糖」とかにしましょう。
アリは、全身全霊で角砂糖を求めました。
野次馬は、僕を助けようとして、捜し求めました。
お祖母さんは、僕を殺そうとして、捜し求めました。

そして他にも、僕を探す。正確には、「求めていた人たち」がいたんです。





それは―――














「"一年六組の、クラスメイト"です」



静馬がその言葉を発した、瞬間。
それまで静まり返っていた教室が、一瞬にして"黒の集合体"で覆われた。
机という机から重油のような塊が漏れ出し、床板を覆った。
それに伴って、前のような人影のようなものが、次々と湧き出てきた。
椅子の上に。
机の上に。
教卓の上に。
掃除用具の上に。
夥しいと言わんばかりの黒い塊が、"若干人間の形をして"。
そしてそれには、見るに耐えない異変箇所があった。
腕のあるべき場所から、脚や何やらが飛び出して。
頭からは触角にも似つかない、不気味な髪の毛の束がだらりと垂れた。
それで全て、手と足の合計本数は、丁度六本。




―――「蟲」、だった。





「これが、『蟲』ですか」
「あぁ…。しかも純粋な"蟲"じゃなく、人が<蟲化>したものだ。…これはまた、随分ひどいな」
「…だけど、此方を襲う意思はまだ、ないようね」
「ただの、蠢いてる<人蟲>、か。皮肉なものだね」
瀬川は右手の手袋を外し、退治の準備を始めた。
「柚樹ちゃん、もどりましょう。私達が出来ることは、もうないわ」
「は、はい…」
柚樹は雪村に連れられ、教室を後にした。
後ろから、柚樹の心配そうな視線が送られるのが、静馬にはわかった。
静馬は少し悲痛の表情を浮かべ、瀬川の後姿を見た。


淀んだ空気が、教室に流れる。
吐き気を催すほどの異臭だったが、その感情すら薄れた。
静馬はそれまで握り締めていた掌を、ゆっくり崩した。



「…海部津君」
「…はい」
「最期に何か、彼らに言うことはあるかな?」
瀬川はとても優しい表情で、訊ねた。
右手に赤い蟲の群集を、携えたまま。


静馬は顔色一つ変えず、言った。














「―君達の求めていた僕は、もう死んだ。
角砂糖はもう、溶けてなくなってしまったんだ。
このままだと君達は凍えて、死んでしまう。
…さあ、元いた場所へ、お帰り」








「……………」

瀬川は哀しく思いながら、右手を思い切り高く掲げた。






『俺の道は闇で満ち、それで未知である。
行く先を閉ざすものは、ここで消え去れ!』






瀬川の声に続き、教室の中は、瞬く間に赤い蟲で埋め尽くされた。
あちこちから唸るような叫び声が飛び散って。
それはまるで、つい何時間か前までいた、教室の喧騒のように聞こえた。
赤い蟲の、まるで焔の様な姿が、轟と激しく音を上げた。

瀬川はふと、静馬に目を遣った。




泣いていた。


静馬は、泣いていた。
一度も干渉しなかったはずの、クラスメイトに。
別の世界に住んでいた住人達の、死に行く姿に。


瀬川は感じた。
静馬はただ、忘れていただけだった。
勉強という「悪霊」にも似たものにとり憑かれ、狂っていた。
その結果、クラスメイトをこのような目に合わせてしまった。





本当の海部津静馬は、今、ここにいる。





普通の人間で。
普通に悲しんで。
普通に喜んで。
普通に笑って。
普通に会話も、何もかも出来たはずの、静馬は。





瀬川は悔しさにも似た感情を胸に、その右手をいっそう強く掲げた。
少しでも早く、この惨憺を終わらせるために。













――さようなら、悲しい蟻達―――












静馬は、小さく呟いた。












数分して、「蟲」は収まった。
一晩の惨劇は、誰も知らないうちに幕を閉じた。






大きな傷跡を、残して。


       

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Neetsha