Neetel Inside ニートノベル
表紙

蟲籠 -deity world-
五線

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 大きく、《神蟲》の胴体が蠢いた。

 身体のあらゆる所から気味の悪い煙を噴出している《神蟲》は、瞳孔の見分けのつかない真っ赤な目を静馬たちに向けたまま、蹲るようにして身体を折りたたむ。
 次の瞬間には、《神蟲》の身体から"人間の腕"が生えた。
 明らかに不釣合いな太さの、色素の薄い弱々しい腕が。
 何本も、何本も。
 磯巾着のように、まばらに動かしながら。

「…………!!」
 おぞましい光景に静馬の顔が恐怖に歪む。が、すぐにそれを振りほどいて、静馬は前傾姿勢のまま膝を曲げて立つ。
 怖さなど、もう微塵にも感じない。
 剣呑な表情から、そう静馬が考えているのがまざまざと感じ取れた。
「落ち着いて、静馬君」
 体勢を崩さずに五條は何歩か後退する。
「エリカ君の"力"で、《神蟲》は大分弱っているはずだ。あとはもう少し力を奪った後に、止めの一撃をお見舞いする。それでこの戦いは終わるだろう」
「エリカさんの力、ですか?」
「そうさ」
 五條は静馬の斜め後ろに立つと、淀みなく言う。
「エリカ君の力、《破壊者》。その力は名前負けすることなく、死して尚全てのものを蝕み、破壊し続ける。どちらにせよ、エリカ君のおかげで《神蟲》はいずれ、死ぬ。ただし、それと引き換えに」
「命を失う…………と」
 抑揚のない静馬の声に、五條は頷く。
「嫌な言い方かもしれないけど、誰かの犠牲なしには戦いを終わらせることなんて出来ないんだ。犠牲のない平和は続かず、犠牲のある平和は栄えるとは、よく言ったものだ」
「確かにそうですね。平和の代償ならば命くらい軽いものですし」
 静馬は語調を保ったまま、平生に呟く。
「もとより、平和になるとも限りませんから」
「……まったく、その通りだね」
 悲しげに笑う五條。
 静馬は今にも飛び出すかのように屈み込み、焦点を《神蟲》に合わせる。
 《神蟲》の全身からは青白い人間の腕や足が無尽蔵に飛び出して、しかもその一本一本から"鋭利な刃"が勢いよく飛び出していた。
「ソーマ…………か」
 哀惜はしなかったが、静馬は一瞬だけ黙祷した。
 《神蟲》は悶え耐えるかのように身じろぎして、赤斑色の唾液を振り撒き、全身からどろどろの固体じみた血液を垂れ流す。飛び出した人間の手足は近衛の寄生虫のように《神蟲》を取り巻くと、各々が本能のままに暴れだした。
 その病的な白さゆえに、二メートルほど距離のある静馬から見ても、それはのた打ち回る蛆虫のようにしか見えなかった。
 静馬は恐怖の全てを頭から払拭して、意識を《神蟲》に集中させる。
(感覚はよく分からないけど……瀬川さんの言っていた言葉をそのまま使えば良さそうだ)
 視界の中央には、自分を睨む《神蟲》。
 退くことなど、選択肢にはなかった。
 そして、

「<行く先を閉ざすものは>――――」

 そう確かに唱えた時だった。






『……………………ヤ……』

 《神蟲》の口から、僅かに"声"が漏れる。
 とても弱々しい、飢えた人間が発するようなか細い声が。
「………………!?」
 慌てて口を閉じ、飛び退いて《神蟲》と距離をあける静馬。
 同じく驚いたように目を見開いて、《神蟲》をまじまじと眺める五條。
「《神蟲》が声を……? いや、そんなことはなかったはず…………」
 五條は動き回る触手じみた人間の手足を見据えると、やっぱりか、という風に息をつく。
「まだ、<傀儡師>の力が生きているみたいだね。もしかしたら肉体も、彼自身もまだ生きているかもしれない」
「それでも、《神蟲》を殺すことに変わりはないんですけどね」
 静馬はもう一度臨戦態勢にかかり、《神蟲》に照準を合わせる。

『…………ヤ……………………メ………………』

 直接脳内に響くように、はっきりと耳に残る《神蟲》の声。
 静馬はこめかみに汗が伝うのを感じながら、ぐっと足に力を込める。
 唱えれば――――すぐだ。それでもう、この惨劇は終わりを迎える。
 両手に握りこぶしを作り、小さく口を開ける。

『……………………ヤ………………』

 微かに聞こえる、どくん、という自分の心臓が脈打つ音。
 それは緊張か、恐怖か。はたまた落ち着きの証か、恐れの証か。
 一瞬歯噛みし、静馬は剣呑な目で《神蟲》を睨む。
 頬を筋が流れて、汗が滴となって落ちる。

『……メ……………………』

 握った手の中がじとりと湿るのを感じる。
 静馬は焦りを覚えながら、一度声に出さずにあの言葉を暗誦する。
 ――行く先を閉ざすものは、ここで消え去れ――
 ただそうとだけ、言ってしまえばいい話だった。





 やがて静馬は、精神を集中させて、口を開く。


「<行く先を閉ざすものは、ここで>――――」




 刹那。






『ヤメテ』





 明瞭に《神蟲》の"声"が鳴り響いたかと思うと、《神蟲》が脚の一つを静馬へ伸ばす。
 眼前に迫る、生白い手足に覆われた《神蟲》の脚。

「くっ……………………!!」


 咄嗟に避けたものの、静馬は腕を一本持っていかれた。
 それでも、痛みは少しもなかった。

     

 静馬は地面に唾を吐き捨てると、《神蟲》を鋭く睨む。
「まったく……色々とやってくれるなあ」
 血も何も飛び散らない傷口からはやがてわらわらと"赤い蟲"が湧き出して、すぐに人間の腕を形作り、次の瞬間には傷一つない静馬の左腕が"再生"された。
 臆することなく、立ち上がって《神蟲》の後ろに立つ静馬。
「そろそろ倒れてくれるといくらか楽なんだけど……まあいいか」
 さほど期待もしていない、と言った調子でこぼす。 いくら暴走しているとは言えど、《神蟲》が弱っているか否かというのは火を見るよりも明らかだった。
 《神蟲》はゆっくりと身体の向きを変えると、再び静馬と向き合う。弱る様子は、ひとつもない。
 だがそれでも、静馬は笑う。
「僕は、もう負けない」


「…………そろそろ、頃合か、な」
 と、呟いたのは五條。柚樹を両腕で抱えたまま、少し離れて傍観する。
 そして、その言葉を漏らした途端、無機質だった五條の顔は、意味深な笑顔――――殺人鬼が人を殺す際に浮かべるそれに似た表情を呈した。
 五條は肩越しに後ろを振り返ると、視線の先に垣間見えた"ひとつの影"に向かって、言い放つ。
「長らく待たせたけど、ようやく出番だよ」
「……………………!!」
 その言葉を聞いた影はゆっくりと後退すると、五條の前から姿を消した。
 五條は再び静馬の方に向き直ると、元通り無機質な表情を浮かべた。
「さて、見せてもらうとするかな」
 感情なく笑い、目を細める。
「次世代の、<インセクター>の力を」


          †

 瓦礫が舞い、再び砂塵が巻き起こる。

「くそっ…………」
 《神蟲》は攻撃を喰らわないように、もしくは加えて静馬を吹き飛ばさんと、無数の手足が生えた脚を振り回し、その所為で静馬は《神蟲》に近付くことすらままならなくなった。
 それがしばらく続いて、幾数分。
 静馬は傷こそ全く負っていなかったが、徐々に体力を削られつつあった。右腕は二度吹き飛ばされたが、その都度再生したため傷一つなかった。
 それでも、守らなければいけない部位が一つ。
 《神蟲》はそれを見抜いたように、執拗にそこを狙って攻撃をけしかける。
 それは勿論――――"赤い蟲に覆われた足"。どれだけ時間が経っても、両足だけは完全な姿に戻ることはなかった。静馬は即座にそこが弱点であることを察知し、攻撃を受けないように取り計らった。
 再び、足元に《神蟲》の手が伸びる。避ける静馬。その、繰り返し。
 失うものは、静馬の持久力だけだった。
「いい加減……弱ったらどうなんだ?」
 答えの返ってこない問いを投げかける。それ以前に、答えは見ずとも分かった。

『…………ヤメテ……………………』

「……気持ちの悪い声を」
 《神蟲》がぼんやりとくぐもった声を上げる。何人もの人間の声を凝縮させたような声で、聞くだけでもかなりの苦痛だった。
「早いところ倒したいけど…………厳しいか」
 意気揚々と繰り出したものの、正直なところ静馬は単身で《神蟲》を倒すことは不可能だと思っていた。
 創始者ですら封印することで手一杯だった《神蟲》を、自分が倒せるわけがない。
 それ故に、静馬の攻撃の手には若干諦めの色が見て取れた。
 眼前には、今だ力衰えることのない《神蟲》。
「やっぱり、僕じゃ……」
 無理だ。
 静馬がそう吐露しかけた、その時。




 突如、《神蟲》の"目線"が静馬ではない方向へ向けられた。
「……………………!?」
 すぐに静馬もそれに気付き、翻るようにして後ろを振り向く。
 そこに、立っていたのは。




「遅れてすみません、"海部津さん"」

 短めの髪の毛。
 首に提げられた古びたペンダント。
 白のTシャツに、紺のパンツ。
 屈託の無い笑みを浮かべた顔。




 そして、"あの事件"の唯一の生き残り――――









「宗太君…………!?」
 静馬は歩み寄る人影に、そう声を漏らす。
「はい」
 その人影――――中山宗太は笑顔のまま答えると、そのまま言葉を紡ぐ。
 日に焼けて黒くなった右手を、"二つ"のペンダントの上に重ねながら。

「加勢します。俺達二人で……《神蟲》を倒しましょう」

 そう言って、静馬の隣に並んだ。
 して、一言。




「俺だって――――<インセクター>なんです」

     


 ……………………………………
 ………………


「そういえば宗太君」
「何ですか? 五條さん」
「君の能力の説明をまだしていなかったね」
「あ、はい。すっかり忘れていました」
「それじゃあ、今教えよう」

「君の力は、生きている内で一度しか使えない強力な力だ」


 ………………………………
 ………………………………………………


「宗太君……も、インセクターに?」
「はい」

 静馬の問いかけに宗太小さく頷いて答える。
 必ずそうなるということは、静馬も内心分かっていた。
「そうなんだ……凄く心強いよ」
 だから敢えて深くは問わず、<インセクター>の中山宗太を受け入れた。
(宗太君の力もあるなら……勝てるかもしれない)
 一人では無理なことでも、二人なら出来る。
 あの日以来、心の底からそう信じている静馬は、不意に力づいてきた。
 目の前には、獰猛な呻きをあげる《神蟲》。それと対峙する、二人の<インセクター>。
 僅かな望みに渾身の希望を込め、静馬は膝を曲げて身構える。
 荒廃地に迅る、一筋の戦慄。

 しかし、



「もうこれ以上時間はありません。俺に……任せてください」
「…………!?」

 静馬の視界を遮って、宗太が《神蟲》と真正面から向き合う。





『一度しか、使えない?』
『そうだ。強力すぎて使用者の"命"をも奪ってしまう、恐ろしい力だ』
『…………』
『引き換えに、この世に存在する力とは比べ物にならない強大な能力を有する。僕の弟も、その力の持ち主なんだけどね』
『…………』
『だからその力は使わないようにと促したものだ。そういうことで宗太君も』
『なんだ、そういうことなんですか』
『え?』

『それは……俺が臨んでいた力そのものです』





「宗太君、それは一体どういう……」
「恐らく、俺と静馬さんの力があっても《神蟲》には到底敵いません。だから、作戦勝ちするのみです。……っと」
 暴れだした《神蟲》の攻撃を避けながら、二人は会話する。
 《神蟲》の怒号が、空を切る。
「だけど、成功する根拠はあるのかい?」
 静馬は顔を不安に曇らせて訊く。それは不要な問いではあった。
 作戦を立てた程度で勝てる相手ではないと、静馬は確信していた。それだけはどうも、揺るがない。だからこそ力をあわせて同時攻撃すれば何とかなるのではないか、と希望的観測を立てていた。
 それを打ち消したのが、宗太。平生を保っていられるわけがなかった。
「大丈夫です。俺を信じてください」
「……それじゃあ、君が提唱する作戦っていうのは?」
 力強く答える宗太に、静馬は問いを重ねる。
「作戦は…………」
 宗太は横っ飛びで攻撃をかわしながら、作戦の旨を静馬に伝えた。





『それは本当に……望んでいることなのかい?』
『勿論です』
『それには、一体どういう動機が?』
『……そんなの、聞くまでもないでしょう』





「…………なるほど」

 宗太が口を閉じると、静馬は感慨深く頷いた。
「本当にそれで、倒せる自信が?」
「少なくとも、むやみに突っ込んでいくよりかは」
 宗太は白い歯を見せて、小さく笑う。
「ははっ」
 心を見透かされたような気がして、静馬も肩を竦めて小さく笑う。
「急だけど、それでいってみようか。チャンスは一度きりだけどね。生きるか死ぬかの二択だ」
「はい、そうですね」
 作戦通りに、静馬は宗太を信じて後退する。
 すぐさまそれを追うようにして、《神蟲》が宗太の横を逸れて静馬へと猛進した。空気の切り裂ける凶暴な音がして、《神蟲》の巨躯が静馬へと肉薄する。
「よっと」
 それを不自由なく避けると、静馬は宗太を挟んで《神蟲》と対面する。
 静馬が聞かされた主な作戦はそれだけ。
 あとは、頃合を計って《神蟲》に突撃してほしい、とのことだった。
(一体……どうする気なんだろうか?)
 見当がつかなかった。二人同時ならまだしも、一人ずつの攻撃では大して威力がない。そう思っていた。
 だからこそ、これ以上勝利の見込みがある考えが思いつかない自分を捨てて、一縷でも希望のある宗太の作戦に全てを委ねた。
 静馬は宗太の背中を見つめ、迫り来る《神蟲》に照準を定める。
 その直後。





 宗太の身体が、淡く光った。


 ……………………………………
 ……………………


「それと、宗太君。君に渡したいものがあるんだ」
「何ですか?」
「これさ」
「……ペンダント? いきなりどうしたんですか?」

「それは、和也君の部屋から見つかったんだ」

「え…………!?」
「見たところ、君のしているペンダントと同じものだ。お揃いか何かは分からないけれど、きっと君にとっても大切なものだろう?」
「は……はい…………」
「これ以上あの事件を思い出すようなことはあってはならないとは思うけど、それも<インセクター>の宿命なんだ。それに思いを込めることで、君の力はたった一度だけ解放される」
「…………」
「それでも……いいかな? 宗太君」
「勿論ですよ。和也の思いを継げるなら、本望に他なりません」
「……良かった。静馬君と言い、最近の<インセクター>の精神力の強さには感服だよ」
「ははは、恐縮です」











「和也…………高原…………倉野…………」







 宗太の身体と、《神蟲》とが重なった。




「今、そっちに行くよ」

     




 見かけは、宗太が《神蟲》の攻撃を真正面から受け止めたように見えた。
 それだけでは、何の意味もない。

 しかし、実際は違った。


 一呼吸、置いた後。
 宗太の姿が《神蟲》の口の中に完全に消えてしまった、瞬間。





 ――――グギャアアアアアアアアアアアアアッ!!




 と、大地を震わせる悲痛な叫びが轟き、静馬は思わず耳を塞ぐ。びりびり、と、空気が激しく振動する様が肌で感じ取れる。
 《神蟲》は全身を切り刻まれた人間のように激しくもんどりうち、次の瞬間には《神蟲》の身体に無数の罅、割れ目が入り、その内部から黒を含んだ血液が固体の混じったように漏れ出してきた。

 どろどろ、

 と僅かに射して来た陽光を浴びて血が生々しく光り、次々と地面を穿ってあっという間に《神蟲》の足元には粘りを含んだ血液の溜まりが出来た。そして、色素の薄い手足が生えた足を――まるで幼子が駄々をこねるように恐ろしく躍動するそれを跳ね除けんばかりに、《神蟲》は自身の脚を振り回す。それでも、寄生虫よろしく生えたそれが消えることはない。

 《神蟲》は鼓膜を突き破ろうかという轟声で泣き叫び、その度に静馬は耳を塞いだ。

「………………!?」

 そしてその顔に、驚きの表情を浮かべた。
 勿論、《神蟲》の事もある。先刻まであれほど強暴だった《神蟲》が、急に悶えるように激しく唸り叫びだしたのだ。何かしら理由が在るに違いないと、静馬は瞬時に確信した。
 同時に、多くの驚きが湧き上がる。



 宗太は一体、何をしたのか?
 彼の考える作戦の内容とは、一体なんだったのか?
 そもそも彼の能力は一体何なのか?
 どうして、いきなり《神蟲》が苦しみ始めたのか?

 思うところは、色々とあった。





 ――――だけど。








 今は、考えること自体が煩わしかった。


          †

 今まで"蟲"の脅威に曝されることのなかった、極東の国、日本。
 そんな国でも現在、徐々に"蟲"に脅かされつつあるというのが事実だった。
 そして、今日。
 生き物の侵入を遮断するように広がる森――――青木ヶ原にて、この国の命運を分ける戦いが繰り広げられていようとは、誰も思いはしないだろう。
 誰にも知られることなく、また、知られることを望むこともなく。
 蟲喰い――<インセクター>は命を懸けて"蟲"と戦い続けている。


 して、現在。

 この国で一つの分け目となる戦いが起こっていることも、誰も知らない。
 そしてそれが、やがて終わりを迎え始めているということも。





「……人間とは、やはり無力だ」

 五條は一人演説のように、淡々と呟く。

「僕ら人間は"蟲"に圧倒されることは出来るけど、その逆をすることは絶対に出来ない。誰もが"蟲"に襲われた時点で、既に『死』という絶対に逃れられない一路を辿っているに過ぎない。

 ……だけどそれ故に、人は抗い続ける。勿論潔く死を受け入れる人もいるけど、それはやはり人生を全うして後悔の念が一つもない人だろう。大半の人は、望まざる死を受け入れることは出来ない。
 それだから、この"蟲"は発生してしまった。望まざる死を受け入れざるを得なくなった――――言うなればその中でも、"人間的"に死んでしまった人たちの心に巣食う意識が這い出し、蟲になる。その点で見ても、蟲というものは非常に悲しい生き物だ。
 それ以上に悲しいのは、蟲に関わった以上は誰かの『死』に立ち会わなければならないということ。それが精神的であろうと肉体的であろうと、回避することは不可能だ。蟲と出遭った人は、何かしら『死』にも遭遇する。
 一見関わりたくないことのように思えるけど、決してそんな事はない。何故かって?





 人は、『死』を知らなければ『死』を受け入れられない。
 いつかは死ぬ。それは分かっていても、実感を得ることは人生では結局出来ない。
 テレビで殺人のニュースが流れていても、自分の事のように感じることは出来ない。
 『死』を、感じたことがないからだ。
 だから、永遠に分かり得ない。




 "『死』とは決して悲しいことだけじゃない"、ということを」






 身体から血を垂れ流してよろめく《神蟲》の前に、一つの影が落ちる。
 その影はほとんど動けない《神蟲》を目の当たりにして、ゆっくりと近付く。
 それに、僅かに気力を残していた《神蟲》の脚が伸びる。影に触れる。
 影が"赤い蟲"となって、空気を薙いだ様に脚が身体を通り抜ける。
 《神蟲》は、黒く染まりきってしまった眼球をだらしなく動かす。


 それが、降参のサインか何かは知れない。
 ただ――――




「――<行く先を閉ざすものは>――――」




 ひとつ、影が口を動かした。






「――――<ここで消え去れ>」







 《神蟲》を、赤い蟲が覆った。
 もう、抵抗の動きもなかった。
 夥しい量の蟲が、《神蟲》の身体を埋め尽くす。
 徐々に、その容積が小さくなる。
 建築物。大型トレーラー。大型倉庫。
 比喩の対象物も、段々と小さくなり――――








 最後に"一人の人間"だけを残して、《神蟲》は跡形もなく消え去った。
 白髪と包帯が目立つ、少年を残して。

     



 時間の滞っていた世界が、元に戻る。
 場を覆っていた戦慄が、嘘だったかのように過ぎ去る。
「……………………」
 静馬は喜びの言葉も何も漏らさず、ただ一つを見ていた。
 その先にあるは、一つの影。

「……く…………」
 影はうつ伏せから仰向きに寝転がると、空を仰いで肩で息をした。
「……ど、どうして………………」
 影――――白髪の少年ソーマは、途切れ途切れの声で呻く。
 その視界には、整然と立ち尽くす静馬が見て取れた。
「俺を…………生かすようなことをした………………」
「途中から気付いていた」
 静馬は柔らかい声で、ゆっくり言う。

「どうして"ソーマ"という名前に聞き覚えがあったのか。どうしてこのパラマグラタに来たときに懐かしさを覚えたのか。……分からない事はたくさんあるけれど、今は一つだけ、分かることがある」

 静馬はソーマの顔を見ず、同じように空を仰いだ。

「それが分かった所で何がどうなるかも分からない。
 ……だけど、そのことにもう、あなたは気付いてると思う」
「そういうことか」
 ソーマは歯噛みすると、絞り出すような声で呟いた。
「くそっ、どうして、どうして今になってなんだよ…………」
 その目から、一筋の滴が流れる。
 やがて、つう、と頬を伝い、地面を弱く濡らした。
「これじゃあ、俺の今までやってきたことがまるで意味ねえじゃねえか…………。今更になって、結末を持ち込んでくるんじゃねえよ、くそっ。まるで青い鳥じゃねえかよ」
「その通り、悪かったのは全て僕だ」
 静馬は寂しげな声で、細々と言葉を紡ぐ。
「気付かなかったのも、邪魔をしたのも、全て僕だ。だから僕には一切の責任を取る義務がある」
 ソーマの傍らに屈み込んで、ひっそりと呟いた。







「"あなたが今欲しいものは、何ですか?"」


「……………………欲しい、もの?」

 静かに問うソーマに、静馬は頷く。


「何でも良いんです。物でも何でも良いし、なんなら僕の命でも構わない」

「…………だったら………………」

「…………………………………………」

 ソーマは誰にも聞こえない声で何かしらの言葉を言うと、黙り込んだ。


「それで、いいんですね?」
「……ああ、構わない。お前さえ良ければ、な」
 ソーマは口元にうっすらと笑みを浮かべて、そう言った。
「はい、大丈夫です。僕自身も、望んでいることですし」
「馬鹿言ってんじゃねえよ、この野郎」
 消えて解けてしまいそうなほど小さな声で、ソーマは笑う。
 それを眼下に、静馬は立ち上がった。
 その頭上には、かつて見た青空が、広がっている気がした。







「……行くよ。ソーマ――――――いや、"双馬兄さん"」
「………………ああ」





 一呼吸、吸い込んで。






「――――《さあ、元いた場所へ、お帰り》」






          †

 その日、青木ヶ原から上る一筋の光がいたるところで目撃された。
 政府が即座に調査隊を派遣すると、そこには核兵器でも使用したかのようなクレーター状の荒廃地が広がっていた。
 原因不明の大爆発。政府は結局そう結論付けた。
 誰も、その原因を知ることは出来ない。ただ、一部の人間を除いて。
 その彼らも、その存在が露になることは決してない。
 この事件は、人々の心の底に残ることなく消えていく。







 そして、一年が過ぎた。

       

表紙

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Neetsha