彼女はいつも怒っていた
今日も怒っている
「さきちゃん、ちょっとこっちおいで」
一人の同僚が彼女に呼ばれ、カウンターの後ろにある準備室に入っていく
私はお客さんの相手をしながら準備室に入っていくさきちゃんを眼で追う
此処は少し寂れた商店街にある小さなスナック
商店街で「有名」な彼女が経営している
私がここに来たのは半年前
大学を辞め、バイトを探していた私の目に入ったバイト募集の張り紙
高い時給に惹かれて私は履歴書を携え、彼女に初めて出合った
手渡した履歴書に目を通すことも無く、彼女は私に言った
「じゃぁ、明日から来てちょうだい」
意外にも
いえ、あまりにもあっさり決まってしまった
でも仕送りを止められてしまった私には嬉しい限りだ
初出勤の日、彼女から軽く仕事について説明を受け
やってきたお客さんの相手をする
「あれ?これ、俺頼んだ物と違うよ」
私はお客さんの注文を間違えてしまった
すかさず彼女の銃弾のような声が耳を貫く
「ーーーーーーーーーー!!!」
何て言われたかは覚えていない
ただ、鬼のような形相でひどい怒られ方をしたのは覚えている
彼女の形相と耳を貫く罵倒に動転しながらも、お客さんに謝る
「今日からの子でしょ?別にいいよ」
お客さんは しまった という顔をして彼女に諭す
鬼はとたんに菩薩になる
「ごめんなさいねー、今日はサービスしておくから」
すぐさま菩薩は私に声をかける
「ちょっとこっちおいで」
私はカウンター裏の準備部屋に呼ばれる
お客さんの相手を二人の先輩にまかせ、そこへ向かう
振り向いた彼女は鬼に戻っていた
再び私の耳を貫く銃弾のような罵倒
「お客さんから注文とって、話をすればいい」
彼女から受けた仕事の説明は以上だ
初めての仕事だとしても、注文を間違えたのは私のミスだ
でも彼女は、それ以外の事についても怒りをぶつけてくる
「あのお客さんの(いつものやつ)は~~」
そんな事、聞いてもいない私が知るはずもない
知ってて当然の事のように彼女は私に怒りをぶつける
数日後
私は常連客のお客さんの事などを先輩に教えてもらいながら仕事をしている
彼女には怖くて聞けないのだ
それでも私は毎日耳を蜂の巣にされていた
1ヵ月後
相変わらず私は彼女に耳を蜂の巣にされていた
「お客さんのグラスに注ぐ時の角度が~」
「おつまみのお皿の位置が~」
お客さん自身も気にしないような事で私は怒られている
私は彼女に完全に嫌われているんだ
そう思っていた
嫌われていたのは私だけじゃない
2人の先輩も毎日のように銃弾の雨に晒されていた
次の日、先輩は1人になっていた
その一週間後にはもう一人の先輩もいなくなっていた
判らない事を聞く人がいなくなったが、このスナックのお客さんは
殆どが常連客で、ある程度の事はもう理解していた
それでも尚、銃弾は私の耳を貫く
ある日、いつものようにカウンター裏に呼ばれた私に彼女は言った
「もう明日から来なくていいから」
クビだ
私にも悪い点があったとは思う
でも、あまりにも細かな事で彼女は鬼になる
閉店後、その日の給料を受け取り、早々に家へ帰る
正直なところ、ホッとしていた
前々から辞めたいと思っていたが、鬼にそれを言うと
どんな怒り方をされるかわかったものじゃない
家に着き、着替えていた私はポケットに何かが入っているのに気がつく
ロッカーの鍵だ
鍵くらい予備があるだろうし、鍵を変えるくらいたいしたお金もかからないから
わざわざ返しに行かなくてもいいだろう
でも私はそれを返さないといけない気がした
あの鬼の店の備品の鍵だ
もしかしたら家にまで鍵を取り返しにやってくるかもしれない
そう思った私は次の日に鬼のいる店に向かう
これで最後
これさえ返せばもう鬼に会わなくてもすむ
店に入った私に早速銃弾を浴びせる
「もう直ぐ開店時間だから、早く準備しなさい!」
自分でクビにした私に平然とそう言う鬼
私はその勢いに抗えず、いつもと同じようにお客さんの相手をする
その日は、心なしか銃声が少なかった気がした
物凄く、違和感があった
でも今日はちゃんと鍵を返して、もう此処へは来ることはないだろう
着替えを済ませ、帰路につこうとするわたしの耳に聞きなれない声が入る
「わからない事があったら、私に聞きなさい」
声の主は鬼・・・彼女であった
その時の彼女は、鬼でも、お客さんへ向ける菩薩の顔でもなく、
寂しげな、でもほんの少し嬉しそうな顔であった
私は次の日も、当たり前のように出勤する
彼女は、寂しかったんだ
何があって彼女は鬼になったのかわからないけど
その為に彼女は従業員から孤立していたんだ
嫌がらせのように小さな事で私達を怒っていたのは
きっと待っていたからだと思う
「じゃぁ、いったいどうしたらいいんですか!?」
そんな、怒りが混ざった言葉でもいい、彼女は私達に繋がるきっかけを
求めていたのだ
それから彼女は、
・・・・・相変わらずだ
でも、依然とは明らかに何かが違う
私より後に入ってきた後輩のさきちゃんには容赦ない銃弾を浴びせてはいるが
私に対してだけ、その銃弾はほんの少し、暖かさを感じるのだ
事実、以前のような嫌がらせのような怒り方は少なくなった
さきちゃんがカウンター裏から戻ってくる
目には涙が滲んでいる
さきちゃんに言ってあげよう
わからないことは彼女に聞いてみれば? と・・・
相変わらず、今日も彼女は怒っている
でも、今日の彼女は少し嬉しそうだ
さきちゃんが私に言われたように、彼女に仕事について聞いてる
明日もその次の日も、きっと彼女は怒っているんだろう
でも、私は思う
いつかは、彼女が鬼でなくなる日が来ると
私は、彼女の本当の顔を見たいと思っていた
その頃には、きっと彼女は寂しさから解放されてるんじゃないかな
今日も、彼女は怒っている
おわり