第九話 「超人Xの素顔」
起:探偵、警部、そして超人
影が伸び、彼の足元まで届いた時。
その男は後ろに下がるどころか前へ歩み寄り、漆黒の闇よりその姿を目前に現した。
距離はおおよそ大人の足で三歩分、掴みかかれば直ぐに捕まえられる距離である。
彼の仮面の下の素顔はどの様な物か分からない、只…分かるのは、その仮面越しの顔と同じく魔性の笑みを浮かべているであろう事だけだった。
「流石は探偵佐伯泰彦。これは更に予想外の出来事だったよ、良く此処が分かったものです」
「君が驚く顔をするのが見たくてね、色々罠を張ったんだけど、君はあまり驚かないんだね」
この返し言葉に超人Xは再び薄く笑いを返した。
「そんな事ありません、本当に驚いていますよ佐伯君。どうやってここを嗅ぎつけたのか分かりませんが結果は変わらない、私を捕まえる事は出来ない」
再び拳銃を手に持ち、銃口を大森警部に向ける。
その冷たい視線と拳銃から放たれる死の空気に、大森警部はムガムガと声に成らない声を一生懸命に発し体をクネクネうねらすが、流石に自由を得る事は叶わない。
「問題無いよ超人X、大森警部を撃ってみるがいい。私がすぐさま君を捕まえて見せる、彼は犯罪者を捕まえる為に死ねるのなら本望であろうさ」
佐伯先生は静かな口調で、そう言った。
承:私は人殺しではない
「ム!!ムガガガ」
バッタンバッタンと陸に上げられた魚の様に暴れ始める大森警部。情けなくも目に涙を浮かべ鼻水を垂れ流す姿に”警部”と言う威厳もへったくれも無い。
だが当の二人はそんな大森警部の姿など無視するかの様にただ見つめ合い、そこから発される空気には只成らぬ緊張感が包まれていた。
足元から腰にかけて何か熱い物が立ち昇り、目線の先が揺れる。
「…君は嘘をついているな佐伯君。君は大森警部を助けたい、違うかな?」
超人Xの口元が緩む。
「撃ってみなさい、この人殺し」
佐伯先生がその言葉を言った瞬間、超人Xの顔色は瞬時に切り替わり”怒り”、”憎しみ”、”殺意”と言った負の感情が表に出る。
「私は人殺しなどでは無い!!」
大きな声でそう言い放ち、銃口を佐伯先生に向けると、彼はそのまま引き金を引き
本日二度目の雷鳴が美術館に響いた。
転:逆鱗
殺意が込められた弾丸は風を貫き、佐伯先生の額から三寸程上を通過し天井の壁に穴を開ける。
拳銃の銃口から硝煙が吹きあがり、一呼吸おいて煙は止まった。
佐伯先生の頭から、パラパラと切り落とされた自慢の癖毛が落ちたが、佐伯先生は目線を外さす超人Xを睨みつけたままである。
「私は人殺しなどしない、殺人機械などでは無い、私は出来そこないでは無い。見ろ!私は美しい、完璧だ!誰よりも優れている」
体の奥から発せられる不愉快な声色
その声には既に先程までの優美で紳士的な対応は見られない。ただただ、体の芯まで痺れそうな程に超人Xが怒りを孕んでいる事は目に見えて分かった。
「超人X。君は何者だ?何の為にこの様な犯罪行為を行う?」
雰囲気に圧倒される事無く、佐伯先生は彼に質問を投げかける。
”何者であるのか?”、”何の為にこの様な事を行うのか?”
超人Xは”それ”に答える事は無かったが、ゆっくり拳銃を構える手を下ろし、それを後ろに投げた。
結:牙を剥く二体の獣
「私は私だ、それ以上では無い。そして人殺しではない、それを証明してあげよう佐伯君。私を捕まえて見るがいい」
元々背の高い超人Xであったが、今の彼の姿は普段より何倍も大きく見えた。”威圧”と言うものだろうか?
武術の有段者が持つ”その”空気に似ていた。
「決着を付けようじゃないか、超人X。私は君を捕まえて見せる」
その声には決意が込められている。
「私は”この”名前が好きだよ佐伯君。誰が考えてくれたのかは知らないが理想の通り名だ」
「”超人”、人を越えし者…」
「名は体を表す。今、君はその超人を倒そうとしている訳だ」
二人は同時に腰を落とし、数歩後ろに下がり睨みあう。
何処からともなく風が吹き、床に散らばる髪の毛を廊下へ運んだ。
誰も声を上げる事は出来なかった、ただただ…そこには牙を剥いた二体の獣が居るだけであった。