Neetel Inside 文芸新都
表紙

探偵 佐伯泰彦 対 超人X
最終話  『また逢いましょう』

見開き   最大化      

最終話 「また逢いましょう」


起:トマトの匂い、夏の匂い

 新聞紙を持つ手がインクでベトベトになる夏の日の頃。
 そう…僕らの長い夜から三カ月は過ぎていたある日の事だ。
「こんにちわぁ、佐伯先生は御在宅ですか?」
 事務所の扉が開き中年の女性が顔を出した。
「ああ、シロー君のお母さんですね。こんにちは」
 敷居の間から顔を覗かせ、佐伯先生はニコリと笑った。
「もう具合の方は大丈夫ですか?」
「退院して二ヶ月経ちますが未だに若干、肩に重みを感じます。まぁ命があっただけでも良かったと思っていますよ」
 甘く青々しい匂いが外から流れ込み、それは風に乗り部屋の隅々まで運ばれた。
その匂いに釣られ僕も座敷からひょいと顔を出す。
「あら正チャン。うふふ、これ二人に御裾分け(おすそわけ)、一緒に食べて下さい」
 彼女の手には山の様に盛られたトマトが笊(ざる)の上で美しい赤い光を放っている。
 外を眺めると遠くの方に入道雲が見えた。話では今夜は大雨になるかもしれないとの事だ。
 まるで今夜行われる処刑に合わせて空が泣いている様にも思えて仕方が無い。
 そう、あの天下の大泥棒“超人X”が処刑されてしまう数時間前の出来事であった。



承:幕は下りた

「打撲と鞭打ちです、一カ月は養生してください。骨には異常ありません、丈夫な骨で何よりです」
 あの日、僕ら三人は軍の大型“おーともーびる”を追いかけ国営の病院へと向かった。佐伯先生はぐったりしており、言葉も発する事が出来ない状態にあり、いよいよ危機感が募って来た。
 子供ながらに感じるのは“死”、佐伯先生と言う人間の消失。
 一緒に住んだあの事務所で又会う事は出来ない。一緒にご飯を食べる事もベッドの上で語り合う事も出来なくなる。
 それを思うと、只々…胸や鼻の奥の方が熱くなり涙も鼻水も際限無く溢れ出る。
 そんな中、お医者さんの診断結果を聞いた時、僕らは言葉を失う。
皆それぞれ最悪の結果すら考えており覚悟を決めていたのだが、まるで肩を透かされた様な、まるで背中に掛かった重しが一欠片無く消え去った、そんな感じの緩み。
「先生!よかった!生きてた!」
 場も弁えず(わきまえず)僕は大きな声で薄い毛布に包まった佐伯先生に抱き付いた。
 大森警部と綾ノ森少佐は決して大きな声を出す事無かったが、彼らの顔には安堵の笑みが浮かび、偽りの無い笑い声が室内に響く。

 負傷者 三名
 重傷者 一名
 損失額 おおよそ四拾円(硝子二枚、掃除費、その他費用)

 初夏の夜の大捕り物劇はこうして幕を閉じた。



転:彼は本物の超人Xなのだろうか?

 さて、捕まった超人Xはと言うと直ぐ様に軍警察の監獄の中に放り込まれる。
「府警如きではいつ逃げられてしまうか分からないからな」
 足利大佐の一声で超人Xの取り調べは軍警察が一手に担う事となる。
 目を覚ました佐伯先生もこの話を聞いて
「それは良い。私も無事だったら軍で引き取るのを勧めていたよ」
 そう言っていた。
 と言うのも、佐伯先生は彼の過去から“特別高等警察”に彼の身柄が引き渡されるのを一番恐れたのである。
 軍警察は警察とは言うが実際には陸軍に所属しており、特別高等警察は警察と同じく保安局の傘下である。それ故に警察が超人Xの身柄を引き取れば、特別高等警察が彼の身柄引き受けを強行する危険があった。

 程無くして、彼の供述から盗み出した美術品は堺のとある倉庫の地下に隠されているのが分かった。
 そこはまるで美術館の如く美しく飾られ、当時ではまだ設備が整っていなかった電気すら流れており、白熱灯で映し出される数多くの美術品は国営の美術資料館の“ソレ”と大差の無い出来であったらしい。
 

「他に方法は無かったのかい?」
 退院した佐伯先生は、何よりも先に彼の元を訪れこう言った。
 超人Xは昼も夜も分からない漆黒の部屋で軟禁されており久しぶりの外の光に目を細め、こう返した。
「あったかもしれないな…しかし佐伯君、この遊びは面白かっただろう?」
 まるで子供の様にニコリと微笑みかけ彼はそう言った。
 つられて佐伯先生もニコリと笑い。
「とても楽しかった」
 偽りの無い笑みでそう返した。

 四半時ほどだろうか、いくらかの言葉を交え佐伯先生が面会室から出る。
 扉の横には若い兵隊が立っており、佐伯先生に対し敬礼を行い見せた。
 僕らは頭を下げ、彼の横を通り過ぎる時、彼は一言佐伯先生に質問をする。
「不躾(ぶしつけ)ながら…探偵殿は彼を本物の超人Xと思われますか?」
 彼はそう問いかける。決して冗談では無く、真剣な眼差しを僕らに送る。
 佐伯先生は少し黙って、ゆっくりとこう返した。
「彼は本物ですよ…偽物なんかではありません」
「左様ですか。ご教授頂き、大変大変感謝致します」
 再び鉄板で固められた靴の底で床を鳴らし、硬い表情で敬礼をして見せる。
 僕らもそれに倣い(ならい)敬礼をして見せた。

 その帰り…
 軍の駐屯所を出る時、佐伯先生が思わず見せた小さな笑いを僕は見逃さなかった。



結:佐伯泰彦と、超人Xと、僕と、後沢山の人達

 超人Xの処刑の翌日。
 僕が朝刊を取りに郵便箱に向かった時、大きな音を立て一台の“おーともーびる”が事務所の前に現れる。
 まだ道と言う道が整備されていない時代、ソレの急停止によって巻き上げられた砂埃が大きな風に乗り、僕の体を吹き飛ばす。
「馬鹿!下手糞!まずい!当たる!」
 中から中年の脂っこい悲鳴が静かな町に響き、次の瞬間隣の家の石塀に衝突。そしてソレはようやく止まった。
 “おーともーびる”中から黒い煙が上がり、『ボン』っと小さな爆発音の後、ソレは完全に沈黙する。
「おっ大森警部ですか?」
「ん、おお正チャンかい?いやぁまったく恥ずかしい所を見られた」
 唖然とする僕を尻目に
「スマンが大急ぎ佐伯君に会いたい。今起きてられますかな?」
「えっ?佐伯先生は昨晩“ないとしよう”を見に言ったきり帰っておられませんが…」
「なんてこったぁ!こう言う時、メリケンでは“おーしっと”と言うらしいが…多分今がそれの使い時なんだろうかな?」
 多分笑う所なのだろうけど…寝起きの僕には高度過ぎた。
「そんな事はどうでもいい、正チャン大変だ!超人Xが逃げ出したぞ」
 ゆるりと僕の手から離れた朝刊は丁度巻末の『正チャンの冒険』の項を表にして落ちる。
 それは風になびきパラパラと捲れ(めくれ)、一面にデカデカと書いてある
『超人X 処刑日ニ 脱獄  現在行方不明』
 の項で止まった。

 場所は変わり…
 その小さな劇場では、たった今大きなブザーが鳴り響き、照明が落とされ辺りは真っ暗闇に包まれる。
 そして暗黒空間と成り果てた室内に一筋の光が走り、真っ白な幕に映像を映し出した。
「英雄ジェイムスと大盗賊ロビンロイドの決闘」
 語り部は大きな声で白い幕に映しだされた題名を読み上げる。
 室内にはたったの二人の男性客しかいない。一人の男性がもう一人の男性に水筒を差し出す。彼は無言でそれを受け取り、喉を鳴らして飲み干した。
「君が約束を守った事を私は喜ぶべきか悲しむべきか…」
 眼鏡をかけ頭がぼさぼさの男は、空になった水筒を彼に返しニコリと笑った。
「アルセーヌ・ルパンと言う怪盗をご存知ですか?」
 同じく眼鏡を掛け頭がぼさぼさの男はそう言った。

「ねぇ、ジェイムスいかないでぇーいかないでぇージェイムス。この牧場はもう捨ててどこかへ逃げましょうぉ。牧場の娘アンナは必死にジェイムスの腕を引く」
 語り部の声が室内に響き渡る。白い幕の中に映る髭を生やした男に二人の視線は集中した。
「西欧で有名な怪盗ですね。私の彼の物語は大変好きですが、それがどうしたのです?」
 もう一人の男はにやりと笑い。
「彼と全く同じ方法で逃げ出しただけです。貴方なら直ぐ分ったんじゃあないですか?」
 クスリと笑い声を洩らし、頭を掻きむしる。
「あれですね『自分はルパンじゃぁないー、自分はルパンじゃぁないー』って言い続けて、最後に本当に入れ替わって逃げ出す…と言う話でしたかね」
 二人はお互いを見つめ合い少し笑う。
「君が『人間椅子』なんて洒落た罠を見せてくれたから私もお返ししただけさ」
「なるほど、私達は良く似ている。…どうかな?私と一緒に探偵業でもしないか?」
 薄暗い室内で自分と同じ姿顔形をした男に問いかけた。
「ふふふっ…心にもない事を。私は君が死ぬまで君と遊んでいたいな」
「それは困る。人の道を外れた者を野放しには出来ないよ。考え直してくれないか?」
 彼は立ち上がり微笑みかけ
「まぁ、どうするかは体を治してからさ。私がやりたい事、私しか出来ない事を見つけた時、また逢いましょう。…さらばだ、我が宿敵“佐伯泰彦”」
 男は静かに扉を開ける。いつの間にか昇っていた太陽の光が真っ暗な室内に白い光の帯を映しだし、扉が閉まると再び漆黒が室内を包んだ。
「相変わらず洒落た男だね。超人は…」
 いつの間にか膝の上に自分の顔そっくりな仮面と一通の手紙が乗せられていた。

「バァーンバァーン、ジェイムスの放った弾丸は大盗賊ロビンロイドの脳天を貫き勝負は着いた。牧場を脅かす悪を正義の弾丸が打ち倒したのだ」
 再び語り部は映像に合わせクライマックスの場面を熱く語る。
「せんせぇーせんせぇーー」
「佐伯君は此処かね?佐伯君大変だぁー!佐伯君!」
 扉の向こうから聞き慣れた声が聞こえて来る。
「…さぁて、私も行こうかな。…また逢おう…超人X」
 再び部屋に白い帯が映し出される。
 佐伯先生は僕と大森警部にいつもの笑い顔を見せる。
 僕らもつられて何となく顔がゆるむ。
「お腹空いたね。一緒にプリンアラモードでも食べて帰ろうか?」
「いやいや、佐伯君!大変なんだ!超人Xが!」
「大森警部も一緒にどうですか?コロッケをパンで挟んだ軽食もあるんですが」
「…まぁ急いだ所で何かが急に変わる訳でもないし…せっかくの誘いを断るのも失礼となる。御一緒させて貰おうかな」
 僕も佐伯先生も大笑い。つられて大森警部も照れながら笑った。


 蝉の鳴き声が五月蠅く、地面から焼けつく様な熱気が僕らを包む。
 汗で湿った僕の髪を先生が撫でてくれた。
 僕は照れながら、笑って先生の手を握り締める。
 
 嗚呼、やっぱり僕は先生が大好きだ。




--終わり--

       

表紙

冬波 しう [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha