Neetel Inside 文芸新都
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伝染少女
「発病」

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 その日私は、数学のノートを一冊机の中に忘れていった。
 本当に、ただそれだけだったのに。

 ○

 翌朝私は、学校に着くやいなや慌てて机の中に手を差し込んだ。高坂千聖17歳、高校生活二年目。勉強道具を学校に置いていくなどといった悪行の経験の無かった私は、ノートが無くなってやしないか不安だったのだ。
 が、どうやらそれは杞憂だったようで、数学のノートは間違いなく机の中に入っていた。と言うか、“置き勉”と呼ばれる勉強道具を学校に置いて帰宅するという行為は、皆普通にやっているらしい。
 胸を撫で下ろし椅子に座り直そうとすると、私の手が隣の席の男子に触れた。あまり話した事もない男子。私は黙って頭を下げた。すると隣の彼は「いや、いや」と笑って返してくれたので、私はまたほっと一息ついたのだった。
 黒板の上の時計に目をやった。八時二十七分。まだ、四十分から始まるHRまでには暫く余裕がある。私は、腰の辺りまで伸びた黒髪を右手の指で梳かしたり、今日ある授業の教科書の準備をしたり、ただ一人で黙って過ごしていた。教室の喧騒の中でこうしていると、およそ、自分の周りにはあまり人が寄ってこない。男子は消しゴムで野球をしていたり、女子は朝っぱらから自身の恋愛談を語る事に夢中だったり。皆、思い思いにこの朝の時間を過ごしている。
 右側の席の彼は……。これは偏見かもしれないが、一人で大人しくしているようなタイプには見えない。薄く染まった茶髪を見ただけで、私は少し萎縮してしまう。そんな彼も、今は私に同じく一人自分の席でだらだらとしている。もっとも、私には足を机にかけたりだなんて神をも恐れぬ行為はできようもないけれど。
 教室の喧騒の中で、まるで私と彼だけが孤立しているかのように思えた。彼が、この状況でも席から立ち去らないのが妙に嬉しい。
 私は気分が良くなって、かつ少しだけ気恥ずかしくもあって、気を紛らわせるように数学のノートをパラパラと開いた。少しついていけなくなってきた数式がページに並ぶ。

【残念ながら、あなたは発病しました。】

 見覚えなど無い文章が、前回板書した直後のページに書き殴られていた。
 誰かのイタズラか何かだろうか。ほら、やっぱり置き勉なんてろくな事が無い。私はため息をついて、ページを更に開いてみた。

【残念ながら、あなたは発病しました。12時間このままだと、あなたが死ぬ。でも、誰かに触れる事で“菌”は伝染します。12時間後に“菌”を持っている人間が、死ぬ。】
 右側のページに移る。
【あなたは発病源。誰かが死ぬ度に、またあなたは発病します。死なない為に、あなたは“菌”を誰かにうつしましょう。人が人に触れる度、“菌”は次々とうつっていきます。さあ、誰に触りましょうか?】
 出来の悪いオカルト怪文書。その最後には【第一次発病時刻:10月14日20時35分】と付け加えられていた。
 ……まさか、本当だとは思わない。でも、私は今日――。
 携帯電話の待ち受け画面を開いた。10月15日8時34分。このノートに書いてある全ての事が真ならば、一分前。
 私は後ろを振り返り異変が無いかを確認した。皆、相変わらず好き好きに騒いでいる。後ろを向いた今の状態からだと、今度は左側に彼がいる事になる。私は恐る恐る目線を左に動かした。
 彼は自分の席で、机に突っ伏して眠り込んでいた。良かった。
 私は今度は右を向いたが、しかしやはり何も無い。もう一度待ち受け画面を確認したが、既に35分を回っている。やはりこれはイタズラだったのか。いや、考えるまでもない。常識的に考えて、本当であるはずがなかった。
 少し恥ずかしくなって、前を向いた。スカートを直しノートを閉じる。そのまま、何事もなく時間は過ぎた。
「カキーン!!」
 クソ男子の放った打球(消しゴム)が黒板を直撃した。うわあ、ホームランだ。すごいすごい。
「この野郎!」
 ムキになったピッチャーは、消しゴムを拾いもう一度放つ。
「ゴワキーン!!」
 しかし、ピッチャー必死の投球も無惨に打たれてしまった。ていうか、バッター。おまえ野球部のくせしてこんなとこで調子こいてんじゃねえよ。
 消しゴムは一度壁を跳ね返り、隣の彼の頭に当たった。
 尚の事、あの辺の連中の事が腹立たしく思える。静かにしていたい人にこういう害を与える奴が一番性質が悪い。
「わりい池本!」
 ああ、そうだそうだ。池本くんっていうんだった。消しゴムを拾いにくる男子を尻目に私はそんな事を考えていた。池本くんはお構いなしに眠り続けている。

 ………………。
 池本くん、いつから寝てたっけ……。

 まさか。最悪の予感が頭を過ぎる。私は立ち上がり、恐る恐る彼の傍に近付いた。
 ねえ、消しゴムが頭に当たってんだよ。こんな短時間で熟睡してるわけないでしょ。起きてよ。
「ねえ、ちょっと……」
 私は少し強めに、彼の体を揺らしてみた。
 たったそれだけで。こんなにも簡単に、彼の体は机から落ちていった。
 机の倒れる音と共に彼の体が床に落ちると、喧騒の内訳が悲鳴に変わった。

       

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