Neetel Inside 文芸新都
表紙

伝染少女
「伝染」

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 池本くんは力無く、崩れるように床に落ちた。
「ちょ、ちょっと……」
 私は肩を揺らしたが、その目は決して開きはしない。開くまい、と固く瞼を閉じている訳ではない。もしかしたら、薄っすらとこちらが見えているのかもしれないと思える程に力無く閉じられた瞳が、逆に絶望感を語っていた。
 普通の状態なら、私も他の生徒達と同じように慌てふためくだけだったであろう。ただ、私だけが“知っている”という状況であるが故に、この極限状態の中で、他生徒と比べほんの少しだけ冷静さを保つ事ができていた。その冷静さは、とにかく早く彼の生死を確認する事へと四肢を動かす。私は震える右手を彼の手首に伸ばした。
 素人であるから、脈の確認なんてもしかしたら出来ないかもなんて、そんな杞憂は一瞬で吹き飛んだ。
 はっきりと理解する。彼は死んでいる。
 その瞬間、私は教室内で最も動揺している人間へと変貌した。
「うわあっ!!」
 彼の手首を掴んでいるのが恐くなり、思わず放り投げた。彼の傍にも居たくない。床を這って遠くへ離れた。
「高坂!?」
 彼の死体を囲っていた集団の中から、何人かが私の後を追ってくる。
 黒板の下にまで辿り着くと、今度は私は壁を背にして、彼の死体に足を向けた。息は乱れ、汗が頬を伝っているのが自分で分かる。
「高坂!! 大丈夫か!?」
 誰かの、怒号にも似た声と共に右手を掴まれて、私は少しだけ我に返った。
「高坂!!」
 男の子の野太い声が私を呼び続ける。
 果たして、相手が聞き取れる程にはっきりとした滑舌かどうかは分からなかったが、私は多分「ごめん、大丈夫」としどろもどろに発音したと思う。普段はほとんど意識した事も無い男子の存在が、今はこれ以上無い程にありがたい。
「落ち着け高坂。大丈夫だ」
 名前すらスムーズに出てこない彼は、それでも私の事を必死に勇気付けてくれていた。私の右手を握る手には、力が入り私同様汗ばんでいる。

 あ…………。

 あのノートに書いてあったこと。私の手が池本くんに触れたこと。8時35分を迎えた時のこと。
 つい数分前から数十分前までの記憶が、めぐるめく頭の中を駆け巡る。
「ああっ……!!」
 私は右手を払い彼の手を振り解いた。いや、それは振り解くなんて生易しいものでは無かったかもしれない。叩き落すとか、放り投げるなんて表現の方がまだ近いように思える。
 彼も、流石に怪訝な顔をして私を睨んだ。違う。そうじゃなくて……。
「おい! 池本の体を運ぶのを手伝ってくれ!」
 体格の良い彼を、向こう側の集団が呼ぶ。
(! 待って!!)
 私は咄嗟に腕を伸ばしたが、それより早く、また他の男子が彼の手を引く。

【人が人に触れる度、“菌”は次々とうつっていきます。】

 ノートの中の一文が、頭の中で繰り返された。
 人から人へ、人から人へ。人の塊の中で繰り返される“菌”の移動は到底目でついていけるものではなく、とうとう私は“菌”の行く先を見失った。
 どうしようもない虚無感。自分が根源だという絶望感。どうしても耐え切れなくなって、私は顔を膝に埋めて泣き出した。

       

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