銀色の魔王
序章 戦う女王
序章 戦う女王
声が聞こえる。
〝目覚めよ〟
それは黒く、鋭い声で。
〝目覚めよ〟
耳元で、囁く様に。
〝時は来た〟
頭の中に直接語りかけてくるかの様に。
〝我らの王が蘇る〟
その声は、響く。
〝目覚めよ〟
その声は、響く。
〝目覚めよ、同胞よ〟
目が覚めるのは、いつもその声の後だった。
「ふぅ……」
俺は、息を吐いて学校への道を歩いていた。
「おっはよー、正貴!」
何故か無意味に体当たりして、詩織が現れる。何故こいつはいつもこう無意味に元気で、しかも俺に無意味に攻撃をしかけてくるのだろうか。いつもならそう文句の一つでも言ってやるところだが、生憎今日はそんな気分じゃなかった。
「ああ、おはよ」
俺は適当に詩織に挨拶して、そのまま歩き始めようとする。が、それはいきなりばっと俺の前に回りこんできた詩織によって妨げられる事になった。
「ど、どうしたの、正貴!?あんた絶対変よ!?あたしの朝のコミニケーションに応じてくれないなんてっ!いつもなら目の色を変えて返事をしてくれるじゃないっ!」
…こいつとは幼稚園からもう十年以上の付き合いだが、未だに性格が把握できない節がある。何がコミニケーションだ。一応言っとくが、俺はいつもは単に怒って文句をつけてるだけだぞ。
「いや、なんとなくそんな気分じゃなくてな」
なんにしても面倒だったので、俺は正直な気持ちを答えて歩き始める。詩織は後ろで「どうしてしまったの、正貴!?」とかまたやかましかったが。
俺はまた息を吐いて、力なく学校への道を歩いていた。
俺、狼森正貴は、誰だって同じ様に、自分が普通の人間だと信じて生きてきた。普通の人間で、十六で、高校生。そんな事に疑いを持った事すらなかった。
それが間違いだと言う事に気づいたのは、ごく最近の事―
正確には昨日の事であった。
正直、何がなんだかわからない。
ただ、昨日の事が夢じゃなかったのだという事だけは確かだ。
昨日、寝付けなくて目を覚まし。
そして何気なく窓から外を眺め。
そしてふと月を見てしまい。
その瞬間、体の中で何かが弾けた様な感じに襲われて―
気が付いた時には自分が化け物の姿になっていた俺の気持ちなぞ、誰にもわからないだろう。多分。
俗に言う、狼男というやつらしい。
あの、半分人間で半分狼、というやつだ。
鏡で見た時の姿は、まさにそれそのものだった。
口は裂けてて狼みたいに鋭い牙が生えていて、銀色の毛で覆われていて、何故か目の色まで銀色になっていて―とにかく、化け物としか言い様が無い姿ではあった。
「狼男さん、ねぇ……」
屋上でボケーっと空を眺めながら、俺は完全に放心していた。
気が付けばすでに昼休み。いつもはあんなに長く感じる授業が、さらりとすぎてしまっている。なんとも怖い事に。めんどい授業より遥かに気がかりな出来事、というものを抱えている為に。
「狼、男……」
一体、何がどうなっているというのだろう?
少なくとも、俺は今まであんなものに変身した事は無かったはずだ。曲がりなりにも十六年間生きてきているのだ。月を見た事ぐらい何度もある。しかし、昨日の様な出来事は生まれて始めてである。
「…………はぁ……」
どくん。
意識を集中させると、まだ昨日浴びた〝月の光〟が少し体に蓄えられているのがわかる。その気になれば、今変身する事だってできそうである。
「なんでこんな事がわかるのか、さっぱりなんだけどな……」
結局は、どうしようもなく頭をぽりぽりと掻くしかない。
「正貴ぃぃぃっ!」
そんなおり、どんと扉が開けられ、俺の名前が絶叫される。詩織だ。
「なんだ、詩織?」
しかし俺はさして驚きもせずに、ベンチに腰掛けたまま振りかえらずに返した。
―匂いでわかったのだ。昨日から俺の鼻は異様な程敏感になっいて、どんな匂いが何処らへんにあるかとかが簡単にわかってしまう。多分犬並み―いや、狼並みの鼻になっているんじゃないかと思う。今朝だって、いつもならいきなりの体当たりでひびるところを、匂いでだいたい予測できていたからたいして衝撃を受けなかった、というのが別に文句をつけなかった理由の一つでもある。ちなみに、わかっていたのに何故避けなかったのかといえば、単に避けても、どうせあの女はしつこくまた体当たりをしようとしてくるだけであるから、である。
「な、何であたしだってわかったの!?」
詩織が驚いた様な声を出し、よろりとよろけてみせる。振り向かなくても匂いでその様子がだいたいわかる。
「声でわかるだろ、そりゃ」
本当は匂いでわかったのだが、まあ声でもわかるのは本当だ。だいたい人の名前を何の遠慮も無く絶叫してくれる奴なんて、こいつ以外いない訳だし。
「……やっぱり、今日のあんた何か変ねー。いつもなら、ここで〝実は超能力者だった〟とかいう設定でのってきてくれるとこなのに」
詩織が妙な文句をたれながら、俺の隣に座る。普通、昼休みのこの時間といえば結構人で溢れているものだが、今日は何故だか人が少ない。曇っているせいだろうか?もっとも、別にどうでもよくはあった。昨日の夜の俺のいきなりの変身に比べたら、屋上にたまたま人があまり入ないからどうだというんだろう?理不尽さははるかに下だ。
「あんたホントにどうしたの?何か悩みがあるんだったら、このしおりんが相談にぐらいのってあげてもいいわよ?ただし恋愛関係以外だけど」
詩織がふっと不敵な笑みを見せて言ってくる。まあ一応心配してくれてるらしい。こいつにも一応友情とかそういうのがあったんだな、と少し感動してしまう。しかし、いきなり俺が狼男だと相談していいものなのだろうか。
「……なんで恋愛関係は駄目なんだ?」
答えは否。だと思う。下手をすれば頭がおかしいとも思われかねない。という訳で、俺はとりあえずあたりさわりのない事を聞いておいてみた。
「馬鹿ねー、他人が人の恋路に手を出したりしたら、呪われるものなのよ」
相変わらず訳のわからない論理を、確信を持った口調で言ってくる詩織。誰に呪われるんだう。それ以前に何でだ?
「そうか。だけどな、恋の悩みなんだ」
ともあれ、俺はそう答えて首を振っていた。
「嘘……!そんな………っ!あの留守中に部屋をあさってみても、エロ本の一冊も持ってなかった正貴の口から、恋なんて言葉が出るなんて……!」
驚愕に満ちた表情で詩織が俺を見る。俺はふっと不適に笑って、髪を風になびかせた。
「人は成長するものなんだよ、詩織君。それより今度そういう真似をしたら、君とは縁を切るよ詩織君」
ちなみに詩織の家は、俺の家の隣だ。そして詩織は本当にそういう事をする奴であり、最後に付け加えるなら、俺は物を隠すのが結構上手いみたいだ。
「ああ、そんな!信頼していた正貴ちゃんの口からそんな台詞を聞くなんて、しおりんなんだかとっても悲しいわ…!」
詩織が目に涙を貯めて首を振る。
「ふっ、元より世界は悲しみに溢れているものなんだよ、詩織君」
俺は目を閉じて物悲しく語る。
「そして僕はもうあの頃には戻れない」
「ああっ、しおりんを見捨てないでまーくん!いつからそんな冷たい子になってしまったの?あの頃のひねくれてて、ちょっと性格の悪いまーくんに戻って!」
ようやく俺も、少しは平常心を取り戻してきたみたいだ。詩織との会話がいつも通りになっているのがその証拠といえる。
ちなみに、前に友達から〝なんでおまえらって何時も意味も無く、芝居だか漫才だかわからない会話を繰り広げてるんだ?〟とか聞かれる事があるが、俺はそれにこう答えた覚えがある。
さあ?と。
声が聞こえる。
〝目覚めよ〟
それは黒く、鋭い声で。
〝目覚めよ〟
耳元で、囁く様に。
〝時は来た〟
頭の中に直接語りかけてくるかの様に。
〝我らの王が蘇る〟
その声は、響く。
〝目覚めよ〟
その声は、響く。
〝目覚めよ、同胞よ〟
目が覚めるのは、いつもその声の後だった。
「ふぅ……」
俺は、息を吐いて学校への道を歩いていた。
「おっはよー、正貴!」
何故か無意味に体当たりして、詩織が現れる。何故こいつはいつもこう無意味に元気で、しかも俺に無意味に攻撃をしかけてくるのだろうか。いつもならそう文句の一つでも言ってやるところだが、生憎今日はそんな気分じゃなかった。
「ああ、おはよ」
俺は適当に詩織に挨拶して、そのまま歩き始めようとする。が、それはいきなりばっと俺の前に回りこんできた詩織によって妨げられる事になった。
「ど、どうしたの、正貴!?あんた絶対変よ!?あたしの朝のコミニケーションに応じてくれないなんてっ!いつもなら目の色を変えて返事をしてくれるじゃないっ!」
…こいつとは幼稚園からもう十年以上の付き合いだが、未だに性格が把握できない節がある。何がコミニケーションだ。一応言っとくが、俺はいつもは単に怒って文句をつけてるだけだぞ。
「いや、なんとなくそんな気分じゃなくてな」
なんにしても面倒だったので、俺は正直な気持ちを答えて歩き始める。詩織は後ろで「どうしてしまったの、正貴!?」とかまたやかましかったが。
俺はまた息を吐いて、力なく学校への道を歩いていた。
俺、狼森正貴は、誰だって同じ様に、自分が普通の人間だと信じて生きてきた。普通の人間で、十六で、高校生。そんな事に疑いを持った事すらなかった。
それが間違いだと言う事に気づいたのは、ごく最近の事―
正確には昨日の事であった。
正直、何がなんだかわからない。
ただ、昨日の事が夢じゃなかったのだという事だけは確かだ。
昨日、寝付けなくて目を覚まし。
そして何気なく窓から外を眺め。
そしてふと月を見てしまい。
その瞬間、体の中で何かが弾けた様な感じに襲われて―
気が付いた時には自分が化け物の姿になっていた俺の気持ちなぞ、誰にもわからないだろう。多分。
俗に言う、狼男というやつらしい。
あの、半分人間で半分狼、というやつだ。
鏡で見た時の姿は、まさにそれそのものだった。
口は裂けてて狼みたいに鋭い牙が生えていて、銀色の毛で覆われていて、何故か目の色まで銀色になっていて―とにかく、化け物としか言い様が無い姿ではあった。
「狼男さん、ねぇ……」
屋上でボケーっと空を眺めながら、俺は完全に放心していた。
気が付けばすでに昼休み。いつもはあんなに長く感じる授業が、さらりとすぎてしまっている。なんとも怖い事に。めんどい授業より遥かに気がかりな出来事、というものを抱えている為に。
「狼、男……」
一体、何がどうなっているというのだろう?
少なくとも、俺は今まであんなものに変身した事は無かったはずだ。曲がりなりにも十六年間生きてきているのだ。月を見た事ぐらい何度もある。しかし、昨日の様な出来事は生まれて始めてである。
「…………はぁ……」
どくん。
意識を集中させると、まだ昨日浴びた〝月の光〟が少し体に蓄えられているのがわかる。その気になれば、今変身する事だってできそうである。
「なんでこんな事がわかるのか、さっぱりなんだけどな……」
結局は、どうしようもなく頭をぽりぽりと掻くしかない。
「正貴ぃぃぃっ!」
そんなおり、どんと扉が開けられ、俺の名前が絶叫される。詩織だ。
「なんだ、詩織?」
しかし俺はさして驚きもせずに、ベンチに腰掛けたまま振りかえらずに返した。
―匂いでわかったのだ。昨日から俺の鼻は異様な程敏感になっいて、どんな匂いが何処らへんにあるかとかが簡単にわかってしまう。多分犬並み―いや、狼並みの鼻になっているんじゃないかと思う。今朝だって、いつもならいきなりの体当たりでひびるところを、匂いでだいたい予測できていたからたいして衝撃を受けなかった、というのが別に文句をつけなかった理由の一つでもある。ちなみに、わかっていたのに何故避けなかったのかといえば、単に避けても、どうせあの女はしつこくまた体当たりをしようとしてくるだけであるから、である。
「な、何であたしだってわかったの!?」
詩織が驚いた様な声を出し、よろりとよろけてみせる。振り向かなくても匂いでその様子がだいたいわかる。
「声でわかるだろ、そりゃ」
本当は匂いでわかったのだが、まあ声でもわかるのは本当だ。だいたい人の名前を何の遠慮も無く絶叫してくれる奴なんて、こいつ以外いない訳だし。
「……やっぱり、今日のあんた何か変ねー。いつもなら、ここで〝実は超能力者だった〟とかいう設定でのってきてくれるとこなのに」
詩織が妙な文句をたれながら、俺の隣に座る。普通、昼休みのこの時間といえば結構人で溢れているものだが、今日は何故だか人が少ない。曇っているせいだろうか?もっとも、別にどうでもよくはあった。昨日の夜の俺のいきなりの変身に比べたら、屋上にたまたま人があまり入ないからどうだというんだろう?理不尽さははるかに下だ。
「あんたホントにどうしたの?何か悩みがあるんだったら、このしおりんが相談にぐらいのってあげてもいいわよ?ただし恋愛関係以外だけど」
詩織がふっと不敵な笑みを見せて言ってくる。まあ一応心配してくれてるらしい。こいつにも一応友情とかそういうのがあったんだな、と少し感動してしまう。しかし、いきなり俺が狼男だと相談していいものなのだろうか。
「……なんで恋愛関係は駄目なんだ?」
答えは否。だと思う。下手をすれば頭がおかしいとも思われかねない。という訳で、俺はとりあえずあたりさわりのない事を聞いておいてみた。
「馬鹿ねー、他人が人の恋路に手を出したりしたら、呪われるものなのよ」
相変わらず訳のわからない論理を、確信を持った口調で言ってくる詩織。誰に呪われるんだう。それ以前に何でだ?
「そうか。だけどな、恋の悩みなんだ」
ともあれ、俺はそう答えて首を振っていた。
「嘘……!そんな………っ!あの留守中に部屋をあさってみても、エロ本の一冊も持ってなかった正貴の口から、恋なんて言葉が出るなんて……!」
驚愕に満ちた表情で詩織が俺を見る。俺はふっと不適に笑って、髪を風になびかせた。
「人は成長するものなんだよ、詩織君。それより今度そういう真似をしたら、君とは縁を切るよ詩織君」
ちなみに詩織の家は、俺の家の隣だ。そして詩織は本当にそういう事をする奴であり、最後に付け加えるなら、俺は物を隠すのが結構上手いみたいだ。
「ああ、そんな!信頼していた正貴ちゃんの口からそんな台詞を聞くなんて、しおりんなんだかとっても悲しいわ…!」
詩織が目に涙を貯めて首を振る。
「ふっ、元より世界は悲しみに溢れているものなんだよ、詩織君」
俺は目を閉じて物悲しく語る。
「そして僕はもうあの頃には戻れない」
「ああっ、しおりんを見捨てないでまーくん!いつからそんな冷たい子になってしまったの?あの頃のひねくれてて、ちょっと性格の悪いまーくんに戻って!」
ようやく俺も、少しは平常心を取り戻してきたみたいだ。詩織との会話がいつも通りになっているのがその証拠といえる。
ちなみに、前に友達から〝なんでおまえらって何時も意味も無く、芝居だか漫才だかわからない会話を繰り広げてるんだ?〟とか聞かれる事があるが、俺はそれにこう答えた覚えがある。
さあ?と。
まあ、とにかく悩んでいても仕方ない。
その日の夜。ちょうど満月で、恐る恐る空を見上げたらやっぱり狼男さんに変身してしまっていた俺は、腕組みをしながら夜の闇を歩いていた。
上半身はもうほとんど狼、下半身は人間っぽいが、ズボンの下はやっぱり銀色の毛で覆われていて、しかも尻尾まで生えている。ちなみに上半身が裸なのは、変身した時に元着ていた服が破れてしまったからである。
「とにかく、だ」
俺はくん、と意識を鼻に集中させる。大丈夫だ。近くからは〝人〟の匂いを感じない。思った通り、こんな田舎の街では真夜中に外を歩く奴なんぞあんまり居ないようだ。
「変身して人を襲いたくなるとかいうのは……いや、ちょっと狂暴な気分にはなるけど、まあ我慢できないほどじゃないし、それに意識ははっきりしてる。ちゃんと自制すれば、何かの映画みたいに変身して人を襲って殺してしまう、なんて事はなさそうだ」
俺はそう言ってうん、と頷く。〝なんでそんなに物事を冷静に分析できるんだ?〟とか言われる様な奴なのだが、その冷静さは未だ健在のようだ。
「要は、だ。あんまり変身しない様にして、更にはその変身した時も姿を他人に見られない様にすれば、俺は別段今までと変わる事のない生活を送れるって訳だ」
それは別段難しいものではない。今日はたまたま強烈な満月の光を思いっきり浴びてしまってどうにも止められなかったが、三日月とかそういう弱い月の晩ならば、月の光を浴びてもちゃんと制御すれば変身しないままで居る事とかもできそうだ。何故そんな事ができそうなのがわかるのかよくわからないが、きっと本能みたいものだろう。昨日変身できる様になってから、俺は鼻だけでなく野生の感とかそういうのまで狼並みに鋭くなっているみたいな気がする。
「人が居なそうな所を見繕って散歩してりゃ、そのうち月も隠れて変身も収まるだろうし。まあ人の居る居ないは匂いで探知できるし。毎晩続くとちょっと寝不足になりそうだけど、それだけだ。生きていくうえで何の問題もない」
はず、である。俺はほぅと息を吐いて、何気なく路地の壁に腰掛けた。
「なんだ、たいして問題らしい問題はないじゃんか。むしろ、普通にない能力が備わって得したって感じだな。原因は不明だけど、まあ悪くはない―」
その時、だった。
俺の感というか、本能が〝危険〟を告げる。俺は咄嗟に飛んで塀の上に飛び乗っていた。
ざざんっ。
先程まで俺の立っていた場所に、青い光の様な物が降り注ぐ。それはそのままそこに衝突し、物凄い爆音を立てた。
「な、何だぁ!?」
俺は思わず間抜けな声をあげて下を見る。光が衝突した跡では、コンクリートで出来ているはずの道路がぐにゃりと凹んでいる。俺がつい先程まで立っていた場所である。 もしそれが来るのに気づかずなかったら、間違い無く俺もああなっていただろう。
「へー、なかなかやるわね。あたしのソウル・バスターをかわすなんて」
ふいに上空から声がする。そう、上空から、だ。
「え……?」
俺は思わず信じられない気分で空を見上げた。近くには〝人〟の匂いがしなかったはずなのに人の声がするとか、この位置からするに声の主は上空を浮いている事になるとか、ソウル・バスターってなんだ?とか色々思う事はあったのだが。
(し、詩織……!?)
そう。どう聞いても、その声は俺にとって妙な程聞き覚えのある声―椎崎詩織という、まあ親友なのやらどうやらわからんというそんな女の声で―
「ふぅん、珍しい。人狼?まあ関係無いけど」
空を見上げれば、そこに何故か羽などを生やして浮いていたのは、やっぱり―
「どうせやっつけちゃうんだし、ね」
どう見ても、詩織さんに見えた。
ばさっ。
彼女は、背中の黒い翼を羽ばたかせて、近くの民家の屋根に足を下ろした。
「ふっ、まずは名乗っておこうかしら。あたしは〝クイーン・オブ・ダーク〟ことアリエス。あんたも名前ぐらい聞いた事あるでしょ?種族は一応、サキュバスって事になってるわね」
そのまるっきり詩織と同じ顔、というよりどう見ても本人な、翼を生やした女は、マントをばさっと跳ね上げて言ってきた。
俺は、完全に言葉を失った。
マント。そうマントである。そりゃ俺だって上は狼男に下は後ろから尻尾を生やしたズボンと、多少常軌をいっした格好をしてはいる。しかし、詩織(と断定。だって喋り方まで同じだ)の格好は―もうどう言っていいのかわからないものだった。
まず、羽。これは多少普通じゃなさすぎるが、とりあえずおいておくとして、髪形。はいつもと同じだ。肩まである長い髪。顔。もいつもと変わらない。それなりに整ってはいる、それなりの顔。体つきも、羽が生えている以外は普通だ。いつも通りの少し貧弱な詩織の体つき。そして服装―
「あ、別にあんたの名前はいいわよ。あたし、相手の名前なんかには興味無いの。どうせもう二度と聞く事はなくなるんだしね」
と詩織は片目をつぶる。その尋常じゃない服装をはためかせて。
あえて言おう。絶対普通じゃない。マントを羽織っているまでは言ったが、問題はそのあとだ。マントの下には、肌にぴったり吸いつくって感じの―ビンテージっていうのか?どこぞのクラブの女王様とか、そういうのが着てそうなそれを、更にもう一段階装飾を施して派手にした―そんな感じの代物が着こまれている。
一言でいうなら、派手。派手派手だ。
「じゃあ、自己紹介も終わったところで、と」
と言って詩織がぱちんと指を鳴らす。途端、詩織の体が先程飛んできたのと同じ青い光で包まれる。
「お楽しみタイム、といきましょうか。ソウル・バスターッ!」
要するに、何じゃらバスターってのは、この青い光を放つ技の事なのらしい。だってそう叫びながら光の弾を撃ってきたし。俺は結構余裕でその光の弾をかわしながら、やっぱり冷静に分析をしていた。こんな時まで冷静さが続く自分にも驚きだが、とにかく新たな発見。変身中の俺の反射神経というのは並みではないらしい。詩織が放った何じゃらバスター(横文字は嫌いだ)ってのも中々のスピードで飛んできているのがわかったが、俺はそれを軽々とかわせてしまったのだ。だんっと後ろで地面に例の光の弾が衝突し、爆音をあげる。
「へぇー、あの距離からでも避けるなんて、あんた筋がいいわよ」
その声は、俺のすぐ頭上から聞こえてきた。
「―っ!」
咄嗟に上を見上げた俺に、詩織の顔が度アップで飛び込んでくる。俺が今のに気を取られている隙に、詩織は俺の頭上に移動して来ていたらしい。
「ウィング・ソニック!」
詩織が空中でくるんと半回転し、羽を俺の目前で交差させる。その影響で巻き起こる風だか真空だかわからない物が、また俺の〝すぐ横〟を通り抜けていく。
「何がなんだかよくわかんないけど、何で技の名前がみんな横文字なんだよっ!もっとわかりやすくしろっ!英語は嫌いだ!」
しかし完全には避けきれずに自慢の毛並みをちょっと短くされた俺は、そうしてくれた張本人に全然関係無いそんな事を叫んでいた。毛並みなんかが何時の間に自慢になったのかは謎だったが。
「なーに正貴みたいな事言ってんのよ、あんた。だいたいね―」
悪かったな。だけど自慢じゃないが俺は正貴その人だぞ。にしても、台詞に日常的にこういうのが出てくる辺り、やっぱりこいつ詩織だ。間違いない。
「こんな小手調べの技をかわしたぐらいで、いい気になってもらっちゃ困るわよ?私はまだ本気のかけらもだしちゃいないんだから」
詩織は少し離れたところに着地し、きどったポーズをとって指をふる。派手な衣装との相乗効果で、見ているこっちが恥ずかしくなってくる。
「ええと、何がどうなってんのかさっぱりだけど、その……おまえ詩織だよな?」
俺はとりあえずそれだけは確認しておこうと、頭を掻きながら聞いてみる。
途端、詩織はそのポーズのまま固まった。
「な、何の事かしら?誰?詩織って。あたしはアリエスだって言ってるでしょ?」
詩織はあさっての方向を向いて、少し汗などを垂らしつつ言う。確認終了。やはり詩織だ。
「何で羽が生えてるのかはいいとして、その格好は一体何なんだよ?はっきり言ってちょっと変態さんみたいだぞ」
「し、失礼ねっ!このあたしの芸術的なファッションにけちを付ける気!?製作期間一週間の自信作なんだからね!」
…手作りか、おい。まあ、確かにあんなもの何処にも売ってはなさそうだが。
「と、とにかく!あたしはアリエス!〝クイーン・オブ・ダーク〟アリエスよ!そこだけは間違えないでねっ!」
詩織はびしっと俺を指差して叫ぶ。
「何で純日本風の顔立ちしてるくせに、名前が西洋風なんだよ」
「あたしの勝手よ!とにかくあたしは絶対椎崎詩織じゃないんだからね!」
自分で墓穴を掘る詩織。だって俺は苗字までは言ってないし。しかしあれだけ素顔丸出しで名前を隠す意味があるのか疑問でしかたないぞ。
「くっ……!もしや知り合いとはね……。これはまずいわ。あたしが夜な夜なこんな格好で遊び歩いているなんて知られたら、あたしの清純なイメージが崩れちゃうじゃない」
詩織のぼそりとした呟きが、俺の耳に届く。またもや発見。変身時の俺は耳も異様にいい。
「倒した後でちゃんと記憶消しとか無きゃ。それにしても、こいつ一体誰かしら?人狼って確か普段は普通の人間の姿と変わらないから……要するにあたしの周りに居る人全員に可能性があるって事で……ああもう、誰でもいいわ!記憶消すから!」
詩織は叫ぶと同時に、例の何じゃらバスターを撃ってきた。また俺はさっと身を返して避けるが、それよりも名前を言わなくても撃てるんなら、さっきもいちいち技名なんて叫ぶなよという気持ちで一杯になった事を記述しておく。
「ええいっ!ちょこまかうっとうしいわね!ソウル・レインっ!」
詩織が叫ぶのと同時、例の青い光が今度は頭上に向かって昇っていく。そして頭上でパンッと弾け、俺に向かって無数の筋となり襲い来る。
「うおっ!?」
さすがの俺もそれにはびびって、避けそこねたのを一、二発下腹部に食らう。痛いうえに物凄く熱い。俺は衝撃で民家の上から地面に叩きつけられる。
「ふふ、可愛そうに。正体を知られたからには死んでもらうしかないわ。なまじあんたがあたしの知り合いで無ければ、命まではとらなかったのにね」
詩織は何か悦にひたりきった顔で、上空で指を振る。俺はたまらず叫んでいた。
「ちょっと待て!記憶消すんじゃなかったのかよ!?」
「ふふん。結構面倒なのよ、記憶の操作って。失敗する可能性だって高いし。だからやっぱり死んでもらっとく事にするわ」
詩織が空に手を振り上げ、今まで以上に大きな光の弾を作り始める。分裂したやつでさえ俺にこんなもう動けなくなる程のダメージを与えてくれたというのに、あんな大きいのを食らったらどうなるのかは想像したくも無い。
「こ、殺す事はないだろーが!誰にも言わんっ!絶対言わんからっ!なっ!?」
「ふっ、あんたにはあたしが昔おもらしをした時―あ、ちなみに四歳の時だからね。四歳の。その時にそれと同じ台詞を親友だと信じていた男に吐かれて信じて、次の日に幼稚園中にその噂が広まっていた時の気持ちなんて、わからないでしょうね」
悪い事をすると、それが自分に帰ってくるものだよ―なんとなく死んだ母親から聞いたそんな台詞が俺の脳裏に浮かぶ。それは事実だという事に、気づくのが遅すぎたらしい。でもあの時は俺だって四歳だった訳で、もう無効になってていいじゃないか。なぁ?
「あたしとしてもこんな格好でこんな事してて、おまけにサキュバスだったなんて世間に知れたら明日から学校に行けないのっ!許して、誰か知らないけど知り合いの人っ!正貴じゃない事をせめて祈ったげるわ!」
祈られてもどうなるというのか。だって本人だし。だいたい自覚があるんだったら、せめてその格好だけでも何とかしたらどうなものか。そんな間にも、詩織の上の玉はどんどん大きくなっていく。やばい。なんかもの凄くやばそうな気がする。
「あああっ!いきなりおまえの方から襲ってきて、そういう事言うのは理不尽過ぎる気がするぞっ!なんか物凄くっ!」
必死で助かろうと叫ぶ自分が、何だかとっても涙ぐましかった。
「うるさいわねっ!夜に顔を合わせれば即ファイトってのは、闇の種族同士の最低のルールでしょ!?」
「そんなの知るかぁぁぁぁっ!」
「今教えたげたわよっ!それじゃ納得してもらえたところでいくわよ!ソウル・エクスブロージョンっ!」
「納得してねぇぇぇぇっ!」
詩織は目をつぶって、その異様にでかい塊を俺に向かって放り投げる。食らったら間違い無く死ぬというのが本能的にわかる。―食らったら、だが。俺の目は、銀に輝いて空を見る―。
その日の夜。ちょうど満月で、恐る恐る空を見上げたらやっぱり狼男さんに変身してしまっていた俺は、腕組みをしながら夜の闇を歩いていた。
上半身はもうほとんど狼、下半身は人間っぽいが、ズボンの下はやっぱり銀色の毛で覆われていて、しかも尻尾まで生えている。ちなみに上半身が裸なのは、変身した時に元着ていた服が破れてしまったからである。
「とにかく、だ」
俺はくん、と意識を鼻に集中させる。大丈夫だ。近くからは〝人〟の匂いを感じない。思った通り、こんな田舎の街では真夜中に外を歩く奴なんぞあんまり居ないようだ。
「変身して人を襲いたくなるとかいうのは……いや、ちょっと狂暴な気分にはなるけど、まあ我慢できないほどじゃないし、それに意識ははっきりしてる。ちゃんと自制すれば、何かの映画みたいに変身して人を襲って殺してしまう、なんて事はなさそうだ」
俺はそう言ってうん、と頷く。〝なんでそんなに物事を冷静に分析できるんだ?〟とか言われる様な奴なのだが、その冷静さは未だ健在のようだ。
「要は、だ。あんまり変身しない様にして、更にはその変身した時も姿を他人に見られない様にすれば、俺は別段今までと変わる事のない生活を送れるって訳だ」
それは別段難しいものではない。今日はたまたま強烈な満月の光を思いっきり浴びてしまってどうにも止められなかったが、三日月とかそういう弱い月の晩ならば、月の光を浴びてもちゃんと制御すれば変身しないままで居る事とかもできそうだ。何故そんな事ができそうなのがわかるのかよくわからないが、きっと本能みたいものだろう。昨日変身できる様になってから、俺は鼻だけでなく野生の感とかそういうのまで狼並みに鋭くなっているみたいな気がする。
「人が居なそうな所を見繕って散歩してりゃ、そのうち月も隠れて変身も収まるだろうし。まあ人の居る居ないは匂いで探知できるし。毎晩続くとちょっと寝不足になりそうだけど、それだけだ。生きていくうえで何の問題もない」
はず、である。俺はほぅと息を吐いて、何気なく路地の壁に腰掛けた。
「なんだ、たいして問題らしい問題はないじゃんか。むしろ、普通にない能力が備わって得したって感じだな。原因は不明だけど、まあ悪くはない―」
その時、だった。
俺の感というか、本能が〝危険〟を告げる。俺は咄嗟に飛んで塀の上に飛び乗っていた。
ざざんっ。
先程まで俺の立っていた場所に、青い光の様な物が降り注ぐ。それはそのままそこに衝突し、物凄い爆音を立てた。
「な、何だぁ!?」
俺は思わず間抜けな声をあげて下を見る。光が衝突した跡では、コンクリートで出来ているはずの道路がぐにゃりと凹んでいる。俺がつい先程まで立っていた場所である。 もしそれが来るのに気づかずなかったら、間違い無く俺もああなっていただろう。
「へー、なかなかやるわね。あたしのソウル・バスターをかわすなんて」
ふいに上空から声がする。そう、上空から、だ。
「え……?」
俺は思わず信じられない気分で空を見上げた。近くには〝人〟の匂いがしなかったはずなのに人の声がするとか、この位置からするに声の主は上空を浮いている事になるとか、ソウル・バスターってなんだ?とか色々思う事はあったのだが。
(し、詩織……!?)
そう。どう聞いても、その声は俺にとって妙な程聞き覚えのある声―椎崎詩織という、まあ親友なのやらどうやらわからんというそんな女の声で―
「ふぅん、珍しい。人狼?まあ関係無いけど」
空を見上げれば、そこに何故か羽などを生やして浮いていたのは、やっぱり―
「どうせやっつけちゃうんだし、ね」
どう見ても、詩織さんに見えた。
ばさっ。
彼女は、背中の黒い翼を羽ばたかせて、近くの民家の屋根に足を下ろした。
「ふっ、まずは名乗っておこうかしら。あたしは〝クイーン・オブ・ダーク〟ことアリエス。あんたも名前ぐらい聞いた事あるでしょ?種族は一応、サキュバスって事になってるわね」
そのまるっきり詩織と同じ顔、というよりどう見ても本人な、翼を生やした女は、マントをばさっと跳ね上げて言ってきた。
俺は、完全に言葉を失った。
マント。そうマントである。そりゃ俺だって上は狼男に下は後ろから尻尾を生やしたズボンと、多少常軌をいっした格好をしてはいる。しかし、詩織(と断定。だって喋り方まで同じだ)の格好は―もうどう言っていいのかわからないものだった。
まず、羽。これは多少普通じゃなさすぎるが、とりあえずおいておくとして、髪形。はいつもと同じだ。肩まである長い髪。顔。もいつもと変わらない。それなりに整ってはいる、それなりの顔。体つきも、羽が生えている以外は普通だ。いつも通りの少し貧弱な詩織の体つき。そして服装―
「あ、別にあんたの名前はいいわよ。あたし、相手の名前なんかには興味無いの。どうせもう二度と聞く事はなくなるんだしね」
と詩織は片目をつぶる。その尋常じゃない服装をはためかせて。
あえて言おう。絶対普通じゃない。マントを羽織っているまでは言ったが、問題はそのあとだ。マントの下には、肌にぴったり吸いつくって感じの―ビンテージっていうのか?どこぞのクラブの女王様とか、そういうのが着てそうなそれを、更にもう一段階装飾を施して派手にした―そんな感じの代物が着こまれている。
一言でいうなら、派手。派手派手だ。
「じゃあ、自己紹介も終わったところで、と」
と言って詩織がぱちんと指を鳴らす。途端、詩織の体が先程飛んできたのと同じ青い光で包まれる。
「お楽しみタイム、といきましょうか。ソウル・バスターッ!」
要するに、何じゃらバスターってのは、この青い光を放つ技の事なのらしい。だってそう叫びながら光の弾を撃ってきたし。俺は結構余裕でその光の弾をかわしながら、やっぱり冷静に分析をしていた。こんな時まで冷静さが続く自分にも驚きだが、とにかく新たな発見。変身中の俺の反射神経というのは並みではないらしい。詩織が放った何じゃらバスター(横文字は嫌いだ)ってのも中々のスピードで飛んできているのがわかったが、俺はそれを軽々とかわせてしまったのだ。だんっと後ろで地面に例の光の弾が衝突し、爆音をあげる。
「へぇー、あの距離からでも避けるなんて、あんた筋がいいわよ」
その声は、俺のすぐ頭上から聞こえてきた。
「―っ!」
咄嗟に上を見上げた俺に、詩織の顔が度アップで飛び込んでくる。俺が今のに気を取られている隙に、詩織は俺の頭上に移動して来ていたらしい。
「ウィング・ソニック!」
詩織が空中でくるんと半回転し、羽を俺の目前で交差させる。その影響で巻き起こる風だか真空だかわからない物が、また俺の〝すぐ横〟を通り抜けていく。
「何がなんだかよくわかんないけど、何で技の名前がみんな横文字なんだよっ!もっとわかりやすくしろっ!英語は嫌いだ!」
しかし完全には避けきれずに自慢の毛並みをちょっと短くされた俺は、そうしてくれた張本人に全然関係無いそんな事を叫んでいた。毛並みなんかが何時の間に自慢になったのかは謎だったが。
「なーに正貴みたいな事言ってんのよ、あんた。だいたいね―」
悪かったな。だけど自慢じゃないが俺は正貴その人だぞ。にしても、台詞に日常的にこういうのが出てくる辺り、やっぱりこいつ詩織だ。間違いない。
「こんな小手調べの技をかわしたぐらいで、いい気になってもらっちゃ困るわよ?私はまだ本気のかけらもだしちゃいないんだから」
詩織は少し離れたところに着地し、きどったポーズをとって指をふる。派手な衣装との相乗効果で、見ているこっちが恥ずかしくなってくる。
「ええと、何がどうなってんのかさっぱりだけど、その……おまえ詩織だよな?」
俺はとりあえずそれだけは確認しておこうと、頭を掻きながら聞いてみる。
途端、詩織はそのポーズのまま固まった。
「な、何の事かしら?誰?詩織って。あたしはアリエスだって言ってるでしょ?」
詩織はあさっての方向を向いて、少し汗などを垂らしつつ言う。確認終了。やはり詩織だ。
「何で羽が生えてるのかはいいとして、その格好は一体何なんだよ?はっきり言ってちょっと変態さんみたいだぞ」
「し、失礼ねっ!このあたしの芸術的なファッションにけちを付ける気!?製作期間一週間の自信作なんだからね!」
…手作りか、おい。まあ、確かにあんなもの何処にも売ってはなさそうだが。
「と、とにかく!あたしはアリエス!〝クイーン・オブ・ダーク〟アリエスよ!そこだけは間違えないでねっ!」
詩織はびしっと俺を指差して叫ぶ。
「何で純日本風の顔立ちしてるくせに、名前が西洋風なんだよ」
「あたしの勝手よ!とにかくあたしは絶対椎崎詩織じゃないんだからね!」
自分で墓穴を掘る詩織。だって俺は苗字までは言ってないし。しかしあれだけ素顔丸出しで名前を隠す意味があるのか疑問でしかたないぞ。
「くっ……!もしや知り合いとはね……。これはまずいわ。あたしが夜な夜なこんな格好で遊び歩いているなんて知られたら、あたしの清純なイメージが崩れちゃうじゃない」
詩織のぼそりとした呟きが、俺の耳に届く。またもや発見。変身時の俺は耳も異様にいい。
「倒した後でちゃんと記憶消しとか無きゃ。それにしても、こいつ一体誰かしら?人狼って確か普段は普通の人間の姿と変わらないから……要するにあたしの周りに居る人全員に可能性があるって事で……ああもう、誰でもいいわ!記憶消すから!」
詩織は叫ぶと同時に、例の何じゃらバスターを撃ってきた。また俺はさっと身を返して避けるが、それよりも名前を言わなくても撃てるんなら、さっきもいちいち技名なんて叫ぶなよという気持ちで一杯になった事を記述しておく。
「ええいっ!ちょこまかうっとうしいわね!ソウル・レインっ!」
詩織が叫ぶのと同時、例の青い光が今度は頭上に向かって昇っていく。そして頭上でパンッと弾け、俺に向かって無数の筋となり襲い来る。
「うおっ!?」
さすがの俺もそれにはびびって、避けそこねたのを一、二発下腹部に食らう。痛いうえに物凄く熱い。俺は衝撃で民家の上から地面に叩きつけられる。
「ふふ、可愛そうに。正体を知られたからには死んでもらうしかないわ。なまじあんたがあたしの知り合いで無ければ、命まではとらなかったのにね」
詩織は何か悦にひたりきった顔で、上空で指を振る。俺はたまらず叫んでいた。
「ちょっと待て!記憶消すんじゃなかったのかよ!?」
「ふふん。結構面倒なのよ、記憶の操作って。失敗する可能性だって高いし。だからやっぱり死んでもらっとく事にするわ」
詩織が空に手を振り上げ、今まで以上に大きな光の弾を作り始める。分裂したやつでさえ俺にこんなもう動けなくなる程のダメージを与えてくれたというのに、あんな大きいのを食らったらどうなるのかは想像したくも無い。
「こ、殺す事はないだろーが!誰にも言わんっ!絶対言わんからっ!なっ!?」
「ふっ、あんたにはあたしが昔おもらしをした時―あ、ちなみに四歳の時だからね。四歳の。その時にそれと同じ台詞を親友だと信じていた男に吐かれて信じて、次の日に幼稚園中にその噂が広まっていた時の気持ちなんて、わからないでしょうね」
悪い事をすると、それが自分に帰ってくるものだよ―なんとなく死んだ母親から聞いたそんな台詞が俺の脳裏に浮かぶ。それは事実だという事に、気づくのが遅すぎたらしい。でもあの時は俺だって四歳だった訳で、もう無効になってていいじゃないか。なぁ?
「あたしとしてもこんな格好でこんな事してて、おまけにサキュバスだったなんて世間に知れたら明日から学校に行けないのっ!許して、誰か知らないけど知り合いの人っ!正貴じゃない事をせめて祈ったげるわ!」
祈られてもどうなるというのか。だって本人だし。だいたい自覚があるんだったら、せめてその格好だけでも何とかしたらどうなものか。そんな間にも、詩織の上の玉はどんどん大きくなっていく。やばい。なんかもの凄くやばそうな気がする。
「あああっ!いきなりおまえの方から襲ってきて、そういう事言うのは理不尽過ぎる気がするぞっ!なんか物凄くっ!」
必死で助かろうと叫ぶ自分が、何だかとっても涙ぐましかった。
「うるさいわねっ!夜に顔を合わせれば即ファイトってのは、闇の種族同士の最低のルールでしょ!?」
「そんなの知るかぁぁぁぁっ!」
「今教えたげたわよっ!それじゃ納得してもらえたところでいくわよ!ソウル・エクスブロージョンっ!」
「納得してねぇぇぇぇっ!」
詩織は目をつぶって、その異様にでかい塊を俺に向かって放り投げる。食らったら間違い無く死ぬというのが本能的にわかる。―食らったら、だが。俺の目は、銀に輝いて空を見る―。
どおおおぉぉぉぉおおん。
派手な音をたて、それが地面に衝突する。威力が今までの比ではない。俺が先程まで転がっていた場所が、文字通り消滅してしまっている。
「ふぅ。成仏してくれたかしら」
詩織は一仕事終えた後という感じの充実した顔で、額の汗をぬぐう。前々から薄々は気づいていたのだろうが、とんでもない女である。人を殺したかもしれない後に、どうしてそんなにさわやかな顔をできるのだろう。
「さて、と」
俺が声をあげると、詩織が驚ききった様子でがばっと後ろを振り向く。当然だろう、葬ったはずの奴の声が真後ろから聞こえたのだから。俺は深く息を吐いて、少し焦げた毛皮をはらった。
「俺ってあんまり温厚な方じゃないんでな。あんな真似されると、それなりに対応を変えたりするぞ」
俺は立っていた家の屋根の上から、とんと飛び降りて着地する。変身中だと、これくらいの高さは何でも無い。
「嘘……!?どうやって避けたのよ?動けなかったはずよ!?ソウル・レインで魂を縛ってあったはずなんだから!」
成る程。体が動かなかったのは単にダメージのせいだけでなく、それもあったと言う事か。理屈はよくわからんけど。ともあれ、俺は頭上を指差してにっと笑う。
「今宵は、満月。おまえのいう〝人狼〟が一番力を得る時だ。だから―」
ひゅんっ。
俺は言葉が終わらない内に、跳んで詩織の真後ろに行く。
「本気を出せば、それくらいの術を破ったり、これくらいの速度で動いたりはできるみたいだ。本当に自分の体ながらさっぱりで、よくわかんないけど」
よくはわからんけど―
「とにかく、おまえ本気で怖いから、ちょっと眠っててくれ」
俺は詩織の頭を、容赦無く両手で叩きつけた。
「よっ、詩織!」
学校への道、昨日とは逆に、俺は元気良く詩織に挨拶をした。
「………あ、正貴。おはよ」
そして昨日とは逆に、詩織はどよーんとした顔で俺に対応する。
「何だよ?どうかしたのか?」
俺はにこやかに聞く。人狼とかそういう変なのは俺だけじゃない。身近に、それ以上に変なのが居てたくれたりするんだ。それだけで、俺は随分気分が楽になっていた。なんでいきなり俺がそんなのになってしまったのかとか、詩織が何故ああいう趣味に走ってしまったのかとか、他にも色々気になることもあったけど、まあそれはそれだ。
「うーん、それがね……。あたし昨日、外でファイト……じゃなくて、あっ、うん。なんでもないんだけどね―」
ちなみに、あの後気絶した詩織を抱えて詩織の部屋に偲びこみ(まあ、詩織も夜こっそり抜け出していた、という事らしく、窓の鍵が開いたままだったのだ)、適当に寝巻きに着替えさせてベッドに入れておいたので、昨日の事は夢だと思ってくれているはずである。というより、思っていてもらいたい。いや、ほら。詩織とは小さい頃は一緒に風呂とかも入った仲だし。別に着替えさせる時変な事はしなかったぞ、俺は。詩織も大人になったもんだなぁ、と少し寂しかったりはしたけど。あの衣装がしまってあった場所とかは、匂いでだいたいわかったし。衣装の匂いを元に、その匂いが染み付いていた場所を探し出した時など、一瞬犬になった気がしたものだったけど。
「何時の間に部屋に戻って……服だって…………夢?そんなはずはないわ。私は夢魔よ。夢と現実の区別ぐらい簡単につくわ。って事は―」
笑顔でそんな事を考えていた俺に、例の地獄耳のせいかそんな呟きが聞こえてきて。
「―殺すわ。絶対に。あたしの正体を知って、あまつさえあたしの体さえ―おまけにあたしの不敗神話に泥まで―絶対に、殺さなくちゃ。あの人狼だけは、絶対に―」
聞こえてきて。
「ねぇ、正貴。ちょっと聞きたいんだけど、あんた昨日の夜の十二時頃って、何してた?」
「……風呂入ってた」
とりあえず、俺は絶対に自分が人狼である事を詩織に話さないでおこうとは決心していた。
派手な音をたて、それが地面に衝突する。威力が今までの比ではない。俺が先程まで転がっていた場所が、文字通り消滅してしまっている。
「ふぅ。成仏してくれたかしら」
詩織は一仕事終えた後という感じの充実した顔で、額の汗をぬぐう。前々から薄々は気づいていたのだろうが、とんでもない女である。人を殺したかもしれない後に、どうしてそんなにさわやかな顔をできるのだろう。
「さて、と」
俺が声をあげると、詩織が驚ききった様子でがばっと後ろを振り向く。当然だろう、葬ったはずの奴の声が真後ろから聞こえたのだから。俺は深く息を吐いて、少し焦げた毛皮をはらった。
「俺ってあんまり温厚な方じゃないんでな。あんな真似されると、それなりに対応を変えたりするぞ」
俺は立っていた家の屋根の上から、とんと飛び降りて着地する。変身中だと、これくらいの高さは何でも無い。
「嘘……!?どうやって避けたのよ?動けなかったはずよ!?ソウル・レインで魂を縛ってあったはずなんだから!」
成る程。体が動かなかったのは単にダメージのせいだけでなく、それもあったと言う事か。理屈はよくわからんけど。ともあれ、俺は頭上を指差してにっと笑う。
「今宵は、満月。おまえのいう〝人狼〟が一番力を得る時だ。だから―」
ひゅんっ。
俺は言葉が終わらない内に、跳んで詩織の真後ろに行く。
「本気を出せば、それくらいの術を破ったり、これくらいの速度で動いたりはできるみたいだ。本当に自分の体ながらさっぱりで、よくわかんないけど」
よくはわからんけど―
「とにかく、おまえ本気で怖いから、ちょっと眠っててくれ」
俺は詩織の頭を、容赦無く両手で叩きつけた。
「よっ、詩織!」
学校への道、昨日とは逆に、俺は元気良く詩織に挨拶をした。
「………あ、正貴。おはよ」
そして昨日とは逆に、詩織はどよーんとした顔で俺に対応する。
「何だよ?どうかしたのか?」
俺はにこやかに聞く。人狼とかそういう変なのは俺だけじゃない。身近に、それ以上に変なのが居てたくれたりするんだ。それだけで、俺は随分気分が楽になっていた。なんでいきなり俺がそんなのになってしまったのかとか、詩織が何故ああいう趣味に走ってしまったのかとか、他にも色々気になることもあったけど、まあそれはそれだ。
「うーん、それがね……。あたし昨日、外でファイト……じゃなくて、あっ、うん。なんでもないんだけどね―」
ちなみに、あの後気絶した詩織を抱えて詩織の部屋に偲びこみ(まあ、詩織も夜こっそり抜け出していた、という事らしく、窓の鍵が開いたままだったのだ)、適当に寝巻きに着替えさせてベッドに入れておいたので、昨日の事は夢だと思ってくれているはずである。というより、思っていてもらいたい。いや、ほら。詩織とは小さい頃は一緒に風呂とかも入った仲だし。別に着替えさせる時変な事はしなかったぞ、俺は。詩織も大人になったもんだなぁ、と少し寂しかったりはしたけど。あの衣装がしまってあった場所とかは、匂いでだいたいわかったし。衣装の匂いを元に、その匂いが染み付いていた場所を探し出した時など、一瞬犬になった気がしたものだったけど。
「何時の間に部屋に戻って……服だって…………夢?そんなはずはないわ。私は夢魔よ。夢と現実の区別ぐらい簡単につくわ。って事は―」
笑顔でそんな事を考えていた俺に、例の地獄耳のせいかそんな呟きが聞こえてきて。
「―殺すわ。絶対に。あたしの正体を知って、あまつさえあたしの体さえ―おまけにあたしの不敗神話に泥まで―絶対に、殺さなくちゃ。あの人狼だけは、絶対に―」
聞こえてきて。
「ねぇ、正貴。ちょっと聞きたいんだけど、あんた昨日の夜の十二時頃って、何してた?」
「……風呂入ってた」
とりあえず、俺は絶対に自分が人狼である事を詩織に話さないでおこうとは決心していた。