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「標識少女」 作:ヨハネ
とある時代のとある町でのお話。
そこでは家紋の代わりに一家に一つ“家識”(かしき)を掲げる慣わしがありまして、各家はそれを誇りとして普段から心の柱にして参りました。“家識”とは読んで字の如く、交通標識が家を象徴するのです。
「おい、広場に来いよ!! “お家識賭け”が始まるってよ!!」
――“お家識賭け”(おやしきがけ)。家識にまつわる風習の一つで、そもそも家識は一家の象徴であると同時に、家主の権力の象徴でもありました。早い話がお家識賭けとは一種の道場破りのようなもので、負けた家は相手に己の家識を差し出さなければなりません。そしてそれは相手の家に下った事を意味し、つまりより多くの家識を持つという事は、その家の強大さを表すのです。そしてもっと言えば、より有名な交通標識ほど家識としての価値は高いとされます。
「さあさあ、久し振りの“お家識賭け”!! チケット安くしておくよ!!」
当然、お家識賭けとは無闇矢鱈に起こるものではなく、家運を賭ける一大事として慎重に申し込まれます。それ故に見世物としての需要は高く、こんな風にダフ屋まがいの輩まで発生します。とは言えそもそも完全入場無料なので誰も相手にしませんが。
「今日の挑戦者は“時間制限駐車区分”の萩原家!! それに対するは名家中の名家! 大家中の大家!! “一時停止”の金餅家だァーッ!!!」
金餅家の家識、『止まれ』の標識がその場に現れると会場内は大歓声に包まれました。“一時停止”はほとんどの家にとって憧れの家識なのです。
「ようオッサン。ウチに喧嘩売るなんて良い度胸じゃない」
金餅家次期当主、金餅栄市郎(かなもち えいいちろう)。大物たるその風格もさるものながら、その実力は折り紙つきです。
「“止まれ”!! “止まれ”!! “止まれ”!! “止まれ”!!」
場内は大“止まれ”コール。いよいよ勝負に向け緊張が高鳴ります。
お家識賭けの勝負方法はシンプルなものですが、統一されてはいません。チャンバラのようなものから場合によってはトランプまで。双方が納得しさえすればどんな方法でも良いのですが、しかし金餅栄市郎はあらゆる勝負で連戦連勝。武力から単純な運まで、名家の名に恥ずる事無し。そうして積み上げ続けた家識はなんと14枚。
「“止まれ”の家識、この萩原太助が貰い受ける!!」
「……ファッキュー」
そして――。
「圧勝!! 今日も圧勝だーっ金餅栄市郎!!」
場内大歓声。地面に顔を伏せる萩原家当主の傍で、栄市郎は優雅に扇子を扇ぐ。
「別にィ、時間制限駐車区分なんてダッサイ標識、俺は要らんのだけどさァ~。ま、残念でしたて事でェ」
今回の勝負は男子10000メートル競走。過去の経験値に頼った萩原でしたが、青春時代の努力という財産すら栄市郎の前には塵同然。大差をつけられての敗戦でした。これで萩原家は凋落。金餅家はその力を更に大きなものへ。お家識賭けは勝者と敗者の命運をはっきりと区分けます。15枚目の戦利品を担いで、栄市郎はメインステージを降りました。
「それではまた次回のお家識賭けまで!! 皆さん、週に一度は家識を磨くようにしましょうね!!」
その声を合図として場内から少しずつ人が帰っていき、そしていつになるか分からない、次なるお家識賭けに期待が高まっていった頃――。
「ワーオ、流石は金餅家当主。立派立派」
どこからともなく、その声の主は現れました。
「ねえ。今この場で挑んじゃっても良いワケ? “お家識賭け”」
――随分と金髪に寄った明るい髪。白のカーディガン、ミニスカート。その細長い両腕両脚のどこにこんな自信があるのだろうか? 少女は栄市郎に向かってお家識賭けを申し込むと、にやりと笑みを浮かべた。
「…………!」
「あの女は……!」
いち早く気が付いたのは、実況。その声に反応して、帰りかけていた見物客達が足を止める。
「まさか!」
「あ、あの女……!」
「伝説の家識、“その他の危険”だ!!」
あーだこーだと、一般人が聞いても何が凄いのか全く分からない内容でしかし人々は盛り上がる。しかも明らかに、先程までのそれよりも歓声が大きい。
黄色のベースに『!』とだけ記されたシンプルな標識を、女はポイと栄市郎の足元へ投げ捨てた。
「やろうよ。お家識賭け」
「……ファッキュ」
栄市郎は静かに少女を睨みつける。
「安心しなよ。アンタの疲労につけこんでフルマラソン勝負、だなんて言わないからさあ。ま、仮にアンタが万全でも負ける気はしないケド」
――根本的に。“お家識賭け”とは負けた側が権力のほとんどを投げ捨てる事になる勝負であるが、それでもより名の高い家の方が、勝負を受けるリスクは大きいと言える。捨て身の俗家に対し、名家はこんな事をしなくても充分裕福に暮らしてはいけるのだ。
が……しかしそれでも、栄市郎はあらゆる勝負を避けはしない。いつ如何なる時であろうと、申し込まれた勝負は勝って返すのみ。
「“止まれ”!! “止まれ”!! “止まれ”!! “止まれ”!!」
再び湧き起こる一時停止コールを受けての、今度は“その他の危険コール”。
「“!”!! “!”!! “!”!! “!”!!」
特に言及しない事とする。
「……ならば、どうする? どんな勝負にするつもりだ」
「んー、ゴシャゴシャと遊んでても仕方ないでしょ。一発勝負潔し。コインの表か裏、でどう?」
女はポケットから一枚のコインを取り出した。
「……後悔するな。女」
「あっそ」
そう言うと、女はピンとコインを弾きました。それは綺麗に空を舞い、そして左手の甲で右手に覆い隠されます。
「どっち?」
選択権を栄市郎に委ねて、女はまたにやりと笑う。
「――ご主人様。またも栄市郎様がお家識賭けにて勝利を収められました」
町の中心に構える巨大な屋敷。金餅家現当主は当然だと言わんばかりに笑い飛ばしました。
「あの子は特別よ。金餅家の歴史の中でも群を抜く。負ける筈が無いわ」
机の上の写真立てには栄市郎の幼い頃の姿が収められており、当主はそれを愛でるように右手で撫でた。
「は。ですが……当初予定されていたお家識賭け終了直後に新たな挑戦者が現れ、現在は試合中です」
「フフ。あいつも戯れが過ぎる。相手はどこの家だ?」
「……それが、“その他の危険”の女だと……」
そう言う使用人の額には、薄っすらと汗が溜まる。しかしそれを聞いた当主の衝撃は、彼の比にすらならない。
「馬鹿な!! その他の危険だと!?」
反射的に安楽椅子を立ち上がりその場に呆然と立ちすくしたかと思うと、やがてまたドサリと腰を下ろしました。
「そんな馬鹿な。あの家には関わるなと、あれ程……!!」
「で……ですが、いまや栄市郎様は立派な次期当主として成長なさっています。案外あっさりと勝たれてしまうという事もあり得るかと」
しかし使用人のそんな言葉など何の気休めにもならないとばかりに、当主は諦めたように首を横に振ります。
「あの家には、関わるべきではない……。栄市郎もまた、その程度を履き違えていたようだ……」
――先程までの盛り上がりが嘘のように、会場内は閑散としていた。
その中央にはただ、栄市郎と一枚の家識があるのみ。
『また、ワタシの勝ちだね』
何度繰り返された光景か。初戦で“一時停止”を奪われた栄市郎はその後リベンジを申し込み続けたが、結局それが果たされる事は無かった。ただの一度も。
『んまー、アンタもそれ一枚あればなんとかやっていけるでしょ。残りは貰っていくからね』
時間制限駐車区分の家識をただ一枚だけ残して、後の全てを女は奪い取ったのだ。
――“その他”とは、全てを飲み込む悪魔の手先。“その他”とは、“全て”。栄市郎がその事を理解していたならば、きっとこの勝負は受けなかったに違いない。今更それを悔やんでも、仕方の無い事だが……。
時を同じくして、町の中心部から随分と離れた所にある古びれた小屋。
「よっしゃー、今日は一気に増えたなあ!」
本日の戦利品をありったけ壁に貼り付けて、女は満足気に笑ったそうです。