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『魔女の手紙』 作:橘圭郎
前略 親愛なる師、大ババ様
私が独り立ちしてから、早いもので半年が過ぎましたね。山椒の実を潰したり、方陣の勉強をしたりしていると、ババ様のお小言を思い出して懐かしくなります。
ババ様は最近、足腰を悪くして歩くのも難儀だと、他の弟子からの便りで聞いております。ババ様の下に残しておいた小悪魔はちゃんと役に立っているでしょうか。逆に迷惑をかけてはいないでしょうか。こんなことを書くと、また小娘のくせに生意気だと言われそうですね。
さて私の方はと言うと、先日ようやく念願の、異界へ通ずる門を呼び出すことに成功しました。少し不安もありましたが、探求心には勝てませんよね。
あちらの世界は、本当に驚くことばっかりです。石造りの地面には沢山の塔が立ち、人々は色とりどりの服を身にまとい、大小様々な車が道を往来していました。
『車』とは言っても、手で押したり馬に引かせたりするものではありません。あちらの世界での『車』は、人や荷物を乗せて目的地まで素早く送り届けるものということは同じですが、なんと、自ら動くのです! 鋼鉄の体を震わせ、唸りを上げて走る姿は圧巻です。こちらの世界で言うところの、ゴーレムに近い存在でしょうか。
だけど『車』もさることながら、もっと凄いのは『道路標識』だと思います。
ババ様が教えてくださったように、ゴーレムは造り手の命令しか受けません。本人しか知らない秘密の呪文だけで動かすのが普通です。しかしあちらの世界では『道路標識』と呼ばれる魔術記号が公共の場所に貼り付けられていて、それで全ての『車』の動きを制御しているのです。
他人のゴーレムを操る方法が解明されれば、それはもう魔術史を塗り替える一大事です。うまく使えば、戦争だって無くせるかもしれません。ひょっとしたら、誰でも簡単に魔術を使える日が来るかもしれません。この『道路標識』には無限の可能性を感じました。
ですが、私一人では解析に行き詰まっているところもあります。
『道路標識』を手当たり次第に持ち帰ってみたのですが、分からないことが多いです。試しに小屋の外面に貼り付けてもみたのですが、効果のほどははっきりとしません。
やはり私はまだまだ若輩者です。
つきましては、是非とも偉大なるババ様から直接のご意見を賜りたいと思います。
早々 あなたの一番弟子
文面としてはこんな感じでいいかしら、と若い魔女は手紙を推敲した。気難しい老婆の自尊心を尊重しつつ、それっぽい理由を付けて会いに行く。表向きの動機などはどうだっていいのだ。
まあこんなものだろうと結論付け、木机の上に置いてある瓶詰めの錠剤へ目をやる。
危険を犯してまで手に入れた、異界の薬。この世のどんな薬草も効かなかった、ババ様の病を治せるかもしれない最後の希望。
施しや好意を素直に受け取らないひねくれ老婆は、得体の知れない薬を飲めと言っても聞きやしないだろう。土産話をしながら、茶にでも混ぜて飲ませよう。
この手紙が届けば、ババ様のことだから悪態を吐きながらも気力で持ち堪えてくれるはずだ。
どんな手を使っても、治せればいいのだ。
要は間に合えばいいのだ。
急がなければいけない。
結論を先に言えば、若い魔女が送った手紙は意味をなさなかった。
何故ならば……。
文書配達人の健脚よりも、あちらの世界からくすねてきた『車』の方がずっと速かったからである。
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