Neetel Inside ニートノベル
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パラノイアテロリスト
小監禁サイケデリック

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3 小監禁サイケデリック




:射影二枚目:

 

 また、この夢なのだろうか。今日で二回目のこの夢。白い壁に覆われている冷たい夢の形、全ての壁は押せば崩れてしまいそうなほど脆いと言うのに、伝わってくる幻は酷く硬い。
 私は、どこに居るのだろう?
 少年を置いてけぼりにして、私は周囲を探る。だけれど、一回目に見たときよりも私の体は重い、というか、手を伸ばそうにも手は見つからない。眼球がどこにあるのかさえも疑わしい。
 私はどこに行ったのだろう?
 手繰るように、私は私自身を作り上げようと必死になる。ここは夢の中なのだから私にできないことはない。
 眼をつぶれない夢の中で、私は目をつぶるようにして体を作り上げる。
 まずは、足。
 次は、手。
 胴体を間に埋めていくようにして、作り上げる。
 最後に頭。脳を置くように、中心に飾り付けるようにして円を描くようにして大切に作り上げる。
 心の目を開ける。ブラックアウトしていた思考が開く。
 でも、どうして、だからこそ。
 どうしてかわからない。目の前で起きていることが理解できない。

 何故、私は彼の体を抱きしめているのだ!? そんなに強く抱きしめたら、彼は折れてしまう! 人形のように!!!
 なのに!!!

 冷静にな、ななななな、るううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう


 冷たくなる前に思う。
 私は、夢で忘れ物をしているのかもしれなかった。




 3




 アトリエは綺麗な作りをしていた。しかし、それだけだった。
 あまりにも冷たい白をしている色彩のないそのアトリエ。山の中腹にあるから、昼間なら緑と白が奇妙な感じに見えるのだろうとそう思った。
 車を止めて、硬質な扉を開けると如何にも都会的なデザインに当てられる。玄関から広がるようなダイニング、白を基調とされており、天井には斜めに掛かった大きな窓がある。
 ダイニングには、来客用の机が一つあるのと、その奥に白いピアノがあった。ピアノの上には花瓶が置いてあり、何か桃色の花が咲いていた。明かりをつけていないダイニングに月明かりで照らされていたその花はまるで心を掴むように咲いていて。

 とても不安定な気分になる。

 明かりがつくと、オレンジ色の照明は白い部屋の冷たさを溶かすようにして、雰囲気を塗り替える。息を吐くような安堵感が芽生えた。
 ダイニングを通ると、そのまま別の部屋に通され、待機するように指示される。
 通された部屋にあるものは、椅子が一つとモニターが一つ。そして、スピーカーのようなものもあった。壁には何もない。強いてあるとすれば、入ってきた扉ともう一つ奥に扉があることのみ。それ以外は、何も見つけることができない。
 そして、やっぱり壁は白かった。
「どこまでも、徹底しているなあ」
 つぶやいて、私は中央にある椅子に座る。ちなみに、荷物はない。携帯や家の鍵などはあるが、この山奥だ、多分圏外だろう。生活必需品は全て用意してくれるとのことだったので心配はしていないが、それでも色々と持ってきたかったものはあるわけで。帰りたかったと言えば帰りたかった。
 しかし、十万円である。その魅力には勝てないだろう。うん。
 座ってから、数分。あまりにも暇で段々と手持ち無沙汰になってくると、さてさて、暇を持ち余して色々と弄くり出そうかな。なんて悪戯心が芽生える。しかしタイミングを見計らったようにスピーカーから、
『ああー、聞こえますか?』
 という、カナメさんの声がした。
「聞こえますよー」
 答えて思う、スピーカーがあるのみだから、声を出したところで、返答なんてないんじゃないのか?
『よかった、それではこのまま説明いたしますね』
 しかし、見えないだけでどこかにマイクでもあるのか、カナメさんは返答をしてくれた。まあ、マイクなんてスピーカーと違って見えるところにおいても仕様がないもんなあ。
『遥々遠くまで来て頂いて、今から色々と頼んでしまうのは心苦しいのですが予定が少し押していますので、急ぎで説明させてもらいます。この説明が終わった後、ちゃんと部屋で休んでいただきますのでご心配なく」
 口を挟むまもなく、立て続けで説明が始まる。
 スピーカーから聞こえてくる声は、部屋の無機質さも相俟って人間味が感じられない。確かに、カナメさんの声なのだろうが、不思議なものである。
『これから、貴方には目の前のモニターである映像を見ていただきます。その映像を見た後先ほど入った扉とは違う扉に入っていただき、その部屋で三日間を過ごしていただきます。また、部屋から出ることはできません、中にはトイレ、お風呂、服、食料など全ての生活用品がそろっています。なので、生活に支障はないでしょう』
「ちょ、ちょっとまってください」
 質問をするのが憚れる様な速さで、カナメさんは喋るので止めるタイミングを失う。呼吸の合間を縫って私が止めると、彼女は『なにか?』と聞いてくれた。
「あの、三日間この家から出られないんですか?」
『家から、ではありません。部屋から。です』
 部屋から、出られない。
つまり、監禁される、ということか。
「生活の保障はあるんですか」
『大丈夫です、ご飯も出ます。一日三度のご飯です。まあ、残念なことに娯楽になるようなものは、殆どありませんが』
「それはきついですね」
『一応、本はありますよ』
「ちなみに、漫画ですか?」
『漫画ではありません、心理学の本ですね』
 なんだよ、畜生。つまんねえの。
 なんてことは言わない。私、良い子だから。
『ともあれ、お仕事ですから』
「それは、それは」
 確かに、お仕事と言われれば何も文句が言えなくなる。そう、これはお仕事なのだ。しかし……
 私は、自分の中にある不可解な部分に触れてみる。それは、『お仕事だと思いたくない』なんていう単純なもので、甘えだと切り捨てればそれまでの感情だ。
 だけれど、なんだろうか、この不安感は。甘え、という言葉だけでは払拭できない、まとわり付くような不安感がある。その発端は掴めないし、違和感にも似た気のせいの類にせよ手がかりさえも見つけられない。
 でも、それでももしかすると。
監禁、される。という、事象が、事実が。
 酷く遠い世界に連れ去られるような恐怖を感じさせるのかもしれなかった。
『簡単に説明すると以上のことが、これから実験で行われることです。簡単でしょう?』
 カナメさんは、私が何も言わなくなったのを確認するような間をおいてそんなことをいう。
 簡単、ねえ。
 簡単ではあるが、それでも悪意を感じないわけじゃない。どこか、私の遠く及ばない範囲で何か囲まれているような気分がする。
 だから、私はもう一つだけ聞く。
 まるで、自分の首を絞めるように、聞いてしまう。
「ルール、があるんじゃないですか?」
『え?』
 カナメさんは、驚いたのか。それとも、聞こえなかったのか。気の抜けた声を出した。
「ルールがあるんじゃないですか、私が住むために。この三日間を過ごすために」
 カナメさんは、すぐに答えない。私の突拍子もない質問に、答えず何も告げない。
 聞いた私に、確信はなかった。だけれど、そんなことを聞かずに入られなかった。聞かないと、自分の中にある不安を、埋められないと思ったのだ。
 カナメさんという人間に着いてきて、信頼がないわけじゃない。だけれども、何か話がうまく行き過ぎている気がする。このまま、何もないまま終わるのならそれでいい。だけれど、そんなわけがない。こんなシュチエーションで、何もなわけがない。何かが周到に用意されているのなら、私をもっと縛るためのルールが存在するはずだ。
 だって、彼女の研究は、限定された閉鎖空間の人間心理なのだから。
 ケースをあげるのなら、もっと限定されなければ。実験の意味はない。
 沈黙が訪れて、数回の呼吸が終わるころ。カナメさんは告げる。
『ルールは、単純ですよ』
「なんでしょうか」
 端的に彼女は言う。
『部屋から出られない、ということ。貴方はもうこの椅子に座った時点でどうやっても部屋から出ることはできません。もう既に実験は始まっています。そして、付け加えるのなら、私との接触も日に二度あるだけです。』
「本当にそれだけですか」
『それだけです。しかし、……もし本当に辞めたいのなら、特例ですがここで終わりと言うこともできますよ。もちろん、その場合バイト代は出ませんけれど』
 その言葉を聴き、逡巡する。
 しかし、何度目の疑り深さだろうか。考えても仕方ないことを理解しているのに、それでもありもしない妄想が私の動きを止める。しかし、止まったところで、私にリスクはどれほどあるのだろうか? 閉じ込められて、殺される? そんなこと、あるはずがない。それならば、こんな家なんていうロケーション。ましてや白い部屋などありえない。
 考えても仕方はないのだ。
 というか、どんな悪意があるにせよ。

 私にこの話を乗る以外の選択肢はない。
 それが、私。なのだ。

「やります」
 わたしは、答える。実験参加の最終意思を告げる。
『判りました、それでは実験を始めます』

     





 部屋の明かりが消え、映像が始まる。
 これから、実験が始まるっ! と、意気込んで見た映像は、拍子抜けするほど簡単なものだった。
 どこかの国の美しい自然が写されているだけの映像。森の木々、山から流れる清い水、広々とした青い海、そして空。
 単純でつまらない映像。これが、どういう心理の働きを促すものなのかさえ、私には想像も付かない。それほど、心に訴えかけるものも、ましてや感想を抱くものもなかった。
 時間感覚が揺らぐ頃合で映像が終わる。多少まどろむ意識の中で、カナメさんの声が聞こえてきた。
『それでは、後ろの部屋に移動してください。部屋は暗いですが、私のアナウンス終了一分後に電気はつきます。扉に入って右側にベッドがありますので、眼が慣れないうちはすぐにでもベッドに横になってください』
 促されたとおりに、私は席を立ちそのまま奥にある扉に触れる。部屋は暗く何も見えない。砂嵐の走るモニターの光だけが部屋の輪郭を確かにしていた、不安は不思議とない。さきほどまで心積もりしていた不安はどこかに消えていた。
 ここまできて、ようやく腹が据わったのだろう。
 部屋に入ると、自然と扉が閉まった。カキリと何か鍵の掛かる音もして、少し気持ちが揺らぐ。
 こんなことで不安になるなんて、まるで、押入れに閉じ込められた子供のようだ。
 とりしも、説明を受けたとおりに私は扉から右手にあるベッドを探す。暗くて何も見えないので手探りで。
 三歩ほど歩くと、布の柔らかい感触があった。どうやら、良い布団を使っているようで、触れると穏やかな気分になるほど気持ちが良い。
 試しに飛び乗ってみる。バフッと音がして、太陽の匂いが散らばった。
 いやあ、旅の疲れも癒されますな。
『それでは、これで完了です。ここから三日間よろしくお願いします』
「あいあーい」
 思わず気の抜けた返事をしてしまう私。うーん、なんだか気分の移り変わりが激しいなあ。
『何か、質問などありますか?』
「いいえー、ないですー。……あーあるかな?」
『なんでしょうか』
 ふにゃふにゃになっていく意識、先ほどの映像で得た眠気が爆発しかけていた。
「なんかー、そうですねー。アドバイスとかってあります? この実験を過ごす為のアドバイス」
『そうですね、アドバイスですか』
 しばらく、考えるような間をおいた後。カナメさんは答える。
『抵抗をしない、ということでしょうかね』
「え?」
 聞き返すが、カナメさんは答えてくれない。
『それでは、アナウンスを切りますね。ちなみに、今の時間は午後10時30分です。もう寝てもおかしくありませんから、好きなタイミングで寝てくださってかまいませんよ』
 それでは、と放送は終わる。
 
音は流れず、静寂と暗闇だけがそこに残った。
 
さてと、それでは寝るとするか。
 なあんて、気楽な考え方をできればもっと楽に生きられるのに、私はついつい考えてしまう。
それはこの実験のことである。
 まあ、何かの事件に巻き込まれているわけではないし、気楽に居ればいいのだがそれでも、先ほどのカナメさんのアドバイスが気になる。
『抵抗をしない、ということ』
 その言葉の意味するところは、何なのだろうか。つまり、この実験で私は何かしら抵抗したくなるという予測が立つということだ。まあ、しかしそれも予想は付く。だって、これからさき三日間、どう広くとっても十畳もない部屋で過ごさなければならない。風呂トイレ、食事付きの部屋であるが、太陽に当たらないということはそれだけで、精神に異常をきたしても可笑しくないから、と言うことだろう。
 異常をきたさなければ、実験の意味はない。
 つまり、異常をきたした場合の対処法はカナメさんの方で用意ができていると言っていい。どんな精神異常をきたしたとしても、手厚いフォローが待っているわけである。その行く末が心療内科かもってねえ。まあ、嬉しいけれど、行かないに越したことはない。
 そういえば、みんなどうしているだろうか。
 家族に何も言わず、勝手にアルバイトをしている私。よくよく考えるとすげえ不良少女じゃね? それで三日も帰らないとなれば、これはプチ家出の範囲だ。うーん、やっぱり心配しているかなあ。
 暗闇の中、妄想がひときわ、回る。
 もし、私が突如世界から居なくなったら。周囲の人たち、家族はもちろん友達でさえもその姿を認識できないような世界に消えてしまったら。
 彼は、
 景夜くんは、
 私を心配してくれるのだろうか。
 ぶっきらぼうで、素直じゃない彼は最初文句を言うわけでもなく。嫌味を言うように、私を吐き捨てるように言うのだろう。勝手にしろ。と。
それでも多分きっと、そんな風に言いながら、――優しい彼は、私を探してくれる。
私を、探してくれるのだろう。
私は隠れた世界の中で、彼をずっと見つめているのだ、私を探している彼を。
可笑しそうに、見つめている。
「って、何考えてるんだ!! わたし!」
と、誰に言い訳するわけでもなく叫ぶ私。不安になったからだ、寂しくなったからだ。だから、ついつい、炙れ者のような彼のことを思い出したのだ。
そう、言い訳する。
本当に、誰に言い訳するわけでもないのに。
それでも、そう言わないと。私の素直さは毒だから、素直であればあるほどに、言いようもない力が彼を包み込んで離さないだろう。そんな予感がするから。
「ああーーー! もう、やめやめ! 寝ろ! 私!」
 意味もなく、ベッドに頭突きをかますと、ふと冷静になる。
 そういえば、まだ辺りは暗く何も見ることができない。
 そろそろ、明かりがつくころだろうか。
 このまま、暗いばっかりは嫌だなあ、なんて思っていると。
「――!!」
いきなり強い光が私の眼を焼き付けた。
 あまりの眩しさに、私は目を瞑る。瞼の裏側に焼きついた赤色が、じんわりと眼球を狭めるような煩わしさを醸し出す。どうやら、暗闇に眼が慣れてしまって、いきなりの光に目が焼けてしまったらしい。
 眼を開けるまでの間、考える。
 また、白い部屋なのかな。なんて。
 どうせなら、何か絵のような物が飾られているといいのだけれど。それだけでも十分、この隔離病棟のような清々しさから解放されるというものだ。
まあ、でもどうせ白い部屋なんだろうけど。
慣れてきた眼を開き、部屋の中を確認する。

 その瞬間に、体中の体毛が逆立った。
 そして、同時にカナメさんがこの三日間何故、『部屋から出ずに過ごせ』なんて単純なルールだけでこの実験を始めたのかを理解する。

「なに、これ」

 ――目の前に広がる風景は、白い部屋とはまるで正反対。

 全身に怖気が走る、気味が悪い、気持ち悪い、頭が痛い、世界が歪む、正常じゃいられない、叫びたい、恐怖じゃない、怖くはない。だけれど、だけれど。
 不安になる。
どうしようもなく、不安になる。
 
――黒を基調とし、緑や青やオレンジなどの規則的かつ、不規則な模様が書かれていて。

 何が不安になるのだろう。この部屋の模様で何が不安になるのだろう。
 わからない、わかりたくない。判ってしまったら。気がついてしまったら、多分それが基準になってしまう。この部屋で過ごす、ゴールになってしまう。その線を越えたら、多分私は狂ってしまう。

――部屋においてある家具、机、椅子、流しに至るまで、全てにその曼荼羅模様が施されていた。

 でも、考えを止める事ができなかった。
 口を噤む方法は、なかった。
「私、三日間、この部屋で普通に過ごせるかな……」
 冗談にしたかったその声は、中途半端に上ずっていて。
 発した私の表情は、少なくとも泣くように笑っていた。
 
 さて、どうしたものかと。気分を入れ替えることは容易ではなかった。それでも無理矢理でもこの部屋に慣れなければならない。抵抗しないこと、抵抗しないこと。それが、一番なのだ。私は、多分唯一の他人であるカナメさんの言葉にある程度陶酔していた。そうしなければ、今の私の拠り所がなくなってしまうことは明白だった。
 今、彼女を嘘でも敵にしてはいけない。
 何故、こんな部屋に閉じ込めたのかなんて、聞いてはいけない。
 私の中のルールが増えていく。この部屋に不満を持ってはいけない、カナメさんにこの部屋だった理由を聞いてはいけない。
 部屋に入って、既に二つのルールが築かれていた。
 誰も、こんなルール望んでいないのに、それでも私は枠組みを作ってしまう。
 まるで、限界を決めてしまうように。私はルールを作る。
「とりあえず、生活空間の確認をしなきゃね」
 気が狂いそうになる部屋の確認をしなくてはならない。トイレにも行かないわけじゃない。風呂にだって入らないわけじゃない。
 確認しなければならない、のだ。
 そうして、私は風呂、トイレ、全ての家具、設置された物を点検する。
 まず、部屋はどうやら九畳ほどあるようだった、比較の仕方がベッドの大きさからの比較なので曖昧であるが、大体の広さだ。
家具の置き配置は、扉から右手にベッド、ベッドと奥の壁の間に風呂場、風呂場と奥の壁の間に手洗い場、扉から左手、机と椅子が一つ。椅子は扉に背を向ける形で備え付けてある。
また、トイレと風呂はユニットバスになっており、意外に狭い。戸棚の中に生活必需品はそろっている。タオル、替えの洋服、石鹸に歯ブラシ、果ては生理用具からフェイスケア用品まである(ちなみに、これら関しては模様が施されていなかった)。行き届いているサービスに笑うしかないのだが、どうしてだろう、ありがたくはない。
 あと、食事に関して不安だったのだが、周囲の壁を探っているうちにくぼみを見つける。丁度机が備えてある位置で、上に上げるタイプの引き戸であるようだ。
 引き上げてみると、何もない。奥行き五十センチ程の押入れのような感じだ。横幅も六十センチ程で、何に使うか判らなかったが、少し考えてエレベーターなのかと、気が付いた。
 どうやら、食事はこのエレベーターを使って運ばれるらしい。なんという徹底さ加減だろうか。ちゃんとエレベーターの中まで模様が施されているし。その努力は何に還元されるのかしら。
なんて思って見るけれど、多分私の手に入れる十万円にその行く末があるのだな、と思考が行き着くと、なんとも言えない気分になった。
 ちなみに、娯楽の本棚は一番奥の左側にあった。内容はとても娯楽とは言えない物だったけれど。
ずらり、と並んだ心理学の本に辟易とし、一冊もとらず、一通りの点検を終えた私はベッドに仰向けで倒れこむ。
 右を見ても左を見ても。曼荼羅を描いたような景色。まるで誰かの心を示したような絵。気味が悪いを通り越して芸術だ、なんて思えればいいのだけれど、特殊な感受性のない私にはただの不愉快な気分にさせる絵でしかない。
しかも気持ち良く感じられていたベッドにまで、そんな模様があるのだから笑えない。
「ホント、笑えないや」
 模様を眺めると、目が離せなくなる。だから、私は目を瞑る、このまま眠ってしまおう。後三日間の辛抱なのだ、今日を寝てしまえば明日と明後日。それで終わりというものである、それに、この模様にも三日もあれば慣れるだろう、ちょっと奇抜な部屋とでも思えば意外と何とかなるかもしれない。まあ、曼荼羅模様は確かに怖いけれど、別に幽霊や妖怪が居るわけではないのだ。危害を加えるものでもない。
 ただ、著しく精神は磨耗するだけだ。
 精神、とは心である。
 心とは自分自身である。
 だから、私は自分自身を強く保たなければならない、強く保って、三日間を過ごさなければならない。そうだそうだ。
 そうだ、ルールを確認しておこう。
「えっと、ひとつ、この部屋の不満を漏らさない。ふたつ、カナメさんに文句を言わない。だっけ」
 そう、そうだ。これが私の決めたルール。
 自分を守るための、ルール。
 でも、何故、こんなルールがあるのだろうか?
「あ、そうだ。もうひとつ付け加えよ」
 寝る前に決めた三つ目のルールは。
「何故、ルールがあるのか考えてはいけない」
 私は目を瞑り、現実から逃げるように眠りこけた。


 秋田に訪れて最初の一日目。
 早くも、私の崩壊が始まっていく。




 



       

表紙

柿ノ木続木 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha