Neetel Inside ニートノベル
表紙

パラノイアテロリスト
模索する古傷はテロリズム

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 模索する古傷はテロリズム



 明智詩織が、その姿を消す十日前のことを思い出す。
 あれは丁度、前回の事件が終わって一ヶ月がたち、なんのことなく食事に誘われたときのことである。
「んでね、景夜くん。頼みごとがあるのさ」
 目の前の女は、ずそそっと女らしからぬ下品さでスパゲティを頬張りながら言い出した。
「嫌だ」
 訳があるわけじゃないが、断る。
「けちー。私が何を頼むか聞いてからでもいいじゃないのさー」
「ロクな頼みごとじゃないことは判り切っているからな」
「ロクなものかどうかは聞いてから判断するものでしょう?」 
 それはそうだけれどな、お前がロクでもないやつだからって理由は通らないものかね。この場合。
 それでも何も言わずに、黙っていると、何かを勝手に理解したように明智詩織は話し始める。
「そんで、頼み事なんだけれどさ。今度一緒にコスプレしない?」
「はあ?」
「一生のお願いだよさ!」
「お前、急に何を言ってるの?」
 後、日本語おかしいし、もう少し高次元な話をするのなら、空気を読んでほしい。
 大体、僕がお前と一緒にコスプレをする? 意味がわからない、っていうか、脈絡もない。
「いやさー、実は、コスプレしたくってさ」
「なんの込み入った事情もないのかよ」
「意気込み?」
「やる気を見せられても、僕の心はピクンともしないぞ」
「そうは言われてもさ、何かをしたいとかそういう理由に、言い訳は必要ないでしょう?」
「恰好のいいことを言われても、僕は頷かない」
「まあ、そうだろうねえ」
 どうしようかなあ、なんて明智詩織は考えるふりをしてスパゲティに粉チーズをぶっかける。その仕草一つ一つが女とは思えない。
「まあ、でもね、メリットがないわけじゃないのよ? 景夜くんの、如何わしそうな日常にちょっとしたスパイスをね」
「コスプレをしようっていう頭の方が如何わしいよ」
「そういいなさんなって、景夜くん顔だって悪いわけじゃないんだから、モテると思うよ? まあ、創作活動に出会いを求めちゃいけないと思うけれどね」
「なんで、お前にそんな世話をされなきゃいけないんだよ」
「いやいや、だって、景夜くんさ人と会話したことないでしょう? あんまり」
「それがなんだよ」
「だから、会話ついでにコスプレでもして、いろんな人と触れ合うのさね、そうすれば景夜くんもきっと人当たりのいい人間に!」
「まず、お前はその突拍子もない性格をどうにかした方がいいと思うがな、僕のことよりも」
 行動力があることは認めるけれど、それで爆走されても困るものは困る。
「ていうかさ、景夜くんって、恋愛したことないでしょう」
 急な質問に僕は答えを詰まらせる。
 恋愛、
 恋愛ねえ。
「あれ? 何その間。なになに、実は誰かと好きあってたりしたことがあったり? いやあん、聞かせてよそんな面白い話、ってか聞かせろよコラ」
 後半脅しになってるぞ、なんてそんなことは言わなくても分かっているので言わないが、逡巡する。
 明智詩織と出会ってもう一カ月、か。
 思えば短いもので、一六歳の一カ月という期間はいままでの事を払しょくさせるような勢いに満ちているものだと感じる。
だから、だろう。
いままでなら絶対に言わなかった話題に、僕は口を滑らせる。
「好きな人は、いたよ」
 そう、僕が告げると、目の前の女は目を輝かせるわけでもなく、憤慨するわけでもなく、なにか納得のいかない顔をした。
「居たって何よ」
「いや、言葉通りの意味だ。ちょうど、二年も前のことだけれどな、好きな人がいたんだ」
 そう、二年も前のことだ。もう既に彼女のあのころの顔は思い出せないけれど、僕には好きな人がいた。
「ふうん、好きな人ねえ。なに、今も好きなの」
「いや、というか、お前なんでそんなに不機嫌なんだよ」
「べっつに、なんだか私は恋愛なんてしたことないのにさ、景夜くんはあるんだって思ったら急に悔しくてさ」
 そういって、またスパゲティを頬張る。飛沫が僕にまで飛んできた。本当に、何がしたいんだろうねコイツは。
「それで?」
「それでってなんだよ」
「今もその人の事好きなの?」
「そうかもな」
 適当なことをいってはぐらかすと、明智詩織はなおのこと眉間の皺を深いものにさせた。だから、なんなんだよ。一体。
「ふうん、どんな人だったのよ」
「そうだな」
 そう答えて、思惟してみる物の、なぜ明智詩織に対して自分の恋愛を開けっぴろげに話さなければならないのだろうと、そんな当たり前のことがよぎる。
「考えることじゃないでしょ」
 と、そんな風に言われると、言う気もなくすのだけれど。
「いいじゃないの、別に。じゃあ、なんだったら私の初恋教えてあげようか? 結構びっくりものだよ?」
 さっきまで、自分が恋愛したことないって言ってたじゃないか。だんだんと、絡んでくる目の前の女の事が面倒になってきたので、深呼吸をひとつし、僕は話すことに決める。
「年上の女の人だったよ」
「年上ねえ、どのくらい上なのよ。」
「三つ上」
「ふううん、ふううううん。へえ。そうなんだ、それであれだ、その女の人の事が忘れられなくてこの高校に入ったって口だね、あらやだ、サクセスストーリーだねえ」
「誰もそんなこと言ってないだろ大体、いまさら入ったところで、卒業しているしな」
 なんというか、今日の明智詩織の空回り具合はすごい。
 何も言っていないのに暴走して走り出して、しかも止まらない。
 そばに寄るだけで、意味もない事故を引き起こしそうなほどだ。
「それで、ただ好きだっただけなの?」
「ああ」
「何、相手に彼氏でもいたの?」
「そういうわけじゃない、ただ、なんとなく恋愛にはならなかっただけだよ」
「今連絡とかは取ってないの?」
「ああ」
「なんでよ」
「色々あったんだよ」
 いろいろって何よ、なんて聞いてくる目の前の女。
 ウザいなあ。と心の底から思う。
「どちらしにしてもな、もう、終わった話なんだよ。あの人は、もう僕の事とか、恋愛とかそういうことにかまけている暇さえもないんだ。というより、もう僕の事は忘れた方がいい。そういう、関係だ」
 自分で言っていて、嗚咽を漏らしそうになる。
 どの口がそんなことを言えたのだろう、他人行儀にまるでこの先の未来は彼女自身が築くものだなんて本当に思っているのだろうか。
 いや、そんなことはない。
 彼女は被害者であることは変わりないが、だからと言って、僕が加害者というわけでもないのだから。
 言い訳ではない。言い訳ではない、そう言い聞かせる。
 僕は知らなかったのだ。
「なんだか、カッコよく締めやがって」
「そうか」
「そうだよ、それ以上何も聞けないじゃん」
「それなら、重畳」
 ニヒルに努めているわけじゃないのだけれど。
 変なキザさが残るのは、たぶん僕がまだ人間と接しきれていないからだろう。

「でもさ、最後に聞かせて」
「なんだよ」
「彼女のどんなところが好きだった?」
 そして僕は、明智詩織の顔を見る。
 そして僕は、浦霞祥子の顔を見た。
「顔、かな」
 嘘をつくと、目の前の少女は笑った。

     

 Shift time




 二日目を迎えて、だんだんと自覚をするようになる。
 それはこの部屋にたいして自分がいかに脆弱かという現実。
 例え視覚を潰したとしても瞼の裏側にひっついてとれないだろう、曼荼羅の模様。吐き気の催すような思考の連鎖。昨日の夢でさえも思い出すことができない。
 何か酷く嫌なものを見たような気がするのだけれど。
 それでも、思い出せない。
 思い出せない。
 思い出さないほうがいいのだろうけれど、思い出せないということで自分がまるで正しく認識できていないような、焦燥感がある。思い出さなければならないような、思い出して、この心のモヤモヤを振り払わなければならないような…。
 そうだ、今日のご飯のことを考えよう。
 私はご飯を食べる時間になったのだと考えた。
 お腹が空いているしね! 
 ぎゅるぎゅる。
 ぎゃるぎゃる。
 お腹は鳴る。
 おいしいものが食べたいようぅ。
 愉快な感じにテンションをあげてみる。テンションは上がらず、気分だけが立ち上っていく。どんな気分なんだろうね、私にも想像できないよ。だけれど、この胸からお腹にかけてある引っ掛かりのようなものは多分、赤子よりも面倒なものだとわかる。
 だって、愛なんて多分ないのだから。
 そして抱えた子宮の暖かさは、悪意によるものだ。

『起きましたか? おはようございま――』
「出せええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!! ここからああああああああああああああああああああああ! だしてえええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 
 唐突に叫ぶと、反響した声が私の体を震わせた。
 壁は揺らいでいるような模様を施しているくせに、一つも揺らぎはしない。斯くあるのは現実ばかりだ。
『元気ですね、よろしいことです』
「フラリフラリとフザケた事ぬかしてんなよ!? とにかく出せ、いますぐだせってんだよ!」
『出来ません』
「ならいいよ、いいよ、いいよいいよ、いいよ!! 無理矢理にだって此処から出てやるよ、人が作った建造物なら出られねえ事もねえだろうが!!」
『まあ、止めはしませんよ』
 一通り、極彩色の部屋を叩きまくる。
 まあ、しかしそんなことはやっても無駄なのは私自身も感じていた。何せ一晩たたきに叩きまくった部屋だ。しかも最初からそのことは想定してあったのだろう、どの家具も取り外しが出来ないようにしてある上に、手元で持ち運べるようなものは本を置いてなかった。
 だから、こんなのはアピールでしかない。
 そんなことは判っている。
 だけれど、それで私の頭は狂ったりしない、むしろこうやって発散することで精神の均衡は保たれているといっても過言ではない。
 頭の後ろ側で何か鈍重なものが圧し掛かっているような感覚はぬぐえないが。この感覚を不愉快だと思ったらいけない。だから、私はそれ以上のことはしなかった。暴れて彼女と会話をしないということをしなかった。
 人間であるためには、誰か他人がいなければならない。そのことは判っていたから。
 アピールタイムを終えると、まるで何事もなかったかのように、私の表情は形作られる。
「それで、ご飯は?」
『もう、エレベーターの中に入っていますよ』
「ありがとうございまあす」
 さて、ご飯の時間だ。ここで優雅に、ご飯を食べつつ今日の予定でも聞いちゃおうかな。ふむふむ、まあやることなんて決まっている上に、判りきってはいるのだけれど。
『この生活には慣れそうですか』
「ええ、とっても素敵な暮らしですね」
 ぼうとする、頭の中が歪みそうだ。
 カラカラと、食事用エレベーターのシャッターを開くと其処には、意外としっかりとしたご飯があった。しっかりしすぎて泣きそうだけれど。
 なんだよこれ、飾りも何もない。病院食のような食事。ご丁寧に、焼き魚は塩気の少ないあんかけ。ご飯はおかゆという慎重さだ。拍手を送りたくなる。よくできまちたねー。
 病人扱いか…。
 うれしいわあ。不幸だ不幸だなんていってくれるって最高じゃないのよもう素敵。
「朝は食べない派なんですけれどね」
『きちんと食べないと、実験になりませんよ』
「実験、ねえ」
 辺りを見回すと、曼荼羅の模様の中に目のような物があることに気がつく。昨日までは気がつかなかった模様だ。壁に耳あり障子にメアリーってね。なんだかどこかで聞いた事のあるネタだ。
 実際には壁に目があるわけだし。どっちかというのなら壁が目って感じだけれど。
「おねえさまあ、今日の予定はなんでしょうかあ」
『壊れた振りをしたところで、外には出られませんよ』
 どの口がそんなことを言うのだろう。
というか、

 誰が壊れていることを、
 壊れていないことを、
 証明出来るのだろう?
 本人の私でさえ、
 壊れそうな心の一つを
 解剖することは出来ないのに。

『今日の予定は、何もありません』
 じくり、と心に針が刺さる。

「そうですか」
『暇なのですか?』
「暇ですよ」
『なら、少しお話をしましょう』
「どんな話ですか?」
『視覚に関するお話です、貴方はサブリミナル効果という単語を聞いたことがありますか?』
 サブリミナル効果。
 無作為な動画のコマとコマの間に作為的な映像を挟み、無意識で映像を認識させることによって、半誘導的に、意識の刷り込みを行うという、視覚効果のことだろうか。
 それなら聞いたことがある。昔、テロを行った宗教団体が行っていたから、有名になった効果だ。確か、映画館でサブリミナル効果を使いコーラが馬鹿みたいに売れたなんていう話もある。
『サブリミナル効果というのは、心理学の魔法の一つといわれています。それは何故だか、判りますか?』
「いえ、さっぱり」
 素直に答える。
『少し考えてみてください、暇つぶしにならないでしょう?』
 なら、素直に考えるとしよう。こういう正直さは、私の良い所だ。
 サブリミナル効果はその有名度や、国の規制からして有名な催眠術だ。
 催眠術、現代にある魔法の一つ。人間が意識を持っているからこそ現れる、洗脳の一つ。
 理解できない私のような凡人にとっての魔法。
 と、考えて。理解が出来ないから魔法なのだろうか、とそんな考えがよぎる。
「理解が出来ないからですか?」
『ああ、そう考えられたのですね。やはり、貴方は賢い方です』
「嬉しいなあ」
『でも違います、正解には近いのですが。それでは私の魔法という言葉に対する答えにしかなっていません。サブリミナル効果についての考察が足りない』
「専門家ではありませんから」
『考えてわかることですよ』
 そういわれてもね。こんな部屋だと、まともに思考をすることさえ難しいんだから。
 私がふてくされるように息を漏らすと、くぐもった笑い声の後、カナメさんは簡単に答える。

『答えは酷く単純なのです。サブリミナル効果なんて、嘘だからですよ』

 え、あれ? 何か講義でも始まるんじゃないの。
『サブリミナル効果というのは、そもそも審議されてもいない嘘の技術なのですよ。そもそも、視覚認識できない状態で意識の刷り込みを行うなんて無理ですよ。それこそ夢に出てくるぐらいで、実際に行動を写すなんていうのはとてもとても。でもね、そこに魔法と呼ばれる所以があるのです。嘘の技術なのに、大衆がその効果に関して興味を覚えた。そしていくらかの人間が恐怖した。大衆心理を嘘という形で叶えた一つの例がサブリミナル効果なのですよ』
「へえ」
 普通に感心する。そうなんだ、覚えておこうかな、なんて思う。
 だけれど、引っかかる。
 何か、記憶の其処に、引っかかる単語があった。
 視覚的に、人の行動を制限することは難しい。そんな言葉に引っかかった疑問。今は思い出すことが出来ない。今日はそのことでも考えよう。
 部屋に閉じ込められて二日目の朝。
 私の崩壊はまだ、均衡を保っている。



 昼間に、ご飯を食べてそのまま、本を読むことにする。手に取った本は自我と無意識と書かれた、ユングの本だった。
 まあ、なんとも『心理学』と言った内容だったが。その序文でさえも理解が出来ない私にとってこの本は暇つぶしでもなんでもなく、単なる苦痛でしかない。
 しかし、そんな私がこのユングの言葉には引っかかる。

 ――自分のありようや行為について、「これが私だ。私がこうするのだ」と言えるのなら、例えそれが難路であっても、安んじてその道を行けばよく、例えその道に逆らったとしても、責任を取ることができる。自分自身より耐え難いものはないという事実は、もとより認めなければならない。――

 まるで哲学者のような言葉。って、あれ、ユングって哲学もやってたんだっけ?
 まあいい。それでもこの言葉は読み進めていくうちで引っかかった一言であり、何より今の自分を表しているような一言だった。
 つまり、これは前傾姿勢でなければならない人間の本来あるべき姿に対する一言なのだけれど、今あるべき私の前傾姿勢とは何なのだろう。
 何を前向きに捕らえたところで、今ある姿を否定することは難しい。
 今の自分を否定できないということは、それだけで人格を社会適合させることは難しく、なによりも他者との関りを切ってしまっている。
 しかし……、と其処まで考えて私は何を考えているのだろうと、頭を振った。
 今あるべき問題は人格変貌ではない。
 この気分の悪さ。
 纏わり付く以上に、気味の悪い視界のチラつき。
 頭痛になって現れる、自身へのストレス。
 心理学なんてなくても、わかる。今あるべき問題を正しく認識しなければ、私は私でなくなってしまう。それこそ、ユングの言ったとおりのことだ。
 さあ、再び考えることを始めよう。
 試しに疑問を一つ一つ、口にしてみる。
「なんで、私は閉じ込められたんだろう」
 答えはお金のため。
「いや、違う違う。それは私の理由」
 問題なのは、カナメさんが何故私を攫ったのかということ。バイトであるのなら、別に同じ大学の人間でも良かったはずではないか?
 いや、その方が言いに決まっている。こんな実験、同じ大学でやったほうが、多少なりともリスクは低い。もちろん、返ってリスクを負う部分があるだろうが、知り合いの、ましてや自分の知り合いではなく、自分の弟の知り合いをバイトに誘うなんていうことはリスクとしてだって得策ではない。
 だとしたら、なんで私なのだ?
「ふむ……」
 これは、面白い取っ掛かりを一発で引いた予感がする。
 なにか、核心めいたものがあるわけではないが、それでもカナメさんの思考をトレースしているような気分になる。さきほどまでしていた読書より、三倍くらいは楽しい。
「でも、なんでだろう」
 そう、声を出すとますます疑問は深くなる。
 おかしいことは其れだけじゃない。何故、場所を変える必要があったのかということも一つの疑問だ。
 いや、確かにココまでの部屋を揃えるのは東京では難しいかもしれない。だけれどだからって秋田まで来る必要はあるのだろうか? そうでなくても、一つの部屋を借り切るくらいで事足りそうなものだ。
「何かから遠ざけたかった?」
 何からだよ。自分で言っておかしくなる。だけれど、それが一番答えに近いことは直感でわかる。それが答えだと声高に叫んでいる。
 でも遠ざけるってだれから遠ざけたかったのだ? 家族か?
 うーん、でもそれも理由としては低い。
 そこで私は何故か景夜くんのことを思い出した。
 まるで縋る様に、彼のことを王子様と仮定しているような日和った考えが頭を掠める。
「あははははははは!」
 私は笑い出す。自分の心の動きに。
 先ほどまでカナメさんの思考をトレースする遊びに耽っていたのに、今では淡い思考が心を埋めているようだ。そんなことを自覚する。
 だから、おかしくて笑い出す。
 その事実が示している先のことを、まるで本当に乙女であるその思考に。
 ロミオとジュリエットじゃないけれどさ、それはちょっと、ロマンティックすぎるでしょう。助けて欲しいなんて、彼に思ってしまうことは。
 いやいや、でも私が気がついた面白い点というのはそこじゃあない。
「あははは」
それは、そろそろ本格的に私は困っているらしい、というか恋心を自覚したがっているのかもしれない。ということ。
「ははは」
 認識すると、はっきりと聞こえるようになる。
「ははは……」
 もうそろそろ、認めてもいいんじゃないかって。
「……なんだかなあ」
 水澄景夜のことが好きなんだって
 心がそう告げているのを。
「めちゃくちゃ逢いたくなっちゃったなあ」
 涙を流せれば、きっとそれは劇的で自分に酔える形になったのだろうけれど。そんなことは私が許さなかった。私自身の心が許さない。だって、まだカナメさんの思考をトレースする『遊び』は終わっていない。
 全てを悲観するにはまだ早い。だから、せめてもの抵抗をした後に彼との関係を具体的にどうするか決めてしまおうと思う。
 それが私にとっての楽しみであることが、今、嬉しいうちに。
 辛いことは、済ませてしまいたいのだ。

「よし、となれば」
ちょっと顔でも洗ってくるか。
 思考を働かせるため本格的に、リフレッシュがしたい。私は騒がしくドタドタと、斑模様の洗面台の前に立ちクレンジングのチューブを捻り泡立て、顔を擦って水に流す。
 確認するように、鏡を見て
 そして、気がつく。

「あれ?」

 鏡から見た、後ろの壁の曼荼羅模様。よくよく見ると、何かおかしい。不安になり、直視したくなくなる感じはそのままだが、

 しかし、何か理解できてしまう形のように思える。

 後ろに振り返って確認してみても、わからない。だけれど。何かがおかしい。
 昨日と違ったりするのか? いや、そんな訳がない。
 なら、なんだ。何が、何かわからないけれど、見た事のある感覚がある。
 いや、感覚で考えるな。追え。
 私は、指で鏡をなぞる。いや、鏡に映っている曼荼羅模様の一端を指でなぞる。

 一度目、わからない。
 二度目、わからない。
 三度目、あれ
 四度目、もしかすると
 五度目、これは
 六度目、になったころ、私の意識は完全にその違和感に囚われていた。そして、気がつくと同時に、部屋に入ったときのような怖気が体中を伝う。
 嘘でしょ。
「これって、文字?」
 私は、クレンジングをつかみそのチューブから出てくる洗顔剤で、指の軌跡をなぞる。



 『水』

 何故、だろう手が震える。

『澄』

 私は朝のことを思い出す。そして、夢の一端を思い出す。

     『景』
 
 あの私の夢に、誰が出てきたのかを思い出す。

          『夜』

 そして、その後の顛末はどうなったのかを思い出す。

                     『を』

 私は、何を願ったのか。今まさに逢いたい人は誰なのか。愛しいと思う、その気持ちを素直に表現できたら最良だと考えたのはいつの話だったのか?

      『犯せ』

 いやだ
 いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ。
 頭の中で全ての事象が行動が理解できた気になってしまう別に理解したいわけじゃないのにそれでも理解してしまう。どうしてカナメさんはサブリミナルの事を否定したのかを理解してしまうそうだ思い出したサブリミナルは別に偽科学ではないだって日本でもその効果を狙ってか白刺青という体温で浮かび上がる見えない刺青が存在したじゃないかそれにカナメさんは一瞬で見える映像が行動を制限することはないといったが連続して刷り込まれた視覚情報が無意識のうちに行動になるかどうかまでは言及していなかった。つまりそういうことなのだ。彼女は私をはめていた。

 彼女は。
 私と、景夜くんを
 破滅に導きたいのだ。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」 
 
 断末魔。というのは、こういうことなのだろうか。
 耐え切れなくなった精神が搾り出した、正常の証。
 私の心にそびえる、トラウマやストレスという肉体を守るための精神構造。
 今、その楼閣が拡散して。
 私の心の一端を確実に破壊した。

       

表紙

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Neetsha