Neetel Inside ニートノベル
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速筆百物語
005_貪るなら豚のように

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貪るなら豚のように

 前略、突然このような手紙が私から届き、君はさぞ驚いていることと思う。私としても手紙など書き慣れぬものだから、何から書けばよいのかと思案を巡らせているところだ。白い便箋を前にしているとつい身構えてしまってなかなか筆が進まない。伝えたいことを言葉にするのはメールと何も変わらないのに不思議なものだね。
 けれどこんな格式ばった方法を取ってでも、君に伝えておきたいことがあるんだ。だからこの手紙を茶化したりせず、真剣に一読してくれるよう望んでやまない。

 まず、重要な点から記そう。おそらく君は以前に、私が二股をかけているという噂を耳にしている筈だ。君はそんな素振りを微塵も見せなかったし、私と言えばそんな噂が流れていることすら気付いていなかった。あらかじめ断言しておくがそのような事実はない。けれどまったく根も葉もない話だとは言えない事情もある。その経緯を説明するため、少しだけ私の過去を伝えておこうと思う。
 高校時代、私は随分と荒れていた。今でこそ若気の至りと笑い飛ばすことができるが、当時の私は理由なき自己否定から抜け出すことができず、しばしば情動的で破滅的な行動を取っていた。友人たちがそんな私に愛想を尽かしていく中で、ただひとり私を見捨てなかったのが君もよく知る三ッ矢愛子だ。彼女は何をしてくれるでもないのだけれど、私が酷いことを言えば同じだけ言い返し、次の日には何事もなかったかのように話しかけてきた。当時はただの馬鹿なのではないかと考えたし、実を言えば今でもそうだと思っている。ただ彼女の存在がどん底から抜け出すきっかけとなったのは確かだ。
 高校3年の夏休み直前、愛子は『東京の大学に行って素敵な彼氏を作りたい』と言った。それは悪くないと思ったので私も東京の大学を目指すことにした(くだらない理由であることは承知しているからこの点は軽く聞き流してほしい)。私たちはそれなりに努力し、いま我々が在籍している大学に合格した。合格発表を確認した時には思わず愛子と手を取り合って喜んでしまった。その時、私はこれまで捕らわれていた自己否定の繰り返しからいつの間にか抜け出していたと自覚し、ひとつ愛子に借りができたと思った。
 大学に入学した私たちは当初の目的を遂行すべくチャラチャラとした軟弱なテニスサークルに入ったのだけれど、元来の内向的な性格が顔を出し始め、私は次第にサークルから足が遠のいてしまった。愛子は愛子でサークルの先輩と付き合い始め、私たちはあまり会わなくなった。それでもメールのやり取りは頻繁にしていた。

 話を本題に戻そうと思う。なおこれから記すことには、誰かを責めたり私の軽率な行動を弁解しようとする意図はない。ただ君に事情を説明したいがために事実を記していることは留意してもらいたい。

 私が二股をかけているという噂を君が聞いたのは、愛子の元彼、すなわちあの軟弱テニスサークルの現部長からだと思う。彼は愛子と付き合い始めてしばらくは優しかったらしく、彼女から貰うメールには思わず赤面してしまうような惚気がよく書かれていた。だが、次第に愛子のメールからは彼氏の話題が少なくなっていった。
 2年生になって久しぶりに会った愛子は痩せ細っていて表情に明るさがなくどこか怯えた目をしていた。後で知ったことだが彼女は日常的に暴力を振るわれていたそうだ。物を考えることなどないだろうとさえ思っていた愛子が、押し黙った沈痛な面持ちをしているのを見てあれこれと訊ねてはみたのだが、この時は理由を聞き出すまでに至らなかった。状況がわかったのは、しばらくして愛子からとんでもないメールが来た時だった。

『1度だけでいいんだけど、私の彼氏とデートしてくれない?』

 最初にメールを読んだ時、意味を理解できなかった。既に私は君と付き合い始めていたし、その馴初めには彼女も関係している。それ以前に自分の彼氏と他の女がデートする段取りを組むなど私の常識からは逸脱した話だ。私は彼女を深夜のファミレスに呼び出した。愛子の頬は赤く腫れていて、殴られたことが一目瞭然だった。
 あの時聞いた話はいま思い出してもはらわたが煮えくり返る。たまには他の女とデートしてみたいから誰か紹介しろと言われ、そんなことは嫌だと断ったらいきなり殴られたそうだ。言い争う中であの男は私を思い出し、段取りをつけろと言い出したらしい。
 私は憤慨してそんな屑とは別れてしまえと告げた。だが愛子は煮え切らない態度を取るばかりだったので『それなら私が直接言ってやる。会いたいというのだから丁度いいだろう。今すぐここに呼び出せ』と啖呵を切った。渋る愛子に半ば無理矢理電話をかけさせ、あの男をファミレスに呼び出した。
 あれほどに話が通じないと感じたのは初めてだった。何を言ってもにやにやと笑いながらピントのずれた自論を繰り返し、どこまでいっても話が平行線のままで噛み合うことがない。無益な対話が5時間ほど続き、我慢の限界に達していた私は『本当にこんな男がいいのか』と愛子に聞いた。愛子は俯いたまま肯定も否定もしなかった。
 今にして思えば性急に事を進め過ぎた反省もあるのだが、その時の私ははっきりしない愛子に対して猛烈に腹が立ってしまい、財布から出した500円玉をテーブルに叩きつけ『勝手にしろ。私はもう知らん』と言い放って店を出てしまった。日をおいて何度か愛子にメールをしたが返信が来ることはなかった。

 以上が事の顛末のすべてだ。あの男はその後、この出来事を大いに脚色して君に吹き込んだのだろう。さぞ不快だったと思う。物事を途中で投げ出すことの嫌いな君がサークルを辞めてしまったくらいなのだから。
 あの時の私の行動が正しかったのかどうかいまだに判断がつかないままでいるが、解決に何ひとつ役立てなかったことは間違いない。しかも結果的に君を不快にさせ、加えて君に迷惑をかけたことに今日まで気付いてもいなかった。ごめんね。どうか許してほしい。

 君にしてみれば何を今更という話かもしれない。逆算してみるとあの出来事から既に4ヶ月が経過している。だが私がこの事実を知ったのはつい先日なのだ。
 私は愛子に定期的にメールを送っていた。昔の借りを返すと言えば聞こえはいいが、単純にこのまま関係が終わってしまうのが嫌だっただけだ。その気持ちがどれだけ彼女に届いていたかはわからない。けれど先日『やっと別れた! \(^o^)/』というメールが来て不覚にも私は少し泣いてしまった。私たちは本当に久しぶりに会って、これまでの分を取り戻すように話し込んだ。その時に初めて何が起こっていたのかを知ったというわけだ。

 思えば私は君に迷惑ばかりかけている。普通は男性が女性の部屋に転がり込んで、そのまま居ついてしまうパターンが多いと思うのだが、君の部屋は私の部屋なんかよりも余程整頓されていて居心地がいいものだから、ついつい私の方が居座ってしまう。君が何も言わないのをいいことに、洗面台もクローゼットもいつの間にか私のものが侵食しているし、この手紙だって君の部屋で君のペンを使って書いている。休みの日には豚のようにごろごろ転がって君の持っている漫画や小説を読み耽る始末だ。だがこれについては、君が公認会計士の勉強を本格的に始め、私に構ってくれる時間が少なくなったことにも原因の一端がある。君が本気なのは見ていてわかるからあまり邪魔をしたくはないけれど、月に1度くらいでいいから一緒に出かけたいなとも思う。
 迷惑をかけていると反省していたつもりが、新たな我が侭を言い始めてしまったね。君はひとつ年下だけれど、私よりもずっと懐が深いと感じているからどうしても甘えてしまう。初めて会った時、君の私を見る目があまりにまっすぐで可愛らしいなどと思っていたけれど、その奥に強い意志があると気付いてからは、君の眼差しは私の尊敬の対象になった。この話をすると君は嫌がるけど、新入生勧誘に駆り出された私を一目見て、何の興味もないのにあの軟弱テニスサークルに入り、ちっとも顔を出さない私の事を知ろうと愛子に訊ねた君の行動力は素晴らしいものだと思う。そしてその対象が私だったというのは素直に嬉しい。
 照れくさいことを書いてしまったついでにもうひとつ本音を記しておく。今回のことでも思ったのだが、君は何かあっても自分ひとりで受け止めて解決してしまう。それは勿論称賛されるべきものだとは思うし、私も君のそんなところが好きだ。けれど自分に確たる自信をいまだ持ち得ないでいる私からすると、もしかしたら君の気持は私の気付かないところで離れてしまっているのではないかと不安にもなる。
 だからひとつお願いを聞いてほしい。これからも私と一緒にいたいと思ってくれるなら、この手紙を読んだ後、私の頭を撫でてはくれないだろうか。現実の私は何も気にしていないふりをして、いつものように寝転がって本を読み君の答えを待っているだろう。

 私はどちらかと言えばだらしのない部類の人間だとは思う。君が私のために買っておいてくれたお菓子をあるだけ全部食べてしまったり、せっかく2人で出かけようと前日から君の部屋に来ていたにも関わらず、続きものの漫画の先が気になって夜更かしをしてしまい、結局お出かけを中止にしてしまったこともあった。
 時々私は自分の事を豚のようだと思うことがある。後先のことを考えずに好きなものをあるだけ貪って満足すれば転がっているだけだ。これまで私は君に対しても同じような態度を取っていたような気がする。これから私はもう少しだけ人間らしく君を思うつもりだ。君にできた夢を応援するために微力ながら私にできることをしようと考えている。

 けれど覚えておいてほしい。多少変化があったとしても、私は君が好きでたまらないのだ。貪るように君を求める気持ちを少しだけ隠すだけなのだ。だから君は私に少しだけ弱さを見せてほしい。無理はしてくれなくていい。ただ今回のようなことがあった時は私に一言言うなり愚痴るなりしてほしい。それは君のためではなく、私の安心のためなのだから。

 ここまでを読み返してみてちょっと書き過ぎたかなと思い始めた。夜に書いた手紙は翌朝読むと恥ずかしくて堪らないと聞く。この手紙が君に届かないと困るので、これ以上読み返すことはせずに封をしてしまおうと思う。

 数年後、この手紙を肴にして2人で笑いあう未来を願っています。かしこ。

       

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