Neetel Inside 文芸新都
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僕らはみんな死んでいく
第八話「三十万人時代」

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 里崎の死体を地面には下ろさず、ウェットティッシュで彼女の脚を拭く。さっき車の中で彼女の脚に触れた僕の指紋がついているかもしれないから。もう彼女の脚に触れる機会はないだろうから。それは傷だらけでだらりと伸びている上に、漏れ出した彼女の排泄物が垂れ始めていたけれど、汚くは感じなかった。
 綺麗だ、と言えるほど、偽善者でも変態でもなかったけれど。

 脚立を蹴って仕事を終えた顔をしている谷繁先輩は、煙草を吸って暇を潰している。地面に落として踏み消すのを見て「証拠になりますから持ち帰ってくださいよ」と注意する。ごめんごめん、と先輩は安物スーツの胸ポケットに吸い殻を仕舞う。汚したいのだろうか。汚れたいのだろうか。「客の信用を得るため」と言いながら、その服装は余計にチンピラらしさを醸し出してしまっていた。
 仕事の締めで依頼者が不意に考えを改めて暴れ出したり、大声で喚いたりされると困るため、列車の騒音が何もかも掻き消してくれる場所を選んでいるのに、僕がこのアルバイトを始めて以来、そういった相手に出会ったことはない。谷繁先輩は一応ナイフやら警棒やら隠し持っているのに、大立ち回りを演じる機会は巡ってきていない。

 本当はいくら証拠を残したところで、警察は真面目に調べてなんかくれない。頃合いを見て匿名で通報しておけば、平凡な首吊り死体として扱ってくれる。親族殺人の容疑者なら、これで事件は一件落着ということで、あちら様も万々歳だろう。

「最後の旅立ちのお手伝い請け負います」「あなたの背中押させてもらいます」「どなた様の悩みも十万円で一発解決!」「世逃げ屋」などといった謳い文句と連絡用の電話番号が書かれたビラを、バス停のベンチや公衆便所の壁、市役所やラブホテルの近辺なんかに貼っておく。先輩が依頼者と仕事内容の確認を取り、自殺志願者を運ぶ。その他の雑務が僕の仕事だ。一回の仕事は二時間程度。それだけで懐が三万円潤った。しかし先輩からの連絡は回数を重ねるごとに間遠になっていった。
「人の手助けのいらない連中が増えたのさ」と、傾きかけている商売について先輩は自嘲気味に笑いながら語る。

 里崎のいなくなった車内は静か過ぎてまるで僕らが誰かを悼んでいるみたいだった。そんな沈黙を嫌ってラジオをつけると「前年度に引き続き、今年も三十万人を越えるペースで自殺者が増加しています」と機械的な声質のDJが喋っていた。昨年からマスコミなどが書き立て始めた「三十万人時代」というこの現代、もう先輩のような人の助けなんて借りずに、多くの人が手首を切るような気軽さで死んでいく。だけどそんな数字は全然正確じゃなくて、本当は十年前も二十年前も、同じくらい人は自殺していたかもしれない。

 ラジオからは僕が生まれた年に発売されたという曲が流れ始めた。今の時代に歌われていても不思議ではない歌詞で、いつの時代もどこの誰もみんな似ているんじゃないかと思えてきた。
 事故を起こしたりして目立ってしまわぬよう、安全運転をしている先輩が、少し音程をはずしながらもラジオに合わせて歌い始める。
「……俺達の日々は
 きっと車に轢かれるまで続いてゆく……」
「好きなんですか、この曲」
「兄貴がね、好きだった。俺は嫌いだったんだけどね」
「先輩はこの商売、好きですか?」
「お前はどうだよ」
「好きでも嫌いでもないです」
「インポらしい答えだ」
 ラジオDJが次にかけたのは、相変わらずどうしようもなく底抜けに明るくて前向きな歌詞の曲だったので、僕は局を変え、クラシックが流れ出したところで手を止めた。モーツァルトの「レクイエム」が流れ出す、なんてことは起こらなかった。どこかの古くて偉い作曲家が作った、聞いたことがあるようなないようなメロディを、オーケストラが奏でているのを聞きながら、僕は次第に里崎のことを忘れていった。

「腹減った」と谷繁先輩が言うので、ダッシュボードに入れてあったツナ缶を取り出す。
「もっとこう、うどんとか」
「ファミレスでも寄りますか」
「いや、帰るけどさ」
 缶切り不要のタイプだったので、ツナ缶を開けて先輩に渡す。箸もスプーンもないので、信号待ちの度に少しずつツナをほじくって食べる先輩の指はべちゃべちゃに濡れてしまっていた。おかげで、僕の家の傍で降ろして貰う際に手渡された三枚の一万円札は、ツナの臭いがした。ウェットティッシュを脚立やロープと一緒にボストンバッグに入れて車の後ろに詰め込んでしまったことを後悔した。
「また連絡くださいね」
「仕事あるかわかんねえよ」

 家に帰ると、今月分使える金は全て使い込んでしまったせいか、叔父がコピー用紙に向かって一心不乱に小説を書きつけていた。傍らには資料となる本や写真なんかが散乱しており、その中には日高に押しつけられた中谷のノートもあったが、黒い表紙の上には「×」印のついた付箋が貼られてしまっていた。

 二つのバイトをこなして疲れ切っていた僕は夢も見ないほど深く眠った。
 朝起きると、昨日よりもまた少し悪くなる、いつも通りの一日が始まっていた。


僕らはみんな死んでいく 第一章完
(第二章へ続く)

作中歌 「ヘッドフォンチルドレン」THE BACK HORN

       

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