Act2. 声なき少女
~転機~
この世は弱いものにとっては辛い場所だ。
キャラバンのリーダーである父母を失い、あの男が――母の義弟が後見人という名目であとをついで以来、わたしはほとんど奴隷のような待遇だった。
原因はわかっている。
わたしたち家族が、天敵であるはずの『火の民(ザルツ)』に対して寛容だったこと。
あの男は、父に道ならぬ想いを抱き、母やその忘れ形見であるわたしに憎しみを抱いていたこと。
そして、わたしが、弱かったこと。
けれど、父の面影もあるわたしを、殺すことまでは彼にはできないでいた。
そのため“そういうこと”こそ要求されないのは幸いだったけれど、彼の態度は強硬で、わたしを気の毒に思ってくれている人も、表立ってわたしを守ることはできないでいた。
このキャラバン自体もすでにおかしい――
父がリーダーだったころは、ごく普通の隊商だった。しかし今では人を襲い、金品を奪うのが日常となってしまった。
いまのところ狙うのはザルツばかりだが、それでも強盗は強盗。父さんや母さんだったら、絶対許すはずがない。
昨日もわたしは抗議した。そして殴られた。
いっそこんな男、ザルツに反撃されて、やられてしまえばいいのに。そんなことをちらりと思ったりもした。
けれどそんな日々は唐突に終わった。
負けたのだ。ザルツのキャラバンに。
わたしの乗っていた馬車は置き去りにされた。御者が負傷してしまったためだ。
退却しながらあの男はわたしに逃げろ、と叫んだ。けれど出来るわけもない。わたしの足に鎖をつけたのも、風きり羽根を切ったのも他でもない、あいつなのだ。
そうしてキャラバンのメンバーは退却。わたしだけがザルツの手の内に残された。
リーダーらしき男が手勢を集め、この馬車に向かってくる。
細く開けた窓から見ると、彼らの口は動いているのに、言葉は聞き取れない。
腰がぬけた。
あれはザルツだ。わたしたちデューンを食らうもの。
それがあんなにたくさんいる。
手には武器。あれでついさっきキャラバンのメンバーを追い散らしてた。
そしてわたしは武器もなくひとりだ。
“殺される”
そう思ったら怖くて怖くて――
そのとき、なぜか名前を呼ばれたような気がした。
ちらりと顔を上げると、わたしと同じくらいの年頃の少年がわたしを見ていた。
目が合った、その瞬間。
彼はとんでもない勢いでわたしを背中にかばった。
そして、聞き取れないけれど、何かを必死に叫び始めた。
ぜいぜいと肩を上下させながら頭を下げる彼。
その頭に、リーダーらしき茶色い髪の男が優しく手を置いた。
笑顔で交わすかれらの会話は聞き取れなかったが、内容は推測できた。
わたしはとりあえず、強盗団の被害者として保護されることになったようだった。
とりあえず、生命は助かった。
お風呂に入れてもらい、怪我の手当て、新しい服と靴、暖かい食事もやわらかいベッドももらえて、まるで夢でも見ているかのようだ。
キャラバンの人たちもみな優しく、笑顔でわたしの世話をしてくれた。
ただ、言葉はまったく聞き取れない。
もしもわたしが“強盗団に捕まっていたショックでしゃべれないザルツ”ではなく、デューンなのだとばれたらこの幸せも消えてなくなるだろう。
足の鎖は切ってもらった。風切り羽根が生え変わったら、申し訳ない気もするが、逃げなければならない。
まず、父母の故郷に戻ろう。そうして、別のキャラバンに入ろう。
どこだって、あの男の元よりは格段にマシなはずだから。
ほんとうはこのキャラバンに加われたらいい。
わたしをかばってくれた少年は、それからも何かとわたしの面倒を見てくれた。彼は本当に優しくて、その笑顔を見るとおもわず微笑み返しそうになってしまう。
本当に、そうできたならどれだけいいか。
でもわたしは異種族だ。
心を寄せたりしては、いけないのだ。
このひとたちとは、たとえ仲良くできたところで、けしてしあわせにはなれないのだから。
けれどその日は、またしても唐突にやってきた。
胸がさわぎ寝付けずにいたその晩。
何かをこつこつ叩く音が聞こえた。
窓だ。わたしは何も考えずにそれを開けた。そして悲鳴を上げてしまった。
そこには、あいつが、大嫌いなあの男がいたからだ。
あいつは黒い翼を羽ばたかせ、窓から飛び込んできた。
「ずいぶんいい待遇みたいじゃないか。リーダーをたぶらかしたのか?
まあいい。帰るぞ。
お前のような役立たずでも、飯炊きをするものがいないと不便だからな。裏切ったことは水に流してやる。ありがたく思え」
「いやだ!!」
冗談じゃない。こいつのもとに帰るなんて、絶対にいやだ。
「馬鹿いうな! やつらはザルツだ。正体がばれたら殺されるんだぞ」
「あなたのもとになんか帰らない!! 大嫌い、出て行って!!」
「何だと?!」
力いっぱい手首をつかまれる。痛い。怖い。
でもわたしは必死で抵抗した。
もし連れ戻されたら。今度は翼を折られるか、それとももっとひどい目にあうかもしれない。そして今度こそ本当に、わたしの未来は閉ざされる。
それよりなにより。わたしは、こいつのことが大っ嫌いだ。
「離せ! あなたなんか大嫌い! 大嫌い、大嫌いっ!!」
「この…!」
そのとき、馬車のトビラが開いた。
そこにいたのは、息を切らしたようすのあの少年と、このキャラバンのリーダー。
彼らはわたしの味方だ。助かった!
「くそ、…リース!! なんとかうまくやれ。
絶対助けに来るからな。どんな手段でも生き延びろ!!」
奴はそれだけ言い残すと、一人窓から飛び出した。冗談じゃない。
「もう来るな!!」
怒鳴ってわたしは思いっきり窓を閉めてやった。
そうして振り返ると、少年があんぐりと口をあけてわたしを見ていた。
手にしていた剣を、取り落とす。
そのとなりで、リーダーも驚いたようにわたしをみている。
直感した。“ばれた”と。
腰がぬけた。
なんてことだ。わたしの馬鹿。
殺される。今度こそ間違いなく殺される。
怖くて怖くてわたしは、ぎゅっと目をつぶった……
「君は『月の民』だったのか。
すまない、怖がらせてしまったな」
しかし、そのとき驚くべきことが起こった。
言葉が聞こえてきたのだ。
同時に頭に、暖かいものがのっかる。
目をあけるとそこには、目の前にひざをついてわたしを優しく見ている、キャラバンリーダーがいた。