Neetel Inside ニートノベル
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クロ電話ノ鳴ル処
彼方ノ世界

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 穴吹らしくない、妙にかしこまったメールに、思わず噴き出してしまった。しばらく声を押し殺して笑った後、不意に楽になっているのに気がついた。「お疲れ様」の一言で、随分と心が救われた。

『今終わったところだよ。メールありがとな』

 短いメールを返信して、再びスーパーを回った。
 レジを通って、食材を袋に詰めていた時だ。制服の上着に入れた携帯がまた震えた。送信者の名前を見て、思わず笑みがこぼれてしまう。

『迷惑じゃなかったら、よかった。
 あのね、明日のことなんだけど。映画を見にいきませんか。
 異世界の手紙っていうタイトルなんだけど、まだ見てないかな? 
 今は疲れてると思うから、連絡は明日でも大丈夫です』

「映画か」
 極稀に、テレビ放送の吹き替え版を見るぐらいだ。映画館にも、ほとんど足を運んだことはなかった。
(……嫌いじゃないけど)
 もう一度メールに目を通し、改めて映画のタイトルを確認する。
(異世界の手紙、か)
 タイトルからして大丈夫だと思うが、過剰な演出シーンのある、アクション系統の作品は見たくはない。
(家に帰って、ネットで調べてみるか)
 メールの返信は一旦保留して、携帯を上着の中に戻す。買い物袋を持って店を出ると、夜風が少し冷たかった。
 
 家に帰ってきてから、いつも通り飯を食って風呂に入って、現在に至る。映画について検索してみたところ、「異世界の手紙」は、日本のアニメ制作会社が作成した、二時間のアニメ映画だった。小説の原作があり、あらすじを見る限り、失踪した高校生の「兄」を、どうのこうのという話らしい。
 一息ついたところで時計を見れば、既に十時半を回っている。微妙な時間だと思い、若干迷いつつ、メールを送信してみた。

『猪口です。返信遅れてごめん。
 映画、面白そうだな。
 俺も初見だから、明日の放課後、一緒に見にいきましょう。
 映画館は、ドリームプラザのところで大丈夫かな?』

 送ってみると、自分のメールも、無駄に少し丁寧だ。
 そんなに時間もかからず、携帯が震えた。

『ありがとう! すっごく楽しみです。
 場所も大丈夫です。
 ネットで検索したら、五時四十五分に上映するのがあったから、
 まっすぐ行けば間に合いますね!
 本当にうれしい。じゃあね、おやすみなさい』

「……おぉ」
 なんか、いいな、これ。こういうの。いいな。
 居間のこたつの中、力を抜いて仰向けになる。机の上に参考書を広げて、今日の授業の復習でもしようと思っていたが、
「無理くせぇ」
 集中力が完全に途切れた。
 気がつけば、同じメールを目にしたまま、こたつの中で転がっていた。
「おい、信也」
「うん? なに?」
 隣で酒瓶を片手に、テレビを見ていたじーちゃんが不審そうな顔で、こっちを睨んでいた。
「さっきから一体どうした」
「なにが?」
「鏡でテメェのツラ映してみろ。さっきから携帯を手に、ニヤニヤ、ニヤニヤと、気味がわりぃ」
「そんな顔してねーよ」
「しとるわ。もしやと思うが、いかがわしいサイトでも検索しとるんじゃなかろうな」
「ねーよ」
 携帯を閉じて起き上がる。少し赤ら顔になったじーちゃんが、グラスに残っていた酒を一気に煽り、ふはーっとでかい溜息をこぼした。
「やめろよ、酒くせぇ」
「今日はこれで終いじゃ。ところで、のう、信也」
「今度はなんだよ」
「お前、最近仕事の方も増えてきとるが、身体の方は大丈夫か。無理はしとらんか」
「その言葉、七十超えのジジィにそっくり返してやるわ」
「茶々を入れんでいい」
 まっすぐな眼差しが突き刺さる。今更それで怯んだりはしないが、慎重に、言葉を頭の中で選びぬいた。
「大丈夫だよ。所詮バイトだし、難しいことはないし、無理もしてねぇし。真剣に自分追い込んで、卒業後の金を貯めとこうって気分でもないからさ」
「そうか、それならえぇ。お前はまだ一年じゃろうが。今は今のことを目一杯楽しんどきゃえぇんだ」
「じーちゃん」
「ん?」
「話半分に聞いてくれよ。俺も結構適当に言うからさ」
「なんじゃい」
 居住まいを正して、じーちゃんと向き合う。
 呼吸を一つ。言葉を発した。
「俺が、高校卒業してすぐに働きたいっつったら、どう思う」
「ふむ……」
 じーちゃんが頷く。
 目を閉じ、一層眉を寄せて、俺を見た。
「お前が決めればえぇ。二年後には、それぐらいの判断と分別ぐらい、自分で白黒つけれる程度には育っとるだろ。中学の頃のお前は、五十歳上の時代遅れのジジィにすら、まだまだ遠く及ばんかったがの」
「今も全然届く気がしねーよ」
「簡単に届いてたまるか。文字通り、泥啜って、草食って生きぬいたワシらの世代をナメるな。二年後、お前がロクデナシに育っとったら、縁切って終まいじゃ」
「まぁ、そうならない程度には頑張るけどさ」
「それでえぇ。ただ一つ言うとくぞ。ワシはもう、お前が中学の時みたいに、進学することを勧めたりはせん。だがの、その代わりお前もワシに遠慮をするな。ワシのことが心配で、家に金を入れたいから働く言うんは、余計な世話じゃと肝に命じとけ、ええな?」
「わぁってるよ。百二十まで生きるんだろ」
「そうじゃ。最低でも百までは、生涯現役で金を稼いでやるわ」
「いや、さすがにそこまで頑張らなくても、いいと思うけど……」
「そう思うならの、一年でもはよぅ、ワシを納得させてみろ」
 じーちゃんが、ニヤリと笑う。
 相変わらずの極道顔を、ひどく格好良いと思い始めたのは、いつからだったか。
(……すっげー、遠いんだよなぁ……)
 十年では足りる気がしない。
 二十年あれば、足がかりぐらいはできるのだろうか。
 三十年先。じーちゃんが百を迎える時、この人から認めてもらえる大人に、なっているだろうか。
 俺はまだまだ半人前で。技術もなければ、やりたいことも曖昧だ。
 それでも確かに、十年前とは違う。
 これからも、きっと変わっていく。
 変わっていける。
「さーて、今日はそろそろ寝るとするかいの。信也、明日は仕事はないんだろ?」
「……いや、明日はちょっと予定ができてさ。たぶん、バイトの時間と同じぐらいには、帰ってこれると思うんだけど」
「なんじゃい、竜二君とどこぞ遊びにでも行くんか?」
「いや、あいつも確か、別の予定がある感じで……」
「ほう。なるほどのぉ」
 ニヤァッと、気色の悪い笑顔を広げやがる。
 クックックと、その筋の幹部にも思える顔で笑う。
「さっきから、なにを薄気味悪く笑っとるかと思えば……コレか」
 小指をぴっ、と立ててみせる。
「……表現が昭和なんだよなぁ……」
「ん? 通じんか?」
「通じるけどさ。まぁいいや。俺も今日は寝るわ。おやすみ」
「おうおう、今のうちに体力貯めとけ。青春は一度切りじゃぞ」
「やかましいわ」
 明朗にガハハと笑う「半酔っ払い」を残して、さっさと階段を上る。
「……あんのジジィ」
 いつか絶対追い越して、踏みつけてやる。
 改めて誓いつつ、部屋の襖を開けた。
 明かりを点ける。
「んで、お前はなにやってんだよ」
『…………』
 部屋の中央、無表情に、クロが立ち尽くしていた。

     


『―――――――』
 無表情のまま、クロが静かに黒電話を指差した。適当に無視したところで、意地でもその場を動かないだろう。
「クロ、そろそろ寝るから出てってくれよ」
 言いつつ、箪笥の上の黒電話を手に取り、ダイヤルを回す。
 あの日から変わらず、頭に刻みついた九桁の番号。
『XXX-XX-XXXX』
 カララ……キュルルルルル……。
 カララ……キュルルルルル……。
 カララ……キュルルルルル……。
 カララ……キュルルルルル……。
 カララ……キュルルルルル……。
 カララ……キュルルルルル……。
 カララ……キュルルルルル……。
 カララ……キュルルルルル……。
 カララ……キュルルルルル……。
 
 ガチャンと音がして、耳元へ静かな声が聞こえてきた。
『……信也……』
「どうした」
『……私は、貴方にとって、どういったもの、なのでしょうか……』
「は?」
 クロはこちらを向かず、膝を折って正座する。凛と背筋を伸ばした姿勢で、なにもない壁の方を見つめていた。ただ、微かに口元が動けば、耳元へ静かな声が届けられた。
『……十年前、私は、貴方にとって、必要な存在でした……』
「いきなりなんの話だ」
『……貴方は、私がいなくてはいけなかった。でも、今は……』
「ちょっと待て、お前も勝手に先走ってんじゃねーよ」
『……私は、もう必要ない……』
「わかった」
 箪笥の上の黒電話を抱える。それを持って、正座しているクロの前に置いた。向き合う形で畳の上に正座して、クロの顔を見据える。
『……信也……?』
「きちんと、話しとこうぜ」
 十年付き添ってきた、付喪神。
 昔はどこへ行くのも、なにをするのも一緒だった。でも今は違う。
「クロ、俺はもう、お前の助けは必要ないよ」
『……』
『だからって、必要がなくなったら、お前がいらないっていうのとは違うんだ」
『……』
「大体俺だってな、じーちゃんにとったら、必要ないガキなんだぜ。タダ飯食らいで、金が大量にかかるだけなんだから。むしろ俺なんかいなけりゃ、じーちゃんは、もっと好きなことが出来るんだよ』
『……そんな、ことは……』
「あるよ。でもな、そんな理由で腐ってたって仕方ねーんだよ。今の自分が必要なけりゃ、必要であるようにすりゃいい話だ。グダまいてる暇があるなら、手探りでもどうにかするんだよ」
『……』
 クロが顔を俯ける。膝に乗せた両掌が震えている。
 歯を食いしばった表情。目元には涙。
 目の前の存在が、幼い頃に作り上げた、自分の幻覚だとは思いたくなかった。
 黒電話の付喪神。彼女は確かに、ここにいる。
 十年前、俺の願いを元に、この世界に現れたクロ。当時、じーちゃんはまだ会社で働いていて、常に俺の世話を焼くわけにはいかなかった。心細くて仕方がなかった時、いつも側にいて、俺を助けてくれたんだ。
「――だから、ごめんな、クロ」
『……え?』
「俺は、自分のことばっか考えてたな。うん、本当に悪かった」
『……信也……?』
「お前のこと、最近適当に扱いすぎてた」
 受話器を置いて、頭を下げた。
 もう一度頭を上げた時、初めて目を逸らされた。固く握られていた手がふわついている。
『……あの、別に、そういうわけでは……』
「四六時中、一緒にいるって言われると困るけど、これからもクロには側にいてほしいんだ」
『……どうして、ですか。お役には、たてないのに……』
「言ったろ。役に立てなけりゃ、役に立つようにするんだよ」
『……どう、すれば……?』
「自分で考えな」
 手がクロの頭の上に伸びた。左右にゆっくり動いて、彼女の頭を撫でてやる。すり抜けてしまうから、感触などは残らない。それでも心に残る。刻まれて、広がっていく。
「昔、お前にこうしてもらったよな」
『……はい……』
「じーちゃんとか、竜二とか、それからクロもな。他にもいろんな人達がいてくれたから、今の俺があるんだと思う。だから、いつまでも甘えてるだけじゃダメなんだよ」
『……私は、信也のお役に立てましたか……?』
「当たり前だろ。だから十年経っても生きてるし、これからのことも考えられるんだ」
『……私も、変われるのでしょうか……?』
「あぁ」
『……では、その時も、信也の側にいられますか……?』
「きっとな」
『……嬉しい、です……』
 クロが笑う。ゆっくりと、笑みを広げていく。
 気恥かしくて、お互い笑いあっていた。

       

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Neetsha