Neetel Inside ニートノベル
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境界
境界の向こう

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「おはよう」
「ああ、おはよう」
 声をかけると千堂は振り向いた。既に僕とは違う制服を着ている。鞄も学校指定らしく茶色の革っぽい上品なものを持っている。違う風体の二人が並んで登校するというのも変な話だ。
「どうだ、学校にはなじんだか?」
「なじめるとでも思ったのか?」
「はは、悪い」
 転校先は存外近かった。だからこそこうやって待ち合わせができる。通学路が分かれる十字路までは一緒だ。とはいえ一緒に行ける距離はさして長くはないし、千堂からすれば最短距離ではないのだが僕は何も言わない。
「それでな、今日学校が終わったらの話なんだが」
「今日榊田はバイトの日だけど」
「分かっている。だからこそ、折り入って話があるのだ」
「ん、いいけど。じゃあ今朝の待ち合わせ場所とおんなじとこでいいか?」
「ああ」
 あれから季節は移った。凛とした空気と霜柱が解けて代わりに温かい空気と若葉がやってきた。そうだ、榊田も退院したんだっけ。
「ここで。またあとでな」
「おう、またな」
 十字路についてしまったので各々一人になる。少し寂しい余韻を残しつつ、どうせ学校の間だけだからと思い直す。変わってしまったことというと千堂のことが一番大きいかもしれない。
 あの事はもう遠いことのように思い始めている気がする。僕たち以上に学校はもう何事もなかったかのような雰囲気で、今では欠員した分は転校生が埋めている。当然僕はその普通な転校生となじめるはずもなく、クラスメイトとも処理が縮まるどころか広くなった気さえする。
 これは僕が自覚したせいなのだろうか。
「おはよう!」
「おはようございます」
 元気のいい体育教師の挨拶に適当に返す。一人で校門を通るのも慣れたもんだ。
 校庭が目に入る。惨状を思い浮かべないと言ったら嘘になる。でも、今では笑っていた彼女のことを思い出すことの方が多い。最後に一緒に帰った時はここら辺で若者の話になって、国原は「え、わ、私は生徒会だから、その、ちゃんとした若者なんじゃないの、かな?」と言っていたんだったかな。よく思い出せない。
 人の記憶なんて頼りがいの無いものだ。彼女の顔の仔細など実際覚えていない。概要は覚えている。でもあの時彼女がいたという存在はちゃんと覚えているからいいのだ。と、千堂が言っていたのでそういうことにする。
「おっはよー!」
 昇降口に入り下駄箱に手をかけると、見計らったかのように夕凪が出てきた。女の方の。
「ああ、おはよう」
「いやいやー、結構まっちゃったよー」
「教室で待ってろよ」
「今日は下駄箱な気分だったの」
「ああそう」
 靴を履きかえると、マスコットが首に絡みつくのにも構わず立ち上がって教室を目指す。
 しかし見れば見るほどに飛び級というのは納得してしまうな。姿形がどう見ても高校生じゃない。デフォルメというイメージがしっくりくる容姿だ。頭脳だけ高校生と言われた方が腑に落ちる。目の情報は大事。
「ずいぶんと楽になったもんだな」
「だねー」
 春を迎えて僕たちは学年が一つ上がった。それに伴って教室も近くなったのだ。歩いて最初に見る階段を二つ上がれば教室はすぐ。
「お前ちょっと重いぞ」
「私は重くないもん」
「僕が重いんだ」
 綿貫が居なくなって、こいつは僕たちについてくるようになった。元々あいつの妹だ。こちらサイドでないはずがない。それに僕みたいな気があるとも言っていた。僕らに近づいてこれる理由はそれだろう。それにこちらも永久的に欠落した空きがあるのだ。埋めてもらえるなら渡りに船と言える。
 お互い何かを失った者同士、分かり合える部分はあるのだ。
 階段を昇るとクラスメイトとすれ違う。でも挨拶はしない。彼らからすれば何も失っていないに等しい。これを機に分かり合うなんてことはない。
「おう、朝っぱらから仲が良いな」
 階段を昇り終えると声をかけられる。
「小動物に絡まれてるのを仲が良いというのか」
「悪くはないだろう」
「そりゃそうだけど」
「やほー! さっちゃん!」
 右手だけ離し、夕凪は榊田に向かって手を振った。
「さっちゃんはやめてくれよ」
「かわいくっていいじゃないか」
「そーだよー!」
「俺にかわいさは必要ないと思うが」
「あって損するものじゃないだろ」
「いや、何かが欠けた気がする」
「えー」
 昔とは違う会話の種類だ。あのころは僕が千堂にいじられることが多かったからなぁ。ってなんだか懐かしんでるとおっさんみたい。
「ほら、教室はいるぞ」
 三人で教室に入る。流石に千堂ほど人を静まらせるオーラはないけれど、結界を張っているような雰囲気は感じる。
「今日も今日とて頑張りますか」
「おー!」
「……おー」
 新しい学校生活、といっても人が変わったくらいで何が変わったわけでもない。これが今の僕の日常。

 その日の学校は教員会議があるらしくホームルーム無しでそのまま解散だったので早く終わった。
 帰り道。榊田と夕凪は別の道なので一人きり。千堂は集合場所に来るはずだ。確かあそこの学校もうちと同じ下校時刻のはずだから……少し早いけど直行するか。
「やぁやぁ」
 いざ足を進めようとすると聞き覚えのある声。
「お前の家こっちじゃないだろ」
「友達に会いに来ただけさ」
「どうだか」
 意地悪な表情をしてやるとへらへら笑っている。相変わらずだな。
「何か用事でもあるのかな」
「あると言えばあるけど、まだ時間じゃないからいいよ」
「千堂さん?」
「ああ。なんか話があるらしくてさ」
「そっか。いいね、春らしいよ。満開だ」
 どうにもこいつとの話は要領がつかめない。ああ、婉曲的なのはこいつに限らないんだっけ。
「じゃあ、邪魔者は退散しますか」
「邪魔者ってなんだ。だから時間はあるって」
「いいよ。でも、うん。なら一つだけ言わせてもらおうかな」
 そう言って彼はゆっくりとこちらに近づいてきた。
「君は一つを選んだ。正しい方だったとは言わないよ。だってわからないもの。でも悪かったと言われたら僕は否定する。全力で違うと言う。選ばせた者としてそれくらいはさせてもらうよ」
 それだけ言った。
「そうか。ちょっと安心したかも」
「なら重畳。じゃあ僕は行くね」
「ちょっと待てよ」
 僕は引きとめる。
「うん? どうしたの?」
「あの時の推理に、一つケチをつけてもいいか?」
 あれからずっと考えていたことがあった。推測と言われてしまえば何も言い返せなかったが、やはりこじつけが過ぎると思ったからだ。
「もちろん」
 夕凪は笑った。
「綿貫が目撃者を出すようにしたのってさ、庇ってもらうためじゃないんじゃないか? だって榊田が優しい奴だと知ってたところで、万が一惚れていたとしても、庇ってくれるって保証はどこにもないだろ? 第一榊田が目撃する瞬間に殺すなんてスケジュールのコントロールをできるわけがない。榊田は精密機械じゃないんだ。同じ時間帯に家に帰るとしても秒や分の単位まで一致なんてするはずない。それに他の目撃者出る可能性だってある」
「へぇ、じゃあどうしてだと思うの?」
「これも推測なんだけど、綿貫はお前が言う目的も持っていたのかもしれないが、早く楽になりたいって気持ちもあったんじゃないかな」
「本当は殺したくなかったって? いやいや、あれだけの虐殺劇は簡単に止まるような殺意じゃあそうそう無理だよ」
「殺した後の荷を背負い続けるだけの強さは無かったってことだよ。助けてくれるにしろ警察に言われるにしろ、背負い続けるよりはずっといい。でも自首する勇気もないし殺意は止まれないほどに加速していた。だから目撃者を出すようにした」
「直接は無理だから間接的に、ね。だとしたら綿貫さんは妹から聞いていたよりもずっと弱かったんだね」
「僕達だって異常だけれど人間だ。人間は弱い。加えて言うなら彼女は女の子だったんだ」
「女の子が弱いっていうのは差別じゃないの?」
「イメージの問題だ。か弱き乙女とはいってもか弱き漢とは言わないだろ」
「それは気持ち悪いね」
「想像もしたくない」
 吐き気を抑えるように口を押える。決してか弱き漢を想像してではない。綿貫に対する罪の意識みたいなものが戻ってきてしまったのだ。
 綿貫としては本意ではないのだろうが、今の僕には彼女の存在は傷として残っている。
「傷でもいいから残りたいって思うって、女の子は強いんだねぇ」
「え?」
 夕凪がぼそりと何か言ったのを聞き逃してしまった。相も変わらずへらへらとした表情は変わらない。
「ううん、なんでもないよ。それよりそろそろ、集合場所行った方が良いんじゃないの?」
「ああ、そうするかな」
 本当はまだ余裕があった。でも行くことにする。何となくだが、夕凪と僕は長々和気藹々と話している間柄ではないような気がしたからだ。その状態を表すのは他人ではなく、やはり友人なんだと思うけれど。
 色んな友人がいたっていいだろう?
「またな」
「うん、またね」
 一回手を振って別れる。本当何のために来たのだろうか。あいつのことは一番わからない。今度千堂と会わせて心を探ってみようかな。少なくとも悪い奴じゃないはずだ。
 後ろ姿が見えなくなってから僕は集合場所に向かう。あまりにあっさり帰ってしまったから到着してもまだ時間が余っていた。逆をたどるとはいえどうせ朝歩いた道だ。ほぼ毎日通ってるので目新しさもあるはずがない。だから余分に時間を使うこともなかった。かといってどこかに行って暇をつぶすというには逆に時間がなさすぎた。
 というわけで物思いに耽ってみようか。
 あの日からのことを考えてみよう。
 
 僕は結局この場所にいることを選んだ。

 曖昧なままは心地が良かった。どちらかを捨てれば後悔は残る。でも選ばなかったばかりに無くなったものもあって、今にして思えば選ばないということを選んだ結果なんだと思う。選択というのは悲しいながら逃れられない因果だ。
 だから境界など本当は無いんじゃないかと思っている。
 人って色んな選択肢の組み合わせでできているんだと思う。僕は全部一般的なものを選んでいただけだ。いや、答えなかったのかな。曖昧という答えを選んだのかな。言葉にするのは難しい。
 だがやはり言葉にできない程度の答えしかなかったのが今回の発端だったのだろう。明確に言葉にできるほどしっかりした僕を持っていれば僕は僕のままでいられたのに。といっても、もし持っていたら僕にはなりようがなかったか。
 前提条件から仮想を持ち出すのはよくないね。
 とにかく過去は過去だ。変えようがない。
「なんだ、もう来ていたのか」
 千堂が僕に声をかけた。時計を見るとそう遅い時間でもないのだが、急いでいたようでやや髪が乱れている。かつてあったぐるぐるメガネはなく、整った顔がそのまま見える。
「学校早く終わってさ」
 亡くした者は帰ってこない。後悔は尽きない。けれどだからこそ選ぶことができた。僕は曖昧に留まることを止める。
「それで話って?」
「ああ、そうだな。らしくない話なんだが、榊田も退院してすべてが終わった今、私もケリをつけようと思うのだ」
「分かった」
「で、だな」
 だが千堂は、続きをええとと言ってばかりでなかなか話し始めなかった。
 うん。こうしてみるとつくづく分かる。
 何故か赤くなってるこいつだとか、今頃バイトに精を出してるあいつだとか。いけ好かないあの野郎だとか、その妹だとか。もういないかつての友人だとか、僕を好いてくれたクラスメイトだとか。
 思えば異常にしか包まれてなった僕の世界。捨てられたかもしれないなんてくだらないことは考えない。捨てる気なんてない。
「私は――――――――――」
 意を決して彼女は僕に告げる。
 ここまでの話が僕の人生における境目。いや、境界と言う言葉をここで使うべきなんだろうな。自分の住むべき世界を自覚したのだから。
 僕は異常だ。異常に普通なやつだ。気持ち悪いくらいに。気付いてしまえばその通りで、しかし気付きたいことだったかと言われると悩んでしまう。
 選択したからこそ失うものもある。
 でも、だから今僕はこうして彼女の気持ちを受け止められるのだと思う。

「ありがとう」
 普通だろうが異常だろうがどうでもいい。
 これはこれで、悪くない。

       

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Neetsha