賭博神話ゼブライト
07.鮮血の行方
雨宮秀一は元々、果てのないほど強欲な性格である。
失うことを知らずに育ったからか、あるいは先天的な素養があったのか、彼の身体は左腕の喪失を『拒否』した。
そうして、ある晩、彼の未練は、不可思議な現象を呼び起こしたのだ。
最初の半荘で腕を吹っ飛ばされ、次の半荘で相手の腕を奪い返したのは長い麻雀の歴史においても雨宮をおいて他にはいるまい。
無我夢中だった。
切り取られた腕は、対面の気狂いによって端から短くされていく。断面から瑞々しい筋肉繊維が垂れ下がって揺れていた。
(俺の腕――俺の腕が――)
(汚ぇ歯でかじりつきやがって――)
(許さねぇ――許せるもんか――)
(絶対に――――!!)
ふと気づいた時、二度とできなくなるはずの『牌山を積む』という動作が、片手でできていた。
右手に張り付いたように伸びる牌山を見て気狂いたちがげらげら笑った。つられて雨宮も笑った。
背中に張り付くようにして震えていた倉田と八木がひどく驚いていたのを覚えている。
思い出したくもない炎獄の記憶――。
左手の感覚が残っているのは、幻覚であろうと思っていた。そうでなければなんだというのだ。
未練。そんな言葉が浮かんだ。
雨宮は今でもこの現象を未練と呼んでいる。
奇跡にしては後ろ向きの……幽霊の腕。
あの日から雨宮秀一は。
すりかえ芸において、誰にも負けえぬ才能を獲得したのだ。
(烈香なんかは、俺のことを認めないだろうなァ。
だって麻雀の上手い下手じゃないしコレ。
だがまァ、できるもんは仕方がないし……
元々運だのツキだので生きている身だ。
何が起こったって動じないのが大切なことじゃないか?
神にしろ幽霊にしろ、いるっていうなら、骨の髄まで利用し尽くすまで。
勝てばいいんだ、ただ勝てば。
そうだろ?)
ぐっと握り締める拳は誰にも見えない。
雨宮にも。
感覚は残っていても、失ったことに変わりはない。
俺は負けた。
それだけは、誤魔化さないつもりだ。
南一局。
この時点での点数はシマ二八三〇〇、シャガ一三七〇〇、烈香、二〇九○○、さくみ三七一〇〇。
ポン、と親のシマが右端の二枚をぱたんと倒した。東だった。
ドラだった。
打ち出したシャガがぐっと息を詰める。烈香とさくみから浴びせかけられる非難の視線。
せめてテンパイしてから打ち出すべき牌では――雨宮はそう思う。
実際、卓に座っているのが彼だったならば、どんな時でも打ち出さなかったろう。そういうものだ。
次順、シマがツモった最後の東を加カン。ドラ4。
固唾を飲んで引いてきたリンシャン牌は、ツモ切り――。
赤ドラがないため、ハネるためにはもう一役必要になる。
雨宮は焼け付くような視線をシャガに送った。
結果的に、ドラをしまっておけば、シャガはドラトイツになっていたわけだ。
おそらくドラを捨てても映える手なのだろうが、勘で打つ雀士なら、その勘に終始一貫して従わねばならない。
神に愛されツイているなら、ちゃんと最後まで愛されなくてはならない。
中途半端な押し引きは、王者のするべきことではない。
これは麻雀の理屈というより、雨宮が己の生き方と照らし合わせて得た境地である。
牌理を無視し台風のように流れをかき集める。
ガンガン攻めてガンガン和了る。
ビシッ――と天啓のごとく危険牌を抑え込む。
アベレージ麻雀に慣れるとそこを勘違いしがちなのだが、本来、博打は理不尽なものである。
小ざかしい理屈をこねていたいなら別の種目をやればよい。
シャガにもそれはわかっているはずだ。
わかっているべきだ。
ツモるシャガの手が、小刻みに震えていた。
それは肩に伝染し、全身を包む。
わなわなと唇が歪む。
楽しそうだな、と思った。
「ロン――」
東ドラ4は一二〇〇〇点――。
シャガはしばらく沈黙していた。シマもせかしたりはしなかった。けれど見逃すつもりもなかった。
ゆっくりと、自分の血にも等しい点棒を取り出し――
「うぐっ」
真っ白い掌で口元を押さえる。
嘔吐か、と雨宮は身構えたが、違った。
指と指の切れ目から、真っ赤な鮮血がほとばしった。
ぴぴっ。
卓と牌が血で汚れる。卓の縁から、教会の床板に雫が滴る。
誰もが血を吐いた少女より、どの牌にどんな汚れがついたか、それを見ていた。