Neetel Inside ニートノベル
表紙

短編(フジサワ)
信用できる宇宙人

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信用できる宇宙人


 ある宇宙生命体は大変焦った様子で地球の成層圏付近をうろうろしていた。自らに課せられたノルマを達成しなければならない。しかしこの宇宙生命体はいつまでも決断できず迷っていた。
 ターゲットは一度決めたら変更不可なのだ。厄介なターゲットに“寄生”してしまっては失敗してしまう恐れがあった。だからこそ慎重に見定めていた。レンズにはたくさんの人間が映っていた。誰もが面倒臭そうに見えた。
 ――これはいいかもしれない!
 宇宙生命体は直感した。
 眠そうな目。悩みなど何一つなさそうな顔つき。平凡そうな身なり。
 これだ、と思った。これならたやすい。宇宙生命体はノルマの達成を確信しながら、一気に対流圏を突きぬけ落下していった。


 友達も、周囲の人間も、皆一様に目を丸くしていた。さっきまで何事もなかった女が突然倒れたのである。
「おい、大丈夫か!?」
 女は何事もなく立ち上がった。着ている高校の制服の埃を叩き、周囲を不思議そうに見渡した。
「なんかあったの?」
「なんかって、おま……突然倒れといてなにその平然っぷり!」
 友達は安堵したのか、女の両耳を全力で引っ張った。
「あいたたたたたた!」
「よかった、よかったよ……真奈、無事で!」
「たたたたたたたたたたた!」
 友達はいつまでも耳を引っ張り続けていた。


 友達と別れて、真奈は独り自宅への帰り道を辿る。
「しかしさっきのはなんだったんだろう。なんかあったのかね、あたしに」
 誰もいないことを確認して声に出した。脇道から小学生が飛び出してきて、恥ずかしい思いをした。
「…なんかあったのかね」
【なにもなかったですよ】
 頭の上から声がした。真奈にもそれはわかった。
「ああ、なんだっけ、イチローが言ってたやつだ。『自分の頭上にもう一人の自分を置く』みたいなの! 確か! その声か。やった! あたしはイチローの境地に達した!!」」 真奈は不安だった。何かがおかしい。バカにならずにはいられなかった。ただの平凡極まりない女子高生の自分が、メジャーリーグの新記録である九年連続二百本安打という金字塔を打ち立てる偉大な男と同じ境地に達することなどありえないということはもちろんわかっていたのだ。
「なにもなかったんならいいよ! うん、だまってて!」
【わかりました】
「…だまってて、ね?」
【わかりました】
「だまってろやお前ッ!!」
【わかりました】
 どうも誤魔化せないらしい、と真奈はとうとう理解させられる破目になった。
「…いいよだまんなくて。あんたなんなの。どこからしゃべってるの?」
【頭部からです。あなたの】
「頭部……中……」
 恐ろしいビジョンが浮かんで、今度は自発的に倒れたくなった。
【わたしのノルマを果たすため、あなたに“寄生”させていただきました】
「アナタ ハ デキ ノ イイ キセイチュウ カ ナニカ デスカ」
【あなたからすれば、わたしは虫のようなものなのかもしれませんね。ですが有害ではありません。有害どころか、有益です。わたしはこの星より遥か遠くのある惑星からノルマを果たしにやってきた、ただの生命体ですよ。生きているという点であなたと同じです】 そうは言われても。あたしの知ってる生命体は少なくとも人の頭ん中入り込んで語りかけてきたりしないし。おかしいから……それ。そのおかしさに気づけないあたりが、ああ、これ、宇宙人だわ。真奈はそう確信した。
【ノルマとは、極めて平和的友好的なものです。なんら政治的意図はありません。交換条件などない、一方通行のものです。わたしはあなたの望むことを一つ叶えて差し上げます。あなたにはなんのデメリットもありません。お約束します】
 こういうの、大抵ウソなんだよなぁ、漫画では。いや現実でもそうじゃないか? 素性のよくわかんない大人が口から出任せで聞こえのいいことばっか言ってさ、そんで蓋を開けりゃ説明されなかった不条理のオンパレード。こいつの言うことも信用できないね。「…本当に本当?」
【本当に本当ですとも】
 信用できない、と思いつつも、真奈はつい口車に乗ってしまう。


 誰もいないところで、と宇宙生命体が言うので、川原へ足を伸ばした。冬場の川原には誰も近づかないことを、地元民の真奈はよく知っていた。
【わたしの惑星には王がおります。先代の王は言ってしまえば野心家で、勢力の拡大しか頭にありませんでした。ですが今の王はまるで違います。先代と考え方を変え、友愛を基本とした外交を行っているのです】
「なんか聞き覚えのある……じゃあ、これも外交の一部なわけだ」
 そういうことです、と真奈の身体に声が響いた。
【この星にも迷惑をおかけしましたから】
「へえ。たとえば、どんな?」
 段々興味が湧いてきて、真奈は思わず質問した。
【…他言無用ですよ】
「わかってるって。あたしは口だけは堅いぜ?」
【…各国の首脳に寄生して、ほんの少々頭をおかしくする等……】
「…それって、そろそろ辞めるっぽい人?」
【詳細は伏します。ご想像にお任せしますが……我々のせいで、この星は一時かなりの混乱をきたしたようです】
 一時というか絶賛混乱中だけどね、と真奈は心の中でつぶやいた。
「…てことは、あんたらやっぱ、寄生した人間のことを操れちゃうんだ!」
【ですから、それは先代の頃の話です。現在はそうしてはならないと法で決められています】
 そうは言われても、やはり不安だった。あんな風におかしくなりたくはなかった。
【わたしはあなたに力を貸します。あなたの望みを叶えるために。妨害のためでなく、扶助するために】
「でもそれさあ、思ったんだけどさあ。なんでもは叶えらんなくね? たとえばあたしがさ、福島千里ちゃんより百メートル速く走りた~いって願ったら叶えてくれんの?」
【条件次第で可能でしょう。決してお薦めはしません。限界を超えた能力を引き出した場合、重い後遺症が残る恐れがあります。福島選手のスピードは飛びぬけた身体的才能と日々の修練により実現が可能なものと思われ、失礼ながら同世代の女子の平均的な身体能力も持たないあなたが百メートルを十秒台で走るとなると、身体のどこかに異常が生じることは覚悟すべきでしょう】
「筋肉千切れそう。まあそれは冗談だけどさ。つまるとこ、身をわきまえろってことなんでしょ? 背伸びしていいのはちょっとだけだよ、と」
【まあ、言ってしまえばそうですね】
「じゃあ最初からそう言えよ~! ったく、みんな肝心なところをボカすんだからも~」【そんなことは、言わなくてもわかっておいて頂きたいのですけどね……】
 バカにされた気がしてみぞおちの辺りが疼いた。しかしここでキレると冗談抜きで頭をおかしくされそうだったので、堪えた。
 背伸びすれば届きそうなこと。なんだろう。
 どうせなら、背伸びすんのもダルいことがいいな。
「…あのさあ。あたし勉強ニガテなのね。だから大学にもハナから行く気なくて。でも就職もゼンゼンないじゃん? ってわかんねーかそんなの」
【この星の雇用状況の深刻さは承知していますよ。わたしは調査官に任命されておりますので】
「ああ、じゃあ話が早い。親がさあ、公務員になれって言うの。これからの世界は先行き不透明だし、昔みたく劇的に経済が良くなったりすることは多分もうないだろうから、って」
【賢明なご両親ですね。あなたのことを想って言って下さっているのですよ、それは】「うんわかってんだけど。でもね、難しいの、試験が。あたしマジでバカだから、いちおう勉強してみたけどよくわかんなくて。そしたらいよいよする気もなくなっちゃってさ。どうしよう?」
【コネクションが通用するのは面接の二次試験から、それもごく限られた職種だと言いますからね。少なくとも学力・作文の一次試験は自力で通らなければなりませんね。勉強する以外にないでしょう】
「そうなんだよねえ。ちなみにコネなんてないけど。だからねぇ、お願い。あたしの代わりに勉強して! そんで試験も受けて!」
【わかりました】
「即答!」
 真奈は今日一番嬉しそうな顔で飛び跳ねて喜んだ。
「もう今日から勉強だけは全部あんたに任す! ちなみに一次試験は三ヵ月後ね! やった夏休み遊べる~!!」
 本当は、自分でやってこそ身になるんですけどね、と、宇宙生命体は真奈に説教してやりたかったが、都合のいいことを言った手前言えなかった。


 それから、真奈の昼夜分裂生活が始まった。
 昼は真奈が学校へ行き、授業を受け(授業時間も頼めば良かったと後悔したが遅かった)放課後は友人とゲームセンターやカフェで遊び青春を謳歌した。夕食を食べ風呂に入った後は宇宙生命体に身体を預け、部屋の机で公務員試験の勉強をしてもらった。
 国家公務員三種試験。社会全般、理科全般、数学、英語、国語全般、判断推理、数的推理、資料解釈。全五十点。少なくとも三十点取らなければ一次試験突破は難しいだろう。 宇宙生命体とて万能ではなく、全てが自身の知識の外にある科目であった。そのため数学などは基礎の基礎から理解するため小学一年生の教科書から学んだ(真奈が物持ち良くとても助かった)。宇宙生命体は、人間で言えば山下清のような映像記憶能力を持っているため、一々教科書を読み返したりせずとも、見るだけで紙面が頭に入り時間を短縮できた。だが、記憶と理解は当然ながら異なり、記憶した様々な数式や方程式を理解するための作業は必要であった。その作業がとても楽しかった。
 王の真の目的はこれかもしれない。これは、他者を理解する作業だ。
 理解できねば実践もない。理解できねば友愛もない。
 王は我々を育てようとしているのか――。
 あまり夢中になって打ち込んだため、一睡もしないまま真奈に身体を返すことも多かった。そのため自分ではなにもしていないのに疲労していて、授業を睡眠にあて、そしてことごとく説教を喰らった。その度に、悪いのはあたしじゃありません、睡眠をとらない寄生虫です! と心の中で叫んだ。


 そして、一次試験の前夜。真奈の身体を預かった宇宙生命体は、大きく伸びをした。時計の針は午前一時を指していた。明日は朝早い。もう寝なければならない、と思った。
 いや、明日の試験を受けるのは真奈だが、問題を解くのはわたしだ。わたしならば、睡眠物質をコントロールして睡眠を取らずとも眠気を生じなくさせることが可能だ。そこまで焦って眠る必要はどこにもない。
 散歩をしてみようと、宇宙生命体は思った。思えばこの身体を自由に動かし、歩いたことはなかった。机にひたすらかじりついて勉強しかしてこなかった。自分自身の意思でこの星を歩き回ったことはなかった。
 明日に備えて、疲労を残すのはいけない。それはよくわかっていた。だから、玄関先まで。それくらいならいいでしょう、と真奈に許しを乞うた。
 既に真奈の両親は寝静まっている。灯りもつけず階段をゆっくりと下りて、玄関の鍵を開けて外へ出る。そして家の方に向き直って、家の全景を視界に捉えた。家の両脇に電灯のついた電信柱が立っていたので、あとは夜目がきくよう目を調整するだけで良かった。 初めてまともに見た真奈の家は、相当年季が入っていた。恐らくあまり手も入れられていないのだろう、あちこちがひび割れていた。瓦も所々抜け落ちていた。家に金をかけない主義、という可能性もあるが、金自体がそんなにないのだろう、と宇宙生命体は思った。 真奈の父親は、川の側の小さな町工場に勤めている。このご時勢だ、仕事はそれほどないのだろう。当然給料だって現状維持なら満足すべき、というくらいだろう。母親はパートだ。これも大した稼ぎではない。
 まだ十八歳。これからという時期に、真奈は一家の貴重な戦力として重い期待をされている。

「親がさあ、公務員になれって言うの」

「あたしマジでバカだから、いちおう勉強してみたけどよくわかんなくて。そしたらいよいよする気もなくなっちゃってさ。どうしよう?」

 あっけらかんと言っていたが、内心相当の焦りや不安があっただろうことは想像に難くない。そのことを本人が自覚しているかどうかはともかくとして、彼女の状況は決して芳しくはないことだけは、どうやら確かなようだった。
 宇宙生命体は、真奈の頬を引き締めて、強い決意とともに、家の中に戻った。


「大丈夫かなぁ、大丈夫かなぁ……」
 二次試験会場である市役所。遂に迎えた一世一代の大勝負を前にして、女子トイレで慄いている真奈がいた。
【大丈夫です。面接、あれだけ練習してきたじゃあありませんか】
「うーん、でも、でもぉ。あのとおり言う自信がないよう」
【あのとおり、なんて思う必要はありません。飛んでしまったら、自分の想いをそのまま言えばいいんです。まったくの嘘はいけません。面接官も、そこは見抜いてくるでしょうからね】
「だから怖いんだよ……別にあたしは公務員になってなにがしたいとかあるわけじゃなくて、ただ、生きていくために、だけだし……」
【いいじゃありませんか】
「え」
【ただ生きていくため。上等じゃありませんか! この星では、生きていくためにはしっかり働かなければなりません。そして真奈はそれができる人間です。わたしにはわかります。もう半年近くも一緒にいるのですから。公務員にはそれができない人間が少なからずいるようですが、真奈は違うと、そう伝えればいいのです。伝わりますよ。向こうだってしっかり働く人間がほしいに決まっているのですから】
「チュウさん……ありがと」
 ここに到るまでの間に、二人はお互いのことを「真奈」「チュウさん」と呼び合うようになっていた。真奈はチュウさんを信頼し、チュウさんは真奈を扶助し、そしてここまできた。
「ごめん、面接は、あたしにやらせてほしいの」
 真奈がそう言い難そうに言ったとき、やはりこの少女はただのだらしない少女ではなかった、とわかり、チュウさんは嬉しくなった。チュウさんも、面接だけは真奈が行うべきだと思っていた。なぜなら一次試験と違い、二次試験の面接では受験者個人をより深く見られる。合格すれば、実際に仕事をするのは真奈なのだから、担当するのは当然だった。 そのことを、真奈自身から言ってきてくれたことが、チュウさんは何より嬉しかったのだ。
 チュウさんには葛藤があった。止めるべきだったのではないか。ノルマがあるからとはいえ、試験は真奈自身の力ですべてやらせるべきではなかったのか。もし一次試験で落ちていても、それは真奈の力が及ばなかったということで諦めがつくだろう。国家三種試験は二十一歳になる年まで受験できる。十八歳の真奈は、仮に今回落ちたとしても、また来年も受けることができる。なんとか一年間だけ親にお金を出してもらって、専門学校に行って勉強するという選択肢だってあるだろう。いずれにせよ、全てを真奈自身の力でクリアして、晴れて合格するのが一番なのは間違いなかった。
 だが、実際にここまできてしまったのだ、しょうがない。そう思うしか、チュウさんにはなかった。真奈への申し訳なさは、面接の特訓にとことん付き合うことで少しずつ薄れていったが、それでも一次試験を実質スキップさせたという事実には変わりなかった。
 これで受かっても、真奈はずっと負い目を感じながら働かなくてはならなくなるかもしれない。申し訳ない。
 それでも、受かれ。
【生きるために、受かってきなさい】
 真奈は頷いた。覚悟は決まったようだった。
 目の前に転がるチャンスを見逃して、また次のチャンスがくる。そんな保障はどこにもない。
 この星には、わたしたちの星よりさらに厳しい生存競争が存在している。チュウさんは、真奈の中で静かにそう思っていた。




 合格発表は霞ヶ関で行われる。真奈の鼓動がチュウさんのいる頭部にまで響いてきていた。
【今さら緊張しても仕方ありません。もう結果は出ているのでしょうから】
「いや、でも、やっぱ怖いよぉ……受かってないと、来年ニート確定だよぉ……」
 ははは、と笑い飛ばしてしまいたくなったが、真奈は気が気でないだろう。笑うことなどできなかった。
 受かっているに決まっているのに、とも言えなかった。言わずとも、もうすぐわかることだ。面接で訊かれた『あなたが公務員になってしたいこと』への回答で、チュウさんは真奈の合格を確信していた。
 人事院の周りには、同じく合格発表を見にきている数百人の受験者が今か今かとその時を待っている。そして人事院への扉が開いた。
【これから、大変なこともあるかもしれません】
「え、うん」
 真奈は人事院に足を踏み入れた。
【それでも、家族のため、自分のため、職場のため、そしてなにより公務員としてのあなたを求める数多くの人のために、精一杯頑張ってください、さようなら】
 え、なに、うるさくて聞こえない!?
【寄生したのが真奈でよかった。あなたならできる。あなたなら! やるしかない立場にいる人間なのだから!】
 真奈は、喜びの声を上げた。番号があった。チュウさんは番号を確認する前、既に真奈の身体から離脱して、再び宇宙へ向かっていた。
 ――まあ、心配はしていないけどね。真奈。幸せに。
 チュウさんは考えた。どう報告しようか、と。
 いや、考えるのを止めた。自分の想いをそのまま言えばいい。面接の時の真奈のように。


 もっと、困っている人を手助けできるようになりたいです。

       

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