Neetel Inside ニートノベル
表紙

越えられない彼女
ガイブン

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 放課後。
 下駄箱へと流れていく人の群れから外れて、保健室のドアを開ける。
「よー」
「おー」
 今西がひらひら手を振って、僕を招き寄せてくる。机を回りこんで向かい側の席に座って、
「今日は社会だっけ」
「うん、ノート見せて」
「了解」
 鞄を漁って、あれ?
「教室に置いてきたぽい」
「マジで?」
「マジで」
「なら取ってきてよ」
「えー……めんどくさい。理科ならあるからそっちにしようぜ」
 授業も終わったんだし、4階まで行くのはたるい。
「理科は好きくなーい」
「じゃあ数学な」
「許してくださいお願いします」
「だろー。理科やろう」
「そこを何とか……ね?」
 今西が、真剣な顔でこっちを見てくる。
 その視線を真正面から受け止め、睨み返す。
 ここで甘やかしてなるものか。
 そう、甘やかしてなるものか。
 甘やかし……て……。
「取ってくる」
 駄目だ、勝てない。妙な眼力がある。つーかなんか恥ずかしい。
「ごめんねー」
 全く悪びれない声が腹立つ。行くのやめようかな。
 最初は昼休み、ノートを見せるだけだったのに気がついたら放課後まで今西に勉強を教えるようになっていた。
 国語はできるけど、数学はあんなに簡単な数直線でつまづいてたし、今後が思いやられる。
 階段を登って、4階へ。なんか美味しそうな匂いがするけど、家庭科部かな。
 教室の扉を開けようとすると、中から誰かの話し声が聞こえる。ちょっと躊躇したけど、普通に開けることにした。
 途端にこっちに視線が集まる。
 同時に、一人が素早くこっちの視線を遮るように動いて、机の上を隠した。
「なんだ、戸田かよー。驚かすなよな全く」
大きく息をついてその遮った奴、僕の前の席である筒井が椅子に座る。
机の上には3人が集まり、トランプが散らばっていた。そういうことか。
「ごめんごめん」
「いやいや、こっちこそごめんななんか」
「つーか学校でやってる時点で俺たち100%悪くね?」
「だよなー」
 3人が笑う。筒井以外には見覚えがないけど、隣のクラスの奴かな。
 えーっと、社会っと……あったあった。机の中からノートを取り出す。
「うっしゃ、階段革命」
「あ、それ返すわ」
「マジでー!」
 筒井たちは大富豪をやってるみたいだ。ちょっと気になるけど、とりあえず今西待たせてるし。
「じゃーなー筒井」
「ん、じゃー。ってお前、ノートとか持って帰るの? 偉いなー」
「うっわ、ガリ勉じゃん」
「いや、これは」
 そこで、言葉が出てこなくなる。なんて説明したらいいんだろう。
 今西に見せに、はなんか誤解されそうで嫌だ。忘れ物を取りに来た、は鞄持ってないのが変だよな。そもそもガリ勉だと思われるのも嫌だし。
「ちょっと、知り合いに頼まれて。ノート写してないらしくて」
 とりあえず誤魔化しておく。
「ふーん。誰?
あ、ジョーカー使うわ」
 ……えっ。
「ノート写させて欲しいってことはここか3組っしょ? 俺、3組には知り合い多いから」
 しまった。下手に誤魔化そうとしたのが裏目に出たか。
「えーっと、その」
「言えないの? まさか女子?」
「うっ」
 やばいなんだこいつ。全部分かってて遊んでるんじゃないのか。
「うわ、当たり? 誰だよ誰だよ、絶対言わないからさ」
「そうそう、言わない言わない」
「大丈夫だからさ」
 なんで他の2人も出てくるんだよ。どう見ても言う気満々だし。
 しかし困った。なんて誤魔化そう。
頭をフル回転させて、対処法を考える。目の前の期待に満ちた視線が僕を貫こうとするけど、気にせずに
「今西、奈美になんだけど」
 あれ。
 何で正直に言ってるんだ。

     

 すぐに、茶化されると思っていた。
 けど、やってきたのは妙な沈黙。3人とも、それまでの調子が嘘のように黙ってしまう。
「今西ってマジで?」
 筒井が、割と真剣な目で僕を見つめる。
 その迫力に気圧されて頷くと、
「うわー……マジでかよ。カワイソ」
「大丈夫なん? あんなのと関わらないほうがいいだろ絶対」
 隣の2人が、口々に今西を罵倒する。
 なんだ。
 なんなんだ。
「あーそうか、戸田学校違うもんな。なら知らなくてもしょうがないか」
 何をだ。よっぽど、知っておかなくちゃいけないことなのか。
「今西の話、聞く?」
 善意から来る悪意が、僕の何かを削っていく。
 ガリガリと音を立てるそれを鎮めるために、首を振った。
「あー、そう。まあ知りたくないなら知らんでもいいよな」
 筒井がどこかよそよそしく納得する。
「……じゃあな」
 3人の視線に耐え切れなくなって、僕は早々に教室を立ち去った。
 確かに、気にはなっていた。
 あいつは、不登校になるような奴じゃない。
 僕の小学校にだって、いじめられて不登校になった奴はいた。見たことはないけど、カウンセリングルームに行ってる奴もいたらしい。
 あいつらは、目が死んでいた。楽しいことを学校には一切見つけられないってことが、傍から見ても分かるぐらいに。
 だから教室からいなくなっても誰も驚かない。
 でも、今西は違う。
 さっき覗き込んできた目は期待と圧力を束ねて僕へと撃ち込んでいた。
 そんなパワーを出せる奴が、あんなところにいるもんか。
 挙げていけば数えられないほど、今西に聞いてみたいことはある。
 けど、
「遅いー」
 保健室のドアを開けると、今西が不満そうに椅子を回していた。
 ……それを見たら、聞きたかった言葉はみんな奥のほうへと引っ込んでしまう。
「ちょっと教室で色々あって」
「うるさい早く見せろー」
 ばたばたと長い脚を振って、ノートを要求する今西。
「お前態度悪いんだよー」
 ぽこん。
 ノートを丸めて頭を叩いてやる。
 すかさず今西が手を伸ばしてくるけど、それは読めている!
 手を素早く引っ込めて、
「っ!?」
 その手を今西が追ってくる。
 後先を考えないその動きによって、必然バランスは崩れて椅子から転げ落ちかけ、
「ぐぇふ」
 支えを求めた今西の腕が、突き飛ばすように僕の鳩尾に叩き込まれる。
 バランスを崩したけど、後ろは棚。倒れるのをどうにか堪えて、膝を突く。
「なんじゃこりゃー?」
「ちげーよ馬鹿! 滅茶苦茶痛……い……」
『静かに』という目で田原先生がこちらを睨んできて、言葉は尻すぼみになる。
「馬鹿って言ったほうが馬鹿なんだよー。やーい馬鹿」
「うっせー馬鹿」
「あたしが馬鹿なのは授業受けてないからしょうがないのー」
「だったら受けろよ」
 会話の応酬が一瞬止まる。
 言ってから、後悔した。
 さっき今西に聞かなかった理由は、これなのに。
 さっきの筒井たちの様子から見ても、なんで不登校かなんてきっと触れられたくない部分に決まってる。
 正直、ここは居心地がいい。
 朝起きて体調が悪くても、それを少し喜んでしまうほどに。
 今西はギャグが寒いけどいい奴だし、田原先生も度が過ぎなければ多少騒いでも大目に見てくれる。
 他の生徒がいたらまあ自重はするけれど、遊びに来ているといってもいいぐらいだ。
 だから、壊したくない。
「……うん、まあそのうちね」
「……そっか」
 歯切れ悪く、会話を再開する。
今西の笑顔が少しぎこちなくなった気もするけど、それを確かめるために目を合わせたくなかった。
 また少し沈黙。
「……じゃ、今日は帰るわ。はいノート」
 耐え切れなくて、鞄を持ち上げる。
 さっき床に落としていた、少し丸まったノートを拾い上げて今西に投げた。
「え、でも」
「明日は木曜だから社会ない」
「そうだっけ」
「うん。じゃな」
「……じゃね」
「さようならー」
2人の声を背に、保健室のドアを閉める。
 体調はいいのに、気分はすこぶる悪かった。

       

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