Neetel Inside 文芸新都
表紙

権謀のヴィエルジュ
E'pisode 2 「parfait amour(完全なる愛)」

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   1

『神の振る賽の目はわからない』
 パレ・ドゥ・ダンジュにはそんな諺(ことわざ)がある。
 意味は言葉の通りだ。行動してみても、事物はどのような結果に転ぶか予測はできない。
 私の身体の震えがそんな言葉を私の脳裏に浮かばせたのは、何も蒼薔薇館の花になることで招かれる未来に不安を覚えているからというわけではない。
 どちらかといえば逆。この震えは心が勇み立っているからだ。
 どの結果になるかわからないからこそ、俄然奮い立つというもの。ポークの糞程度にしか思っていなかった私の人生が転機を迎えたかもしれないと思うと、その震えはなおさらだ。
 私は荷物を颯爽にまとめて、緋薔薇館に残るシャルロットに別れと、昼間や花つぼみの時に遊びに来ることを告げて館を出た。
 これからシャルロットとの相部屋ではなくなることが少し名残惜しくはあったが(これから訪れるはずだったシャルロットとの夜が楽しみだっただけに、どれだけ口惜しく感じただろうか!)、見慣れた緋薔薇の咲き乱れた通路を抜けエントランスホールに足を踏み入れた。
 蒼薔薇館は13の花館が円となって並ぶその7番目、緋薔薇館とはちょうど円の中心を通った対角線上の位置にある。
 各花館につながるエントランスホール――貴族の間では主にここが『夜咲く花々の庭』と呼ばれているのだが――を通り、荘厳なマホガニーの扉を抜ければ花館のロビーへの通路に続く。
 ブルームーンという薔薇は、蒼薔薇館を象徴する花だ。
 館へと向かう通路を覆い尽くすように咲いた蒼紫色の薔薇は、甘く上品な香りを鼻腔に届けてくれた。
 ムーンはパレ・ドゥ・ダンジュの公用語ではなく、北方にあるカレー海峡を越えた向こうの島国、ブリストル王国で使われているブリタニア語で月を表す言葉だ。
 蒼い月とは『あり得ないこと』を表す言葉だが、自然界では花色が蒼に近くなることはそれこそあり得ないことで、ブルームーンの名はその珍しさから来るものらしい。
 おわかりいただけると思うが、この蒼い薔薇が海を渡ってきた人の手を加えられた配合種で、パレ・ドゥ・ダンジュの自然では見かけることもできないことから、蒼薔薇館が他の花館と比べ特異な場所であることをこの花が示している。
「今日から蒼い花か」
 ブルームーンと蔓が絡みついた館の外壁を見上げて呟く私の胸中は、これからのことを思うと好奇心と不安感の入り交じった複雑な心持ちに揺れていた。
 そうさせるのはこの蒼紫色の花のように外から他所へ移るからなのか、それとも私が青い花になることがその花言葉と同じく"有り得ない"ことだからなのだろうか。
 いや、違う。私をこんな気持ちにさせるのは頭の中を何度も巡るあの言葉だ。
 蒼薔薇館のロビーへと続く扉を前に私は歩を踏みとどまらせた。

 全ての人を愛し、恋人のように愛に尽くせ。さらば汝は汝の欲するままに救われん。

 私とレーヌが交わしたこの言葉の意味、それは神娼として奉仕に愛を尽くし欲するがままに寵愛を我が物としろということだ。
 貴族の寵愛を受けて愛人となり、求めるままに欲を満たす。金も、地位も、愛も、全てが全て。つまり復讐も。
 私が開けようとしているのは蒼薔薇館という新しい夜の扉だ。そして、それは欲と権謀術数にまみれた政治劇の幕でもあるのだ。
 その劇で振られた賽の目は、最後に何になるかなどわかりはしない。
「さあ、開幕(ルヴェ・ル・リドー)といこうか」
 私は気取って呟き、扉を開けて中へとを足を踏み入れた。



 蒼薔薇館のロビーは内装こそ少々の違いがあるものの、館の造りは緋薔薇館と同じ様式になっている。
 壁にもたれ掛かり、レーヌを待つ間私は館の様子を見回していた。
 寝間へと続く重厚な扉にはラハブの彫刻(レリーフ)、東西に並んだ大理石の柱には絡みつくように薔薇が彫り込まれているのは他の館でも見れるものであったが、その違いというのは天井一面に描かれた肖像画だろう。
 緋薔薇館ではラハブ神の聖書第28章、12の使徒の内の一人名花ロサ・キネンシスに愛を説くラハブが描かれていた。
 他の館でも同じで、それぞれ館の趣向を準えた使徒が、ラハブに愛を説かれ、時にその身をもって愛を教えられる姿が描かれているらしいのだが、蒼薔薇館の絵は他の館と趣向が違う。
 天井に描かれている絵にラハブの姿はなかった。
 代わりに描かれているのは中性的な顔立ちの美しい女だ。
 身に纏ったローブを脱ぎ裸体を晒す女の周りを民衆達が取り囲むようにひざまづき、その姿を見上げるという構図の絵だ。
 特に目をひくのは、その女の豊かな乳房からずっと下。裸体を晒す女の剥き出しになった股だった。
 そこには男にぶら下がっている物があるのだ。
 これはラ・ヴィエルジュか? 
 それにしても妙な絵ではある。ラ・ヴィエルジュといえば確かにパレ・ドゥ・ダンジュの生ける伝説ではあるが、ラ・ヴィエルジュは正教の聖書の中の存在のはずだ。ラハブの神話にラ・ヴィエルジュが出てくる話を聞いたことがない。
「来たか、コケット」
 訝しく天井を見上げていると、柔らかな口調が私を呼んだ。
 視線を下げるとそこにはレーヌが女を引き連れて――おそらく庭師なのだろう――寝間から続く扉の所にいた。
 扉の開く音など気がつかぬほど天井画を見上げていたらしい。レーヌはそんな私の様子を見ていたのか、仮面から覗くエメラルドの瞳が天を仰いだ。
「彼女はラハブの使徒の一人、パルフェだ。男であろうと女であろうと彼女は身をもって愛を捧げ、荒廃した地に救いをもたらした。君も察しているだろうが、ラ・ヴィエルジュだよ。もっとも彼女は正式には使徒と認められていないがね」
「認められていない?」
「君は夜咲く花々の庭に花館が13あるのに、ラハブの使徒が12人だということがおかしいと思ったことはないか?」
 私はかぶりを振る。「いいや……」
「本来、使徒は13人だったんだ。正教による焼き払いで彼女は神話から姿を消した」
「どういうことだ?」
「本来、ルシフェルとラハブは同じ地に共存できる神ではなくてな」
 その話は私が神娼になる前、父を訪ねて屋敷に来ていた聖書学者から聞いたことがあった。
 もっとも、その頃の私は年端もいかず、その話の意味なんて耳の垢ほどもわかってはいなかった。たびたび家に来る優しいおじさんに猫のように甘え、厳格な父から受ける日々のひどい仕打ちをその一時だけ忘れていただけだったが。
 彼の膝の上で髪を撫でられながら聞いた話はこうだ。
 正教が唯一神とするルシフェルと慈悲深き愛の神ラハブはもともとは一つの宗教の神話の人物だった。今は正教が力を持ってその宗教は聖書の焼き払いで消滅させられたそうだが、かつて正教はその宗教から枝分かれした分派だったというのだ。
 正教の神話ではルシフェルは、悪行の限りを尽くした神を他の天使達と共に打ち倒し、キーウィタス・ディに救いをもたらしたこととなっているが、元となった宗教では自分が神になれると信じ神に反旗を翻したが負け、地に落とされた堕天使だったらしい。
 一部の学者が唱えるよもやまな異説と言われているような話だが、今はそんな話を信じる者は誰もいない。正教による徹底的な他教の聖書の焼き払いがあったことさえ、否定されるほどだ。
 私が甘え慕っていたその学者もその異説を信じる一人だったらしい。
 実際、彼は正教によって焼き払われた聖書の紙片を持っていて、それが原因で捕らえられて処刑されたという話を、彼が屋敷に来なくなった後に知った。
 それだけ正教の異端審問は厳格だったのだが、ラハブの神話は正教の手はついていなかったというのが私の認識だった。
 ラハブ自身は元の宗教の神話ではエリコという地に築かれた城塞都市で娼婦をしていた人間の女だったらしく、ルシフェルが打ち倒した神とは関係がない教えを説いていたために正教の聖書の焼き払いをまぬがれた。
 それが私の知っている話だったのだが。
「大昔、ロア・シュバリエが皇帝になる遙か前のことだ。ラハブの神官達は聖典とされていた書を偽典として焼くことを正教の連中に命じられたそうだ。正教の連中はラ・ヴィエルジュの存在がラハブの神話にあることが気に喰わなかったらしい。ラハブの神官達は正教との共存を選び、パルフェの存在を神話から消した」
「パルフェ・タムール(完全なる愛)を正教はラハブに認めなかったのです」
 生真面目な声が口を挟んだ。
「彼女は?」
 レーヌの横の女庭師を一瞥し、私は聞いた。
「ヴィオレだ。今日から君の世話をしてくれる。彼女は蒼薔薇館の中でもパルフェに思い入れがあるらしくてな。間違っても彼女の前でパルフェ・タムールを馬鹿にしてはいけないぞ。彼女はそのことにだけは君と気性が近いからな」
 ヴィオレの生真面目な視線が――とはいえ、ロシエルほどむっつりとしてはいないが――私に据えられるのに、わずらわしい厳格な監視からは逃れられないことを嘆きたくなった。
 気を抜くと、ただでさえ口を滑らすことが多いと自覚しているだけに、そのわずらわしさは一際だ。
「君はロシエルから一通りの作法と技の指導を受けているな。ヴィオレはパルフェ・タムールを溺愛していてな、かつては男も女も客に取っていた名花だった。特に女への性技は入念に教わると良い」
「コケットだ。よろしく頼む」
 私はヴィオレに向き、緋薔薇館の方式ではあったが、会釈する。
 持ち上げたスカートの裾から入ってくる冷たい空気が股にぶら下がっているものを撫で、それがまた違和感を感じる。
「よろしく、コケット」ヴィオレが胸に右手を添え、頭を下げた。
 緋薔薇館の男庭師がする会釈に近いが、はっきりと違うのは彼らは浅く腰を折り曲げる。ヴィオレの装束は同性装だから、ここでの会釈は性別関係なく男性式だということがわかった。
「早速だが……」と、レーヌが口を開き仮面の奥の瞳を寝間へ続く扉へ移した。そっと呟く。
「今夜の君に客を招いておいた。大事なお客だ。寝間でお待ちになっているから、すぐに行って丁重にしてやってくれ。ドレスは今用意させる」
 急な話に私はレーヌに食ってかかった。
「待ってくれ、私はここでの作法を知らないぞ。大事な客と言うのなら、なおさら私の出る幕じゃない」
「心配ないさ」レーヌは肩をすくめ「むしろ今夜の君はそうであってくれねばならぬ」
 私はレーヌの言葉に首を傾げるしかなかった。
 その時点では、意味がわからず不得要領になっていたが、その意味は寝間に行ってみてすぐにわかった。

     

   2

 ヴィオレの見立ててくれたのは、くっきりとシンプルなものだった。
だが、魅惑的な蒼紫色のベルベットだ。
 上半身はぴったりと身体の線を引き立て(男の身体になったとはいえ、見慣れた腰の曲線が残っていたのには安堵したが)、大胆に開かれた背中からは、描きかけの緋薔薇の青刺が姿を見せた。
 これからは花上げ時期までこの青刺に蒼薔薇が描き加えられていくのか。そう思うと、彫師の親方がどのような構図にしてくれるのか楽しみになってくる。
 今夜のお客は宮廷お抱えの画家らしかった。
 緋薔薇館では耳に入れたことのない名の貴族だったが、私がひそかに危惧していた女の客ではなかったのは幾分か幸いなことではあった。緋薔薇館で培ってきたもので何とかできるのだから、聞きかじった程度の知識で奉仕をするよりはましと言える。
 それでも、レーヌがここでは新顔の私に大事な客を当てるというのにはいまだに首を傾げるばかりではあったし、落ち着かないのには変わりはなかった。
「ジャン・ピエール・ポルナレフ伯爵ってのは、どういう絵を描いてるんだ?」
 私が聞くと、ヴィオレは取り出したコサージュやボンネットを鏡台に並べながら答えた。
「壁画ですね。白薔薇館の子達なら顔を赤くして目を背けてしまうほどの絵です」
「右手を絵筆に、余った方の手を別の筆にやってしこしこと描いたような絵なのか? 随分と白い絵の具が多いんだろうな」
「そんな趣味の方でしたら今夜の貴方にお会いになることはありませんよ」
 ヴィオレの言葉にしばし、それから彼女の言ったことがわかった。
「……なるほど、そういうことか」
 それもそうだ。今の私の股にぶら下がっているものを思えば、裸の被写体を前にそんなことをする者ではないことはわかる。
 今は平たくなってしまった胸元を見下ろして、私は嘆息した。
 私が渡されたのは異性装をする男娼のために作られたドレスらしく、胸元の余裕はなく、ぴったりしている。
 今夜出迎える客というのはその手の趣向の持ち主なのだと思うと、つくづくだが、どれだけ蒼薔薇館が花館の中で特殊な部類なのかを思い知らされる。
「今夜の奉仕が心配ですか?」落ち着かぬ様子の私に、ヴィオレが聞く。
「昨日この身体になったばかりだからな。今まで股ぐらにあったものも無いんだ。蕾咲きなんて高度な技は、術書で読んで知ってはいても実際にしたことはない」
「心配することはありません」
 ヴィオレは相変わらずの生真面目な口調で言い、目を細める。
「花上げを終えた女娼が口を揃えて言う言葉があります。夫にするのは女を知らない男が良い、そういうことですよ」
 渡されたヘッドドレスは、メッシュの髪おさえだった。

 レーヌの先の言葉と良い、ヴィオレの言ったことと良い、その意味を理解できたのは結局、奉仕に入ってからだった。
 行為に慣れた人間にとって童貞・処女というのは新鮮に感じる、とそういうことだ。
 ジャン・ピエール・ポルナレフは初老の男だった。イシュト人の中では色白の部類の黄がかった肌はしわが表れていて、髪色も黒が薄れて灰色に近くなっていたが昔はそこそこの美男として通っていたのだろう。
 肉付きの小さい細身の身体を覆う装束は鮮やかな刺繍の施された絹布で、胸元を飾る勲章の数々は彼の生きざまを語っていた。
 今でこそ宮廷の画家だが、胸に飾られたルシフェルの瞳を象った勲章からその昔は宮殿騎士団で名だたる功績を残したことはわかる。
 ジャン・ピエール・ポルナレフは、私が蒼月の寝間の扉を開けるなり大股で間合いを詰めてきて言い放った。
「レーヌの奴め、上玉が入ったとぬかしおって。どう見ても女ではないか!」
 私の顎先を掴むと顔を寄せてじろじろと見、鉤爪のような老いた手が肩へ移り、そこから下って胸元をべたべたと探った。最後にスカートの上から股に触れ、ぶらさがっているものを掌の上で転がす。
 柔らかく握られ、段々と硬さを帯びてきたそれを乱暴に強く握ると手を離した。
「ふん、なるほどな」
 そう言い、私の襟刳りを強引に引っ張って寝間に入れると、叩きつけるように扉を閉めた。
 からの右手が無造作に上がって私の頬へ伸び、横面をはりとばす。
 血の味が広がり、思わず睨みつけそうになったがこの男が大事な客だと言い聞かせ、それをこらえる。
「ひざまずけ、オカマ野郎」乱暴に言い放った。
 今にも殴りかかりたい衝動を押さえつけ、素直に両膝をつく。
 右手を胸に当てて頭を垂れ、周囲を回る踵の音に私は神経を尖らせた。
「今夜のお前の値はいくらだったと思う」
 長靴の足音がこつこつこつと私の横を通り過ぎる。
 背後に回りこんだ声に、自分を静めながら答える。
「わかりません」
 長靴の音が距離を詰め、私の編んだ後ろ髪に手が伸びるのを感じた。
「天井画が一枚描ける程の値だ、私が払ったのは。それがどういうことかわかるな?」
 一房の髪をわしづかみにされ、頭をぐいと引かれてのけぞると、細目の奥の瞳がぎらついていた。
 それは花上げ料では破格だった。平均的な女娼でも5回分の奉仕にあたる額で、館の名花でさえその額を一夜で頂けた者はいない。
「コケット・カミーユ・カールスタイン、聞けば貴族の生まれで元は緋薔薇館の売女だったと言うじゃないか。男になるためにどんな手を使った? お前がレーヌのぬかすパルフェ・タムールの生まれ変わりなどと信じろというのか」
「……わかりません。気がついたらこうなっていました」
 そう答えるしかなかった。
 ジャン・ピエール・ポルナレフが鼻を鳴らす。
「まあいい。お前が本物かどうか身をもって示してみろ。赤い花だったなら、クラリネットを吹くくらいはできるだろう。できそこないのラ・ヴィエルジュめ」
 胸の奥が跳ね、視界が白む。
 細くこけた顎に殴りかかりたくなる衝動、私は強く奥歯を噛んだ。
 このまま肌色のブドウを拝んでやりたかったが、ポルナレフがズボンから引きずり出したそそり立つものに、素直に向き直り手を伸ばす。
 緋薔薇館に居た頃、クラリネットを吹いてどれだけの客を楽しませたか。無論、私に楽器の心得はない。
 おわかりだろうが、クラリネット吹きはマドレーヌの外典術書にある高度な性技だった。没落して花館に来た頃、早く客に気に入られたいという一心から覚えたものだったが、それでもいまだにすみずみまで知り尽くしたとはいいがたいのは辛いところではあった。奉仕の時にその技をいつも使うとは限らなかったからだ。
 私の髪にポルナレフの両手が突っ込まれ、私の口に先端がねじこまれると声を漏らす。私の頭を握りつぶしそうなほど握りしめて根本まで喉の奥深くにおさめた。
 私は唾液をたっぷり含ませた舌と唇を動かし、今まで培ってきた経験を役立てた。ポルナレフが絶頂を迎えまた声を漏らし、乱暴に私の頭を引っこ抜くと寝台を指さした。
「あっちへ行け、できそこないめ」
 ジャン・ピエール・ポルナレフは忙しい客だった。それに男娼を乱暴に扱うことでも有名で、衣装を破って何度も別料金を取られているらしい。
 私が立ち上がろうとすると、もたもたしていると思ったのか、手の甲が私の口元をぶった。下唇を舐めると、血と彼の子種の交じった味がした。
「早くしろ!」瞬く間に、もう一撃。
 目に被さった髪の下で、私は彼を睨みつけていた。幸いだったのはその表情がポルナレフからは見えないことだ。
 私は立ち上がると、なめらかな絹布のシーツがかけられた寝台に向き直った。
「服を脱げ。そこに手をつけ」
 容赦なく言われ、私は背のボタンを外しにかかる。ドレスを脱ぎ捨て裸になった私を、ポルナレフは顔が寝台のスプリングをへこませるほどの力で押しつけた。 
「お前の処女と童貞は私のものだ」
 脅すように言い、私に近づいてくる。
「レーヌがお前のような男を何故パルフェ・タムールの生まれ変わりと言ったかは知らん。少なくともお前がラ・ヴィエルジュのできそこないであることを確かめてやる」
 ポルナレフが服を脱ぎ捨てる。おそらくまだあの細目はぎらぎらしているのだろう、まるで獰猛な狼のようだった。
 寝台に手をつく私の背後に立ちはだかると、力づくで私の腰を掴み寝台に押しやった。
 そこに性的興奮なんてものはなかった。
 神娼は愛を与えるなんて言うが、実際の所、私は客への奉仕にそういったものを感じたことはあまり無かった。奉仕としての体裁を保つために演技で雰囲気は作っていたものの、その心というのは随分と冷めたものだった。
 シャルロットとの夜とは違う。そこには単純に肉の刺激しかないから、どれだけ私の奉仕がラハブの教えに遠いものだったかわかるだろう。
 ポルナレフは一突きで奥深くまで達し、その痛みで私は声を上げた。 蕾咲きの心得のない私にとって、聖油を使わず何度も何度も突き入れられるのには苦痛を伴った。突き入れられるたびに身体はしなやかにたわみ、やがて苦痛の中に快楽が混じり始め、その波が何度も何度も打ち寄せてくる。
 気がつけば快楽の波に身体を震わせ、最後には大声で叫んでいた。
 ポルナレフは私から身を引くと寝台に腰掛け、私の横でぜいぜいと息をついた。
「仰向けになるんだ」乱暴だった口調は、不思議と静かだった。
「私のしたいことはわかるな、コケット?」
「はい」寂に答え、私はベッドに肘をついて向き返った。
 そうしろと言われるまでもなく両脚を広げて、寝そべる私の上に来るのを待った。
「これまで奉仕を受けた男娼の中で、お前は一番女らしい」そう呟いて、そそり立っていたものに跨った。
「お前の処女と童貞は私のものだ。値は払ったからな」確認するように言い、根本まで受け入れる。きつい締め上げと、初めて感じる快楽にぶるっと身震いした。
「元は取らせてもらうぞ。夜が明けるまで」
 ポルナレフの腰が動き始め、再度確認するように呟く。
「夜が明けるまでだ」
 そして、実際そうなった。

     

   3

 私は夢心地のまどろみの中で脚の間に違和感を覚えた。
 その違和感というのはどういうわけか、ここ数日私の股にあったものがやけに小さくなっている気がしたのだ。
 掌をそこへ忍ばせて握ってみようとすると、空を掴んだ。
 そこにあった長太いものがない。それどころか、更に奥へと潜り込んでみるとそこにぶら下がっているはずの袋もない。
 しばらくそこをさすってその形を確かめていた私の掌には、なめらかな肌とそこにある茂みの手触りが伝わった。
 私にはこの触り心地に覚えがあった。
 おぼろげな思考の中で記憶を辿るまでもなく、そこに起きた異変に気づいた。
 むくりと起き上がり、おそるおそる寝間着のスカートを自分で託し上げると、私の股ぐらは元の姿を取り戻していた。
 それを確認すると、再び寝台に戻って眠った。
 これはきっと夢か何かだ。だって、私は男になったのだから。
 そう思いながらもう一度瞼を閉じた。


 日々は時を経るにつれ変わっていく物だが、今居る場所や立場を大きく変えなければその起きる変化というのも些細ではあるが重要な物を日々に残してくれるものだ。
 友人との繋がりというのは特にそれに当てはまる。
 朝まで続いた奉仕を終えて私が再び眠りについたその後、およそ昼頃になったくらいだろうか、シャルロットとロシエルが寝室に訪ねてきた。
 私はまだ気怠さの残る身体を起こして、まだ眠たいといって寝台にしがみついていたのだが、結局二人にル・フィル・ダリアンヌに連れて行かれることとなった。
 ル・フィル・ダリアンヌはパレ・ドゥ・ダンジュ城下街にあるカフェの一つで、貴族や学者連中もきてティーカップを片手に談義に花を咲かせているような店だ。
 もっとも花館の神娼が花咲かすのは、貴族の政敵を陥れる策でもなければ、学者達の研究の意見交換でもない。昨夜の奉仕はどんな内容だったか、あの貴族の股間の具合やどの貴族にどの神娼が当てられたかの鞘当てなどのたわいもない猥談だ。
 ご多分に漏れず、シャルロットとの会話も普段からそういった話題が多かった。
 私自身はかつての身分のこともあり、貴族同士の政治政略の話はほどほどに理解していたが、他の神娼は夜咲く花々の庭という閉鎖された世界にいる以上そのぐらいしか入ってくる話題がない。
 それで、いつものように猥談に花が咲くわけだが、今日がいつもと違うのはカフェでの談義にロシエルが加わっていることだった。
 街路に面した店先で、歩道にせり出したテーブルを選んで座ると、最初に口を開いたのはロシエルだった。
「やはりね」
 ロシエルは、緋薔薇館ではなかなか見ることのない普段着のリネンの肩を優雅にすくめた。
「私達はラハブ様のしもべとはいっても、こうして詰まらせた息を抜くのも大事よ」
「そういうものか?」
「コケット、レーヌ様から聞いたわ。早速お客を招いたというじゃない。どうせ粗相をして酷いことになったんでしょう」
 私に返事さえ返さずロシエルがむっつりと切り出すのに、シャルロットが薄く笑って口を挟む。
「なんて言ってるけどね、本当はコケットが心配で心配でしょうがなかったみたい。口を開けばコケットコケットって言ってた」
「シャルロット!」
 急に顔を赤くし、シャルロットに対して声を大きくした。
 こほんと咳払いすると、片眼鏡を持ち上げてロシエルは誰に言うでもなくぶつぶつと言い訳を始めた。
「勘違いしないで。別にコケットが心配で顔を見に来たわけじゃないわ。ただ、貴方が蒼薔薇館へ移ってからの仕事ぶりが気になっていただけよ。曲がりなりにも私が指導してきた弟子なんだから。庭師としての務めを果たしているだけよ!」
 顔を伏せる顔はほんのりと赤く、視線は私を避けている。
 何かあったのだろうか?
 そう思わせるほどに、今日のロシエルの様子がおかしい。妙に意識されているようにも見えるのだが、私にはその理由がわからなかった。
 どうもシャルロットはその理由を知っているらしく、それを見てシャルロットは意地悪く笑った。
「そうだよね。ロシエルは違う物が目当てだもんね」
「シャルロット!」
 これ以上続けさせまいと制止させようとロシエル。しかし、シャルロットは悪劇な笑みを浮かべて続ける。 
「私がコケットのが大きかったって言ったら、ロシエルったら何て答えたと思う?『あんなの、なかなかお目にかかることがないわ。できることなら私も蒼薔薇館の庭師になりたかった』って言ってたんだよ」
「シャルロット! もう黙って頂戴!」
 不機嫌に言い放ち、ロシエルが顔をそらした。
 なるほど、そういうことか。
 ロシエルは男になった私の身体を見ていたときはあくまで冷静な素振りを見せていたのだが、どうも私のを見てお気に召したらしかった。
「はは、そりゃどうも。私が男だったら光栄なのかもな」
 そう言って、私はシャルロットと共に彼女がふてくされる様子を笑った。
 ロシエルはああ見えて、夜咲く花々の庭の中だけでも少なくとも五人の男をたらし込んでいる。
 その中には女たらしのルイも含まれているらしく、他にも花上げ前の頃からの客から援助も受けているらしいが、彼女もかつては指折りの名花だっただけに、ルイほどの男をのぼせさせるくらいなのだからラ・ヴィ・アン・ロゼ(薔薇色の人生)を体現しているような理想的な花上げ後を送っていると言っても良い。
 そんな彼女が今日カフェの席に来ているというのは、私が見初められたということの証明でもあるのだろう。
 悪い気はしなかったが、それがどうも女娼としてではないらしいことを思うといささか複雑な気分にはなった。
「それにしても」シャルロットが私の胸元を見やって「何だか、いつものコケットみたいだね。詰め物でもしてるの?」
「ああ、これか?」
 なだらだった胸は膨らんでいた。
 それをシャルロットは異性装の男娼がする詰め物と思ったのか興味津々と眺めてきたが、私はチュニックの胸元を引っ張って襟元からの白い肌と豊かな乳房をちらつかせた。
「寝て起きたらこうなっていたんだ」
 シャルロットは驚いて蒼い目を丸くした。
「どうして? コケットは男になったんじゃないの?」
「さあな」肩をすくめる。
「どうして身体が戻ってるかなんて私が聞きたいくらいだ。私も信じられないくらいだった」
「それじゃあ、下も? 貴方、女に戻ったと?」それが重要だと言わんばかりにロシエル。
「ああ、完全に元通りだ」
「そう……」
 さも残念そうに答える彼女の隣で、シャルロットは相変わらずにやついている。
 私はカフェオレを口に含んでから、ロシエルを苦い目で見た。
「庭師が自分で世話をしていない花を摘み取るのは御法度だろ」
「別に貴方と寝たいなんて言ってないわ」
 憮然と言うのに私はかぶりを振った。
「どう見てもロシエルは未練たらたらだがな」
「どこが!」
「じゃあ、私かルイと寝るんだったらどっちが良いんだ?」
「それは……」ロシエルはしばらく考えた末に、ようやく答えた。
「それならコケットを選ぶわ」そう言って「しょうがないから」としどろもどろになって語尾に付け加える。
「ルイは口だけは上手だけど、あっちの方はお世辞でも具合良いとは言えないわ。彼は口先だけで女貴族に気に入られていたような男娼だから。それに、ルイのは貴方のと違って小さいもの」
「ふうん」
 送っていた苦い目を砕いて、彼女の隣でシャルロットしている顔と同じくする。
「こりゃ意外だな。ラハブ様の糞だ。ロシエルがそこまで言うくらいお気に召されたらしい、私の股間は」
 高く笑う。ロシエルの黄色の肌がまた赤くなった。
 変わらないってのは良いな、と、それで気づく。
 そういえば、蒼薔薇館に移ってからはこの三人の取り合わせも疎遠になってしまうんじゃないかと思っていた。それがどうだ。つぼみの時間ではこうして前と変わらずいれる。
 レーヌの思惑はどうあれ、これからはどうなっていくかはわからないが、いつまでもこうありたいと願いたくなるものがそこにはあった。
「コケット・カミーユ・カールスタインか?」
 そこで驚いた。
 思考を巡らせていたお陰で、背後からの声を聞いたとたんカフェスツールから飛び上がって振り返った。
「間違いない、コケット・カミーユ・カールスタインだ。だが信じられん。お前は双子じゃないのか」
 声の主はジャン・ピエール・ポルナレフだった。陽光の下で昨夜よりもしわが目立っている気難しい細目が、私の胸元を見て目を剥いていた。
 私は立ち上がり一礼すると、奉仕の際にする笑みを向けた。
「昨夜のように確かめてみますか?」
 腕を背に回してみせるが、ポルナレフは鉤爪のような手を私の胸元と股に伸ばすことはなかった。
 鼻を鳴らしてから、かぶりを振った。
「間違いない」再度呟いて「女かどうかなど見ればわかる。どうやら私の負けだ。本当にパルフェ・タムールの生まれ変わりらしいな」
「負け?」
「お前の青刺の原画を描く賭けをしていたのだ。どうせレーヌのことだ、私を騙そうとしているのだと思っていたのだが。今のお前を見ると、昨夜の私は天使を抱いたとしか思えん」
 そう言うポルナレフは、乱暴だった昨夜とは違って今ではただ気難しいだけの老生に見えた。
「カザン」いつのまにやらポルナレフの斜め後ろに佇んでいた従者に声をかける。
 聞き返すまでもなく、カザンという男が肩から下げた革鞄から赤い帯にくるまれた皮紙を取り出して差し出してきた。
「これをレーヌに渡してやれ」
「これは?」
「お前も読んで良い。見ればわかるだろう」
 受け取った皮紙を顎で示され、私は言われる通りにポルナレフの紋章の帯留めを解き開いた。パレ・ドゥ・ダンジュの公用語で記された内容に目を通す。それを見て、ポルナレフが口を開いた。
「用件を早く済ますことができた。帰るぞ、カザン」
 踵を返し、カザンがそれに続く。
 屋敷までの帰路へ歩を進めようとするポルナレフがぽつりと背中越しに呟いた。
「私の花上げ料でお前の青刺を一流の彫師に頼むことができるだろう。原画は用意してやる、今度は女の姿で私の屋敷に来い。また相手をしてやる。お前は良い女だ」
 そう言い残し、ポルナレフ達はル・フィル・ダリアンヌを颯爽と去っていった。
 私が広げた皮紙越しにその背中を見送っていると、ロシエルが詰め寄ってきた。
 その表情は――さも吃驚しているといわんばかりで、まるでポークの糞を突然鷲掴みにした奴の面を見たようなものだった。
「コケット、貴方……ポルナレフ伯爵のお相手を?」
「ああ、そうだが。それがどうした?」
「貴方、伯爵を知らないの!?」
 知るはずもない。
 私が伯爵令嬢を名乗っていられたのは2年前までだが、その頃に並べられていた伯爵号を与えられた家にポルナレフの名はなかったはずだ。
 知らぬと肩をすくめて伝えると、ロシエルが大きく息を吐き出した。
「呆れた。コケット、貴方って人は……。いい? あの方は表向きではパレ・ドゥ・ダンジュ宮殿の画家をしていらっしゃるけれど、それだけじゃない。陰で花館の天井画の補修の監督して下さってるような私達にとってとても大事なお客様なの。ポルナレフ夫人が他界されてからは、あの方は男娼しか抱かなくなったの」
「どうしてだ? それなら一層、女娼を抱くようになるだろ」
「あの方は夫人を一番大事に思っていたからよ。私達は愛を与える奉仕をすると言っても、客との間に子を産む訳ではないから。それでも貴方は、あの夜咲く花々の庭で気難しいと名を轟かせている伯爵殿下から青刺の原画を描いて頂けるだけでなく、女として認められたのよ」
 説教じみた言い方で褒めているのだか、責めているのだか捲し立ててくるロシエルに、私は唇の端を上げた。
「まさしくラハブ様の糞だな。そりゃ女として光栄だ」
 そうしてロシエルのむっつりとした長い話を切り上げるために皮紙に視線を戻す、そうしていると私の後ろでシャルロットが踵を上げて覗き込んできた。
「ねえコケット、何て書いてあるの?」
「何かの推薦状らしい。私が蒼薔薇館の代表として出席できるよう書いてあるみたいだ」
 皮紙には繊細な筆記で推薦文が書かれ、その末尾にはポルナレフのものと思われる血判が指印されていた。
 公文書の皮切りの文句に添えて、そこにはこう書かれていた。

”ルシフェルの瞳にかけて、私ジャン・ピエール・ポルナレフは蒼薔薇館の神娼コケット・カミーユ・カールスタインを冬至祭の巫女に推薦する”

 私はその一文を見て、ひとしきり首を傾げていた。
 とりあえずあの伯爵のお墨付きを貰ったようなのだが、その理由は推知できない。
 何故冬至祭の巫女が私なのか。おそらくレーヌがポルナレフに書かせた物であることには違いはなさそうではあったが、この手渡された皮紙が復讐のための分岐点に差し掛かったことを気付かせてくれた。
 しかし、そのお墨付きが変わらぬ日々を今後いつまでも続けることを許してくれないことには、私は気付けはしなかった。

     

   4

 それから二週間が経ち、冬至祭の巫女に選ばれた神娼達が儀礼の間に集められた。
 各花館の庭師長を先頭にし、列を組んで揃えられた神娼は男女含め五十名ほど、ちらりと横目で見回してみれば右隣は茨館の連中なのだろう、女蛮族のような黒革のボンテージドレスに身を包んだ女娼達が列を作っている。
 左隣の列にいる女娼は二重人格ともおてんば姫様とも呼ばれ、貴族を片っ端から無邪気に弄んでいると名を轟かせている名花プランセス・ノワールがいた。そちらは黒薔薇館の列か。
 そこから更に向こう、左端の列は一際女娼が多く列尾が長かった。
 緋薔薇館の列だろうか。
 奥へと視線を向けていくと、さすが次期の緋薔薇の名花候補というだけあって、シャルロットの姿が先頭にあった。私がポルナレフの推薦状を受け取った後、彼女も貴族の推薦状を受けたらしい。
 蒼薔薇館からは私含め3人が巫女に推薦されていた。
 一人は男装の女娼。ロゼ・ドゥ・メールブルの名を頂いた名花、ジョゼフィーヌ・クルーセル。花上げ間近らしく、目前にある青いドレスの開いた背中からは蒼薔薇の青刺が大輪の花を咲かせていた。
 もう一人は私の背後に隠れるように身を縮こませているシェリル・コレー。
 私より2歳下のシェリルは白薔薇館の者かと思うくらいにあどけなさのある顔立ちをしている。聞く話ではある名花の私生児らしいが、そこは母親ゆずりなのだろう、花館の基準を十分に達した容貌は初め見た時は私でさえほうと声を漏らしたほどだ。
 首の後ろまでで短く切られたアッシュブロンドのくせ毛、アーモンドのような大きな瞳は長毛種の猫を思わせる。
 スミレの花のように床まで広がった青紗のスカートは、彼女がちょこちょこと歩けば華奢な脚が裾を踏んづけてしまいそうで、そこがまた幼さを強調しているように思う。
 シャルロットに負けず劣らず可愛らしい容姿だが、何故白い花でないのかといえば、シェリルは異性装の男娼だからだ。
『あまり私にくっつくなよ、シェリル。列を崩したら、神官殿から大目玉を食らうぞ』
 小声で囁くと、私のドレスの裾を軽く掴んで自信のなさそうな瞳を震わせる。
『……ごめんなさい、コケット』
 ソプラノの声が萎縮して震えた。
 普通、女性装の男娼がする声というのはファルセットで喉を絞ったようなカウンターテノールなのだが、彼女 ――いや、彼は違う。既に変声期を迎えた後だというのに、自然なソプラノを響かせる。彼が男だということをすぐ忘れそうなほどだ。
 小さく頭を下げ、おずおずと一歩退るシェリルに私は軽く嘆息したが、決してそれは彼を侮蔑しているわけではなかった。
 落ち着かないのも仕方がないのだ。
 シェリルは夜咲く花々の庭の養い子で、素質が認められ蒼薔薇館に引き取られて間もない若い男娼だ。儀礼という堅苦しさのある場にはまだ不慣れなのだ。
 神娼として奉仕に従事できる年齢になったばかり――それがどうして巫女の儀の列にいるかというと、養い子時代に冬至祭の手伝いに駆り出されていたシェリルがとある女貴族の目に留まったかららしかった。


 冬至祭はラハブの降誕日を祝う催しで――とはいえそういう名目ではあるが、実際の所は宮殿の実力者達を招いた酒宴だ――神娼は貴族に推薦を受けた各花館の代表数名しかそこに居ることを許されない。
 この冬至祭というのがパレ・ドゥ・ダンジュの貴族達の年に一度の社交場になっているからだ。
 緋薔薇館にいた頃に私が聞いた話では、余暇の楽しみに悦楽を摘みに来る者がほとんどを占めるらしい。おそらく、シェリルを見初めた女貴族は悦楽酒の給仕にフロアを回るいずれ神娼になる養い子が目当てだったのだろう。
 酒宴の目的はそれだけではない。貴族達の中には自分が手を掛けた神娼を従えて自慢をする者、13の花館そのどれにも属さぬ貴族の家家に召し抱えられた神娼を紹介して客を取らせる者もいるそうだ。
 そんな快楽と欲望の入り交じる宴だけに、はかりごとで政敵を陥れるために神娼をけしかける者もいるそうだが、私もそんな役を被ったことになる。
「冬至祭には皇帝陛下もお見えになるかもしれません」とはヴィオレの弁だ。
 喜ばしいことに、冬至祭には皇族も招かれるらしかった。
 まさにラハブ様の糞。めったにない機会をポルナレフと一夜を過ごして掴み取ったことになるわけだが、それもレーヌのお膳立てによるもの。彼女の誘いに乗ってよかったと素直に思った。
 それでも、皇帝当人が当日現れるかどうかはわからなかったが。


 巫女の儀は代表の神娼が神官から桂冠を頂くことで儀礼とする。
 今年の冬至祭の代表はプランセス・ノワールだった。
 神官はラハブの神話第56章『使徒達に愛を授けるラハブの話』を読んでいた。
 緋薔薇館に来たばかりの頃、ロシエルが語るのを興味もないという素振りで聞き流して、あのむっつり顔に青筋を立てさせた。思えば、ラハブのしもべとしては私は信心の足りない者だった。それに今でもそうだ。
 神官が語る話は、およそロシエルから聞いたことで変わりない。内容も曖昧だったが憶えているし、暗記こそしていないが大体の流れは把握している。
 エリコの虐殺から逃れたラハブ様は、安住の地を求めて広大な砂漠や荒野を横切り、やがてカスティーリア・アンゲロールム――パレ・ドゥ・ダンジュの地に辿り着いた。歌いながらさすらったその足跡には様々な花々が咲き出したという。
 行く先々でラハブ様は愛を説き、身をもって愛を捧げ、連れ添う弟子達を増やしていった。その出逢いの最中にラハブ様の愛によって咲いていった花々が、この13の花館を象徴する花というわけだ。
 緋薔薇には恋人のように日が再び登るうちにたっぷりと愛し合い、白薔薇には子を見守る親のように甘美な歌声で無垢な愛を授けた。黒薔薇にはわざと騙されてあげるほど懐の深い振る舞いをし、荊の前ではいつものおしとやかさをかなぐり捨ててがたがたと震えながら身に刻まれる痛みを味わったと言う。だがマンドレークの前では一変し、生け贄を呼ぶように寝室に招いては、鞭を打って嗜虐の喜びに浸ったというし、ガーベラとは発情期を迎えた獣のように快楽に身を任せたらしい。
 およそ憶えているのはそんな話で、いささか途中までしか憶えていないのだが、どちらにせよその話にパルフェ・タムールの存在は含まれていない。
 レーヌはこの儀に立ち会う度に心苦しく思っているのかもしれない。ヴィオレが巫女の儀に集められた時は、沸き上がる憤りに震えていたことだろう。パルフェ・タムールの存在を知る蒼薔薇館の神娼にとって、この儀礼は正教によって踏みにじられた偽りの姿に見えることは私にだってわかる。
 壇上の神官が聖書を読み終えてたたむと、黒薔薇のコサージュを外しその細い脚を折り曲げ絨毯に膝をついていたプランセス・ノワールの頭に桂冠を捧げた。
「ジョワイユ・ノエル(悦楽の下に愛を)」
 冬至祭に向けた祝福の言葉を投げかける。
 桂冠を受けたプランセス・ノワールがオウム返しで答える。
「ジョワイユ・ノエル(悦楽の下に愛を)」
 そうして、つつがなく巫女の儀は終わった。


 他の神娼達がそれぞれの花館に戻っていく中、私はレーヌを捕まえていた。
「前々から聞きたかったが、何でポルナレフ伯爵に推薦を頼んだ?」
 そして素直な疑問を投げかけた。
 すると、レーヌは肩をすくめ「君に巫女として、冬至祭に出て貰いたかったからさ」
 またそれだ、と私は苦虫を噛んだ。
 ポルナレフとの夜の後でも、レーヌは私に詳しい説明をしなかった。蒼薔薇館に来てからというもの、何度か彼女の核心だけは避ける言葉で誤魔化されていた。
 言うことだけを聞いていれば良い。彼女の仮面の奥ではそう瞳が訴えているようにさえ思えてきていた。
 アンジュ・アレクサンドゥル・ホイットローへの復讐、その方法を教わることなく、結局今まで私はレーヌが持ちかけてくる奉仕の依頼に素直に従うだけだった。
 ポルナレフ伯爵の屋敷へ何度か、他にも宮殿騎士団の出身のスィエル男爵と宮廷詩人のエモニエ子爵の屋敷へも行った。立ち寄り売女のような真似をしてきたが、まるで肝心な話をされない私は痺れを切らしていた。
「私が聞きたいのはそういうことじゃない。そろそろ教えてくれても良いだろう、具体的な復讐の方法をだ」
「君にして貰っていることがそれだ」
「立ち寄り売女のような真似が、か?」
「そうだ」
 ますますレーヌの考えがわからない。
 このまま理由のわからないことをし続けるのは、腹の居所が悪かった。腹の底でむらむらと沸き上がってくる物は納得できる理由を求めている。
「納得がいかない、という顔をしているな」
「当たり前だ!」
 私が怒鳴りつけると、まだ儀礼の間に残っていた他の花館の神娼達がこちらを遠目で覗いてきた。
 レーヌはなんでもないと、彼女達にかぶりを振ると、私抱き寄せ耳元に唇を寄せてきた。
「ポルナレフ伯爵もおっしゃっていただろう、君は良い女だ」
 小声で囁かれるアルトに、思わずどきりとする。
 なめらかなレーヌの手が私の頬を愛撫するのに、思わず吹き上がった熱でくらくらとしてしまいそうになる。
 レーヌの漏らす息がこそばゆくて、思わず声を漏らしてしまいそうになる。
「それに君は、時に女にとっても良い男になりうるだろう」
「……どういうことだ?」
 私が聞き返すと、レーヌはかすれた囁きで答える。
「君はベアトリス・ボードォワール女伯爵を知っているか?」
「ボードォワール?」その名にはおぼえがあった。
「シャトーイリスの荘園領主の? ボードォワール家は男爵だったはず。あの田舎貴族がいつ伯爵に?」
「昨年の冬至祭のことだ。ベアトリス・ボードォワールはアンジュ・アレクサンドゥル・ホイットローの目に留まったと聞く。それ以降の経緯は知らないが、皇帝から直々に伯爵号を賜ったそうだ」
「皇帝の寵愛……」よどみなく述べるのに、眉を寄せる。
 私は皇帝が一部の臣下に偏った寵愛をしているという噂を思い出していた。その恩恵を受けることのできない貴族達がそれを不満に思っていることも。
 レーヌが仮面の奥でエメラルドの瞳を細める。
「大方、スィエル男爵かエモニエ子爵が寝床で漏らしていただろう。コケット、君に彼らのもとへ行かせたのは全てこの冬至祭の下準備だ。勿論、ポルナレフ伯爵に推薦を願ったのも」
 レーヌが人気のまばらになった儀式の間の入り口へ目を向ける。
「後でシェリルを連れて蒼月の寝間に来るんだ。次の冬至祭の夜から君にして貰うこと、その全てを話そう。パルフェ・タムールの生まれ変わりの君にしかできないことだ」
 そうしてレーヌは、私の腰に回した腕を解いてエントランスホールへと歩きだした。
 その背中を追うようにして蒼薔薇館へ戻る間、得た熱が冷めぬ頭で私はこの二週間で枕を交わせた男達が寝床で呟いたことを思い返していた。

       

表紙

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Neetsha