禁術師
第一話 扇の舞姫
神国パラシア。
それが『パラ教』の総本山の国であり、つまりは今現在最も力を持つ国である。
『神徒』である三人を筆頭として、『神官』である兵士を使って世界の統一を企む。
そう言うと随分イメージが悪くなってしまうけれど、実際のところ決して悪くはない。むしろ、正しい。
宗教を信じる者がいる以上、それからしてみればそれを妨害しようとする方が異端なのだ。
もちろん、その戦争行為に反対している者だってたしかに存在する。流石に、全員が全員意思は一つ――などというのはありえない。
だから、メイラたちが協力者として仲間に引き込もうとしているのは、そういった、現状に賛成できない人たちだ。宗教は信じるが、それでも戦争にはどうしても賛成できない人たち。そういう人たちは、やはり少なからず存在する。
あるいは、『パラ教』を信仰しない国の人たち。そういう人たちも仲間として引き込める。
ただしあくまでメイラが願うのは、彼女の言う『パラ教をあるべき形に戻す』であって、神国そのものの排除ではない。そうなると必然、その国に対抗している国の人たちはあまり仲間にはできない。人を選ばなければ、たとえ宗教改革が成功したとしても、それを狙って協力者の国が敵に回ってしまい、結果、神国が崩壊するかもしれない。
よって、出来る限りメイラたちが仲間にするのは『神官』。外から改革を目指すのではなく――内側から。
まあもちろん、そうしたところで敵国に攻撃されるのは避けられないだろう。国内で騒動が起きたと分かれば、いくつかの国は戦争をしかけてくるかもしれない。
だからこそ、出来る限り国内での争いを抑え、それに備えたい――というのがメイラの狙いだ。
そうは言っても、戦争を仕掛けているのは神国なのだから、そんなに攻められる事もないだろう、ともメイラは考えている。つまりあくまで保険。そういうことだ。
「季節は夏。夏といえば海。海といえば水着っ!そう、夏こそは私たち変態の独壇場。何者にも侵せない私たちのサンクチュアリ!誰に咎められるでもなく、精神の自由を確立されている変態の世界。ああっ、私はこの季節を毎年いかに楽しみにしていることか。なのに、……なのにっ!これはどうしたことか!そう、私は今現在大変な危機に陥っているのだ。そう、それは……神国パラシアは内陸国であるということだ!これでは必然、変態の聖域は生まれるはずもなく、そうなれば私はどうやって生きていけばいいというのか。このような悲しい夏を、どうして私は過ごせようか、いや過ごせない!」
「だったら勝手に死んどけ」
「酷い、酷いとは思わないかねルゥ君、その発言は。君も私の同士だというのにつれないことを言うものではないよ」
「この脈絡での『同士』にはなった覚えは無い」
「義妹が二人いるという時点で、既に君は同士なのだよ」
「謝れ、全国にいるそういう家族構成の方々全員に対して今すぐ謝れっ!」
「周りを気にして変態は務まらないよ。『変態』とは常に盲目なのさ」
「それはただ単にきもい奴に過ぎないっ!」
神国パラシアの中の、ランドルーザという中都市というべき町の中。歩きながら、ルゥラナとレクシスは熱く語り合う(主にレクシスが)。
町の中でこんな会話をしていると、必然的に生まれてしまう悲しい結果が当然あるわけで。
「……うっ」
周囲からもろに見られていた。
ルゥラナはもちろん、レクシスと同様な『変態を見つめるような目』で(レクシスはいつも通りだから特に何も感じない)。
そのことに対しては言うまでもなく、ルゥラナの中では激しい葛藤があり、同時に乱闘騒ぎもあったわけだが、彼の名誉のためにあえて割愛する。
礼拝堂。
それはやはりこの宗教にも存在していて、もちろんこの町にもそれはあった。
けれどそれは一般的なそれとは似ても似つかず、なぜならそこは、その町の行政が行われている所だからだ。
神国パラシアは『パラ教』を中心として作られた国家であり、よって政務もその宗教を信じる者が行う。そしてその中でもより強いもの――つまりは『神官』が行政を行っている。
このシステムは、民衆の間では大変気に入られている。
一見、もしもその『神官』が無能な者であれば、権力が強いために反論し難く、結果、その町が荒廃することになるかもしれない。
が、このシステムでは、その『もしも』という要素がありえないのだ。
『神官』は、『神徒』が直々に審査し、それに合格しなければなれない仕組みになっている。その合格基準というのが凄まじく高いらしく、その基準というのも、性格だとかそういうのもまとめて審査されるため、『はずれ』という『神官』は決してできない仕組みだ。
ならば余計にメイラたちが交渉する隙も無いのではないか、という仮定が現れるわけだが、それは逆に優れた『神官』であるからこそ交渉できるともいえる。
彼らは一言で言い表すならば、真面目。
ひたすらに皆の事を考え、何をするべきかを常に考えている。
だからこそ――戦争が正しいと思えない者も現れてくるわけだ。そういう者を、メイラは勧誘する。
彼女の言う『導き』という魔法によって、『その可能性のある者』を探す。そして交渉。――それがメイラの思い描く道筋。
ただしあくまで可能性のある者を探すにすぎないため、断られることも考えている。それはやってみなければ分からない、といったところだ。
「礼拝堂……あたしは来るのは初めてだけど、大きいわねー。無駄に」
「そのものずばりだ」
ただし、礼拝堂で行政を行っているとはいえ、もちろん本来の使い方だって兼ねている。
中に入っているメイラたちだけでなく、ほかの人々もちらほら目に付く。こういう光景から、『パラ教』の信仰度が伺えるというものだ。
「ねえ、あの石像みたいなのって何なの?」
「あれはですね、なんでも『神魔戦争』での神様3人の姿らしいです」
と、メルミナが解説口調で語る。
「『パラ教』というのは、あの神様たちに感謝しましょー、的な宗教ですから、皆さんはあの石像みたいなのに向かってお祈りするわけです」
「ふぅん……あれが……」
そう小さな声で呟き、メイラはしばらく無言。
ルゥラナからしてみれば、その無言というのが気まずいらしく、ついいつも話しかけてしまう。
「どうした?」
「ん。なんでも」
まあ、理由を話してもらえたことはほとんどないが。
そのことについて、実はルゥラナは一人で悲しんでいるのだが、もちろん誰も知るわけがない。
「……ところでよ」
そういえば、といった口調で、思い出したかのようにルゥラナが話す。
「メイラの言う『導き』っていうのは……本当にあてになるのか?俺からしてみれば、ただの勘で動いているようにしか見えんのだが。俺らには禁術ってのはよく分からねえしさ」
「ふふふ、甘いわね。『導き』を馬鹿にしちゃー駄目よ。これだって立派な禁術。過去にあたしはこれに何度助けられたことか」
「周りからしてみれば、お前ってただ単に勘で動いているように見えただろうよ」
「いーのいーの、理解できる人だけ理解してれば。そんなのテキトーテキトー」
と言って、パタパタと扇で扇ぐメイラ。実はルゥラナはそれが(涼しそうなのが)羨ましいと思っていたりする。
比較的夏は涼しく冬場もそこまで冷え込まないという、まさにうってつけのこの地域であるけれど、それでも夏は夏。暑くないなどというのは決してない。
「さーてとっ」
パチン、と見事に扇を閉じて、メイラは言う。
「行きましょっか」
『神官』とはつまり、この町での一番の権力者ということだ(ただし、こういう中都市ともなると何人かいたりするが)。
必然、そうなれば建物の中の奥の方に部屋があるということなので、そこで働いている人に案内を頼むことになる。しかし、やはりというべきか『神官』とて多忙人だ。先に話をつけていなければ会うことはできないそうで。
「そこをなんとかっ!このとーり。……駄目?」
「そう言われてもですね、規則は規則ですので、また後日予約を取ってからということでお願いします」
「……けち」
メイラが見苦しくも女であるということを利用してみたが、流石は信者。そう上手くいくわけがなかった。
ルールを守らないというわけにもいかず、そろそろ折れてまた後日にするか……と考え始めていたルゥラナだったが、メイラはまだ諦めきれないらしく、ついに、
「……むか」
きれた。
「そう、そうなの。ふふふ、あんたがどうされたいのか、あたしはよく分かったわ」
「……おい、変な騒ぎは起こすなよ」
ボソッと、相手には聞こえないように呟く。しかし、彼のそんな苦労など無に帰すかのように、彼女は謳う。
「『記憶は流転し変化する。汝が為すべきこと、その身に宿れっ!』」
再び扇を取り出し、広げ、そしてその信者(男)に扇を向ける。
メイラが言っていた、『武器は扇』という発言。あれは冗談などではなく事実だ。ただし直接それで攻撃するのではなく、魔法の媒体。つまりは魔法の威力向上武器、とでも言うべきなのか。
仕組みについては説明のすることが出来ないものの、扇を動かす事で空気中の魔力を集め、そして楽に魔法が使えるようにするというものらしい。
そして扇を向けられた男は、一瞬微かに体が光り、はっとしたかのようになって言う。
「……私は、誰でしたっけ」
「……」
ルゥラナは心の中で叫ぶ。
(やりすぎだろぉぉぉぉぉぉぉっ!)
そのものずばりだ。
「(ちょい待てメイラ。何をどうしたのか俺には判断しかねるが、これは流石にやりすぎだろ。なんだかだいぶ記憶失ってる風じゃねえ!?)」
「(大丈夫、そこまではしてない……はず)」
随分頼りない返答だった。
「ええーっと。あんたが誰かなんてどうでもいいとして、あんたは『神官』の所にあたしたちを連れて行ってくれたらいいの。理解オーケー?」
「『神官』……?ああ、そうでした、思い出しました。……ええと、私は『神官』シノイ=サルルーナ様の所へあなたたちを連れて行けばいい……のですか?」
「そうそう」
なんとか相手も記憶を取り戻したようで一安心だったルゥラナだった。
ちなみにこのとき、レクシスとメルミナは、
「この禁術……使えるっ!」
「使えますねっ」
「まてまて二人とも。お前らさっきの禁術悪用する気満々だろ」
「あのような魔法を悪用せずにいることがどうしてできようか、いやできない!」
「いや、我慢しろよ」
色んな意味で、この先が不安になったルゥラナだった。
最初からこんな調子で進んでいいものなのか、とても疑問に思った。
ただ、強いてメイラを止めはしなかったので、彼とて案外この状況を楽しんでいるのかもしれない。なんだかんだと言いつつも、いつも彼は止めもせず、たまに自分だってそれに参加することだってあるのだから。
そして、メイラ一行と、若干記憶が混乱している奴一名は、『神官』であるシノイ=サルルーナという人の部屋へと向かい、そして足を踏み入れた。
それが『パラ教』の総本山の国であり、つまりは今現在最も力を持つ国である。
『神徒』である三人を筆頭として、『神官』である兵士を使って世界の統一を企む。
そう言うと随分イメージが悪くなってしまうけれど、実際のところ決して悪くはない。むしろ、正しい。
宗教を信じる者がいる以上、それからしてみればそれを妨害しようとする方が異端なのだ。
もちろん、その戦争行為に反対している者だってたしかに存在する。流石に、全員が全員意思は一つ――などというのはありえない。
だから、メイラたちが協力者として仲間に引き込もうとしているのは、そういった、現状に賛成できない人たちだ。宗教は信じるが、それでも戦争にはどうしても賛成できない人たち。そういう人たちは、やはり少なからず存在する。
あるいは、『パラ教』を信仰しない国の人たち。そういう人たちも仲間として引き込める。
ただしあくまでメイラが願うのは、彼女の言う『パラ教をあるべき形に戻す』であって、神国そのものの排除ではない。そうなると必然、その国に対抗している国の人たちはあまり仲間にはできない。人を選ばなければ、たとえ宗教改革が成功したとしても、それを狙って協力者の国が敵に回ってしまい、結果、神国が崩壊するかもしれない。
よって、出来る限りメイラたちが仲間にするのは『神官』。外から改革を目指すのではなく――内側から。
まあもちろん、そうしたところで敵国に攻撃されるのは避けられないだろう。国内で騒動が起きたと分かれば、いくつかの国は戦争をしかけてくるかもしれない。
だからこそ、出来る限り国内での争いを抑え、それに備えたい――というのがメイラの狙いだ。
そうは言っても、戦争を仕掛けているのは神国なのだから、そんなに攻められる事もないだろう、ともメイラは考えている。つまりあくまで保険。そういうことだ。
「季節は夏。夏といえば海。海といえば水着っ!そう、夏こそは私たち変態の独壇場。何者にも侵せない私たちのサンクチュアリ!誰に咎められるでもなく、精神の自由を確立されている変態の世界。ああっ、私はこの季節を毎年いかに楽しみにしていることか。なのに、……なのにっ!これはどうしたことか!そう、私は今現在大変な危機に陥っているのだ。そう、それは……神国パラシアは内陸国であるということだ!これでは必然、変態の聖域は生まれるはずもなく、そうなれば私はどうやって生きていけばいいというのか。このような悲しい夏を、どうして私は過ごせようか、いや過ごせない!」
「だったら勝手に死んどけ」
「酷い、酷いとは思わないかねルゥ君、その発言は。君も私の同士だというのにつれないことを言うものではないよ」
「この脈絡での『同士』にはなった覚えは無い」
「義妹が二人いるという時点で、既に君は同士なのだよ」
「謝れ、全国にいるそういう家族構成の方々全員に対して今すぐ謝れっ!」
「周りを気にして変態は務まらないよ。『変態』とは常に盲目なのさ」
「それはただ単にきもい奴に過ぎないっ!」
神国パラシアの中の、ランドルーザという中都市というべき町の中。歩きながら、ルゥラナとレクシスは熱く語り合う(主にレクシスが)。
町の中でこんな会話をしていると、必然的に生まれてしまう悲しい結果が当然あるわけで。
「……うっ」
周囲からもろに見られていた。
ルゥラナはもちろん、レクシスと同様な『変態を見つめるような目』で(レクシスはいつも通りだから特に何も感じない)。
そのことに対しては言うまでもなく、ルゥラナの中では激しい葛藤があり、同時に乱闘騒ぎもあったわけだが、彼の名誉のためにあえて割愛する。
礼拝堂。
それはやはりこの宗教にも存在していて、もちろんこの町にもそれはあった。
けれどそれは一般的なそれとは似ても似つかず、なぜならそこは、その町の行政が行われている所だからだ。
神国パラシアは『パラ教』を中心として作られた国家であり、よって政務もその宗教を信じる者が行う。そしてその中でもより強いもの――つまりは『神官』が行政を行っている。
このシステムは、民衆の間では大変気に入られている。
一見、もしもその『神官』が無能な者であれば、権力が強いために反論し難く、結果、その町が荒廃することになるかもしれない。
が、このシステムでは、その『もしも』という要素がありえないのだ。
『神官』は、『神徒』が直々に審査し、それに合格しなければなれない仕組みになっている。その合格基準というのが凄まじく高いらしく、その基準というのも、性格だとかそういうのもまとめて審査されるため、『はずれ』という『神官』は決してできない仕組みだ。
ならば余計にメイラたちが交渉する隙も無いのではないか、という仮定が現れるわけだが、それは逆に優れた『神官』であるからこそ交渉できるともいえる。
彼らは一言で言い表すならば、真面目。
ひたすらに皆の事を考え、何をするべきかを常に考えている。
だからこそ――戦争が正しいと思えない者も現れてくるわけだ。そういう者を、メイラは勧誘する。
彼女の言う『導き』という魔法によって、『その可能性のある者』を探す。そして交渉。――それがメイラの思い描く道筋。
ただしあくまで可能性のある者を探すにすぎないため、断られることも考えている。それはやってみなければ分からない、といったところだ。
「礼拝堂……あたしは来るのは初めてだけど、大きいわねー。無駄に」
「そのものずばりだ」
ただし、礼拝堂で行政を行っているとはいえ、もちろん本来の使い方だって兼ねている。
中に入っているメイラたちだけでなく、ほかの人々もちらほら目に付く。こういう光景から、『パラ教』の信仰度が伺えるというものだ。
「ねえ、あの石像みたいなのって何なの?」
「あれはですね、なんでも『神魔戦争』での神様3人の姿らしいです」
と、メルミナが解説口調で語る。
「『パラ教』というのは、あの神様たちに感謝しましょー、的な宗教ですから、皆さんはあの石像みたいなのに向かってお祈りするわけです」
「ふぅん……あれが……」
そう小さな声で呟き、メイラはしばらく無言。
ルゥラナからしてみれば、その無言というのが気まずいらしく、ついいつも話しかけてしまう。
「どうした?」
「ん。なんでも」
まあ、理由を話してもらえたことはほとんどないが。
そのことについて、実はルゥラナは一人で悲しんでいるのだが、もちろん誰も知るわけがない。
「……ところでよ」
そういえば、といった口調で、思い出したかのようにルゥラナが話す。
「メイラの言う『導き』っていうのは……本当にあてになるのか?俺からしてみれば、ただの勘で動いているようにしか見えんのだが。俺らには禁術ってのはよく分からねえしさ」
「ふふふ、甘いわね。『導き』を馬鹿にしちゃー駄目よ。これだって立派な禁術。過去にあたしはこれに何度助けられたことか」
「周りからしてみれば、お前ってただ単に勘で動いているように見えただろうよ」
「いーのいーの、理解できる人だけ理解してれば。そんなのテキトーテキトー」
と言って、パタパタと扇で扇ぐメイラ。実はルゥラナはそれが(涼しそうなのが)羨ましいと思っていたりする。
比較的夏は涼しく冬場もそこまで冷え込まないという、まさにうってつけのこの地域であるけれど、それでも夏は夏。暑くないなどというのは決してない。
「さーてとっ」
パチン、と見事に扇を閉じて、メイラは言う。
「行きましょっか」
『神官』とはつまり、この町での一番の権力者ということだ(ただし、こういう中都市ともなると何人かいたりするが)。
必然、そうなれば建物の中の奥の方に部屋があるということなので、そこで働いている人に案内を頼むことになる。しかし、やはりというべきか『神官』とて多忙人だ。先に話をつけていなければ会うことはできないそうで。
「そこをなんとかっ!このとーり。……駄目?」
「そう言われてもですね、規則は規則ですので、また後日予約を取ってからということでお願いします」
「……けち」
メイラが見苦しくも女であるということを利用してみたが、流石は信者。そう上手くいくわけがなかった。
ルールを守らないというわけにもいかず、そろそろ折れてまた後日にするか……と考え始めていたルゥラナだったが、メイラはまだ諦めきれないらしく、ついに、
「……むか」
きれた。
「そう、そうなの。ふふふ、あんたがどうされたいのか、あたしはよく分かったわ」
「……おい、変な騒ぎは起こすなよ」
ボソッと、相手には聞こえないように呟く。しかし、彼のそんな苦労など無に帰すかのように、彼女は謳う。
「『記憶は流転し変化する。汝が為すべきこと、その身に宿れっ!』」
再び扇を取り出し、広げ、そしてその信者(男)に扇を向ける。
メイラが言っていた、『武器は扇』という発言。あれは冗談などではなく事実だ。ただし直接それで攻撃するのではなく、魔法の媒体。つまりは魔法の威力向上武器、とでも言うべきなのか。
仕組みについては説明のすることが出来ないものの、扇を動かす事で空気中の魔力を集め、そして楽に魔法が使えるようにするというものらしい。
そして扇を向けられた男は、一瞬微かに体が光り、はっとしたかのようになって言う。
「……私は、誰でしたっけ」
「……」
ルゥラナは心の中で叫ぶ。
(やりすぎだろぉぉぉぉぉぉぉっ!)
そのものずばりだ。
「(ちょい待てメイラ。何をどうしたのか俺には判断しかねるが、これは流石にやりすぎだろ。なんだかだいぶ記憶失ってる風じゃねえ!?)」
「(大丈夫、そこまではしてない……はず)」
随分頼りない返答だった。
「ええーっと。あんたが誰かなんてどうでもいいとして、あんたは『神官』の所にあたしたちを連れて行ってくれたらいいの。理解オーケー?」
「『神官』……?ああ、そうでした、思い出しました。……ええと、私は『神官』シノイ=サルルーナ様の所へあなたたちを連れて行けばいい……のですか?」
「そうそう」
なんとか相手も記憶を取り戻したようで一安心だったルゥラナだった。
ちなみにこのとき、レクシスとメルミナは、
「この禁術……使えるっ!」
「使えますねっ」
「まてまて二人とも。お前らさっきの禁術悪用する気満々だろ」
「あのような魔法を悪用せずにいることがどうしてできようか、いやできない!」
「いや、我慢しろよ」
色んな意味で、この先が不安になったルゥラナだった。
最初からこんな調子で進んでいいものなのか、とても疑問に思った。
ただ、強いてメイラを止めはしなかったので、彼とて案外この状況を楽しんでいるのかもしれない。なんだかんだと言いつつも、いつも彼は止めもせず、たまに自分だってそれに参加することだってあるのだから。
そして、メイラ一行と、若干記憶が混乱している奴一名は、『神官』であるシノイ=サルルーナという人の部屋へと向かい、そして足を踏み入れた。
シノイ=サルルーナ。
性別は男。『神官』であり、このランドルーザでのトップだ。
民からの信頼も厚く、戦闘における実力も高いという噂だ。
戦闘スタイルは剣と銃の組み合わせだそうで、その状況に応じてそれぞれを使い分ける。共に扱いは一流らしい。
……というのが、メイラたちがシノイという人の部屋へ向かう最中にメルミナから聞いた、その人の情報だ。それを語る時の彼女の上機嫌さといえば、それはもう文字としては残せないほどのものであったため、ここでは記せない。彼女としては、やっと自分のテリトリーが来た事でよっぽど嬉しかったんだろう。
「……ねえ、信者A。まだシノイって人のところにつかないの?」
「さすがにAはやめてください……」
「じゃ、Bで」
何度目になるか分からない二人のやり取りだった。もちろん、そんなに時間が経っているわけではない。所詮は同じ建物の中にある部屋へ行くに過ぎないのだから、それはそうだろう。それにもかかわらず、メイラはさっきから10秒に一回ぐらいの頻度で信者Bに話しかけているのだった。迷惑極まりないだろう、彼としては。
しかし、ついに彼が一つの部屋の前で立ち止まった。
やっと着いたということで、信者Bはこっそりとため息をついていたりする。もちろんメイラには見えないように。
「着きましたよ」
「はいはいー、お役目ごくろーさま。じゃ、バイバイ」
「……いくら信者Bとはいえ、扱いが酷くないですか」
「相手してもらえるだけでも感謝してちょうだい」
「……そうですか」
何を言ったところで無駄であると、彼はこの短時間で分かったようだ。
これ以上はあえて反抗せず、言われたとおりにこの場を立ち去った。
「さて、邪魔者はいなくなったことだし、さっさと入りましょうか」
「あいつ可哀想じゃねえ!?」
「別に。悲劇のヒロインはあたしだけだもん」
「すっげえ自意識過剰っ!」
「ほら、ルゥ、さっさと扉を開けなさい。信者Bの遺志を無駄にするつもり?」
「俺を無視するはまだいいにしても、いい加減あいつ弄りやめねえ?」
「やだ」
「やっぱり?」
コンコン、とルゥラナはドアをノックした。やはり彼はなんだかんだ言いつつもやる羽目になっているが、まあそれはそれ。
しかし、しばらく待ってみても一向に返事は無い。
少しメイラが逡巡するそぶりを見せてから、一歩前へ進み、それから思いついたかのように彼女は言った。
「これは……事件のにおいっ!」
「んなわけねーだろ」
とりあえずルゥラナは彼女を背後から蹴った。顔面からドアにぶつかることになり、結果、二回目のノックの代わりとなってルゥラナ的には一石二鳥だった。そのまま彼女は地面に倒れこむ。
むくり、と彼女はゆっくりと顔を起こして、ルゥラナの方を見てから叫ぶ。
「……ぐはぁっ!!!!!!」
「そんなに強くは蹴ってねえよ!?」
物凄い演技だった。なぜか血を吐くかのような演技だったが、なぜそれをチョイスしたかは不明だった。
「ぐ、があああああっ!」
「ああぁぁぁぁぁっ!」
「お前らには何一つやってねえ!」
悪乗りしている奴が若干二名ほど、そこにいた。
この光景、もしも誰か第三者に見られようものなら、異常者の集団だと思われた事だろう。そういう意味で、信者Bをこの場から遠ざけたのは正解だったと言える。皮肉にも。
「こうなればルゥ君、君に残された道は一つしかない。分かるかい?」
「……そういえば、別に俺がしなきゃいけないなんてこともないんだよな。よし、メルミナ、行け」
「婦女暴行です」
「なんでだよ」
「メルちゃんはものすごく疑問です。どうしてそこでメルちゃんに話を振るんですか。レディーファーストですよ、ルゥお兄ちゃん」
「……それ、墓穴掘ってねえか?」
「ですね」
「うん、まあそのなんだ、その潔さは簡単に値するな、本当に。ところでメルミナ」
「なんですかルゥお兄ちゃん」
「お前、なんか初対面の時と一人称変わってねえか?」
「気のせいですよルゥお兄ちゃん。メルちゃんは決して、レクお兄ちゃんからそう言うように、と脅されてなんかいません」
「はあ。……そんなことしてんのか、レクシス」
「変態としては、というより私個人として、なんとなくそっちの方がストライクゾーン真ん中近めだったからね。メルちゃんを脅して、そう言うようにさせているんだよ。ああ、素晴らしきこの響き!」
「……やっぱあんたは人間として間違っているよ」
「そりゃね。私は人間ではない。変態だ」
というところまでを聞いたところで、ルゥラナは今度はドアを開けた。これ以上、ノックする必要もないだろうという考えに至ったからだ。
ドアを開けたところで部屋の中を見回してみたが、案の定中には誰もいなかった。ついさっきまではいたかのような雰囲気が漂っていたが、今は留守のようだった。
「ふぅん……」
シノイという人には悪いかもしれないが、とりあえず部屋の中で待とう、という風にルゥラナは考えた。元々正攻法ではないので、一種の自棄みたいなものだ。
そしてルゥラナは部屋に足を踏み入れた。
カチャ
と、彼の頭の付近で音がした。
「……動くな。手を上げろ」
ルゥラナは言われた通りに行動する。
ドアの後に隠れていたと思われる、その男。動けないためルゥラナからは姿が見えないが、声から男であると判断できる。状況からして、その男がシノイ=サルルーナ本人であると考える。
「……随分と僕の部屋の前で賑やかにしていたみたいだけれど――君たちは誰だ?信者Bが連れてきたのは間違いないようだけれど、君たちは正攻法で僕に会おうとしていない。違う?」
「まあな」
思ったより最初からあの信者との会話を聞かれていたようだった。冗談を織り交ぜて話すのは、余裕があるという証拠だろうか。それともただ単に場を和ませるため――は、流石にないだろうとルゥラナは心の中で思っていた。ちなみにもちろん、さっきの会話は全て筒抜けだったようだ(隠そうという努力すらなかったから当然だ)。
「目的はなんだ」
「さあ。俺はよくは知らない。そこにいる赤い方の妹にでも訊いてくれ」
ルゥラナも若干冗談を織り交ぜて返す。シノイも少し失笑する。
「だ、そうだけれど、赤い御方。僕の家計がどうなってもいいというなら答えなくても構わないけれど」
「……家計?」
思わずルゥラナが訊き返す。この場面で『家計』という言葉の意味するところが理解できなかったようだ。
「そう、家計。銃の弾だってね、案外高いってこと知ってる?」
「あー、……なるほど。……ってものすごい遠回りじゃねえ!?」
「いや、殺すって直に言うのってさ、気が引けるでしょ?」
ものすごく遠回りな上、ものすごく分かりづらかった。それを訊かずに理解しろというのはいささか無茶というものだ。
「速攻で撃ち殺されなかっただけでも感謝しときなさい、ルゥ」
「……だな」
メイラの言に納得するところがあるのか、珍しく彼は反抗しなかった。もしかしたら、むしろこの状況に開き直っているのかもしれない。油断していたわけではないといえ、実質今の彼は人質状態だ。返す言葉も無いということかもしれない。
「……君が、君たち4人の中での代表だね?」
「ええ。メイラ=シュライナ。それがあたしの名前。あんたが『神官』シノイ=サルルーナね?」
「御察しの通りです。僕がシノイ=サルルーナ。『天空の契約(サンライトスカイ)』、の方が皆さんはご存知でしょうが」
それを聞いたところで、ルゥラナは感嘆の声を洩らした。
ルゥラナとて冒険者の中では大分名が売れている部類だったが、その『天空の契約』というのもそれに劣らずだったのだ。だが彼は何年か前に冒険者を辞めて、今ではどこかの国の町の中でひっそり過ごしている……という噂を聞いたことがルゥラナにはあったのだ。
それは結構昔のことであるので、当時まだ子供であったルゥラナの名前はまだ売れていなかったとはいえ、もし今現在も彼が冒険者を続けていたのであれば、彼のほうがルゥラナよりも名が売れていたであろうことは言うまでもない。
ルゥラナはそんな人物が過去にいたということを忘れてはいたものの、言われたところで思い出したのだった。
「とりあえず、ルゥから銃を下げてくれないかしら。そんなのじゃまともに話すらできないわよ。別にあたしたちはあんたと争う気なんてさらさら無いんだから」
「……そちらに有利な状況を、むざむざとくれてやる道理なんてないよ」
「とかなんとか言っちゃって。どっちでも同じでしょ、その銃、弾なんて入ってないじゃない」
「……ご名答」
試しに彼が引き金を引いてみるが、メイラの言う通り弾は出なかった。したのはカチッという音のみ。
それを確認してからルゥラナは大きなため息をつき、改めてシノイという男を観察する。
見た目は、二十台のような三十台のようなよく分からない顔であったが、雰囲気から三十は過ぎているようだった。大人びているというのか、貫禄のようなものもある気がした。
彼の、たった今までルゥラナに押し当てられていた銃はリボルバー式の銃だった。相当に使い込まれていると見えた上に、手入れも大分行き届いている――そんな様子だった。おそらく、彼の現役時代からの愛銃にちがいない。
そして噂に寸分違わず、腰には一本の長剣も提げられていた。見た目では、そんなにたいした業物という風には見えなかったものの、おそらくこちらも彼の愛剣ということなんだろう。
メイラたちは全員部屋へ入り、そして部屋を見回す。シノイはいつのまにやらルゥラナの前ではなく、既に彼女たちの正面に立っていて、そして彼女たちに座るように促した。この辺りは流石な手際というべきだろう。
「来客の予定がなかったものだから、あまりいいもてなしはできないけれど、どうかくつろいでくれて構わない」
それでも彼は人数分の飲み物それぞれに出してくれた。飲み物は酢だった。
「なんでだよっ!?」
「いや、冗談が必要かと思ったから」
よく分からない冗談のタイミングだった。
「さて、じゃあ用件を言ってもらおうかな」
「その前に」
と、ここでレクシスが会話を打ち切る。彼にしては珍しく顔が真剣で、故に全員が固唾を呑んだ。
「……君は、変態かい?」
「……あの、どうして初対面でそんなことを言われないといけないのか甚だ疑問なんですが、なにか理由はあるんですか?」
「いや、君も変態だったら後で語り合おうと思ってね」
「仮定の確立低すぎくないですか!?」
シノイが狼狽する。ここにきて初めての反応であったけれど、なんとも悲しい初めてであった。
「まあそこの変態の兄は放っておくとして、ところであんたあたしの仲間にならない?」
「こっちはこっちでものすごい唐突!」
むしろシノイは開き直っていた。その潔さが意外過ぎたにちがいない。いくら部屋に入る前にも似たようなことがあったといえ、まさか部屋に入ってからもあるとは思っていなかったんだろう。
「いえ、とりあえずその唐突さはあえて流させてもらいましょう。とりあえず、とりあえず話は聞かせてください」
狼狽しつつも、流石の貫禄(?)。どうにかして適応しようとしている。なんとも哀しい努力だった。
「……『パラ教』をあるべき形に戻す」
「……え?」
シノイはきょとん、とする。
「つまり、『パラ教』に反逆しようってこと」
「ま、待つんだ。君は、『神官』である僕にそんなことを言いに来たのか?」
別の意味で狼狽したかのように答えるシノイ。
それはそうだ。『神官』である彼にそんなことを言う奴など普通はいないはずなのだから。
「そうよ、悪い?」
「いや……。……分かった、話を続けてくれ」
「物分りがよくて助かるわ。……なにも、あたしは『パラ教』を潰そうだなんてしていないのよ。ただ、今の『パラ教』が決して正しいとはいえないと思ったから、それをあるべきものに戻したい、そういうこと」
「君の言わんとすることは、つまり?」
「あんたは、今の『パラ教』が他国に戦争をしかけることをどう思う?」
「……」
ここに至って、ついにシノイはメイラの言いたいことが分かったようだ。無言、つまりメイラの言わんとすることに賛同しているということだ。まあもちろん、それと反逆するかなどというのはまた別の話なのだが。
「あたしは、決して正しいとはいえないと思う。あんただってそのはずよ。無理に世界を統一したところで、そんな仮初めの平和なんてすぐに壊れるわ。たしかに一時は平和になるでしょうね。けれど、そこに至るまでに何人が死ぬと思う?その犠牲は、そんな一時の平和なんかよりもよっぽど重い。あたしだって、別に世界の統一が悪いだなんて言わないわ。ただ、その方法が気に入らないだけ。だったら他に方法があるのか、なんて訊かれたって分からないわよ、もちろん。それが分からないからこそ、今この世界に多くの国が存在するのだから。これがただの自己満足だってことも理解はしてる。多くの人々が今の『パラ教』の行為を認めているということは、それが正義であって、つまりあたしはただの悪でしかない。それだって理解しているわ」
「……たしかに、」
しばらくメイラの言を吟味した末に、シノイは答える。その表情からは何を思うのかは見ることが出来ないけれど、それでも彼が言わんとすることは分かる。
「僕は『神官』だ。けれど、君の言う通り戦争行為にはどうしても賛成できない。『神官』である前の、一人の個人としての意見だけれどね。だけど、『神官』としてはそれはそれで一つの救いなのだと思ってもいる。世界のね」
個人としては賛同できるが、『神官』としては賛同できない。つまりはそういうこと。彼自身、どちらの自分に従うべきかを悩んでいるにちがいない。改革を目指すなら、これほどのチャンスはそうそうない。彼からしてみればメイラがどれほどの強さなのかは分からないだろうけれど、それでも改革において仲間というのは必須で、とても重要だ。無視できるような存在ではない。
「……だったらどうする?あたしの仲間になってくれるか、それともあたしを異端者として『神徒』に報告するか。……あるいは、今回のことを聞かなかったことにして今まで通り過ごすという選択肢もあるわけだけど」
「……」
それからどれぐらいの時間が経っただろうか。
数十秒だったかもしれないし、あるいは数分だったかもしれない。短かったような、長かったような、そんな時間が過ぎた。
そして、ついにシノイがメイラに返事をする。
「考える時間がほしい。そして、君たちの強さも測りたい」
彼としては、そう言うのが精一杯だった。賛成するかしないかを今の段階で自分で考えられない以上、もちろん考える時間が要る。それはいくらメイラといえども予想していたことだ。
ただし、少々予想外といえば予想外だったのは後半だった。まあ、それにしたところで、ある意味当然なのだから一応は予想の範囲内だったが。こういう風に直接的に言われると思っていなかっただけだ。
「いいわよ、もちろん。……じゃあ、強さを測るっていうのはどうしたらいいわけ?あんたと戦うの?」
「いや、それが手っ取り早いんだけれど、今の僕は『神官』だからね。できればそういった決闘事は避けたいかな。面目っていうのがあるからね。それより、もっと簡単な方法がある」
「へぇ、どんな?」
「実は明日、この町で祭りが行われることになっていてね。その時に開かれる、あるイベントに参加してほしい」
「……金魚すくい?」
「君は何の実力を試すつもりなんだ……。そうじゃない、なんのことはない、ただの『剣舞』だよ」
『剣舞』。『パラ教』の用語であるが、つまりは決闘みたいなものだ。一対一の、何かの揉め事などがあった時に行われる勝負。最近ではそれの意味が若干変化して、一対一の戦いの事を言うようになったのだが、シノイが言う場合の『剣舞』というのはおそらく、見世物としての戦いのことだ。
祭りなどで行われて、何人かの腕自慢が参加して優勝者に褒美を与える。たいした話じゃない、それだけだ。
「それに、リーダーである君が参加してほしい。僕はそれを見た上で、翌日に返事をしよう。それでどうかな」
「それぐらいなら容易い御用ね。いいわ、あたし直々にその話に乗ってあげる。感謝しまくりなさい」
「気が向いたらね」
この日の話はこれで終わり、それからしばらくはどうでもいい話をしていた。シノイに人望があるというのも、その会話の中で4人は納得できた。初対面であったはずなのに、あまりそうとは感じさせないような親近感。にもかかわらず、一線は理解して、必要以上に相手の事情にに踏み込みはしない。まさに『神官』の鑑ともいえる人だった。
その後4人は、シノイに手配してもらった宿屋へと向かい(この辺りは、やはりちゃっかりしている)、そしてその夜を明かした。嵐の前の静けさ……とは言わないまでも、それでもたしかにその夜は静かであった。
性別は男。『神官』であり、このランドルーザでのトップだ。
民からの信頼も厚く、戦闘における実力も高いという噂だ。
戦闘スタイルは剣と銃の組み合わせだそうで、その状況に応じてそれぞれを使い分ける。共に扱いは一流らしい。
……というのが、メイラたちがシノイという人の部屋へ向かう最中にメルミナから聞いた、その人の情報だ。それを語る時の彼女の上機嫌さといえば、それはもう文字としては残せないほどのものであったため、ここでは記せない。彼女としては、やっと自分のテリトリーが来た事でよっぽど嬉しかったんだろう。
「……ねえ、信者A。まだシノイって人のところにつかないの?」
「さすがにAはやめてください……」
「じゃ、Bで」
何度目になるか分からない二人のやり取りだった。もちろん、そんなに時間が経っているわけではない。所詮は同じ建物の中にある部屋へ行くに過ぎないのだから、それはそうだろう。それにもかかわらず、メイラはさっきから10秒に一回ぐらいの頻度で信者Bに話しかけているのだった。迷惑極まりないだろう、彼としては。
しかし、ついに彼が一つの部屋の前で立ち止まった。
やっと着いたということで、信者Bはこっそりとため息をついていたりする。もちろんメイラには見えないように。
「着きましたよ」
「はいはいー、お役目ごくろーさま。じゃ、バイバイ」
「……いくら信者Bとはいえ、扱いが酷くないですか」
「相手してもらえるだけでも感謝してちょうだい」
「……そうですか」
何を言ったところで無駄であると、彼はこの短時間で分かったようだ。
これ以上はあえて反抗せず、言われたとおりにこの場を立ち去った。
「さて、邪魔者はいなくなったことだし、さっさと入りましょうか」
「あいつ可哀想じゃねえ!?」
「別に。悲劇のヒロインはあたしだけだもん」
「すっげえ自意識過剰っ!」
「ほら、ルゥ、さっさと扉を開けなさい。信者Bの遺志を無駄にするつもり?」
「俺を無視するはまだいいにしても、いい加減あいつ弄りやめねえ?」
「やだ」
「やっぱり?」
コンコン、とルゥラナはドアをノックした。やはり彼はなんだかんだ言いつつもやる羽目になっているが、まあそれはそれ。
しかし、しばらく待ってみても一向に返事は無い。
少しメイラが逡巡するそぶりを見せてから、一歩前へ進み、それから思いついたかのように彼女は言った。
「これは……事件のにおいっ!」
「んなわけねーだろ」
とりあえずルゥラナは彼女を背後から蹴った。顔面からドアにぶつかることになり、結果、二回目のノックの代わりとなってルゥラナ的には一石二鳥だった。そのまま彼女は地面に倒れこむ。
むくり、と彼女はゆっくりと顔を起こして、ルゥラナの方を見てから叫ぶ。
「……ぐはぁっ!!!!!!」
「そんなに強くは蹴ってねえよ!?」
物凄い演技だった。なぜか血を吐くかのような演技だったが、なぜそれをチョイスしたかは不明だった。
「ぐ、があああああっ!」
「ああぁぁぁぁぁっ!」
「お前らには何一つやってねえ!」
悪乗りしている奴が若干二名ほど、そこにいた。
この光景、もしも誰か第三者に見られようものなら、異常者の集団だと思われた事だろう。そういう意味で、信者Bをこの場から遠ざけたのは正解だったと言える。皮肉にも。
「こうなればルゥ君、君に残された道は一つしかない。分かるかい?」
「……そういえば、別に俺がしなきゃいけないなんてこともないんだよな。よし、メルミナ、行け」
「婦女暴行です」
「なんでだよ」
「メルちゃんはものすごく疑問です。どうしてそこでメルちゃんに話を振るんですか。レディーファーストですよ、ルゥお兄ちゃん」
「……それ、墓穴掘ってねえか?」
「ですね」
「うん、まあそのなんだ、その潔さは簡単に値するな、本当に。ところでメルミナ」
「なんですかルゥお兄ちゃん」
「お前、なんか初対面の時と一人称変わってねえか?」
「気のせいですよルゥお兄ちゃん。メルちゃんは決して、レクお兄ちゃんからそう言うように、と脅されてなんかいません」
「はあ。……そんなことしてんのか、レクシス」
「変態としては、というより私個人として、なんとなくそっちの方がストライクゾーン真ん中近めだったからね。メルちゃんを脅して、そう言うようにさせているんだよ。ああ、素晴らしきこの響き!」
「……やっぱあんたは人間として間違っているよ」
「そりゃね。私は人間ではない。変態だ」
というところまでを聞いたところで、ルゥラナは今度はドアを開けた。これ以上、ノックする必要もないだろうという考えに至ったからだ。
ドアを開けたところで部屋の中を見回してみたが、案の定中には誰もいなかった。ついさっきまではいたかのような雰囲気が漂っていたが、今は留守のようだった。
「ふぅん……」
シノイという人には悪いかもしれないが、とりあえず部屋の中で待とう、という風にルゥラナは考えた。元々正攻法ではないので、一種の自棄みたいなものだ。
そしてルゥラナは部屋に足を踏み入れた。
カチャ
と、彼の頭の付近で音がした。
「……動くな。手を上げろ」
ルゥラナは言われた通りに行動する。
ドアの後に隠れていたと思われる、その男。動けないためルゥラナからは姿が見えないが、声から男であると判断できる。状況からして、その男がシノイ=サルルーナ本人であると考える。
「……随分と僕の部屋の前で賑やかにしていたみたいだけれど――君たちは誰だ?信者Bが連れてきたのは間違いないようだけれど、君たちは正攻法で僕に会おうとしていない。違う?」
「まあな」
思ったより最初からあの信者との会話を聞かれていたようだった。冗談を織り交ぜて話すのは、余裕があるという証拠だろうか。それともただ単に場を和ませるため――は、流石にないだろうとルゥラナは心の中で思っていた。ちなみにもちろん、さっきの会話は全て筒抜けだったようだ(隠そうという努力すらなかったから当然だ)。
「目的はなんだ」
「さあ。俺はよくは知らない。そこにいる赤い方の妹にでも訊いてくれ」
ルゥラナも若干冗談を織り交ぜて返す。シノイも少し失笑する。
「だ、そうだけれど、赤い御方。僕の家計がどうなってもいいというなら答えなくても構わないけれど」
「……家計?」
思わずルゥラナが訊き返す。この場面で『家計』という言葉の意味するところが理解できなかったようだ。
「そう、家計。銃の弾だってね、案外高いってこと知ってる?」
「あー、……なるほど。……ってものすごい遠回りじゃねえ!?」
「いや、殺すって直に言うのってさ、気が引けるでしょ?」
ものすごく遠回りな上、ものすごく分かりづらかった。それを訊かずに理解しろというのはいささか無茶というものだ。
「速攻で撃ち殺されなかっただけでも感謝しときなさい、ルゥ」
「……だな」
メイラの言に納得するところがあるのか、珍しく彼は反抗しなかった。もしかしたら、むしろこの状況に開き直っているのかもしれない。油断していたわけではないといえ、実質今の彼は人質状態だ。返す言葉も無いということかもしれない。
「……君が、君たち4人の中での代表だね?」
「ええ。メイラ=シュライナ。それがあたしの名前。あんたが『神官』シノイ=サルルーナね?」
「御察しの通りです。僕がシノイ=サルルーナ。『天空の契約(サンライトスカイ)』、の方が皆さんはご存知でしょうが」
それを聞いたところで、ルゥラナは感嘆の声を洩らした。
ルゥラナとて冒険者の中では大分名が売れている部類だったが、その『天空の契約』というのもそれに劣らずだったのだ。だが彼は何年か前に冒険者を辞めて、今ではどこかの国の町の中でひっそり過ごしている……という噂を聞いたことがルゥラナにはあったのだ。
それは結構昔のことであるので、当時まだ子供であったルゥラナの名前はまだ売れていなかったとはいえ、もし今現在も彼が冒険者を続けていたのであれば、彼のほうがルゥラナよりも名が売れていたであろうことは言うまでもない。
ルゥラナはそんな人物が過去にいたということを忘れてはいたものの、言われたところで思い出したのだった。
「とりあえず、ルゥから銃を下げてくれないかしら。そんなのじゃまともに話すらできないわよ。別にあたしたちはあんたと争う気なんてさらさら無いんだから」
「……そちらに有利な状況を、むざむざとくれてやる道理なんてないよ」
「とかなんとか言っちゃって。どっちでも同じでしょ、その銃、弾なんて入ってないじゃない」
「……ご名答」
試しに彼が引き金を引いてみるが、メイラの言う通り弾は出なかった。したのはカチッという音のみ。
それを確認してからルゥラナは大きなため息をつき、改めてシノイという男を観察する。
見た目は、二十台のような三十台のようなよく分からない顔であったが、雰囲気から三十は過ぎているようだった。大人びているというのか、貫禄のようなものもある気がした。
彼の、たった今までルゥラナに押し当てられていた銃はリボルバー式の銃だった。相当に使い込まれていると見えた上に、手入れも大分行き届いている――そんな様子だった。おそらく、彼の現役時代からの愛銃にちがいない。
そして噂に寸分違わず、腰には一本の長剣も提げられていた。見た目では、そんなにたいした業物という風には見えなかったものの、おそらくこちらも彼の愛剣ということなんだろう。
メイラたちは全員部屋へ入り、そして部屋を見回す。シノイはいつのまにやらルゥラナの前ではなく、既に彼女たちの正面に立っていて、そして彼女たちに座るように促した。この辺りは流石な手際というべきだろう。
「来客の予定がなかったものだから、あまりいいもてなしはできないけれど、どうかくつろいでくれて構わない」
それでも彼は人数分の飲み物それぞれに出してくれた。飲み物は酢だった。
「なんでだよっ!?」
「いや、冗談が必要かと思ったから」
よく分からない冗談のタイミングだった。
「さて、じゃあ用件を言ってもらおうかな」
「その前に」
と、ここでレクシスが会話を打ち切る。彼にしては珍しく顔が真剣で、故に全員が固唾を呑んだ。
「……君は、変態かい?」
「……あの、どうして初対面でそんなことを言われないといけないのか甚だ疑問なんですが、なにか理由はあるんですか?」
「いや、君も変態だったら後で語り合おうと思ってね」
「仮定の確立低すぎくないですか!?」
シノイが狼狽する。ここにきて初めての反応であったけれど、なんとも悲しい初めてであった。
「まあそこの変態の兄は放っておくとして、ところであんたあたしの仲間にならない?」
「こっちはこっちでものすごい唐突!」
むしろシノイは開き直っていた。その潔さが意外過ぎたにちがいない。いくら部屋に入る前にも似たようなことがあったといえ、まさか部屋に入ってからもあるとは思っていなかったんだろう。
「いえ、とりあえずその唐突さはあえて流させてもらいましょう。とりあえず、とりあえず話は聞かせてください」
狼狽しつつも、流石の貫禄(?)。どうにかして適応しようとしている。なんとも哀しい努力だった。
「……『パラ教』をあるべき形に戻す」
「……え?」
シノイはきょとん、とする。
「つまり、『パラ教』に反逆しようってこと」
「ま、待つんだ。君は、『神官』である僕にそんなことを言いに来たのか?」
別の意味で狼狽したかのように答えるシノイ。
それはそうだ。『神官』である彼にそんなことを言う奴など普通はいないはずなのだから。
「そうよ、悪い?」
「いや……。……分かった、話を続けてくれ」
「物分りがよくて助かるわ。……なにも、あたしは『パラ教』を潰そうだなんてしていないのよ。ただ、今の『パラ教』が決して正しいとはいえないと思ったから、それをあるべきものに戻したい、そういうこと」
「君の言わんとすることは、つまり?」
「あんたは、今の『パラ教』が他国に戦争をしかけることをどう思う?」
「……」
ここに至って、ついにシノイはメイラの言いたいことが分かったようだ。無言、つまりメイラの言わんとすることに賛同しているということだ。まあもちろん、それと反逆するかなどというのはまた別の話なのだが。
「あたしは、決して正しいとはいえないと思う。あんただってそのはずよ。無理に世界を統一したところで、そんな仮初めの平和なんてすぐに壊れるわ。たしかに一時は平和になるでしょうね。けれど、そこに至るまでに何人が死ぬと思う?その犠牲は、そんな一時の平和なんかよりもよっぽど重い。あたしだって、別に世界の統一が悪いだなんて言わないわ。ただ、その方法が気に入らないだけ。だったら他に方法があるのか、なんて訊かれたって分からないわよ、もちろん。それが分からないからこそ、今この世界に多くの国が存在するのだから。これがただの自己満足だってことも理解はしてる。多くの人々が今の『パラ教』の行為を認めているということは、それが正義であって、つまりあたしはただの悪でしかない。それだって理解しているわ」
「……たしかに、」
しばらくメイラの言を吟味した末に、シノイは答える。その表情からは何を思うのかは見ることが出来ないけれど、それでも彼が言わんとすることは分かる。
「僕は『神官』だ。けれど、君の言う通り戦争行為にはどうしても賛成できない。『神官』である前の、一人の個人としての意見だけれどね。だけど、『神官』としてはそれはそれで一つの救いなのだと思ってもいる。世界のね」
個人としては賛同できるが、『神官』としては賛同できない。つまりはそういうこと。彼自身、どちらの自分に従うべきかを悩んでいるにちがいない。改革を目指すなら、これほどのチャンスはそうそうない。彼からしてみればメイラがどれほどの強さなのかは分からないだろうけれど、それでも改革において仲間というのは必須で、とても重要だ。無視できるような存在ではない。
「……だったらどうする?あたしの仲間になってくれるか、それともあたしを異端者として『神徒』に報告するか。……あるいは、今回のことを聞かなかったことにして今まで通り過ごすという選択肢もあるわけだけど」
「……」
それからどれぐらいの時間が経っただろうか。
数十秒だったかもしれないし、あるいは数分だったかもしれない。短かったような、長かったような、そんな時間が過ぎた。
そして、ついにシノイがメイラに返事をする。
「考える時間がほしい。そして、君たちの強さも測りたい」
彼としては、そう言うのが精一杯だった。賛成するかしないかを今の段階で自分で考えられない以上、もちろん考える時間が要る。それはいくらメイラといえども予想していたことだ。
ただし、少々予想外といえば予想外だったのは後半だった。まあ、それにしたところで、ある意味当然なのだから一応は予想の範囲内だったが。こういう風に直接的に言われると思っていなかっただけだ。
「いいわよ、もちろん。……じゃあ、強さを測るっていうのはどうしたらいいわけ?あんたと戦うの?」
「いや、それが手っ取り早いんだけれど、今の僕は『神官』だからね。できればそういった決闘事は避けたいかな。面目っていうのがあるからね。それより、もっと簡単な方法がある」
「へぇ、どんな?」
「実は明日、この町で祭りが行われることになっていてね。その時に開かれる、あるイベントに参加してほしい」
「……金魚すくい?」
「君は何の実力を試すつもりなんだ……。そうじゃない、なんのことはない、ただの『剣舞』だよ」
『剣舞』。『パラ教』の用語であるが、つまりは決闘みたいなものだ。一対一の、何かの揉め事などがあった時に行われる勝負。最近ではそれの意味が若干変化して、一対一の戦いの事を言うようになったのだが、シノイが言う場合の『剣舞』というのはおそらく、見世物としての戦いのことだ。
祭りなどで行われて、何人かの腕自慢が参加して優勝者に褒美を与える。たいした話じゃない、それだけだ。
「それに、リーダーである君が参加してほしい。僕はそれを見た上で、翌日に返事をしよう。それでどうかな」
「それぐらいなら容易い御用ね。いいわ、あたし直々にその話に乗ってあげる。感謝しまくりなさい」
「気が向いたらね」
この日の話はこれで終わり、それからしばらくはどうでもいい話をしていた。シノイに人望があるというのも、その会話の中で4人は納得できた。初対面であったはずなのに、あまりそうとは感じさせないような親近感。にもかかわらず、一線は理解して、必要以上に相手の事情にに踏み込みはしない。まさに『神官』の鑑ともいえる人だった。
その後4人は、シノイに手配してもらった宿屋へと向かい(この辺りは、やはりちゃっかりしている)、そしてその夜を明かした。嵐の前の静けさ……とは言わないまでも、それでもたしかにその夜は静かであった。
ランドルーザの町で開かれる祭りというのは、思いのほか神国内では有名な部類に入るらしく、メイラたちが思っていたよりも多くの人が集まっていた。
メイラたちが参加する事になった『剣舞』は午後から始まるようで、それまでは各々の自由時間。
メイラはとりあえず祭りを楽しむらしく、出店巡りを。
ルゥラナはそういうのが嫌いではないものの、それでも好んではいないので、行き交う人々を眺めつつの休息。
レクシスは案の定というべきか、片っ端からナンパ(やりすぎて今回の祭りの一大名物になっていたというのはまた別の話)。
メルミナは最近休業していた『情報操師』としての仕事を久々にするらしく、どこかに行ってしまった。
それぞれが自由に行動しているものの、それでもやはり時間が過ぎ去るのは早いものだったようで、気がついたときにはもうすこしで『剣舞』が始まる、といった時間になっていた。そこはやはり祭りの力、とでも言うべきなのかもしれない。
本来なら『剣舞』に参加するには事前にエントリーしておかないといけないらしいが、今回に限っては特例であるため、シノイ自らがそういった手続きは済ませてくれた。その辺りは、流石『神官』であるとメイラたちは思った。
「じゃ、そろそろ行ってくるわ」
開始の十分ぐらい前になったので、メイラは言う。その辺りの常識は流石にしっかりしていたようだ。ルゥラナが予想していたのは開始してから登場、といったような常識外れをする、であったので、良い意味で予想を裏切ってくれたといえる。
「ルゥはあたしのことをどう思ってるのよ……」
「自己中」
「自己中じゃない、自分勝手なだけよ」
「同じじゃねえ!?」
「ちなみに私は変態だ」
「訊いてもねえし聞き飽きたしどうでもいいし!」
相変わらずというべきか、よく分からないところにこだわっていた。言葉の響きを大切にでもしたいのだろうか。それにレクシスにはルゥラナは一度たりとも話は振っていない。もしもここにメルミナが戻ってきていようものならば(まだ仕事とやらから戻ってきていないようだ)、彼女も「ちなみにメルちゃんは妹ちゃんです」などと言ったにちがいないだろう。目に見えている。
円形闘技場。
……とまでは言わないでも、それに近い施設がこの町にはあった。
なんでも、毎年の祭りでの『剣舞』用に数年前に作られたものらしい。普段は子供達の遊び場としても開放されているようで、そういう意味で民の事を考えているといえる施設だ。こういうことでも、信頼を集めているシノイだ。
とはいえ、今日は祭り。本来の用途に応じた使い方をするので、流石に今日は子供達はいない。いるにはいるが、今日彼らがいるのは観客席側。普段彼らが遊んでいる所にいるのは、神国中から(あるいは他国から)集まった腕自慢。ようするにほとんどが噂を聞きつけた冒険者だ。
『剣舞』のルールはいたって単純なトーナメント制。そして優勝した人に褒美を与える、というもの。
殺しはなし。子供たちだって見ているのだから、それは当然だ。そのため、剣を使う人は木刀もどき(木刀に魔法を使って重くしたりだとか、色々と細工したもの)を使うことになっていて、もちろん救護班も完備してある。なお、剣以外の武器も同様なものとなっている。
そして、ルゥラナとレクシスが特別席(参加者の付き添いみたいな人が使える、最前列の席)へと座った頃、やっとのことでメルミナが帰ってきた。そして同様に座る。
「どうも、遅れてごめんなさい」
「いや、まあまだ始まってないからいいんじゃないか?それより、お前は何してたんだよ」
「愚問ですよ、ルゥお兄ちゃん『情報操師』たるメルちゃんが顧客情報を漏洩するわけがないじゃないですか」
「んー、……そりゃそうか。だな」
「それよりもですね、お姉ちゃんはいつ登場するんですか?メルちゃん的にはそっちの方が気になっていたり」
「最初らしい。だからもう少ししたら出てくるんじゃないか?」
「なるほど、メルちゃん了解です」
という会話をしてから数分後、ルゥラナの予想通りすぐに現れた。観客の応援の声が彼女に投げられる。
今回の『剣舞』で、女性で最年少、それがメイラだった。女性というだけでもなかなか珍しい上に、あの年齢(見た目16歳)だから注目も集まるというものだ(案外可愛い部類だから余計かもしれない)。
対する、対戦相手の方はこの町の外から来た冒険者。昨年の『剣舞』でなかなかの好成績だったらしく、故にそちらも注目が集まっている。今年こそは優勝、という決意が瞳に見られる。
「あんたが、注目の『赤の美少女』か」
「へえ、あたしってば、そんな風にこの町で噂になってるんだ。うん、悪くない悪くない」
「……言っとくが、手加減するつもりなんてないからな」
「うんうん、その方がいいわよ。後悔、とまではいかないでも、死ぬかもしれないからね」
「……順序逆じゃないか?」
「うん、そうね」
戦闘開始については自由らしく、登場してからはいつでもいいということになっている。不意打ちも当然ありなのだから、両者共にそのタイミングを見計らっているというところか。ルゥラナたちも、真剣に見入る。初めてのメイラの戦いに。
そして、先手を取ったのは相手だった。
剣を抜き、一気にメイラへと間合いを詰める。見た目からして魔法使いであることは一目瞭然であるため、一気に接近することを選んだようだ。一撃で決める。そういう勢いだった。
対して、メイラがとった行動は、いたって単純なものだった。
扇を振る。
ただ、それだけだった。にもかかわらず、
「――っ!?」
相手は、吹き飛ばされた。不可視の力に吹き飛ばされたかのように。実際は、おそらく風を操ったんだろうと思われる。
さきほどまで彼がいた所を通り越して、壁まで吹っ飛ぶ。壁にぶつかった衝撃で、その破片が空中に舞う。
観客たちはその予想外の番狂わせに驚き、そしてしばらく理解が追いつかなかった。そこで起こった出来事を、まるで理解できなかった。
壁にぶつかった相手が、バタッと地面に落ちる。地面の土が、少しばかり舞った。
その頃になってようやく観客たちの理解も追いつき始め、そして同時に歓声が上がった。
『赤の美少女』の一瞬の勝利を、観客たちは良い意味での畏敬の念も込めて褒め称えた。
相手は起き上がらない。既に彼は気絶してしまっていた。まさに、これこそを一撃でのノックアウトというべきだろう。
しかし、ルゥラナたちが注目していたのはそんなことではなかった。
ついさっき、メイラが使った魔法。その、属性。
それは確実に、昨日礼拝堂で見せたそれとは異なっていた。『記憶』のようなものと、『風』との間に関連性があるとは思えなかった。
ルゥラナたちは、彼女の言う『禁術』というものの片鱗を、ここにきて初めて垣間見たような気がした。
それから何度かメイラの戦いがあったが、その時に使っていたのはすべて『風』属性。基本的に一回戦同様、一撃必殺であり、それ故観客の応援もどんどんと強まっていった。
ルゥラナたちからしてみれば予想通りだったが、終わってみればメイラは優勝。メイラ以外に飛び抜けて強い参加者がいなかったとはいえ、それでもやはり圧巻としか言いようがなかった。あまりにあっけなかったが、それはメイラの強さ故、ということなんだろう。
「それではここで、今回の『剣舞』優勝者であるメイラ=シュライナさんには、我らが町のリーダー、シノイ=サルルーナ様と一騎打ちをしていただきます」
と、司会の人がそう言うまで、ルゥラナたちはそう思っていた。
言われてから、ルゥラナたちは気づく。昨日シノイが言っていた言葉、『面目がある』。
ルゥラナたちは、なるほど、と思った。これだけ準備が整っているならば、彼の言う面目というのにも影響はすまい。町の人からしてみれば、シノイが昔は冒険者であったことは既知の事実であるだろうし、だからこそ、見世物としてシノイとの一騎打ちを企画したところで、それは一種の余興として認識されるはずだ。『神官』であったところで、それならば何も問題はない。
――そして、ついに『天空の契約』シノイ=サルルーナが登場した。
メイラたちが参加する事になった『剣舞』は午後から始まるようで、それまでは各々の自由時間。
メイラはとりあえず祭りを楽しむらしく、出店巡りを。
ルゥラナはそういうのが嫌いではないものの、それでも好んではいないので、行き交う人々を眺めつつの休息。
レクシスは案の定というべきか、片っ端からナンパ(やりすぎて今回の祭りの一大名物になっていたというのはまた別の話)。
メルミナは最近休業していた『情報操師』としての仕事を久々にするらしく、どこかに行ってしまった。
それぞれが自由に行動しているものの、それでもやはり時間が過ぎ去るのは早いものだったようで、気がついたときにはもうすこしで『剣舞』が始まる、といった時間になっていた。そこはやはり祭りの力、とでも言うべきなのかもしれない。
本来なら『剣舞』に参加するには事前にエントリーしておかないといけないらしいが、今回に限っては特例であるため、シノイ自らがそういった手続きは済ませてくれた。その辺りは、流石『神官』であるとメイラたちは思った。
「じゃ、そろそろ行ってくるわ」
開始の十分ぐらい前になったので、メイラは言う。その辺りの常識は流石にしっかりしていたようだ。ルゥラナが予想していたのは開始してから登場、といったような常識外れをする、であったので、良い意味で予想を裏切ってくれたといえる。
「ルゥはあたしのことをどう思ってるのよ……」
「自己中」
「自己中じゃない、自分勝手なだけよ」
「同じじゃねえ!?」
「ちなみに私は変態だ」
「訊いてもねえし聞き飽きたしどうでもいいし!」
相変わらずというべきか、よく分からないところにこだわっていた。言葉の響きを大切にでもしたいのだろうか。それにレクシスにはルゥラナは一度たりとも話は振っていない。もしもここにメルミナが戻ってきていようものならば(まだ仕事とやらから戻ってきていないようだ)、彼女も「ちなみにメルちゃんは妹ちゃんです」などと言ったにちがいないだろう。目に見えている。
円形闘技場。
……とまでは言わないでも、それに近い施設がこの町にはあった。
なんでも、毎年の祭りでの『剣舞』用に数年前に作られたものらしい。普段は子供達の遊び場としても開放されているようで、そういう意味で民の事を考えているといえる施設だ。こういうことでも、信頼を集めているシノイだ。
とはいえ、今日は祭り。本来の用途に応じた使い方をするので、流石に今日は子供達はいない。いるにはいるが、今日彼らがいるのは観客席側。普段彼らが遊んでいる所にいるのは、神国中から(あるいは他国から)集まった腕自慢。ようするにほとんどが噂を聞きつけた冒険者だ。
『剣舞』のルールはいたって単純なトーナメント制。そして優勝した人に褒美を与える、というもの。
殺しはなし。子供たちだって見ているのだから、それは当然だ。そのため、剣を使う人は木刀もどき(木刀に魔法を使って重くしたりだとか、色々と細工したもの)を使うことになっていて、もちろん救護班も完備してある。なお、剣以外の武器も同様なものとなっている。
そして、ルゥラナとレクシスが特別席(参加者の付き添いみたいな人が使える、最前列の席)へと座った頃、やっとのことでメルミナが帰ってきた。そして同様に座る。
「どうも、遅れてごめんなさい」
「いや、まあまだ始まってないからいいんじゃないか?それより、お前は何してたんだよ」
「愚問ですよ、ルゥお兄ちゃん『情報操師』たるメルちゃんが顧客情報を漏洩するわけがないじゃないですか」
「んー、……そりゃそうか。だな」
「それよりもですね、お姉ちゃんはいつ登場するんですか?メルちゃん的にはそっちの方が気になっていたり」
「最初らしい。だからもう少ししたら出てくるんじゃないか?」
「なるほど、メルちゃん了解です」
という会話をしてから数分後、ルゥラナの予想通りすぐに現れた。観客の応援の声が彼女に投げられる。
今回の『剣舞』で、女性で最年少、それがメイラだった。女性というだけでもなかなか珍しい上に、あの年齢(見た目16歳)だから注目も集まるというものだ(案外可愛い部類だから余計かもしれない)。
対する、対戦相手の方はこの町の外から来た冒険者。昨年の『剣舞』でなかなかの好成績だったらしく、故にそちらも注目が集まっている。今年こそは優勝、という決意が瞳に見られる。
「あんたが、注目の『赤の美少女』か」
「へえ、あたしってば、そんな風にこの町で噂になってるんだ。うん、悪くない悪くない」
「……言っとくが、手加減するつもりなんてないからな」
「うんうん、その方がいいわよ。後悔、とまではいかないでも、死ぬかもしれないからね」
「……順序逆じゃないか?」
「うん、そうね」
戦闘開始については自由らしく、登場してからはいつでもいいということになっている。不意打ちも当然ありなのだから、両者共にそのタイミングを見計らっているというところか。ルゥラナたちも、真剣に見入る。初めてのメイラの戦いに。
そして、先手を取ったのは相手だった。
剣を抜き、一気にメイラへと間合いを詰める。見た目からして魔法使いであることは一目瞭然であるため、一気に接近することを選んだようだ。一撃で決める。そういう勢いだった。
対して、メイラがとった行動は、いたって単純なものだった。
扇を振る。
ただ、それだけだった。にもかかわらず、
「――っ!?」
相手は、吹き飛ばされた。不可視の力に吹き飛ばされたかのように。実際は、おそらく風を操ったんだろうと思われる。
さきほどまで彼がいた所を通り越して、壁まで吹っ飛ぶ。壁にぶつかった衝撃で、その破片が空中に舞う。
観客たちはその予想外の番狂わせに驚き、そしてしばらく理解が追いつかなかった。そこで起こった出来事を、まるで理解できなかった。
壁にぶつかった相手が、バタッと地面に落ちる。地面の土が、少しばかり舞った。
その頃になってようやく観客たちの理解も追いつき始め、そして同時に歓声が上がった。
『赤の美少女』の一瞬の勝利を、観客たちは良い意味での畏敬の念も込めて褒め称えた。
相手は起き上がらない。既に彼は気絶してしまっていた。まさに、これこそを一撃でのノックアウトというべきだろう。
しかし、ルゥラナたちが注目していたのはそんなことではなかった。
ついさっき、メイラが使った魔法。その、属性。
それは確実に、昨日礼拝堂で見せたそれとは異なっていた。『記憶』のようなものと、『風』との間に関連性があるとは思えなかった。
ルゥラナたちは、彼女の言う『禁術』というものの片鱗を、ここにきて初めて垣間見たような気がした。
それから何度かメイラの戦いがあったが、その時に使っていたのはすべて『風』属性。基本的に一回戦同様、一撃必殺であり、それ故観客の応援もどんどんと強まっていった。
ルゥラナたちからしてみれば予想通りだったが、終わってみればメイラは優勝。メイラ以外に飛び抜けて強い参加者がいなかったとはいえ、それでもやはり圧巻としか言いようがなかった。あまりにあっけなかったが、それはメイラの強さ故、ということなんだろう。
「それではここで、今回の『剣舞』優勝者であるメイラ=シュライナさんには、我らが町のリーダー、シノイ=サルルーナ様と一騎打ちをしていただきます」
と、司会の人がそう言うまで、ルゥラナたちはそう思っていた。
言われてから、ルゥラナたちは気づく。昨日シノイが言っていた言葉、『面目がある』。
ルゥラナたちは、なるほど、と思った。これだけ準備が整っているならば、彼の言う面目というのにも影響はすまい。町の人からしてみれば、シノイが昔は冒険者であったことは既知の事実であるだろうし、だからこそ、見世物としてシノイとの一騎打ちを企画したところで、それは一種の余興として認識されるはずだ。『神官』であったところで、それならば何も問題はない。
――そして、ついに『天空の契約』シノイ=サルルーナが登場した。
やっとのことで登場したシノイと、『剣舞』優勝者であるメイラが対峙する。しばらく睨み合った二人だったが、はぁ、とメイラがため息をついた。
「……随分と、お膳立てしてくれたものね」
と、メイラは言う。その表情はどこか面倒くさそうな表情が見え隠れする。パタン、と扇を閉じた。
「最初から、あんたが出てくればよかったものを」
「悪いね、僕にも面目というのがあるからさ、勝手な私闘はできないんだよ。そんなことしたら、民の模範であることなんてできないだろう?」
「……ご大層な責任感だこと。ま、だからこそあんたを仲間にすることに意味があるわけなんだけど」
メイラが仲間にしたいのは『神官』だ。
だが、彼らを仲間にする事には、強い者を仲間にしたいからではなく、周囲への影響力が強いからという意味合いがある。『パラ教』内での地位だけでなく、民への影響力も強い。むしろ、そちらの方がメインであるといえる。
たとえ改革に成功したとしても、民の意識が変わらなければそれは代表が消えただけであり、それでは本当の意味での改革とは到底いえない。『神徒』を失脚させたところで、それでは本末転倒というものだ。
「あんたから先に攻撃してきていいわよ」
メイラは自信満々にそう言った。恐れるものは何一つ無い、とでも言わんばかりの表情だった。
「何を言う、ここは僕の顔を立てて、そっちから攻めてくれないと」
だか、対するシノイも余裕たっぷりに挑発する。面目、などと言っているが、実際はそれは余裕の表れでしかない。これまでのメイラの戦いぶりを見て、なおそんな態度がとれることに、メイラは珍しく相手を賞賛した。
「ふふん、いいわ、そういうの。あたしは嫌いじゃない。褒め殺してあげるから感謝してちょうだい」
「……一応、褒め言葉として受け取っておくよ」
苦笑いを浮かべるしかできないシノイだった。
と、ここでメイラはあることに気がつく。それは、さっきまでとは違った、ある相違点。
「ん、あんたは普通の長剣使うの?」
「ええ。締めくくりくらいは、緊張感があった方がいいかと思いまして。ああ、大丈夫ですよ、少々死にかけたって救護班だっていますから、たぶん死なないでしょうし」
「『たぶん』……」
これはまた、なんとも頼りない保証であった。
「もちろん銃だって実弾です。ええ、そうですとも、僕の家計は赤字です」
「そんなことを気にかけないでほしい……」
なんだか、シノイという人物は大人のような、子供のような、そんなのだな、とメイラは感じた。昨日の段階では大人な一面が多かったが、今日は意外性が多く見られた。隙を見計らっている、というのではないように見受けられたが、果たして真意は分からない。
「ま、いいわ。あんたの顔を立ててあげる。これまた、感謝しまくって――ねっ!」
そしてメイラがこれまで同様、扇をパッと開いて、振る。
目には見えないが、これまでと同じ流れでいうなら、シノイを風の刃が襲う。ヒュンヒュン、という風の音が会場に響く。
「その歳でその精度と威力。……感嘆に値するよ」
対して、シノイは――何もしなかった。
ただ、その場に立っていただけ。にもかかわらず、これまでの戦いとは違い、彼はなおその場に立っていた。まるで、何事も無かったかのように、彼はメイラの魔法を打ち砕いていた。
目には見えないというものの、それでも、その『風』が発していた音が彼に近づいた途端に消えたのだ。
「……なるほど、『退魔(アンチ・マジック)』か」
メイラが苦虫を噛みつぶしたかのような表情になる。彼女にしては珍しく、舌打ちまでしていた。
『退魔』。
簡単に言い表すならば、魔法を打ち消す魔法、といったところだ。もちろん相手の魔法の属性に合わせたりしないといけない、などの制約があるものの、それについてはさきほどまでのメイラの戦いを見ていたシノイにとっては造作もないことだ。
『退魔』属性、たしかにこれほどまでに魔法使いの天敵はいないだろう。
「どうする?その扇を捨てて接近戦でもする?それともお仲間に武器でも借りて戦ってもいいけど」
「……はぁ」
なんとも面倒くさそうな、なんとも――馬鹿にしたかのような、そんなため息をつく。呆れている、とでもいうのか。
「……面倒くさいったりゃありゃしない」
「それは褒め言葉、なのかな」
「んなわけないでしょ。あたしは馬鹿にしてるのよ」
「……」
ムッとした顔になるシノイ。どこか不満そうな、そんな表情だ。まあ、流石に面と向かってそんなことを言われて怒らない奴はいないだろう。それでも不満を言わないだけ、シノイが大人だということだ。
「……ま、たしかに普通の奴ならここまで事前準備ができてりゃ負けはしないでしょうね。普通相手なら、これで十分。及第点をあげる。でも、所詮はそれだけ。及第点であって、決して満点ではない」
「へぇ。……じゃあ、満点はどうしたらもらえると?」
「ばっかねえ。あたしは誰にも満点はあげない。だって、――誰もあたしを満足させられる奴なんていないんだから」
今一度、メイラが扇を開く。目を閉じて、そして――謳う。
「『――在るは絶望』」
「……っ!?」
これまでのような、不可視の風などではなく。炎が――シノイを囲むかのように、そこに現れる。
「なんだ、これはっ……!?」
「『――見出すは希望』
一つ一つの言葉が、まるでその一音一音に命があるかのように、メイラの口から発せられる。
そして同時に、シノイの頭上にも炎の塊が現れる。
だが、シノイを囲む炎、頭上の炎は、紅蓮の赤色などではない。ただひたすらに――黄色く、輝いていた。それは、さながら太陽のようで――いや、太陽であった。
「『――さて、汝はどっちを手にするかにゃ?』
メイラが、小悪魔な笑みを浮かべた。
太陽が、シノイを包み込んだ。
「――なーんて」
しかし、シノイには何事も起きていなかった。
確かにメイラの太陽に包み込まれたはずなのに、その体、服には一切傷さえも付いていなかった。焼けたような跡も無い。
「……?」
シノイは困惑する。恥ずかしながら、シノイは本気で死を予感したというのに、何も起きていないのだ。状況が掴めない、それが感想だ。
「ま、こんな人が大勢いる前であんなことしちゃ、何人死ぬか分からないしね。いわゆる、幻ってやつよ。理解できましゅか?」
「いや……」
体に力が入らない。本気で死ぬかと思ったためなのか、シノイは足がすくんでいた。
恐怖――とは違う。むしろ無心。いや、放心というべきかもしれない。とにかく、彼はそれだった。
恐怖やらなんやらの感情が入り乱れていて、むしろ何も感じられない。
まあたしかに、メイラの言うとおり、幻でない本物の(擬似の)太陽が現れていたとしたら、そんなのこの会場にいる人々全員が燃え尽きて消えてしまっていたかもしれない。だから、彼女の言うとおりなんだろうと、シノイは思う。
けれど、とてもそうとは思えない現実感。それが、あれにはあった。
「……君は、誰だ?」
「ふふん、愚問ね。けどまあ、聞きたそうだから特別仕様で答えてあげる。……ま、この辺りが潮時よね。隠してたところで、いつかはばれるんだし」
最後の方は、ルゥラナたちに言っているようにも聞こえた(ちなみにというか、もちろんルゥラナたちも放心状態)。
「あたしはあたし、もちろんであたしなわけだけど。つまりは、シュライナの性を受け継ぐ『禁術師』。人呼んで、『魔王』様。……の、子孫」
「……ええ?」
「よーするに。あたしは名実共に、『パラ教』と対立する立場にあるわけ」
そして、会場の空気が凍りついた。
「……随分と、お膳立てしてくれたものね」
と、メイラは言う。その表情はどこか面倒くさそうな表情が見え隠れする。パタン、と扇を閉じた。
「最初から、あんたが出てくればよかったものを」
「悪いね、僕にも面目というのがあるからさ、勝手な私闘はできないんだよ。そんなことしたら、民の模範であることなんてできないだろう?」
「……ご大層な責任感だこと。ま、だからこそあんたを仲間にすることに意味があるわけなんだけど」
メイラが仲間にしたいのは『神官』だ。
だが、彼らを仲間にする事には、強い者を仲間にしたいからではなく、周囲への影響力が強いからという意味合いがある。『パラ教』内での地位だけでなく、民への影響力も強い。むしろ、そちらの方がメインであるといえる。
たとえ改革に成功したとしても、民の意識が変わらなければそれは代表が消えただけであり、それでは本当の意味での改革とは到底いえない。『神徒』を失脚させたところで、それでは本末転倒というものだ。
「あんたから先に攻撃してきていいわよ」
メイラは自信満々にそう言った。恐れるものは何一つ無い、とでも言わんばかりの表情だった。
「何を言う、ここは僕の顔を立てて、そっちから攻めてくれないと」
だか、対するシノイも余裕たっぷりに挑発する。面目、などと言っているが、実際はそれは余裕の表れでしかない。これまでのメイラの戦いぶりを見て、なおそんな態度がとれることに、メイラは珍しく相手を賞賛した。
「ふふん、いいわ、そういうの。あたしは嫌いじゃない。褒め殺してあげるから感謝してちょうだい」
「……一応、褒め言葉として受け取っておくよ」
苦笑いを浮かべるしかできないシノイだった。
と、ここでメイラはあることに気がつく。それは、さっきまでとは違った、ある相違点。
「ん、あんたは普通の長剣使うの?」
「ええ。締めくくりくらいは、緊張感があった方がいいかと思いまして。ああ、大丈夫ですよ、少々死にかけたって救護班だっていますから、たぶん死なないでしょうし」
「『たぶん』……」
これはまた、なんとも頼りない保証であった。
「もちろん銃だって実弾です。ええ、そうですとも、僕の家計は赤字です」
「そんなことを気にかけないでほしい……」
なんだか、シノイという人物は大人のような、子供のような、そんなのだな、とメイラは感じた。昨日の段階では大人な一面が多かったが、今日は意外性が多く見られた。隙を見計らっている、というのではないように見受けられたが、果たして真意は分からない。
「ま、いいわ。あんたの顔を立ててあげる。これまた、感謝しまくって――ねっ!」
そしてメイラがこれまで同様、扇をパッと開いて、振る。
目には見えないが、これまでと同じ流れでいうなら、シノイを風の刃が襲う。ヒュンヒュン、という風の音が会場に響く。
「その歳でその精度と威力。……感嘆に値するよ」
対して、シノイは――何もしなかった。
ただ、その場に立っていただけ。にもかかわらず、これまでの戦いとは違い、彼はなおその場に立っていた。まるで、何事も無かったかのように、彼はメイラの魔法を打ち砕いていた。
目には見えないというものの、それでも、その『風』が発していた音が彼に近づいた途端に消えたのだ。
「……なるほど、『退魔(アンチ・マジック)』か」
メイラが苦虫を噛みつぶしたかのような表情になる。彼女にしては珍しく、舌打ちまでしていた。
『退魔』。
簡単に言い表すならば、魔法を打ち消す魔法、といったところだ。もちろん相手の魔法の属性に合わせたりしないといけない、などの制約があるものの、それについてはさきほどまでのメイラの戦いを見ていたシノイにとっては造作もないことだ。
『退魔』属性、たしかにこれほどまでに魔法使いの天敵はいないだろう。
「どうする?その扇を捨てて接近戦でもする?それともお仲間に武器でも借りて戦ってもいいけど」
「……はぁ」
なんとも面倒くさそうな、なんとも――馬鹿にしたかのような、そんなため息をつく。呆れている、とでもいうのか。
「……面倒くさいったりゃありゃしない」
「それは褒め言葉、なのかな」
「んなわけないでしょ。あたしは馬鹿にしてるのよ」
「……」
ムッとした顔になるシノイ。どこか不満そうな、そんな表情だ。まあ、流石に面と向かってそんなことを言われて怒らない奴はいないだろう。それでも不満を言わないだけ、シノイが大人だということだ。
「……ま、たしかに普通の奴ならここまで事前準備ができてりゃ負けはしないでしょうね。普通相手なら、これで十分。及第点をあげる。でも、所詮はそれだけ。及第点であって、決して満点ではない」
「へぇ。……じゃあ、満点はどうしたらもらえると?」
「ばっかねえ。あたしは誰にも満点はあげない。だって、――誰もあたしを満足させられる奴なんていないんだから」
今一度、メイラが扇を開く。目を閉じて、そして――謳う。
「『――在るは絶望』」
「……っ!?」
これまでのような、不可視の風などではなく。炎が――シノイを囲むかのように、そこに現れる。
「なんだ、これはっ……!?」
「『――見出すは希望』
一つ一つの言葉が、まるでその一音一音に命があるかのように、メイラの口から発せられる。
そして同時に、シノイの頭上にも炎の塊が現れる。
だが、シノイを囲む炎、頭上の炎は、紅蓮の赤色などではない。ただひたすらに――黄色く、輝いていた。それは、さながら太陽のようで――いや、太陽であった。
「『――さて、汝はどっちを手にするかにゃ?』
メイラが、小悪魔な笑みを浮かべた。
太陽が、シノイを包み込んだ。
「――なーんて」
しかし、シノイには何事も起きていなかった。
確かにメイラの太陽に包み込まれたはずなのに、その体、服には一切傷さえも付いていなかった。焼けたような跡も無い。
「……?」
シノイは困惑する。恥ずかしながら、シノイは本気で死を予感したというのに、何も起きていないのだ。状況が掴めない、それが感想だ。
「ま、こんな人が大勢いる前であんなことしちゃ、何人死ぬか分からないしね。いわゆる、幻ってやつよ。理解できましゅか?」
「いや……」
体に力が入らない。本気で死ぬかと思ったためなのか、シノイは足がすくんでいた。
恐怖――とは違う。むしろ無心。いや、放心というべきかもしれない。とにかく、彼はそれだった。
恐怖やらなんやらの感情が入り乱れていて、むしろ何も感じられない。
まあたしかに、メイラの言うとおり、幻でない本物の(擬似の)太陽が現れていたとしたら、そんなのこの会場にいる人々全員が燃え尽きて消えてしまっていたかもしれない。だから、彼女の言うとおりなんだろうと、シノイは思う。
けれど、とてもそうとは思えない現実感。それが、あれにはあった。
「……君は、誰だ?」
「ふふん、愚問ね。けどまあ、聞きたそうだから特別仕様で答えてあげる。……ま、この辺りが潮時よね。隠してたところで、いつかはばれるんだし」
最後の方は、ルゥラナたちに言っているようにも聞こえた(ちなみにというか、もちろんルゥラナたちも放心状態)。
「あたしはあたし、もちろんであたしなわけだけど。つまりは、シュライナの性を受け継ぐ『禁術師』。人呼んで、『魔王』様。……の、子孫」
「……ええ?」
「よーするに。あたしは名実共に、『パラ教』と対立する立場にあるわけ」
そして、会場の空気が凍りついた。
『魔王』
そう聞くと、また随分と悪いイメージを抱いてしまうかもしれない。
事実、『魔王』なんていう存在は悪だ。
ただ、ここで意味を履き違えてはいけないのは、『魔王』というのは別に世界を破滅に追いやる者だとか、万魔の王だとか、必ずしもそういうことを意味するわけではないということだ。
『魔王』というのは、大衆の正義に反する悪。少なくとも、メイラはそう考えている。
『神魔戦争』は言わずもがな、であろうけれど、今回メイラが自分の事を『魔王』と名乗ったのも、そういう観点から物事を見ているからだ。
『パラ教』が大衆の正義であるというのは当然だし、事実だ。だから、それを自分勝手にも改革しようとするメイラは『魔王』、ということになる。メイラ自身、自分が決して正義などではなく、悪であることは自覚している。それを自覚せずに改革することは、自惚れへと繋がり、そして破滅へと繋がる。
自分を悪として認めることは、それはそれでとてもつらいことではあるけれど、それでも改革を目指すのは彼女の中の『悪』が『正義』を許せない――つまり、現状のままではいけないという、彼女の『正義心』の強さの表れなんだろうと思われる。
「……『魔王』?」
「そ。あたし的にはその響きは好きなんだけど、いかんせんここは神国でしょ?つまり敵地のど真ん中なわけ。だから、あたしは『禁術師』、そう名乗らせてもらってる」
まるで、何か悪いたずらでもした子供のようにメイラは笑い、照れるかのように、そう言う。もしかしたら、苦笑い、の方が相応しいかもしれない。
「『神官』である僕はもちろんのこと、ここにいる人々全員に聞かれることのリスクは考えたのかい?」
「ええ、考えたわ」
きっぱりと、断言するかのように言う。そこに、迷いは見られない。決意の末、といったところか。
「……僕はまだしも、それでも一般の人はまずいんじゃないかな。皆が皆、僕の意見についてきてくれるというわけじゃ」
「いいえ。大丈夫。あんたは、それでも大丈夫。皆――あんたについてきてくれるはずよ」
「根拠は?」
「ないわ、そんなの」
あまりにきっぱりとしたその物言いに、流石のシノイといえども苦笑する。なんというか、潔い。メイラはいろいろと考えているように見えるというのに、実際は案外そうでもなく。考えなしというのとも、また違う。
「……ふふっ」
「……?なんで笑うのよ」
「さあ、なんでだろうね。僕にもよく分からない。分かるはずもないさ」
「あんたって、馬鹿?」
「そう、かもね」
二人が互いに笑いあう。傍から見ると怖いこと極まりない光景なのだが、そんなことは二人の感知するところではない。
二人からしてみれば、周りなんてどうでもよかった。二人の世界にいるのは、二人だけ。
「さて、久しぶりに名乗らせてもらおうかな。僕は『天空の契約』シノイ=サルルーナ。手加減なしでいかせてもらうよ、覚悟しろ」
「あたしは『禁術師』メイラ=シュライナ。あんたの挑戦、受けて立つわ」
互いに不敵に笑った後、ついに戦いが始まった。
先手を取ったのはシノイだった。
銃をホルスターへとしまい、両手で長剣を握って全力で疾走する。素人目に見れば、それはとても目で追いかけられるような速さではない。が、それでもメイラは冷静に迎え撃つ。
「『さて』」
既に開いている扇を、メイラは下から上へと向かわせるように踊らせる。それに合わせるかのように、シノイに向かって一直線に電撃が走った。
「――甘いっ!」
それを、シノイは長剣で斬り裂く。電撃にも関わらず、まるで感電した様子すらない。
そのままの勢いでシノイは距離をつめ、何の武器も持たないメイラ目掛けて上段から剣を振り下ろす。その速さは残像でもできるかのような速さで、上段から振り下ろされているということを認識するだけでも危ういほどだった。
キィィンッ
という金属と金属がぶつかり合うかのような音が会場に響き渡る。
それは、シノイの長剣とメイラの閉じられた扇とがぶつかり合った音だった。
「魔法を斬り裂くだなんて、なんて非常識だこと」
「……その扇が本当に武器だったということもだけどね」
すると、メイラとシノイとの間に、赤い光球のようなものが現れる。
シノイが、ちっ、と舌打ちをして下がろうとした刹那、その光球が爆ぜた。一気に質量を増して、莫大な量の炎を生み出す。
メイラは自らで障壁のようなものを作り、そしてその爆発から身を守る。
シノイは直前に術式を完成させた『退魔』により、ぎりぎりのところで炎を無効化する。しかし爆風までは防ぐ事が出来ず、一気に爆発したことで生まれた爆風の奔流に流され、壁の方へと吹き飛ばされる。
が、シノイはその吹き飛ばされている姿勢のまま、いつの間に構えていたのか分からない、愛用の銃を撃ち放つ。
爆発の方に気をとられていたメイラは、そのために若干反応が遅れてしまうが、それでも弾を、一歩横に移動することでかわした。
しかしその時既に、シノイは壁を蹴り飛ばしてこちらへと猛然と飛んできていた。回避動作をしたため、そこに一瞬の隙が出来ていた彼女の元にシノイが突撃した。
「はぁぁぁぁぁっ!」
「くぅっ……!」
先ほど同様になんとか扇で受けきったメイラだったが、いかんせん今回は体勢が崩れていた。衝撃を上手く受け流す事が出来ずに、バランスを崩してしまう。
そこに襲い掛かるシノイの斬撃。“だけではない”。
直前にシノイが撃ち放った銃弾がメイラの背後の壁に跳弾し、今のメイラの位置へとピンポイントで迫り来る。結果、シノイの斬撃と跳弾、二つを同時に捌くことになる。
「もらったっ!」
しかし、そう叫んで繰り出されたシノイの斬撃は空を斬ることとなる。銃弾も同じだった。
その時、メイラの姿が消え去った。
「――上かっ」
自らの直感に任せて、シノイは頭上を見上げる。そこにははたして、メイラがいた。
だが既にメイラは扇を開ききっていて、それを天へと向けている。
「いい加減に……くたばれっ!」
メイラが、その扇を一気に振り下ろす。すると、シノイを暴風が襲い掛かった。
台風などの比ではなく、それはさながら世界の終焉ともいえる有様だった。それに加えて、風の刃もシノイに襲い掛かる。
「ちょっとは、周囲の皆のことも意識してほしいものだけど、ねっ!」
それでもシノイは、メイラの『風』をあらかじめ読んでいて、『退魔』で打ち消す。
ところがそれだけに飽き足らず、メイラの『炎』も『風』に合わせて繰り出される。
風によっていっそう勢いを増した炎がシノイを襲い掛かるが、そこで彼はそれを受けつつも、メイラの方へと跳躍するという行動に出た。
ダメージを受ける事もいとわないシノイの行動に一瞬メイラは面食らう。その一瞬があれば、シノイには事足りた。
シノイの剣が、メイラの腹部を斬り裂いた。
そのまま、シノイはなんら問題なく華麗に着地をする。が、メイラは痛みで少し着地に失敗し、地面に倒れこんだ。それでもかろうじて、メイラは膝を立てて起き上がる。傷は決して浅くはない。一瞬で絶命――とまでは言わないまでも、このまま放っておけば間違いなく死ぬ。そんな傷だった。
メイラの傷から地が溢れ出し、彼女の赤い服をさらに赤く染め上げる。
「つっ……」
痛みで呻き声を上げる。
シノイもさっきの炎で火傷を負っているものの、それとメイラの傷とでは次元が違う。
「……僕の勝ち、だね」
「……」
「やめておくんだ。それ以上は命に関わる。君の強さはよく分かった。僕をここまで追い詰めたのは君が初めてだ、もう十分だよ」
そう言いつつも、シノイは未だに剣から手を離さない。銃にも手を添えている。
降参をするまでは、決して気を抜かない。それが、彼のポリシーだった。
メイラは傷を押さえつつも、それでもなお不敵に笑っていた。
「ふふ、ふふふ……。いいわね、そういうの。いやぁ、この世にあたしと同等の敵になるような人がいるとは、あんまり期待してなかった分、とても――嬉しいわね」
シノイは、背筋にゾクッとした悪寒が走るのを感じた。状況は明らかにシノイに優勢だというのに、だ。
「これだけ、血が出てれば……『対価』は十分よね」
「何をするつもりだ?」
「さぁて、なんでしょう?」
とぼけるようにメイラは言い、そして彼女は自らの血で、“空中に絵柄を描く”。
魔法によってなのかは分からないが、その血の模様は空中に浮かんだままその場に留まり、そして不気味な光を発した。
「『召喚術』っ……!?」
シノイは驚きの声を上げる。
『召喚術』。
複雑な術式や、そして何より『対価』を支払って“何かを召喚する”という魔法の派生技。
その何かというのは、術者の魔力だとか『対価』の量などによって何が出てくるかは不明で、謎の多い魔法であると同時に、それを扱う人だってほとんどいない。
今回における『対価』は血だった。それも、かなりの量の。
「さーて、」
ちょっと貧血気味のメイラが、楽しそうな表情で語りかける。
「何が出るかな♪」
本当に――彼女は心のそこから楽しんでいた。
そう聞くと、また随分と悪いイメージを抱いてしまうかもしれない。
事実、『魔王』なんていう存在は悪だ。
ただ、ここで意味を履き違えてはいけないのは、『魔王』というのは別に世界を破滅に追いやる者だとか、万魔の王だとか、必ずしもそういうことを意味するわけではないということだ。
『魔王』というのは、大衆の正義に反する悪。少なくとも、メイラはそう考えている。
『神魔戦争』は言わずもがな、であろうけれど、今回メイラが自分の事を『魔王』と名乗ったのも、そういう観点から物事を見ているからだ。
『パラ教』が大衆の正義であるというのは当然だし、事実だ。だから、それを自分勝手にも改革しようとするメイラは『魔王』、ということになる。メイラ自身、自分が決して正義などではなく、悪であることは自覚している。それを自覚せずに改革することは、自惚れへと繋がり、そして破滅へと繋がる。
自分を悪として認めることは、それはそれでとてもつらいことではあるけれど、それでも改革を目指すのは彼女の中の『悪』が『正義』を許せない――つまり、現状のままではいけないという、彼女の『正義心』の強さの表れなんだろうと思われる。
「……『魔王』?」
「そ。あたし的にはその響きは好きなんだけど、いかんせんここは神国でしょ?つまり敵地のど真ん中なわけ。だから、あたしは『禁術師』、そう名乗らせてもらってる」
まるで、何か悪いたずらでもした子供のようにメイラは笑い、照れるかのように、そう言う。もしかしたら、苦笑い、の方が相応しいかもしれない。
「『神官』である僕はもちろんのこと、ここにいる人々全員に聞かれることのリスクは考えたのかい?」
「ええ、考えたわ」
きっぱりと、断言するかのように言う。そこに、迷いは見られない。決意の末、といったところか。
「……僕はまだしも、それでも一般の人はまずいんじゃないかな。皆が皆、僕の意見についてきてくれるというわけじゃ」
「いいえ。大丈夫。あんたは、それでも大丈夫。皆――あんたについてきてくれるはずよ」
「根拠は?」
「ないわ、そんなの」
あまりにきっぱりとしたその物言いに、流石のシノイといえども苦笑する。なんというか、潔い。メイラはいろいろと考えているように見えるというのに、実際は案外そうでもなく。考えなしというのとも、また違う。
「……ふふっ」
「……?なんで笑うのよ」
「さあ、なんでだろうね。僕にもよく分からない。分かるはずもないさ」
「あんたって、馬鹿?」
「そう、かもね」
二人が互いに笑いあう。傍から見ると怖いこと極まりない光景なのだが、そんなことは二人の感知するところではない。
二人からしてみれば、周りなんてどうでもよかった。二人の世界にいるのは、二人だけ。
「さて、久しぶりに名乗らせてもらおうかな。僕は『天空の契約』シノイ=サルルーナ。手加減なしでいかせてもらうよ、覚悟しろ」
「あたしは『禁術師』メイラ=シュライナ。あんたの挑戦、受けて立つわ」
互いに不敵に笑った後、ついに戦いが始まった。
先手を取ったのはシノイだった。
銃をホルスターへとしまい、両手で長剣を握って全力で疾走する。素人目に見れば、それはとても目で追いかけられるような速さではない。が、それでもメイラは冷静に迎え撃つ。
「『さて』」
既に開いている扇を、メイラは下から上へと向かわせるように踊らせる。それに合わせるかのように、シノイに向かって一直線に電撃が走った。
「――甘いっ!」
それを、シノイは長剣で斬り裂く。電撃にも関わらず、まるで感電した様子すらない。
そのままの勢いでシノイは距離をつめ、何の武器も持たないメイラ目掛けて上段から剣を振り下ろす。その速さは残像でもできるかのような速さで、上段から振り下ろされているということを認識するだけでも危ういほどだった。
キィィンッ
という金属と金属がぶつかり合うかのような音が会場に響き渡る。
それは、シノイの長剣とメイラの閉じられた扇とがぶつかり合った音だった。
「魔法を斬り裂くだなんて、なんて非常識だこと」
「……その扇が本当に武器だったということもだけどね」
すると、メイラとシノイとの間に、赤い光球のようなものが現れる。
シノイが、ちっ、と舌打ちをして下がろうとした刹那、その光球が爆ぜた。一気に質量を増して、莫大な量の炎を生み出す。
メイラは自らで障壁のようなものを作り、そしてその爆発から身を守る。
シノイは直前に術式を完成させた『退魔』により、ぎりぎりのところで炎を無効化する。しかし爆風までは防ぐ事が出来ず、一気に爆発したことで生まれた爆風の奔流に流され、壁の方へと吹き飛ばされる。
が、シノイはその吹き飛ばされている姿勢のまま、いつの間に構えていたのか分からない、愛用の銃を撃ち放つ。
爆発の方に気をとられていたメイラは、そのために若干反応が遅れてしまうが、それでも弾を、一歩横に移動することでかわした。
しかしその時既に、シノイは壁を蹴り飛ばしてこちらへと猛然と飛んできていた。回避動作をしたため、そこに一瞬の隙が出来ていた彼女の元にシノイが突撃した。
「はぁぁぁぁぁっ!」
「くぅっ……!」
先ほど同様になんとか扇で受けきったメイラだったが、いかんせん今回は体勢が崩れていた。衝撃を上手く受け流す事が出来ずに、バランスを崩してしまう。
そこに襲い掛かるシノイの斬撃。“だけではない”。
直前にシノイが撃ち放った銃弾がメイラの背後の壁に跳弾し、今のメイラの位置へとピンポイントで迫り来る。結果、シノイの斬撃と跳弾、二つを同時に捌くことになる。
「もらったっ!」
しかし、そう叫んで繰り出されたシノイの斬撃は空を斬ることとなる。銃弾も同じだった。
その時、メイラの姿が消え去った。
「――上かっ」
自らの直感に任せて、シノイは頭上を見上げる。そこにははたして、メイラがいた。
だが既にメイラは扇を開ききっていて、それを天へと向けている。
「いい加減に……くたばれっ!」
メイラが、その扇を一気に振り下ろす。すると、シノイを暴風が襲い掛かった。
台風などの比ではなく、それはさながら世界の終焉ともいえる有様だった。それに加えて、風の刃もシノイに襲い掛かる。
「ちょっとは、周囲の皆のことも意識してほしいものだけど、ねっ!」
それでもシノイは、メイラの『風』をあらかじめ読んでいて、『退魔』で打ち消す。
ところがそれだけに飽き足らず、メイラの『炎』も『風』に合わせて繰り出される。
風によっていっそう勢いを増した炎がシノイを襲い掛かるが、そこで彼はそれを受けつつも、メイラの方へと跳躍するという行動に出た。
ダメージを受ける事もいとわないシノイの行動に一瞬メイラは面食らう。その一瞬があれば、シノイには事足りた。
シノイの剣が、メイラの腹部を斬り裂いた。
そのまま、シノイはなんら問題なく華麗に着地をする。が、メイラは痛みで少し着地に失敗し、地面に倒れこんだ。それでもかろうじて、メイラは膝を立てて起き上がる。傷は決して浅くはない。一瞬で絶命――とまでは言わないまでも、このまま放っておけば間違いなく死ぬ。そんな傷だった。
メイラの傷から地が溢れ出し、彼女の赤い服をさらに赤く染め上げる。
「つっ……」
痛みで呻き声を上げる。
シノイもさっきの炎で火傷を負っているものの、それとメイラの傷とでは次元が違う。
「……僕の勝ち、だね」
「……」
「やめておくんだ。それ以上は命に関わる。君の強さはよく分かった。僕をここまで追い詰めたのは君が初めてだ、もう十分だよ」
そう言いつつも、シノイは未だに剣から手を離さない。銃にも手を添えている。
降参をするまでは、決して気を抜かない。それが、彼のポリシーだった。
メイラは傷を押さえつつも、それでもなお不敵に笑っていた。
「ふふ、ふふふ……。いいわね、そういうの。いやぁ、この世にあたしと同等の敵になるような人がいるとは、あんまり期待してなかった分、とても――嬉しいわね」
シノイは、背筋にゾクッとした悪寒が走るのを感じた。状況は明らかにシノイに優勢だというのに、だ。
「これだけ、血が出てれば……『対価』は十分よね」
「何をするつもりだ?」
「さぁて、なんでしょう?」
とぼけるようにメイラは言い、そして彼女は自らの血で、“空中に絵柄を描く”。
魔法によってなのかは分からないが、その血の模様は空中に浮かんだままその場に留まり、そして不気味な光を発した。
「『召喚術』っ……!?」
シノイは驚きの声を上げる。
『召喚術』。
複雑な術式や、そして何より『対価』を支払って“何かを召喚する”という魔法の派生技。
その何かというのは、術者の魔力だとか『対価』の量などによって何が出てくるかは不明で、謎の多い魔法であると同時に、それを扱う人だってほとんどいない。
今回における『対価』は血だった。それも、かなりの量の。
「さーて、」
ちょっと貧血気味のメイラが、楽しそうな表情で語りかける。
「何が出るかな♪」
本当に――彼女は心のそこから楽しんでいた。
「はは、ははは……」
笑うしかない、とはまさにこのことだった。
シノイは、ただただ笑う。
「これを……僕にどうしろと?」
答える人はいない。
シノイは、これまで多くの地を冒険してきて、何者にも負けない――といえば聞こえがよすぎるかもしれないにしろ、それに近い自信のようなものはある。
これまでの人生で彼に互角に戦えたのはたった一人だけであるという(もちろんメイラだ)、根拠だってある。自信があるのだって当然の帰結といえるものだ。
まあもちろん、彼だって戦えば勝てないかもしれないと思う存在は存在する。
例えば、人間の中でも最高峰の力を持つといわれる『神徒』。
例えば、この世界にいる魔物の中で最強を誇るというドラゴン(一般には古龍と呼ばれる)。
例えば、『万魔の王』と呼ばれる、全魔物で最強だという『魔王』(こちらでいう『魔王』とは、『万魔の王』の意味がある。メイラとはまた違う意味での『魔王』だ)。
下の二つについては、シノイでも、とても人間の敵う相手であるとは思えないので除外して考えるにしても、それであれば彼は『神徒』以外には負けるとは思っていない。勝てない人だっているにはいるだろうが、そこまで強いと言われる人は、彼は他に知らなかった。
そういう意味で、彼にとってメイラとは想定外の強さであったといえる。
女子供とて容赦はしない――それは当然であるとはいえ、いくら彼であろうとそれを全く無し、というのは不可能だった。無意識の内に、どこか手加減していたというのはあったと思う。
まあ、その手加減というのもメイラが幻術のようなものを使った時点で消え失せたわけだけれど(もしかしたらメイラの狙いはそれだったのかもしれない)。
その結果、彼はメイラに勝利を収めた。見た目では。
既にメイラは大怪我をしているし、出血だってとても無視できるようなものではない。
勝っている。彼は今でもそう考えている。いや、考えていた。
メイラが稀少な『召喚術』というものによって、あるものを呼び寄せるまで。彼は、勝ったつもりでいた。
空に浮かぶ、その荘厳なる姿。噂に違わない、その力強さ。そして何よりも――そこにいるというだけで発される、威圧感。
「……」
そこには、真紅の鱗を持つドラゴン――『最古の古龍』がいた。
実際にそれがいるのか、シノイは知らないが、例えばヴァンパイアと呼ばれる魔物の中に、『原初の吸血鬼』と呼ばれる最強のヴァンパイアが存在するらしい。
別にヴァンパイア云々はどうでもいいのだが――とにかく、その『原初』という存在は例外なくとてつもない力を持つというのが、多くの場合において成立することの多い事実だ。
それは古龍だとかにも当てはまるわけで、つまるところそこにいる『最古の古龍』とやらは、今現在の地上で最強と呼ばれる存在だ。
このレベルの古龍ともなれば人間の言葉を話すなどと言うのは造作も無い事らしく、そうでなくとも古龍という存在はとてつもなく知能が高い。考える、という行為が、はっきり言って人間のそれさえも超えている。
そのため、古龍というのは唯一人間の言葉を話せる魔物として認識されていて、コミュニケーションだってとることができる。
古龍が住んでいる山などがあるような国では、国家としてその古龍と話し合いをしたりして、相互不干渉の条約だって結んでいるという噂もあるほどだ。
古龍と親密になった国などではたまに、国がピンチになれば古龍が国を助け、その逆に古龍が何かしら助けを求めれば国がそれを助ける――といった、そんな国だってある。
だからシノイは、その古龍が人間の言葉を話したという事実に、そこまで驚きはしなかった。
《ここは……どこだ。我は、何をしている?》
『最古の古龍』、名をグレイズヴェルドという。
赤い鱗が特徴的な、最強の古龍。大きさだって、どれだけあることやら。とても人間の敵うような相手ではない、断じて。
《『召喚術』……か。この我を呼び出せるような者がこの世に存在するとは驚きだが、なるほど。これは懐かしい匂いがする。人間の『魔王』ではないか》
「匂いだなんて、あんたって変態なのね」
《……》
シノイは凍りつく。
心の中で、「そんなこと言わないでくれって頼むから!」と叫んでいるが、それはもっともだった。
これまで呆然としていたルゥラナたち、そして一般の人々も今現在の状況を理解し始め、動揺が伝達していく。
「流石のあたしも、古龍に変態はいないと思っていたんだけど、やっぱりいるものなのね。おーい、レクシス良かったわね、変態は種族を超えて存在するらしいわよー」
「(たのむから私に話を振らないでくれるかな、メイラちゃん!?)」
必死にその気持ちを誰かに悟られないように、懸命に押さえ込む。そして、なんとか苦笑いを返すことができた。
さて、メイラの暴言にもかかわらず、特に何の反応も示さない古龍グレイズヴェルド。怒り狂わないことに、会場にいるメイラ以外が全員胸を撫で下ろした。
《……我を》
と、彼(?)はすごくすごく、静かに、一音一音をはっきりとさせるかのように、言葉を発する。
《侮辱しようとは……随分な身分になったことだな、『魔王』。その軽率さ……いつか身を滅ぼそうぞ》
メイラ以外、全員こう思った。
『全力でこの場から逃げたいっ!』と。
しかし、この空気。逃げようにも、その最初の行動を起こせない。無理に行動を起こそうものなら殺されるかもしれない、そういう雰囲気に包まれていた。
《まあ、とはいえこれも『血の契約』による巡り合わせということなのだろうな。かの『魔王』の顔に免じて、その無礼は見逃してやるから感謝するがよい》
「やーだよ、この馬鹿ドラゴンが。あ、略してバカドラって呼んであげるからむしろ感謝しなさい」
《……貴様ら一族はどうでもよい所ばかり遺伝しよって》
「ふふん、そんなこと言って、あんた実はそんなに強くないとかいうオチなんじゃないの?案外今のあたしでも勝てたりして」
《……ほぅ。ほぅほぅほぅ》
空に浮かぶ古龍とメイラとが睨み合う。周りの緊迫度合いは、今まさに絶頂期。
《汝、我のことを舐めておるな?》
「さっきからそう言ってるでしょバカドラ。悔しかったらあたしに強さを見せつけてみせなさい」
《くははっ。なんと愚かな。我に戦いを挑むというか。身の程知らずめが。……よかろう、一昔前の借り、今ここで》
「あたしが戦ってやるわけないでしょ。あたしはラスボス、オーケー?まずはそこにいるシノイって奴を倒してみせなさい。あたしはそれからよ」
「……………………え」
シノイに戦慄が走る。冷や汗がだらだらと出てきていた。だらだらだらだら出てきていた。ものすごく出てきた。
グレイズヴェルドがシノイの方を一瞥する。
《よかろう》
「よくないですよくないですよくないですって!問題大有りですすみませんもう許してください」
怖いものは怖いのだ。恥だとかを気にしていられる余裕なんて無い。全く無い。たとえこれから先の人生で馬鹿にされる事になろうとも、これだけは譲れない――そんなシノイだった。
「じゃあ、後は任せたわよ、バカドラ。流石のあたしでも、そろそろ、意識の……げんか、い……」
バタッ、と、メイラが倒れた。
動く事は無い。一切動かない。
そしてシノイは両手を合わせて、こう思う。
「(今から僕も後を追うよ)」
「勝手にあたしを殺すなっ!」
突然バッと起き上がって、そしてそのまま再度意識を失った。
シノイとしては、「なんだ、今の?」という反応だ。忙しない人だなあ、と彼は思う。
もちろん。
これは彼にとっての現実逃避であり、現実はものすごく危険だ。こんなことを考えている暇など、本来あるわけが無いのだ。
《……さて、軽く捻り潰してやるとしようか》
「……え、ま、まじなんですか」
《当然であろう。でなければラスボスまで到達できんではないか。そこの『魔王』をよく見るがよい、余裕のあまり眠ってしまったではないか。その余裕を後悔させるためにも、我は汝を――討つ》
いえ、それはただ単に出血のあまり意識を失っただけです――などとは言う事も出来ず。というか言えるわけがない。
とにかく。
彼がまずするべきことは一つ。
「皆さん、さっさとこの場から離れてくださいっ!というよりも逃げるんですっ!」
人々は皆、はっとした。
そう、逃げること。それを全員が忘れてしまっていた。
古龍との会話に引き込まれ、その“逃げる”という選択肢は消えてしまっていたのだ。
もちろん覚えていた人もいたけれど、それは言い出すタイミングが無かったから逃げ出せなかったため。
逃げろと言われた今、やっとのことでそのチャンスがやってきたということだ。
まず、一人が逃げ出す。するとそれにつられるかのように、少しずつ逃げ出していく人が現れる。そして、一気に――人々は逃げ惑い始めた。
我先に、とでも言わんばかりに一目散で逃げ出す。これは臆病などではない。むしろ賢明だ。ここで逃げ出さないような奴の方が馬鹿なのだ。そう、ルゥラナたち3人のように。
しばらく時間が経って、ついにルゥラナたち3人とシノイ、そしてグレイズヴェルドがこの場に残った。
「……あー、流石に状況が状況だから手助けする。いいよな?」
「ええ、助かります。……一応」
最後にボソッと言ったのは、ルゥラナには聞こえない程度に。
「私も助太刀しよう。なぜならば、変態の暴走を止めるのも変態の役割だからね」
ギロリ、とグレイズヴェルドに睨まれるレクシス。今、『最古の古龍』は『変態』を完全に敵視した。
「メルちゃんはここで温かく見守っておきますから、皆さんがんばってください。応援しておきます」
「お前も戦えよっ!」
とルゥラナが叫んだ。しかしメルミナはそんなこと知ったことではない、とでも言わんばかりの表情だ。
「妹を守るのが、兄の務めでしょう」
「自分の身くらい自分で守れよっ!」
「そんな物騒な事をしたら、メルちゃんの株が大暴落します。メルちゃんはあくまで、か弱い女の子(キャラ)なんです。……まあでも、ここはルゥお兄ちゃんの御考えを汲み取って、自分の身くらいは自分で守りましょう」
すっと、メルミナはナイフをどこからか取り出した。銀色に光る、投擲用のナイフだ。
「……とてもじゃねえが、その見た目で『か弱い』はない。絶対にない」
「むっ、心外です」
ちょっと怒ったような顔になるメルミナ。それを見てにやけるレクシス。それを見て回し蹴りをレクシスに繰り出すルゥラナ。そして吹っ飛ぶレクシス。観客席から転げ落ち、地面の所へとレクシスが顔面からダイブした。
シノイは、思う。
「(とても不安だ……)」
苦労の絶えない、今日もまた、そんな一日を過ごす事になったシノイだった。
笑うしかない、とはまさにこのことだった。
シノイは、ただただ笑う。
「これを……僕にどうしろと?」
答える人はいない。
シノイは、これまで多くの地を冒険してきて、何者にも負けない――といえば聞こえがよすぎるかもしれないにしろ、それに近い自信のようなものはある。
これまでの人生で彼に互角に戦えたのはたった一人だけであるという(もちろんメイラだ)、根拠だってある。自信があるのだって当然の帰結といえるものだ。
まあもちろん、彼だって戦えば勝てないかもしれないと思う存在は存在する。
例えば、人間の中でも最高峰の力を持つといわれる『神徒』。
例えば、この世界にいる魔物の中で最強を誇るというドラゴン(一般には古龍と呼ばれる)。
例えば、『万魔の王』と呼ばれる、全魔物で最強だという『魔王』(こちらでいう『魔王』とは、『万魔の王』の意味がある。メイラとはまた違う意味での『魔王』だ)。
下の二つについては、シノイでも、とても人間の敵う相手であるとは思えないので除外して考えるにしても、それであれば彼は『神徒』以外には負けるとは思っていない。勝てない人だっているにはいるだろうが、そこまで強いと言われる人は、彼は他に知らなかった。
そういう意味で、彼にとってメイラとは想定外の強さであったといえる。
女子供とて容赦はしない――それは当然であるとはいえ、いくら彼であろうとそれを全く無し、というのは不可能だった。無意識の内に、どこか手加減していたというのはあったと思う。
まあ、その手加減というのもメイラが幻術のようなものを使った時点で消え失せたわけだけれど(もしかしたらメイラの狙いはそれだったのかもしれない)。
その結果、彼はメイラに勝利を収めた。見た目では。
既にメイラは大怪我をしているし、出血だってとても無視できるようなものではない。
勝っている。彼は今でもそう考えている。いや、考えていた。
メイラが稀少な『召喚術』というものによって、あるものを呼び寄せるまで。彼は、勝ったつもりでいた。
空に浮かぶ、その荘厳なる姿。噂に違わない、その力強さ。そして何よりも――そこにいるというだけで発される、威圧感。
「……」
そこには、真紅の鱗を持つドラゴン――『最古の古龍』がいた。
実際にそれがいるのか、シノイは知らないが、例えばヴァンパイアと呼ばれる魔物の中に、『原初の吸血鬼』と呼ばれる最強のヴァンパイアが存在するらしい。
別にヴァンパイア云々はどうでもいいのだが――とにかく、その『原初』という存在は例外なくとてつもない力を持つというのが、多くの場合において成立することの多い事実だ。
それは古龍だとかにも当てはまるわけで、つまるところそこにいる『最古の古龍』とやらは、今現在の地上で最強と呼ばれる存在だ。
このレベルの古龍ともなれば人間の言葉を話すなどと言うのは造作も無い事らしく、そうでなくとも古龍という存在はとてつもなく知能が高い。考える、という行為が、はっきり言って人間のそれさえも超えている。
そのため、古龍というのは唯一人間の言葉を話せる魔物として認識されていて、コミュニケーションだってとることができる。
古龍が住んでいる山などがあるような国では、国家としてその古龍と話し合いをしたりして、相互不干渉の条約だって結んでいるという噂もあるほどだ。
古龍と親密になった国などではたまに、国がピンチになれば古龍が国を助け、その逆に古龍が何かしら助けを求めれば国がそれを助ける――といった、そんな国だってある。
だからシノイは、その古龍が人間の言葉を話したという事実に、そこまで驚きはしなかった。
《ここは……どこだ。我は、何をしている?》
『最古の古龍』、名をグレイズヴェルドという。
赤い鱗が特徴的な、最強の古龍。大きさだって、どれだけあることやら。とても人間の敵うような相手ではない、断じて。
《『召喚術』……か。この我を呼び出せるような者がこの世に存在するとは驚きだが、なるほど。これは懐かしい匂いがする。人間の『魔王』ではないか》
「匂いだなんて、あんたって変態なのね」
《……》
シノイは凍りつく。
心の中で、「そんなこと言わないでくれって頼むから!」と叫んでいるが、それはもっともだった。
これまで呆然としていたルゥラナたち、そして一般の人々も今現在の状況を理解し始め、動揺が伝達していく。
「流石のあたしも、古龍に変態はいないと思っていたんだけど、やっぱりいるものなのね。おーい、レクシス良かったわね、変態は種族を超えて存在するらしいわよー」
「(たのむから私に話を振らないでくれるかな、メイラちゃん!?)」
必死にその気持ちを誰かに悟られないように、懸命に押さえ込む。そして、なんとか苦笑いを返すことができた。
さて、メイラの暴言にもかかわらず、特に何の反応も示さない古龍グレイズヴェルド。怒り狂わないことに、会場にいるメイラ以外が全員胸を撫で下ろした。
《……我を》
と、彼(?)はすごくすごく、静かに、一音一音をはっきりとさせるかのように、言葉を発する。
《侮辱しようとは……随分な身分になったことだな、『魔王』。その軽率さ……いつか身を滅ぼそうぞ》
メイラ以外、全員こう思った。
『全力でこの場から逃げたいっ!』と。
しかし、この空気。逃げようにも、その最初の行動を起こせない。無理に行動を起こそうものなら殺されるかもしれない、そういう雰囲気に包まれていた。
《まあ、とはいえこれも『血の契約』による巡り合わせということなのだろうな。かの『魔王』の顔に免じて、その無礼は見逃してやるから感謝するがよい》
「やーだよ、この馬鹿ドラゴンが。あ、略してバカドラって呼んであげるからむしろ感謝しなさい」
《……貴様ら一族はどうでもよい所ばかり遺伝しよって》
「ふふん、そんなこと言って、あんた実はそんなに強くないとかいうオチなんじゃないの?案外今のあたしでも勝てたりして」
《……ほぅ。ほぅほぅほぅ》
空に浮かぶ古龍とメイラとが睨み合う。周りの緊迫度合いは、今まさに絶頂期。
《汝、我のことを舐めておるな?》
「さっきからそう言ってるでしょバカドラ。悔しかったらあたしに強さを見せつけてみせなさい」
《くははっ。なんと愚かな。我に戦いを挑むというか。身の程知らずめが。……よかろう、一昔前の借り、今ここで》
「あたしが戦ってやるわけないでしょ。あたしはラスボス、オーケー?まずはそこにいるシノイって奴を倒してみせなさい。あたしはそれからよ」
「……………………え」
シノイに戦慄が走る。冷や汗がだらだらと出てきていた。だらだらだらだら出てきていた。ものすごく出てきた。
グレイズヴェルドがシノイの方を一瞥する。
《よかろう》
「よくないですよくないですよくないですって!問題大有りですすみませんもう許してください」
怖いものは怖いのだ。恥だとかを気にしていられる余裕なんて無い。全く無い。たとえこれから先の人生で馬鹿にされる事になろうとも、これだけは譲れない――そんなシノイだった。
「じゃあ、後は任せたわよ、バカドラ。流石のあたしでも、そろそろ、意識の……げんか、い……」
バタッ、と、メイラが倒れた。
動く事は無い。一切動かない。
そしてシノイは両手を合わせて、こう思う。
「(今から僕も後を追うよ)」
「勝手にあたしを殺すなっ!」
突然バッと起き上がって、そしてそのまま再度意識を失った。
シノイとしては、「なんだ、今の?」という反応だ。忙しない人だなあ、と彼は思う。
もちろん。
これは彼にとっての現実逃避であり、現実はものすごく危険だ。こんなことを考えている暇など、本来あるわけが無いのだ。
《……さて、軽く捻り潰してやるとしようか》
「……え、ま、まじなんですか」
《当然であろう。でなければラスボスまで到達できんではないか。そこの『魔王』をよく見るがよい、余裕のあまり眠ってしまったではないか。その余裕を後悔させるためにも、我は汝を――討つ》
いえ、それはただ単に出血のあまり意識を失っただけです――などとは言う事も出来ず。というか言えるわけがない。
とにかく。
彼がまずするべきことは一つ。
「皆さん、さっさとこの場から離れてくださいっ!というよりも逃げるんですっ!」
人々は皆、はっとした。
そう、逃げること。それを全員が忘れてしまっていた。
古龍との会話に引き込まれ、その“逃げる”という選択肢は消えてしまっていたのだ。
もちろん覚えていた人もいたけれど、それは言い出すタイミングが無かったから逃げ出せなかったため。
逃げろと言われた今、やっとのことでそのチャンスがやってきたということだ。
まず、一人が逃げ出す。するとそれにつられるかのように、少しずつ逃げ出していく人が現れる。そして、一気に――人々は逃げ惑い始めた。
我先に、とでも言わんばかりに一目散で逃げ出す。これは臆病などではない。むしろ賢明だ。ここで逃げ出さないような奴の方が馬鹿なのだ。そう、ルゥラナたち3人のように。
しばらく時間が経って、ついにルゥラナたち3人とシノイ、そしてグレイズヴェルドがこの場に残った。
「……あー、流石に状況が状況だから手助けする。いいよな?」
「ええ、助かります。……一応」
最後にボソッと言ったのは、ルゥラナには聞こえない程度に。
「私も助太刀しよう。なぜならば、変態の暴走を止めるのも変態の役割だからね」
ギロリ、とグレイズヴェルドに睨まれるレクシス。今、『最古の古龍』は『変態』を完全に敵視した。
「メルちゃんはここで温かく見守っておきますから、皆さんがんばってください。応援しておきます」
「お前も戦えよっ!」
とルゥラナが叫んだ。しかしメルミナはそんなこと知ったことではない、とでも言わんばかりの表情だ。
「妹を守るのが、兄の務めでしょう」
「自分の身くらい自分で守れよっ!」
「そんな物騒な事をしたら、メルちゃんの株が大暴落します。メルちゃんはあくまで、か弱い女の子(キャラ)なんです。……まあでも、ここはルゥお兄ちゃんの御考えを汲み取って、自分の身くらいは自分で守りましょう」
すっと、メルミナはナイフをどこからか取り出した。銀色に光る、投擲用のナイフだ。
「……とてもじゃねえが、その見た目で『か弱い』はない。絶対にない」
「むっ、心外です」
ちょっと怒ったような顔になるメルミナ。それを見てにやけるレクシス。それを見て回し蹴りをレクシスに繰り出すルゥラナ。そして吹っ飛ぶレクシス。観客席から転げ落ち、地面の所へとレクシスが顔面からダイブした。
シノイは、思う。
「(とても不安だ……)」
苦労の絶えない、今日もまた、そんな一日を過ごす事になったシノイだった。
とりあえずはシノイが自分でメイラを治療する。それぐらいなら、彼でも出来る(治癒魔法ができるか否かは、向き不向きで決まる)。
一方その傍らで、ルゥラナはメルミナに話す。
「メル、やってやれ」
「えいやっ」
いつのまにやら、ルゥラナのメルミナに対する二人称が、かの変態に影響されてかは分からないが変わっていたが、はたして。
それはさておき。
ピュッとメルミナがナイフを古龍に向かって投擲する。
それは寸分違わず、彼女が狙った古龍の頭の辺りに飛んで行き――そして弾かれた。鱗に。
「……ルゥお兄ちゃん」
「どうした」
「やっぱメルちゃん、静観しときます」
「まあそう言うなって。いつかは傷ぐらい付けられるかもしれねえだろ?努力は必ず報われるんだ」
「努力の結果がたかが傷一つだけで、その上反撃されて死んでしまうのはあまりに不公平ではないでしょうか」
「だな」
「まあ、いいです。気合でいきます、ここまで来たら。……さあ、かかって来て下さいバカドラさんっ!」
なんというか、清々しいまでの開き直り精神だった。
ただ、やはり古龍にもプライドというものは存在するらしく、メイラだけでなくメルミナにさえも“バカドラ”呼ばわりされたことに傷つくと同時に、そろそろ怒りのボルテージが上がってきたようだ。声に怒気が含まれ始める。
《我は戦いを好まぬ。……だが、挑まれたなら拒まぬ。その覚悟……汝らにはあるか》
「俺にはある。シノイを助けてやらなきゃ、せっかくこんなとこに来た意味がなくなるからな」
「メルちゃんはないです」
「変態も同じく」
「僕もないです」
「……待て、お前ら。」
ここにきての、まさかの裏切りだった。
《ふむ……一人だけか》
「真に受けてるっ!?」
よく分からないところで古龍の天然が爆発した。ついでにルゥラナのつっこみも炸裂した。
しかし、もちろんレクシスとシノイは前言撤回したけれど(あと一人は?というつっこみはなしの方向で)。
「しょうがない。……メルちゃん、私にさっきのナイフをくれるかな」
「了解ですっ!」
メルミナがレクシスに向かってナイフを投擲する。
殺意のこもったそのナイフは、一直線にレクシスへと向かい、そして。
レクシスがキャッチする。かろうじて。
「……くっ」
「今メルちゃんなんか『残念』みたいな顔をしたかな!?」
「え、えー?なんのことでしょう、メルちゃんにはさっぱりですよ。ゴリラ夢中です」
「……『五里霧中』?」
「それです、ルゥお兄ちゃん。流石です」
だとしても、なんか使い時が違う――とは言えなかった。メルミナのその表情を見て、彼女のそんな嬉しそうな表情を見て、間違いを正すなどというのは、ルゥラナにはできなかった。なんともまあ、情けない精神だった。
「で、レクお兄ちゃんはメルちゃんのナイフでどうするつもりなんですか?それじゃ、バカドラさんには通用しませんよ?」
「ふふふ、私がこれを戦闘用に使用する?馬鹿を言っちゃいけないよメルちゃん。これは変態として、大切に保存するに決まっているじゃないか。メルちゃんが常に持っていた物を手に入れたのに、私が手放すわけが無いよ。たまにこれを見つめては、光悦の表情を浮かべさせてもらうよ」
「――」
ありったけのナイフを、投擲した。
どこからそんなに取り出したんだと言いたいくらい、正確には三十本ぐらいのナイフがレクシスを襲い掛かる。
しかし彼は、そんなのは読んでいた、とでも言いたげな涼しげな顔でことごとくそれらを避ける。当たるかとも思ったものも、まああったにはあったのだが、それでも彼は全て避けきった。
全力でもって力を使ったメルミナがぜぇぜぇと息を切らす。それを見てにやける(以下略)。
「いやいや、悪かった。冗談だよ冗談だ。……だけどね、メルちゃん。このナイフが通用しないとも限らないんだよ。やってみなくちゃ分からない。そう、やってみないと……ねっ!」
メルミナ同様、レクシスがナイフを投擲する。その動きは熟練の冒険者を臭わせるもので、そして実際に狙いも正確だった。
(まさかこいつ……ただの変態ではない――)
ルゥラナがそう考えた時。
ナイフが、弾かれた。鱗に。普通に。
(……)
絶句。というより、呆れ。
期待した俺が馬鹿だった――とでも言わんばかりの顔のルゥラナ。
「うーむ」
しばし考え込むような仕草をし、そしてレクシスが話す。
「やっぱり効かないか」
「……」
――さっきからそう言ってるだろ。
そう、ルゥラナだけでなくシノイも思った。こういうところで考えることは同じだったようだ。
ちなみに、古龍さえも呆れて物が言えない状態だ。ある意味それはあたりまえだった。
《汝ら……結局何がしたいのだ》
やっとのことで、古龍が言葉を絞り出す。出した言葉も、なんとまあ悲しい言葉だが。
対するレクシスは、なぜだか勝ち誇ったかのような笑みを浮かべる。メルミナも同様だった。
《……なぜ笑う?》
「え?いやいや、君が文字通りの“バカドラ”だと分かったからだよ。呆れて物が言えない――そんなことを戦いの最中にして、その上油断して、それで最強?笑わせてくれる」
皮肉たっぷりに、レクシスは言う。
――いつもと、少し雰囲気が違う?
ルゥラナがそう感じた時、続けてレクシスが叫んだ。
「さあ、いこうかメルちゃん」
「任せてください、レクお兄ちゃん」
それに合わせて、メルミナが、レクシスが、“何かをした”。
周りにいた人間からは、古龍からは、彼女が何をしたのかは分からないけれど、それでもたしかに何かをしたのだ。なぜなら彼女の叫びに合わせてレクシスが地面に手をついて、すると手をついた周囲にあった、先ほどメルミナが投げた三十あまりのナイフが光を帯びだして、まるで一つ一つのナイフ同士が光の線で結ばれるかのように、実際に光の線で結ばれたのだ。
そしてメルミナが古龍の頭の方へと手を向けて、さらに続けて叫ぶ。――いや、“謳う”。
「『――絶対の存在たる古龍よ。我が結界の前に平伏し、そして堕ちよ。汝、我らの姿となりて、地上へと堕ちん』」
《――これは》
それに呼応して、古龍の頭の部分からも、さきほどメルミナとレクシスがナイフを当てた部分からも光が発生し、そして同じように線を結んだ。
古龍が狼狽しだすが、そんなことは意に介さず。
メルミナと、レクシスが同時に宣言するかのように、言う。
「「『ドラゴンキラー』、展開」」
《――っ!?》
三十あまりのナイフが描く模様と――正確には魔方陣と――古龍の頭の光とが呼応し、一気に光を放った。
古龍の体全ても光り出し、そして。
古龍が、堕ちた。
一方その傍らで、ルゥラナはメルミナに話す。
「メル、やってやれ」
「えいやっ」
いつのまにやら、ルゥラナのメルミナに対する二人称が、かの変態に影響されてかは分からないが変わっていたが、はたして。
それはさておき。
ピュッとメルミナがナイフを古龍に向かって投擲する。
それは寸分違わず、彼女が狙った古龍の頭の辺りに飛んで行き――そして弾かれた。鱗に。
「……ルゥお兄ちゃん」
「どうした」
「やっぱメルちゃん、静観しときます」
「まあそう言うなって。いつかは傷ぐらい付けられるかもしれねえだろ?努力は必ず報われるんだ」
「努力の結果がたかが傷一つだけで、その上反撃されて死んでしまうのはあまりに不公平ではないでしょうか」
「だな」
「まあ、いいです。気合でいきます、ここまで来たら。……さあ、かかって来て下さいバカドラさんっ!」
なんというか、清々しいまでの開き直り精神だった。
ただ、やはり古龍にもプライドというものは存在するらしく、メイラだけでなくメルミナにさえも“バカドラ”呼ばわりされたことに傷つくと同時に、そろそろ怒りのボルテージが上がってきたようだ。声に怒気が含まれ始める。
《我は戦いを好まぬ。……だが、挑まれたなら拒まぬ。その覚悟……汝らにはあるか》
「俺にはある。シノイを助けてやらなきゃ、せっかくこんなとこに来た意味がなくなるからな」
「メルちゃんはないです」
「変態も同じく」
「僕もないです」
「……待て、お前ら。」
ここにきての、まさかの裏切りだった。
《ふむ……一人だけか》
「真に受けてるっ!?」
よく分からないところで古龍の天然が爆発した。ついでにルゥラナのつっこみも炸裂した。
しかし、もちろんレクシスとシノイは前言撤回したけれど(あと一人は?というつっこみはなしの方向で)。
「しょうがない。……メルちゃん、私にさっきのナイフをくれるかな」
「了解ですっ!」
メルミナがレクシスに向かってナイフを投擲する。
殺意のこもったそのナイフは、一直線にレクシスへと向かい、そして。
レクシスがキャッチする。かろうじて。
「……くっ」
「今メルちゃんなんか『残念』みたいな顔をしたかな!?」
「え、えー?なんのことでしょう、メルちゃんにはさっぱりですよ。ゴリラ夢中です」
「……『五里霧中』?」
「それです、ルゥお兄ちゃん。流石です」
だとしても、なんか使い時が違う――とは言えなかった。メルミナのその表情を見て、彼女のそんな嬉しそうな表情を見て、間違いを正すなどというのは、ルゥラナにはできなかった。なんともまあ、情けない精神だった。
「で、レクお兄ちゃんはメルちゃんのナイフでどうするつもりなんですか?それじゃ、バカドラさんには通用しませんよ?」
「ふふふ、私がこれを戦闘用に使用する?馬鹿を言っちゃいけないよメルちゃん。これは変態として、大切に保存するに決まっているじゃないか。メルちゃんが常に持っていた物を手に入れたのに、私が手放すわけが無いよ。たまにこれを見つめては、光悦の表情を浮かべさせてもらうよ」
「――」
ありったけのナイフを、投擲した。
どこからそんなに取り出したんだと言いたいくらい、正確には三十本ぐらいのナイフがレクシスを襲い掛かる。
しかし彼は、そんなのは読んでいた、とでも言いたげな涼しげな顔でことごとくそれらを避ける。当たるかとも思ったものも、まああったにはあったのだが、それでも彼は全て避けきった。
全力でもって力を使ったメルミナがぜぇぜぇと息を切らす。それを見てにやける(以下略)。
「いやいや、悪かった。冗談だよ冗談だ。……だけどね、メルちゃん。このナイフが通用しないとも限らないんだよ。やってみなくちゃ分からない。そう、やってみないと……ねっ!」
メルミナ同様、レクシスがナイフを投擲する。その動きは熟練の冒険者を臭わせるもので、そして実際に狙いも正確だった。
(まさかこいつ……ただの変態ではない――)
ルゥラナがそう考えた時。
ナイフが、弾かれた。鱗に。普通に。
(……)
絶句。というより、呆れ。
期待した俺が馬鹿だった――とでも言わんばかりの顔のルゥラナ。
「うーむ」
しばし考え込むような仕草をし、そしてレクシスが話す。
「やっぱり効かないか」
「……」
――さっきからそう言ってるだろ。
そう、ルゥラナだけでなくシノイも思った。こういうところで考えることは同じだったようだ。
ちなみに、古龍さえも呆れて物が言えない状態だ。ある意味それはあたりまえだった。
《汝ら……結局何がしたいのだ》
やっとのことで、古龍が言葉を絞り出す。出した言葉も、なんとまあ悲しい言葉だが。
対するレクシスは、なぜだか勝ち誇ったかのような笑みを浮かべる。メルミナも同様だった。
《……なぜ笑う?》
「え?いやいや、君が文字通りの“バカドラ”だと分かったからだよ。呆れて物が言えない――そんなことを戦いの最中にして、その上油断して、それで最強?笑わせてくれる」
皮肉たっぷりに、レクシスは言う。
――いつもと、少し雰囲気が違う?
ルゥラナがそう感じた時、続けてレクシスが叫んだ。
「さあ、いこうかメルちゃん」
「任せてください、レクお兄ちゃん」
それに合わせて、メルミナが、レクシスが、“何かをした”。
周りにいた人間からは、古龍からは、彼女が何をしたのかは分からないけれど、それでもたしかに何かをしたのだ。なぜなら彼女の叫びに合わせてレクシスが地面に手をついて、すると手をついた周囲にあった、先ほどメルミナが投げた三十あまりのナイフが光を帯びだして、まるで一つ一つのナイフ同士が光の線で結ばれるかのように、実際に光の線で結ばれたのだ。
そしてメルミナが古龍の頭の方へと手を向けて、さらに続けて叫ぶ。――いや、“謳う”。
「『――絶対の存在たる古龍よ。我が結界の前に平伏し、そして堕ちよ。汝、我らの姿となりて、地上へと堕ちん』」
《――これは》
それに呼応して、古龍の頭の部分からも、さきほどメルミナとレクシスがナイフを当てた部分からも光が発生し、そして同じように線を結んだ。
古龍が狼狽しだすが、そんなことは意に介さず。
メルミナと、レクシスが同時に宣言するかのように、言う。
「「『ドラゴンキラー』、展開」」
《――っ!?》
三十あまりのナイフが描く模様と――正確には魔方陣と――古龍の頭の光とが呼応し、一気に光を放った。
古龍の体全ても光り出し、そして。
古龍が、堕ちた。
竜殺しの結界術、『ドラゴンキラー』。
対古龍用の結界術(結界術というのも、つまりは魔法の応用だ)とされていて、その効果は“古龍の力を大幅に制限させる”というもの。
魔力がたくさんいるだとか、そういう制約も多く、色々と魔方陣やらなにやらの準備が必要で、普通に考えたらそんなものを準備している内に殺されてしまうため、あまり実戦向きとはいえない魔法だ。
とはいえ、もしもそれが成功しようものならその威力は折り紙付きで、古龍に勝つことも夢ではなくなる――そう言われている。
古龍が堕ちた。
具体的にどうなったかというと。
「……これは、何だ」
古龍は、“人間の姿となっていた”。
一見すると、渋いお兄さん、のように見えなくもない風貌だ。魔力によって黒衣のようなものが形成されていて、彼はそれに身を包んでいた。自分の身に何が起きているのか理解できない。そんな顔だった。
しかし。
困惑しているのは彼だけでなく、ルゥラナとシノイもだった。
最強の存在である『最古の古龍』に対して、結界術を成功させたという事実。それも、たった二人で。その事実が、二人を困惑させていた。
「いやいや、さすがレクお兄ちゃんです。メルちゃんの狙いをきっちりと見抜いてくださるなんて。今だけはその変態さに感謝させてもらいます」
「ふふふ、シスコンの変態に対して、妹のことで分からないことなんて無いに決まってるじゃないか」
嬉しいような、悲しいような、そんな表情のメルミナだった。というより悲しい。
「……」
グレイズヴェルドは、自分の力を見定めるかのような仕草をする。
「……一割、といったところか」
特に感情も出すことなく、そう呟く。笑うでもなく、悲しむでもなく。
しかし、彼はそれでも――笑った。
「面白い」
その場にいた全員に戦慄が走る。本能が、危険を告げている。
明らかに不利な状況であるというのに、彼、グレイズヴェルドはなお笑う。
「我ともあろう者が、随分と油断していたものだ。自業自得、といったところか。情けないものだ。だから、ここまで我の力を制限されることになったのだ」
自虐的に、彼は言う。
「で」
その時、周囲の空気が、変わった。
「それが……何だというのだ」
全員が、息を呑む。呼吸が、止まる。
それは――恐怖。絶対的なる恐怖。存在の次元そのものが、違う。
「我が我である以上、何者にも我を倒すことなど不可能――それこそ、『魔王』でなければな。……ふむ、結界術か。我を結界にかけるとは、相当の力の持ち主であろう、汝ら。対古龍用の結界術があるとは風の噂で聞いてはいたが――なるほど、たしかにこれは強い結界だ。強引には破れそうもない。となれば、我がすべきこと……汝らには分かるな?」
「……」
「結界術を破るには、術者に解かせるのが手っ取り早い。さあ、……宴を始めようか」
一割。
随分と弱っているように聞こえる数字だ。
けれど、その“十割”という数字の桁が違えばどうなるか。“一割”さえも、他の一般の古龍並みだとすればどうなるか。
答えは簡単、敗北だ。
圧倒的な力を“少々”小さくしたからといって、それはあくまで圧倒的。それ以下にはならない。
結果――グレイズヴェルドの力を一割に抑えた状態でさえも、ルゥラナたちは全滅。
手も足も出ないとは、まさにこのこと。
「……安心しろ。我は、人間は殺さぬ。そこにいる、余裕たっぷりの『魔王』の先祖との契約だ。違うことはしない、決してな」
彼の声が、その場に響く。
実際は響いてなどいないのだろうけれど、全員が全員意識が朦朧としかけているため、そう聞こえるんだろう。唯一、まともに残っているのはシノイのみ。
(つ、強い……)
そう彼は思う。彼はメイラの治癒に専念していたため戦いには参加していないが、それでも、さっきまでの戦いというか一方的な遊戯は見ていた。実際、グレイズヴェルドからしてみれば、さっきの戦いなど遊戯にすぎない。そう思える戦いぶりだった。
「さて、残る汝を倒せば『魔王』が直々に戦うと言っていたが、果たしてな」
「くっ……」
勝てる見込みがない、そう思えるのは当然だった。いくら彼といえど、いくら相手が弱体化していようと、それでもなおある実力差。戦うまでもなく、それが分かってしまう。
それでも彼は、勝つための算段も考えている。
ルゥラナたち3人の戦いぶりを見て、正面からぶつかっていくことの無謀さは分かった。ならば、相手の油断を利用しての奇襲しかない――そう考える。だが、それでも勝てる気がしないのだ。
グエイズヴェルドがこれまでどれだけ生きてきたのかなど彼は知らないが、それでも、長く生きていて、その分冷静に物事に対処する力も持っているだろうと考える。奇襲が奇襲としての意味を成さない。それでは意味がない。
かといって、それ以外では全くと言っていいほど勝ち目もない。彼がどうするか迷うのも、当然だった。
(こうなったら、一か八か――)
と思い始めたところで、事態は動く。
ルゥラナたち三人が、再び動いたのだ。
「あー……頭痛てえ」
グレイズヴェルドは当然武器など持っていないので、さっきは思いっきり打撃によって打ちのめされたのだった。その打撃がまたすごいの一言だった。
「うー、む。私も、これが女の子にやられたものならばむしろ嬉しいものなのだけれどね。男にそういうことをされるのはいただけないというか、なんというか」
「……こんなときまで冗談言うのやめてください、レクお兄ちゃん」
立ち上がったばかりでも、やはりレクシスはレクシスだった。
「まあ、冗談は置いておくとしてもだね。私としては、この状況はいささかいただけないものなんだよ。変態のプライドもだけれど、それよりも……私のプライドがね。いくら私といえども……怒る」
レクシスの珍しい口調に、ルゥラナは違和感を感じる。ついさっきもだったが、なんというのか、ただの変態とは思えないのだった。実は最強だった――とかそんなのはいくらなんでもないにしても、それでも、どこか普段とは違った。
「おい、『最古の古龍』とやら。あんまり舐めてばかりいると――殺すぞ」
いつもと、全く違う声。高低だけではない。最も違うのは、その感情。
恐怖とまではいかないが、それでもルゥラナは冷や汗をかく。
しかし、そんなレクシスの怒りなど知ったことではないと言わんばかりの声が、そこに響く。
「まあまあ、落ち着きなさい、レクシス」
シノイの治療によって、なんとか傷だけは塞がったメイラの声だった。つい今しがた目を覚ましたようだ。
だが、もちろん傷が治ったからといってダメージが蓄積されていないなんてことはない。シノイとしては、これほどまでに早くメイラが目を覚ましたことに驚きを隠せなかった。あと数時間は意識を取り戻さない、と、そう思っていたというのに。
「シノイも悪いわね。召喚したはいいとしても、まさかバカドラが出てくるとは思ってなかったのよ。あたし自体は面識はないんだけど、先祖様の方が揉めたらしくってね」
「は、はぁ……」
「ま、安心しなさい。今度は、あたしだって手加減なんてしないから大丈夫よ。あたしが直々に成敗してあげるから感謝しなさい、バカドラ」
少し拍子抜け、といった表情になるレクシス。彼とて決して戦いたいとは思っていないのだろうが、なんというか、言葉を言われたタイミングが悪かったというのか。とにかくそんなかんじだった。
「さー、てと。……んん、やっぱお腹の辺りが痛い」
伸びをしようとしたが、腹部に若干の痛みを感じて断念。
代わりに(何の代わりかは分からないが)、愛用の扇を、一気にバッと開いた。
「さてさて、メイラちゃんタイム突入しよっか」
これまでとは違い、今度は扇そのものが、淡い光を放っていた。
寝起きの運動。
そんな口調だった。
対古龍用の結界術(結界術というのも、つまりは魔法の応用だ)とされていて、その効果は“古龍の力を大幅に制限させる”というもの。
魔力がたくさんいるだとか、そういう制約も多く、色々と魔方陣やらなにやらの準備が必要で、普通に考えたらそんなものを準備している内に殺されてしまうため、あまり実戦向きとはいえない魔法だ。
とはいえ、もしもそれが成功しようものならその威力は折り紙付きで、古龍に勝つことも夢ではなくなる――そう言われている。
古龍が堕ちた。
具体的にどうなったかというと。
「……これは、何だ」
古龍は、“人間の姿となっていた”。
一見すると、渋いお兄さん、のように見えなくもない風貌だ。魔力によって黒衣のようなものが形成されていて、彼はそれに身を包んでいた。自分の身に何が起きているのか理解できない。そんな顔だった。
しかし。
困惑しているのは彼だけでなく、ルゥラナとシノイもだった。
最強の存在である『最古の古龍』に対して、結界術を成功させたという事実。それも、たった二人で。その事実が、二人を困惑させていた。
「いやいや、さすがレクお兄ちゃんです。メルちゃんの狙いをきっちりと見抜いてくださるなんて。今だけはその変態さに感謝させてもらいます」
「ふふふ、シスコンの変態に対して、妹のことで分からないことなんて無いに決まってるじゃないか」
嬉しいような、悲しいような、そんな表情のメルミナだった。というより悲しい。
「……」
グレイズヴェルドは、自分の力を見定めるかのような仕草をする。
「……一割、といったところか」
特に感情も出すことなく、そう呟く。笑うでもなく、悲しむでもなく。
しかし、彼はそれでも――笑った。
「面白い」
その場にいた全員に戦慄が走る。本能が、危険を告げている。
明らかに不利な状況であるというのに、彼、グレイズヴェルドはなお笑う。
「我ともあろう者が、随分と油断していたものだ。自業自得、といったところか。情けないものだ。だから、ここまで我の力を制限されることになったのだ」
自虐的に、彼は言う。
「で」
その時、周囲の空気が、変わった。
「それが……何だというのだ」
全員が、息を呑む。呼吸が、止まる。
それは――恐怖。絶対的なる恐怖。存在の次元そのものが、違う。
「我が我である以上、何者にも我を倒すことなど不可能――それこそ、『魔王』でなければな。……ふむ、結界術か。我を結界にかけるとは、相当の力の持ち主であろう、汝ら。対古龍用の結界術があるとは風の噂で聞いてはいたが――なるほど、たしかにこれは強い結界だ。強引には破れそうもない。となれば、我がすべきこと……汝らには分かるな?」
「……」
「結界術を破るには、術者に解かせるのが手っ取り早い。さあ、……宴を始めようか」
一割。
随分と弱っているように聞こえる数字だ。
けれど、その“十割”という数字の桁が違えばどうなるか。“一割”さえも、他の一般の古龍並みだとすればどうなるか。
答えは簡単、敗北だ。
圧倒的な力を“少々”小さくしたからといって、それはあくまで圧倒的。それ以下にはならない。
結果――グレイズヴェルドの力を一割に抑えた状態でさえも、ルゥラナたちは全滅。
手も足も出ないとは、まさにこのこと。
「……安心しろ。我は、人間は殺さぬ。そこにいる、余裕たっぷりの『魔王』の先祖との契約だ。違うことはしない、決してな」
彼の声が、その場に響く。
実際は響いてなどいないのだろうけれど、全員が全員意識が朦朧としかけているため、そう聞こえるんだろう。唯一、まともに残っているのはシノイのみ。
(つ、強い……)
そう彼は思う。彼はメイラの治癒に専念していたため戦いには参加していないが、それでも、さっきまでの戦いというか一方的な遊戯は見ていた。実際、グレイズヴェルドからしてみれば、さっきの戦いなど遊戯にすぎない。そう思える戦いぶりだった。
「さて、残る汝を倒せば『魔王』が直々に戦うと言っていたが、果たしてな」
「くっ……」
勝てる見込みがない、そう思えるのは当然だった。いくら彼といえど、いくら相手が弱体化していようと、それでもなおある実力差。戦うまでもなく、それが分かってしまう。
それでも彼は、勝つための算段も考えている。
ルゥラナたち3人の戦いぶりを見て、正面からぶつかっていくことの無謀さは分かった。ならば、相手の油断を利用しての奇襲しかない――そう考える。だが、それでも勝てる気がしないのだ。
グエイズヴェルドがこれまでどれだけ生きてきたのかなど彼は知らないが、それでも、長く生きていて、その分冷静に物事に対処する力も持っているだろうと考える。奇襲が奇襲としての意味を成さない。それでは意味がない。
かといって、それ以外では全くと言っていいほど勝ち目もない。彼がどうするか迷うのも、当然だった。
(こうなったら、一か八か――)
と思い始めたところで、事態は動く。
ルゥラナたち三人が、再び動いたのだ。
「あー……頭痛てえ」
グレイズヴェルドは当然武器など持っていないので、さっきは思いっきり打撃によって打ちのめされたのだった。その打撃がまたすごいの一言だった。
「うー、む。私も、これが女の子にやられたものならばむしろ嬉しいものなのだけれどね。男にそういうことをされるのはいただけないというか、なんというか」
「……こんなときまで冗談言うのやめてください、レクお兄ちゃん」
立ち上がったばかりでも、やはりレクシスはレクシスだった。
「まあ、冗談は置いておくとしてもだね。私としては、この状況はいささかいただけないものなんだよ。変態のプライドもだけれど、それよりも……私のプライドがね。いくら私といえども……怒る」
レクシスの珍しい口調に、ルゥラナは違和感を感じる。ついさっきもだったが、なんというのか、ただの変態とは思えないのだった。実は最強だった――とかそんなのはいくらなんでもないにしても、それでも、どこか普段とは違った。
「おい、『最古の古龍』とやら。あんまり舐めてばかりいると――殺すぞ」
いつもと、全く違う声。高低だけではない。最も違うのは、その感情。
恐怖とまではいかないが、それでもルゥラナは冷や汗をかく。
しかし、そんなレクシスの怒りなど知ったことではないと言わんばかりの声が、そこに響く。
「まあまあ、落ち着きなさい、レクシス」
シノイの治療によって、なんとか傷だけは塞がったメイラの声だった。つい今しがた目を覚ましたようだ。
だが、もちろん傷が治ったからといってダメージが蓄積されていないなんてことはない。シノイとしては、これほどまでに早くメイラが目を覚ましたことに驚きを隠せなかった。あと数時間は意識を取り戻さない、と、そう思っていたというのに。
「シノイも悪いわね。召喚したはいいとしても、まさかバカドラが出てくるとは思ってなかったのよ。あたし自体は面識はないんだけど、先祖様の方が揉めたらしくってね」
「は、はぁ……」
「ま、安心しなさい。今度は、あたしだって手加減なんてしないから大丈夫よ。あたしが直々に成敗してあげるから感謝しなさい、バカドラ」
少し拍子抜け、といった表情になるレクシス。彼とて決して戦いたいとは思っていないのだろうが、なんというか、言葉を言われたタイミングが悪かったというのか。とにかくそんなかんじだった。
「さー、てと。……んん、やっぱお腹の辺りが痛い」
伸びをしようとしたが、腹部に若干の痛みを感じて断念。
代わりに(何の代わりかは分からないが)、愛用の扇を、一気にバッと開いた。
「さてさて、メイラちゃんタイム突入しよっか」
これまでとは違い、今度は扇そのものが、淡い光を放っていた。
寝起きの運動。
そんな口調だった。
「『――メイラちゃんタイム、突入。……では、お料理を作ってみましょう』」
淡い光を放っていた扇が、次第にその色を変えていき、そしてついに金色に輝く。
それに合わせて、メイラの周りに複雑な模様の描かれた円――つまりは魔方陣が形成される。
「『――まずは、温めます』」
メイラの声に合わせて、今度は金色に輝く炎がグレイズヴェルドの周囲に展開される。
その熱量は計り知れず、その場にいた全員が暑さを感じるほどだった。さながら太陽の如し――それが相応しい。
「……この熱量、感嘆に値する。が、無駄だ。我は古龍、炎による魔法など――何も感じない」
「『でしょうね』」
「……?」
メイラの潔さを怪訝に思うグレイズヴェルド。
「『だから今度は――冷やします』」
「……っ!?」
刹那、グレイズヴェルドを取り囲んでいた炎は跡形もなく消え去り、代わりにとてつもない冷気が彼を襲う。
彼の周囲が全て冷気に包まれ、地面までもが一瞬にして凍りつく。
絶対零度――と呼ばれる。
「ぐ……」
温められた物質が急激に冷やされた時、どうなるか。
温められた鉄などでさえ、それをされると脆くなる。
同様に、グレイズヴェルドの場合においてもそれは当てはまる。一割に力を抑えられた上での、そのダメージ。普段でさえそうそう耐えられるものではないのに、それをこの状態で余裕で見て見ぬ振りなどできるはずもなかった。
「『――続いて食材を切り刻みます。しっかりと切っておきましょう』」
「――」
声を出す事も出来ず、というよりは声が掻き消された。その場に、特大の“嵐”が発生した。
それは多くのかまいたちを発生させ、そして人間の体となっているグレイズヴェルドを切り刻む。皮膚が切られ、赤い鮮血が舞う。文字通り、それは風に舞っていた。
「『――そして次は焦げるぐらいまで、焼きましょう』」
数十もの雷の槍が生まれ、そして彼へと殺到する。数個の雷は避けたものの、ふらつく彼は避けきれるはずもなく、残りは全て直撃する。宣言どおり、熱によって彼は焼き焦げていた(それだけで済んでいるのは流石というべきだろう)。
「……ぐぅ、がっ」
それでもなお立ち続けるのは、彼の精神力故であろう。
が、そこに死刑宣告ともいえる声が続けられる。
「『――さて、最後は盛り付けをしましょう。……そうですねえ、やはり締めくらいは自分でするべきですね』」
すると、扇から放たれていた光が長剣の形をとった。
黄金に輝く剣。
それはまさに、かつての『神魔戦争』における『魔王』の愛剣である、『煌剣シュラナリア』そのものであった。
『パラ教』における神話の世界で『魔王』が使ったとされる、本当の魔法剣。普通の魔法剣とは違い、実体を一切傷つけることなく、相手の魔力そのものにダメージを与えて戦闘不能にするという、“慈愛の剣”。他人を傷つけることを嫌っていた『魔王』が創りだした、最も相手に優しい剣。それを直に見たシノイは思わず――見とれてしまっていた。
――あまりにも、綺麗だった。
とても『魔王』とは思えないような、温かさが感じられる剣。剣なのに温かさを感じるというのもまた皮肉だけれど、それでも、無意識で彼は悟った。
『魔王』は、神話で語られているような存在ではないということを。
「『――さて、お客様、ご注文の品が完成致しました』……なんてね」
あくまでふざけた、そんな態度で、メイラはグレイズヴェルドを斬り裂いた。
とはいえ、傷などできようはずはないけれど。
「『後片付けは……頼んだわよ』」
グレイズヴェルドが意識を失うと同時に、そう言ってからメイラも意識を失った。そのまま二人は折り重なるように倒れる――というわけではないが、それでも実際に同じ場所で倒れた。
戦っていた当の本人たちの両方が静かになってしまったことで、その場に気まずい空気が流れる。
何と声を発するべきか、全員が思案しているようだった。
「……」
「……」
「……」
「……この角度からならば」
「「「?」」」
レクシスの言葉に三人が注目する。
「メイラちゃんのスカートの中がぐっはぁっ!」
ルゥラナとシノイが挟み込むかのように、回し蹴りを。メルミナが勢いをつけて、飛び蹴りを。それぞれレクシスにはなった。
しばらくして、レクシスの意識も失われた。
「……」
「……」
「……」
その後、とりあえずはシノイが逃げた人々を探し、そして事情を説明し、どうなったかを話した。
危険が去ったことを理解した彼らはなんとかその祭りの続きを行い(素晴らしい祭り魂だ)、何人かには、ルゥラナたちが気絶した二人と変態一名を宿屋に(もちろんシノイに取り計らってもらった)運ぶのを手伝ってもらった。なぜか一名見たことがない“人間”が増えていたけれど、彼らはそんなことには気づかなかったようだった。普通に、何も問題なく運んでくれた。
とはいえ、ルゥラナはこれからグレイズヴェルドをどう扱うべきなのかは分かっていなくて、とりあえず運んだはいいが、とても悩んでいた。また明日、メイラの意見でも聞くしかない、とルゥラナは考える。
言うまでもないのかは分からないにしても、ちなみに、メルミナはルゥラナが看ている間は外出していた。
どうせまた『情報操師』としての仕事でもしているんだとルゥラナは予想し、それは実際当たっていた。まあ、ルゥラナはそんなことぐらいで腹を立てたりなどしないけれど。
そんなこんなで、この一日は終了。
夜にはレクシスが目を覚まし、そして、メイラが欠けているがいつものように過ごした。
また明日、メイラにこれからどうするのか訊こうか、とルゥラナは考えていた。まあ、まだシノイが協力してくれるとは限らないわけだけれど。
嵐の後は、嵐の前よりも、なお静かだった。
淡い光を放っていた扇が、次第にその色を変えていき、そしてついに金色に輝く。
それに合わせて、メイラの周りに複雑な模様の描かれた円――つまりは魔方陣が形成される。
「『――まずは、温めます』」
メイラの声に合わせて、今度は金色に輝く炎がグレイズヴェルドの周囲に展開される。
その熱量は計り知れず、その場にいた全員が暑さを感じるほどだった。さながら太陽の如し――それが相応しい。
「……この熱量、感嘆に値する。が、無駄だ。我は古龍、炎による魔法など――何も感じない」
「『でしょうね』」
「……?」
メイラの潔さを怪訝に思うグレイズヴェルド。
「『だから今度は――冷やします』」
「……っ!?」
刹那、グレイズヴェルドを取り囲んでいた炎は跡形もなく消え去り、代わりにとてつもない冷気が彼を襲う。
彼の周囲が全て冷気に包まれ、地面までもが一瞬にして凍りつく。
絶対零度――と呼ばれる。
「ぐ……」
温められた物質が急激に冷やされた時、どうなるか。
温められた鉄などでさえ、それをされると脆くなる。
同様に、グレイズヴェルドの場合においてもそれは当てはまる。一割に力を抑えられた上での、そのダメージ。普段でさえそうそう耐えられるものではないのに、それをこの状態で余裕で見て見ぬ振りなどできるはずもなかった。
「『――続いて食材を切り刻みます。しっかりと切っておきましょう』」
「――」
声を出す事も出来ず、というよりは声が掻き消された。その場に、特大の“嵐”が発生した。
それは多くのかまいたちを発生させ、そして人間の体となっているグレイズヴェルドを切り刻む。皮膚が切られ、赤い鮮血が舞う。文字通り、それは風に舞っていた。
「『――そして次は焦げるぐらいまで、焼きましょう』」
数十もの雷の槍が生まれ、そして彼へと殺到する。数個の雷は避けたものの、ふらつく彼は避けきれるはずもなく、残りは全て直撃する。宣言どおり、熱によって彼は焼き焦げていた(それだけで済んでいるのは流石というべきだろう)。
「……ぐぅ、がっ」
それでもなお立ち続けるのは、彼の精神力故であろう。
が、そこに死刑宣告ともいえる声が続けられる。
「『――さて、最後は盛り付けをしましょう。……そうですねえ、やはり締めくらいは自分でするべきですね』」
すると、扇から放たれていた光が長剣の形をとった。
黄金に輝く剣。
それはまさに、かつての『神魔戦争』における『魔王』の愛剣である、『煌剣シュラナリア』そのものであった。
『パラ教』における神話の世界で『魔王』が使ったとされる、本当の魔法剣。普通の魔法剣とは違い、実体を一切傷つけることなく、相手の魔力そのものにダメージを与えて戦闘不能にするという、“慈愛の剣”。他人を傷つけることを嫌っていた『魔王』が創りだした、最も相手に優しい剣。それを直に見たシノイは思わず――見とれてしまっていた。
――あまりにも、綺麗だった。
とても『魔王』とは思えないような、温かさが感じられる剣。剣なのに温かさを感じるというのもまた皮肉だけれど、それでも、無意識で彼は悟った。
『魔王』は、神話で語られているような存在ではないということを。
「『――さて、お客様、ご注文の品が完成致しました』……なんてね」
あくまでふざけた、そんな態度で、メイラはグレイズヴェルドを斬り裂いた。
とはいえ、傷などできようはずはないけれど。
「『後片付けは……頼んだわよ』」
グレイズヴェルドが意識を失うと同時に、そう言ってからメイラも意識を失った。そのまま二人は折り重なるように倒れる――というわけではないが、それでも実際に同じ場所で倒れた。
戦っていた当の本人たちの両方が静かになってしまったことで、その場に気まずい空気が流れる。
何と声を発するべきか、全員が思案しているようだった。
「……」
「……」
「……」
「……この角度からならば」
「「「?」」」
レクシスの言葉に三人が注目する。
「メイラちゃんのスカートの中がぐっはぁっ!」
ルゥラナとシノイが挟み込むかのように、回し蹴りを。メルミナが勢いをつけて、飛び蹴りを。それぞれレクシスにはなった。
しばらくして、レクシスの意識も失われた。
「……」
「……」
「……」
その後、とりあえずはシノイが逃げた人々を探し、そして事情を説明し、どうなったかを話した。
危険が去ったことを理解した彼らはなんとかその祭りの続きを行い(素晴らしい祭り魂だ)、何人かには、ルゥラナたちが気絶した二人と変態一名を宿屋に(もちろんシノイに取り計らってもらった)運ぶのを手伝ってもらった。なぜか一名見たことがない“人間”が増えていたけれど、彼らはそんなことには気づかなかったようだった。普通に、何も問題なく運んでくれた。
とはいえ、ルゥラナはこれからグレイズヴェルドをどう扱うべきなのかは分かっていなくて、とりあえず運んだはいいが、とても悩んでいた。また明日、メイラの意見でも聞くしかない、とルゥラナは考える。
言うまでもないのかは分からないにしても、ちなみに、メルミナはルゥラナが看ている間は外出していた。
どうせまた『情報操師』としての仕事でもしているんだとルゥラナは予想し、それは実際当たっていた。まあ、ルゥラナはそんなことぐらいで腹を立てたりなどしないけれど。
そんなこんなで、この一日は終了。
夜にはレクシスが目を覚まし、そして、メイラが欠けているがいつものように過ごした。
また明日、メイラにこれからどうするのか訊こうか、とルゥラナは考えていた。まあ、まだシノイが協力してくれるとは限らないわけだけれど。
嵐の後は、嵐の前よりも、なお静かだった。
翌朝。
ルゥラナがメイラの部屋の扉を開ける。早く起こさなければ、朝食が終わってしまうからだ。
ガチャ、と扉を開ける。しばし部屋の中を見つめた後、再び扉を閉める。
「……」
再度開ける。また閉める。
そこに、とたとたとルゥラナの元へと走り寄ってくるメルミナ。おそらくレクシスあたりにでも様子を見てくるように頼まれたのだろう。
「あれ、どうしたんですか、ルゥお兄ちゃん?」
「いや……確認なんだが、この部屋ってメイラの部屋……だよな?」
「何を血迷った事を口走ってるんですか、当然ですよ」
「『血迷った』とまで言われる程じゃないと思うんだが……ってそれはどっちでもいいんだ。それは、間違いないよな」
「しつこいですよ、ルゥお兄ちゃん。殺しますよ」
「怖えよっ!」
なんとなく冗談に聞こえない分、ルゥラナとしては怖さ三割増しだった。
ただ、さっきからのルゥラナの態度を不審に思ったのか、メルミナは疑問を抱き始める。子供だから、ではないだろうが、彼女はそれを素直に尋ねる。
「あ、まさか漫画とかっぽくメイラさんの着替えに直面しちゃったとかですか」
「そんなんじゃなくてだな……」
「……?」
ガチャ、と。
扉が内側から開けられる。
「あ、メイラさんもう元気になったんです……か……?」
最初は普通に挨拶しようとメルミナもしたのだろう。だが、部屋から出てきたその姿に、メルミナは絶句する。目をパチパチさせて、しばらく凝視し、思案し、言葉を絞り出す。
「ええ、と……ルゥお兄ちゃん」
「どうした」
「この、女の子は……誰ですか?」
「知るか」
部屋から出てきたのはメイラではなく、二人ともが知らない、メルミナよりもなお小さそうな女の子だった。ただし服装は、メイラの無駄に豪華だった、かの赤い服をその子供用の大きさに合わせたようなもので、彼女は両手で一冊の分厚い本のようなものを抱えていた。
その女の子は扉を開けてから周囲を窺うようにしてきょろきょろして、そしてルゥラナと目が合った。じーっと見つめる。
「……ねっ、一つ質問いーい?」
「ん」
その女の子が、先に口を開く。
「ここ、どこ?」
「……」
また面倒な事が起きた、と、ルゥラナは思った。
「えとえと、あたしの名前はメイラ=シュライナ。八歳の可愛い女の子です。『魔王少女』って呼ばれてるよ」
「怖えよ」
皆の前で彼女にしてもらった自己紹介だ。自己紹介などといっても、名前を訊いただけだったのだが、はたして大きな収穫があったというべきだろうか。本来は、意味が分からない女の子だったからさっさとどこかにやりたい気分だったのだが、残念ながらルゥラナといっしょにメルミナがいた。
「だめですよ、ルゥお兄ちゃん。女の子を放り出すなんて」
という説教つきで、渋々他の皆にも紹介することになった。それでも、適当にあしらうつもりだったのだが、話を聞いた感じではそうもいかなさそうだ。
「同姓同名……じゃないよな。どういうことだ、グレイ?」
「我に分かるはずもなかろう。それに、我を気安く呼ぶな。我にはグレイズヴェルドという名がある」
そう答えたのは、未だに人間姿のままのグレイズヴェルドだった(レクシスとメルミナはまだ結界の効力を消していない)。明らかに不機嫌そうな表情をしている。
「同姓同名……?あ、もしかして、『禁術師』ちゃんのこと?」
「そうだが……って知り合いなのか。なるほど、だからその人と同じ名前にしてる……とかか?」
「ううん、そんなのじゃないよ」
にこにこと無邪気に微笑み、彼女は言う。
「だって、あの子はあたしなんだもん」
「……ふう」
疲れたのかな、とルゥラナは洩らす。
「もう一度」
「だからっ、あの子はあたしなんだよっ!」
「……だそうだが、レクシス」
「なぜここで私に振るのかな。私ならなんでも分かると勘違いしてないよね」
こちらも同様に不機嫌そうな表情だ。流石にそろそろからかうべきではないとルゥラナも思ったんだろう、きちんとその女の子の方を見る。見る。見つめる。
「変態っ!」
「違えよっ!」
「訴えちゃうよ訴えちゃうよ殺しちゃうよ潰しちゃうよ磨り潰しちゃうよっ!」
「怖えよっ!お前は本当に八歳か!?」
「えっ!?このあたしの可愛さを理解できないのっ!?だとしたら、あたしすっごく悲しいよ?」
「……自分で言ってて恥ずかしくね?」
「大丈夫、だってあたしは八歳だもん」
どんな理論だ、とは言わない。あえて言わない。言いたいけれど言わない。なぜならそろそろグレイズヴェルドが臨界点に達しようとしているからだ。「話を進めなければ殺す」とでも言わんばかりの表情だ(本当に殺されかねない)。
「ルゥ君、見つめてた理由を弁明してないよ。このままじゃ私の仲間入りだよ」
「それだけは拒否する。……ただ単に、たしかにメイラに似てるなあって思って見てただけだよ。何か問題でもあるのか」
「あるよ、だってあたしを見るのには鑑賞料がいるんだもん」
「超自信家っ!?」
と、パリンッ、と何かが割れるような音がした。どうしたのかと不思議に思ったところ、テーブルの上にあったガラスのコップが割れていた(一応今は食事中だ)。幸い中身は既に空だったようで、何かが零れる、ということはなかった。どうして突然割れたのかという疑問も浮かんだが、少し近くのある人物から黒い魔力のオーラのようなものが溢れんばかりに出ていたため、もちろん言うはずもなかった。寿命を自分から縮めるような馬鹿ではない。
「『禁術師』さんがあたしっていうのはね、だってあの『禁術師』さんの姿っていうのが、将来のあたしの姿だからなの」
「わあ。それはまた素晴らしい力だなー」
「なんなの、その棒読みは。嘘じゃないんだよ、本当なんだもん」
頬を膨らませて、不機嫌をアピールしている。
「ほー、じゃあなんだ、その扇の中に人格っぽいのが入っていて、それがさっきまで出てたから記憶が飛んでるとかそういう漫画的なオチか。で、なぜか姿まで変わっていたと」
「うん、そうだよ」
「……はぁっ!?」
昔彼が読んだ事のあった漫画のネタをそのまま言ってみたら、どうしたことか。まさかの承認だった。
「厳密には違うらしいんだけど……だいたいそれで合ってると思うよ」
「……待て、待て待て。どこから冗談が入った。武器に人格?なんだそりゃ。あるわけないだろう、常識で考えて」
「初代『魔王』の遺産なんだもん、それぐらいのドッキリがあってもいいじゃん」
それからもう少し詳しい話をしてもらった。
彼女、メイラは孤児らしい。親の顔も知ることなく、孤児院で育ったそうだ。そのころから、どういうわけか例の扇を持っていたらしく、なんだか『安心感』のようなものを感じていたがために捨てることもなかったそうだ(この辺りの理由だとかは、彼女自身よく分からないらしい)。
そんな彼女が初めて、(彼女の言う)扇の中の人格と話したのが六歳ぐらいのころだったらしい。彼女の主観のままで言うなら、「禁術のチュートリアルみたいなものだったの」だそうだ。「(禁術の)取扱説明書。そんなものが禁術とやらにはあったのか、へえー」と、まあ聞き流した。で、その時に自分の出自を知ったらしい。チュートリアルみたいなもの、とはいえ機械的なものではなかったらしく、むしろ親しげだったらしい(これまでのメイラの性格だ)。
それから、魔法の事をその擬似人格に習い、メイラ(16)に言われるがままに孤児院を勝手に出たそうだ。六歳の子供がそんなことをするには大きな決心がいるだろうと思うかもしれないが、案外そんなこともなく、これまでメイラ(当時6)が扇を持っていた時と同様に、不思議な安心感を感じたそうだ。実際、それで生き残っているのだからたいしたものだろう。
で、出たはよかったのだが、そこで問題が発生した。なんといってもまだ六歳。八歳ぐらいまでは努力して禁術を使えるようになろうとしたのだが、それでも使えるようにはならず。仕方なく、メイラ(16)が直々に体を使わせてもらって、禁術を使うイメージのようなものをつかんでもらうことにしたのだそうだ。その間は歳をとらないらしく(これでも十分すぎるほどに反則級の魔法だが)、そうして戦闘の経験値を上げていったそうだ。
そして昨日になって、魔力を使いすぎたらしく、その魔法が解けてしまったそうだ。だから、メイラ(16)がメイラ(8)に戻った、ということらしい。
「戦闘とかの記憶は共有できるんだけどね、それ以外は全くだから、あたしは皆のこととか、ここはどこなのー、とかは分からないの」
「ふぅん……」
とりあえずは自己紹介と状況説明をしてみたが、いくらなんでも八歳の女の子には分かるわけがないか、とルゥラナは思っていた。が、予想外の展開が待っていた。
「んと、とりあえず、グレイおじちゃんはそのままの状態にして仲間になってもらうのが最善だと思うよ」
と、アドバイスまでされてしまった。
「お前、結構頭いい?」
「うん、だってあたしは『魔王少女』で『天才少女』で『魔法少女』なんだもん」
「増えてるっ!?」
正義と悪が混じっていたが、それは流しておく。
「我は仲間になどならん。なるわけがないだろう」
「……だそうだが」
「んーん、なってくれないの?初代『魔王』さんの時は手伝ってくれたのに」
「あれはあれだ。今回まで手伝うほど、我はお人よしではない」
「むー、分かった。じゃ、またね」
と言ったところで。グレイズヴェルドが“消えた”。
「……は?」
「どうしたの、そんなに驚く事でもないでしょ、ただの転移だよ?」
メイラは実に何事もないかのように、平然と答えた。が、ルゥラナとしてはそんなに平然としていられることではない。転移魔法というのは、メイラが思っているほどに簡単に使えるような魔法ではなく、それに、“あんなに短時間で予備動作すらなく使えるようなものではない”。
「レクお兄ちゃん、メルちゃん、もうグレイおじちゃんの結界解いておいてあげていいよ」
「あ、ああ……分かったよ」
全員は思う、やはりメイラはメイラだったと。決して、ただの子供ではなく、正真正銘『魔王』の子孫であると。
その後、四人はシノイの元へと向かった。今回は既に話がついているようで、あまり待たされることもなくすんなりとシノイの元へと通してもらった。素晴らしき権力の力。
「皆、おはよう……って、この子は誰?」
第一声は予想通りのものだった。普通すぎて、逆に誰も予想していなかったが(皆の意見としては、スルーされるだとか、大穴狙いでいきなり抱きつくだとか、そういう類のものばかりだった)。
「いや、こいつはメイラだ」
「どうも、初めまして。メイラ=シュライナだよ」
「ああ、メイラさん。……え?ちょ、ちょっと待って。これはどういうドッキリ?」
「まあ落ち着け。言いたいことは色々あるだろうが、とりあえず確実なのはこいつは本当にメイラだってことだ」
「……幻術かっ!」
「そんな非生産的なことは誰もしない」
とりあえず事情説明。真面目なシノイだからすぐに理解するかと思いきや、むしろその逆で、どうでもいいところで真面目になったためになかなか理解されなかった。三十分が経過したところで、やっと理解し、今日の本題に入った。
「ええとね、君たちの仲間になるという話なんだけれど……正式に、それを受け入れさせてほしい。むしろ僕からお願いさせてもらうよ」
「……本当にいいのか?『神官』であるあんたが『パラ教』を裏切ってしまって」
「いいんだよ、もう十分に考えた事だからね。今更意見を変えたりはしない」
もう少し確認をしようと思ったルゥラナだったが、それ以上はシノイ自らがそれを目で拒否する。無駄だと思い、流石にそれ以上は確認はしなかった。
「それにもう、これはこの町の人全員に対して言ったことだしね。変えようにも変えられない」
「もう言ったのか?」
「何事も早い方がいいんだよ。いつかは皆、知るんだしね」
いつそれを言ったのかは知らないが、言う機会があったとしたら、それは祭りの最中ぐらいだろう。おそらく、あの『剣舞』終了後にでも発表していたんだろうとルゥラナは思った。随分と行動が早いものだ。
「で、そうなると僕は具体的にどうしたらいいのかな」
とはいえ、何をするかは伝えていないので、まだ町の人たちもどうするべきなのかは分かっていないだろうけれど。
「具体的にしてほしいのは、二つだよ」
ルゥラナたちから話を聞いたメイラが、これからするべきことを言う。それだけでするべきことが分かるというのは、なるほどたしかに天才なのかもしれない。
「一つは、あたしたち同様の『神官』の仲間への勧誘。これは、シノイお兄ちゃんが信頼を置けるっていう人だけにしておいてね。もう一つは……この指輪の所持」
メイラが何も持っていない手をシノイへと差し出す。疑問符が出ていたシノイだったが、とりあえず手を出した。それにメイラが手を重ねて数秒後、シノイの手の中には三個の指輪があった。
「えと、それはね、あたしの魔法で作られた指輪なんだけどね、それを持ってるとあたしから持ってる人、それか逆に持ってる人からあたしに連絡が出来るんだよ。とりあえず、仲間にできた人がいたら渡しておいて。一人一個で十分だから」
「ああ、了解した」
あまりのその手際のよさに、ルゥラナたちは驚いていた。人づてに話を聞いただけだったのに、これほどまでの適応力。驚きを隠す事などできるはずもなかった。
それから、今からメイラたちが向かう所などをシノイに伝えたり、その他諸々の無駄話を経て、ついに町を去る。
「何かあったら連絡させてもらうよ」
「ああ、頼んだ」
「じゃあね、皆。無茶はしたらだめだよ」
最後に別れの挨拶をして、今度こそ町を去った。別にもう二度と来ないだとか、そういうのではなかったけれど。
なぜなら二日後に、出て行く方向を間違ったメイラたちが再び戻ってきたからだ。それはまた、別の話。
ルゥラナがメイラの部屋の扉を開ける。早く起こさなければ、朝食が終わってしまうからだ。
ガチャ、と扉を開ける。しばし部屋の中を見つめた後、再び扉を閉める。
「……」
再度開ける。また閉める。
そこに、とたとたとルゥラナの元へと走り寄ってくるメルミナ。おそらくレクシスあたりにでも様子を見てくるように頼まれたのだろう。
「あれ、どうしたんですか、ルゥお兄ちゃん?」
「いや……確認なんだが、この部屋ってメイラの部屋……だよな?」
「何を血迷った事を口走ってるんですか、当然ですよ」
「『血迷った』とまで言われる程じゃないと思うんだが……ってそれはどっちでもいいんだ。それは、間違いないよな」
「しつこいですよ、ルゥお兄ちゃん。殺しますよ」
「怖えよっ!」
なんとなく冗談に聞こえない分、ルゥラナとしては怖さ三割増しだった。
ただ、さっきからのルゥラナの態度を不審に思ったのか、メルミナは疑問を抱き始める。子供だから、ではないだろうが、彼女はそれを素直に尋ねる。
「あ、まさか漫画とかっぽくメイラさんの着替えに直面しちゃったとかですか」
「そんなんじゃなくてだな……」
「……?」
ガチャ、と。
扉が内側から開けられる。
「あ、メイラさんもう元気になったんです……か……?」
最初は普通に挨拶しようとメルミナもしたのだろう。だが、部屋から出てきたその姿に、メルミナは絶句する。目をパチパチさせて、しばらく凝視し、思案し、言葉を絞り出す。
「ええ、と……ルゥお兄ちゃん」
「どうした」
「この、女の子は……誰ですか?」
「知るか」
部屋から出てきたのはメイラではなく、二人ともが知らない、メルミナよりもなお小さそうな女の子だった。ただし服装は、メイラの無駄に豪華だった、かの赤い服をその子供用の大きさに合わせたようなもので、彼女は両手で一冊の分厚い本のようなものを抱えていた。
その女の子は扉を開けてから周囲を窺うようにしてきょろきょろして、そしてルゥラナと目が合った。じーっと見つめる。
「……ねっ、一つ質問いーい?」
「ん」
その女の子が、先に口を開く。
「ここ、どこ?」
「……」
また面倒な事が起きた、と、ルゥラナは思った。
「えとえと、あたしの名前はメイラ=シュライナ。八歳の可愛い女の子です。『魔王少女』って呼ばれてるよ」
「怖えよ」
皆の前で彼女にしてもらった自己紹介だ。自己紹介などといっても、名前を訊いただけだったのだが、はたして大きな収穫があったというべきだろうか。本来は、意味が分からない女の子だったからさっさとどこかにやりたい気分だったのだが、残念ながらルゥラナといっしょにメルミナがいた。
「だめですよ、ルゥお兄ちゃん。女の子を放り出すなんて」
という説教つきで、渋々他の皆にも紹介することになった。それでも、適当にあしらうつもりだったのだが、話を聞いた感じではそうもいかなさそうだ。
「同姓同名……じゃないよな。どういうことだ、グレイ?」
「我に分かるはずもなかろう。それに、我を気安く呼ぶな。我にはグレイズヴェルドという名がある」
そう答えたのは、未だに人間姿のままのグレイズヴェルドだった(レクシスとメルミナはまだ結界の効力を消していない)。明らかに不機嫌そうな表情をしている。
「同姓同名……?あ、もしかして、『禁術師』ちゃんのこと?」
「そうだが……って知り合いなのか。なるほど、だからその人と同じ名前にしてる……とかか?」
「ううん、そんなのじゃないよ」
にこにこと無邪気に微笑み、彼女は言う。
「だって、あの子はあたしなんだもん」
「……ふう」
疲れたのかな、とルゥラナは洩らす。
「もう一度」
「だからっ、あの子はあたしなんだよっ!」
「……だそうだが、レクシス」
「なぜここで私に振るのかな。私ならなんでも分かると勘違いしてないよね」
こちらも同様に不機嫌そうな表情だ。流石にそろそろからかうべきではないとルゥラナも思ったんだろう、きちんとその女の子の方を見る。見る。見つめる。
「変態っ!」
「違えよっ!」
「訴えちゃうよ訴えちゃうよ殺しちゃうよ潰しちゃうよ磨り潰しちゃうよっ!」
「怖えよっ!お前は本当に八歳か!?」
「えっ!?このあたしの可愛さを理解できないのっ!?だとしたら、あたしすっごく悲しいよ?」
「……自分で言ってて恥ずかしくね?」
「大丈夫、だってあたしは八歳だもん」
どんな理論だ、とは言わない。あえて言わない。言いたいけれど言わない。なぜならそろそろグレイズヴェルドが臨界点に達しようとしているからだ。「話を進めなければ殺す」とでも言わんばかりの表情だ(本当に殺されかねない)。
「ルゥ君、見つめてた理由を弁明してないよ。このままじゃ私の仲間入りだよ」
「それだけは拒否する。……ただ単に、たしかにメイラに似てるなあって思って見てただけだよ。何か問題でもあるのか」
「あるよ、だってあたしを見るのには鑑賞料がいるんだもん」
「超自信家っ!?」
と、パリンッ、と何かが割れるような音がした。どうしたのかと不思議に思ったところ、テーブルの上にあったガラスのコップが割れていた(一応今は食事中だ)。幸い中身は既に空だったようで、何かが零れる、ということはなかった。どうして突然割れたのかという疑問も浮かんだが、少し近くのある人物から黒い魔力のオーラのようなものが溢れんばかりに出ていたため、もちろん言うはずもなかった。寿命を自分から縮めるような馬鹿ではない。
「『禁術師』さんがあたしっていうのはね、だってあの『禁術師』さんの姿っていうのが、将来のあたしの姿だからなの」
「わあ。それはまた素晴らしい力だなー」
「なんなの、その棒読みは。嘘じゃないんだよ、本当なんだもん」
頬を膨らませて、不機嫌をアピールしている。
「ほー、じゃあなんだ、その扇の中に人格っぽいのが入っていて、それがさっきまで出てたから記憶が飛んでるとかそういう漫画的なオチか。で、なぜか姿まで変わっていたと」
「うん、そうだよ」
「……はぁっ!?」
昔彼が読んだ事のあった漫画のネタをそのまま言ってみたら、どうしたことか。まさかの承認だった。
「厳密には違うらしいんだけど……だいたいそれで合ってると思うよ」
「……待て、待て待て。どこから冗談が入った。武器に人格?なんだそりゃ。あるわけないだろう、常識で考えて」
「初代『魔王』の遺産なんだもん、それぐらいのドッキリがあってもいいじゃん」
それからもう少し詳しい話をしてもらった。
彼女、メイラは孤児らしい。親の顔も知ることなく、孤児院で育ったそうだ。そのころから、どういうわけか例の扇を持っていたらしく、なんだか『安心感』のようなものを感じていたがために捨てることもなかったそうだ(この辺りの理由だとかは、彼女自身よく分からないらしい)。
そんな彼女が初めて、(彼女の言う)扇の中の人格と話したのが六歳ぐらいのころだったらしい。彼女の主観のままで言うなら、「禁術のチュートリアルみたいなものだったの」だそうだ。「(禁術の)取扱説明書。そんなものが禁術とやらにはあったのか、へえー」と、まあ聞き流した。で、その時に自分の出自を知ったらしい。チュートリアルみたいなもの、とはいえ機械的なものではなかったらしく、むしろ親しげだったらしい(これまでのメイラの性格だ)。
それから、魔法の事をその擬似人格に習い、メイラ(16)に言われるがままに孤児院を勝手に出たそうだ。六歳の子供がそんなことをするには大きな決心がいるだろうと思うかもしれないが、案外そんなこともなく、これまでメイラ(当時6)が扇を持っていた時と同様に、不思議な安心感を感じたそうだ。実際、それで生き残っているのだからたいしたものだろう。
で、出たはよかったのだが、そこで問題が発生した。なんといってもまだ六歳。八歳ぐらいまでは努力して禁術を使えるようになろうとしたのだが、それでも使えるようにはならず。仕方なく、メイラ(16)が直々に体を使わせてもらって、禁術を使うイメージのようなものをつかんでもらうことにしたのだそうだ。その間は歳をとらないらしく(これでも十分すぎるほどに反則級の魔法だが)、そうして戦闘の経験値を上げていったそうだ。
そして昨日になって、魔力を使いすぎたらしく、その魔法が解けてしまったそうだ。だから、メイラ(16)がメイラ(8)に戻った、ということらしい。
「戦闘とかの記憶は共有できるんだけどね、それ以外は全くだから、あたしは皆のこととか、ここはどこなのー、とかは分からないの」
「ふぅん……」
とりあえずは自己紹介と状況説明をしてみたが、いくらなんでも八歳の女の子には分かるわけがないか、とルゥラナは思っていた。が、予想外の展開が待っていた。
「んと、とりあえず、グレイおじちゃんはそのままの状態にして仲間になってもらうのが最善だと思うよ」
と、アドバイスまでされてしまった。
「お前、結構頭いい?」
「うん、だってあたしは『魔王少女』で『天才少女』で『魔法少女』なんだもん」
「増えてるっ!?」
正義と悪が混じっていたが、それは流しておく。
「我は仲間になどならん。なるわけがないだろう」
「……だそうだが」
「んーん、なってくれないの?初代『魔王』さんの時は手伝ってくれたのに」
「あれはあれだ。今回まで手伝うほど、我はお人よしではない」
「むー、分かった。じゃ、またね」
と言ったところで。グレイズヴェルドが“消えた”。
「……は?」
「どうしたの、そんなに驚く事でもないでしょ、ただの転移だよ?」
メイラは実に何事もないかのように、平然と答えた。が、ルゥラナとしてはそんなに平然としていられることではない。転移魔法というのは、メイラが思っているほどに簡単に使えるような魔法ではなく、それに、“あんなに短時間で予備動作すらなく使えるようなものではない”。
「レクお兄ちゃん、メルちゃん、もうグレイおじちゃんの結界解いておいてあげていいよ」
「あ、ああ……分かったよ」
全員は思う、やはりメイラはメイラだったと。決して、ただの子供ではなく、正真正銘『魔王』の子孫であると。
その後、四人はシノイの元へと向かった。今回は既に話がついているようで、あまり待たされることもなくすんなりとシノイの元へと通してもらった。素晴らしき権力の力。
「皆、おはよう……って、この子は誰?」
第一声は予想通りのものだった。普通すぎて、逆に誰も予想していなかったが(皆の意見としては、スルーされるだとか、大穴狙いでいきなり抱きつくだとか、そういう類のものばかりだった)。
「いや、こいつはメイラだ」
「どうも、初めまして。メイラ=シュライナだよ」
「ああ、メイラさん。……え?ちょ、ちょっと待って。これはどういうドッキリ?」
「まあ落ち着け。言いたいことは色々あるだろうが、とりあえず確実なのはこいつは本当にメイラだってことだ」
「……幻術かっ!」
「そんな非生産的なことは誰もしない」
とりあえず事情説明。真面目なシノイだからすぐに理解するかと思いきや、むしろその逆で、どうでもいいところで真面目になったためになかなか理解されなかった。三十分が経過したところで、やっと理解し、今日の本題に入った。
「ええとね、君たちの仲間になるという話なんだけれど……正式に、それを受け入れさせてほしい。むしろ僕からお願いさせてもらうよ」
「……本当にいいのか?『神官』であるあんたが『パラ教』を裏切ってしまって」
「いいんだよ、もう十分に考えた事だからね。今更意見を変えたりはしない」
もう少し確認をしようと思ったルゥラナだったが、それ以上はシノイ自らがそれを目で拒否する。無駄だと思い、流石にそれ以上は確認はしなかった。
「それにもう、これはこの町の人全員に対して言ったことだしね。変えようにも変えられない」
「もう言ったのか?」
「何事も早い方がいいんだよ。いつかは皆、知るんだしね」
いつそれを言ったのかは知らないが、言う機会があったとしたら、それは祭りの最中ぐらいだろう。おそらく、あの『剣舞』終了後にでも発表していたんだろうとルゥラナは思った。随分と行動が早いものだ。
「で、そうなると僕は具体的にどうしたらいいのかな」
とはいえ、何をするかは伝えていないので、まだ町の人たちもどうするべきなのかは分かっていないだろうけれど。
「具体的にしてほしいのは、二つだよ」
ルゥラナたちから話を聞いたメイラが、これからするべきことを言う。それだけでするべきことが分かるというのは、なるほどたしかに天才なのかもしれない。
「一つは、あたしたち同様の『神官』の仲間への勧誘。これは、シノイお兄ちゃんが信頼を置けるっていう人だけにしておいてね。もう一つは……この指輪の所持」
メイラが何も持っていない手をシノイへと差し出す。疑問符が出ていたシノイだったが、とりあえず手を出した。それにメイラが手を重ねて数秒後、シノイの手の中には三個の指輪があった。
「えと、それはね、あたしの魔法で作られた指輪なんだけどね、それを持ってるとあたしから持ってる人、それか逆に持ってる人からあたしに連絡が出来るんだよ。とりあえず、仲間にできた人がいたら渡しておいて。一人一個で十分だから」
「ああ、了解した」
あまりのその手際のよさに、ルゥラナたちは驚いていた。人づてに話を聞いただけだったのに、これほどまでの適応力。驚きを隠す事などできるはずもなかった。
それから、今からメイラたちが向かう所などをシノイに伝えたり、その他諸々の無駄話を経て、ついに町を去る。
「何かあったら連絡させてもらうよ」
「ああ、頼んだ」
「じゃあね、皆。無茶はしたらだめだよ」
最後に別れの挨拶をして、今度こそ町を去った。別にもう二度と来ないだとか、そういうのではなかったけれど。
なぜなら二日後に、出て行く方向を間違ったメイラたちが再び戻ってきたからだ。それはまた、別の話。