Neetel Inside 文芸新都
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夏の文藝ホラー企画
掌編/とある文藝の禁断行為/六月十七日

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二〇一〇年 八月 五日(木)

 辟易の念を堪え切ることが出来ず、嘆息を漏らしてしまった。
 何でも今現在、WEB漫画・小説投稿サイト「新都社」の文藝部門にて、「夏の文藝ホラー企画」という催しを執り行っているそうだ。
 完全に、乗り遅れた形である。

 今日までこうして、文藝家としての道を歩んできた。尤も、歩むのではなく、ただ足踏みをしていただけなのかもしれないが。
 正式な雇用体制を取ることもなく、使い走りにも似た仕事を日々続け、その傍らで駄文・色文を連ねて、糊口を凌いできた。(※注 驚くべきことに、私は作品の提出を以って金銭を得ているのだ。尤も、雀の涙を質に入れた方が懐が暖まりそうなものだが……)
 文藝家に留まらず、何かを発表する職や表現する職に必要なものは、何か?
 才能が必要である。コネクションが必要である。投資が必要である。
 それより何より、常に世の動きを見ていることが必要なのだ。
 私は今回、それを怠った。それゆえの「乗り遅れ」なのだ。生来の性分なのか、天より預かった運命なのかは知らぬ存ぜぬが、どうにも解せぬものである。

 今から取り掛かって間に合うだろうか? 否、そのような間に合わせの瑣末なもので質の善いものを作れるはずがない。
 私は、何と非才な男であろうか。この手記が「愚痴帳」から「日記帳」に進化を遂げるのは、もう少し先の話になりそうだ。
 あるいは、そのような日は訪れないか。



二〇一〇年 八月 六日(金)

 恐るべき発想を得た。これは、神からの啓示か。それとも、悪魔の甘言か。

 要するに、一から作ろうとするから、間に合わないのだ。瑣末なのだ。
 モティーフというものを、用意すれば善いではないか。

 そうだ。考えてみれば、それは公の場においても、白昼堂々行われていることではないのか?
 一番ポピュラーな例を挙げれば、ギリシヤ神話やクトゥルー神話を題材にした作品など、漁れば腐るほど見つかる。
 昨今になれば、なんと唐繰(からくり)に性的な情愛を抱くニイズに合わせた作品まであるそうではないか。
 そういった作品の数々は、すべからず「祖」があるのは明らかである。まず一から全てを作り上げたとは、言い難い。

 そうなのだ。何故、もっと早く気付かなかったろう?
 おそらく、この事実に天啓的に気付けるか気付けないかが、一流の二流の境を分けるのだ。そして私は、今、ようやっと一流への領域へ、その一歩を踏み出したに違いない。

 ようやっとだ。ようやっと、時が来たのだ。



二〇一〇年 八月 七日(土)

 モティーフ探しは、思いの他、あっけなく完了した。

 今回、催しが執り行われる新都社の漫画部門に、「aaaa」という作品があることを私は発見した。
 この漫画が、実に不可思議なのだ。
 前衛的というか、作品でありながら、作品としての条件を満たしていないのである。

 作品というものは、多かれ少なかれ、作成者の主張や願望が描かれるものだ。
 そこに「目立ちたい」「巨万の富を築きたい」という欲求など欠片もないとは、私は誰にも言わせるつもりはない。つもりはなかったのだ。
 何故なら、このような作品が存在することなど、知らなかったのだから。

「aaaa」は、虚無、そのものだった。
 最初のページの瞳に射抜かれた瞬間、私の運命は決定したのだろう。

「aaaa」を題材として、何かを書こう。
 最終更新日も、約三年前。この手記が明るみに出ない限り、バレはすまい。



二〇一〇年 八月 八日(日)

「aaaa」には、恐ろしい魔力が宿っているのかもしれない。私は今現在、自分でも訝しんでしまうほど、筆が進んでいる。

「aaaa」は、想像力の坩堝(るつぼ)だ。その存在そのものが虚無であるにも関わらず、観る者の脳髄を刺激して、新しい世界を見せてくれる。

 今はもう亡き友人が、ダチュラという朝顔から精製したドラッグを常用していた。
 当時、ダチュラは合法ドラッグとして世間に出回っていたのだが、生来、両親に、薬にだけは手を出すなと厳しく躾けられていたため、私は使ったことなどなかった。

 今、私は、亡き友人の気持ちが理解出来た。
 この無限の想像の奔流は、麻薬のそれと等しいのだろう。
 自分の与り知らぬところで生まれる、自分の発想の子供たち。

 今、私の部屋には、「aaaa」の全頁を印刷したものが壁のそこかしこに貼り付けられている。
「aaaa」よ、私にもっと、もっと想像力を与えてくれ。



二〇一〇年 八月 ここのか(月)

 先日から、体の様子がおかしい。
 ひどく、疲れているのだ。一人、孤独に作業に勤しんでいるにも関わらず、絶えず何かに監視されているような、そんな感覚だ。

 おかしいといえば、それは体の様子に限ることではない。
 部屋中に飾った「aaaa」の眼たちが、微かに動いている気がする。

 私は、どうかしてしまったのだろうか? それとも、これが「天才」と呼ばれる者たちの領域なのだろうか?
 天才とは、人とは違う者が見えるという話は善く聞くのだが……これがそうなのか?



二〇一〇ねん 八月 十か(かようび)

 背中に、何かがまとわりついている。
 最近、物忘れがはげしい。常用していたかん字や言ばなどが、どんどん抜けおちていくのがわかる。

 私はもしや、何か、かんちがいしているのではないだろうか?
 私はもしや、なにか、とりかえしのつかないことをしてしまったのではないだろうか?

「aaaa」が、私を見ている。めが、微かにうごいている……うごいた。

 だちゅら、まやく、aaaa……ちがう、わたしは天才だ、そのりょういきに到達したはずなのだ。



二〇一〇ねん 八がつ とうか(ひ)

 わたしは、気づいた。
 とんでもない、かんちがいだったのだ。これが、天さい? かみをもおそれぬ所ぎょうだった。

 あくまだ。わたしがかみだと思っていたものは、あくまだった。

「aaaa」が、わたしを見ている。
「aaaa」が、私をみている。

 だれか、たすけて。
 もう、わるいことはしません。
 だれか、たすけて。



二  ね  八が  じ  (みず

 のうが、とけて る。
「aa  わたし、てんさ  たす て

 あ ? 「a 」の め
 うきで  出て  わ 死


 た
   す
     け
       Z____






























































に まる いち まる ねん
はち つき
じゅう いち ひ (みず)


 まねっこ まねっこ
 こんにちは ぼくです
 ごちそうさまでした
 ぷるぷるしてて すごくおいしかったです
 はやく つぎのひと
 こないかな

       

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