中央のロウソクは、残り二本。
トモキは黙り続けていた。話のオチへ至るまでの間を引っ張っているのだろう。俺も、リョーヘイも、タクミも、そろってトモキの含み笑いだけを見つめていた。
「でね……」
ようやくトモキが口を開く。
「そのおじさん、言ったんだよ。そんなはずは無いって。だって、その子……5年前に死んでるんだから、って!」
「おおおおおっ」
リョーヘイが大げさに驚いてみせる。たぶん、雰囲気を盛り上げようというムードメーカーの彼なりの気遣いだ。実際ありがちなオチだったし、展開も見え見えだった。ただ、あからさまに俺が鼻白んだ態度を取ってしまうと、タクミ達の興を冷めさせてしまいかねないので、神妙な面持ちだけはつくろっておいた。
ふっ、と、トモキが鋭く息を飛ばす。
三本目のロウソクが消えた。
中央のロウソクは、残り一本。
今夜、俺達四人はタクミの家に遊びに来ていた。百物語の真似事をしようと誘われたのだ。
もはや説明するまでもないだろうが、百物語とは古くから日本に伝わる夏の風物詩である。百本のロウソクを灯し、一話を語り終えるごとに吹き消し、百の話が語り尽くされた瞬間に本物の怪が現れる――というのが、もっともよく知られる形式だろう。とは言っても俺達だけで百も怖い話のネタを持ち合わせているわけではないので、必然的に一人一話、つまり四物語で行われることになった。怪が現れてくれる期待は薄いが、遊びは遊びとして楽しみたかったので、とりあえず細かいところは気にしないことにしておいた。
ちなみに用いられるロウソクは市販のものではなく、タクミお手製のアロマキャンドルだ。敢えてパラフィンは使わず、天然のミツロウを仕入れ、ハーブや香木等の独特のフレーバーを配合した、彼オリジナルの逸品である。ロウソク作りは、中学生からの彼の趣味だった。
ところでそんなおしゃれな趣味を持つタクミは外見もまた整っていて、いわゆるイケメンだった。くわえて女友達の誕生日にその誕生花にちなんだフレーバーをキャンドルに混ぜてプレゼントするという、キザったらしい程に気を利かせた演出をするものだから、当然のように女子の間ではモテモテだった。去年の今頃は、うちの高校でも一番の美女と評判の、夏堀玲子と付き合っていたらしい。
ん。なんだろう。急に嫌な胸騒ぎがした。
夏堀玲子の名前を思い出したせいだろうか。
「じゃあ、いよいよ俺の番だな」
タクミが言う。
他のロウソクの香りにまぎれて気づかなかったが、最後のこの一本は、どうにも臭い。魚か何かの腐敗臭というか、嗅いでいて沈んでゆくような気持ちにさせられる。ひょっとして胸騒ぎはこいつのせいかもしれない。
揺れる炎に顔を寄せ、タクミは俺達を一人一人見渡し、深呼吸をひとつした。
「俺が話すのは……夏堀玲子にまつわる事だ」
え。
まさか。俺の頭に彼女のことがよぎったから、タクミが察知したわけじゃあるまい。でもこの流れは単なる偶然でないような感じもした。
「ちょうど一年前、あいつが失踪したのは、みんなも憶えてるよな」
忘れられるはずがない。当時、高校中で大騒ぎになった大事件なのだ。
「結論から言うと、あいつは……夏堀玲子は、俺が殺した」
は。
空気が一気に凍りついた。
「俺はあいつを愛してた。本当に、心から。でも俺が愛してたのは、あくまでも、十六歳の彼女、夏堀玲子だった。今から一歳でも年を取って欲しくなかった。好きで、好きで、大好きで、大好きでしょうがなかった。だからこそ、少しでも変わって欲しくなかった。大人に近づいて欲しくなかったんだ。だから……殺した。八月四日、あいつが十七歳の誕生日を迎えてしまう直前に、全力で首を絞めた。あいつは苦しみながら死んでもやっぱり、美しい顔をしていた。俺はますますあいつに惚れた」
堰を切ったような勢いでそこまでしゃべり終えると、タクミは一仕事でも片付けたようにうつむき、息をやや乱しはじめた。
これは怪談なのか。はたまた告白なのか。
いつもは明るいキャラのはずだったリョーヘイも、さすがに口をあんぐりとさせて、まったくリアクションのできない様子だった。
「だからさ……だから、ね。俺は、あいつを、十六歳の夏堀玲子という存在を、永久に保存しておこうと思った」
声に冷静さが戻った。制御不能の溢れる感情を、より強大な感情をもってむりやり抑えているような、不自然なトーンだった。
「死体を保存する一般的な方法は、主に二つ。ミイラ化と、死蝋化だ」
「死蝋化?」
俺は思わず声を上げた。
「ああ」
タクミは相槌を返した。
死蝋――蝋――ロウ――ロウソク。
やにわに不吉な繋がりが垣間見えてしまった。
となると、このロウソクは、このロウソクから発せられる腐敗集は――。
「ミイラ化は高温で低湿の環境、死蝋化は低温で高湿の環境が必要だ。俺は、あいつの死体をノコギリで上半身と下半身に切り分けた。上半身をミイラに、下半身を死蝋にしようと思った。万一、どちらかが失敗しても、どちらかが成功すれば、俺の想いは果たせる。どうしても十六歳の夏堀玲子を永遠にさせておきたかったから、可能性の高い選択肢に賭けたんだ」
狂っている。そう確信した。タクミは狂っているのだ。一刻も早くどうにかしてやらねばならない。だが、どうすればいいのだ。
タクミが眼前を指差す。
「もう分かってるんだろ、お前ら」
炎が、ゆらめく。
「こいつだよ、このロウソクは夏堀玲子のふくらはぎの肉だったんだよ!」
うああああ。
心の中で叫んだ。最悪の予感が的中してしまった。本当ならちゃんと喉の奥からも叫びたかったが、あまりにリアルな恐怖のため、どう叫んでいいのか分からなかった。
ふっ。タクミの息が、舞う。
明かりが消える。
すべてが消える。
今夜の出来事をどう受け止めればいいのか、思案にあぐねていた。友人が、人殺し、だと。警察に通報するべきか。それとも四人だけの秘密にとどめておくべきか。もしトモキとリョースケと意見が対立したらどうしよう。それに、かりに秘密にとどめておくことができたとしても、どこかで足がついて、いずれ発覚するかもしれない。だとしたら重罪と知りつつ黙っておいた俺にも責任が及ぶのではないか。ああ。しまいには自己保身に必死になってしまうこの俺がどうしょうもなく浅ましく感じられる。夏堀玲子の死を悼むとか、タクヤの将来を憂うとか、他人のことなんかもうどうでもよくなってしまう、この自己中な俺。俺、俺は、ど、ど、どうすれば――
錯乱する意識の中で、物音を感知した。
キイーッと扉が開かれるような音。カサカサと布や紙の擦れ合うような音。バタンと扉の閉じられるような音。照明が落とされてカーテンも閉め切られたこの部屋の中で、タクミが動いているのか。
「ははははは」
沈黙を切り裂く、タクミの哄笑。
「嘘だよーん!」
ええっ。
「なかなか面白かったよ、君達の表情」
こ、このやろう。俺達をからかって反応を見て楽しんでただけなのか。
にわかに正気を取り戻すと、ふつふつと怒りが腹の底からせり上がってきた。いったんそうだと分かると、いかにもタクミのやりそうなことだと納得した。こいつのイタズラは、いつも決まって手が込んでいる。今回も、絶妙の演出と迫真の演技で、まんまと嵌められてしまったのだ。
「ってかさあ、何、ヒイてんの。すっげえオカシイんだけど。ははは。最高だよ」
「うるせーよ」
俺は精一杯の反論を試みたつもりだったが、陳腐な罵声しか出て来なかった。
「そもそもさ、死蝋なんて作ろうとして作れるほど簡単なものじゃないだろ。特に温暖な日本の気候は死蝋化に適していないわけだし。君達も理系なんだから、そのぐらいは余裕で突っ込んでもらわなきゃ」
暗闇に高らかと轟く、タクミの上機嫌な饒舌。
アホかと思う。いくら理系だからって、皆が皆、死蝋ができる環境的な条件なんて知識を持っているわけじゃないし、ましてや俺達高校生がそんな考えにまで至れるはずがない。実に的外れな嘲笑だ。
「だから結局、失敗して彼女の下半身は腐らせちゃったんだよね」
え。
失敗? 腐らせた?
つまるところ、タクミが嘘だと言ったのは、このロウソクが死蝋ではないということだけで、その他は――
カチッ。
蛍光灯のスイッチが押された。
無機質で均質な明かりの下、タクミは胸に、彼女を抱いていた。
十六歳のまま保存された、夏堀玲子の上半身を。