Neetel Inside 文芸新都
表紙

夏の文藝ホラー企画
短編/白街/黒兎玖乃

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 『白街』



 陽が出るまでビルの影で休もうと考えていたが、結局太陽は出なかった。

「……はあ」
 薄気味悪い灰色を湛えた空が、嘲笑うかのように僕を見下ろす。指を舐めて空中にかざしてみる。風は若干吹いているようで、ひんやりと冷たかった。夏だというのに、だ。
 立ち上がって砂だらけになったズボンを叩くと、細かい砂埃が舞い上がり、僕はむせる。気管支炎でも発症したのか、最近どうも咳が出る。渇いた咳が、何度も、何度も。
 気を取り直して、ビルの隙間から大通りへと移る。
 相変わらず道路は一面に氷を張ったスケートリンクのように真っ白で、踏んだ感触はいつも通り虫を踏み潰したような、嫌な感じだった。そこらに敷き詰められた白色の絨毯は視界に映るビル群や信号機、乗り捨てられた車にも降り積もっていた。
 近くにあった軽自動車を触ってみる。人の皮膚が腐ったようなぶよぶよと気持ちの悪い触り心地で、その色が肌色であれば、人体の部位を無造作に貼り付けた――――と言っても遜色なかった。実際の所これが一体何なのかは、未だに分からない。
 僕は白髪混じりの髪を掻きあげながら、時間軸から切り離されたような光景を眺めた。
 石灰を思い切り振りかけたように、白っぽくなって黙りこくるビル。人が生きている気配のない真っ白な大通り。時折地面に見かける、人間の形状をした、何か。きっと人間そのものなのだろうけど、もはや原形を留めてはいない。
 たまに白で覆われた街に舞い降りてくる黒は、死体を食い漁りに来たカラスの群れ。かあかあと、不快な鳴き声をあげながら死体の肉を食いちぎる。普通なら内臓とか脳が飛び散って、モノクロの世界に真紅が混じってもおかしくはないのだが……残念ながら、今の世界ではそれは在り得ない。
 もう普通ではないのだ。この世界は。
 呼吸の音とカラスの声以外は何も聞こえない都市を、何も持たずにとぼとぼと歩く。時々民家を見かけても、その中には人の気配はない。あったとしても、それは既に心臓の鼓動を止めてしまっている。
 全ては日常茶飯事。生きている人間なんて見つけるだけでも、幸運なことだ。
 それくらい、この世界は錆びついてしまった。
 僕はそこら辺に落ちているガラス片を拾い上げて、自分の腕に思い切り突き刺してみる。痛みは一瞬。傷からは、血も何も出てこない。
 ガラスを抜いたあとに広がるのは、"白く渇いて濁ってしまった"腕の中身だった。

 ――ああ、やっぱりか。

 薄々感づいていたが、やはり僕も罹ってしまっているようだった。
 「白き病」と呼ばれる、原因不明の感染症に。


 この病気が広まり始めたのは約三ヶ月前のこと。突然人が倒れたかと思うと、その顔面には蛆虫のようにぷっくりと膨れた白いできものが広がって、数時間後にはそれが全身にわたり、最後には大きな白い繭のように変貌してしまった。それが事態の始まりだった。
 やがてその症状は多岐にわたるようになり、乾いたペンキが剥がれるように身体のあらゆる部位がぼろぼろと崩れ落ちたり、白い液体を吐いたかと思うと体中の穴という穴から勢いよく白い液体が噴き出し、皮膚組織だけしかなくなってしまう人もいた。中には彫刻のように固まってしまったり、アイスクリームのようにどろりと解けてしまう人もいた。それだけなら、まだ何とか耐え切れるかも分からない。問題はその他にある。
 例え、身体が解けてしまったり、人としての原形を留めなくなっても。
 人間としての"意識"は、絶えることがない。
 つまりこの「白き病」に罹ったが最後、どれほど悲惨な姿になろうと、決して死ぬことは出来ない。もちろん身体が解けたりしてしまえば、自殺することも出来ないので半永久的に世界を彷徨うことになる。神経も解けているので、何も見えず、聞こえず、感じず、ただ、意識が流れるままに。
 この病気の根本的な原因は、最近になってようやく解明された。
 ……というより、推測に近いものと言っていい。
 何故なら、これは僕が独自に作り上げた推論だから。

 病が流行し始める、少し前のこと。春だというのに、ここ都心では雪が観測された。しかしそれは一般的な雪ではなく、手に乗せても体温で解けなかった。気象庁はこれを正体不明の気候と決め込み、人体に害はないと根拠もなく全国ネットで放送した。一時は訝しむ人が大多数だったが、その内人々は特に気にすることもなくなって、いつの間にかその白き落下物は日常風景と同化してしまった。
 そして話は前に戻る。
 この数日後に、最初の感染者が確認された。原因はすぐに知れたので、気象庁並びに政府は即座に避難勧告を発令したが、今更遅かった。特に気にかけることもなかった人々は、その落下物を大量に吸い込んでいた。一部の避けていた人も、わずかながら。
 そして――――――――瞬く間に、世界は白に包まれてしまった。

 ここからが僕の推論。
 その白い雪のようなものの根本的な原因、そしてその正体とは?
 高校や大学で生物を専攻していたとは言え、僕程度の浅はかな知識では大して研究することも出来ない。だから僕は、これが新種の気候とか新しいものの類ではなく、既成の類似物である可能性のほうを重点的に調査した。
 自らの知識において似たようなものを次から次へと引っ張り出しては、照らし合わせて同一物であるかどうかを調べ尽くす。一見、難航しそうな作業に思えた。
 が。その原因は、意外と呆気なく知れた。
 その事実を知った瞬間、僕はこの世界はもう終わりなんだということを、身をもって痛感した。

「あの」
「ん」
 ふと、背後から僕に呼びかける声がする。
 振り向くと、そこには見覚えのある制服を着ている女の子がいた。確か、近所の高校だったと思う。
 それにしても、この街で"生きている"人間に出会うのは久しぶりだ。
「もしかして、この街も……」
 彼女はそこまで言いかけて、口を小さく閉じた。語数こそは足りないが、彼女がこの街出身ではないということは確かに分かった。もしかして、と言う辺り、どこか違う街からやってきただと推測できる。
 が、そんな事は関係ない。僕にも彼女にも。
「その通り」
 僕はそれ以上は語らず、少女に背を向けて歩き出す。
「あ、あのっ」
 再び呼び止められたので、僕は律儀に彼女の方に向きなおった。
「僕に何か用でも?」
「い、いえ、そういうわけじゃないですけど……」
「けど? 何かしら目的はあるんだろう?」
 僕は半ば脅すような口調で、少女を問いただす。
 少女はと言うと、少し躊躇ったかのように唇を弱く噛んだ後、
「えっと、この『白き病』の原因って、一体何なんですか?」
 至極、当然といえば当然の疑問だった。
 前に断っておいたけど、あくまで前の推測は僕個人のものであって、政府とかお偉いさんが下したものではない。だからと言って例えそんな人たちが考えることなんてろくなことじゃないし、もっとも、そのお偉いさんたちはとっくに白くなってしまっているだろうけど。
「原因、か」
 小さく呟いて、僕は空を見上げる。

 そもそもの話。
 あの白き落下物――――『白き病』の原因となったものがやってきたのは、今見ている灰色の空からだった。
 だから原因を探るとなれば、まずそれを疑わねばならない。
 そして考えていくうちに引っかかる、もとい必ず突き当たるのが、病が広がる前から太陽が姿を見せない、分厚い雲の層で覆われたような空だった。

 あの空から降って来るものが異常事態を引き起こしたならば。

 無論、あの空自体も異常に違いないだろう。


「こっちにおいで。見せてあげるよ」
 僕は徐々に乾燥し始めた腕の傷痕を眺めながら、少女を誘導する。
 名前も知らない、ビルの屋上へと。




 屋上からは、不気味な灰色の空がいっそう色濃く見えた。
 マーブル模様の床と靴が擦れるたびにかつ、かつと音を立てて、静謐の中に解ける。無風の空間を僕、後に少女と続いて、静寂の中をゆっくりと進んだ。沈黙が、世界を支配する。
「ここに……何かあるんですか?」
 不意に少女が口を開く。
「そうだよ。僕の予想が正しければ、の話だけど」
 自分の予想には自信はあったけど、作用反作用というか、もちろん不安もあった。間違っている可能性だって低いわけじゃない。だから何だ、って話だけどね。僕程度の予想が当たった外れたごときで、この世界の錆び付きが終わるとは思わない。
「確かこの辺りでよかったはずだ」
「?」
 疑問符を浮かべる少女は放っておいて、僕は貯水タンクのある少し高い段差の上に上る。彼女もついて来ようとしたが、僕が片手で無言の制止をすると渋々その場にとどまった。
 それでいいんだ。それで。彼女には、結果を見届ける役目がある。僕が出会った、最後の人間として。

 頭上を見上げる。曇ったカッターの刃の色をした空は、時折何かが蠢くような仕草を見せながら、ただ、積乱雲のように延々と空に居座っていた。雨を降らすわけでもなく、雷を鳴らすわけでもなく、静かに佇む。
 僕は街全体が見渡せるくらいの場所まで歩くと、授業をサボって屋上に来た学生よろしく、乱暴に座り込む。腕の辺りが微かに疼く。どうやら、間違ってはいなかったみたいだ。
「あの、一体何を……」
 姿の見えない少女の声が聞こえたけど、僕は答えずに、真っ直ぐと薄暗い空を凝視した。徐々に、僕のほうを睨み返している様にも見えてくる空。僅かにざわめき、寒気立つ皮膚感覚。
これが漫画ならば、ざわ、ざわとかの類の効果音が流れそうな風景画だろう。
 夏だというのにひどく乾燥して、恐ろしいくらい透き通った空気。だけど同時に、人類史上最悪の異常を孕んだ、悪意のある空気。息を吸い込むと肺の中が粘ついたタールのようなものに覆われる感覚がして、僕は何度も咳き込んだ。
 徐々に、腕の神経が凍り付いてくる。見ると、もう既に腕全体が石膏で固めたように白んでいて、自らの意思では動かせなくなっていた。
 いよいよ、だ。
 僕は体中の神経を空に集中させる。まるであの空に浮かぶものと一体化するように、吸いつけられるように凝視する。体中に先刻の疼きが広がってくる。身体に触れてみると、徐々にぼつぼつとおできのようなものが出来始めているのがわかった。一つ一つの大きさは小豆程度のものだったけど、それが全身に浮かび上がってくる。

 ぼつぼつぼつぼつぼつぼつぼつ………………

 身体の奥底が沸騰するかのように、肌の表面が次々と盛り上がった。痛みはなかったが、見下ろした自分の手がぶくぶくに膨れ上がっているのを視認すると少し嫌な気分になった。
 次の瞬間。
 膨れ上がった皮膚の一部が勢いよく破裂し、中から白く濁った液体が"どろり"、と一瞬だけ溢れ出した。尚も白く残ったままの穿孔は液体物を吐き終えると、次いでひくひくと蛆虫のするような蠢動を始めた。ぴちゃ、と液体の跳ねる音がすると、穿たれた穴からは、すう、と細い糸状のものが突き出してくる。

 ――やっぱり、僕の予想は間違っていなかった。



 感覚を失くした腕から、伸びてきたのは。





 ――――"触角"。


     †

 一刹那のこと。
 少女が耐え切れず、貯水タンクへ上ったのと同時に、それは起こった。
 わずかに離れた所に座っている少年が、こちらに気付いて振り向いたかと思うと。

 その顔は、夥しい量の"おでき"のようなもので覆われていた。

「……………………!!」
 言葉が出なくなった。少女が今までに見かけていたのは既に白んでしまった人間の成れの果てだったので、ここまで露骨に症状が出ているのを見たのは、初めてだったのだ。
 少女は思わず後退し、貯水タンクの上から落ちそうになってあわてて体勢を直す。
 彼女が小さく呻いて、再び少年の方を向いたその瞬間。

 ぎょろり、と見開かれた眼球と視線が合った。
 そして、


『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 金切り声と共に少年が口を開いたかと思うと、顎が開ききる限界を超えて皮膚がちぎれ、壊れた人形のように口が"がぱっ"と180度以上開いた。口の奥からは白色を纏った吐瀉物のようなものが滝にも負けない勢いで噴き出し、少女の足元を濡らした。定期的に下顎がかたかたと蠢き、悲鳴に似た声がくぐもったり高々と響いたりする。少年の眼は狂った人間のように白く濁っていて、焦点があっているのかどうかも判断がつかない。
 少年が手を伸ばし、少女の方に向ける。その手もぶつぶつと原型が分からないほどに突起物が覆い尽くし、やがては破裂し、中身がどろどろと垂れ落ちた。
 粘性を持った液体が足元に流れ込み、みるみるうちにマーブル模様の床が真っ白に覆われていく。
「きゃあああああああああああ――――っ!!」
 声を上げることを忘れていた少女は、凄惨な光景を目の当たりにしてようやく叫ぶ。何が起こっているのか理解不能だったが、ここから逃げ出した方がいいことはすぐに察知したので、逃げ出そうと足を動かす。が、足の裏が床に張り付いたように全く動かない。
 訝しんだ少女が眼下を見下ろすと、自らの足を粘ついた白い液体が覆い始めていた。
「ひっ………………!!」
 少女は眉根を寄せて呻く。叫ぼうにも肺が痙攣してしまって、呼吸すらもまともに出来ない状態だった。叫ぼうにも口から漏れるのは、泣きじゃくるような、少女のえずき。
 それを気にも留めないもはや"人間でなくなってしまった"少年は、差し伸べた手をゆっくりと自分の身体の横に戻すと、直後。
 ずる、と頭蓋骨の皮膚がチーズが溶けるようにして、頭髪と共にずり落ちていった。半ば液状の皮膚がびちゃびちゃと嫌な音を立てて床に落ちると、白いペンキで塗りたくられたように真っ白な頭蓋が露呈する。飛び出たぶよぶよの眼球が震えながら少女と視線を合わせ、ゲンカイの域を超えた下顎はぶらんと垂れ下がる。
「う――――…………!!」
 少女は絶叫する前に、その奥に潜むもう一つの恐怖に気付いた。少年の開ききった口の奥から、何かが顔をのぞかせたのだ。
 少女は今にも途絶えてしまいそうな意識のまま、その奥を見やる。
 そして、すぐにそれを後悔する。




 口の中には、びっしりと虫の眼が敷き詰められていた。
 加えて、毛がわずかに生えた触角と、不気味な模様の入った羽。


 ――――『蛾』だった。


 少女が言葉を失って、気絶しそうなまでによろめく。




 "轟っ"、




 と、突風が空気を裂く凶悪な音がすると、隙間なく並んでいた蛾の群れが一斉に口の中から飛び出してきた。
 行く先は、灰色のままで姿を変えない空。
 そして次の瞬間、その空に浮かんでいて異物が、蛾の到着とともに僅かに揺れた。


 その時、少女は目撃した。

 空全体が、心臓が激しく脈動するように動いているのを。

 空全体が、まるで一匹の芋虫のように蠢いているのを。




 空に広がる「異常」が、"数値で表すことが出来ないほど多量の蛾"で構成されていたのを。





「………………………………!!」
 少女の身体は徐々に言うことを聞かなくなっていって、既に顔を残してほとんどの部位が白で覆われて、意識的に動かすことが出来なくなった。視界に映る右腕がぼろぼろと崩れ落ち、左腕にはあの少年に出来ていた"おでき"のようなものが、ぼつぼつと浮かび上がっていた。
 次第にぼやけていく視界に少年の姿はなく、後には彼の着ていた服だけが残されていた。
 凍りつく感情。
 悲鳴さえ沸きあがらない咽喉。
 引き攣る顔。
 目の前に一瞬にして広がった、恐怖、恐怖、恐怖、恐怖。

 ふと少女が目線を上に向けると、どよめいていた空が一瞬動きを止め――――






 ――――やがて、いくつもの雪のようなものが降ってきた。
 それは、少女の身体にも落ちてくる。少女は薄れゆく意識の中で、それが何なのかをはっきりと視認する。
 身体に舞い落ちてきたものは、やがてひくひくと微動し、内側から柔らかい膜を破ってその正体を現した。





 ――――人間の『眼』を持った、大きな"蛾"。


「…………………………………………………………………………………………」




 溶けていく意識の中で、少女は一度。


 確かにその蛾が自分のことを"睨んだ"のを、はっきりと見た。

       

表紙

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Neetsha