Neetel Inside 文芸新都
表紙

日々は群像

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 桜木下が転校してきて一週間が経った。
 気がつけば木下はすっかりクラスに馴染んでいた。
 休み時間になると西村や木下の席に人が集まって談笑をし、僕の席には相変わらず誰もやってこないという以前とさほど変わらない状況が出来上がっていた。なんてこと。
 木下は相変わらず学校では優しくて美しいお嬢様を演じており、彼女の周囲にはいつも甘い物に寄ってくる蟻のように人だかりが出来ていた。
 そのため僕は彼女に話しかけないし、彼女も僕に話しかけなかった。当然彼女と学内で会話すると言うことはない。
 西村も木下と似たような状況なのだが、彼は学内でも割と普通に僕に話しかけてくる。何故か彼が僕に話しかけると彼を囲っていた人々はさっと散っていくので西村とは変わらない付き合いをしていた。
「お前と話すと人が寄ってこないから便利だな」とは西村談。僕は虫除けか。

 進路調査書が配られたのはそんな時だった。いつものように騒がしいホームルームの時間、手に包帯を巻いた担任が持ちにくそうにその紙束を持ってきたのだ。
「来週までには提出するように」ホームルームの喧騒の中、担任の声が聞こえる。
 前の席から順番に配られてくる用紙を見て僕は内心嘆息した。
 進路か……。
 そのとき隣から視線を感じたので僕は西村を見た。彼はニヤニヤとした笑みを作っていた。
 こういう時必ず西村は何か自慢をしだすのである。
「お前、進路はどうするんだ」
「決めてないよ」西村の問いに、僕は答えた。
「そうか。まぁ俺は当然ながら国公立大学を目指すがね、目指すといっても現段階でどの大学の過去問をやってみても余裕で合格点を超えてしまうから選ぶと言う形になるかな。ごめんね、天才で。何せ全国模試がいつも九割を超えるという丁度級の天才だからな。そもそも普段の勉強の効率のよさからし──」
 僕は得意げに語る西村を無視して再び目の前の白い紙に視線を戻した。
 進路。僕に一体どんな進路が残されているのだろうか。
 僕の希望としては大学進学をしたいと思っている。もともと社会や数学を勉強するのは好きだったので、経済学を大学に行ってより深く学びたいと考えていたのだ。
 だが今の僕の家庭環境ではそれははっきり言って困難なことだと言えた。
 大学の進学費は奨学金でまかなうことが出来るけれども、今の自分が選ぶべき選択肢としては就職して家計を助ける事を選んだほうがいいのではないか、そう思ってしまうのだ。
 気楽で、馬鹿馬鹿しく、口悪く毎日を過ごしながら、そこそこ楽しい高校生活。
 それがいつまでも続く訳じゃない。
 終わりがあるのは分かっていた。自惚れかもしれないが自分は他の同級生より具体的に将来について考えているとも、思っていたのだ。
 それなのにいざ明確に自分の進むべき道を示せといわれると、正直迷ってしまう。
 進学したいといえば母は許可してくれるだろう。母の許可さえもらえれば問題はない。
 ただ、それでもやはり僕が働けば母は仕事の時間が減らせるし、生活は一気に楽になるだろう。
 僕が働けばもう冷蔵庫に何も入っていない事態が起こる事はない。
 僕が働けばもう急に電気を止められたりする事はない。
 僕が働けば状況が打開できるかもしれない。
 万事がうまく行く気がする。だが、どうしても僕の本心がその決断を拒んでしまうのだ。
「迷っているんじゃないな」僕は呟いた。
「周囲を犠牲にしてまで、行きたい場所に行けないんだ。僕は」
 進路については家に帰ってから母と相談しようか、普通の高校生らしく。
 そう思って紙をたたんで鞄に入れた。
「おい、聞いているのか」
 西村が怒ったような声で言った。見ると彼は酷く不機嫌な顔で僕を睨みつけていた。
 何故怒っているのだろう。理解に苦しむ。

     

 その日の帰り道、いつものように西村と二人で帰っていると西村が酷く真剣な表情で話しかけてきた。
「おい」
「何」
「相談があるんだ」
 僕は思わず目を見開いた。彼との付き合いは高校一年の頃からだが、これまで一度も相談などされたことがなかった。そういう普通の交友関係を僕らは築いていない。
「相談か、君が僕に言うくらいだから相当酷い内容なんだろうね」
「常人には話せない内容なんだ。だから変人のお前に話すことにした」
「君に変人と言われるとは思わなかったな。重度のシスコンの君に。どうせ将来も妹と結婚したいとか考えてるんだろ」
 すると西村はグッと詰まった表情をした。今まで見せたことも無いような辛辣な感情がにじみ出ていた。
 もしかしたら西村は妹と本気で結婚を考えているのだろうか。
 西村は確かに妹と仲がいい。もし西村が妹との恋愛について相談してきたとしたら……そこまで考えてゾッとした。実の妹と付き合おうとする人間なんて漫画やアニメの中だけだと考えていたからだ。
「もしかして、本当にユリカちゃんと……?」
「違う、断じて違う。僕はユリカを立派な男の元へ嫁がせたいと思っているからな。自分からユリカの将来を消し炭にするようなことはしない。ただな」
「ただ?」
「最近ユリカが男友達を連れてきたんだ」
「いつものことじゃないか」
 西村の妹が男友達を連れてくるのは珍しいことではなかった。
 あの容姿なので当然モテる。それでも彼女が誰とも付き合わないのは、恐らく兄より格好良い人間を見たことがないからじゃないだろうかと僕は考えている。西村がシスコンであるように、彼の妹も重度のブラザーコンプレックスなのだ。
「それが、ちがうんだ。すごくいい奴なんだ。俺は今まであんなにいい奴をみたことがない」
「いいことじゃないか」
「どうやらそいつは妹が好きみたいでな、俺に妹と付き合うことの許可をもらおうと必死に媚をうってくるんだ。俺を兄貴と呼んで、慕ってくれている」
「へぇ。で、君は許したのかい」
「許すはずが無いだろ? 第一、ユリカが奴にあまり興味を抱いていないようだった」
「なら何も問題は無いじゃないか。その男友達はそのまま相手にされずに終了、それでいいじゃないか」
「良くはない、なぜなら」
「なぜなら?」
「俺が奴を好きになってしまったからだ」
 風が吹いた。木々が揺れ、ほのかに暖かな空気が僕の頬を優しく撫でる。風が甘い春の香りを僕の鼻腔に運んできた。
「つまり、君はホモだったのか」指摘した。
「あぁ」指摘したことを後悔した。
「気持ち悪いだろ? ホモなんて、狂ってるよな」
「そんなことないさ、愛は自由な物だよ。今はなんだって認められる時代なんだ」
 僕はいいながら西村と距離をとった。
「そうかな、俺、アプローチしてもいいと思うか? 初めてなんだ、こんな気持ち」
「いいんじゃない」僕は心の中でユリカちゃんの男友達に土下座した。
 しばしの沈黙があった。今まで体験してきた沈黙とは格がちがう、非常に居心地の悪い沈黙だった。
 耐え切れずに僕は西村に質問した。
「ところで、もし付き合えたら君は一体その彼と何をしたいと考えてるんだい」
 西村はしばし考え込んだ後、目を輝かせながら言った。
「まず、キスだな」
 僕は逃げた。振り返ることが出来なかった。振り返れば西村が追いかけてくる気がした。
 必死に走り、いつもの公園が見えてきたところでようやく走るのをやめた。
 息が切れ、胸の鼓動が早くなっていた。恐ろしかった。
 いつの間にか公園にある電灯が放つ弱々しい光があたりを寂しげに照らしていた。
 僕は息を荒くしながら公園の中に入った。

     

 一週間ぶりの臭いが鼻腔を刺激した。見るとあの時と同じ様に、少女がブランコに座って寂しげな顔をしていた。
「ちょっと、なんで息が荒いのよ。気持ち悪い。変質者みたい」
 僕に気付くと彼女は顔を歪めた。いちいち言うことが癇に障る女である。
 とりあえず深呼吸して呼吸を整えた。
「そんなことが言いたかったのか」
「別に」彼女は視線を逸らす。「今……帰りなの?」
「まぁ、そうだね。ただすぐにバイトだけど」
「バイト?」彼女は鼻で笑った。「貧乏人はいいわね、そうやって時間を金稼ぎに使えるんだから」
「ブランコに一人座って時間をつぶしてるやつに言われたくないよ」
「別に私は……時間をつぶしてるわけじゃ……」
「つぶしてるじゃないか。煙草を吸って、ゴミを増やして。せめて携帯灰皿くらい使えよ。ポイ捨てするやつって大嫌いなんだ」
 僕が言うと彼女はうつむいて黙りこくってしまった。少し強く言い過ぎただろうか。
 もしかしてこれはあれか、泣くのか。モテない上に転校生を泣かせてしまうような最低な男に僕は成り下がるのだろうか。
 きっと今彼女が泣いてしまったら明日僕は学校でつるし上げにあうだろう。ただでさえ女子から蔑みの目で見られる毎日なのに、これ以上蔑まれたらそれはすなわち僕にとって学生生活の社会的な終焉を意味する。
「家に、帰りたくないのよ……」
 僕がこの場から逃げ出そうか思案していると木下がか細い声で言った。今にも泣きそうな声だ。
 いま自分がこの場から消えたら彼女は本当に泣き出す。そんな気がしたので僕は彼女に優しく接することにした。
「帰りたくないって、どうしてさ。僕でよければ話してごらん。力になれなくとも、少しは楽になるかもしれないよ」
 彼女は少し迷った様子を見せたが、やがてポツリポツリと話し出した。僕は彼女もまた暴言を吐かれると思っていたので面食らったような気がした。軽いめまいに襲われる気さえする。
「私ね、ここに転校してくる前は北海道に住んでたの」
「北海道に住んでいたのか!」僕は目を輝かせた。
 北海道。憧れの地、北海道。
「え、えぇ、まぁ」彼女は僕の態度が急変したのに驚いたのか、困惑した様子で言った。
「北海道って、あれだろ、広大なんだろ」
「まぁ、土地によっては」
「やっぱり北海道の住民は肌が白いのかい」
「色黒の人もいるけど……なんで急にそんなに食いついてくるのよ」
 彼女は汚物でも見るような目で言った。
 ……しまった。大好きな北海道の話題を振られて思わず身を乗り出してしまった。僕は自分の犯してしまった過ちを内心で責めると気を取り直して言った。
「あぁ、ごめん。続けて」
「あんた北海道が好きなの?」彼女は僕の言葉を無視して聞いてきた。
「好きと言うか、憧れてるだけさ。ちょっと行ってみたいと思ってるだけで。いいから、続けてよ」
「別にあんたが神聖視してるほど北海道っていいとこじゃないんだけど。冬は雪で交通はよく止まるし、雪に転ばないように歩いてたらいつの間にかガニ股になったりするし」
「そ、そうなのか……」少しショックを受けた。
「だいたい、なんで北海道が好きなのよ」
 僕はテレビで見た北海道の風景が美しかった為に深い興味を持ったことを話した。
「あぁ、いるわよね、そういう人。いい迷惑だわ。あんたみたいなのがいるから馬鹿が観光旅行なんて称してわざわざ北海道までやって来て大騒ぎするのよ」
 憤慨したように彼女が言う。
 僕は惨めな気分になった。そもそもなぜ僕はこうして夕方の公園で彼女に怒られているのだろうか。もともとは親切心から彼女の言いたいことを聞いてあげようとしただけなのに。いや、世間体を気にしてだった様な気もしないではないけれど。
 どちらにせよどうしてこう僕の与える親切はことごとく裏切られるのだろうか。
 僕は今までの人生の中で、恩をあだで返された経験を思い返した。
 しまいには段々と腹が立ってきた。
「北海道の観光客のことはいいから、さっきの話はどうなったんだよ」荒い口調で言った。
 すると彼女はぷいとそっぽを向いた。
「もうどうでもよくなっちゃったわ。そもそも何で私の悩みをあんたなんかに言わなくちゃならないのよ」
 彼女はそう言うとブランコから立ち上がった。
「帰るのかい」
「えぇ、あんたと一緒にいる暇なんてないのよ私は」
 彼女は冷たい声で言うと颯爽と公園の出口に向かい歩き出した。僕も彼女に引きずられるようにして彼女の後ろをついていく。
「ついてこないでよ」
「家がそっちなんだ。知ってるだろ」
 彼女は歩調を早めた。何故だか釣られて僕も早めた。
「や、やだ、なんで歩くスピードまであわせてくるのよ」
 彼女は獣に追われる小動物のような声で言った。
「なんとなく、そうしなきゃだめな気がして」
 自分でもビックリするくらい平坦な声だった。
 恐ろしくなったのだろうか。とうとう木下は走り始めた。そして何故か僕も引っ張られるようにして走った。
「来ないでよ!」
「……」
 僕はなぜ自分が彼女を追いかけているのか分からなかった。傍から見れば変質者が女性を追っているように見えるのだろうか。いや、さすがにそれは無いだろう。そう思いたい。
 やがて我が家が見えてきたので僕は立ち止まった。彼女も僕がついてこなくなったのに気付いたのか少ししてから立ち止まる。
「どうしたのよ」やや残念そうに彼女が言った気がした。たださすがに残念がってはいないだろう。あれだけ必死に逃げてたんだから。
「や、僕の家ここだから」
「あぁ、そういえば以前この辺りで別れたわね」彼女は僕の家をしげしげと眺めるようにして近づいてきた。
「それにしても、貧乏臭い家ね」
「他の家とたいして変わらないじゃないか」
「そうかしら。貧乏臭が強い気がするけど」どんな臭いだ。
「どうせ中も貧乏臭いんでしょうね。ゴミとかが散乱してて」
「そんなことないさ。僕の家族は綺麗好きなんだ」
「嘘くさいわ」
「嘘じゃないさ。なんだったら、寄っていくかい」
 一瞬彼女の目が光った、気がした。
「じゃあ今度寄らせてもらおうかしら」
 驚愕した。社交辞令のつもりで言ったのにまさか話に乗ってくるとは思わなかった。
 彼女を家に上げるつもりなんかない。ただ、ここでそれを言うと今度は何を言われるか分からない。
 僕は仕方なしに話を進めることにした。
「わかった。じゃあ今度おいでよ」
「えぇ、今度」木下はにっこりと透明な笑顔を作った。
「それじゃ」
 彼女はクルリと方向を変え、帰って行った。
 空を見ると既に月が明るく輝いていた。学校を出たときに比べるともう随分と薄暗くなっている。
 上手く誘導された気がするな。僕は頭を掻いた。
 誘導されたと言っても、彼女が僕の家に来ても得になる事なんて何ひとつないだろうから気のせいだとは思うが。
 僕は一瞬奇妙な発想をした自分を恥じると玄関の扉を開けた。
 バイトに完全に遅刻していることに気付いたのはそのあとだった。

       

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Neetsha