Neetel Inside 文芸新都
表紙

日々は群像

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 朝、いつものところで西村とその妹のユリカちゃんに会った。僕と西村は五秒間ほどにらみ合うと忌々しげに舌打ちをした。毎日の恒例行事みたいなものだった。
「朝から不快な顔をしてるな」西村が言う。
「黙れ」僕は睨みながら言った。
「東くん、おはよう」そんな僕らの様子に慣れているのか、ユリカちゃんが言った。
「おはよう」僕は西村からユリカちゃんに視線を移して言った。
 しばらく学校に向けて歩いていると、不意に僕は昨日のことを思い出した。
「そういえば昨日、公園で煙草をポイ捨てしている子を見かけたよ」
「へぇ、それで」西村が言う。ユリカちゃんが興味深げにこちらに視線をやる。
「もちろん注意したよ。するとどうだい、涙を流して謝りだしたんだよ。まぁ善良な市民である僕はもちろん許してあげたけどね」
 僕が言うと西村は何かを思考しているかのように黙り込んだ。僕は気になってたずねた。
「もう少しこう、話を盛り上げるリアクションをおこそうとしないのか君は」
「大して面白くも無い話だ。おまけに恐らく話の半分以上にうそが混じっていると見える。ただ……」
「ただ?」僕の代わりにユリカちゃんが尋ねる。
「その女性が今日やって来る転校生のような気がして仕方が無い」
 昨日の姉の発言が脳裏に浮かぶ。
「そんな使い古されたドラマみたいな展開あるわけないじゃないか。頭がおかしいんじゃないのかい。あ、前からか」
「お前だから起こる気がするんだ。なにせ顔も性格も使い古された雑巾の様だからな」
 僕は彼の顔面めがけてとび蹴りを放った。しかしそれは空を切り、かわりに彼の強烈なボディが僕のみぞおちを襲った。思わず「ぐふっ」と言ううめき声をあげてしまう。
「と、とにかく、そんな偶然起こるもんか」僕はおなかを押さえながら息も絶え絶えに言った。
 教室に到着すると僕の席の後ろに新しく椅子と机が置いてあることに気がついた。恐らくここに転校してきた生徒が座るのだ。
 僕の席は窓際の一番後ろではなくなった。

     

 僕は胸の鼓動を感じた。緊張しているのだ。まさか転校生と一番近くの席になるとは考えていなかった。一体どのように接して、何を話せばいいのだろう。何もわからない。こう言う事が得意であろう西村に席を交代してもらおうと思ったが生憎彼はいつもの様にクラスメートに囲まれていて話しかけることが出来なかった。
 やがてチャイムが鳴った。皆がいつもより早く席に着く。教室は静かな沈黙に満たされた。転校生に対する期待を肌で感じる。僕は必要以上の期待を掛けられている転校生を気の毒に思った。
「おはよう」
 少し澄ました声で先生が入ってきた。彼は手に包帯を巻いていた。どうしたのだろう。
「昨日言っていた転校生が来たぞ」
 その声を聞いて教室の空気が高揚するのが分かった。
「桜木下さんです」
 先生が言うと開いたままの教室の扉から女子が一名入ってきた。おぉ、と言う声があがる。どうやら転校生は彼らの期待に答えたらしく、どこからか小声で可愛いと言う声がちらほら上がるのが聞こえた。
「まずいなぁ……」転校生の顔を見て、僕は無意識のうちに呟いていた。
「残念だったな」西村は尋ねずとも事態を把握したらしい。少し嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「いつだって現実はチープなのさ」
 まさか安っぽいドラマの展開になってしまうとは。自分の人間的品位が落ちた気がした。あまりにも悲しくて涙が出そうになった。それを必死でこらえる。こらえていると次は鼻水が出てきたので僕はティッシュを取り出した。
「桜さんはあの有名なIT企業の桜幸之助のご息女さんだそうだ」
 また教室がざわめいた。桜幸之助といえばテレビでもよく名前の出る企業の社長だ。僕は内心舌打ちをした。お金持ちと言う人種があまり好きじゃないのもあったが、もっと別に理由がある。
 美人、家がお金持ち、安っぽさに拍車がかかった気がしたのだ。
「とりあえず桜さんはあそこの席に座って」
 先生が僕の後ろの席を指差した。大人しそうに頷いて彼女がこちらに来る。そこで目が合った。彼女は驚いたように目を見開いた。
 このままではマズイ。
「あぁ!」「あんたは昨日の!」なんて言うやり取りを交わした後、教室の皆に冷やかされ、様々なクラスのイベントを乗り越えながらやがて互いに想いを寄せ合うと言った展開が目に見えた。あまりに安っぽい。しかしむしろその展開になると僕は得をする訳ではないのだろうか。可愛い彼女ができるかもしれない。
 僕は少し悩んだ末、鼻水を汚らしく咬んだ。
 彼女は僕のその姿を見て目を逸らした。横を通り過ぎ、僕の後ろの席に座る。どうやら転校生の目の前で鼻水を汚らしく咬む様な男と知り合いだと思われたくは無いようだった。ドラマのような展開は藻屑と消えた。
「ごめんな、東なんかの後ろで。そいつはろくでもない奴だけど、その隣にいる西村くんはすばらしい男だから、もし困ったことがあったら彼を頼りなさい」
 先生は頭をポリポリと掻きながら言った。
 西村がいつも他人にするような善人面を作りながら「ヨロシク」と転校生に言い、転校生も昨日見せたのとは全く違う天使のような笑みで「うん、ヨロシクね」と言う。そのやり取りを見た後、僕は先生に鼻水のついたティッシュを投げた。
 昼休みになり、僕と西村は教室にあるバルコニーから中庭でクラスメートに囲まれている転校生を眺めながら昼食をとっていた。
「才色兼備っているんだね」僕は呟いた。
 転校してきたばかりの彼女の活躍は目を見張る物があった。教師にされた質問には即答してしまうし、立ち振る舞いも美しく、男子からだけでなく女子からの人気もその日のうちに得てしまった。体育で行われた遠距離走も他の運動系の部活を全て追い抜き、トップになっていた。
「たまたま転入して来た女性がお金持ちで美人。そして実は公園で煙草を吸い、恐らく何らかの心の闇をかかえる女で、さらに言うとお前と前日に喧嘩をしていて、転校してきた今日、運命的な再会を果たす。こういう場合、相手はたいてい家庭の家族関係や人付き合いに苦しんでたりするな。そしてその心の氷をお前が徐々に溶かしていく。セオリー通りだと」西村は淡々と言う。
「どう頑張ってもベストエンディングしか見えないな」
 僕は玉子焼きを口に運びながら言った。
「相対性理論って知ってるか?」
 不意な西村の質問に、僕は怪訝な顔をした。
「相対性理論ってアインシュタインの? 急に何を言ってるんだい」
「良いから聞け。相対性理論ってのはな、運命は最初から全て決まっていて、俺等はレールにしたがって動いているって言う理論なんだよ。たとえどれだけ自分が選択して勝ち取った結果だと思っても、相対性理論によれば最初からその結末になることは必然だったんだ」
 西村の言いたい事は何となくわかった。それが故に腹が立つ。
「定められたレールに僕は乗っているわけか。今さら抵抗は出来ないんだろうね」
 目の前で笑っている転校生の朗らかな笑顔、昨日煙草を吸っていたあの憂いのある表情。
 二つの顔を同時に見てしまった僕。
「流されるんだろうなぁ、レールのままに」僕は弁当を食べ終わり呟いた。

     

 帰りしな、いつもの様に教室に誰も居なくなると僕は席を立った。隣にいた西村も合わせたように立ち上がる。教室にはいつものように誰もいない。運動部が作り出す静かな喧騒が校内をにぎわせていた。
 転校生は他の生徒に連れられて先に帰っていった。きっとこれから歓迎会なるものが行われるに違いない。
 僕たちは鞄を持つと教室をでた。昇降口に行き、靴を履き替える。校門から出たところで西村に話しかけた。散ってしまった桜の花びらが地面をピンクに染めていた。
「今日は誰も君に誘いをかけなかったね。もしかしたらイベントを行うかもしれないのに、君が呼ばれないのはきっともう皆の関心が彼女に移ってしまったからだろうね」
 僕が言うと西村は鼻を鳴らした。
「ゴミムシのような奴等が消えてせいせいしたわ」
「無理するなよ」
「無理なんかしてない」
「寂しそうな顔をしているじゃないか、ほら、メガネがずれているよ」
 西村は静かにメガネを掛け直す。僕は追い討ちをかけることにした。
「人気者はやはり人気がないと価値がないよね。まるでただの糞だ」
「糞の糞に言われたくないな」
 そうして僕らがにらみ合っていると不意に背後から声がした。
「あの……東君、でいいよね?」
 振り向くと今朝の転校生だった。皆と一緒に帰ったと思っていたので少し驚いた。
「少し、お話してもいいかな?」
 遠慮がちな様子で転校生は言う。どうやら僕と話すためにわざわざ残ったらしい。目的は大体分かる。昨日の件について、口止めしたいのだろう。
「あぁ、煙草吸ってた人」
 僕の発言を聞いた転校生はその整った顔を少し歪めた。
「なんでそんな酷い嘘を言うの?」彼女は悲しげに顔を伏せる。
 その様子を見た西村が僕を顎で指しながら言った。
「そうやってネコをかぶっても無駄だ。お前が昨日こいつの前で煙草を吸っていたことは既に知っている」
 転校生は驚いたように僕を見た。僕は静かに首を縦に振った。
「彼が気持ち悪いくらいに君の人気に嫉妬しててね。何か君の弱点を知っていたら教えてくれって泣いて頼まれたから仕方が無く教えたんだ」
「嘘を言うな」西村が睨む。
「でも嫉妬はしていたじゃないか」
「俺が嫉妬? 何を言ってるんだ。頭がおかしいんじゃないか? そうか、ついにその腐りきった脳みそが型崩れしたのか」
「だまれ蛆虫」
「あんた達、馬鹿?」
 一瞬誰が言った言葉か分からなかった。いつの間にか転校生の表情が一変していた。僕と西村は目を合わせた。ほら、本性を出しただろ? 彼の目はそう語っていた。僕は、さすが妹で鍛えただけあって女の扱いが上手いね、と言う意味の視線を返したが彼に通じているかは定かではなかった。
「誰が馬鹿だ。こいつと俺の崇高な人間性を一緒にするな」
 西村が憤慨したように言った。
「だって馬鹿じゃない。特に会話の内容が」
「それはこいつが馬鹿だからだ」西村が僕を見ながら言う。
「そうね」転校生も理解したように頷いた。「少し会話しただけで馬鹿だって思ったもの」
「誰が馬鹿だ」居たたまれなくなって言った。
「お前だ」「あんたじゃない」二人が同時に言う。
「黙れ豚共」僕は二人を睨みつけながら言った。
 転校生はしばらく僕とにらみ合った後、ふと西村に視線をやった。
「それにしても西村くんがまさかそういう言葉遣いをしてるなんてね。今朝の印象とは大違い。教室じゃあもっと物腰柔らかそうに見えたのにね」
「あんたもな」
 西村が言うと転校生は少し顔を歪めた。
「あんたって言わないでくれる? 名前で呼ばれたら、相手も名前で呼ぶのが筋でしょ?」
 細かい事にうるさい女である。プライドの高さが垣間見えた。
「じゃあお互い様だな、桜さん」西村が言う。
「その名前で呼ばれるの嫌なのよ」転校生は顔をしかめた。
「なんでさ」僕は思わず尋ねる。
「別に何でもいいじゃない。人の事にいちいち首をつっこまないでくれる?」
 言い出したのは自分のくせに、とは思ったが口には出さなかった。これ以上口論しても仕方が無い気がしたからだ。
 彼女が苗字で呼ばれることを拒む理由は大体想像出来た。大方母親が再婚して苗字が変わってしまった、自分は前のお父さんが大好きだから苗字が変わるのは許せない、だとかそんな所だろう。
 全く設定だけでなく発言内容までチープな人間である。
「じゃあ、なんて呼んだらいいんだよ」僕は話を進めるために、しぶしぶ言った。
 彼女はしばらく考えたあと、静かに答える。
「木下、でいいわよ。なんか、あんた達に桜さん、なんてよばれたら逆に気分が悪い」
 木下。
 桜木下。
 変な名前だ。

     

 やがていつものY字路へと到達した。ここで僕と西村は別れることになる。
「じゃあ明日な」西村が無愛想に僕に言い、大通りを歩いていく。僕と木下は黙ってその背中を見つめていた。
 夕焼けに暖められた風が僕の頬を優しくなでていく。静かな場所で鈴の音がするような澄んだ空気。赤く、屈折した太陽の光が僕らの影を長いものにする。
 決まりきったブロックが連なる道は妙に圧迫感があり、僕らはそこにたたずむ唯一の人類のような気さえした。
 そこでふと木下がまだここにいることに気付いた。
「君も彼と帰ったらどうだい」
「私の家、こっちなのよ」
 彼女は不機嫌そうな顔で狭い路地を歩き出した。僕もその後に続く。すると不意に煙草の臭いがした。どうやらここなら人に見られないと確信してか、木下が煙草に火をつけたらしい。
「臭いな……」僕は顔をしかめた。
「この事、人に言ったら根性焼きするから」表情の感じられない声で木下が言う。どうやら本気らしい。
「隠すくらいなら吸わなきゃいいじゃないか……。学校での君の態度も全部演技みたいだし、なんでそんな事をするのか理解に苦しむよ」
 彼女はふふんと鼻をならした。
「結構うまいでしょ、演技」
「自慢にならないと思うけどね。そう言うのをする人間はやっぱり人の評価に左右されて生きているんだろうね」
 そういう点で少し西村と似ていると感じる。
「社会に上手く適合させてるって言ってくれない? どうせあんたは作り笑いも出来ないんでしょ。そんな顔してる。そもそも、その顔で笑顔を作られたら気分が悪くなるわ」
「黙れ」
 狭い路地はすぐに少し広めの道へとつながり、公園の入り口が見えてくる。僕らは並んだまま公園の入り口に入る。木下は僕以外の人間が周囲にいない事を確認してから、先ほど吸っていた煙草を公園の灰皿に捨てた。
「今日はしないのかい、ポイ捨て」
「また誰かさんがうるさく騒ぐでしょ。そういうの、面倒なのよ」煩わしそうに僕を睨みながら木下は言う。
「面倒なら吸わなきゃ良いじゃないか。バレる心配もないし。自分はバレてないつもりでも、意外と臭いってわかるもんなんだよ」
「吸ってない人間には煙草を吸う人間の心理なんか理解できないわよ。それに、吸ってる最中や吸った直後に知り合いに会わないように気をつけてさえいればバレる事はないわ」
「でも、家族が気付くじゃないか」
 僕が言うと木下は黙った。
 痛いところを突かれて何もいえなくなったのか、それとも何か言いたくない事があるのかはわからなかった。
 公園を出ても木下は僕と同じ方向に歩いてくる。どうやら近所に引っ越してきたらしい。
 住宅街の小さな一軒屋の前で僕は止まった。
「それじゃあここだから」僕はそれだけを言うと家に入った。別れの挨拶をする気にはならない。
 僕は振り返らずに玄関に入ると、扉を閉めた。

       

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Neetsha