Neetel Inside ニートノベル
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凡人生まれの上本くん
9話「加熱」

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 一年目の中体連は、まだよく分からない内にあっさり終わった。先輩達の涙も、一年生の私には他人事だった。
 二年目から私はマネージャーとして本格的に部活を支える立場になったけど、それでも、まだ来年があるからと先輩達の一回戦敗退を冷静に眺めていた。
 そして三年目の中体連も、やっぱり他人事のように過ぎてゆく。

「ストライーク、バッターアウト!!」

 気持ちが良いくらい、審判の右手が高々と上がる。「打てるわけないよ」とバッターが背を向け、マウンドの上の能見が踊る。敵校の父母観戦者までもが見入ってしまうほど、能見は圧倒的なパフォーマンスを見せつけていた。
「能見さん、マジでスゴイっすね!!」
 私の隣で下級生も興奮している。能見一人で勝ててしまうこの快進撃は、どこか他人事。

 【一回戦】太平1-8清陽(6回コールド)
 投手:能見-岩田
 能見:5イニング 被安打1 四死球3 失点0
 岩田:1イニング 被安打1 四死球0 失点1(自責点0)
 二塁打:田上、能見、原口、白仁田

 【二回戦】清陽7-0あいの里東(5回コールド)
 投手:能見
 7イニング 被安打1 四死球1 失点0
 本塁打:能見
 二塁打:原口、白仁田

「これでベスト4! あと二つ勝てば全市ですね!!」
 もちろん、その二つ目には雛形くんの美香保中が待ち構えているんだろう。こうなると……他の中学校の選手達には悪いけど、まるでこの地区予選自体が初めから、清陽と美香保の試合のためだけにあるみたい。雛形くんの完全試合の噂を聞きながら、私はそんな風に考えていた。ちなみに、上本貫己はこの間も連続打席無安打記録を更新中。
「いやあー、二回戦も勝てるなんていつ振りだろう!? 少なくとも清陽じゃずーっと一回戦負けだったからなあ。本当に嬉しいよ」
 帰りの車中で、監督が嬉しそうに話していた。清陽に赴任してくる前に受け持っていた野球部も弱小だったらしく、今の快進撃はまさに夢心地らしい。もちろん、これはほぼ能見一人による成果だ。後部座席で話を聞いている能見も誇らしげな顔をしている。
「べっつに、一つ二つ勝ったぐらいで大喜びしなくてもさあ。俺が先生を全国まで連れてってあげますよ」
「もー。決勝はたぶん雛形くんだって言ってるでしょ? いくら能見が投げたって勝てるかどうかは分からないんだからね」
 そう言うと、能見は不満げに眉をひそめた。
「うるっせーなあ。つーか、美香保も去年までは弱小だったんだろ? 打線を抑えるのは余裕だろうし、後はお前らが雛形って奴から点とれるかどうかだろ。な? オイ」
 隣の貫己の足を蹴った。
「いや、まあ……ゴメン」
 貫己はヘッタクソな作り笑いを浮かべて、窓の外へと視線を逸らした。
「いやマジで、そんな言うなら決勝はシモケン使えば良いんじゃねーの?」
 能見がそう言った瞬間、車中の雰囲気が一変した。
 端下 健太(はしも けんた)、通称シモケン。今年入学の一年生だが野球名門校のキャプテンを兄に持つなど野球一家に育ち、実力は既に三年生達と比べても遜色ない。それどころか、貫己と比べると正直シモケン君の方が……。
 冗談半分なのだろうが、能見のその提案に監督は何も答えなかった。その間を誤魔化すように私が繕う。
「いや、いくらなんでもいきなりスタメンって言うのはさあ……。シモケン君もそんなに試合慣れしてるわけじゃないし」
「試合経験なんてリトルで積んできてるんだろ? ぶっちゃけ、その雛形クンに勝ちたいなら使った方が良さそうなんだけどねぇ」
 こんな会話を、貫己はどういう心境で聞いているんだろう。窓の外を眺めたままの表情はここからだとよく分からない。私も貫己に対しては遠慮なしにモノを言う方だけれど、こんな風に私以外の人間が貫己を責めるのを聞いているとかばわなきゃという気持ちになる。
「……まあ、さすがにいきなりスタメンは早いだろう。ベンチには入ってるんだから、機会があれば使うよ」
 もごもごとした口調でそれだけ言って、監督は口を閉じた。能見は「ふーん」とつまらなそうに答えた後、貫己の耳元で「良かったじゃん」と囁いた。

 ○

 ――正直、何が良いのかは分からなかった。清陽の野球部(というか弱い学校は大抵そうみたいだが)は今まで年功序列でスタメンを組んできたけど、今年は能見のおかげで全市や全道まで狙えるチームになっている。どうせ何をやっても一回戦敗退というなら年功序列で良いけど、上を狙える可能性があるなら実力主義でスタメンを組んだ方が良いに決まっている。
 でもこれはあくまで中学校の軟式野球。教育の一環としての意味合いが強いのも知っている。それならやっぱり三年生優先で……。それに、貫己もずっと努力してきたんだから案外あっさりと雛形くんを打てるかも。いや……でも。
 バットやボールをしまうために学校に寄った後、私は貫己と肩を並べて帰路についていた。
 夕方の河川敷はつい物思いに耽るほど情緒的で、川に映る夕焼けが口数を少なくしていた。
「……貫己」
 貫己は「なに?」と乗り気じゃない風にこちらを振り返った。
「決勝戦だけは、シモケン君に出てもらったら?」
 さすがに、すぐには何も答えなかった。
 川の傍で遊ぶ子供たちの声が響く。
「いや、私も色々考えたんだけどさ……。ホラ、やっぱ雛形くんはホント凄いと思うから。少しでも、その、勝ちにいった方が良いのかなって……」
 “勝ちにいく”という表現は、失敗したかもしれない。すぐに少し後悔した。
「まあ……な」
 言葉の続きを待ったけど、それきり貫己は何も発さなかった。
「まあな、って。……分かったの?」
「いや……」
 煮え切らない態度に、思わず苛立ちを覚えた。
「今年……最後の中体連で、もしかしたら全国まで行けちゃうんじゃないかって初めて思えた。正直去年までは全国全国言ってた皆がアホくさかったけど、やっとほんの少しだけでも本気で期待できるようになったから。だから……そのホラ、雛形くんとの試合だけはシモケン君に出てもらって、また全市大会からは貫己がスタメンで出れば良いじゃん! とにかく美香保に負けちゃったら全道どころか全市にも行けないわけだからさ……!」
「……ああ」
 自分でも、酷なことを言っているのは分かっている。それでも腐ったような返事しか返さない貫己に、強い苛立ちを感じずにはいられなかった。

「貫己はさ、一体どう考えてるわけ!? 今年で最後なんだよ!! お前がみんなの邪魔して試合に負けたら、どうするつもりなんだよ!!!」

 大きく見開かれた貫己の両目が、激しく私を睨みつけた。
 次の瞬間、何が起こったのか分からなかった。視界が暴れて、体が浮いた。
「お前ェ!!!」
 貫己の腕が私の胸倉を掴んでいる。雑草の生えた地面に背中を叩きつけられた。
 貫己は思い切り私に体当たりを喰らわせ、そのまま地面に私を押し倒していた。小柄ながらも男子の体重が私の下腹部を圧迫する。
「なんでお前にそんなこと言われなきゃならないんだよ!!」
 負けじと貫己の顔を平手で何度も叩いた。
「事実だろ!! 年功序列で試合出て、それで負けたらどうするの!!?」
「うるさい!!!」
 貫己の両手により力が込められるのを感じた。
「皆に非難の目で見られて、耐えられんの!?」
 そう言うと、鋭く睨みつける両目は相変わらずだが、私の胸倉を締めつけていた両手が少し緩んだ。

「その時……一番辛いのは、貫己じゃん」

 両手の力が完全に抜け、私は解放された。
 咳きこむ私の姿を見て、貫己は小声でごめんと呟いた。
「……でも、試合には俺が出る」
 ……こいつ、これだけ言っても分からないのか。
「俺が、雛形くんを打って勝つんだ」
 私をその場に置いたまま、貫己は足早に立ち去った。近くで遊んでいた子供たちが、怯えた目でこちらを見ている。
「馬鹿野郎」
 私は一人で呟いた。
 スカートの雑草を払ったが、生地に染み込んだ緑色はなかなか落ちないなと思った。

       

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